我が家(マンション)の狭い庭の道路側のフェンス際に時々突如として
ミョウガが一つ、二つ(時には三つ)と顔を出す。
それはかなり前からのことで、その由来は妻が絵手紙仲間の友人から
根株をもらい植えつけたものが運よく(?)こんな場所でも育ったものだと
思われる。
我が家は二人ともミョウガが大好きでスーパーで売られている間は
ほとんど欠かさず常備菜のように冷蔵庫内に保存されている。
我が家でもミョウガは酢の物、天婦羅、薬味などに限らずいろんな
食べ方をするが何といっても酢の物が好きでたまらない私には単なる
食事時の脇役というより、主役を盛り立てる個性豊かで唯一無二の
重要な役目を、姿かたちだけではなく、本来の「香り・味・食感」などで
いかんなく発揮するエンターテインメント でもあるのだ。
今回も固くしまりプリっと膨らんだミョウガらしいミョウガが2個
同時に現れ、一個は新鮮なうちに食べよう・・と妻の千恵子選手は
その日のうちに食卓へ・・・
そしてもう1個はいつものように花の様子を楽しむことにして
ちいさな剣山に刺し、代り映えのしない普通のガラスの器にいれて
キッチンの壁際へ・・・
食事の準備や後片付けなどの間、この懸命に生きる小さな命を
見守ろう・・そしてその美しさを楽しもう・・ということで数年前からの
恒例行事(?)のようなものなのだが私の心にもその小さな姿は
一艘の帆掛け船が最後の航海に出るように見え、儚いともいえるその
命への感動が静かに湧いてくるのだ。
少し寂しくも感じるが喋ることも自分の意志を伝えることもできない
この小さな命は食事を際立たせる意味だけではなく、こうして
私たちの心を動かしたり、豊かな気分にさせてくれることで、その
姿、形は消え失せても何倍もの大きさになったような気がするだけではなく、
つぎつぎと生まれてくる小さな命はそれを私たちが見るたびにまた
新しい感動を与えてくれるものだと思う。