蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

漂泊への憧れー山頭火と山崎方代についてー(その1)

2008-10-12 00:42:59 | 田舎暮らし賛歌
10月11日(土)曇りのち晴れ。暖。

 “漂泊”。その文字を、声を出して読んだときの何と言うその響きのよさ。その文字をじっとみつめれば、その背景に浮かぶイメージ。自由気まま。行雲流水。清貧。孤影。…そして木枯紋次郎のテーマソングではないが、「だーれかが、きっと待っていてくれる…」かも知れないかすかな永遠の恋人への邂逅の可能性にかけて…。

  私も、若いときからそんな漂泊者に篤い憧れを持ち続けてきた。いつか、仕事をやめたらキャンピングカーを買って、日本国中、いや世界中を巡って絵を描いてみたいと思ってきた。
  だが、現実には、この山家に定住することを選んでしまった。
  漂泊への思いは、単なる憧れのまま終わった。いや、まだ、今のところ一応おちついているだけかもしれない。まだまだその思いはいつ爆発するかも知れない予感が私の心のどこかにひそんでいるような気がする。

  こんな漂泊への憧れは、私ひとりのものではなく、男なら誰でも多少はそんな思いに共鳴するものがすくなくないのでなかろうか。
  その象徴が「葛飾柴又のふーてんの“寅”さん」ではないのか。
  寅さんは、日頃私たちが心の中で願っていても浮世のしがらみでそうはできないこちとらの身に替わって旅にでてくれているのではないだろうか。それだからこそ私たちは拍手喝さいするのではないだろうか。

  しかし、寅さんはあくまで鬼才山田洋二監督のつくり上げた虚構の人物でしかない。

  ところが、自由律俳句の第一人者、「後姿の時雨れていくか」で有名な山頭火は正真正銘の漂泊者だ。
  それに比べて、「ふるさとの右左郷(うばぐちむら)は骨壷の底にゆられて吾が帰る村」と歌った口語短歌の今や大家たる山崎方代は、半漂泊者ともいうべきか。
 
  こんなことを記してみたくなったのは、今、世界中がアメリカ発の大恐慌の再来かと右往左往するのをみるにつけ、その対極で同じ人生を送った極めて少数の人たちの生き方に心惹かれたからである。