『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その6.

2019-02-28 10:27:37 | 喜怒哀楽をポジティブに
第6弾 定年後

第5弾の起業の後5年が経過したころ、私の病気による業務の停滞で契約を履行できず、
違約金等の支払いなどもあり、会社を閉鎖することとし、弟が個人企業として自立。
私は鬼のように攻め立てる血も涙もない銀行との縁を切るために自宅を売却し、
借入金などを返済して再び企業人として再スタート。

転職した先の面接時に第4弾の記事内の自覚と自信でその後も実践してきた『私ならできる』
『私だからできる』さらに『私でなければできないことをするために・・・』と強く訴えたことが
巧を奏したのか有名企業へ無事採用され定年後までの16年を過ごす。

前述のとおり銀行への返済のため自宅を売却したので10年ほど社宅での生活が続いたが
55歳の時に現在のマンションをローンで購入。
通常、55歳で35年ローンはあり得ないし、許可もされないと思うが自分の力は何ひとつ
なく、すべて会社の名前と業績のお蔭でローンを組むことができたのだ。
定年退職後16年経過した現在もローンの返済は続いているが・・・

さて、定年後に大きな影響を受けた人について語ろう。
昔から車やバイクが好きだったので定年後は毎日好きな運転ができる「運送業」に就いた。
自車を持ち込み業務委託という形態の委託先を見つけ、仕事を請け負う形の運送業で
予想どおりスタート時はクライアントを見つけるのも一苦労・・・そして運送業特有の
慣習やシステムなどにより苦戦続きの毎日・・・

そんな時、期間限定で紹介されたのが郵便局の荷物の配達の仕事。
そのA運送会社はI社長をはじめ社員全員が新参者の私を温かく迎え入れてくれて
仕事はきついが精神的には本当に大満足という楽しい日々が続く職場であった。
A社の取引先にはいくつもの郵便局があり、I社長も一番大きいこの郵便局には
毎日顔を出しみんなの労をねぎらう姿にみんなの力も集結していた。

ある日、集荷中の私にその局の担当課長がいきなり『明日から口髭を剃ってくるように・・・』と
上から目線で指示してきた。
私は第5弾の話のとおりこの口髭には深いわけが在り剃るわけにはいかない・・・という旨の
話をし、作業を続けた後にI社長にそのやり取りを報告した。
I社長はその課長には自分が話すから気にしないように・・・と笑っていた。

その後、数日経ち、その課長が再び私の前に現れ、『I社長から話があり了解したけど
髭がいいってことじゃないので・・・』と口ごもり、さらに『外へ出る配達中はいいんだけど
局内に戻ったらマスクをつけてくれないか?・・・』と意味不明な発言。

理由を聞くと局内でのマスク使用は自分が上司に叱責されないようにするためだとのこと。
上司である部長から『あいつまだ髭を生やしたままじゃないか・・どんな指導をしているんだ』
ときつく追及されるのが嫌だからだということだった。

外出先(届け先)の顧客がスキンヘッドで髭を生やした人物(私)に不安や不信感を持つから
配達時はマスクをつけてくれというのならまだ少しはわかるが局内で課長が自分の保身の為に
マスクをつけろと言われるなら私は退かせてもらう・・・とその場を去り、I社長には私が
このまま続けることでこれ以上ご迷惑はかけられないから仕事から外してほしいと話した。

スキンヘッドに口髭という風体の私に警戒心や不安、不信感を持つ人がいることは充分
理解しているし、それを払拭してもらうために私は社会人としてスタートした最初の勤務先
M社の社是であった『親切、ていねい、愛想よく・・』を笑顔と明るい応対で実践しており
配達時の言動にも自信があったし、周囲の人たちもそれを認め、理解をしてくれていた。

I社長は課長にその場へ来てもらい、みんなの前で『嶋さん(私の通称)に髭を剃れと
いうのなら我々全員が今日限りここを撤退する・・・』と強い口調で課長に、更に部長へと
抗議を重ねてくれた。

I社長は埼玉県の大きな郵便局4つの配達を任されるほど信頼と実績ある人だが
誰からも謙虚で穏やかな人だと思われており、上記の言動を見る社員たちや局員たちの
驚きの表情はその場の空気をし~んとさせていた。

その後、自らは問題に近寄らず部下に陰湿に押し付ける部長や小心者の課長たちの高圧的な
態度はすっかり鳴りを潜めたが、I社長は何事もなかったようにニコニコと親しみのある
笑顔と穏やかな口調でいつもどおりに一人一人に労いの言葉をかけてくれていた。

仕事の提供者である郵便局という大きな組織に対しても契約解除や損得などを顧みず
社員やたとえ臨時の従業員でも部下の一人一人を完全に守り、信念を貫き通すという
I社長の気迫には何か崇高なものを感じ、さらなる尊敬の心を抱きその後も交流させて
いただいている。

今、私は定年後に16年間続けた大好きな運転という仕事を家内の病気のサポートの
ため昨年5月に一旦引退し、少しゆっくりとした生活をしているが、一日中サポートが
必要という訳でもなく時間もたっぷりあるので昨年11月の下旬から週に2~3回、ジムに
通いウェイト主体の筋力トレーニングをしている。

筋トレをやる以上は食事の面でも・・・と意欲を燃やしている効果がでたのか若いころには
まだ及ばないが、筋肉の隆起も復活し、ますます楽しみを感じている。

私は午前9時から始めているがその時間帯はのジムには若者よりもむしろ定年退職者が多く、
最近は話す機会も徐々に増えてきているのでこれからも人生経験豊富な彼らから何らかの
刺激や影響を受けることがあるだろう。楽しみである。
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私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その5.

