『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

秋空に誘われて

2021-10-30 18:16:54 | 喜怒哀楽をポジティブに
10月もあっという間に過ぎた感覚で1残す時間があと僅か・・・

『こんな天気のいい日は近くでいいからどこか秋の様子を見に行きたい・・』
という千恵子選手の言葉に反応して咄嗟に私の口をついて出た言葉が
『鴻巣のコスモスを見に行こう・・』だった。

秋の気配を少し感じたころから、『今年は必ず、荒川河川敷のどこまでも
広がるコスモスを観に行こう』と思っていたのですぐに閃いたのかも
しれない。

もう20年ぐらいになるだろうか?・・まだ今のようにコスモス畑が大きく
なる前に遠くから眺めた程度だったのが年々有名になるにしたがって
『いずれは・・・』と思っていたことからちょうどタイミングも良かった。

関東はもちろん全国津々浦々を走り回った私にとって、埼玉県はどの場所も
そんなに遠くはない・・ましてや鴻巣となれば至近距離と言ってもいいほど
近距離感覚なのである。

出かけると言っても私は改まって着替える必要もなく、千恵子選手も
ラフで歩きやすい服装で、ジャンバーを手に駐車場へ。

仰げばどこまでも続くような青空・・優しく浮かぶ白い雲に誘われるように
車は抜け道であり、信号も少ない「root shima special」を快適に走行・・・。
目指すは「コスモスアリーナふきあげ」
この場所はその名(ふきあげ)のとおり、元は「北足立郡吹上町」だったが
2005年に鴻巣市に編入され、いまは「鴻巣市明用」となっている。
吹上は私も以前の仕事の関連で馴染み深く、懐かしいところである。

1985年に町の誕生30周年を記念し、街をイメージする花として選ばれた
コスモス。
荒川堤防沿いに咲き乱れるコスモスの街道は4.5㎞にもなるという。
春にはポピーが咲き、秋にはコスモスが咲くことから「荒川花街道」と
呼ばれているらしい。
そしてその河川敷のコスモス畑には1200万本を超える赤、ピンク、白、
黄色、オレンジ、などのコスモスでいっぱい。

見渡す限り、コスモスのカラフルな絨毯というところだろうか・・・
アップの写真のとおり、この河川敷にはこの光景を遮るものは
何もなく、ただ果てしなく広がるようなコスモスと遥か彼方に
見える日本一長いと言われる赤い「水管橋」だけ・・・

この河川敷いっぱいに群生(?)するコスモスをすべて観て廻る
のは並大抵のことではない。
コスモス畑の中の道は多くの人が歩くことによって踏み固められた
土の道・・・そこを雨上がりに歩いたと思われるくぼみがあちこちに
見られた。

道路は完全に乾いていたが杖を突いて歩く千恵子選手も歩きにくそうで、
全部を見たい気持ちはあるようだったが体力のことも考え、やむなく
早く切り上げることにした。
それでも十分すぎるくらいのコスモスを見て満足・・・
土手上に設えたベンチで休息し、持参のペットボトルのお茶を
気持ちよさそうに飲み、このコスモスを夕焼けと一緒に見るとさぞかし
綺麗だろうな・・と話しながら再び車に・・・

やはり行ってみてよかったと思ったが、少し残念なことが・・
ネットの検索では10月の中旬から下旬が見ごろ・・・と紹介されていたが、既に見ごろを過ぎたようで、10日程早く行っていればさらに綺麗な光景を
観ることができたと思う。

私もスマホで何枚もの写真を撮ってきたが、自信を持って紹介できる
ものはないため、アップの写真はネットの紹介ページから拝借させて
いただいた。

以下はすべてネットより・・・






 

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早速ラム酒も買ってきて・・・

2021-10-28 15:44:59 | 喜怒哀楽をポジティブに
 

昨日の夕刻、買い物から帰ってきた千恵子選手が『ただいまぁ』の声と
共に玄関でたっぷり使ったコロナ対策用の除菌スプレーの匂いをプンプン
させながら『おとうさん、チョコレートを買ってきたから食べよっ!』と
足腰の痛みを忘れたかのように駆け寄ってきた。
美味しいと感じるものには痛みもやわらげたり、忘れさせる効用、効果が
あるのだろうか?・・・
お~っと、仮にそうだとしても・・・
テレビのCMならきっと画面の端に「個人の感想であり、効用効果のある
ものではありません・・」と表示されることだろう。

