『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

サイレント・イヴ/辛島美登里の思い出

2022-12-31 10:35:37 | 喜怒哀楽をポジティブに

私たち夫婦は今年も皆さんのおかげで様々なことを
たくさん学ばせていただきました
お礼申し上げます
ありがとうございました
皆さんもどうぞ佳いお年をお迎えください
来年もよろしくお願いします

最近、更新も間隔があいていたが、今日は大晦日・・・
2022年もいよいよ今日一日となった。
昨日に続き、今年最後の投稿を・・と思ったのだがさて、何を・・と
思うと咄嗟には浮かばない。

今、ふと壁に目を遣ると風もないのに壁のカレンダーが心なしか
揺れているように見える。
気のせいで軽くなったカレンダーが別れを惜しんでいるように見える
のかもしれない。

今年もブログ友と語り合い、また新しい人たちとも知り合い、
日々の交流によって皆さんの記事の言葉や写真、画像などからも
たくさんのことを学ばせていただいた。
何よりもその記事を書かれた時の思いが私にも伝わり、理解できたことが
嬉しかった。
そして数々の思い出なども・・・
私はブログで・・、妻千恵子選手は絵手紙によって充実した一年であった。

おかげで私たち高齢者夫婦は今年も無事に一年を過ごすことができたことを
全ての人に感謝したい。
幸い私は頑健な体を持ち、継続中の筋トレなどの効果もあり、病気や
怪我とは縁遠い日々を送ってきたが、妻、千恵子選手もいくつかの
持病も定期的な検査と対応によって現状維持を守ることができ、
日々痛みと戦っている脊椎間狭窄症についてもリハビリなどが功を奏し、
元気にこの日を迎えることができたのだ。

思えば・・・
5年前(私が完全リタイアする前の年・・・)の冬、少し寂しい思いと
同時に一種の安堵感も味わったあの冬・・・

あれからまもなく20年になろとしている・・・
定年退職をした2003年、大好きな車の運転の仕事をする・・ということで
始めた運送業で全国を走り回り、15年経過したころだった・・・

それより3年ぐらい前、千恵子選手の持病(腎臓)による体調不良の
症状が表れはじめたので長距離や深夜の運送はやめて万が一に備えるために
という実には帰れる関東圏の仕事に切り替えていた。

体調不良と言っても日常生活にはそれほど問題がなかったのだが、
今後のため・・ということでそのサポートのために仕事を完全に
やめることを決意したのが2017年の12月だった。

そのころ、2014年から3年間お世話になっていた委託契約先の仕事は
埼玉から群馬まで毎日220㎞を走る定期コース(11ヵ所)で、帰りは
週に1~2回は会社に戻るがほぼ毎日直帰であった。

日頃から色んな道路を覚えるためにナビは積み荷を降ろす会社の
近くへ近づいた時にしか使わず、道路はほとんど地図を使って常に
信号と通行量の少ない道路を開拓し、時短には工夫に工夫を重ねていた。
この「秘伝の技」を仲間たちは「ルートshima スペシャル」と名付け、
そのいくつものバージョンを伝授(?)することも私の楽しみだった。

ただどんなに急いでも帰宅は夕刻になるので千恵子選手の不安は
解消されず、私は委託契約先の会社へ半年後の契約解除を申し込み
了解を得たのだが・・・

その時に、元気なまま仕事を辞めることに残念な思いと、一種の安堵感が
交錯していた。

その2017年の忘年会の時に契約先の会社の所長から忘年会とは
別にshimaさんを励まし、送る会を催したい・・という提案があり、
その営業所の社員の人たちと一緒にクリスマスを兼ねた懇親会を・・・

皆さんは最年長者である私を敬遠するどころか日頃から友達のように
思ってくれていたので半年先とは言うものの辞めることについても
口を揃えて残念だと言ってもらったことが熱く大きく心に響いた。

その時に懇親会の後のカラオケで私の子供よりも若い所長と一緒に
歌ったのがここにアップの曲、サイレント・イヴ。
その所長はこの曲が大好きだったようで以前から、『shimaさん、機会が
あったら一緒に歌おう・・』と言ってくれていたので・・・

切ない思いでいっぱいの歌詞を辛島美登里さんの声とは大違いの
おじさん二人が噛みしめるように歌っているうちに胸に込み上げるものが
あった。
あの時の胸の震えを今も忘れることはない。

この曲に聞き覚えのある方も多いのではないだろうか・・・
ちょっと私らしくないかもしれないが、この静かな曲で過行く年を送り、
新しく来る年を迎えたいと思う。

この寒い季節に皆さんも歌ってみてはいかが?・・・

【カラオケ】サイレント・イヴ/辛島美登里


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

いつも心温まるコメントをありがとうございます。
この絵手紙コーナーはしばらく休ませていただきたいと
思います。
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連休に思う・・・

2022-12-30 10:50:54 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日も埼玉の空は青く晴れ渡っている。
関東地方は正月、この先の1週間も概ね改正に恵まれるようだ。