2019-02-27 10:21:53 | 喜怒哀楽をポジティブに
第5弾-社会人編-1
私の最初の就職先(株)Mは私の入社3年後には東証2部に、5年後には東証1部へと
上場し、その後も勢いを増し、我々従業員にとって給与や福利厚生面でも充分満足
し得る会社で時代背景もあったと思うが20代後半には男性社員の多く(ほとんど)
が家を建てることができるという恵まれた状況だった。

そんな恵まれた環境の下で各社員が力を養い、それぞれが仕事にも自信を持ち、
どんどん進化するシステムや体制の中で私も在籍年数と共に少しずつ責任ある
立場にあったが勤続20年を間近に控えたころある種の悩みが少しずつ私の頭に
蓄積していった。

その頃、私とは違う業界へ進んだ弟も私とは全く別の悩みを持っており、弟から
『兄貴と俺が一緒になれば必ずや成功する筈・・・』『小さくともやりがいのある
仕事をしよう』と持ちかけられ、私の心も起業へ大きく動き、二人を中心に小さな
会社を作り大波の中へボートを漕ぎだしたのである。

余談の余談で二人の悩みなどはどうでもいいのだが・・・・
簡単に表すと私は会社の強烈な締め付けとも思える管理体制と部下や後輩たちへの
自分なりの接し方に大きな相違を感じ、上層部に逆らうと下位の人たちに報復手段的な
対応がされることに大きな疑問を持っていた。
多くの成長企業にも数多く見られた現在のパワハラ的なものとも言えるかもしれない。

私は会社組織には不適格かもしれないが最近流行りの言葉で言うと一切『忖度』はせず
会社の原動力だと思っている第一線の人たちのことを優先するという立場をとり、職場の
ムード、コミュニケーションを第一とし、仕事内容や結果においても上層部には文句を
言わせないよう努めていた。

一方、弟は大学卒業後、営業の世界に入り、2度3度と転職を重ねたが、それは
自分が常にトップセールスになることによって古い体質の会社を変えていこうという
意識、意欲を持ってのこと。
ところが、転職先すべての会社で営業成績、成果のトップになっても目指す改善や改革が
叶わず、加えて報酬も自分の成績に見合うものではない・・・という不満を持っていたのだ。

そして私はある支店への異動をきっかけに自分の気持ちが退職→起業へと向かって
いることを強く感じた。
異動先の支店長との出会いは2度目でその支店長は以前から私の仕事ぶりや言動を
認めてくれていたので少し後ろめたいような心苦しさはあったが1年後退職を決意し、
支店長に申し出た。

支店長の言葉には激しく叱責したり説教がましいものはなく、理由を根ほり葉ほり聞く
わけでもなく、強く引き留めたりすることもなく私の意を汲むように頷き、少し厳しい
表情だったが笑って握手してくれた。

そしてただ一言、『家族に対する責任感を強く持つように・・・』というアドバイスに
加え、これから立ち向かうであろう数えきれないほどの「苦難」「困難」に立ち向かう
ための決意を促すということだったのか再び厳しい表情で私にとっては思いもよらぬ
『これからの人生は髭を蓄えて挑戦しろ・・・』という言葉を付け加えて私を見つめていた。

髭の意味は・・・?
そのころ髭を生やしているのは特殊な職業や人物であり、一般社会人にはほとんど
見受けられず現在のようにファッション感覚で髭を蓄えている人も少なかったし、
ましてやこれからの人生の面接。面談、商談や面接などには不適格と思われていたので
私はその支店長の言葉に『えっ?』と思った。

『私との約束を完全に果たすまではどんなことがあっても髭をそることまかりならぬ』

その後、度々この髭が原因で、面接、面談、転職、商談などが成立しないケースが
多すぎるくらいあったが、あの時すぐに理解できなかった支店長の言葉の『髭』の深い
意味を探りながら『不成立の原因はは髭だけではない・・・自分が至らないからだ』と自覚し、
めげることなくその先を目指し、むしろ励みとして挑戦意欲を燃やしてきたと自負している。

その支店長が亡くなってからもう10数年も経っている。
子供たちも成長、そしてそれぞれが社会人となったこともあり、支店長との約束はほぼ
達成しているが約束の内容は未だに家族にも語らず、今後も公表するつもりはない・・・。

何かの拍子に私の髭やこのことが話題になると次のようなことをいう人も少なくない。
『ある程度守り、達成してきたのならば既になくなった人との約束よりも現実重視で
その約束はもうそろそろ反故にしてというか終わりにしてもいいんじゃないのか?・・・』と。

しかし私はそのたった一つの約束があったからこそ今、自分や家族が裕福じゃなくとも
普通に暮らしていられるのだと思うとあの支店長の言葉を思い起こし、今後も生きる糧として
日々感謝と共に、命果てるまで守り続けていかずにはいられないのだ。
今後も感謝しながら豪語しているとおり『125歳まで・・・』生きていこうと思う。

