monologue
夜明けに向けて
 



一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に
「光の黙示録」より

「どちらかが重くなった時」というのだからこの天秤は今バランスがとれているのだろうか。
これは以前、述べた日読月読の関係。
すなわち三四三の関係である。四が支点で日読側から見ても裏の月読側からみても三四三になっている。合計十が表裏で二十である。そんな世界にわたしたちは生きているはずだった。
表裏一体でどちらかが大切というとはない。ところがアマテラスを偏重して月黄泉を無視する時代が続いた。左右のバランスが崩れたのだ。そのために日本の歴史は変調を起こした。
歴史の歯車は軋み悲鳴をあげながら現代を迎えた。
いよいよ真に求めている者の名をだれもが知る時代の幕が上がる。
fumio




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