雪に閉ざされた地域の方々のご苦労を思うと手放しでは喜んで
いられないのだが・・・

一旦落ち着いたような雪も正月にはまた各地に降るという予報もあり、
再び雪道での走行や雪下ろし、除雪などで心身の疲労を余儀なくされる
人達もいらっしゃることだろう。
大自然も正月ぐらいは静かにしていてほしいものだと思う。

今年も昨日(29日)から連休に入った人たちが多いためか、
朝早い時間から高速道路の渋滞情報などが流れていたが、
私の住む街のショッピングモールやスーパーは多くの人で賑わい、
年末商戦を思わせるような雰囲気だった。

コロナの件もあり、なるべく短時間で済ませようとあらかじめ買うものを
メモしていたので買い物には時間がかからなかったが、寒さも厳しく
急いで帰り、ほっとしていると救急車のサイレンの音が・・・
その救急車が立ち去ったと思うとまたすぐに救急車が近づく音がした。

一年の終わりと新しい年の始まりに多くの人が日頃味わえぬ休日を
過ごすこの時期、年末年始にも社会のために働く人たちが
いることをこの救急車のサイレンで再認識した。

医療関係をはじめ、私たちの日々の生活に密着したもの、不可欠なものを
扱う人たち・・その人たちはこの間、交代制勤務なのだろうから1週間前後の
連休というのはおそらく無理なのではないだろうか。
年末年始の連休分を後日、交代制でまとめて休める人たちはまだしも
正月3日間だけが連休であり、その後も通常勤務という人たちもいるだろう。

今、一年中ゆっくりと過ごせる環境にある私はそのことに感謝しながら
年末年始をゆっくりと休める人達がその間を穏やかに過ごせるよう・・
また休日の少ない人達も楽しさや喜びでいっぱいになるような
連休であってほしいと願う。



今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

いつも心温まるコメントをありがとうございます。
この絵手紙コーナーはしばらく休ませていただきたいと
思います。
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懐かしいクリスマスソングをゆっくりと・・・

2022-12-24 14:02:26 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日はクリスマスイブ・・・
私たちが若いころは商店街などのあちこちで「ジングルベル」などの
クリスマスソングが延々と流れていたように思う。
近年は定番と言われるもの以外にもこの時期は様々なクリスマスソングが
歌われているようだが・・・

今日は土曜日・・若者たちをはじめ、休みとなっている家庭では
何らかの小さなイベントのようなもので楽しんだり、街へ繰り出したり
して寒い夜も賑わうかもしれない。

我が家では夕刻に勤務を終えた息子夫婦がやってくる予定・・・
娘夫婦にも声をかけたのだが、予定があるようなので4人で
ソニアが作ってくれる料理を囲んでイブを過ごすこととなった。

それまでの間、クリスマスソングを静かに聞きながら読書の時間と
することにしよう。

大人のためのクリスマスソングメドレー【全18曲46分】


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

[魚介類の3.] 

加齢に備えて           絵手紙にも通じるもの・・・
弛まぬ努力?・・・        継続は○○○なり
   

魚介類を食べない私(fumiel-shima)に愛想をつかし、エビたちと
一緒に過ごすひとときなのか・・・
エビたちも楽しそうに踊りながら
『こんなおいしいものを食べないなんて・・』と
笑い転げているようにも

   

越が曲がらぬように・・・     絵手紙の友人へ・・・
   

焼き魚、煮魚、干物、塩蔵     それなりに自信をもって
どこでも活躍する選手が      急がず、慌てず正直に、
我が家では活躍の場が       さらに良き、強き人生を
与えられない・・・        送ろう
  

私(fumiel-shima )が何よりも(大好きな肉類よりも)
好きな食べ物トマトは常にランキング1位・・・
昔と違い、今は一年中食べられるのが嬉しい。

魚介類の絵手紙が続いた後はこのトマトでスッキリ・・

 

現在は規格品などということで色も形も味も整い過ぎているが、
昔のあのもっこりと大きく香りのあるトマトが懐かしい。
もぎたての生暖かいトマトにかぶりつくのも醍醐味・・・

   

現在はミニトマトも大活躍      野菜ソムリエ的な情報も
種類も豊富で楽しい。        活かして・・・

 

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冬至の日に思ったこと、気付かされたこと・・・

2022-12-22 12:12:59 | 喜怒哀楽をポジティブに
冬至の朝は冷たい雨で始まった。
昨夜から降っていたのだろうか、庭の土も枯れた芝生や木々の枝や葉も
たっぷりと水分を含んだそれらしき色をしている。
エントランスの自宅用ポストを開ける指先に今年一番の冷たさを感じた。

冬至と言えば・・・
冬至は1年間で太陽の位置が最も低くなる日であり、この日が
一年のうち日の出から日没までの時間が最も短いということで
知られている。

そして冬至にはカボチャを食べる、柚子湯に入る、など古来から伝わる
風習も・・・これは一般的に良く知られており、実際に行っている家庭も
少なくないようだ。
我が家でも今日は柚子湯の予定であり、あの香りを楽しむことができる。
これらの良く知られた風習、以外にも「冬至粥」や「冬至の七草」
というのもあるという・・・

今夜の我が家の柚子湯にはすぐ近くの公園で拾ったものや街路樹の
下で見つけた綺麗な落ち葉も浮かべてみようと思う。
「錦織りなす・・」には程遠いが紅葉の名残を楽しめるかもしれない。

