最近、郵便受けにドアクローザーに関する案内(チラシ)が二枚
入っていた。
同じ会社のもので一枚は完全に交換を薦めるものでもう一枚は
動きを調整するというもの。
経年劣化を強調し、危険回避(?)の為には交換すべきだというような
説明があったが調整するための費用と交換に要する費用とは思ったより
差がなかった。
チラシを見た妻は最近何人かの友達の家でドアが早く閉まりすぎたり、
遅すぎたりするということがあり交換してもらったという話を
思い出したようで、『うちは今のところ問題ないけど、お父さんは
治せるよね・・』と多少心配そうに私に尋ねる。
私は即座に『修理依頼や交換は必要なし』と返答。
その交換した友人宅では確かに開閉がスムーズにできるようになったが
調整してもらうだけでこんなに費用がかかるとは?・・・と思ったそうだ。
何でも直そうとする私のことに気づいた時にはあとのまつり・・・
今はコロナ禍のこともあり、先日の散水栓の修理などよっぽど緊急で
無い限り他所の家を訪問しないことにしているが私は友人知人宅の
便利屋としても喜ばれているので自宅の修繕補修などもできる限り
(いや、ほとんど)自分でやっている。
私の仲良しグループの『爺さんカルテット』は面倒くさいと言って
なかなか自分でやろうとしないので私の活躍の場もあるのだが・・・
ドアクローザや鍵の交換なども当然自分でやるので息子や娘からも
頼りにされ、重宝がられていることはちょっと大袈裟だが一つの
生きがい、やりがいのようでもあり嬉しく思う。
先日も娘からエアコンの排水ドレンの改善を頼まれて、いそいそと
出かけたのだ。
昨日は我が家で新しく買い換えたキッチンの洗いかごの使い勝手を
良くしてほしいと頼まれ、早速取り組みあっという間に改良完成・・・
『さすがはお父さん・・・』と少しおだてられたが勿論悪い気など
する筈はなく自慢することでもないが妻の喜ぶ姿を見て私も満足・・・・。
小さな工夫で何かが改善できるとどんなことであっても嬉しいものである。
勿論無報酬、ボランティアが原則だからそれが喜ばれたり他人(ひと)の
役に立ったりすればなおさらのこと。