『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

時間の大切さをはき違えるな!

2019-01-31 10:46:00 | 喜怒哀楽をポジティブに
私の住むマンションの駐車場は地下と地上に駐車するタイプの機械式である。
地下の方が料金も安いのだが地下は人気がなく地上を希望する人が多い。

車の運転が好きで定年退職後は16年間運送の仕事をやってきた私はどんな
狭い場所でも難しい状況でも車の操作や駐車に戸惑うこともないので、個人的には
周りがコンクリートの壁でガードされた地下の方が防犯や災害などによるトラブル
などから車を守るという安全性の点では断然いいと思うのだが地下を嫌う人たちの
中には機械の上げ下ろしに要する僅かの時間でも煩わしいという意見も多いようだ。

地下の方がいいと思う私だが私の車は車高が高いので地下には入れられず
地上もマンションの規定で利用できない。
それは強風時に地下利用者が上部を上げた時に上の駐車してある車高の高い車は
風に煽られ転倒する恐れがあるから・・・という理由なのだが・・・。

おそらくそんなことは起こりえないと思っても全くゼロではないとも考えられるので
その規定に従って私は家の近くに駐車場を借りている。

その駐車場では時々盗難などとんでもないことが起きている。
私も4年ほど前に車のテールライト、ブレーキライト、バックライトなどを
ごっそり抜かれてしまったことがある。

何十台も停められるその駐車場の出入口は心なきドライバーたちにとって格好の
ショートカットができる場所ともなっており時には危険な様子をも呈している。
車から降りた親子の脇を徐行もしないで突っ走り、停止させようした私も一度
接触寸前だった。

出入口のすぐ先にある交差点を避けていち早く前方へ行きたいというつもりらしいが、
その交差点には信号もなく、普通に通れば何秒も違わないはずなのにこうして
せっかちに駐車場内の広いスペースを駆け抜ける姿は品位もなく、みっともなく、
心に余裕のない哀れな姿としか目に映らない。

この行為は時間の大切さや時間に追われるような現代の諸々の状況に臨機応変に
対応している姿や僅かな時間でも無駄にしないという前述の地下駐車場を避ける
思いとは大きく違い、まさに『愚の骨頂』たる行動ではないだろうか?

許されない行為なので今後も防止策、対策を持ち主と共に考えていきたいと思う。








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ふと思った「鳥たちの心」

2019-01-30 16:32:48 | 喜怒哀楽をポジティブに
どうでもいいことや他人からはくだらないと思われるようなことでも
ちょっと気になって(?)考えてみたりすることがある。

今朝、少し離れた駐車場の車の中に残したメモをとりに行こうと思い、
ドアを開けると外気は冷たかったのでもう少しあとで・・・と思ったが
そのまま車にむかった。

そこで見たのはまるで道案内でもするかのように速足で少し走っては立ち止り
尻尾を上下に動かしているあのセキレイだった。

近くへ寄ってもそれほど驚くような様子もなく、冷たい空気の中でも
背筋を伸ばしているようなその姿が私には凛としている様に見えて
気品や潔さのようなものも感じた。

こんな街中の住宅街でも雀や鳩やカラスは勿論、セキレイやムクドリ、ヒヨドリ、
ツグミなどのいろんな野鳥を見かけるがこの時季は我が家の狭い庭にも胸や腹の
色に特徴のある『ジョウビタキ』が現れて目を楽しませてくれている。

このジョウビタキもセキレイも特別華やか艶やかな鳥ではないがそれなりに
可愛く綺麗な小鳥だと思う。

部屋に戻り、今見たセキレイはどんな鳥だろうと思いネットで検索したところ
〇〇セキレイという名のほかになんと15以上の異名があるらしい。
私が見たのはセグロセキレイだったようだ。

私が見るセキレイはほとんど地上で何かをついばんでいる様子か低空を跳んでいる
姿で木に止まっているセキレイは見たことがないと思う。

そして突然とんでもないこと(冒頭のくだらないこと)を思った。

セキレイに限らず鳥類は細い木の枝に止まるときにはその枝が安全かどうかを
瞬時に確かめるのだろうか?・・・と。
枝に降り立った時、仮にその枝がポキッと折れたりした場合は人間が急に穴に
落ちたり足を踏み外したりした時と同じような驚きや不安感などがあの小さい
頭の中をよぎるのだろうか?・・・と。