今夜湯船に一緒に入れたいような落ち葉の数々・・・

    
     
    

冬至にカボチャの煮物を食べる・・というのはカボチャを食べると
中風にならないとか長生きする・・と言われているが科学的根拠などと
難しいことは考えず、素直に暖かく美味しいものを食べて栄養を摂る爲・・
と言う程度に思って、美味しく食べるということでいいのでは
ないだろうか。
「冬至粥」とは・・・
冬至の日の朝に小豆がゆを食べることらしい・・
小豆粥を食べると疫病に罹らないという言い伝えがあり、それはまた
体を暖めるためでもあるらしい。
「冬至の七草」とは・・・
「春の七草」や「秋の七草」はよく知られているがこの「冬至の七草」は、
かぼちゃ(なんきん)、にんじん、れんこん、ぎんなん、きんかん、
かんてん、うんどん(うどん)ということでこれらはすべて「ん」が
二つずつついているのも面白いと思う。

この「ん」のつく食べ物を冬至に食べると「運がつく」「風邪をひかない」
「出世する」などの意味があるそうだ。

「柚子湯」については一般的に良く知られているとおり、風邪をひかずに
寒く冷たい冬を越せると言われているのだが柚子(ゆず)=「融通」が
きくという意味もあるようだ。

また冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらない
という言い伝えや、柚子は実がなるまでに長い年月がかかることに例えて
長年の苦労や辛抱が実るように・・という願いも込められているという。

冬至についても「湯治」という言葉を充てたり、悪いことや辛いことが
長く続いたあとには良い方向へ向かうだろうという希望や願いを
込めて新しい年を迎えるにあたり、寒く厳しい冬の後には
暖かい春がやってくるという意味の一陽来復のために身を清める・・
という意味もあったという。

真偽のほどは別としても先人の智恵にはなるほどと感心もする。

現代の世に生きる私たちは昔の人の生活を「不便だっただろうな・・」
と思うこともあるかもしれないが、先人たちは様々な経験を
積み重ねて智恵を活かし、そこに純粋な祈りや願いを込めて、不便や
辛いなどとは思わなかったのかもしれない・・・。
ときには 
柚子=融通などと語呂合わせで楽しんだり、ユーモアで表現したり・・・。
生活は厳しくても心に大きなゆとりがあれば何事にも鷹揚に
対応できるのかもしれない。(私もぜひそうありたいと思う。)

過日、ブログ友highdyさんが「便利は不便」という言葉を使って
含蓄のある記事を投稿していらっしゃったが、あの時、日常、何の疑問も
違和感もなく、便利なものに囲まれて生活している自分の弱さや
小ささのようなものに気付かされた。

こういう味わいのある言葉は年齢を経るだけでは身に着かないと思う。
やはり、日々、多くの人たちの言動や世の中の事象から学びとり、
実践してみるということの大切さを大きく強く感じたのである。

今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

[魚介類の2.]
 
鰯のDHAやEPA の効果はよく知られているが・・・

この不思議な光景もあり・・・  魚の嫌いな私(fumiel-shima)
みんなで冬空を・・・      には考えられないことだ
  

煮干したちと一緒に・・・   無理だって言ってるのに・・・
  

やっぱり私(fumiel-shima)は大好きな肉類とふんだんな
野菜の山がいいな・・・野菜で苦手なものはニンニクのみ・・
人参、ピーマンなどは生でカリカリ、コリコリと齧るのが
一番おいしいと思う。

もっともっと他の野菜も・・・
   

   

   

    

  


   

   

  
 
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静かな日に熱いコーヒーで胸に熱い思いを・・・

2022-12-19 09:40:39 | 喜怒哀楽をポジティブに
マンションの大規模修繕工事がまだまだ続く中、今日はドリル、
グラインダーや各種の電動工具の振動音がなく、私の住むA棟では
スケジュールどおり予定された住戸の入口ドア付近の塗装と
機械式駐車場の金属部分の塗装が行われている。

今週は私の駐車位置区画も該当箇所になっているので、あらかじめ
決められたとおり、日曜日(昨日)に300メートルほど先の民間駐車場に
車を移動済みなのだが・・・

今、こうしてパソコンに向かっている静かな時間・・・
聞こえてくるのは私の部屋のエアコンから出てくる微かな風音だけ・・
週の始まりだが何故か気持ちもゆったりとして胸の中にも暖かく
緩やかな湯気が立ち昇り、ゆっくりと循環しているようだ。

こんな日も先日(16日)の記事の「思い出のグリーングラス」を
聴きたくなる。
傍らに熱いコーヒーでも置きながら・・・
そのコーヒーは温かいのではなく、舌がやけどをするくらいの
熱いものが望ましい。
それは・・・
何十年経ってもあの熱い思いとでも言うべき初恋(?)の同級生、
幼なじみの眞佐美ちゃんとの純愛(?と思いたいこと)を思い出すから・・・

となりの家で小さいころから育ったこの眞佐美ちゃんとの
エピソードのようなものはブログでもたびたび書いてきたが、あの
「北上夜曲」のような哀愁を含んだ寂しく切ない感じのものではなく、
現代っ子のように「元カレ」「元カノ」などとサラッと言えるものでもない。

