『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

再び黄色い花の明るい声が聞こえてきたような・・・

2021-09-29 10:06:34 | 喜怒哀楽をポジティブに
9月もいよいよ今日、明日を残すのみ・・・
よく言われることだがまさに「光陰矢の如し」。
月日の過ぎるのは放たれた矢のように早いという意味に加えて
その放たれた矢はそのまま戻ってこないことからあっという間に
過ぎ去った時間はもう戻ってこない・・・という意味をしみじみと感じる。

今月の半ばごろに我が家の庭のフェンス際で咲いていたヒオウギや
キバナサフランモドキが今年最後の顔を見せて去っていった・・・
という記事を書いたがなんと、キバナサフランモドキは今朝復活(?)し、
3個咲いていた。
みかんや獅子ゆずは日に日に大きくなっているが、花の少ない我が家の
庭はほとんどの花が咲き終わり、フェンス際の様子はまさにこれ以上は
できないという縮小をした殺風景な荒野のよう・・・
そして芝生は大草原・・西部劇の世界がミニチュアで・・・

その荒野にポツン、ポツンと咲いたキバナサフランモドキは荒野を照らす
月のように思える。
もちろん夜でもないし、丸い花ではなく満月や半月のようでもないが
6弁のその花びらは夜の荒野を煌々と照らす明るい月あかりを
思わせ、このミニュチアの荒野にカウボーイハット、バンダナなど
カウボーイ衣装を身に着けた男たちが現れ懐かしいあの「ローハイド」の
物語りが展開されるような気がする。

そんな空想と共に今日も晴れ上がった空を見ると雲の中に・・・
隊長ギル・フェイバー や副隊長ロディ・イェーツの経験、体験による
判断があらゆる苦難困難を乗り切って行く姿が浮かんでくるようだ。

調子に乗った子供のように私はその荒野と大草原に雨を降らせようと
散水栓を捻り、散水ノズルの先をシャワー状に切り替え噴射・・・
フェイバーさんが隊員に指示を出している様子を想像しながら体を
反転させ、太陽を背にすると目の前に広がるシャワー状の水の中に虹が・・・
ローハイドに出てきても不思議ではない光景に一人満足する私・・・。

空想を楽しんでいると弱弱しく飛んできた蚊がいつの間にか私の手の
甲に・・かゆみを感じると同時にピシャリと叩くと私は現実の世界へ・・・











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本日2度目の投稿で訂正を・・・

2021-09-28 16:24:31 | 喜怒哀楽をポジティブに
先の投稿で「マテバシイ」を食べたことを書きましたが、先ほどhighdyさん
からいただいたコメント内の「シイの実」という言葉と「僅かな渋みと
ともに甘味のある実 」という文章でふと気づきました。

私がよく食べていたのは渋みも全くない「スダジイ」というものです。
「シイの実」と言われているものも食べたことはありますがそれが
「マテバシイ」だったと思います。

スダジイはどんぐりの仲間の多くに見られるあの帽子のような部分
(殻斗=かくと)がなく、全体を殻で覆われていて成熟して落ちる頃に
なるとその殻が三つに分かれていますから見分けるのも簡単です。
私もそういう風に教わりましたので難なく見つけることができます。

皆さんも近くの林や公園、お寺や神社の境内などで探してみては
いかがでしょうか?・・・

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緑と憩いを求めて

2021-09-28 13:37:38 | 喜怒哀楽をポジティブに
日頃、ストレスのようなものは何も感じないと思っている私とは違い、
いくつかの持病(?)を抱えた妻千恵子選手はそのこともあるのか
閉じこもっていると少し息苦しくなると思っているようで、その
もやもやのようなものの解消のため雨が降らない日は杖を突きながら
5000歩前後の散歩と室内での軽い運動、エアロバイクなどで体を
動かしているがたまには「緑の中」で寛ぎたいと言っているので時々は
緑の多い場所へ連れていくことにしている。

昨日は定期的な診察を終えた後、あまり天気は良くなかったが、
密を避け少し静かで空気のきれいなところへ連れて行ってみようと思い
近く(さいたま市内)の公園や緑の多い場所へ行ってみないかと誘うと、
「市民の森」でも大宮第二公園でもいいという。
このでもは私への遠慮と自分の体力を考えてのことだと察知した私は
市民の森を通り過ぎ、見沼区方面へ・・・

緑と共に野鳥も見ることができると思った私は鷺山記念公園へ向かった。
天気も良くなってきたので少し歩いてもいいかなと考え、目的地の
さぎ山記念公園に隣接の広い「見沼自然公園」の駐車場へ・・・

このほぼ長方形と思われる広い自然公園は長い部分が700メートルぐらい
あるだろうか短い部分でも200メートル以上あると思われさらに広く
膨らんだような場所は300メートルぐらいかもしれない。

私よりも歩くのが得意な千恵子選手は早速杖を持って車外へ・・・
大好きな緑の中を大好きな大木「(たいぼく)を見ながら、そして
時々足元に無数に落ちているどんぐり類を拾いながら…いかにも楽しそう。

公園のほぼ中央には池のようにも見える大きな沼らしきものが・・・
その水面の所々に顔を出しているスイレンの花たちが空に向かい何かを
語りかけているようだった。

公園を1周するには広すぎるので途中でまたその沼の淵へ出て緑の広場を
横切り駐車場へ向かった。
入ったときは気づかなかったが駐車場の近くの自販機の列の中に
アイスクリームの自販機が・・・数多い種類の中でそれぞれ好みの
アイスクリームを・・・・
少し歩いたせいかそのアイスクリームは格別に美味しかった。

私は隣接の「さぎ山記念公園」へも行ってみようと誘ったが千恵子選手は
さすがに疲れたのか『行きたいけど疲れたからこの次に・・』と言うので
「さぎ山記念公園」は駐車場の中を車に乗ったまま一回りしてそのまま
自宅へ向かった。