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連続投稿・・・その4.の前に一休止して『極悪人征伐のすゝめ・・・』

2019-02-26 14:36:49 | 喜怒哀楽をポジティブに
私は毎日必ず江草乗さんのブログ『江草乗の言いたい放題』を拝見し、
私達の考えや
意見を確実にまとめ、代弁していただいているような一言一句に大きく頷き、感動している。

2月25日の『政治における民意とは何か?』の記事についてもまさにそのとおりで、
時折激しい言葉も交えながら嘘つき安倍晋三と安倍政権の愚考愚行を糾弾する江草さんの
快刀乱麻を絶つようなブログに連日溜飲が下がる思いである。

私も夫婦間では安倍晋三のことを通常『コウモリ』『走狗』と名づけ、更に『極悪人』
『大嘘つき』『卑怯者』『裏切者』『偽善者』『恥知らず』『愚鈍』『愚劣』などと
テレビの映像に向かい罵ることが多いが、少し柔らかく優しく表現しても『人でなし』
『腰抜け』『臆病者』『小心者』『腑抜け』『意気地なし』『目立ちたがり』
『ええかっこしい』程度だろうか。

史上最悪の総理大臣「安倍晋三の嘘」を検索すると100を超す数とその量の多さに改めて驚く。

江草さんのように理路整然と・・・とはいかないが私も時々安倍政権を非難するようなことを
書いたり、自民党支持派が混在する友人知人間でも激しい怒りの感情を込めて友人たちにも
『目覚めよ!そして怒れ!』とばかりに話し合ったりする。

国民の意思、命の大切さを完全に無視し、空虚で不毛なスローガンだけをもっともらしく飾り、
虚勢を張る堕落した安倍政権の無様な姿に追従することなく、我々は真に美しい日本を
取り戻すべく一人一人の小さな声や行動を結集させて悪の権化である安倍晋三を引きずり
降ろさなければならない。

戦争に向かって突っ走ろうとしている安倍晋三に対し、自民党、公明党の面々も『忖度』や
『保身』をかなぐり捨てて正面から正々堂々と立ち向かってほしいものである。
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私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その4.

2019-02-26 09:07:04 | 喜怒哀楽をポジティブに
弟4弾は高校で・・・
高校時代にも知識に対する意欲や友人などの大切さ、人としての努力などに関して
何人かの先生の言葉に刺激を受けたが、先生との距離が近く密接、密着感があった
小中学校時代とは違い、少し距離感があったことは否めない。

ただ、幸いなことにクラスの編成は変わっても、3年間担任が同じであったことが
先生に対し素直に自分の意思を伝えることができたと思う。

担任の斎藤先生は東京の出身のようだったが、一見学者肌に見える風貌とは大きく
違い、授業中は慣れない方言も使ったりして我々生徒の気持ちも和ませてくれたり、
恐る恐る職員室へ行って話しかけるとすかさず時間をとってくれて気軽に軽やかに、
にこやかに対応をしてもらったことが心に残っている。

我々の子供の頃の高校への進学率は現在とは大きく違い、学びたくても高校へ進学
できない仲間たちも数多くいた。
その当時は高校へ行くのは大学への進学を目指すというケースも多く、私が選んだ
高校も普通科ではほとんどが大学受験に向かう進学校だった。

そのころの我が家は子供が5人で次男はすでに公務員として働いてはいたが、長男が
ふらふらとしており、教師であった父親の給料では姉や私と私の後に続く2歳下の弟とが
大学へ行くと重なる時期が2年間もあることを考え、私は3年の1学期に進学を諦めようと
思い斉藤先生に相談したのだ。

先生は強く進学を薦めてくれたが私の『私は自分で自分の道を切り拓く・・』という
意思が強いことを感じて執拗に進学を薦める両親を説得してくれたのだ。
その時の『君ならできる・・・』という言葉が後の私を大きく変え、現在の『私ならできる・・・』
や『私だからできる・・・』とまで自信を持たせてくれたものだと思う。


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私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その3.

2019-02-25 12:03:43 | 喜怒哀楽をポジティブに
そして第3弾!
中学1年の担任であり、野球部顧問兼監督であった小松先生・・・
この先生には『正々堂々』『威風堂々』『毅然たる態度』や何事にも『怯まない』
『怖気づかない』『臆病にならない』などに繫がる『正義感』や『勇気』などを
身をもって教えられた。

野球では『攻撃野球』で勝利のためにバントを多用し1点を守るという戦法ではなく、
打って打って打ちまくる野球・・・3点取られたら5点、6点取って打ち勝つ、10点
15点取られても諦めずにそれ以上をとることを目指し、絶対に諦めない・・・
そんな野球で全員を鼓舞する、全生徒の士気を高める・・・という姿勢を強く教えられた。

後に攻めだるまと言われた蔦文也監督率いるあの『やまびこ打線』『さわやかイレブン』
のように全員がグランドを駆け巡るイキイキとした野球を教えられた。

攻めだるまの蔦監督は時にはバントも仕掛け、犠牲となり走者の進塁を助けた選手へも
労いや殊勲を含む言葉をかけられていたそうだが小松先生の指導で池田高校と違うのは
バントは一切なし・・・ということで、日常みんなが打って塁上の仲間を迎え入れるために
練習しているのだから全員が主役…という意味ではそれぞれがその意味を理解して
バットを振っていた。