どんな小さな生き物にも餌となるものがあるから近づき捕獲しよう・・・と
思ったり危険を察知して身をかわしたり逃げたりすることは当然あると思うが、
枝に止まるような場合は折れることなど何も考えずに当たり前のような感覚で
降りるのではないかと思い、鳥との会話ができるものならその時の心境を聞いて
みたいものだと思ったのである。

ポキッと折れた後の対応は反射的にすぐできると考えられるので私が心配する
ことではないのだが・・・。














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今後も訪れたい学び舎のまち『足利市』

2019-01-28 18:16:19 | 喜怒哀楽をポジティブに
先週の24日は風が強く厚着をしていても冷たい空気が体にしみ込むような
本当に寒い一日だったが、こころ温まる思い出の一日となった。

その日、私たち夫婦は朝8時過ぎに家を出て、車で足利市の美術館などを
巡る計画を実行し、忘れられない寒さと共にその何倍もののいい思い出を
作ることができた。

岩槻インターから佐野藤岡までは高速を利用し、流れの良い50号線を
快適走行して最初の目的地の『華雨蔵珍之館』に到着したのは開館(10時)の
20分ほど前であった。

ここは事前(1週間ほど前)に予約が必要ということを聞いていたので私たちも
月末近くになるかな?・・・と思いながら3日後の見学を問い合わせると
応対された方は親切な対応で快く承知してくださりスタートからラッキーだった。


この『華雨蔵珍之館』には2000点以上もの中国石材拓本が収蔵されていて
ネットの説明などにも『中国本土ではすでに失われていて、今やここでしか
見られない拓本も多く、中国文明の中核とも骨格ともいえるような文化遺産が
うず高く収められている、言わば“知と文化の宝庫”だ』という
杉山正明京都大学教授の説明もある。

高い天井の館内では圧倒されるような大きな拓本の数々と孔子に関する多くの
所蔵品やその説明に2000年を遥かに超える時代に思いを馳せと自分が如何に
小さなものであるのか・・・と再認識させられた。

と同時に長い歴史の中国文明の偉大さや重み、日本が受けた影響と進化の素晴らしさ、
などを強く感じた。

そしてこんな素晴らしい文明、文化を作り上げた中国とその思想の雄大さを思うと
昨今話題に取り上げられている現在の中国人のマナーの問題などに激しい違和感を
覚え、考えさせられるものがあった。

今後は日本、中国共に論語の精神のいいところをもっともっと汲み取り、猜疑心や
疑心暗鬼に振り回されることなく、奢らず謙虚な心で素直でより良い交流を続けて
いくべきであろうと思った。

書道家や専門家だけではなくできれば誰でも気軽に足を運び素晴らしい作品や
いろいろな説明を聞き、拓本の体験教室などを通じて身近に感じていただきたい
と思った。

当日私たちに案内や説明をしてくださった松葉さんという方が素晴らしい方だったので
このブログをみてくださった方にも是非行っていただきたいと思う。

足利市内を流れる渡良瀬川を見ながら次の目的地『市立美術館』へ・・・
ところが12月25日から1月25日までは展示替えのための休館で後日改めていくことにした。

続いて『足利学校』へ・・・
足利学校は以前一度訪れたことがあるが今回は時間をかけてゆっくりと見ることにした。

足利学校は平安時代、或いは鎌倉時代に創設されたという説や室町時代に開かれたという
説もあるようだがその歴史が明らかになり整備されたのは室町時代の中期以後だという。

戦乱の世の中でも学問が尊ばれ、その後も武士、僧侶、歌人、文人、そして町民の
為にも活用され、今後も「教育の原点」「生涯教育の場」としてさらに充実した
活動と利用がされていくという素晴らしい場所に佇み穏やかに流れる時間を楽しみ
学校門、杏壇門をくぐるときには自然に厳かな気持ちになっていた。

足利学校の次はアートと厄除の寺『龍泉寺美術館へ』・・・

棟方志功や横山大観、伊藤若冲の作品も素晴らしいがこの美術館の企画展も
見ごたえがあるようなので今後も二度三度と訪れてみたいと思った。











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日本人に根付いている『利他の心』その2

2019-01-22 10:36:19 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日に続く『第2弾』は・・・

