『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

大晦日を迎え、木々の様子も変る中でも紅いサザンカが一際紅く・・・

2020-12-31 08:45:26 | 喜怒哀楽をポジティブに
マンションの緑地帯に植えられた木々のうち常緑樹以外の木はどれも
最近まで少し葉っぱが残っていたが大晦日が近づくと同時にまるで
示し合わせたように急激に落ち始めたように感じたが・・・。

エントランスから玄関をでてすぐ右側のフェンス(生垣)の内側に
植えられた木の中のメタセコイヤも細い枝が残るだけで寒々とした
姿に変ってしまっている。

毎日見ていたはずだがこんな姿になるとは・・・と思うとわかってはいても
少し寂しい気持になる。
餌となるものが少なくなりここへも探しに来たのか二羽のヒヨドリが
その枯れ枝の上で落ち着きのないような声で騒いでいる。

そんな中でフェンスを構成しているヒイラギとサザンカは元気そのもの
ひとひら二片と花びらが落ちても紅い元気な顔は側を通る私たちを
この時期も励ましてくれているようだ。
よっぽど寒さに強いのか冷たい風にも怯む様子もなく紅い顔を一段と
紅くして笑顔を振りまきながら寒さにもコロナにも負けるな・・・とでも
言っているように見える。

冬至が過ぎてこれからは少しずつ日が長くなる・・・
これからが寒さも本格的になるとはいえ、『一陽来福』という言葉もあり、
来年はきっと良くなると思い、明るく考え、そのために自分たちで
できることはやるという努力をしていかなければ・・・

人間の智恵と勇気と自然の恵みを感じながら・・・

みなさん、良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。





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当然のように今年の反省もしながら新しい年への期待を・・・

2020-12-30 09:46:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
さあ、今年もついに今日、明日の2日間となった。
先日最後の週の過ごし方などについて考えたがやはり心に
残るものも少なくなかった。

現在の私は一般的によく言われる『毎日が日曜日』であるが、
同時によく言われる『曜日の感覚がない・・・』などということはない。

ちゃんと私なりに曜日によって違うルーティーンのようなものもあり
仕事ではなくてもやることがあるので時間を持て余す・・・ということも
なく、むしろ足りないような気持でいられるのが嬉しい。

・・といってもこれといって何かの・・誰かの役に立つことをやっている
ということでもない。
結果的には時間つぶしと思われるものが多いのではないかと思うし
時間の無駄使いを自分自身で戒めなければ・・と思うこともしばしば・・・・。

そんな私が毎日持つ時間の中でやはり一番、心やすらぐのは音楽を
聴いている時間である。
音楽はジャンルにこだわらず何でも聴くし、それぞれに私が自分で感じる良さ
などもあり、聴き始めるとつい時間の経過を忘れてしまう事もよくある。

特に好きなものは映画音楽(サントラ)、イージーリスニング、ポピュラー
音楽、と言われるものなどで苦手(?)は演歌だろうか。

演歌もたまに聴くのはいいが仲良しグループ『爺さんカルテット』の集まりの
時にカラオケ店へ行っても彼らの歌うのは喜んで聴くが自分で歌うことが
ないのでshimaさんは風貌と一致しないなどと言われる。

ここで以前に投稿した記事の中からこの演歌についての私の感想を
もう一度・・・

以前の記事から一部を抜粋して再投稿して見たい。
日本の歌も歌謡曲も好きだが演歌は2018年から日本でも取り入れられた
申告敬遠(野球のルール)を使いたいというところ。
(野球ファンはおわかりだと思うが申告敬遠はバッターとの勝負を避けて
あえて敬遠の四球を与えること)
演歌も聴いてみると勿論心に響く心地良い曲はたくさんあると思うのだが、
私の中では「日本の歌」や「歌謡曲」とは少し違った分野ではないかと
思うからかもしれない。

もちろん、演歌も日本の歌に違いはないのだが私の中では「日本の歌」
「歌謡曲」「昭和歌謡」などと「演歌」ははっきりと区別されている。

演歌が好きではない理由として・・・すべてではないが演歌からはあまり
明るさや現状を乗り越え前に向かって進もう・・・というような
ポジティブな姿があまり感じられず、悲嘆に暮れる・・酒で心を紛らす・・
挫折感・・などを強く感じてしまうような気がするからなのかも知れない。

これはあくまでも私個人の見解で、当然のことながら演歌を否定
するものではなく、勿論演歌の良さも充分承知の上での話・・・
私の友人、知人にも演歌ファンは多く、亡くなった私の弟も大の
演歌ファンであった。
繰り返すがただ、私が好きではないというだけのこと・・・
演歌ファンの方々、どうぞお気を悪くなさらないように・・・

さあ、話をもどして・・・
毎日の生活の中で起きる「喜怒哀楽」の瞬間、瞬間で僅か数秒でも
時間をおけば誰でも少し気持ちも落ち着くことと思う。

そんな時こそ感情を表すにも押さえるにも「音楽」は言葉では言い
尽くせない不思議とも言える力というか効果があるのではないだろうか。
怒りや焦燥をコントロールするような力も・・・・

老若男女、誰にとっても今や日常、形は違ってもどこにでも音楽はあり、
無意識のうちにも音楽とは切り離せない生活となっているような気がする。

クラシックもジャズもタンゴもポピュラーも民族音楽も・・・童謡も、
CMソングもアニメソングも・・・と数え切れないほどあるジャンルの
中から誰もが楽しもうと思えば何かを見つけられると思う。

私は自分の部屋でもパソコンでも、車の中でも常に何かの音楽を
聴くことにしている。
妻は自分で何かをする(している)時はそのことに集中し、テレビや
ラジオ、音楽を聞きながら・・というのを嫌うが私は特別の場合を除き、
「ながら〇〇・・」は決して苦手ではないし、むしろそれが自分の
気持ちを落ち着かせ、円滑に事を運ぶ役目ともなっているような気がする。
従って音楽を聴きながら何かをすることに何ら抵抗もないし、
むしろ物事が心地良く信仰するような気さえするのだ。