小松先生は勝つことよりも負けた時の気持ちや次への心構えのようなものを尊重され、
何度も優勝を成し遂げた蔦監督がその後に言われた『人生は何事も勝つことに比べ、
負けることが多いことやその時にどう対処するかが大切であり、人を成長させるのだ』
という意味と同じ言葉を繰り返し繰り返し話され、それが社会人になってからの私に
大きな励みとなっていろんな局面で私を奮い立たせてくれたのである。

1974年ごろから1990年代まで甲子園を沸かせたあの池田高校が活躍し、蔦文也監督の
人物像が語られることになった何十年も前に同じような教えをする先生がいたのである。
今、70代後半の私たちも何事においても常に先生の教えを忘れないよう、そして微力
ながら伝えていくようにしたいと強く思う。

子供の頃から現在まで私の一番好きなスポーツが野球であることの一つの理由が
この小松先生の教えであり、その後もずうっと大きく影響しているのは間違いないと思う。

高校では憧れであった「高校球児」になりたかったが親の意見の『勉学とは両立しない・・・』
などという今では考えられない理由の声を尊重する格好で諦め、望みが叶わなかった。
その悔しさや反動もあり社会人となってからは社内のクラブや友人と『草野球』を楽しみ、
その中で胸に刻み込まれた小松先生の教えを実践すべく61歳まで現役で楽しんだのである。


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私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その2.

2019-02-24 08:06:49 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日に続く第2弾!も先生の話になるが・・・

小学校5、6年生の担任の要門先生には色んな事を教わったがそのほとんどは先生が
教える・・というより生徒自らが興味をもって取り組むという気持ちにさせてくれたり
関心を持つきっかけを作ってくれる・・という兎に角自主性を重視して見守りながら
必要に応じて的確なアドバイスをするという先生だった。

その風体は背が高く顏はそのころの俳優(脇役)の『伊藤雄之助』にそっくりな感じで
顔が長すぎるくらい長く、眼鏡越しの目が少し怖い感じもする先生だったが、常に笑顔で
話し、激しく叱りつけるようなこともなく我々にとっては正にすべてにおける『万能選手』の
ような存在だった。

数えきれないほどの思い出の中で先ず思い出されるのは理科室の天井に天体の大きな
模型を作り、ロープを引くことによって星座などが回転や移動するという大がかりな
仕掛けで子どもたちに遊びのような感覚で宇宙や星座に関心を持たせてくれたたこと。

またみんなが海の生き物にも興味を示し、その名前や形を楽しみながら覚えられる
ように放課後、交代で近くの漁港へ行き漁業組合の人たちから数多くの生物をもらい、
それらを解剖したりホルマリン漬けの標本を作ったりしたこと。

その時にホルマリンの有害性や取扱いも教えられたが実際にホルマリンを扱うのは
先生だけで私たちはでき上がった標本のビンに名前を付けたり、魚などの種類によって
あれこれと並べ方を変えてみたりして楽しみながら名前を覚えたものである。

私個人として要門先生に大きな影響を受けたのは本を読むのが好きになったことだろう。

先生は授業が終わると、或いは歴史の授業中などは特に歴史上の人物のみならず、
物語内の人物や戦記物などの話をまるで講釈師のように面白おかしく語ってくれて
我々生徒たちが先生の話に夢中になり次はどうなる?どうなる?・・と関心が強くなると
もっともっと詳しく知りたいのならば「何々の本を読むといい・・・」などと読書に興味を
向けさせてくれた。

それは歴史上実在する人物に限らず、寓話のように擬人化されたものや、講談のように
ハラハラするもの、『宝島』のような冒険もの、映画化された小説や物語など・・・・

現在とは違いその当時はどんなものでも本から知識を吸収することが多かったので
本に親しみ本から学ぶというそのきっかけになったと思う。

また社会科の授業の時などは出てくる県や地域に関することなどにも関心が持てるように
クイズ形式で表したり・・と、とにかく興味への水先案内人のような接し方で学校へ行くのが
本当に楽しかったことをいくつになってもこれからもずうっとあの長い顔に似合わない
素晴らしい笑顔と共に思い出させてくれることは間違いない。


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私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その1.

2019-02-23 09:46:49 | 喜怒哀楽をポジティブに
誰しも現在の自分に少なからず影響を与えてくれた人物が何人かはいるだろうと思う。
私の場合も自分の考え方や生き方の指針のようになったのは両親をはじめ、
その多くは学校の先生によるものが大きい。

小学校3年生の担任だった田中先生(女性)は私の母の教えと全く同じで「嘘」「怠惰」
「約束を反故にする」「劣等感」「卑屈」などに対する注意や教えには厳しく、常に
仲間や他人を思いやる精神を小さな例えに出して語り、どんな時でも正々堂々、明るく、
元気に、楽しく生活するという姿勢を持ち続けることが肝要だと言い続けておられた。

その田中先生との忘れられない強烈な思い出が時折蘇ってくる。
みんなでやるべき教室の片付けや掃除をある時、私がやらずにそれを注意されると
何かの理由をつけて誰かのせいにして言い逃れをしようとしたことがあったのだが・・・。