むろん、告白したり手をつないだこともない眞佐美ちゃんとの思い出の
中に、はっきりとしたデートと言えるものなどはまったくないのだが、
眞佐美ちゃんへの思いは私が大好きな春から真夏にかけての明るい
陽射しのもとで年々、大きく拡がっていったのである。
確かめたことなど勿論無いが眞佐美ちゃんも好意をもってくれて
いたのではないかと思いたい。

眞佐美ちゃんの目は・・・
「北上夜曲」の歌詞に出てくる「匂い優しい 白百合の濡れているよな
 あの瞳・・」ではなく、何事にも明るく真剣に、一生懸命取り組む
「キラキラした眩しくさえ感じる瞳」だった。

私の上京後、眞佐美ちゃんは新宿駅に近い「文化服装学院」
(所在地は渋谷区)で洋裁の技術を学び、地元富山で洋裁店に勤務・・・

私の勤務先の寮が渋谷にあったので近くにいたのだが、会うことはなかった。
彼女は一人っ子で、両親も嫁には出さず、婿入り婚を強く望んでいた
ことがもしかすると私の心にも残っていて自然に「フェードアウト」に
繋がったのかもしれない。

その後小学校の同窓会で会ったが、彼女は溌剌と幹事役を務めて
いたのには驚いた。
なぜなら・・・
彼女は明るく元気な子ではあったがあまり積極性ではなく、目立たず
何事にも控えめ過ぎるくらいだったので・・・

ただ、お手玉だけは大道芸人も敵わないだろうと思えるほどの達人だった。
どこでどう覚えたのだろう?‥
一般的にお手玉は2個~3個を扱える人は珍しくないかもしれないが
眞佐美ちゃんは空中で同時に4~5個をいとも簡単に扱っていた。
あの時の笑顔は私の宝物のように今もそのまま輝いている。

現在ならテレビ出演もあり・・なのでは?
凄腕のおばあちゃんとして「ナニコレ珍百景」にも「登録けってーい!」
となるだろう。

そんなことも頭をよぎるが彼女も80歳・・・
いいおばあちゃんになっていることだろう。
逢ってみたいな・・家族ぐるみで・・
今だったら周りに誰がいても『お~~、眞佐美ちゃん!』、
『あら、お久しぶり!』とお互いに何の躊躇いもなく『ハグ』が
できるのではないかと思う。
私は今、メキシコで働いている24歳の孫娘が子供のころから
ハグには抵抗がないから・・・
眞佐美ちゃんもきっと・・・幼なじみの二人だから・・・

私はスキンヘッドを光らせ、眞佐美ちゃんはあの瞳を輝かせて・・・
周りにいて二人を取り囲んだお互いの家族から大きな拍手があるだろう。
はたして実現の日が来るのだろうか・・・いや、きっと来る。
私の中のリーダーの活動で・・・

これは同じ思いを書いたような昨年の記事

今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

今日からは私(fumiel-shima)が嫌いな魚介類が登場・・・

[魚介類の1.]


 年齢を考えると当然?・・でも自分で改善できれば・・と


一方、私(fumiel-shima)は    この煮干しも何かを  
相変わらず魚介類を食べない    思いだそうとしている
                 ような目で・・・     
  

泳げない千恵子選手は海の中で   ジョッキ代わりに?
見たいと思っているようだ     それとも・・マグカップで 
                 熱いコーヒー?
  




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「キュンです!」に繋がる「想い出のグリーングラス」

2022-12-16 15:18:27 | 喜怒哀楽をポジティブに
先週、高校時代(富山)の同級生二人から葉書が届いた。
一枚は義理の弟が亡くなったという「喪中につき・・」の年賀欠礼状。
もう一人の同級生からは安否の確認とともに寒さに向かうこの時節、
体調に気をつけて新しい年を迎えて欲しいという優しい言葉に加え、
『会いたい!会いたいなぁ~、俺たちはこのままこのまま会えずに
一生を終えるのかなぁ~』という何とも寂しい文言が・・・

懐かしく、すぐにでも会いたいという思いに駆られ、胸が熱くなった。

彼らはハンドボール部で大活躍の猛者だった。
「野球と勉学は両立しない・・・」という周囲の声に負けたような形で
高校野球を諦めた私は高校では運動部に入らなかったが、ハンドボール部の
面々とは馬が合い、私生活でも彼らとは親しく付き合っていた。

私の上京後は会うのは何十年に一度・・という状況で通常は年賀状や
季節の変わり目の簡単なハガキのやり取りぐらいだったが既に
亡くなった仲間もいる。

富山はハンドボール王国で、私達の母校はハンドボールでは全国に
知られた強豪校・・私たちの先輩の時代から県内では無敵であったし、
国体や全国大会、インターハイでも何度も優勝を飾り、近年も
高校3冠に輝いている。
私は知らなかったが私の地元(氷見)を舞台にした「送球ボーイズ」という
ハンドボール漫画が近年連載され、既に60万部が発行されているという。