帰ってからの千恵子選手はダイニングテーブルに緑色の若い実のまま
落ちたどんぐりや茶色く光沢のあるもの達を並べ満足そうな表情。
拾ってきたものを見比べてみたが似通ったものも多く、全く違うものも
あった。
ネットで検索すると何とその種類や木の名前の多いことに驚いた。
一言にどんぐりと言ってもこんなに多いとは・・・と改めて感心。
我が家では食べられるどんぐりとして「マテバシイ」にはなじみが
あったが、最近(2年ぐらい)は食べていない。
マテバシイは炊き込みご飯にしても、そのまま炒って食べても美味しい。

他人(ひと)に話すと『え~っ?』という声や『どんぐりを食べるの?』
という声も多いが、独特の香りと味に魅せられる人も多いのではないかと
思う。

次回は秋晴れの下、その名の通りいろんな種類の鷺でも有名で歴史ある
「さぎ山記念公園」へ行ってみようと思う。
かなり前だが仕事仲間と一緒に公園内の木から採ったさくらんぼを
食べたことを思い出した。











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小さな命(ミョウガ=茗荷)が感動を呼び・・・

2021-09-23 10:42:33 | 喜怒哀楽をポジティブに
  


我が家(マンション)の狭い庭の道路側のフェンス際に時々突如として
ミョウガが一つ、二つ(時には三つ)と顔を出す。
それはかなり前からのことで、その由来は妻が絵手紙仲間の友人から
根株をもらい植えつけたものが運よく(?)こんな場所でも育ったものだと
思われる。

我が家は二人ともミョウガが大好きでスーパーで売られている間は
ほとんど欠かさず常備菜のように冷蔵庫内に保存されている。
我が家でもミョウガは酢の物、天婦羅、薬味などに限らずいろんな
食べ方をするが何といっても酢の物が好きでたまらない私には単なる
食事時の脇役というより、主役を盛り立てる個性豊かで唯一無二の
重要な役目を、姿かたちだけではなく、本来の「香り・味・食感」などで
いかんなく発揮するエンターテインメント でもあるのだ。

今回も固くしまりプリっと膨らんだミョウガらしいミョウガが2個
同時に現れ、一個は新鮮なうちに食べよう・・と妻の千恵子選手は
その日のうちに食卓へ・・・
そしてもう1個はいつものように花の様子を楽しむことにして
ちいさな剣山に刺し、代り映えのしない普通のガラスの器にいれて
キッチンの壁際へ・・・

食事の準備や後片付けなどの間、この懸命に生きる小さな命を
見守ろう・・そしてその美しさを楽しもう・・ということで数年前からの
恒例行事(?)のようなものなのだが私の心にもその小さな姿は
一艘の帆掛け船が最後の航海に出るように見え、儚いともいえるその
命への感動が静かに湧いてくるのだ。

少し寂しくも感じるが喋ることも自分の意志を伝えることもできない
この小さな命は食事を際立たせる意味だけではなく、こうして
私たちの心を動かしたり、豊かな気分にさせてくれることで、その
姿、形は消え失せても何倍もの大きさになったような気がするだけではなく、
つぎつぎと生まれてくる小さな命はそれを私たちが見るたびにまた
新しい感動を与えてくれるものだと思う。



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空からの珍しく貴重な(?)贈り物を受け取る

2021-09-22 16:29:59 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日も埼玉(関東も)は晴れ、朝から太陽が顔を出したり引っ込めたり・・・

今日は週3回のハードな筋力トレーニングの日なので10時15分ごろから
室内でのトレーニングを始め、11時には太陽がジリジリと照りつける
外(テラス)へ出て、大好きな太陽と会話をするようにベンチに仰向けに
なって早速ベンチプレスを始めた。

今は50代の頃のように100㎏超えは到底無理なので最近は、年齢も考え、
50㎏から始め、10回を1セットとし、3セットを終えると5㎏ずつ増量し、
55、60、65、70㎏をそれぞれ10回、10回、8回、6回、として3セット
ずつ行い、最後に75㎏を1~2回、最後の力を振り絞って・・・
秋とは言ってもまだ暑さが厳しい毎日・・・太陽が照りつける中で、
上下黒のトレーニングウェアでは普段汗をあまりかかない私も額から
流れ出る汗を感じた。

11時20分ごろだっただろうか、水分を補給しバーベルのプレートを
追加しながら空を仰ぐと薄い雲の一部が横に長く虹色に輝いていた。
薄い色だったが紛れもなく虹色・・・通常の虹よりも高い位置で、
しかもその曲線がいつもとは違う向きのようだったので妻の千恵子選手を
呼び不思議な虹色の雲を見るように言いながらその方向を示したが
彼女は空を見ても良く見えない、よくわからない・・という返事。

私は『ああ、これがいつかテレビで見た何とか現象なんだな・・』と
思ったがその言葉が思い出せなかった。
その様子を見ながらトレーニングを続けていると・・・
それから間もなく、その虹色のぼや~っとした雲が急変し、
下側にへこんだ弓のような形に変化したかと思うとあっという間に
太陽を囲む大きな輪の虹に変化し始めたのだ。
そしてほぼ完全な円に近いような形になり、色もはっきりとした
そして鮮やかとも言える虹色に変化・・・太陽の周りを囲む大きな虹と
なって私を驚かせたのだ。
最初、その大きな虹の輪は雲の裏側で見えなかったのかもしれない。

これは紛れもなく空からの素晴らしい贈り物だと思い、再び千恵子選手を
庭へ呼び出し二人で首が痛くなるほど上空を眺めていたが、妻千恵子選手は
ぼんやりとした太陽を囲む虹のあまりにもきれいな様子を娘にも
見せたいと電話をすることに・・・