みんなが下校する時間になる少し前、先生はそっと私に教室に残るように言われた。
そして・・・前述の事件(サボタージュ)のことを優しく丁寧に諭された後に、
静かな口調で『しばらく級長のバッジを預かるから外しなさい』と言われたのだ。

現在の小、中学校では『学級委員』とか『委員長』などというのかもしれないが
私たちの子供の頃は旧制度の『級長』という名で呼ばれており、きれいな桜の花びらの
模様のツルツルとしたバッジの中心に大きくその『級長』という文字が浮かび上がっていた。

私は子供心にバッジ返却を最大の屈辱と感じて思わず大声で泣いてしまったのである。
先生は優しい目を向けながらも容赦なく無言で『級長』のバッジの返却を促すように
そのきれいな手のひらを広げ私の前に差し出した。

私は震える指でバッジの裏側のねじを緩めて先生の手のひらに乗せた時に『級長降格』
よりも日頃からの教えに背いた罪の意識でさらなる涙と嗚咽が止まらなかった。

その日の夜、勤務を終えた先生が学校から遠い我が家へ訪ねてこられた。
そのころは電話のある家は少なく、我が家にも電話がなかったので先生の突然の訪問に
私から話を聞いていた母も驚き、恐縮していた様子を今もはっきりと覚えている。

先生は多くを語らず、いつもの優しい笑顔で私の手を取り『級長』のバッジを握らせて
くれたがその時、私の心にはいつものいろんな教えの大切さが更に大きく強く深く
刻み込まれたのである。

その田中先生には中学生の頃に2、3度お会いしたがそれっきりになっている。
ご存命ならばまもなく100歳になると思うがご無事ですごしていらっしゃるだろうか?












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バイトテロには厳罰を・・・

2019-02-20 09:30:54 | 喜怒哀楽をポジティブに
連日バイトテロなる映像、動画などが報道されている。
何と嘆かわしいことか・・・

食品や料理に関するものも多く、こんな状況が続くと飲食店での料理や
コンビニでの買い物には余計な神経や過度な注意を払わなければ
ならなくなるのでは・・・と思う人たちも多くなり、目の前で
調理したものや、密閉、密封されたもの以外は避けようという意識も
強く働いてしまうのではないだろうか。

直接の関りはないかもしれないし、彼らの言動とは違う問題かもしれないが
私たちが子供の頃から厳しく言われた「食べ物を粗末にするな・・・」とか
「茶碗のご飯は最後の一粒まできちんと食べよ・・・」などという
教えや行動はどうなっているのだろう。

放送された映像内容のほとんどが、単なる食品の無駄や不適切な行い
などで語られるものではなく、不衛生極まりないものであり、病気や人命に
かかわるものにまで発展しないとも限らないのである。

これらは決して許されるようなものではなく評論家やコメンテーターたちの
意見、解説、説明なども当然ながら否定的ではあるが、ある種の『自己主張』や
『自己顕示欲』という意味や見方もできるなどという意見を述べる人もいる。

確かにそういう意識があるかもしれないということには私も多少納得できるが、
報道されているようなものには『自己主張』や『自己顕示欲』のように
ある意味で「自分を主張したい」とか「自分が中心となって意思や行動を表す」
「自分の能力や行動を認めてほしい」「私ならできる」「私だからできる」
などという積極性や前進的なものとは程遠い単なる『愚劣』『愚行』だと思う。

このようなことはただ単に解雇や諸々の保証や賠償責任などにとどめず
殺人や凶悪犯同様大きな犯罪とみなし法の整備を整え、重罪を課すべきだと思う。

常に臆病で卑怯なコウモリの態度をとり続ける安倍政権を一刻も早く倒し、
アメリカから買う武器のお金で刑務所をたくさん作り、大小を問わず犯罪者を
『牢屋』へ叩き込むことが抑止効果となり、またしっかりと更生させることによって
小さな犯罪をも発生させないという状況を作ることがが急務なのではないかと考える。


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身近な野鳥の動きを楽しんで・・・

2019-02-19 12:25:00 | 喜怒哀楽をポジティブに
夫婦で日常の買い物のためにスーパーへ向かった。
我が家から500メートル位のところにある『東宮原防災広場』の横を
通るとヒヨドリの群れが幾つかのグループに分かれて3本の木の枝を
大きく揺らしていた。

この広場は大きな病院の跡地に作られ、芝生が敷き詰められているので
子供にも安全であり普段は公園として利用されているがいざという時の
防災の拠点としての役目も担っている。

今はまだ寒いので親子連れも少なく、子供たちのはしゃぐ声なども聞こえて
こないが今日は温かい陽射しの中、日向ぼっこでもしているのか腰をかがめた
おばあちゃんたちの姿があった。

ヒヨドリたちはおばあちゃんたちを警戒するような様子もなく、それぞれが
強く自己主張するかのごとくあの独特な甲高い声で囀り、枝間を動き回っていた。

私は子供の頃から野鳥に関心を持ち、同級生の辻清臣君たちと一緒にその動きや
飛び方などを真似したり、枝で顏や坊主頭が傷つくことなどなんとも思わずに
木に登ったり藪の様な中へ入ったりで小鳥たちの巣の形状や卵の色や模様、
大きさなどを見て興奮気味に話し合ったりしたものである。

