先日千恵子選手の友人からたくさんの筍をもらい、帰りに最も仲の良い
仲間『爺さんカルテット』の家を順々に廻り、3本ずつ配ってきたが
3家族共に初物だということで大変喜んでいた。
長い付き合いでどの家族も筍が大好きであるということを知っていたが、
以前Kさんの奥さんの実家(群馬)へ一緒に筍(真竹)堀りに行ったことも
何度かあった。(毎回6月ごろだったと思うが・・)
最近(コロナ以来)はKさんも奥さんの実家へ行っても筍狩りは
していないという。
3家族とも筍と共に久しぶりに会えたことを喜んでくれたのが何よりも
嬉しかった。
我が家でも連日食卓にでているが私はやはりバターを利かせたステーキと
味噌でしっかりと煮たものが好きである。
茹でたものの一部を冷凍保存してあるが、まだまだ当分楽しめそうだ。
久しぶりに会った3家族・・・
私のブログにもたびたび登場してきたこの仲間は私が最初に就職し、
20年間勤めた会社の古い仲間たちで年齢は多少違うが人事異動などで
同じ勤務先、同じ職場などとどこかで一緒に仕事をした仲間たち・・・。
私は転職したが彼らは定年まで勤めあげ、それぞれがゆっくりとその後の
人生を歩いている。
Sさんは年齢は私と同じだが途中入社だった。
彼との交流は1995年頃、私が最初の勤務先を辞めて既に15年も経過したころ
前述のKさんの紹介で知り合い、現在に至っている。
一番短い付き合いだがそれでも27年間、家族ぐるみの交流が続いている。
彼の孫娘がいずれ「なでしこジャパン」で活躍することをみんなで期待し、
楽しみにしているのだ。
Sさんは定年退職後に始めた近くの貸農園での野菜作りもいよいよ
本格的になり、畑の面積も広くなったが野菜の種類も増え、研究熱心な
ところも功を奏し、畑そのものも元気な野菜たちで生き生きとしていた。
夫婦で野菜作りという同じ趣味を持ち遠くからでも仲の良さがわかるような
動きを観た時にはなんとなく胸が「じ~ん」と・・・・。
Tさんは私の2歳年下で1972年からの付き合い・・・
一時同じ職場の同僚で1年半ぐらいは一緒に仕事をした仲間である。
振りかえれば彼とも既に50年になる。
彼と奥さんは千恵子選手と同じ新潟県出身ということもあり、子供たちが
小さいころはよく一緒に出掛け、彼の奥さんのスポーツ万能ぶりには
驚いたことも屡・・・
一番の思い出は飯能市の名栗川(荒川水系入間川の上流)での両家族
全員揃っての水遊び・・・川の両岸に分かれ、私が川向うへ遠投する野球の
ボールを見事にキャッチしたのはその奥さんだけ・・・
彼ら夫婦は同じ中学の同級生で二人とも卓球部だったそうだが、彼女なら
そのころその中学にあったかどうかはわからないがソフトボール部でも
活躍できたのではないかと思うような動きだった。
川の中での動きも敏捷で、浮き輪に乗って遊ぶ彼たちの次女が少し流れの
速いところで悲鳴を上げるといち早く追いつき見事に確保ということも。
また、私が青いクルミの実を投げると柄のついた網でラクロスのように
見事にキャッチしたことに周りの人たちも拍手喝采!・・・
本当に楽しい思い出がよみがえる。
今回訪ねたときに近くに住む件の次女が遊びに来ており、彼女が
千恵子選手のもとへ駆け寄り『おばさ~ん』と手を握ってくれたことも
嬉しかった。
Kさんも7歳年下の同じ職場の頼りになる優秀な部下で1975年5月に
彼の結婚式に出席以来、実に47年の交流・・・
Kさんの奥さんは料理やジャム造りも得意で、実家のイチジクや
我が家で生るあの巨大な獅子ゆずのジャムなども毎年作りみんなを
楽しませてくれるのである。
このKさんは72歳の現在も週に3日ほど働く真面目さと趣味(?)の
散歩が健康維持の秘訣のようである。
彼とは昨年、獅子ゆずを届けたときに会っているが、Sさん、Tさんとは
コロナ問題発生後初めてあったが二人とも元気で安心した。
あの日は小雨が降っていたが私は嬉しさで傘をさすのも忘れるくらいの
興奮状態・・・どの家族も私のスキンヘッドに落ちる雨を気にしてくれたが
嬉しさで頭までが熱くなっている私にはむしろ良い冷却水だった。
こうして久しぶりに直接会った彼らやその家族とお互いの健康を確認
出来たことが一番うれしかった。
コロナの問題やウクライナの問題で気持ちが沈滞するようなことがあっても
お互いにそれぞれ何かで自分を元気にする術を心得ているかのような
顔の表情を見てやっぱり会って良かったと何度も何度も思ったのである。
今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』
千字文 字の練習用と共にその意味を知ることも必要
新玉ねぎを食べて頭もすっきり 高騰が治まるよう願う
元気に食べられることへの 何を見ても元気の源に
感謝! 英気と鋭気を できるよう
4月の花たちもそれぞれ 静かに頷き微笑む
思いのままに クリスマスローズの姿