その空からの最高の嬉しい贈り物は長くは続かず、私の心に余韻を
残したたまま消えていった。
トレーニングを終え、その現象を早速ネットで検索するとそれは
『日暈(ひがさ・にちうん)・ハロ現象 』だった。

そのハロ現象についてのメカニズムやよく似たラテラルアークと呼ばれる
ものなどについても興味深く読んだが様々な条件が重ならないと
実際に見ることができない珍しい現象ということなのでこれぞまさしく
『空からの貴重な贈り物』として、心にもブログとしても残しておこうと
思ったのだ。

このブログに訪問してくださった方々の中でもすでにご覧になった方が
いらっしゃるかもしれませんが・・・みなさん、「ハロ現象」などの
キーワードで検索してみては如何?・・・・
ネットで紹介されている様々な写真よりも私が見た実物の「ハロ」の
ほうが何倍も何十倍もきれいに見えたことは間違いない・・とお伝えしたい。
自分のことではなく自然の現象なので私が思いっきり自慢しても
問題ないのではないだろうかと・・・
















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日に日に秋らしくなっていく中で昨日は敬老の日を迎え・・・

2021-09-21 09:56:09 | 喜怒哀楽をポジティブに
周りの景色が日に日に秋らしくなっていく。
埼玉の朝は今日(21日)も明るく晴れでスタート。
昨日のような真っ青な空ではないが夕刻まではこのままいい天気が続き、
その後は曇り、場所によっては雨になるという予報。
全国的にも晴れる所が多く、九州や日本海側の一部では真夏日になるようだ。

そして今日は「中秋の名月」。
2013年以来8年ぶりに中秋の名月と満月が同じ日になるという。
昨日から今夜の天気が注目され、夜に晴れる中国地方以北の日本海側の
地域や東北は広い範囲でこの名月が見られ、月見が楽しめるそうだ。

西日本から東日本の太平洋側は広い範囲で雲が広がり、雨が降る所も
あるという予報で、関東地方も一部地域では早い時間に少し見られるかも
しれないと言われているが・・・残念ながら私の住む埼玉県では見ることが
できないようだ。

こうして今日は早くも9月21日、列島を襲うこの暑さを残暑と言うには
季節が進みすぎてはいないだろうか・・・
確かにこの暑さを文字で表すと「残暑」と言えるかもしれないが
残暑見舞いを出すのも通常は立秋から8月いっぱいとされ、遅くとも
9月初旬までということから考えると暦上でも生活上でも正式(?)な
残暑とは言えないのでは?・・と思う。

昨日は敬老の日、例年行われていた町内の「敬老祝賀会」は昨年同様
中止となり、先日、町内会(自治会)からお祝いとして例年どおり
後期高齢者にセブン&アイグループで使える共通商品券(500円x2枚)と
記念品(大判タオル)をいただいたが、普段、お互いにあまり交流のない
近隣の独居老人たちの中には楽しみにしていた「敬老祝賀会」の中止を
残念がっている人もいるようだ。

「敬老の日」という言葉は大変ありがたいが、昔と違い今は後期高齢者
の姿も若々しく見える。
私自身もまだ「老い」を意識したことはない。
私たちが子供の頃は童謡「船頭さん」の歌詞にもあるように
『村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん・・』と、60歳は
「おじいさん」というイメージだったようだ。

今は還暦を過ぎても、70代になってもさらに後期高齢者となっても
矍鑠とした人を見かけることも少なくない。
それは外見だけではなく話し方、話す内容、様子や態度などからも
うかがい知れる。

私も常に「年を重ねるだけで人は老いない」を意識し、「夢や希望や
理想を失う時に初めて老いが来る」という言葉を信じて生きているつもりで、
小さなことでもいいから夢や希望、信念、そして何かで自信を持っていれば
いつまでも若く、逆に失望や不安、恐怖心、疑いなどを持ち、それが
心の中に広がって行く時に老いるのだと思う。

いつも誰に遠慮することなく『私は125歳まで生きる!、生きたいと
思うのではなく生きるのだ!」と言い続けている私はそのためにも
『私はもう79歳だ・・などと思わず、私はまだ79歳だから・・』と
思うようにしている。

不可能なことを平気で言う恥知らず、身の程知らずな奴、と言われようが
私はそのつもりで日々を過ごしている。
万が一(?)それ(125歳)を達成できなくても希望や夢を持ち続ける
ことが生きる力になると信じているからなのだが・・・・

年齢を重ねるごとに世の中との関りも少しずつ減っていき、
世の中から遠ざかったり、世の中のほうが相手にしなくなったりすると
孤独感に襲われたり、対人的な感動も少なくなる可能性も高くなるようだ。
それらも老いに繋がるのではないだろうか、
幸い、私は独居生活でもなく、悠々自適の恵まれた生活でもない・・・
この悠々自適とは言えない生活だからこそ・・・老いない生活を工夫し
楽しむことができるのかもしれない。
もちろん精神的には「悠々」であると思うし、多少の紆余曲折はあったが
嘘偽りなく歩んできた自分の道もエルガーの名曲「威風堂々」を思い描く
ように自画自賛し、満足している。
(もちろん威厳などは全くないが・・・)

「敬老」というには値しないであろう私だが敬老の日を機にこうして
日頃の自分とこれから先の新しい自分を考えてみたことは自分なりに
意義があったことだと思う。

もちろん今後も大したことはできないがとるに足らない小さなことでも
常に頭と体を動かして老化を先に延ばそうと考えている。
やることがない・・・と思った時が老いの始まりなのかもしれない。

老いを感じたりしないよう、そして老いをまだまだ先のものとするために
社交的とまではいかなくても何らかで世の中とのつながりを保ち、
無理なく感激、感動する心を持ち続けることも必要なのではないだろうか。

趣味や仲間との交流も不可欠だと思う。
幸い私には何十年もの付き合いの「爺さんカルテット」の仲間もいるし、
ブログで知り合った「友」と言える人たちもいる。
そして交流頻度は低いがお互いを気遣う古い仕事仲間たちも・・・

さらに・・・日々の生活の中ではあまり役に立ってはいないかも
しれないがいくつかの趣味や夢中になるものも持っているつもりなので
今後も時間が足りない感覚を持ち続けられると思う。

このような精神的に恵まれた環境を当たり前とせず自分自身を
弁えながら足るを知り、感謝の気持ちを忘れずに日々を送りたいと思う。













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秋という言葉で・・・その3.