市街地に隣接する林や畑や草むらだけではなく街中でもよく見かける小鳥の中で
ヒヨドリ、ムクドリ、ツグミなどが木々の枝の間をうまく利用して作るその巣は
雀や鳩やカラスのように大雑把な作り方ではなく、実に繊細で綺麗なおわん型に
丁寧に作られており、彼らの卵の色、模様と共に驚くほど綺麗なので機会があれば
是非多くの人たちに見ていただきたいと思う。

ヒヨドリは灰色の羽に覆われた雌雄同色なのできれいな色ではないが、頬に褐色の
大きな模様があり尻尾が長く、少し羽ばたいては羽を閉じて波型の様に滑空する
飛び方にも特徴があるのでそれなりに可愛いのである。

群れで行動することが多いムクドリは全体的に黒っぽく、嘴と足がオレンジ色で
頬と腰のあたりや羽の裏側が白く、木や電線に止まっていても地上に降り立っても
落ち着きのない動きが他の鳥と見分けがつきやすく子供達にもすぐ覚えられるので
子供連れで外出の際、見かけたら親子で話し合っていただきたいと思う。

雀を少し大きくしたようなツグミはピョンピョンと飛び跳ねては立ち止り、体を
そらすようにして胸を張る可愛い姿のこの特徴を真似て私たちはその名前を覚えた。
ツグミはこの時季単独で行動することも多いので雌雄の見分けが難しいが、複数を
見かけた時には羽や胸の模様が濃いほうがオスだと思って観察していただければ
いいのでは?・・・と思う。

いずれも小鳥の動きや表情がは可愛いので多くの人に親しんでもらいたいと思い、
ついつい浅薄な知識が出てしまったことをお許し願いたい。








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極悪人安倍晋三は「為政者」ではなく「偽政者」であることに怒りを・・・

2019-02-17 10:46:34 | 喜怒哀楽をポジティブに
自分自身は勿論だが多くの人たちの意欲や勇気、士気を鼓舞したいという意味も
含めて『いつも、いつでも、元気炸裂!』を謳い『喜怒哀楽をポジティブに・・』
と共に実践しているつもりの私だが最近は『喜怒哀楽をポジティブに・・』に
少し陰りが射しているのでは?と自問自答することがある。

それは稀代の極悪人安倍晋三の言動に起因するものでここ数日間の彼の言動に
対する怒りが収まらないからである。

私たちの世代に限らず日本人なら子供の頃から「正直」「嘘」「真面目」「親切」
「誠実」「怠惰」「約束」「裏切り」「卑怯」などに関する教えや実例などを
見聞きし、それぞれがその意味や重要性を認識、体験などしてきたことと思う。

そして「嘘つき」「裏切者」「卑怯者」などと言われることを最も嫌い、いつ
どんな時でもそういう「最大の恥辱」の当事者になることがないよう教えられたり
伝えられたりしてきたものだと思う。

ところが現為政者の安倍晋三はごまかしたり嘘をついたり約束を破ったりすることに
ひとかけらの罪の意識がないどころか、奢り、傲慢、更に不遜な態度をとり続け、
あろうことか『言論の自由』までもはき違え、先の『森羅万象』の発言同様『無知無能』を
さらけ出しても自ら『厚顔無恥』の認識は全く無くなんとも思っていないようだ。

この『稀代の極悪人』は決して『為政者』じゃなく『偽政者』であることに我々
市民は怒り、本当の『言論の自由』を掲げ、必ず排除しなければならないと考える。

私は過去のブログで彼のことを度々『コウモリ』と言い表していたがこのコウモリは
単なる「お調子者」ではなく、完全な卑怯者なので「卑怯」を最も嫌う私は「蟷螂の斧」
と言われようが今後も非難、非議し続け、良識ある議員たちの大きな糾弾を見届けたい。





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日本の春やその前の明るい夜明けはまだ先なのか?

2019-02-16 16:54:23 | 喜怒哀楽をポジティブに
予報にたがわず今日はやはり少し温かくなり、先程までは陽ざしの温もりを
感じていたが今また少し雲が厚くなり、風も出てきて我が家の白い椿の花と
その光沢のある葉が小刻みに揺れている。

窓のすぐそばに降り立った鳩が二羽、忙しそうに首を振りながら芝生の中を
速足で動き回り何かを啄んでいる姿が可愛くも見えるが彼らもこの時季に
餌を探すのは大変なのであろうか。

このような何気ない穏やかな光景とは違い、世の中には相変わらず、悲惨な事故や
事件が毎日のように発生している中、『羊頭狗肉』を掲げる安倍政権は弱者や国民を
顧みず相変わらず嘘で固めた効きもしない得意技を伝家の宝刀であるかのように
振り回し慢心や奢りの情けない姿をさらけ出している。

今朝報道された韓国の外務省の発表では文喜相国会議長の発言について、
河野大臣が「抗議した」という日本側の発表を「事実でない。日本側の言及はなかった」
と否定した。ということだが康外相もそのような抗議はなかったと断言しているようで、
日本側関係者のいう河野大臣が謝罪と撤回を改めて要求し、これに対する
康外相の発言はなかったと説明していることとは大きな食い違いが表面化
したことをどう説明するのだろうか。 