さて、私の好きなジャンルのイージーリスニングや映画のサウンドトラック
などだがよく聴くのは「パーシー・フェイス」「ヘンリー・マンシーニ」
「カラベリ」「リチャード・クレイダーマン」「マントヴァーニー」
「レイモン・ルフェーヴル」「ビリー・ヴォーン」「アッカー・ビルク」
「ポール・モーリア」「ニニ・ロッソ」など。
これらを懐かしく「同感」だと思ってくださる方々がいらっしゃると思う。

日本の曲では昔懐かしい「フォークソング」「さだまさし」や「小椋佳」
「南こうせつ」「ビリーバンバン」などの静かな曲・・・親しみやすい
女性歌手の曲としては「竹内まりや」「高橋真梨子」「ZARD」「杏里」
「五輪真弓」「岡本真夜」「中島みゆき」「キロロ」「トワ・エ・モア」
「夏川りみ」などの曲。

新型コロナが発生し広がり始めた以後は行っていないがそれまでは
『爺さんカルテット』の4人でカラオケへもよく行き、みんなそれぞれ
好きな歌を歌っていたが上記歌手の歌を歌う私に仲間はこんなことを言った。
『最も演歌らしい雰囲気のshimaさんが演歌嫌いとは・・』と・・・
冗談交じりではあるが異端児の扱いでまさに四面楚歌(?)・・・
勿論、大の仲良しグループなので全く問題なし・・・。

そんなあれこれで私の生活に音楽は切り離せないものになっている。
ライブ会場へ行き、大勢のファンと一緒に楽しく騒ぐ・・などということは
全くないが、テレビを見て、或いはCDを聴いて気持の上では
「ノリノリ」になることはある。

来年もいろんな音楽を聴き、楽しみながら元気な一年を過ごしたい。
来年は今年よりも必ず良くなる・・・良くしなければ・・・と思うことに
よって自分の気持が大きく変り、少しでも大きな心をもって毎日を
過ごして行くことができるよう身近なことに目を向けることから
始めていきたい。
実生活でより以上豊かさを求めることは難しく可能性も低いが
心の豊かさを求め、そのために実践することはたくさんあり、
可能性も充分ある。
それをあまり気張らずにやっていきたい。








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年末年始は徹底的に自制、自粛の生活を・・・

2020-12-29 12:38:22 | 喜怒哀楽をポジティブに
間もなく今年も終わろうとしている。
今年はコロナの所為で誰にとっても大変な年であったと思う。
世間では今日あたりから年末年始の休暇に入るところが多いと
考えられるが多くの国民が正月休暇でややもすると気持が緩みそうな
時にも国や自治体の依頼を受けて仕事に取り組む医療関係の方々
のことを真剣に考え、不要不急な外出をしないことは当然ながら、
個人の行動がコロナの感染拡大を左右するということを常に考え
誰もが本当に静かに過ごして欲しいと思う。

帰省や観光地、行楽地への移動を避けて、近くで楽しめる場所へ・・・
ということで人が集まる結果密集してしまうという状況も既に多数
報道されているがこれも政府の中途半端な政策と説明に因るものだと思う。

年末年始、多くの病院等が休む中、協力していただける医療関係の
状態とそこに働く人達にこれ以上負担をかけないよう国も私たち個人も
心を引き締めて協力しなければならないのは言うまでもない。

医療に従事する人達も本来ならば年末年始ぐらいは少しでもゆっくりと
過ごしたいと思う中での献身的な協力を私たちは重く受け止めなくては
ならない。

大晦日から元日にかけては強い寒波が押し寄せ、各地が雪に見舞われる
という予報もあり、浮かれすぎによる飲酒が引き起こす事故なども含め、
改めてすべての行動での自粛、自制によってこれ以上医療関係者に
負担をかけないようにしなけらばならない。


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政府はその場凌ぎの発言や無能な対策を改め、国民の方を向いて働け!・・・

2020-12-26 11:18:51 | 喜怒哀楽をポジティブに
テレビのニュースを見ても新聞を開いても相変わらず政治に関する
腹立たしいことが多い。いや、多すぎる・・・。

人の命を最優先と考えるべきコロナ対策は無能な策を、しかも小出しに
するばかり・・・
「営業時短問題」「臨時の医療施設」「特別措置法の改正」や罰則の
導入などもいつまで経っても「検討」「検討」「しっかりと検討」・・・ばかり。

次の国会で・・などとはとんでもない・・・そうなると実際に施行されるのは
3月、4月になってしまうではないか。

政府や自民党議員たちは国会閉鎖中だからと言ってこの時期も休むこと
なく連日「閉会中審査」でコロナ対策をはじめ、現在の問題点をはっきり
させるために年末年始も休み返上で働いてもらいたいものである。

医療現場では逼迫どころか既に崩壊が始まっていることについても
「検討」と国民任せの態度であり厳しい意見には耳を傾けない。

経済が回らなければ人命も救えない・・・などと「したり顔」で言う神経も
どうかしている。
「命あっての物種」で命があるからこそ物事が進み、経済も成り立つ
のだという簡単な事もわからないのか・・・

医療従事者の過酷な勤務、ボーナスゼロや給料カット、心身の疲労
などを考えたら休んでなどいられないはずだろう。
罪を犯した議員も含め自分たちは過分なボーナスもしっかりともらい、
年末年始はしっかり休むとはどういう神経なのだろうか。
法律で決められているからできないなどと言わず、今こそ自ら
『議員はボーナスを返上しよう・・』という動きがあってしかるべき・・・・。

「桜を見る会」の問題も含め連日連夜「閉会中審査」のフル稼働で
少しは人間らしさを見せたらどうだ。
新聞のどの面を開いても国民が生活する上での問題だらけ・・・
上手くできるのはすぐにばれる「うそ」と「ごまかし」と「逃げ」・・・
これでは支持率が下がるのが当たり前。