2021-09-20 08:55:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
夏が一番好きな私が「秋」に思うシリーズ・・・3.

今日もまた朝から秋晴れの大空とおおらかな恵みの太陽の光を受け
一日が始まった。
さて、
「秋」と言えば?・・・の問いかけに返ってくる言葉として多いのは
「実りの秋」「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」
「紅葉の秋」「睡眠の秋」「行楽の秋」などで特に多いのは「食欲の秋」
「読書の秋」「スポーツの秋」であるらしい。

「食欲の秋」
秋は旬を迎える食べ物も豊富であり、米や果物の収穫も多い季節だが、
現在は諸々の改良や収穫方法などによって季節に関係なくいろいろな
美味しい物が手に入ることも多く、本来の「旬」以外の時期にも多くの
商品が出回っているのを見ることも多い。

そして夏の暑さなどによる夏バテと言われる症状で食欲も落ちていた
人たちも9月に入り、涼しさを感じる頃から少しずつ体調も戻り、
たくさんの食べ物が美味しくなることに気づき減退していた食欲も
戻ってくるのだと言われている。

「読書の秋」
秋の始まりは残暑があっても暑からず寒からず、家の中での生活は
快適にできる季節・・・当然のように心も落ち着き家庭での読書も
増えるようだ。
まもなく秋分・・このころから「秋の夜長」と言われるように夜の時間が
日に日に長くなっていく。
夏の暑さによって疲れた体を労り、長い間のコロナ疲れなどを癒すため、
巣ごもりを兼ね、読書時間を増やしてゆったりと寛ぐのもいいのでは
ないかと思う。

「スポーツの秋」
秋は気候も良く体を動かすのには最適な季節ともいえる。
暑くもなければ寒くもないという穏やかな気候に体を動かしたくなり、
スポーツを楽しもう・・何かを始めてみよう・・と思う人たちが
増えるのもこの季節。
ウォーキングやジョギングをする人たちも増え、健康意識も高まる。
最近は残暑の影響や子供たちの生活の変化、学校の諸問題などから
春に運動会を行うところも多いようだがやはり運動会やスポーツ関連の
イベントなどは秋に結び付くイメージが強いのではないだろうか。

私自身も自分の年齢を考え、歩くことの大切さを感じてはいるが
本来歩くことが好きではないので、専らハードな筋トレだけで自分の
健康は維持されていると思い込み、勘違いしているところがある。
時々は室内のエアロバイクに乗ってはいるがやはり実際に自分の
足で歩くことが一番良いとかかりつけ医も言っている・・・

「芸術の秋」
気候的にも良く、一番過ごしやすいこの季節は物事に集中するのにも
いい季節のようで創作活動も活発になるようである。
展覧会、芸術に関するイベントなどの開催も多く、美術館などで芸術作品、
美術作品を楽しむことができる機会も増え、音楽や絵などを楽しむ
「芸術の秋」と言われるのは、このように集中しやすい気候、芸術系
イベントが多く開催される時期であることなどが理由のように思われる。

「紅葉の秋」からは日本の秋特有の美しい景色が目に浮かび、
ブログ友たちが腕を振るった素晴らしい写真の数々が思い浮かぶ。
またテレビなどで紹介される各地の紅葉前線と共に素晴らしい
景色の数々・・今年もまた各地の燃えるような紅葉や味わい深い黄葉を
たくさん見ることができるだろう。

「行楽の秋」といっても今(コロナ禍で)はまだ気軽に行ける状況では
ないため実際に出かけるのは難しいが、テレビなどを通して各地へ
紅葉狩りに行ったつもりの楽しみ方を味わいたいと思う。

秋がだんだんと深まり時雨が降る頃になると徐々に寂しい景色や風景と
なっていくがこれも季節の移ろい・・・時雨により秋から冬へと変わる
様子を知らせる日本の素晴らしい風情ある姿なのだろう。

秋、秋、秋・・時により「感傷的な秋」はあっても秋そのものは決して
寂しく悲しいものや物憂げな、気だるさなどが愁いを含んだような
雰囲気とは少し違い、「天高く馬肥ゆる秋」そのもののように青く高い
空がどこまでも続いているという爽やかで晴れ晴れとした気分に
なるのが「秋」だと私は思っている。



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秋という言葉で・・・その2.

2021-09-19 08:52:10 | 喜怒哀楽をポジティブに
夏が一番好きな私が「秋」に思うシリーズ・・・2. 

早朝には昨日の続きのように厚い雲が空を覆っていたが、次第に明るくなり、
7時ごろには太陽の光も拡がってテラスに映る物干し竿や植木鉢の影も黒く、
はっきりとしてタイトルの「秋」を思わせるに相応しい清々しい一日の
始まりを感じる。

昨日は「実りの秋」について思うことを書いたが実りの秋に結び付く
といわれる言葉でひとつ書き忘れたようなことが・・・
それは蜻蛉(とんぼ)・・・
子供の頃にいろんなトンボを見て捕まえたくなり友達と走り回った
記憶がくっきりと蘇る。

江戸中期に活躍した女流俳人、加賀の千代女の
「とんぼつり 今日はどこまで行ったやら」の俳句そのもののように
時間を忘れとんぼを追いかけていた。

中でも一番多く見かけたのはシオカラトンボ、そして麦わらトンボ。
シオカラトンボとムギワラトンボは雌雄の違いで同じものであると
いうことを知ったのは大人になってからだった。 