河野太郎と言えば自衛隊イラク派遣をめぐって国民への説明が不十分である・・・と
批判的な立場をとったり、『脱原発』の急先鋒のような発言もしていたはずなのに
その一方で佐賀県知事選挙では玄海原発再稼働の容認を表明した樋渡啓祐の
応援をし支持を表明するなど彼もしっかりと保身術を会得し、安倍晋三同様の
卑怯なコウモリになり下がったのではないだろうか。

トランプ大統領が安倍首相からノーベル平和賞を推薦された・・・という発言も
あったようだが、米、露、中に対し、常にコウモリであることを続け、日本という
国の自主性や主張をしない態度はいずれ置いてけぼりやカヤの外になるであろうことに
対する懸念を持たないおバカな首相を自民党の議員たちは保身に全神経を使うような
ことなく野党と共に協力し何としても引きずり降ろさなければならないと思う。

腐りきったと言ってもよい自民党の中にも心ある議員がいることをかすかに期待たい。

日本の春やその前の明るい夜明けはまだ先なのか?





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今年も梅がいろいろな表情を見せてくれている。

2019-02-12 12:51:45 | 喜怒哀楽をポジティブに
我が家の周辺の家々の梅も咲き始めた。

すぐ近くの家の梅の木はあまり大きくはないが毎年きちんと手入れされており、
そのこんもりとした木の形どおりに咲く白梅の姿はこの寒空の下で凛として
いるようで実に美しい。
そしてほのかに漂ってくる優しい香りが気持ちを穏やかにしてくれるようだ。

また旧家の大きい庭に何本も並べて植えてある大きな梅の木には少し濃いピンクで
艶やかな花が競い合うように咲いており、その姿はこの寒さにひるむことなく
大手を広げて周りを圧倒しているように見える。

これから全国各地の梅の名所と言われるところには観光客が訪れ、いろんな思いを
もって見たり楽しんだりすることだろう。

関東圏にも多くの名所があり私も何ヵ所かへは行き、それぞれの梅の顔や
形、そして香りを楽しませたもらったことが鮮やかに蘇るのは梅の木が
周りの景色と一緒になって醸し出す風景が好きだからだと思う。

中でもまもなく(2月中旬から)恒例の梅まつりが開催され、100種類もあり
その数3000本を誇る梅が次々と咲く水戸偕楽園はやはり上位にランクされるのでは
ないだろうか。
26年前、私が50歳の頃に若いバイクの仲間達とツーリングの途中偕楽園へ寄った時、
園内の前方に振り袖姿の「水戸の梅娘」たちの姿が見えたのでこの機会に全員で一緒に
一刻も早く写真を撮らせてもらおうと仲間が競って通路を走り、私ともう一人が
「水戸の梅娘」たちの直前で同時に躓き、大きく転んだ時に手を差し伸べてくれた
梅娘たちの笑顔が大きな笑い顔となって私たち二人に向けられていたことが懐かしい。

現在は(2001年ごろから)『梅娘』ではなく『梅大使』という名前で茨城を
代表する観光大使として活躍しているがこの「梅娘」という歴史もかなり長いようである。

今、3月のカレンダーに「偕楽園行き」と書き込んだ。

もう一つ思い出に残るのは『吉野梅郷』の中にあった『青梅市梅の公園』。

ここも東西4キロにもわたる広い自然の中にやはり100種類以上の梅の木があり、
梅まつりも開催されファンには人気の梅林だったが平成21年にこの地区で
「ウメ輪紋ウィルス」という菌が発見され、青梅市内では多くの梅の木が伐採され、
その感染が拡大されないように・・・ということで平成26年5月にはすべての梅が
伐採されることになった。

その春、これが梅を愛でる最後の春・・・ということで観に行ったが、静かに、
綺麗に咲く数々の梅樹との別れを惜しむ人たちの姿がなんとなく寂しそうでもあった。
私も数多くの写真を撮り保存しているがあれだけ歩いても全く疲れを感じなかったことや
綺麗で最後まで崇高な姿を見せてくれた梅の木々の表情が今も脳裏に焼き付いている。

この梅は青梅市の再生計画によりいずれまた復活される期待が持てるそうだが
道のりはかなり長いようだ。





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道路の凍結を軽視するなかれ

2019-02-09 10:20:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は関東地方の平野部でも日中は多少の積雪が予測されるという報道だったが
今朝起きた時はここ大宮(さいたま市)はその気配はなかった。

ところが8時を過ぎたころからやはり予報どおり小雪がちらつき、芝生の上が
うっすらと少し白くなってきた。

予報では夜まで降り続くことはなく、明日はいい天気に恵まれるようだが
明朝は道路の凍結が考えられるとのこと。

明日は例の『仲良し4人組』がそのうちの一人の家で早朝から会うことになっている。
いつものように車で出かける私が最寄りの駅で二人と合流して向かうのだが・・・

もちろん12月の声を聞くと同時にスタッドレスタイヤに履き替えてはいるのだが
残った雪や道路の凍結と履き替えたスタッドレス(2年目)の劣化状態を想像すると
「多少の心配」がある。