そして洗面所で手を洗った千恵子選手はテーブルを前に、既にお馴染みに
なった買い物バッグから取り出したのは赤いパッケージの「Rummy」と
いう冬季限定のチョコレート。
なんだか懐かしいような気がする。
一瞬、今年のRummyはパッケージのデザインも少し変わったのでは
ないかと思ったとおりで、後でわかったのだが案の定、写真も中身の
形態も少し変わっていた。

千恵子選手が待ちかねたように・・・
箱の裏側の開封口の先端から点線(?)に沿って開ける「プリリリリッ・・」
という小さな連続音が静かな室内には異様に大きく聞こえるような気がした。
中からキラキラした個包装の小袋を取り出し、それを開封するや、現れた
いかにも美味しそうな色のチョコを二つに折って片方を私に差し出した。
千恵子選手は先ず味見を兼ねて、自分はラムレーズンを食べられるか
どうかと思ってとりあえず半分にしたのだという。
大丈夫ならばそして残る2袋を1個ずつ・・と考えたようだ。

アルコール分3.7%の表示と共に『お酒が入っていますので、運転時などは
ご遠慮ください』と書いてある。
もう、今日は運転することはないから・・・ということでパッケージを
見ながら早速口にしたそのチョコはラムの芳醇で豊かな香りと 紛れもなく
大人の味を感じる生チョコ・・・
包装も以前の銀紙からキラキラとした個包装で・・・2本入りから
3本入りに変わっていた。

私はアルコール類も嫌いではなく、相手がいればいくらでも飲むし、
夕食のときにはだいたいビールを飲むようにしているが、飲まずには
いられないということなど全くなく、飲まない日もあるし、仮に何日
飲まなくてもどうってこともなく、依存症などとは無関係であると
思っているのだが・・・
それと同じように甘いものについても嫌いではないし、夫婦二人と
なった今も時々は和、洋を問わず美味しいと感じながら食べている。
ラムレーズン入りのものも大好きである。
ラム独特のかおりと口の中に広がる奥深い味・・・

以前は我が家でも時々パンを作っていた。
ブドウパンが・・と言うよりラムレーズンが好きな私はいつごろだったか
ラムレーズンの作り方を見て意外に簡単そうだったので
朝食がほとんどパンの私には合っていると思い、自分でも作ってみようと
干しブドウをたくさん購入し、ラムを買いに行こうとしてふと気づいた。
毎日運転することを考えると『朝はだめだ!』ということで、その
レーズンのほとんどを菓子作りが得意な娘に譲った過去がある。

チョコレートを食べる機会はそんなに多くはないがチョコレートの中では
甘く優しい味のミルク系よりもビター系のものが好きなので、そこに
香りと味を楽しむラムレーズンの入ったものやウィスキーボンボンなどに
出会うと私にとっては楽しさや美味しさが倍増するのである。

昨日、このRummyを食べたことによりまた私の「ラムレーズン造り」に
火が付いたような気がする。
「思ったら行動を・・」そして「善は急げ・・」とばかりに先程
レーズンとラム酒(小さい物)を買ってきたので明日は先ず容器の
消毒から始め、乾くころから次の作業に・・と思っている。

レシピは簡単で「腕によりをかけて・・」というほどのことでも
ないようだが初心者ということで謙虚な気持ちで臨もうと、大袈裟に
考えているのである。








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「ロンドンデリー(ダニーボーイ)の歌」

2021-10-27 17:18:26 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨年、NHKに対する憤怒の気持ちを鎮めてから昔のように朝ドラや
大河ドラマも観るようになり、昨年の「おちょやん」に続いて
「おかえりモネ」も1回も欠かさず観てきたが、ついに明後日(29日)が
最終回となる。

あの家族とその友人知人を囲む周りの人たちの温かさを感じるとともに
登場人物の多くの人たちの心の中で揺らぐ思い・・・
特に主人公「百音」と妹「未知」の間の見えない心の壁が相手を
思うが故になかなかはっきりと確認できないもどかしさ・・・

未知と恋人亮君との関係は一歩前進したと思える中でも亮君ですら
未知の心の奥底が読めない状況・・・
亮君も大学へ行くことを進めるが大学進学か否か悩む未知・・・
どうしても答えが出せない理由は何なのか・・・
未知の心の中を知り、憂鬱を解消してやりたい・・そのために妹と
語り合い心を開きたいと願う百音・・・
自分が大切だと思う人の一人である未知への深い愛情・・・

