蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

組のお葬式

2008-10-07 00:59:45 | 田舎暮らし賛歌
10月6日(月)雨のち曇り、肌寒き日。

  今日、組内のT家に不幸があり、近くの斎場で昨夜の通夜に続く告別式があった。私たち11軒の組の者は、お手伝いということで、手分けして受付を担当した。
  葬儀の儀式が滞りなく終わり、2時過ぎから直会(ナオライ)となった。
 
 直会は葬儀委員長の挨拶で始まった。葬儀委員長は我が組長さんである。組長は1年毎の回り持ちで担当するのである。この地に3年まえ越してきたばかりで組長に当たった私の息子ほどの年若い組長さんは、思わぬ大役に一昨日の葬儀の段取りの打ち合わせ以来、いささか緊張ぎみであった。
  だが、挨拶が始まってみれば簡潔にして要を得た立派なものだった。挨拶を終えて顔を紅潮させて我々の席に戻ってきた組長さんを、皆で頷いて労い迎えた。

  続いて、故人の娘婿の方が故人を偲んでの挨拶に立たれた。
  故人の92歳の生涯、経歴、人柄を、真情を込めて話された。
  伺えば、この地に大正初期に生まれ、高等小学校を卒業して、満州に渡り、満鉄に入り,そこで結婚し長男が生まれたところで、終戦を知り、親子三人命からがら半年かけて、故郷のこの地に帰り着いたとのこと。
  それから、一筋に実家の農業を継いで、養蚕、米麦、果実栽培と農事に励まれ、4人の子どもたちには、他人に迷惑をかけるな、欲をかくな、世の中のためになるような人間になれをモットーに立派に成長させた。
  故人は地域の問題にも関心を持ち、旧慣陋習を改める事に努力し信望を集めて村議やその他の公職を勤められた。
  ところが、晩年、奥さんが難病に伏されることとなるも、子どもたちが独立して二人だけの暮らしの中で、誰の手も借りず86歳で、妻に先立たれるまで、多年優しく看護をつくしたとのこと。
  そんな中でも子や孫が遊びにいけば、何かと手作りの料理でもてなし、孫からはお祖父ちゃんお祖父ちゃんと慕われたとのこと。

  拝聴していて、目頭があつくなった。最早還暦を過ぎたと思われる娘婿に、こんな心のこもった弔辞を捧げられる、今まで一面識も無かった遺影の故人が、俄かに親しくその生前の肉声を聞いてみたかったような気持ちになった。

  次に献杯の音頭に指名されたこちらもはや還暦を迎えた臨席のYさんは、献杯を前に“おじちゃんが自分たちが子どもの時、卓球台を手作りしてくれたこと、何でもよく話をきいてくれたことなど”の思い出を語った。

  静かな献杯の発声が終わると、大の大人たちが何々ちゃんと呼び合う楽しく賑やかな宴会がはじまった。

  これまでお葬式には何回も出たことがあるが、こんなに何か暖かい心の通い合うお葬式に出た事は無かった。
  そして、このような心温かい人たちの傍に住める、この地に移り住んで本当によかったと思った。
  今、個人主義というよりも孤立主義が蔓延するなかで、ほどほどの地域共同体のなかで暮らせることは、幸せな暮らし方ではないだろうか。
  帰り道、我が10軒でもっとも若いこちらも新住民のお父さんに、「私の時もひとつよろしくお願いします」と言ってみた。若いお父さんはニッコリ笑ってくれた。

  そして、改めて故人を思った。
  今、日本の政治、社会はいろんな面でがたがたしている。世のエリートと言う人々の無責任ぶりや強欲ぶりが毎日の紙面に溢れている。
  しかし、日本は滅びない。それは、この国の根っこともいうべき田舎では、まだ、こういう篤実な人々が地域共同体を大切にしながら、黙々と暮らしている限りは…、と。