今の自民党にはトップの暴走や危険運転、逆行などを諫めたり正しい
進言をする人物がいないようだがそれでも「三人寄れば文殊の知恵」の
例えもあり真剣に意見を採り上げれば良い考えも出てくるのではないか・・・
と思うのだがこの政権も「烏合の衆」で終わってしまうのか。

保身の為に汲々とするような議員は要らない・・・
私たち国民も自分たちの所為でもあると考え次回の選挙では本当に
国民のために働く議員を選ぶべき一人一人がしっかりとした目を養う
ことも必要だと思う。

何もできない私が議員たちを無能呼ばわりすることは決していいこと
ではないと思うが、議員たちもパフォーマンスではなく実効性のある
ものを示し不眠不休覚悟で取り組んでもらいたいものだ。
不眠不休といっても過重労働を強いるわけではない。
私たちが若い頃に言われた「企業戦士」のようになれ・・というわけでも
ない。
ただあの頃の企業戦士には会社を支えているという自負もあり、何より
責任感があったと思うしどの企業においても戦士達は実績もあげた。

私が40代半ばから勤めた会社の現場の社員達も1分1秒でも疎かに
しないよう人の動きやラインの構成に日々創意工夫を凝らし、まさに
分単位の生産効率を上げるため最大限の努力をしていた。
そのための改善提案制度が盛んで、表彰制度などもあり、現場に限らず
私のように事務部門の社員でも誰もがあらゆる事に改善を考え仕事を
してきた。
それが士気を高め効率を高め、結果的に大きな成果に繋がったのである。

今、自民党の議員たちは最低限やらなければならないこともやって
いないのではないだろうか。
創意工夫もせずに座り心地のいい椅子に座っているような者は一人も
要らない・・・。一人一人が頭と体を使う時だと考え、実践してほしい。

見え透いたパフォーマンスやベテランに習う風見鶏、ポチの継承も
要らない・・・ましてや嘘発言などはもってのほか・・・・
ごく当たり前に働いてほしいと言っているのだ。




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静かに過ごしたクリスマス・イブだったが・・・

2020-12-25 09:42:30 | 喜怒哀楽をポジティブに
コロナ禍の今年のクリスマス・イブは我が家も世間の高齢者夫婦を
見習って(?)二人きりの静かなイブを過ごした。

日中、長時間にわたりたくさんの賛美歌、聖歌やクリスマスソングを
聴いたので夜は静かなイブを・・・と我が家では手巻き寿司とキンキンに
冷えたビールでお互いに『お疲れさま~』で乾杯!・・・
ツリーもなければクリスマスソングもなし・・・

手巻き寿司・・・といっても私は魚介類の生は勿論、焼いても煮ても
干物でも加工した物(かまぼこ、ちくわ、さつま揚げなど)も一切
食べないので魚に代わる肉と種々雑多な(?)野菜ということで・・・
手巻き寿司には相応しくない野菜などもささやかながら食卓に
並んでいた・・・

クリスマスだから・・・と大好きなビールもいつもより速いピッチで・・・・
私はアルコール類は好きだし、相手がいればどれだけでも飲むという
タイプだが飲まないでおこうと思えば何日でも飲まずにいられる・・・という
超便利型の愛飲(酒)家なのでもちろん健康管理の面も含めて
飲まない日も多い。
従って飲酒運転などは到底考えられない・・・
まさに『飲んだら乗るな、乗るなら飲むな・・』の完全履行者である。

昨夜はテレビを見ながら、そしていつものように必要以上(?)に喋るので
隣の千恵子選手は手も目も耳も動かさなければならず忙しいのである。
今年は二人きりだがそれでも楽しく過ごそうと思うのかいつもの言葉
『おとうさん、5分でいいから黙ってて下さい・・・』とは言わなかった。

大好きな肉類と生ハム、生姜、大葉やキュウリ、アボカド、かんぴょう、
椎茸、短冊状に切った長いもや卵焼きなどを次々と・・・そして今年は
干したゼンマイを戻して煮たものが飛び入り参加したので更に食欲増進で
2合のご飯が入った寿司桶があっという間空っぽに・・・

家族も友人達も常々大食漢ぶりに驚いているが夕べも無理なく
本領発揮・・となった。

千恵子選手は通常自分でカロリーや糖質、脂肪、タンパク質などを
計算して作った腎臓食事がメインなのでほんの少ししか食べず、
その2合のほとんどが私の胃の中へ・・・

千恵子選手も食欲があるのはいいと思ってくれているが食べ過ぎは
いけないからと注意しても私の食欲はそれを突破してしまうと思って
いるらしい。

8年前に私は胆石をとるため『胆嚢の全摘出手術』をしたのだが
その頃10歳だった孫からその後何年もの間私の食欲旺盛ぶりを見る度に
『じじは胆嚢がないんだからね・・・』と厳しく注意され続けてきた。
特に一緒に食事をするときなど脂身の肉が好きな私の食べっぷりを見て
『じじは胆嚢がないんだからね・・・』と言われるといつも口癖のように
『瑛舞(エマ=名前)が言えば黒も白・・・』とか
『瑛舞の声は天の声、神の声』と言っていた私は従わざるを得なかったのだ。

昨夜は孫がいなかったのでとめる人がいない状況を喜びながらも
ちょっと寂しくもあった。

今年もまた無事に・・・ささやかでも幸せなイブを過ごすことができたが
穏やかな心にあの『極悪人・安倍晋三』のまたもや嘘つきで卑怯な
会見のニュースが爆弾を仕掛けてきたような気がした。
例によって秘書に罪をなすりつけ、言葉では責任を痛感している・・と
言いながら当然取るべき議員辞職という責任は取らないという。

誠実に答えるのなら「証人喚問」にも応じるべきなのに嘘をついても
大丈夫・・という時にだけ会見するという相変わらずの身勝手さ・・・。
その嘘もやはり紙を見ながらしどろもどろ・・・国民は既に何百回もの
嘘とその手口に辟易しているのだ。