昨年5月まで仕事をしていた私は1ヵ月に6000km以上を走っていたのでタイヤは
ノーマル(夏タイヤ)もスタッドレス(冬タイヤ)も毎年購入し新しい物を使用していた。
ノーマルは4月~11月までの8か月で48000~50000km、スタッドレスは12月~3月までの
4か月で24000~25000kmを走行するのでその劣化状況から毎年交換となるのである。

昨年仕事を辞めてからは日常の生活ではそれほど長い距離は走らないし、まして冬場の
雪の降る状態では走ることもないだろうと考え、昨年のうちに新しいタイヤを
購入しなかったので前述の「多少の心配」が予想されるのである。

多少不安の残るタイヤであっても運転歴55年以上、そして雪道の運転にも
慣れていてそれなりに対応能力は充分持っているつもりなので、決して無理、無茶な
運転をするはずはないのだが、怖いのは「もらい事故」であり、不慣れや無謀による
スリップや衝突事故が毎年各地で発生しているので明日は要注意と考えたのである。


明日、道路の凍結がみられるようならば私も電車を利用することも考えるが多くの人にも
悲惨な事故の当事者や被害者にならないためにも連休中であっても心静かに落ち着いて
よく注意喚起にあるように車による「不要不急の外出」は避けていただきたいと思う。

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今年の阪神の豪快、爽快な野球に期待する。

2019-02-07 09:53:50 | 喜怒哀楽をポジティブに
プロ野球のキャンプが始まり、今月末までにいろんな話題と共に選手の調整や
仕上がりの状況が報道されていく様子は楽しみである。
新人監督の采配、戦いぶりも楽しみだが新加入の選手たちが臆することなく
力いっぱいのフルスイングで球に向かい、グランドを駆け巡る姿を目に焼き付け
『やっぱり野球が一番・・・』と何度も何度も拳を握り、醍醐味を噛みしめたい。

昨年残念ながら最下位に甘んじた我が阪神の情報も宜野座村から刻々と
伝えられると思うが、今年は強力な投手陣にFAの西勇輝やガルシアが加わり、
新加入のジョンソンの活躍も期待されるので今年は投手力が更にアップすることが
予想される。

野手陣も福留、鳥谷、糸井、のベテランと北條、大山、高山、江越、中谷、陽川などの
若手のパンチ力と熊谷、植田、島田や新人の近本、小幡などの走力を充分活かして
スタートから首位争いをリードして今年から再度指揮を執るどこかの監督のように
ランナーが出ればバント、ノーアウト1、2塁ならクリーンナップにもバントをさせるような
作戦は決して行わず、打って打って打ちまくり走って走って走りまくる豪快で爽快な野球を
展開してほしいと思う。

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虎の威を借るキツネ・・の虎でもなければキツネでもない。

2019-02-06 08:28:32 | 喜怒哀楽をポジティブに
私は私を知っている人たちの誰もが私のことを『いつも明るく元気な健康で穏やかな人』
だと思ってくれているだろうと図々しくも自認している。

そんな私だが時々は豹変し『あの声で蜥蜴食らうか時鳥』と思われかねない
ような表情で怒りの言葉を発したり抗議文を書いたりする意外な面を持ち、
時々その感情を表すこともある。

それは私にとって許せないと思う『悪』を見聞きしたような時で、小さな『悪』も
さることながらその大半は安倍政権、NHKなど大きな組織や悪徳企業、悪徳業者
などや殺人犯や人命を脅かすような輩に対して向けられるものである。

特に安倍政権に対しては心の中はまさに『烈火のごとく・・』であり、嘘で
固めた安倍政権の愚策愚行や国民の命を軽んじ、常にイソップ童話のコウモリ役を
演じる極悪人安倍晋三は絶対に許してはならないと思うし、政界から排除すべき
だと声を大にして言いたい。

また安倍晋三とその周りの人物、そして「安倍友」「安倍応援団」と言われる
企業や集団、評論家や有名人、彼ら彼女らは『虎の威を借るキツネ』らしき
行動をとっているが、安倍晋三は虎ほど雄々しくもなく威厳もなく、ほころび
だらけのただの軽いぬいぐるみのようなものであると思う。

そのぬいぐるみの空虚な威を借るキツネもどきの人たちも狡さは人一倍
持ち合わせてはいるがキツネのように賢くはなく「狡猾」という言葉の中の
狡いという要素は充分すぎるくらい持っていても「ずるがしこい」「悪賢い」
という意味の賢いという部分の要素は全くないのではないだろうか?
とにかく良くも悪くも決して賢くない人物たちなのであろう。

仮に安倍晋三を虎に見立てるとしたらそれは威風堂々の虎に対して大変失礼な
ことであり、忖度だらけの取り巻きのお調子者たちをキツネに例えるのもこれまた
キツネ様に失礼なことであるので卑劣な彼らを表すのに今日のタイトルをつけたと
いう次第。

大嘘つきでこの上ない卑怯者、そして小心者であるが故に責任を他に擦り付け、
ごまかし、すり替えばかりで明るいところが嫌いな史上最悪のコウモリ宰相を
今後もまた暗闇で自由に羽ばたかせてはならないし、常識、良識ある国民は例え
愚直と言われても正しい声をあげ、それぞれが『蜂の一刺し』の心意気をもって
悪徳政治を監視していかなければならないと思う。


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