事前に連絡もせず私が突然訪れた呉服の会社(株式会社一蔵さん)の
親切、丁寧で心温まる応対が私たち夫婦の心に深く染み入ったという出来事を
紹介したいと思う。

今年成人式を迎えた孫が着た振袖を保管するにあたり、古くなった
「たとう紙」を取り替えようと思い、探すことがきっかけで昨日の投稿記事に
続きまたもや『利他の心』に感動感激したという話である。

何年も前から振袖を着るのを楽しみにしていた孫が着た振袖は30年ほど前に
神戸の姉の娘が成人式に・・そしてまたそれ以後も時々着用していたもので、
明るく優しく元気で誰からも好かれるような満面の笑顔の絶えないその娘は
その後教職に就き、阪神大震災時にも懸命に活動活躍し、私にとっても自慢の姪
だったのだが残念ながら若くして病死した。

私の姉にとって想い出深い娘の振袖は長い間箪笥の中に眠っていたのだが
私に孫ができ、成長するに従っていずれはその孫に・・・という話になり
今回その日が訪れたのだ。

孫も「前撮り」という写真撮影の時から姪同様その振袖が本当に好きになり、
その姿で両親や私たちとの食事会の時にも満面の笑みで私たち夫婦を
喜ばせてくれたが孫と在りし日の姪の姿がオーバーラップして瞼の奥に焼き付き
姪と孫が同席しているような錯覚にも襲われたような感じだった。。

姪はお気に入りの振袖を着る機会も多く、何度もの使用に耐えてきた
「たとう紙」はかなり古くなっていたので取り替えて新旧一緒に姉に送り返そうと
いうことで探すことにした・・・・そして・・・

ネットで購入をと考えたが、やはり近くの店舗で必要な数だけを・・・と思い、
近くの呉服店を検索すると一番近くが冒頭の株式会社一蔵さんだったのだ。

急いで訪れると一般に見る店舗とは違い本社機構のようなビルだったので一瞬
躊躇ったのだが思い切ってエントランスの受話器をとってみたところ親切、
丁寧な応対と素早い行動に心打たれ、失礼とは思いながらもあまりの嬉しさに
思わずその社員の方の名前を聞いてしまった。

実はそこは株式会社一蔵の埼玉本社ビルでそこでは販売はしていないということ
だったが使用の趣旨を丁寧に聞かれ、姉に返却する大切な振袖と長襦袢や帯などに
使いたい旨を伝えると、ここでは販売はしていないが一度使用したものがあるので
それで良ければ・・・ということで用意してくださった。

繰り返しになるがその親切丁寧で終始穏やかな口調やにこやかな表情は自分の仕事の
忙しさよりも少しでも他の力になれれば・・・というまさに「利他の心」そのものの
表れで涙が出そうになるほど嬉しかった。

電話の向こうからの『ここでは販売はしていない・・・』という言葉だけで終わって
いれば私も他店を探してみようということになったと思うが一言付け加えられた
言葉により会話が続き、親切な心がを何倍にも感じた私は頂いた「たとう紙」が
温かく光り輝くものに見えた。

私が妻から昨日の『利他の心その1』の記事の内容を聞いた時に心震える想いが
したことをすぐに思い出し、小躍りするように家に駆け込んで妻に「たとう紙」の
話をし、二人で感謝の気持ちの手紙をしたため投函することにした。

極悪人安倍晋三の言うでたらめな口先だけの言葉ではなく真に『美しい日本』を
感じ、清々しい気持ちで胸がいっぱいになった。

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日本人に根付いている『利他の心』その1.

