『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

日に日に秋らしくなっていく中で昨日は敬老の日を迎え・・・

2021-09-21 09:56:09 | 喜怒哀楽をポジティブに
周りの景色が日に日に秋らしくなっていく。
埼玉の朝は今日(21日)も明るく晴れでスタート。
昨日のような真っ青な空ではないが夕刻まではこのままいい天気が続き、
その後は曇り、場所によっては雨になるという予報。
全国的にも晴れる所が多く、九州や日本海側の一部では真夏日になるようだ。

そして今日は「中秋の名月」。
2013年以来8年ぶりに中秋の名月と満月が同じ日になるという。
昨日から今夜の天気が注目され、夜に晴れる中国地方以北の日本海側の
地域や東北は広い範囲でこの名月が見られ、月見が楽しめるそうだ。

西日本から東日本の太平洋側は広い範囲で雲が広がり、雨が降る所も
あるという予報で、関東地方も一部地域では早い時間に少し見られるかも
しれないと言われているが・・・残念ながら私の住む埼玉県では見ることが
できないようだ。

こうして今日は早くも9月21日、列島を襲うこの暑さを残暑と言うには
季節が進みすぎてはいないだろうか・・・
確かにこの暑さを文字で表すと「残暑」と言えるかもしれないが
残暑見舞いを出すのも通常は立秋から8月いっぱいとされ、遅くとも
9月初旬までということから考えると暦上でも生活上でも正式(?)な
残暑とは言えないのでは?・・と思う。

昨日は敬老の日、例年行われていた町内の「敬老祝賀会」は昨年同様
中止となり、先日、町内会(自治会)からお祝いとして例年どおり
後期高齢者にセブン&アイグループで使える共通商品券(500円x2枚)と
記念品(大判タオル)をいただいたが、普段、お互いにあまり交流のない
近隣の独居老人たちの中には楽しみにしていた「敬老祝賀会」の中止を
残念がっている人もいるようだ。

「敬老の日」という言葉は大変ありがたいが、昔と違い今は後期高齢者
の姿も若々しく見える。
私自身もまだ「老い」を意識したことはない。
私たちが子供の頃は童謡「船頭さん」の歌詞にもあるように
『村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん・・』と、60歳は
「おじいさん」というイメージだったようだ。

今は還暦を過ぎても、70代になってもさらに後期高齢者となっても
矍鑠とした人を見かけることも少なくない。
それは外見だけではなく話し方、話す内容、様子や態度などからも
うかがい知れる。

私も常に「年を重ねるだけで人は老いない」を意識し、「夢や希望や
理想を失う時に初めて老いが来る」という言葉を信じて生きているつもりで、
小さなことでもいいから夢や希望、信念、そして何かで自信を持っていれば
いつまでも若く、逆に失望や不安、恐怖心、疑いなどを持ち、それが
心の中に広がって行く時に老いるのだと思う。

いつも誰に遠慮することなく『私は125歳まで生きる!、生きたいと
思うのではなく生きるのだ!」と言い続けている私はそのためにも
『私はもう79歳だ・・などと思わず、私はまだ79歳だから・・』と
思うようにしている。

不可能なことを平気で言う恥知らず、身の程知らずな奴、と言われようが
私はそのつもりで日々を過ごしている。
万が一(?)それ(125歳)を達成できなくても希望や夢を持ち続ける
ことが生きる力になると信じているからなのだが・・・・

年齢を重ねるごとに世の中との関りも少しずつ減っていき、
世の中から遠ざかったり、世の中のほうが相手にしなくなったりすると
孤独感に襲われたり、対人的な感動も少なくなる可能性も高くなるようだ。
それらも老いに繋がるのではないだろうか、
幸い、私は独居生活でもなく、悠々自適の恵まれた生活でもない・・・
この悠々自適とは言えない生活だからこそ・・・老いない生活を工夫し
楽しむことができるのかもしれない。
もちろん精神的には「悠々」であると思うし、多少の紆余曲折はあったが
嘘偽りなく歩んできた自分の道もエルガーの名曲「威風堂々」を思い描く
ように自画自賛し、満足している。
(もちろん威厳などは全くないが・・・)

「敬老」というには値しないであろう私だが敬老の日を機にこうして
日頃の自分とこれから先の新しい自分を考えてみたことは自分なりに
意義があったことだと思う。

もちろん今後も大したことはできないがとるに足らない小さなことでも
常に頭と体を動かして老化を先に延ばそうと考えている。
やることがない・・・と思った時が老いの始まりなのかもしれない。

老いを感じたりしないよう、そして老いをまだまだ先のものとするために
社交的とまではいかなくても何らかで世の中とのつながりを保ち、
無理なく感激、感動する心を持ち続けることも必要なのではないだろうか。

趣味や仲間との交流も不可欠だと思う。
幸い私には何十年もの付き合いの「爺さんカルテット」の仲間もいるし、
ブログで知り合った「友」と言える人たちもいる。
そして交流頻度は低いがお互いを気遣う古い仕事仲間たちも・・・

さらに・・・日々の生活の中ではあまり役に立ってはいないかも
しれないがいくつかの趣味や夢中になるものも持っているつもりなので
今後も時間が足りない感覚を持ち続けられると思う。

このような精神的に恵まれた環境を当たり前とせず自分自身を
弁えながら足るを知り、感謝の気持ちを忘れずに日々を送りたいと思う。













コメント (2)
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