彼ら(今回のハガキの二人)の練習が終わる頃に他の仲間と一緒に
待ち合わせ、週に何度も一緒に銭湯へ入ったり、勉強したり・・・

年賀欠礼状の彼は「日立」のハンドボール部で活躍し、引退後は
日立の子会社の社長に抜擢され、現在も日立市に住んでいるが、
もう一人の優しい彼も穏やかに定年を迎え、地元氷見で静かに余生を
送っている。
そんな彼らや故郷のことを思いながら、自分の人生と故郷のことを
振り返ってみた。

先日の私の記事「僅か70ページの本が目覚めさせるもの・・・」に
繋がるような自分の中のもう一人の自分(リーダー)がしっかりして
いなかった私は「野球と勉学は両立しない・・・」という周りの声に
飲み込まれるようにして(負けてしまって)親の職業(教師)を
継ぐため・・として高校野球をやめてしまったのだが、結局家庭の
諸事情で大学進学を自ら諦めてしまった。
(父には放蕩息子だった長男の後始末と、私の2歳下に上級生にも
歯向かう暴れん坊だった弟の大学進学は叶えてやりたいと言う希望も
あり、私もそう思ったので・・・)

親や先生たちは最後まで大学進学を薦め私を説得しようとしたのだが
ここではもう一人の自分であるリーダーが活動したのか否か?
私は頑なに拒み続けた。

こういう私に対し「大学へはアルバイトをしてでも行けたはずなのに・・
本人の意志の問題である・・」という方々もいらっしゃるが現実は
そんなに甘くはなかったのだ。
結局、高卒で就職した私は何をするにも実務では絶対に第一人者に
なろう・・と決意し、世に言われる「企業戦士」としての時代を
走り続けたのだ。

いま、考えると野球も、運動も勉強も好きだった私は、本当は
大学生活で今回の「自分の中のほんとうのリーダー」を
育てたいという気持ちに似たものがあったのかもしれない。

だが、結果的に後悔などは全くない。
私は常々、「過去があるから今がある・・・」と思っているし、
自信をもって公言もしている。
それは決してマイナスとなった結果には該当させず、すべてプラスに
働いたことだけをそう思うようにしているし、事実そうなのである。
「あれがなければ今頃・・」とか「あの事があんな結果を招いたのだ・・」
などと後悔するようなことはない。

辛く苦しかったことも「あんなことがあったからこそ頑張れた・・」や
「あれが勇気に繋がった・・」「苦節〇年は無駄ではなく意味あるもの
だった」などとすべて良いことだと考えられるのだ。

ブログ友の中にも「苦節〇年・・・」が後々功を奏した・・とご自身で
感じていらっしゃる方もいらっしゃるようだ。

嘘をつかず、不要な忖度など考えず、正直に、明るく元気に仲間を
大切にしてきたからこそ、いまこうしてなんとか楽しく生活が
できているのだと思う。

冒頭の同級生二人にもそのことを伝えようと思ったが富山の友人の
電話もメルアドも分からない。
個人情報などが問題とならなかった昔のアルバムには住所は
記載されているが、電話番号がない。
(あの頃は電話のある家はまだまだ少なかったから・・・)

日立市の彼とは時々メールなどのやり取りはしていたが、今回は
パソコンを利用せず、久しぶりに両方(二人)に自筆の手紙を
書くことにした。
私の筆跡から頬を緩め、いくつもの懐かしい思い出を蘇らせてくれるかも
知れない。

小高い丘陵の上の学校の周囲の緑や、大きな桜の木々、そして学校へ続く
道の坂の始まりにあった天然記念物の大銀杏の紅葉が懐かしい。

場違いでちょっと軽薄(?)のようだが一種の「キュンです!」かも
しれない。
ここで・・・その「キュン」に繋がる「想い出のグリーングラス」を・・・

この歌は本来、処刑の日を迎える朝に死刑囚が見た美しい夢の歌なので、
日本人にもたくさんカバーされている歌詞とは違うのだが故郷の美しい
風景を思いだす曲としては心に沁みると感じているから・・・

Green Green Grass of Home / Tom Jones(With Japanese lyrics)  
思い出のグリーングラス / トム・ジョーンズ(和訳歌詞付き)


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)
ルナリラを知っている人は多いかもしれないが・・・
赤紫色の花(白花もあり)が咲いた後に5、6個の種の入った
円盤状の莢(さや)ができる。
その莢が熟すと割れて2枚の莢と莢の中の種は落ちて真ん中の
薄い膜のような仕切り板が残る。
この薄い膜は光を受けるとキラキラときれいな輝きを見せるので
ドライフラワーとしても利用されるようだ。



ルナリラの花     種の入った莢    割れた後の仕切り板

          (これらの画像はネットより拝借)

幼なじみの友へ


野菜も山の果物も美味しい秋     音楽講師の娘へ
   



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僅か70ページの本が目覚めさせるもの・・・

2022-12-12 13:54:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
 

梨木香歩のコーナーで最初に手に取った時にそのタイトルだけで
「???」と思い、あらためて作者を確認し、どんな本だろう?・・と。

「ほんとうのリーダーのみつけかた」などと聞くとちょっと型苦しく
聞こえるかもしれないが・・・
これは梨木香歩さんが2015年に「僕は、そして僕たちはどう生きるか」の
文庫化を記念した講演会のメモ書きなど、記録を文章化した本。