2019-01-21 17:49:29 | 喜怒哀楽をポジティブに
最近私たち夫婦がそれぞれ別々に体験し、お互いに語り合って感動や感激が
何倍にも膨れ上がった出来事(?)が二つもあった。

一つは知人と一緒にある催し物のために川口市へ出かけた妻が、帰りはそれぞれの
都合で別々に帰ることになり、川口駅から京浜東北線で大宮駅まで帰る車中の事柄。

私の妻にはかなり前から『脊柱管狭窄症』という持病があり。その痛みや
しびれなどが歩行にも影響する状況が続いており、普段はどこへ行くにも
私が車で送迎することにしているがその日は前述の知人との約束があり
電車を利用することになったのだ。

往路でかなり疲れていた妻は帰りの電車内では揺れるたびに痛む体に苦悶の表情で
つり革や手すりに摑まりながら時々自分でも眉間にしわを寄せていることに気づき
ながらも足を踏ん張っていたとのこと。

川口駅発車直後からその様子を目の前の席に座っていて見ていた小学4~5年生ぐらいの
女の子が隣の母親と妻の顔をチラチラ見ながらに何か言いたそうな表情で、もぞもぞと
体を動かしながら何か躊躇っている様子だったので妻もちょっと不思議な気持ちがして
いたという。

2番目の駅に到着寸前、その子はやおら立ち上がって可愛い小さな手を座席に指し示し
か細い声で『どうぞおかけください』と言ってくれたという。

妻はその子と隣に座る母親に感謝の言葉を繰り返したが戸惑いながらも思い切って声を
かけてくれたその子のはにかんだ優しい笑顔が一段と可愛く輝いて見えたという。

妻よりも一駅早く降りたその親子との別れの挨拶の時にその子の『ほっ』とした
ような嬉しそうな笑顔をみて胸が熱くなり痛みも忘れそうだったそうだ。

このように他人を思いやる心を受け継いだ日本人はすぐ近くにも大勢いると思うと、
やっぱり日本は素晴らしい国だということを再認識すると共についつい忘れがちな
自分自身のことを反省したいと思う。










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寒暖を繰り返し、やがて春の訪れを・・・

2019-01-18 12:01:13 | 喜怒哀楽をポジティブに
各地のダイナミックな氷瀑が紹介されたり緋寒桜(寒緋桜)の開花状況が
伝えられたりで、この時季は遠からずやってくる春を感じさせるものが
テレビを通して鮮やかに目に飛び込んでくる。

私の住む埼玉にも秩父地方の三大氷柱と呼ばれる絶景スポットがあり
この季節は大きく脚光を浴びているようだ。

先ずその一つ目は芦ヶ久保駅からは徒歩でも行けるためもっとも多くの人が訪れる
『あしがくぼの氷柱』でここは金、土、の夜間は幻想的なライトアップがされ
最近は特に人気が高まっている様子。

続いて『三十槌の氷柱(みそつちのつらら)』。

私はまだ行ったことはないがここは「天然氷柱ゾーン」と「人口氷柱ゾーン」が
あり、毎日ライトアップしているという。
私の友人は毎年見に行き様々な色を発光しているかのようなダイナミックな
氷柱が川面に映り込む様子がまさに幻想的で素晴らしいと言っているので
折をみて行ってみたいと思う。

三つ目は小鹿野町の人々が人工的に作った「尾ノ内百景氷柱」。
「尾ノ内百景氷柱」は「冷っけぇ~氷柱」とも呼ばれているようで「冷っけぇ~」は
秩父弁で冷たいという意味らしい。
この氷柱は吊り橋から見ることができてそれがまた最高の景色となっていると
その友人は言っているのでここへも行きたいと思っているのだが・・・

これらの氷柱のように人を楽しませたり感動を呼び起こさせたりするものが
あるかと思えば一方で、規模は小さくても日常生活に不便やたいへんな思いを
させているのではないかと思うような『氷柱(つらら)』もある。

北海道や東北地方をはじめ降雪、積雪の多い地方の民家の軒下に長いつららが
下がっている情景が報道されるのを見るとその地方では毎年見るごく普通の
光景で特別に取り上げたりしないのかもしれないが私はいつもそっと考えることがある。

それは・・・そのつららからその地で生活している人々の雪下ろしの作業や道路の
凍結による転倒や車のスリップ事故などが思い浮かび、雪国の寒さだけではなく
交通の問題や時間と労力を考えると雪の降らないところで生活している私たちは
雪国で暮らす人たちの状況を考え、本当に感謝しなければならないと思う。







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孫の成人式で私も心躍るような一日を・・・

2019-01-17 10:58:53 | 喜怒哀楽をポジティブに
好天に恵まれた14日、綺麗に着飾った振袖の孫の移動時の送迎の運転役として
ほぼ一日付き合い、孫の晴れ着と髪飾りが揺れるたびに私も一緒に晴れやかな
気分を味わい心躍るような一日を過ごした。