こんな悪人が議員で居続けられる・・というのはとりもなおさず
日本の恥でもあると思う。
世界に胸を張れる政治はいつになったら見られるのだろう。

いよいよ、国民の良識が問われる時がきたと認識しよう。

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クリスマス・イブはやはり母の思い出が・・・

2020-12-24 12:22:34 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、ブログ友すずさんの記事にアップされたエレクトーン演奏の
『主よ、人の望みのよろこびよ』を聴いて母を思い出して胸が熱くなり
一気に時間が戻ったような気がしたが、今日は幼い頃母と一緒に
過ごした思い出がいっぱいのクリスマス・イブ。
(クリスマス・イブについては教会暦と常用暦での違いがあるようだが)

毎年この日は・・・そしていま、こうしてクリスマス・イブと文字を
入力しているこの時もクリスマスといえば・・・
やはり母との思い出が真っ先に浮かんで来る。

母が生まれ育った富山県は真宗王国と呼ばれるほど浄土真宗が
多いところだが母がまだ女学生の頃(大正時代)に出合った先生の
影響でキリスト教に傾倒し、その頃にはまだ珍しかったと思える洗礼を
受け、本当の(?)クリスチャンとなったのだ。

父方の家は代々浄土真宗であり、父も当然のようにそれを引き継ぐ
格好で生活してきたのだと思う。
ただ日常生活に両親いずれからも宗教的なものはまったく感じなかったし、
トラブル的なものはもちろん、違和感もなく私たちも多くの日本人の
家庭のように過ごしてきたのは母が冠婚葬祭をはじめ長く伝わる風習や
しきたりなどはそつなくこなし、キリスト教的な言動は自分の心の中で・・
はっきり区別していたからではないかと思う。
母自身も生家は浄土真宗を引き継ぐ家だったことでもあり、教育者だった
父も信仰心などは本人の自由である・・・と心広く考えていたから
なのだろう。

そんな生活の中でやはり母のキリスト教的な教えのようなものは日々
それとなく私たちに伝えられ、宗教心、信仰心とは全く関係なく
ごく自然に受け入れてきたと思う。
特に嘘をつくことは人として何よりも恥ずかしく卑怯なことだという
教えが一番強く心に残っている。(これはキリスト教でなくても
もちろんそうなのだが)

そして母がクリスチャンらしさを表したのは毎年のクリスマス・・・
それは終戦後、朝鮮で教師をしていた父と共に家族全員が命からがら
引き上げてきたという私たち子供が幼い頃からクリスマスが近づくと
母が歌う賛美歌などを聞き、貧しいなかでもできる範囲内での母が作る
ごちそう(?)や朝目覚めると枕元にあるサンタクロースの贈り物など・・・

母は私たち子供に夢や希望を忘れてはいけない・・・ということを
クリスマスが近づくと特に強く話していた。
サンタクロースの存在やその意味についても・・・

その頃はよくわからなかったが今も母が歌っていた賛美歌がごく自然に
私の口からも飛び出してくる。
『きよしこの夜』『もろびとこぞりて』『いつくしみ深き』
『神共にいまして』などの歌が口をついて・・・・そして一部歌詞を
忘れている『牧人ひつじを』などはハミングで・・・

今日は朝からこの時間までYou Tube でたくさんのクリスマスソングを
聴いてみた。
日本のクリスマスソングにもいいな・・と思う曲はたくさんある。
毎年必ず流れてくる曲・・・クリスマスには人それぞれいろんな
数多くの思い出があることだろう。
今年はコロナのために予定していた楽しいクリスマスを別の形で・・・と
工夫された方もいるだろうし、中止したことが思わぬいい結果になった
と思える人達もいるかもしれない。

クリスマスは子供のためのものだけじゃない・・・と思えばいい効果、
いい結果が生まれることもあるのではないだろうか。
そのためにはやはり自分自身が何らかのアクションを起こさなければ・・・。

街で、自宅で小さな光を見てその美しさや暖かさを感じることができれば
それだけで幸せ・・・と思える時間がもてれば現実のイライラ、寂しさ、
悲しみ、苦しみなども小さな事だと思えるだろう。
『そんな夢みたいなことを言うな!・・・』
『お前は現実の厳しさがわかっていない!』という人もちょっと立ち止まり、
『明日はきっと良くなる・・』と自分に言い聞かせながら希望を持ち、
顔を上げて大股で歩いてみてほしいと思う。

『何を失っても明るく考える自分の心までは奪われないのだから・・・』


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今年もまた大好きなキンカンをたくさんいただいた・・・。

2020-12-23 11:59:30 | 喜怒哀楽をポジティブに
今年もまた千恵子選手の絵手紙仲間からキンカンをたくさんいただいた。

私が大好きだと言うことを覚えてくださって冬になると毎年必ず
いただくのである。

私の仲良しグループ『爺さんカルテット』のSさんの家にも大きな
キンカンの木があり、その年によって実の大きさは違うものの
遠くからでも黄色く色づいた木の様子がわかるくらい毎年たくさん
の実がついている。

長年、毎月3~4回位楽しい時間を共にした『爺さんカルテット』の
集まりは新型コロナのために今年の2月22日を最後にやっていない・・・
輪番制で各家庭を廻り一日を楽しく過ごすこのカルテットにとって
毎年キンカンの最盛期は別の意味でも楽しみであったのだ・・・

コロナが少し落ち着いたらみんなにキンカンの受け渡しだけでも・・・と
Sさんから声がかかると思っていたが益々感染が拡大している現状では
まだしばらくは会わない方がいいとメンバーみんなも思っていることだろう。

『爺さんカルテット』のAさんの家では毎年甘露煮や蜂蜜漬けに・・・
我が家ではほとんど生で・・もちろん皮ごと「痛快丸かじり・・・」で
あの独特の酸っぱさと香りや少しの渋み、苦みなどを楽しんでいるのだ。
なにしろ酸っぱいものが大好きな私は誰もが酸っぱ過ぎると感じる
柑橘類などもすべて心地良い甘さに感じるのだから・・・・
ミカンなどは酸っぱいものなどないと思うくらいに・・・・