梨木さんが言いたいのは「ほんとうのリーダー」とは自分の中にある
客観的な目やその視点であるもう一人の自分であるというということの
ようだ。

自分の中にいるもう一人の自分が一番の味方であり、一生を共にする
人なのだと。
自分が悩んだりたまらなく劣位を感じたりしたときにもう一人の
自分が必ず味方をしてくれる・・・
たとえ心身ともに耐え難い大きな失敗をしても、その残念で苦しい思いを
次に活かせば、その後の人生の厚みも深みも増すのではないかと・・・

私のブログ友の多くは大なり、小なり同じようなことを経験、体験
されているのではないだろうか?・・・
私自身も自分の体験からそう思い、納得できるのである。

私たちの生活する社会は基本的に群れで助け合って生きており、仕事も
私生活もまとまって結束することが多い中、その一方では違った考えや、
思想や群れについていけない者を排除したり、時には自分自身が周囲に
流されて冷静な考えやその時の自分の気持ちと違う言動をしてしまうことも
あるのではないだろうか。

近年はコロナ禍の問題でもこの「群れ」による同調圧力のようなものが
見られ、「コロナ自警団」「自粛警察」「ワクチン警察」など過剰な行動や、
それに悩む人たちも多く見られたような気がする。

私は自己判断で既に5回目のワクチン接種を終えているが、ワクチンに
ついても接種をする、しないは個人の意思と判断に委ねられている筈なのだ。
ワクチンを接種しない人たちの声も大きく取り上げるべきだと思う。
接種派の私は両方の意見を尊重したい。

世間の同調圧力や「群れ」に属することに疑問を感じたり、嫌気が
差したとき、自分らしく生きるためにはどうすればよいのか。

平穏な生活のためにごく自然に群れに属したいと思うのは人間が持つ
本能的な欲求であり、悪いことではないという。
問題となるのはその群れが本当は属したいと望むものではないのに、
自分を偽り、自分の気持ちを抑え、へりくだってしまうような場合だと
いうこと・・・。

そうならないためには・・・
梨木香歩さんは言う・・・「自分の中にあって自分自身を見つめる目
(=ほんとうのリーダー)を意識すればよい」と。
そして「日常の生活で疑問に感じたことを見逃さず、よく考えることで
自分の中のリーダーは鍛えられ、より自分らしい決断をすることが
できるようになる」のだと。

私自身、その便利さから恩恵(?)に預かっていることは否定しないが、
一般的に、みんながスマホやタブレットを持っているから自分も持たなければ・・・と考え、購入後、スマホに時間を取られ過ぎて無意識のうちに
本来の自分を見失なったり、余計なジレンマに陥ったりして健康被害に
繋がるケースもあるようだ。
また行動制限なしの言葉と共に県民割、都民割などを利用する観光、旅行の
際の細心の注意が疎かになる・・などという結果になる人たちもいるのでは
ないだろうか。

「みんなと同じでなくてはいけない・・」から抜け出て、特別それを誇張
しなくても自分らしく生きている人もいることを考えたい。
その人たちは決して不便と感じてはおらず、むしろ心豊かなのではないかと
思うのである。

自分の周りを見れば、大小さまざまな同調圧力のようなものがたくさん
あるのでそれをすべて否定することは難しいと思う。
ただ、どんな場合でも多少難しくても同調圧力に屈する事なく、
自分自身の評価を他人に委ねる事なく生きていくことの大切さを教えられ、
自らも感じ取れるような本だった。

少ない時間を利用し、自分のやりたい事に集中して楽しんでいる人は
自分の中のもう一人の自分、「ほんとうのリーダー」との信頼関係が
強いのだろうな・・・と感心するとともに自分の中の「リーダー」も
見つけたいものだと思った。


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

みんな、多少なりとも欲張りである。それを上手く活かそう・・

「4D」男女ともにそうありたいと思う。


暫し、葉っぱを友として       色も形も香りも・・・
 

その落ち葉を躊躇い乍ら       樹や木の姿、形やその香りから
そっと踏みしめて・・        たくさんの元気をもらう     
 



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気が付くと来年のカレンダーが一つもない・・・

2022-12-08 10:48:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
ここ数年はこの時期になると今日のタイトルと同じことに気づき、
カレンダーの購入に走ることになる。
昨年は気が付いたのが大晦日間近の26日だった。

毎年、日々の予定や日常すべてにおいて少なからず感じる「喜怒哀楽」の
備忘録や予定、結末などを書き込んだりしながら1年間付き合っていく
カレンダーは画像を含め、デザインなども親しみやすく、サイズも実用的で
違和感のないものを選びたいと思うので今年は少し早く気がつき、
ゆっくりと探せるのは良かったと思う。

カレンダーと言えば・・・私たちの年代に限らずもっと若い世代の
人たちもおそらく感じているのではないかと思うことがある。
それは・・昔は年の瀬がやってくるといろんなところからカレンダーを
もらったが、近年は年々、カレンダーを無料で提供してくれる会社や
商店が少なくなったのではないかと・・・。