孫の両親は仕事のため同行できないので私が早朝から着付けの場所へ、その後
成人式の会場である『さいたまスーパーアリーナ』へ。

会場へ向かう途中で孫の母親の勤め先へ寄り、勤務先の許可を得て
親子の対面の場をつくり外国人である母親とのごく自然なハグのワンシーンに
またまた感動。

その母親の勤務先も孫達の住まいも私のところとはそれぞれ歩いて5分程度の近い
距離なのでその後更に私のマンションへ寄り私の妻ともにこやかに対面。

受け付けは12時からということなのでかなり早い時間だったがそのまま会場へ
向かい彼女の友人との待ち合わせまでしばらく車中で談笑。

帰宅するとマンションの前に3人の晴れ着の娘たちを取り囲むようにその両親や
祖母と思えるような人達、そして3人の可愛い女の子の成人を笑顔で祝福する同じ
マンションの住人達・・・。

幼稚園の頃からよく話し成長をも見届けてきた彼女達だったので何の躊躇いもなく
図々しくも私も輪の中へ入れてもらい艶やかな彼女たちの写真を撮らせてもらった。

それぞれのご両親たちも頬が緩みっぱなしという感じで祝福される彼女たち同様
こぼれそうな笑顔と明るい表情がずっと続いていた。

私は自宅へ駆け込み妻を連れだしてまたまた一緒に『おめでとう』『綺麗だね』
などを繰り返し、わがことのように思えるこのような光景を見ることができて
本当に嬉しくワクワクするような楽しい気分を一日中持ち続けることができた。

同じマンションの3人の可愛く綺麗な娘さんたちと我が孫がでいつまでも
元気で明るく楽しくおおらかな人生を歩んでほしいと願っている。





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強風にはためく『幟』を見て・・・

2019-01-11 17:50:55 | 喜怒哀楽をポジティブに
外出中、頬や手が冷たく感じても陽の当たる場所へ顔を出すと寒さをあまり
感じない日もあるが昨日は予報どおり気温が低く、空気が非常に冷たく、
強い風も吹き渡って予想以上に寒かった。

各地の降雪、積雪情報を聞くにつけても私の住むここさいたま市は雪害などは
ほとんどなく、年に2~3度僅かに降る雪による大きな被害や事故等もないよう
だし雪国に比べると本当にめぐまれた環境であることに感謝したい。

寒く、風の強い中、買い物に出かけた時にガソリンスタンドやいろんな店舗の
幟旗が通常の「はためく・・」という状況とは程遠い今にも千切れるのではないかと
思うくらいの強さと速さで動き、そしてうなるような音を立てていた。

中には倒れているものもあり、また店員さんたちが補強したり場所を移動したり
する光景もみられみられた。

そして突然『幟旗』から戦国時代の様子が頭に浮かび、本や映画などでみた
当時の合戦で駆け抜ける騎馬の頭上にはためく『幟』の画面、移動する大軍の
勇猛な動きに大きくなびく『幟』の様子、威厳や強い意志を表すかのように
本陣などに飾られたものなどが次々と頭をよぎっていった。

『幟旗』の歴史はいつ頃からなのだろう?
私は真っ先に戦国時代を思ったがもっともっと前からだったのではないだろうか?
そんな長い歴史のあるものが現在もほぼ同じような形で使われているとは?
などと考えていくと、簡単な形状だが時代や使う立場でいろいろな意味や効果を持ち、
今なお生き続けるこの『幟』にある種の感動すら覚えた。

店舗の商品や催事の案内だけではなく、直近では箱根駅伝の沿道でも見た様な
気がするし、大相撲でもあの大きな幟を使っている。
漁船の大漁旗はちょっと違うのかもしれないが一部幟の様な形のものを
見た様な見ないような・・・

いろんなものが大きく変化や進化している現在、昔からのこの単純な形や用途が
忘れられたり捨て去られることなく伝統的に継続していることになんとなく
『ほっ』とした気持ちになり創案者にアイディアの源を聞いてみたいとも思った。


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大小に拘わらず嘘と悪は許すまじ-その2

2019-01-10 10:00:31 | 喜怒哀楽をポジティブに
小さくとも悪は悪!これまた許すまじ!