昨日いただいた千恵子選手の仲間の家では庭の手入れがあり、
植木屋さんの都合上早く収穫したとのことだったがキンカンは
遅いときには3月頃までとれるらしい。
粒には大小もあり、実も完熟に近いものもあればまだ青みが多く、
少し硬いものもあった・・・・。

早速カリカリ、コリコリと囓りはじめ気がつくと既に6~7個のヘタが・・・
そして午後は紅茶に・・・夕食時には焼酎に・・・とキンカンは大活躍。

昨日の余韻が残る今日の朝食後に「コリコリッ」と3個を食べて
喜びの香りを体に取り込んだ。
今日は今から私が自ら蜂蜜漬けをつくってみることに・・・
少し大騒ぎしながらの作業(?)になるかもしれない。

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一日の時間の長さを考える自分に矛盾だらけの思いが・・・

2020-12-22 09:58:51 | 喜怒哀楽をポジティブに
二日前に『今年残された僅かの日で何を考えるか・・・』という
タイトルで投稿したことが何故か心に残り、今まではあっという間に
過ぎてしまった一日が少し長く感じられ、自分自身でもよくわからない
『時間に対する責任』のようなものや『時間を無駄にするな・・』という
意味で自身に何かを義務づけているような思いが頭をよぎった。

・・・といっても「脳天気」な私のこと・・・勿論思い悩むとか深刻な問題には
ほど遠い話なのだが・・・
仕事を離れて久しい今、この時に心も体も常に『元気炸裂!』だけで
この先の人生を送ることにちょっとだけ疑問を持ったことがもしかすると
何かのヒントになるかもしれない・・・と?

また、年の瀬を迎え、時間に恵まれすぎている我が身に対する
自分自身のちょっとした軽い戒め(?)のようなものなのかもしれない。
少し大袈裟だが自分で『二度とこない時間を無駄にするな・・・』という
ことにちょっとだけ気づかされた程度の感覚で考えればいいのだろうと思う。

度々記事にしているように私は何もしないでのんびりしていることが
幸せで心やすらぐ・・・などとは全く思っていないし、むしろ時間が
足りない・・・という感覚で一日を過ごしているので一日があっという間に
過ぎるように感じるのだと思う。
といっても効率的ではないし、特別に効果を感じるような大袈裟なもの
(こと)でもない。

そして長く感じる場合も日常生活上の予定はあっても日々確実な目標や
計画をたてているわけではないので忙しく感じたり、時には冒頭のように
一日が長く感じるという矛盾だらけなのだ。

ただこの矛盾のようなものに少し気づいたことがこれから日々の
過ごし方に無意識のうちに変化が表れたり意識して何かをする・・・・と
いう行動に結びつけるきっかけになるかもしれないし、できるだけ
そうしたいと思うこともあるのだ。

何かを考えながら変化ある日々を過ごすということに対し世間では
『自分の年齢を考えろ』『今更どうなるものでもないだろう』などと
いう意見もあるようだがせっかく平等に与えられた時間なのだから
その活用は自分の意思で・・・と思うと些細な事でもより以上に楽しく
感じるかもしれない。
さあ、『善は急げ』で早速きょうは10時から・・・あっ、まもなく10時・・
でも『善』と言えるかどうかは・・・・とりあえずスタートを・・・


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冬至に思う

2020-12-21 08:52:28 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は冬至、・・・私たちが住む北半球では太陽の位置が一年で最も
低くなり日の出から日の入りまでの時間が最も短い日・・・
(・・ということは夜が長い日)

そして昔から冬至にはカボチャを食べたりゆず湯に入ったり・・・
という習慣が今も広く伝えられている。

カボチャにはビタミンやカロテンをはじめ、数多くの栄養素があり、
新鮮な野菜が少なくなるこの時期に栄養をつける・・という理由で・・・
そしてゆず湯にも同じようにビタミンや他の栄養素が含まれており、
風邪予防や血行障害を改善する・・などという効果があるという。
これらは科学的に分析する事ができなかった時代から先人の知恵
により伝えられてきたものだという。

我が家でも一昨日、すぐ近くのスーパーでカボチャを買ったが
あまりにも小さい・・・ということで少し離れた野菜専門店へ行き
大き目のものを再度購入した。

本当の効能、効用の程は私にはわからないが、そういう気持で食べたり
入浴すれば精神的に満足感を得られる・・という効果もあることだろう。
コロナ禍ではこんな些細なことと思えるものでも気持をゆったりと
させたりそうしてリラックスできる状態がストレスを感じやすい
人たちの心を癒やしてくれるのかもしれない。
私にはストレスを感じる(た)ことがないが・・・これは自分でも
ありがたいと思っている。

無病息災を願った先人達の気持がこんな形で今もまるで受け継がれた
ように伝わっていることに人としての素直な気持や不思議さを感じる。
外は今日も見事な冬晴れ・・そして今週は広い範囲でいい天気が続くそうだ。

どんな状況下でも青空を仰ぎ、太陽の光を浴びて足を前に出す気持を高めよう。
一人ではなかなかできない・・という人達の周りにも必ず応援団が
いるはずだから自ら声を出す勇気を持って・・・
声を掛け合うとコロナ禍でも冷たい空気の中でもお互いの心は思った以上に
暖かくなるのだ。



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今年残された僅かの日で何を考えるか・・・

2020-12-20 09:29:01 | 喜怒哀楽をポジティブに
今年もあと僅か・・・残すところ今日を含めて12日だと思うと一年の
時間の経過が思う以上に早く感じられるが・・・

この12日間は一年の約3%に当たることにふと気づいた。
何ごとも10%というとまだまだ余裕があるように思えるが
3%となるとごく僅か・・という印象でその僅かの期間に何ができるか?と
自問しても結局何もできないのでは?・・と思ったりしがちかもしれない。

既に97%も過ぎた今年はどんな年だったか・・・と聞かれると、はて?・・と
自分でも答えに窮するような気がする。
「新型コロナ」に始まり、収束の目途が立たないまま誰もがコロナに
振り回されたようなまま年の瀬を迎えてしまった・・・ということに
なるのだろうか?