すこし高いところを悠々と飛ぶオニヤンマへは憧れのような気持ち
を持っていた。(飛行機をイメージしていたからかもしれない)

ホバーリングのような動きから空中でひらりと体をひねり夕日を浴びて
その赤い体をますます赤く染めるような赤とんぼ(アキアカネ)の姿・・・、
水面に近いところでその繊細できれいな色の羽と体をそっと休める糸トンボ・・
本当にたくさんのトンボを追いかけ、オニヤンマを捕まえた時などは
得意満面・・・母の前でも嬉しさのあまり顔が緩んでいたと思われる。

さて、冒頭の実りの秋に結び付くと言われるトンボについては・・・

秋は収穫の季節でトンボはその収穫を象徴する昆虫だと考えられ、
害虫やスズメバチ、アブなども食べてくれる益虫として人間にとっては
ありがたい生き物だったようだ。

 日本列島へ水稲耕作が伝わり、狩猟や採集を中心とした社会(生活)から
農耕を基盤とする社会へと変化した弥生時代に作られたという銅鐸にも
稲作に関する絵やトンボ、カマキリ、クモなど害虫を食べる益虫も描かれて
いることからも秋の収穫とトンボとの深い関りが紀元前からすでに伝わって
いたのだろうか。
そして長い歴史を経た現在までも繋がって・・・・。

特にお盆の精霊祭りの頃に現れる赤とんぼの仲間たちは「精霊蜻蛉
(しょうりょうとんぼ)」と言われ、日本人の長い歴史の中で収穫の
秋に精霊となって帰ってくる故人として大切に思われてきたという。

風習やしきたりなどには関心もあり、頷けることも多い私だが信仰心や
宗教心となると全くと言っていいほど遠い存在・・・

そんな私でも赤とんぼ=精霊と言われるとあの赤い体や動き、そして
高いところから広い範囲を見下ろし、あたかも何かを伝えてくれるような
飛び方を見るとそっとしておかなければ・・というような他のトンボには
ない、なぜか不思議なそして神秘的な印象さえ湧いてくるようだ。

「秋」はアキアカネに通じると言ってもいいのかもしれない。
 今、この時間、小さな雲一つない青空が広がっている。
これぞ秋・・と思わせるような空と空気・・・
今年はどこかでアキアカネに会えるような気がする。
                         
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秋という言葉で・・・その1.

2021-09-18 09:06:37 | 喜怒哀楽をポジティブに
夏が一番好きな私が「秋」に思うシリーズ・・・1.

秋という言葉だけで青く高く広い空というイメージと共に周りを眺めると
多少嫌なことや、問題があってもなぜか晴れ晴れとした気分になる。
そして周りの景色の変化や色どりに目を向けると気持ちもよくなり
すっきりする人たちも多いだろう。

自分でもよくわからないが自身の内面から出る感情の気分
外からの何らかの影響による気持ち、同じようでも微妙に違うような
気もするが秋はそれらを区別することなく、誰の心にも幼いころからの
数々のいい思い出を蘇らせ、懐かしさとともに爽やかさや落ち着きを
与えてくれるのではないだろうか。

常に、夏の炎天下、焼けつくような太陽が容赦なく照りつける日々が
一番好きだと豪語(?)している私でも秋の良さは十分感じるし、
この爽やかな季節には感謝したいと思っている。

日本に限らないと思うが収穫に感謝するという習慣・・・
遠い昔から新しく収穫した穀物や野菜などを神様へのお礼として供え、
収穫できることを秋祭りというかたちで感謝する日本の習慣・・・
日本各地の秋祭りの習慣には意味深いものがあるのではないだろうか。

収穫と共に秋は目にも心にも栄養を与えてくれるような光景、
そして秋ならではの風情にも興味をそそられる。
5月の茶摘みの頃は文部省唱歌の「茶摘(み)」(現在は茶つみの表記)に
「野にも山にも若葉が茂る・・」という歌詞があるが、秋も負けず劣らず
「野にも山にもさまざまな色どりが溢れ・・」というところだろうか・・・

真っ赤に染まった葉、鮮やかな黄色、徐々に変化するだいだい色、そして
懸命にその筋を通しているように見える緑色、まさに童謡、唱歌の
「紅葉(もみじ)」の中の「秋の夕日に照る山もみじ・・」の景色や
「谷の流れにちりうくもみじ」、そして「水の上にも織る錦」などの
歌詞の映像が浮かんでくるようだ。

こうして野にも山にもさまざまな色どりがあふれる秋は多くの人たちに
とって一番いい季節なのかもしれない。

極彩色の自然が身の周りに広がる中で真っ赤な葉、黄色い葉に
埋まる自分を想像すると大げさに言えば何物にも代えがたい贈り物を
もらったような気持ちにもなる。

このように精神的にも実際の生活上でも「実り」という良い季節に
人と話したり、本を読んだり、仕事を充実させたり、健康に注意したり
することで私たちの心にもいい効果をもたらしてくれるようだ。

まだまだコロナ禍にある日常だが今年の秋も心に何らかの潤いを
与えてくれるものだと思う。
自分の気持ち次第で・・・・



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果物の王様は柿だと思う私・・・

2021-09-17 09:34:46 | 喜怒哀楽をポジティブに
マンションのエントランスを出て左方面へ歩き、二つ目の十字路を
右折し、少し進むと左側の大きな民家の柿の木が目に入る。
最近、通るたびに少しずつ大きくなっていることに気がついていたが、
今朝はその様子が一変・・・と言うと大げさかもしれないが
ほとんどの柿が色づきはじめ、通り抜ける風と共に深まりゆく秋を思わせる。