年が明け、新しく希望をもって進むべき世の中のはずなのに今も犯罪は
絶え間なく起きている。

私のブログのタイトルは生活信条そのままの『いつも、いつでも元気炸裂!!』で、
家族はもとより友人知人、仕事仲間や仕事を通して知り合った人たちの誰もが
私には明るく、元気で親しみやすく話しやすい気の置けない人(気を遣わなくても
いい人)でまあまあ穏やかな人であるという印象を持ってくれているものだと
自分自身を少し買いかぶっているのだが・・・・

さて、こんな私だが『悪』『悪事』に対しては『一天にわかに掻き曇り・・・』のように
心は『怒りに燃える』という激しさも持っており、それが時には『悪』『悪事』の範疇に
入らないようなことにまで及ぶことがあり、家族はしぶしぶ容認・・・というケースも
多々ある。

例えば有名人、芸能人などの思いあがった失礼且つ悪意のある言動や明らかに
嘘と思しきCM、企業の広報への問い合わせに対する不親切な回答や回答拒否、
通信会社の身勝手で強引な勧誘、通販会社のリピーター獲得戦術、謝絶しても居住者の
立場を考えない印刷物の大量投函等々、日常生活の許容範囲を超えるとも思える
波状攻撃の様な商業活動。

これらの事象に対する抗議の手段として私の私は必ず文書で自分の意見や反論、そして
問題点と思えることなどを伝え、回答も必ず書面でお願いしたいと明記することにしている。

家族はそれを一部理解しながらもちょっとやり過ぎなのでは?・・・という感じとともに
半ば呆れるような表情で見聞きしていることもあるが『お父さんの特徴でもあるから・・』と
これまた容認?。

でも私はひるまず、あたかも悪を征伐するヒーローのような気持ちになり、自己満足とも
思えるような抗議の手を緩めず、完膚なきまでに・・・と無駄とも思える抗議や抵抗を
繰り返している様子をその場に遭遇した人は驚きと共に滑稽さをも感じるかもしれない。

いずれ投稿の機会を得るかもしれないが前述の怒りの極致はNHKである。
折を見て投稿したい思うがブログを読んでくださる皆さんの理解を得られるかどうか、
そしてNHKが依然として『とるに足らないやつ』という評価で無回答を続けるか
いずれにしても心の炎は燃やし続けたいと思う。

こんな些細なことにも感情を高ぶらせ、怒り心頭に発する私であるから本当の悪や
悪事に対しての怒りは生易しい物ではなく特に計画的に、或いは意識的に人の命を
殺めた者にはすべて極刑を求めたいと個人的には思い、家庭内では発言もしている。

犯罪者と言えども心を持った人間・・・そして死刑制度の是非や人が人を裁くことへの
疑問などいろんな問題はあると思うが被害者やその家族のことを思うと懲役何年などで
済まされることではないと考える。

最悪でも終身刑・・・今後も議論されるであろう罪の償いと報復手段の是非・・・
しかし私の心の中は依然として『悪、許すまじ』が今後も続くであろう。

このような殺人者ばかりではなく、軽犯罪を含む数多くの犯罪に対してもかなり重い罪を
課すべきだと考えており、犯罪を犯した人間は二度と犯罪をおかすことのないようその教育や
社会生活への復帰のための獄中生活を厳しく長いものにしていくような制度を望みたい。

それには当然犯罪者のすべてを受け入れるための施設や莫大な経費が必要だが
戦争に向かうような軍備を縮小し、外国からの武器などの購入をやめて毅然とした態度と
交渉で真の専守防衛の戦争をしない平和な日本を世界に知らしめればそんな経費ぐらいは
軽く出るのではないかと思う。

現安倍政権は何かあると『違和感を持つ』『断じて容認できない』『厳重に抗議する』
『強い態度で臨む』『調査を進める』『精査する』などと言うだけでどの国に対しても
常にイソップの『こうもり』のような見苦しい卑怯な態度をとり続けている。

先ずはこの『悪』を打擲、征伐しなければ・・・と思うのは私だけではないであろう。



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大小に拘わらず嘘と悪は許すまじ-その1

2019-01-09 11:02:43 | 喜怒哀楽をポジティブに
嘘つきは許すまじ!