私は・・・そして我が家では果たして何をした一年だったのか・・・
大袈裟に考える必要もないことだと思うが例年と同じで特別に取り
上げられるようなものはなかったような気がする。

それでもゆっくりと振り返ってみるとやはりコロナによる影響が
大きく、家族を含むささやかなイベント擬きもコロナによって
中止を余儀なくされ、友達との交流も電話やメールに限られ行動範囲も
狭くなったという事になるのだろう。

私たちよりも深刻な状況に追い込まれた人達が数多くいることを
思えば嘆いてなどいられない・・・もともとどんな状況におかれても
『参ったなあ・・・』とか『絶望的だ・・』『打つ手がない・・・』などと
思ったり考えたりすることも激しく落ち込むようなこともなかった
(しなかった)私なので今年も暗く考えるようなことはなく今までどおり
『常に明るく・・・』を主体に過ごしてきたつもりの一年だったと思う。

私は常に『裕福ではなくても嘘をつかず心も体も健康で・・・』という
気持で生きてきたのでこのコロナ禍であってもどんな波にも流されずに
小さな夢や希望は持ち続けたいと思っている。

残る3%で何を考えるか・・・何かを考えることによって自分の気持の
中にもまた新しいものが芽生えるかもしれない。
高齢者だからといっておとなしく静かにしていればいいというものでも
ないだろうと考えるといろんな制約の中でも、そしていろいろな面で
余裕がなくても小さな夢も膨らみ、わくわくもしてくるような気がする。

とにかく毎日を一生懸命生きること・・・心の幸せ感は裕福や成功体験
などから生まれてくるものだけではないことは自分なりに生きてきた
人生でも感じてきたことなのだから・・・・。

今年はブログを通じて知り合えた人達の『他者への思い』やブログ友の
『その実践』を強く感じたことが一番大きな収穫(?)だったと言える。
たびたび、そして繰り返し言いながらつよく感じてきた思い・・・その
『ブログをやって本当に良かった・・』を今、あらためて強く感じている。

ブログ友のみなさんには本当に感謝している。
幾つになっても誰からも教えられることが多いことをあらためて
感じた意義ある年であった。
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想定外の大雪の被害が報道される中、ほっとする時間も・・・

2020-12-19 10:51:29 | 喜怒哀楽をポジティブに
今週は予報どおり寒さが厳しく各地で予想以上の雪に見舞われ、
2メートル以上の積雪があったところの状況も報道された。
降り止まぬ雪の中での終わりのないような雪かきや積雪による被害・・・
雪国の人達のためにもこれ以上の雪は降らないでほしいと思う。

関越自動車道(高速道路で)は2000台以上の車が長時間動くことが
できず、自衛隊の出動で昨日ようやく脱出できたようだがまる二日以上
閉じ込められた人達の食料、ガソリン、寒さ、不眠など心身の疲労は
大きかったと思う。
車は脱出できても開通するにはまだまだ時間がかかるという。

この間、埼玉も寒かったが幸い好天気に恵まれさいたま市の上空には
連日青く高い空が広がっていた。
今日は青空ではないが太陽も出て寒波が一時的に収まったのかな?
と思いたいが・・・風はやはり冷たい。

今週の青い空に昨日も一昨日もその前も真っ白な飛行機雲が・・・
先日は一度や二度ではなく、複数回見ることができた。
長野県などでも多くの飛行機雲が見られたそうだが・・・

飛行機雲ができるくらいだから上空はよっぽど寒いのだろう。
一昨日は銀色に光る機体もはっきりと見え、上空の風も弱かったのか
はっきりとした二本の直線が遠くまで続き、少しずつほぐれるように
なるまでにかなりの時間がかかっていた。

飛行機雲が長く残るのは上空の空気が湿っていて雨が近く天気が下り坂に
なることを表し、すぐに消えてしまう短い飛行機雲は空気が乾燥し、
よい天気の兆候だという。

その間、私は首が痛くなるのも忘れ空を見続けていた。
飛行機雲を見るとなんとなく、嬉しくなるからなのだが思えばこれは
子供の頃からそうだった。
その頃はいつまでも消えない長い飛行機雲が発生すると天気が
下り坂になることなど勿論知らなかったのでただ綺麗な一直線を
一種の憧れのような気持で眺めていたのだと思う。

まだ若かった30代の頃、荒井由実(現、松任谷由実)の「ひこうき雲」が
ヒットしていた。
小さい子供の命の歌で詩の内容も少し寂しい歌でもあるように思うが
『空に憧れて 空をかけてゆく あの子の命は ひこうき雲』のフレーズは
それをあまり感じさせない一途なこどもの心が感じられ、死とは別に
私自身も大空に希望を抱き夢を託すような気持になって口ずさんだことを
よく覚えている。
「飛行機雲」ではなく「ひこうき雲」としたことにもその子供への愛情が
溢れているような気がして・・・

来週は寒波も収まり少し穏やかになるようだが是非そうあってほしい。

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スキンヘッドは驚くべきセンサー?・・・「ほんまかいな」でも本当。

2020-12-16 11:13:49 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の私の記事にブログ友すずさんから嬉しいコメンをいただいた。

それは「ごめんなさい」というタイトルで
『冒頭の3行を読み、思わず吹いてしまいました💦
熱いお茶をすすりながら、皆様のブログを拝読することが多いのですが、
今回はお湯のみを手にしていなくて良かったです。』

という最大最高の評価(?)をいただいたからなのだ・・・。
何故嬉しい評価?・・・
一部の方は私の過去の記事や写真などから私がスキンヘッドで
あることをご存じだが、このスキンヘッドが感知(?)した冷気のことを
すずさんは早くも察知し、『思わず吹いてしまった』という私にとっては
嬉しい言葉に繋がったからなのである。