果物では柿が一番好きな私にとって「実りの秋」という言葉で先ず頭に
浮かぶのは農作物よりもこの柿なのである。

私にとっては果物の王様は柿・・・実ったかたい柿を皮ごとそのまま
齧って食べるのも良し、熟した柿もまた格別の味・・さらに干し柿も・・・

実全体が黒く見えるほどたくさんのゴマの入った黒甘柿、香り、味ともに
独特の富有柿、種のない柿、地方特産の様々な柿・・・
一体何種類あるのだろう。
柿の種類はたくさんあり、大の柿好きである私も食べていないものが
多いのではないかと思う。
さらに・・・
食べ物の中ではトマトが一番!・・果物では柿が他を圧倒して首位の
座を守っていると思い、柿に対しての思いが強い私だが食べていない
品種が多いだけではなく、加工品である柿ジャムもまだ食べたことが
ないが、今年は市販品でもいいからぜひ食べてみたいと思う。

仲良し仲間『爺さんカルテット』のSさんの奥さんが毎年作って
くれていた干し柿も昨年はコロナの影響で会うことができなかったので
手に入らず、おそらく今年もそうなるだろう。

2日ほど前に妻が買い物時に少し大きめのものを1個だけ購入し
夕食後に食べた時にその色からもしや少し渋みがあるのでは?・・と
思ったが案の定そのとおりで気になるほどではないが、渋みの所為か
あまり甘くも感じなかった。
たまたまその商品がそうだったのかもしれないが・・・・
そのうちに安価で美味しいたくさんの柿が店頭に並ぶことを
期待したい。

ブログを始めて柿のシーズンになると毎年記事にしていたように思う。
昨年も思わず書き綴った後、やはり柿を楽しんだ記憶がある。






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季節の花たちにもバトンを引き継ぐ時季が・・・

2021-09-16 09:27:01 | 喜怒哀楽をポジティブに
今月の上旬まで我が家の狭い庭のフェンス際で咲いていたヒオウギと
キバナサフランモドキのいずれもが3日ほど前に今年最後の顔を見せて
去っていった。
ヒオウギの花は色、形ともに私は好きではないがその名前を漢字で
表記すると「檜扇」・・・この文字から遥か昔の宮中文化のイメージが
湧き、静かにゆったりと流れる穏やかな時間という情景が浮かび、
現代まで続く日本の良さにも思いがめぐるような気がする。

一方のキバナサフランモドキは3、4年ぐらい前だっただろうか、
突然芽が出て見る見るうちに葉や茎が伸びたかと思うと鮮やかな
黄色の花をつけて私たちを驚かせた。
以来、毎年この時期に寂しくなった庭にポツン、ポツンと短い命を
つなぐようにつつましやかとも思えるように咲いている。

風が吹くと折れるのではないかと思うが、しなやかにたおやかに
揺れる姿に『頑張れよ』と声をかけたくなるくらいである。

これからは秋も深まり、いろんな花が私たちを楽しませてくれる。
いつもたくさんの花の写真で私たちの目と心に栄養と活力を与えてくださる
ブログ友のyamaさんや、ポエットMさん・・・

過日も、蕎麦の花や今もなお存在感を表すような夾竹桃、芙蓉、酔芙蓉、
むくげ、月下美人、ノウゼンカズラやその後に最終コーナにかけて
バトンを引き継ぐコスモス、彼岸花、萩、女郎花などのたくさんの写真を
アップしていただいたお蔭で外出を控えている今、居ながらにして
それらの花々を鑑賞することが出来た。

毛虫が大嫌いな私も花の周りをあたかも戯れるように飛び交う、或いは
静かに花の上で羽を閉じようとするシジミチョウやアゲハチョウの姿に
少しは優しい気持ちにもなれるような気がする。
最近、近くではあまり見かけないトンボやアキアカネが花びらの上で
羽を休める姿の写真などにも心安らぎ、穏やかな時間を楽しむことが
できている。(これもブログの写真の蝶やトンボを見て感じたこと)

激しい口調(?)を思わせる文字で政権批判を続ける私も、多くの
ブログ友のお蔭でこうして、記事内の写真や心打たれる記事、心温まる
記事、たくさんの本やその内容の紹介、技術の紹介etc・・・を
感謝しながら楽しむことができているのだ。

この喜び、楽しみを落ち着いた時間に反省を込めて
周囲の徐々に深まり行く秋の様子と共に心にとめておきたいと思う。

外見上からは到底センチメンタルなことなどを感じるタイプには
見えないような私でも季節を代表するような花を見て・・・特に
一番いい季節と言われる秋の風景、情景からも時には感傷的になる
こともある。

先人たちが見てきた世の中の秋と、現在のコロナ禍で多くの人たちが
心にあまり余裕がもてない状況での「秋」では感覚や感情も違うと
思うが、日本人に流れる「美意識」は少し形が変わっても老若男女
すべての人たちの心のどこかにあるのではないだろうか・・・・

保育園児が膝を折り曲げ、花びらに顔を寄せ、鼻先にその花粉が
つくような姿でにおいを嗅ぎ、頬を緩め、口元も緩む様子などを
見ていると愛らしいだけではなく、損得勘定などとは全く無縁で
人間として素直で純粋な感情の表現に心が揺さぶられる・・・
こんな光景をいつも、いつまでも見られる世の中であってほしい。

そのためには利権がらみの政治を壊滅させ、真に国民に寄り添った
政治を徹底してやってもらうこと・・・
そこでその第一歩となる私たちの行動も重要・・・
金の延べ棒の何万倍も、いや比べ物にならないほど重い、重い、貴重な
一票を有効に使うこと、それには私たち自身も目を覚まし、目を養い、
清々しい目で投票に臨むことではないだろうか。











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早くも4分の3が・・

2021-09-15 10:14:21 | 喜怒哀楽をポジティブに
9月に入り、はや15日・・・
あと2週間もすれば今年の4分の3が過ぎることになる。
今年もこのまま何もかもコロナ禍に振り回されるような1年になるだろう。