極悪人安倍晋三がまたもや平然と嘘をついた。

例の辺野古埋め立てについて『あそこのサンゴは移植している』などと発言し
またしても嘘をついたが土砂投入海域からの移植はしていないことがはっきり
しているようだし、『砂浜の絶滅危惧種は砂をさらって別の浜に移す』と言った
ことなども全く実施されていないらしい。

今後この嘘について問いただされた場合今度は更にどんな嘘を重ね、誰のせいに
するのだろう?

『安倍晋三の嘘』と嘘で固めた安倍政権について検索してみてもその数は
本人の呼吸の数と同じぐらいじゃないかと思うほど膨大であり、こんな人たちに
日本を任せておいていいのだろうかと思うと同時にやはり我々一人一人が声を上げて
いかなければならないことを痛感する。

次回の選挙は勿論、安倍晋三の様な政治家を世の中に出さないよう常に
権力への監視の目を持ち、自他ともに小さな嘘も見逃さない、そして我々自らも
絶対に嘘をつかないよう言動を戒めるようにしたいものである。

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前沢友作氏の言動にはむしろ不快感。

2019-01-08 11:32:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
今や『時の人』扱いの前沢友作氏・・・
私はどうしても素直に感心したり、好意を持ったりはできない。

『プロ野球の球団買収計画』『月旅行』『被災地への寄付時の自己アピール』
そして個人の『別荘』『車』『時計』『バイオリン』などの紹介などについても
『違和感』を覚え、今回の『1億円バラマキ企画』等にはむしろ嫌悪感さえ抱いている。

上記の問題には私では理解できない『深謀遠慮』や善行のようなものも
あるのかもしれないが多くの人たちが感じるような『災害』『貧困』などへの
支援を優先してもらえたらと思うのである。

もちろん、賛否両論、反論などが行き交うことは承知しており、私などは
思いもつかないような寄付なども数多くしているだろうことも想像できるし、
どんな形であれ世の中の経済を回すという意味での役割や効果などが十分あると
考えることも納得できるが、大げさに言えば『日本人的感覚』『情緒』更に言えば
『品位』や『品格』としては如何なものか?と思うのである。
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七草粥の効果効能は?・・・

2019-01-07 14:49:17 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日1月7日は七草粥を食べる日ということが中高年者だけではなく
最近はスーパーなどでも七草粥セットが売られていることによって若い世代の
家庭にも見られるようだ。

よくクイズなどで『春の七草』『秋の七草』などが門会となることもあり
案外私たちが思う以上に知られているのかもしれない。

もともとの由来、そして現在ほぼ定着していると思える由来や理由について
語り合うことは少ないかもしれないが一般的には『無病息災』や『長寿健康』を
願って・・・というところではないだろうか。

古い昔から七草それぞれに意味や効能があると言われ、栄養学的にも効果が
あるものもあるのかもしれないが勿論特別に美味しい物でもなく、我が家でも
毎年1月7日には効果に期待するわけではなく当然のように食べている。

正月はややもすると食べすぎ、飲みすぎになるということはあるかもしれないし、
疲れた胃を優しく休めるためのものとしての効果はあるのかもしれない。
私自身は自分の食生活を振り返り、健康の大切さ、有難さを再認識するための
『カンフル剤』の様なつもりで気持ちよく美味しくいただいているつもりである。

テレビでいろんなサプリメントがしつこいくらいに紹介されているが、それらの
商品のピーアール画面には小さく、しかも背景に溶け込みそうな分かりにくい色で
『個人の感想であり効果効能を表すものではありません』という文字が書かれて
いる。
これらの商品に比べれば『七草粥』は心身に与える効果、効能ははるかに大きい
のではないかとも思う。







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昆虫に対する評価や如何に?

