蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

古屋和子、琵琶弾き語り―「越前竹人形」―を聴く!

2012-04-06 19:10:05 | 田舎暮らし賛歌
古屋和子、琵琶弾き語り―「越前竹人形」―を聴く!

 4月6日(金)晴れ。
 今日、午後2時から近くの明野総合文化会館の二階和室で、古屋和子、琵琶弾き語り―「越前竹人形」―を聴いてきた。
 素晴らしかった。こんな田舎で、このような素晴らしいものを耳に出来るとは思ってみなかった。
 私たち、今日の聴き手、70人余りが座る座敷の縁側の障子を開けて、渋い鬱金色(ウコンイロ、濃い鮮黄色)の和服姿で大きな琵琶を抱くように入ってきた古屋さんが、「和敬静寂」の書額がかかる床の間の前に、しつらえられたピアノの椅子のような席につく。
 主催者の責任者が短い紹介をする。古屋さんはそれに応えて軽く会釈し、「水上勉先生の越前竹人形を語らせていただきます」とピント背筋を伸ばし、膝に構えた琵琶の弦を軽く一、二音弾いて音調を確め、静かに弦の上を撥を滑らせ語り始めた。
 
一瞬、しーんと静まり返った会場に、琵琶の弦を滑る撥の間からサラサラと竹の葉の葉摺れが聞こえてくる。
ある雪の日、越前の国武生の寒村、竹神集落に住む竹細工職人、喜助のもとへ、美しい女・芦原の遊廓に働く遊女玉枝が、喜助の父、世話になった喜左衛門が亡くなったと聞いて墓参りに来たと告げる。

古屋さんは、その玉枝が喜助に始めて声をかけるところを、まるで舞台の上の玉枝を目の前に見るようになりきって演じる。
そして今度は、喜助に成り代わって訥々とした偏屈な男の戸惑いの声色で応える。振りこそないが、琵琶の伴奏いりの見事な独り芝居だ。
自分より十幾つも若い年の違う自分を母のように慕う喜助の情にほだされて、娼妓の身を整理して、喜助との新しい生活にそれなりの夢を託して身を寄せた玉枝。

ところが、喜助は一向に玉枝を母として親しもうとするばかりで、愛する女として抱こうとしない。ひたすら、玉枝をみつめて父に負けない竹人形つくりに打ち込むばかり…。

そんなある日、京都から喜助の竹人形の評判を聴きつけて、買い求めに来た番頭の忠平。それはなんと昔、玉枝が京都の島原で娼妓をしていたときの馴染み客だった。生憎、その日喜助は不在。二人は昔語りをするうちに、忠平は俄かに玉枝を襲う。玉枝は心では忠平を拒みつつも、日頃の喜助への不満から心ならずも体はひらいてしまう。女の業。

そしてその一回きりの事で、玉枝は妊娠してしまう。途方にくれる玉枝。暮夜ひそかに重い石を抱いて流産を試みるが、効果はない。思い余って京都に口実を設けて出かけ、忠平を呼び出し事実を告げ、中絶のための助力を乞うが、忠平は玉枝の言葉を信じようとせず、心無く突き放す。
思い余った、玉枝は、伏見の方の遊廓で引手婆をしている唯一の身寄りの叔母を訪ねていく。その途中、宇治川の渡しの船の中で、腹痛に襲われ気を失い流産してしまう。気が付いてみたら玉枝は老船頭の小屋の中に寝かされていたのだった。

船頭は言う。事情は想像つく。岸に着けて警察に届けたりしたら面倒だろうからと、赤ん坊は川に流したと…。玉枝は、老船頭にあつく礼を言って喜助のもとに帰っていく。そして程なく病で死んでしまう。

玉枝を失った喜助は、竹人形つくりをやめてしまう。そして白痴のようになってその後をおうように死んでしまう。水上勉の独壇場の世界だ。今近松だ。

古屋さんが約一時間二十分語り終えて、静かに一礼すると万来の拍手だった。

この会が催されたのは、昨年11月、この会館内にある小さな図書館のファンクラブが、古屋さんの平家琵琶弾き語り「壇ノ浦」を聴く会を開催し、その時、好評を博し、是非近く再度ということになって、今日の会となったのだった。

前回の「壇ノ浦」もすばらしかった。弾き語りの魅力、NHKなどは是非深夜でもいいから、こういうものこそ放送してもらいたいもだと強く思った。

ちなみに、古屋さんの弾き語り、4月の13日(金)~15日(日)、「女殺し油地獄」が東京原宿駅傍の赤星ビル地下、アコ・スタジオで上演されるという。

まだ、聴かれたことの無い方には是非おすすめしたい。