そしてなぜ?・・・
私のスキンヘッドは一般のスキンヘッドと違い、ただ形やその輝き
だけではなく、自分で言うのも憚られるが(?)凄い能力(?)を持って
いるのだ。
それは?・・・
驚くべき(?)センサーとしての役目や働きで、風や温度は勿論、
その最大たるものは雨を事前に察知することなのだが・・・

スキンヘッドの人なら髪のある人よりも早く頭部にあたる雨に気づくと
思うが、私の場合はその雨粒が肉眼では見えない状態でも・・・
そう、例えば「グラニュー糖」の一粒の三分の一、四分の一位の
微細な雨粒が頭部に一滴二滴当たってもすぐに雨だと感じるのだ。

そんな機能を持つセンサー(笑)だから空がまだ明るいうちに
やがて降る雨をいち早く察知することができるのだ。

それが何?だから何?・・・
他愛もないことで何の役に立つかと言われると返答に困るし、ただの
つまらない自慢話(?)のようになってしまうが我が家では時折
役に立っている。

『ほんまかいな』『ホンマでっか?』と言われそうだが・・・・
『お~い、おかあさんっ、雨が降ってくるから洗濯物を・・・・』という
ケースやすぐ近くのスーパーへ行く時なども空は明るく晴れていても
一旦外へ出てみてセンサーが検知すると『傘を持っていった方がいいよ・・・』などと。

一昨日も大活躍(?)
午後、庭での筋トレ中、上空にはまだ雲は見えなかったが私の頭に例の
「グラニュー糖」が一粒・・・雨はすぐにはやってこなかったが洗濯物を
取り込んだ10分後にはポツポツと振り出し、センサーが経年劣化
していないことに一人満足。
『意味のないことにも意味がある・・・』などと自分に言い聞かせ
ほくそ笑んだ姿がガラス戸に映ったがその向こう側にいた妻は
全く気づかなかったようだ。
『いつも、いつでも元気炸裂!』の熱い血が体中を駆け巡って
いるのだから経年劣化はまだまだ先だと考え、今日も明日も明後日も
いやいや、予定どおり125歳まで力強く生きよう。


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ようやくGo Toの一時停止が発表されたが・・・

2020-12-15 09:40:21 | 喜怒哀楽をポジティブに
今週からは本格的に寒気が日本を覆う・・・と報道されていたが
確かに昨日は朝から先週までとは違い、窓を開けると冷たい空気が
顔やスキンヘッドの頭部に敏感に感じられた。

それでも日中は思ったよりも外気が下がらなかったのかポストへ
投函するまでの距離も特別寒いとは感じなかった。

しかし、夜になってからの冷え込みが各地で雪となり、横浜でも微かだが
雪の降る様子が見られたようだ。
今日は今年一番の寒波が東北や北陸に・・そして名古屋あたりでも
雪を降らせるというニュースが流れた。

北海道をはじめ雪国の人達は除雪作業には慣れているとは言え、やはり
大変なことには変わりない。
コロナでも気を遣い心身共に疲労も重なることだろう。

その場凌ぎの政府の対策がついに連日「過去最多更新」の感染を発生
させている事にようやく気づき始め、昨日Go Toトラベルの一時的な
一斉停止が発表された。
しかし、遅すぎる・・・。

何としても経済を回したいと考えている政府にとって医療関係や
分科会の意見や要望を受け入れず、Go Toが感染拡大の要因では
ない・・・などと言い、停止は考えていないとしていた菅首相も世間の
厳しい目と支持率の降下にようやく動き出そうとしているがその根底には
政権の維持に執着する様子がありありと見える。

急転直下とも思える方針転換に旅行者や旅行会社に、そして受け入れる
事業者にも混乱が起きているようだ。

遅きに失した・・・という感じではあるがそれでもこれ以上の感染拡大を
防ぐには人の移動をとめることだと言われている、
特に感染者数の多い地域への移動は地方への広がりを招くことにもなり、
経済をとめてでもやるべきであろう。

そのかわり必ず補償を伴うものなければならないのは言うまでもない。
医療関係者からは連日苦しい悲鳴のような声が聞こえてくる。
たたでさえ大変なのに年末年始に感染者が多発増加すれば
医療従事者達は休む暇もなく、心身共に大きな被害を受けることに
なるのだ。

ニコニコしながら『みなさん、こんにちは、ガースーです』などと
言ってる場合じゃない・・・
その場を和らげようとした発言だとしても不適切の最たるもの。
炎上するのも当たり前である。
国民の代表はもっともっと国民第一の考えで発言、行動すべきであろう。

私も浅薄な知識ではあるが過去何度も記事内でこの補償を伴った
大きな対策には戦闘機購入やイージスアショア対策を含む防衛費削減、
など国としての最大限の決断が必要だと書いてきた。

いまコロナによるこの大変な国難とも言われる中で、「敵基地攻撃能力」
を持った軍備が語られる・・・という嘆かわしい状況にも私たちは小さくとも
声を上げ続ける必要があるのではないだろうか。




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リタイアに関するいろんな考えや声・・・そして行動

2020-12-12 10:01:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
私の友人や知人たちはリタイア後の人生について実に色々な
考えを持っていてその行動も様々である。

バリバリ働いている頃から『定年後は365日ゆっくりと過ごし、時々は
好きなことをする程度で基本的には何もしないで一日中
テレビを見たりして過ごしたい・・・』 と言っていた知人。

また『定年後も心身の健康のためになるべく長く働いて常に
何かの刺激を受けるような生活をしたい・・・』と言っていた友人。

『長い間働きづめだったので定年後はできる範囲内で今まで
できなかったことをやったり趣味を見つけてみたい・・・』と言う人など
いろいろ・・・。

童謡の「船頭さん」の歌詞は
『村の渡しの船頭さんは、今年60のお爺さん・・』から始まる。
昔は60歳でお爺さんと呼ばれていたが現在の60歳はまだまだ
若い・・・という認識を持つ人が多いと思う。

