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しぶい旅・飛鳥の旅(6)

2014-11-18 06:15:26 | インターネット・パソコン・デジカメ
しぶい旅・飛鳥の旅(6)

田畑も多い、のどかな丘陵地を進んでいくと、丘陵の斜面のような場所になにか工事用のシートのようなものが見えてきます。

これが牽牛子塚古墳の墳丘部。「けんごしづか」と読みます。
「けんごし」というのは、「あさがお」のことだそうです。






かこいもなにもしてありませんので、墳丘部まで立ち入ることができますし、石室の状況も見ることができます。

二人を納めることができるようになっている石室の構造、すぐ近くから別の古墳が発見されていること、八角形の構造等々から、
研究者の間では、この古墳は皇極天皇の墳墓であるという説が有力なようです。

ですが、現状は宮内庁の陵墓指定や参考地指定といったものはなされていないため、発掘も可能で立ち入ることもできます。
それはそれで、ありがたいことではありますが、
逆に言えば、天皇の墳墓の可能性が高い場所が、整備も充分にされずに、工事用のシートがかけられたような状況のままとなっている現状というのは、問題があるとも言えます。

高槻に今城塚古墳と茶臼山古墳というのがあります。宮内庁は後者の古墳を陵墓指定していますが、実質的にはその築造年代等々から勘案して、今城塚古墳の方が大王の墳墓である可能性が高いのです。というか、現在はそれが定説となっているようです。

ですが、今城塚古墳の方は陵墓指定がないため、発掘をすすめることができました。
そこでは驚くような発掘の成果があり、その内容は公園として整備された古墳及び資料館でしっかり展示されています。

私見ですが、天皇の陵墓であると考えられる古墳を発掘、調査することは、別に「墓を暴く」ような失礼な行為でもなんでもなく、その発掘物を「盗む」ような行為でもありません。

よく知られた古墳のほとんどは既に盗掘されている場合が多いと思われますが、それでも発掘調査をすすめれば、学術的に様々なことが判明していくでしょう。
そのことは、現在の天皇のあり方等に直接なんらかの影響を与えるようなことではありませんし、学問的にそうした調査をすすめることは意味が深いと思われます。
当然、一定の厳格なルールのもとに、発掘調査等はすすめられるべきですが、「たまたま、崩れたところを修復した時に出てきたもの」なんていうことではなく、きちんとした調査が多くの古墳で進むといいと思います。

話がそれましたが、この牽牛子塚古墳の石室は二上山から運んできた凝灰岩を削ってつくられているそうです。
巨大な岩を運ぶことだけでも、ものすごい労力だったろうと思います。

さらに進むとも右側に、こんもりとした小山が見えてきました。
いかにも古墳で、まさに古墳です。これが真弓鑵子塚古墳。 「まゆみかんすづかこふん」と読みます。

真弓鑵子塚古墳についてはこちらのページで詳しく解説されていました。






ここは横穴式石室に羨道が二つも築かれています。これは非常に珍しいそうです。石室の様子も、少しのぞきこんで見ることができました。

この牽牛子塚古墳と真弓鑵子塚古墳は、「知る人ぞ・・」という感じで、その歴史的な意義とか意味と比較して、石舞台古墳のようなメジャーな存在にはなっていません。
秋の天気のよい土曜日にもかかわらず、これらの古墳を訪れる人は、私たち以外はほとんどありませんでした。地元の人が農作業をしているのに出会ったぐらいです。

うまく周辺を整備して、見せ方も考えれば、ここは観光地として脚光をあびてもいいような古墳でしょう。牽牛子塚古墳については天皇陵である可能性も高いようですし。

ただ、もう少し保存等の整備はきちんとしてもらいながら、どかどかと人がやってきたりすることがない、今の風情を保ってほしいとも思います。

竹林の中の道を抜けて、岩船に向かいます。


つづくよ。

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