2019-01-06 13:21:08 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、スーパーの入り口付近で日向ぼっこをしているようなハエを見た。

夏に見るあの動きのいい蠅ではなく少し丸みをおびた様な体が大きい蠅で、
次々と通り過ぎる人間を恐れ慌てふためいて逃げるような様子もなく、
狭い範囲内ではあったが周辺を我が物顔でゆっくりと這っていた。

私も行き交う人たちを避けるようにしながら特に見たいわけでもない
蠅の動きにしばし足を止めてしまった。

そしてほんの短い時間ではあったがこのような害虫と呼ばれる虫たちと
一般的に益中と思われている虫たちのことが頭をよぎり、何故だか家に
帰ったら暇に任せてちょっと調べてみようと思ったのである。

私たちが子供の頃は百科事典や図鑑などがなければなかなか手に入らない
情報が今はネットで瞬時に得ることができる有難さや喜びのようなものを
感じながら虫ごときに・・・という気持ちを持ちつつもあらためて詳しく調べ、
新しい発見(知識)に触れることにちょっとワクワク感を感じたりもして
急いで帰宅。

家に帰るとすぐに先ずはハエ、そしてテントウムシ、トンボ、蝉、蝶、蜂、
バッタ、カマキリなど身近なものを検索して行くとあっという間に3時間が
過ぎてしまった。

そして昆虫の意外な事実(?)のようなものも知ると同時に幾つもの驚きも
あった。

私たちは一般的な昆虫の定義のようなものとして指折り数えると脚が6本あり、
目は複眼、体が頭部、胸部、腹部に分かれていて頭には触覚があり一対か二対の
はね(翅)があるもの・・・などと覚えてきたと思う。

そう、昆虫のはねは羽ではなく翅の文字で表すらしい。

ところがこれらの条件に合わないものやそれ以外の特徴を持ったものがいることも
知ることができた。

このブログを読んでくださった方も時間のある時にでもぜひ昆虫や昆虫を含む
害虫、益虫などの生態や行動をネットで見ていただき新たな感動?)を
覚えていただきたいと思う。

完全な益中もいれば、益虫でもありある面では害虫でもある・・・という点を
併せ持った昆虫のことなどを知ると人間にとって利益をもたらすものを益虫、
損害を与えるものを害虫と区別するだけでいいものかどうかという気持ちにさせて
くれる昆虫や虫たちにも命はあるのだが、やはり蚊や蠅の存在は迷惑千万という
気持ちが先立ち殺処分、そして撲滅を・・・と思う。





















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年賀状から思い浮かぶ友人の笑顔

2019-01-05 10:43:29 | 喜怒哀楽をポジティブに
今年もまた懐かしい彼や彼らから年賀状が届き、それぞれの笑顔が目の前に
大きく浮かんだ。

私なりにまあまあ長い人生を歩んできたのでその彼や彼らの年齢層は幅広く、
また住まいも広範囲にわたるので時々会える人もいれば50年以上、いや60年
近くも顔を合わせていない人たちもいる。

そんな懐かしい人たちからの年賀状のさりげない情報がとても嬉しく
有難いと思う。

何年に一度か行われる中学や高校時代の同窓会に参加したのは20年以上前で、
その時も同窓生全員に逢えたわけではなく最も親しかった何人かとは未だに
年に一度の年賀状が辛うじてその絆をつないでいるという状況なのである。

仕事をしている時は冠婚葬祭などで帰省しても会うタイミングを見つけられず
今こうしてゆっくりした時間を過ごしている時も夏は暑いから・・・とか冬は
雪が降りそうだからなどと何かにつけて積極性に欠けるような理由で今日に
至っているのだが・・・・

大好きな車を飛ばせば500kmぐらいはあっという間の距離なのに・・・

高校時代の同級生3人とは特に仲が良く、残念ながら一人は数年前に亡くなり
残る二人のうち一人は富山、一人は茨城、そして私が埼玉でそれぞれが現役を
引退した今でもそう簡単には会えない状況だがことあるごとに思い出す仲間である。

亡くなった彼を含む3人は私を除き同じ部活で活躍し、その頃もその後も伝統的な
強さを続けているハンドボール部の出身で後輩たちは昨年の高校2冠を制している。

当時から部活が違っても私だけをハンドボール部の一員のように登校前下校後も
チームの仲間のような意識で付き合ってくれていた。

その二人は時々会うことがあるようで昨年、母校の高校2冠をきっかけに・・・と
いうこともあったのか今年の年賀状に『いつも二人であなたのことを話しています』
とそれぞれが同じことをしたためてあった。

目頭があつくなり文字がぼやけて見えて鼻水が出そうになったこの一枚が
一番嬉しい年賀状になったことは言うまでもない。









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