日頃、預金の引き出しも窓口へはいかず、ATMで事足りるので以前の
ような銀行の立派な(?)カレンダーなども久しく見ていない。
地元の商店街でもらうこともなくなり、仕事をリタイアしてからは
以前のような繋がりや社会との交流も少なくなったため、我が家でも
毎年カレンダーをもらうのは長年付き合っているディーラーからだけ
なのだ。

もはや、カレンダーは自分で買うもの・・ということが当たり前のような
感覚になってきている。
今はホームセンターや文房具店のカレンダーも多種多様・・
選ぶのに時間がかかるくらい豊富である。
100円ショップのカレンダーのコーナーも実用的なものが多い。

カレンダーはそれほど高額なものでもないし、好きなものを選べる点では
いいのだが思わぬ機会で「これはいい・・」と思うようなものを
もらったりすると何故か嬉しい気持ちになり、自然に頬も緩むのである。

各部屋に一部とできれば廊下にも・・ということで今回も5~6部
程度は用意しようと思う。

身近にパソコンやスマホがあるこの時代であっても壁に目を遣ると
一目瞭然のカレンダーはやはり便利であり不可欠なものなのでは
ないかと思う。

友人宅へ行っても日本各地の綺麗な原風景や落ち着きと風情ある
景色や伝統芸能、伝統ある行事や習わしなどを表したものや
花や鳥などの美しい姿などの写真を取り入れたカレンダーを見かけると
懐かしささえ憶え、心安らぐ・・・

カレンダーの中の好きな女優やタレントと目を合せ笑顔を交わしたり、
声をかけるのもいいと思う。
我が家(私だけだが)ではテレビの中の好きなタレントやアナウンサーに
声をかけるのは今や常識(?)となっている。

我が家の短い廊下に今年、ちひろ美術館から取り寄せ(購入し)た
いわさきちひろさんの絵の入った大きなカレンダーがあるが
最後の一枚もあのあどけない少女が描かれており、廊下を通るたびに
その黒い瞳がすれ違いざまに何かを語りかけるような気がする。
景色でも人物でもこうして何かを感じさせるようなカレンダーが
自分の心を和らげてくれているような気がするのだ。
一瞬でも「ほっ」とできる時間をもてるのは嬉しいことだと思う。


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

免許皆伝は遠い・・私たちも過信、驕りの無いよう修行を
心がけよう・・良き例を見習って・・・
それにしても極楽浄土はちと大袈裟なのでは?

上の絵手紙を折りたたむと上下の角のような小さな表紙に収まる
   

絶好の晴れ間を逃さず・・・   一枚一枚が個性的な模様で 
気分爽快で作業も進む・・・           二つとない作品になる
  

まさかと思うこともやってみる。  形は不揃いでもいい・・
発想の転換が功を奏す       昔のトマトが懐かしい
  


  
  



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天気に一喜一憂?・・そして・・・

2022-12-06 11:30:12 | 喜怒哀楽をポジティブに
連日、日替わりで天気が変わっているように感じる。
昨日は雨、そして今朝も朝から小雨が降り続いている。
この雨は午後には上がり、その後は曇りが続くという予報のようだが
寒さは今年一番だという。
本当に寒い・・・。

そして明日から3日間ほどは絶好の天気になるようだ。
かなり前(若いころ)、晩秋から初冬にかけての暖かく穏やかな晴天を
「小春日和」と言い、12月の初旬を過ぎるころになると同じような
心地良い天気は「小春日和」ではなく「冬日和」或いは「冬晴れ」と
言うのだと知り、それ以来日本にはどの季節にもそれぞれこのような
美しい言葉が数多くあるのを嬉しく思っている。

冬になると太平洋側はいい天気に恵まれ晴天が続くことが多いのは
「西高東低の冬型の気圧配置」だから・・などとそのメカニズムなどを
説明されると理解、納得はできるが少し情緒に欠けるような気もする。

これらの言葉は普段会話よりも文章に使うことが多いと思うのだが、
以前、この時期の懇親会で「小春日和」という言葉が私の口から
飛び出した時に、『shimaさん、暖かくてもまだ春じゃないよっ!』と
咎められたことがある。
その彼はおそらく「小春日和」も「春日和」も同じ春を表す言葉だと
思っていたようだ。

暖かく、穏やかで秋の終わりを告げるという意味で使う「小春日和」と
気温が低く寒くても雲一つないようなスッキリと晴れた青空の日を
表す「秋晴れ」の違いや、「小春日和」は晩秋から初冬・・「春日和」は
春の日の晴れておだやかな空模様を言う・・ということを映像と共に
理解できればこのような誤用もなくなるのではないだろうか?