ワクチンの接種も少しずつだが進み、その効果が少し出てきたのか
感染者数は少し減少気味だが、ここで「宣言の解除」などを急ぐと
過去の例のとおりリバウンドは明らかになると専門家たちは言う。
規制を緩めるとどうなるのか・・・全く学習能力がない政権には
呆れてしまうが・・・・。

2回目のワクチン接種を終えた人が50%ぐらいになるというが
正しい数字だろうか?
報道でも地域格差などが伝えられ、私の周りでもワクチンの接種を
したくてもいまだに予約が取れない状況も続いているようだ。

2回接種後にも感染するブレークスルーという言葉も連日取り上げられ、
3回目の接種に向け追加予約は整ったというがその内容は明らかに
されてはいない。
政府もワクチン担当大臣もいまや、コロナ対策よりも総裁選挙に
神経を傾け、加藤官房長官も提出された書類の数値を読み上げるだけ・・
総裁選には名乗りを上げずコロナ対策1本に絞り専念すると言った
菅総理のそれらしき動き(コロナ対策に専念)は見られないようだ。
効果や成果は何一つあげられないまま意気消沈し、ろうそくのような
火だけで燃え尽きたとでも言うのだろうか・・・

私たち国民は信頼できない政府、頼りない政府への批判、非難だけでは
なく自らが命と安全を守るべく行動を最優先でとらなければならない。
そして来る選挙では・・・個々に実害を受けていなくても悪習踏襲の
政権が継続しないよう、過去の行状や未だに説明されていない悪行などを
思い出し、忖度、利権、保身などには無縁の人物を・・・そして私たち
自身も周りの友人、知人などとのしがらみも排除し、本当に世の中の
ためになる人物を見極めて小さな1票でも大きな力となることを信じて
投票しなければ・・・と思う。
自分だけではなく他者のためにもそしてもちろん日本のためにも・・・




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保守と言えば聞こえはいいが・・腐りきった自民党に鉄槌を・・

2021-09-11 12:50:48 | 喜怒哀楽をポジティブに
自民党総裁選をめぐる連日の醜い(?)駆け引きやそれぞれの思惑・・・
名を挙げた候補者たちには言葉とは裏腹のさもしい根性が見え隠れしている。

「国民の命と安全を守る」とはあまりにもかけ離れた言動・・・
今は総裁選などにうつつを抜かしている場合じゃなく
「コロナ対策最優先」のための臨時国会を開き与野党が協力して
ことに当たらなければならない最も重要な時なのだ。

候補者それぞれが自民党を変える・・・などと言っているが実態は
安倍晋三や麻生太郎などの悪党に忖度し、その機嫌を損ねないよう
議員にあるまじき情けない発言で体裁を繕っている。

その一つが国民が認めない「森友学園問題」や「桜を見る会」の
説明に対して再調査をしないと言う態度。
河野、高市候補はその必要なし・・と言い、国民が納得する説明を・・
と言っていた岸田候補は前言を翻すように「調査は必要などとは
言っていない」とこれまた卑怯な言い方で安倍や麻生の怒りを
買わないように気を遣い、脱原発を謳っていた河野候補は原発容認
ともとれるうやむやな回答・・・
安倍路線の継承を掲げ、戦争に突っ走るような言動に結び付く高市候補が
総裁になるなどとんでもないことである。

いまや若手議員と呼ばれる議員たちの占める割合が多いとは言え、
彼らが自民党を変えるような勇気ある行動をとることも期待できない。
明らかに反旗を翻すでもなく、時折個々にぼそぼそと話すだけで
おおきな声にはならず、彼らもあくまで次期政権での保身を中心とした
風見鶏であり、役に立たない烏合の衆なのである。

私たち国民には議員を選ぶ権利はあるが総理大臣を選ぶ権利はなく、
良識ある議員たちの判断に任せるしかないがその議員たちが頼りない
ようでは日本の行く末は今まで同様、いや、それ以上に尻すぼみで
世界の後進国の最たるものになってしまうのではないだろうか。

総理は選べない私たちは誠実で良識があり自己保身など考えないような
議員を次の選挙で選ぶようによ~く考えて投票すべきだと思う。



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身に余る過大評価に感謝しながら・・・

2021-09-09 12:09:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
kenさん、ポエットMさんへ

私の記事やコメントについて過分のお褒めをいただいたことや
私に対するお二人の過大評価に戸惑いながら今回、お二人からの
ありがたいお誘いについては感謝しながら辞退させていただきたいと
思っております。

申し訳ありません。
コメント欄でお伝えすべきだったのかもしれませんが
私の強い意思としてここに投稿させていただきました。

以前からkenさんやポエットMさんの詩、文章、短歌、写真など
数々の作品に出会うごとに、そして日を追うごとに感動の気持が
増幅し、多くのブログ友の記事に触れることの楽しみとともに
嬉しい日々を過ごしておりますがお二人の仰ることに関しましては
私自身にはその知識も能力もなく、テレビ番組の「プレバト」風に
言えば「才能なし」を残念ながら自認しているのです。

短歌についてはポエットMさんにもお伝えしたことがありますが
何度も読み返し、その言葉や文章から何かを感じ、少しでも作者の
心境に近づければ・・・そしてその想いに感動し、その心情を
少しだけでも共有出来ればと思う程度で、私には詩や短歌の真髄
なるものなどはわかりようもありませんし、私自身が詩や短歌を
謳うなどとは滅相もありません。

私は詩や短歌から自然界、そして身の周りの小さな自然や人の心に
揺れ動く想い、小さな感情の変化など心の機微、感情の機微と言われる
ような情景を思い描きます。
自然の美しさや人の心の機微、そしてその人生までも詠みあげる
ような「短歌」は私にとって崇高なる道しるべのようなものだと
考えています。