定年延長や第二雇用として60歳以後も働く(働ける)環境も少しずつでは
あるが整って来つつあるのではないかと思う。
私のように定年後は全く違う職業を選ぶ者もいれば、役職や給料は
下がっても慣れた職場で経験を活かして会社に貢献する・・という人達も
多くなってきている。

私の仲良し仲間『爺さんカルテット』の4人のうち私を除く3人は定年後も
第二雇用でそのまま同じ会社に勤め、その後一人は家庭菜園を楽しむ
ために65歳で仕事を辞めた。

後の二人は65歳でリタイア後、少しゆっくりと過ごしたが、やはりじっと
していることに耐えられず現在も週に3日ほどアルバイト的に働いている。
彼らはお金が目的ではない・・・。

私は過去何度も書いてきたが定年(60歳)以後は大好きな車の運転を・・
ということで運送業に就き2年半前(当時76歳)に妻の病気のサポート
のために元気なまま仕事を辞めるまで16年間、全国を走り回ってきた。
このように大の仲良し仲間の『爺さんカルテット』は全員元気なうちは
体も気持も動かそう・・・ということで現在もそれぞれがまあまあいきいき
としているように思う。

私の住むマンションの住人の中には定年を待ってましたとばかり、
リタイア後は何もしない人も少なくないように思う。
彼らは時々はゴルフバッグを車に積み込み出かけるようだがまさに
悠々自適・・というような毎日を送っていることに満足し、自宅に閉じ
こもっていることにも苦痛などは感じていないという。

それはそれで誰も文句など言う筋合いのものではないが、私たち
(爺さんカルテット)は4人とも何か考えたり、動いたりしていることを
楽しく思っているのでやはりひとそれぞれ違うのだなあと思う日々である。

そんなある日、町内会の清掃の日に若者から私たち高齢者にちょっと
辛辣(?)な言葉が投げかけられた。
彼、曰く・・・
『あなたたち高齢者は本当に恵まれていると思う・・・あなたたちが
のんびりと余生を過ごせるのは自分たち若者が支えているからなんだ・・・』。
『他人のために働いていると思うと情けないし腹が立つ』と。

そしてさらに・・・
『自分たちがその年になる頃には年金などもらえないかもしれないのだ・・・』
『確かに長い間働いてきたのだろうが遊んで暮らしていけるのは若者の
お陰であることをわかってほしい・・・自分たちが納めたお金で暮らしているのだから』
『できることなら自分も仕事などせずにのんびりと遊んで暮らしたい・・・』
『今すぐにでもやめたいと思っている・・・しかし生活ができないから仕方がない』
『自分は60歳以後は仕事などする気は全くない・・・』とも言っていた。

私たちはあえて説教がましいことは言わなかったが、高齢者の丁寧に語りかける
言葉にその若者は『わかっているつもりだが言い過ぎたかもしれない・・』と
最後は謝るようにして帰っていった。

これは勿論すべての若者の意見ではないし一方的に批判、非難はできないが
仕事の中にやりがい、生きがいのようなものを感じていない様子に時代の
違いとはいうもののちょっと寂しく感じた。

好きな仕事に就ける人はそんなに多くはないのかもしれないが、仕事を通して
何かを感じ、多少ではあっても達成感などにたどり着くことは不可能では
ないと思う。
本当に自分のやりたいことを見つけたいのならある程度のリスクも含め
大きな決断が必要な事も多いと思う。

このブログを通して知り合えた人達の中にも勇気ある決断をされたからこそ
今がある・・・という方々もいらっしゃることを思うと若い世代にも「惰性で・・」や
「生活のために」やむなく・・・という考えは変えてほしいと思う。

高齢者はそれぞれいろんな荒波も乗り越え、苦節何年・・・という結果が
今の生活に結びついているケースも多いのではないだろうか。

自信過剰になる必要はないが、自分の仕事や人生にやりがい生きがいを
感じて歩いて来たことを密かに誇りと感じるのはその先の人生でもきっと
良い結果に繋がるのではないだろうか。

私も自分なりにいつまでも「矜持」を持てる高齢者でいたいと思っている。



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コロナ禍でも心和むひととき・・・その自然に感謝

2020-12-11 09:52:28 | 喜怒哀楽をポジティブに
今週が年内最後のぽかぽか陽気になるかもしれないという予報が
あったが振り返ると確かに今週は良い天気続きだったと思う。

今日も朝からすっきりと晴れているが明日明後日の関東南部
(埼玉、東京など)は晴れ間が見えない土、日になるようだ。

朝食後、庭に出ると空気は冷たいが風もなく太陽の光も広く広がり
隅々まで降り注いでいるように見える。
かなり前から咲き出した真っ白な椿の花はこの恵みの光を浴びて
更に勢いを増して咲き誇っているようだ。
フェンスの生垣から顔を覗かせているサザンカの花の数も増えてきている。

いつもは年が明け、一段と寒くなる頃に咲く少し離れたところの紅い椿も
3日前ぐらいからポツポツと咲き始めたが今年は例年になく早い。

顔を上に向けるとハナミズキの枝に見事に紅葉したまま残っている
10枚ぐらいの葉の一部が太陽の光を受けて何とも言えない紅色に
変化しているように見える
光の半分を葉の中に閉じ込め、四分の一をはね返し、四分の一を
葉の裏側まで通過させているような不思議な色・・・

赤や紅色というより紅色が更に変化したこの世にたった一つのここだけに
見られる色・・・見る角度によっても少し違うようだ。
葉の先端やふちの少し丸まった部分は少し濃く、光を大きく受ける真ん中は
更に鮮やかな「不思議色」に・・・

その「不思議色」は襟元から入ってくる冷たい空気に気づかないほど
私をうっとりさせてくれた。

国民が納得できる方針や実効性のある対策がなく、連日「過去最多」
「過去最多」と感染者数が報道されるコロナ禍のこの時に
こうして一瞬でも心を和ませてくれる自然の様子とそれを感じることが
できる今の自分の状況に感謝したい。
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