蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

2007年から2008年への思いーこの世間は陽炎か?-

2008-01-03 00:38:30 | 日常雑感
1月2日(快晴)寒気強し。

 昨年夏、自宅半地下をホーム・ギャラリーとして自作の展示・販売の場としてオープンして以来、私の生活は、少し大げさになるが一変した。
 赤松林の中にも関わらず、10月末までは日に一組か二組の来客があり、200人近くの方にお出でいただけた。
 それが機縁で、思ってもみなかった似顔絵描きを頼まれたり、絵葉書をつくったりと、いっぱしの三文絵描きの端くれの端くれぐらいには連なったような感じである。
 こちらの方でも、7ヶ月の赤ちゃんから80歳の大先輩まで、老若男女、もう百数十人の方々とあれこれお話が楽しめた。

 それまでの家人が勤めにでてしまえば、日がな一日誰とも口を訊くことの無かった生活とは大違いとなった。
 すると不思議なことに、日々新聞やTVを視ていて、あれほど腹が立ったり、黙っていられなかった気持ちが何処かへ雲散霧消した感に陥った。戦闘意欲喪失である。何故か?

 もっとも、こういう気分になったのは、私が長年の公務員暮らしで、この世間の厳しさを身に沁みて知らず、挙句、僅かばかりの有り金を、身の程も弁えず、株式投資などに放り込んで、お定まりのスッカラカン同然になったことも大きな要因かもしれない。
 
 思えば、私は、公務員と言う立場で、知らず知らずの内に公というものは、そういい加減な事はしないものであり、身を託して信頼にたるものだと思い込んで過ごしてきた。
 そして、この社会の仕組みは相当に完成度の高いものであるとも、漠然とながらお目出度くも信じ込んできたようである。

 ところがどっこいビックリ箱で、先の無謀な世界大戦への突入振りを見ても、現在の私たちの社会システムというものは、官民を問わず、外見の形はそれなりの立派なビルに収まったりして、最も確からしく見えるが、その内実は、実にあやふやな陽炎のように見えてきたのである。
 
 私がホゾを噛まされた株の世界でも、日本に株式市場ができて半世紀以上も経っているにも拘らず、時の政権与党の幹事長閣下や財務に明るいと定評の何とか平蔵大臣までもが、この若者に続けとばかりに、その手をとって高く掲げたその輝ける栄光の若社長が、そうノタマッタ大臣の舌の根も乾かないうちに、インチキか何かがバレテ拘置所のなかに転落する始末。

 東証は、そんなインチキ会社を陳列台に、どうぞお買い下さいとばかりに並べてきたのである。だが、何とそんな会社の監査法人の監査のいい加減さは、開いてビックリではなかったか。

 確かなのは、官だけは、底なしの泥沼に浮かぶ筏のようなもので、絶対に自分たちだけはどんな状況になっても、そこにしがみ付いている限り、泥田には落っこちない仕組みになっていることだ。
 そんな結構な筏に乗っていればこそ、厚生労働省にしろ、外務省にしろ、防衛省にしろ、どんなに世間が騒ごうとも馬耳東風なのではないだろうか。

 そんな筏のご利益のお相伴にあずかり、こんな美味しいご馳走は誰にも渡せるものじゃないとばかりに、帆柱にしがみ付いているのが、時のうらなりなすび宰相閣下率いる与党のお歴々というわけでは…。

このような結構な、筏の乗り手ならぬ身は、己が才覚、手業を頼りに生きていくこそが、己が身を守る唯一確かな手立てということか…。

 こうと見定めれば、暖簾に何とか、何をいったところで唇寒し秋の風ならぬ歯の根も合わぬ霜柱というところではないか。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。

 新年早々、えらく気勢のあがらない駄文、恐縮に存じます。