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

この辛さが何とも言えない!   姿かたちはホオノキ
気持にも強烈な刺激を・・・  (朴の木)に似ているが・・・
  
  

どんな時も笑いが大切だという。  新しい出会いや
辛くても苦しくても        大切な友人たちが・・・
悲しくても・・
   

小さくても威風堂々        食が心も守ってくれる
  
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穏やかに緩やかに時が流れ

2022-12-03 15:18:42 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は気温が低く、広い空の所々に雲の塊やほうきで掃いた跡のような
薄い雲は少し見られるが、風もなく、気持ちよく晴れている。
庭の片隅の真っ赤に染まったハナミズキの葉っぱが今にも落ちそうなまま
静かに柔らかな陽光を受けている。

初冬の声を聞くと、厚い灰色の雲が空を覆い、いよいよ本格的に
寒い日々がやってくる・・というイメージが湧くが、一方今日のように
穏やかに緩やかに時が流れていくように感じるのもこの時節ならでは
なのかもしれない。

今日は幸い(?)マンションの工事の音も微かに聞こえる程度で
通路に出てみると昨日までに剥がされた床のタイルの跡も綺麗に
清掃され、その向こう側に目を遣ると駐輪場の塗装工事が始まっている。
鼻をつく塗料の匂いはするが、あの騒音のようなドリルやグラインダーの
強烈な振動音が聞こえないのは嬉しい。

今日はこの後、落ち着いて音楽も読書も楽しめるだろう。
先ずはウクライナの空に思いを馳せ、一刻も早い戦争終結を願い、
ルイ・アームストロングの楽曲「この素晴らしき世界」を
聴くことにしよう。

作詞・作曲したジョージ・ダグラス(ボブ・シール)はベトナム戦争を
嘆き、世界の平和を願ってこの曲を作ったという。


この素晴らしき世界 / ルイ アームストロング アンド ケニーG 歌詞


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)
本人も度々書いているが絵手紙によって勇気や力が湧いてくるという

夢を持つことの効用 たくさんのいいことを引きだし、拡げていく

霜月もあっという間に過ぎた    
自然や物言わぬ植物が     フォックスフェイスは
語るものは・・・       自分の姿をどう思う?

  

毎日食べるバナナ・・       いつでもどこでも簡単に
心身ともにいい効果が・・・    冷凍も美味しいですよ
  

生のまま、カプッ、カリッ、           幻のフルーツと呼ばれる
コリッと・・と         ポポーを食べたことは無いが・・
ほどよい酸味が心をも満たす
  

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今年もあと一か月

2022-12-01 11:33:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
今年も師走を迎えた。
例年と変わりなく世界や日本の各地で様々な事件や災害が多数
起きたのは残念なことだが、大自然は刻々と時を刻み、ついに
今年も残すところわずかとなった。

師走の語源や由来、意味を辿ると一般的に多く使われている
説明以外にも実に多くの意味を持った言葉が紹介されている。
そのひとつ一つにはすべてなるほど・・と頷ける説明がされている。

それはさておき我が家の師走はどうなのかと考えてみると・・・
近年は以前ほど慌ただしくないような気がする。
確かにリタイア後は時間があり、普段からこまめに整理や掃除ができるので
「年の瀬が迫ってから短時間であれもこれも・・と慌てて対応することが
なくなったこともあるのかもしれないが、昔のような緊張感などが
薄れてきて「何が何でも今年中に・・」などという意識も希薄になっている
からかもしれない。

本来几帳面なはずの私も「せっかち、思い込み、早とちり」の
千恵子選手の言葉に惑わされることなく(?)今年できなければ
来年でいいじゃないか・・と思うようになったのである。

でもこれは自分では決して怠惰であるとは思わないし、多少の
老化現象からくる意欲減退だとも思わないのである。
事実私は心身ともにいたって健康であると自負しているし、
このままだと125歳まで生きる目標はクリアできる・・・と
自分を信じているから・・・

そんなわけで我が家では一般的に言われる「年末の大掃除」に
あたるものは日常やっているつもりなので年の瀬の慌ただしさは
感じないのかもしれない。
例えば障子の張替えや天井の清掃、本棚や道具箱、工具類の整理なども
毎年から2年に一度・・と間隔を開けているなど・・・

こんな私でも月日の経つのが早いと思うのは人並に感じるのだ。
今年は私が大好きな夏があっという間に過ぎたという感覚が一番強く、
他のどの月も、「あっという間」だった。

「今年もカレンダーがあと2枚になったのか・・」と思ったのが
1週間前だったような錯覚に陥る。

昔は年末になると「来年は・・・」と抱負を語ったりしたが
近年はそういう「心に新鮮な風」や「熱い風」を吹き込もうとする
気持も薄れていることに今朝気づいた。

それは自室の11月のカレンダーを切り取り線からビリビリッと
切り取って12月のカレンダーの絵を見たとき・・・
そして私にはまだまだ若さやその気持ちが有り余るほど残っている
筈なんだと。

今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                    (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

今日は残念ながら曇天・・先日の突き抜けるような青空よ再び・・・

空に向かい、心晴れやかに足、腰は痛いがなんのこれしき・・と
このささやかな抵抗(?)が足を踏み出す勇気を生むのか


この落ち葉からちょっと寂しい   この落ち葉は風に乗って
オノマトペが聞こえるようだ    はるか遠くまで飛んでいく
  

あの人ならきっと上手く      あの人の庭で今年も
利用して家族の笑顔を       イキイキとした実が
呼ぶ美味しさに・・・       順調に育っているだろう
  

主婦の感覚はより一層      息子の妻ソニアとはお互いに
美味しい結果を生むようだ    本当の親子の感覚で明るく
                付き合えるのが嬉しい。

  
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