多少の波乱万丈を経験、体験してきた私も少なからず色々なことに
挑戦してきたつもりですが「挑戦意欲なし」「戦意喪失」にとどまらず、
不名誉で卑怯な「敵前逃亡」という誹りを免れないものだと思います。

自分勝手ですがこれは私の信念やモットーというより「信条」と言った
方がいいのかもしれません。

どうかkenさん、ポエットMさんにはそんな私の気持を汲み取って
いただき、残念ながらご希望に添えない私をお許しくださるよう
お願いいたします。

明日からはまた私の『いつも、いつでも元気炸裂!』の記事に戻ります。




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昨日の続き・・・真佐美(正しくは眞佐美)ちゃんへの想いと思い出・・・

2021-09-08 12:47:50 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、久々の気持のいい天気に浮かれ(?)町内を自転車で走った後に
『World Mood Music』を聴きはじめた時・・」何故か急に
『夢見る頃を過ぎても』を聴きたくなり、幼馴染との「初恋擬き」の
思い出を書き連ね、その後も恋というにはあまりにも遠い、ほのぼのと
したいくつかのことなどを思い浮かべたが何故、『夢見る頃を過ぎても』に
結びついたのかを考えてみた。

それは自転車で町内を走っていた時に何軒かの家の入口付近に
咲いている「ハルシャギク」を見たからなのだと思う。
短時間のうちに何度も目に入ってきた「ハルシャギク」はすぐに
幼き頃の眞佐美ちゃんとの思い出にに結び付くから・・・

それは・・・
小さいころから眞佐美ちゃんの家の裏庭にたくさん広がり咲く
「ハルシャギク」を見てきたからなのだが、昨年までその名を
知らなかったのだ。
毎年どこかで見かけるといつも眞佐美ちゃんを思い出していたが
昨年ようやくその名前がわかった。
(わかってしまうと思い出が消えるのではないかと思い、調べる
つもりもなかったのだが・・・)

そのことを昨年(2020年)の9月にブログ記事にしたことを思い出し、
振り返り読んでみたが昨日の記事にはちょっと思い違いがあったようだ。
その記事とは昨年、9月2日の
『65年以上も経過した今、ようやく判明(?)・・・
というタイトルで書いたもので昨日の記事と違うところは
彼女の引っ越しは中学生になってからではなく小学生だったこと
そして「初恋擬き」ではなく甘くほのぼのとしたそして
今となっては切ないとも思える初恋だったのではないかと
思うことなど・・・・

その記事の一部をここに再現すると・・・
特別にきれいな花でもないし、この花を好きだというひとは
少ないと思うが私にとっては何故かあの明るい黄色と風にゆらゆらと
した様子が微笑みかけてくれているように思えることと、忘れられない
恥ずかしくもあり嬉しくもあったもう一つの思い出が重なるからだと
思うのである。

それは5年生の夏休みに「絵を描く」という宿題があり、隣の
真佐美ちゃんと一緒に真佐美ちゃんの家にたくさん咲いていた花、
その頃は勿論名前も知らなかった「ハルシャギク」を我が家の海風が
通り抜ける部屋で描いたこと・・・そしてそれが教室に貼り出された時に
多くの同級生から冷やかされたことなのだが・・・

このちょっと恥ずかしいけどその何倍も嬉しかったことが淡い恋心
だったのかな?・・・と今も時々考えることがある。
その後(6年時)、真佐美ちゃん家族は少し離れたところに家を新築し、
転居したが夏休みには私や隣の謙三君の家へもよく遊びに来て、
帰りは歩く真佐美ちゃんの横で私が自分の自転車を押しながら
新しい家まで送っていった。

帰りはなんとなくペダルを踏む時間も短く感じ、家に着いて無人となった
真佐美ちゃんの家の裏口をみるとそこには「ハルシャギク」が
いつもと変わらずたくさん揺れていたのだ。

真佐美ちゃんとは中学も同じだったがお互いに部活で忙しく、学校では
挨拶程度で話すことはほとんど無かったがそれぞれが違う高校へ進み、
その後彼女が東京の「文化服装学院」を卒業後、地元の洋服店に
就職した頃に2~3度文通をしたことがある。

私はほのかな恋心・・・初恋のような思いは持ち続けていたが彼女は
一人っ子で両親は絶対に婿養子を迎えると言い、本人もその意に従うと
言い、私は東京で就職ということも重なり次第に疎遠となってしまった。

今から35年前、小学校の同窓会があり、その時にはお互いに
懐かしく夏休みの宿題の話など思い出を語り合ったが、引っ込み思案
だった彼女は同窓会の幹事を引き受けるなどかなり積極的な女性に
変わっていたことは驚きと共に嬉しくもあった。

私たちがこどもの頃に東映時代劇のお姫様役の「丘さとみ」という女優が
いたが、私もファンの一人で、最初のアルバムの裏表紙にその
丘さとみさんのモノクロの写真が今も貼ってある。
真佐美ちゃんはその岡さとみさんによく似ていたことも「ほのぼの・・」と
した思い出に繋がっているのかもしれない。

そんな思い出がいっぱいの「ハルシャギク」・・・名前がわかったことが
良かったのか、わからずじまいが良かったのか・・・。

そして続く9月8日の記事『グラジオラスとダリア』でも
眞佐美チャンの笑顔について取り上げている。

そんな眞佐美ちゃん、今はきっと貫禄のあるおばあちゃんになり、
孫たちも大きくなっているだろう。
もしも今後同窓会があれば当然出席し、みんなの前で堂々と
あの頃の想いを発表し、みんなから『えっ?そうだったの?』とか
『う~ん、なんとなく、それとなく感じていたよ!』などと
冷やかされたりするのもいいのではないかと思う。

いつまでもあの日のままで私の胸に輝いている小さな星のような
眞佐美ちゃんにもこの1曲を・・・

星を求めて (ビリー・ヴォーン)  





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