いよいよ物語はクライマックスへ・・・そしてあれこれと予想される
登場人物それぞれの未来・・・そして私の色々な予想と予感・・・

今朝の姉妹の会話のシーンで『大学行きはやめようと思っている』と言う
未知に対し、『なんで・・・』と理由を訊ねる百音・・・そして
『私はどこにも行けない、ここを離れられない・・』という妹に姉が
あの日何があったのかと聞く回想シーン・・・そして姉はあの時、
妹に何かあったのだと感じたが聴くことができなかったという言葉と
共に妹の心の傷を感じていたが本当のことを聞く勇気がなかったと
自分の気持ちも伝え、だからこそ今話してほしいと語りかけるところに
私の胸は熱くなるとともに痛くもなった。

そして妹の心の傷に気づいた姉は今まで、妹の未知が自分の気持ちを
素直に表せず、我慢や一人で悩む結果、『もういいっ!』『お姉ちゃんには
私の気持ちなどわからない・・』などと八つ当たりとも思える態度だった
ことの原因がわかり、悔恨の気持ちを新しい行動に向けようとするところで
本日の放送が終わった。

明後日で終了となれば「百音」の結婚問題や、未知の将来、父親の今後、
「亮」の船の問題、その他のすべてが一気に解決に向かうのだろうか。
すべての人がそれぞれの未来に向かって明るく元気に足を踏み出して
欲しいと思う。
朝ドラファンもそれを期待し、また願っていることだろう。

今日は「百音」が「はまらいん気仙沼」の放送中に、優しく何か思いの
籠った顔で『ここで音楽をお聴きください』という言葉があり、そのあと
「ロンドンデリーの歌(ダニーボーイ)」が流れてきた。

この曲はドラマの中でも「菅波医師」の元患者であったホルン奏者の
「宮田」が菅波と百音にエールのつもりで演奏したもので、聴いていた
私も思わずじ~んと来てしまった。

このアイルランド民謡の歌詞はいくつかあるようだが私がよく聴き
覚えているのは柿の歌詞・・・
この曲は私が中学生か高校生の頃によく聴いたことを覚えている。
あらためて歌いだすと、この最初の2行ぐらいと最後の「かおりゆかしき姿」
のところぐらいしか覚えていなったが・・・

1 北国の港の町は リンゴの花咲く町
  したわしの君が面影 胸に抱きさまよいぬ
  くれないに燃ゆる愛を 葉かげに秘めて咲ける
  けがれなき花こそ君の かおりゆかしき姿

2 さぎり降る港の町は リンゴの花咲く町
  いつの日も匂いやさしく 夢はぬれてただよいぬ
  たそがれにほほすりよせて リンゴはなにを語る
  誓いせしあの夜の君の かおりゆかしき姿

私のブログに立ち寄ってくださった方々の中にはきっと懐かしく
感じられるのではないかと思ったのでその曲を・・・

"Londonderry Air" 「ロンドンデリーの歌」

 「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」
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白糸の滝の思い出

2021-10-26 11:17:10 | 喜怒哀楽をポジティブに
古くからの仏教の家に嫁ぐも、個人的には敬虔なクリスチャンだった母が
天に召されてから早くも20年・・・
一昨日(24日)、その母と一緒に、学生帽を被った中学生の私が
唱歌「紅葉(もみじ)」を唄っている夢を見たことを記事にしたが
昨日、ブログ友の「kenさん」も軽井沢グラデューション紅葉特集③
「白糸(しらいと)の滝」の中にこの「紅葉」のyou tube動画を他の
写真と一緒にアップされていた。

以前からずっと軽井沢を中心に長野の綺麗な風景を「モネ」の絵や
その説明と併せて紹介されているがその引き込まれるような文章と、
実際に行って見てみたいと思う気持ちを掻き立てられるような画像に
私は興味津々・・・
実際に現地で撮り、アップされた写真には私自身があたかもその場に
居合わせているような気がする。

写真で見る「白糸の滝」の周辺はkenさんが仰るように紅の紅葉ではなく、
紅葉の始まりのような優しいグラデーションで私たちを招いているように
見える。
「白糸の滝」と言われる滝は全国各地にいくつもあるようだが、
私は幸いにも過去に、日本三大瀑布で有名な富士宮市の白糸の滝と、
この軽井沢の白糸の滝の両方を見る機会を得た。
私は「知る人ぞ知る滝」だと思っていたが、実際にはもっと多くの
人たちが知っていたり、実際に見ているのかもしれない。

富士山の雪解け水からなる富士宮市の白糸の滝は子供たちがまだ
小さいころに家族で・・・その後も仕事(運送)の途中で気持ちを
すっきりさせようという思いで立ち寄ったこともある。

そして軽井沢の白糸の滝は今から27、8年前、会社の若い仲間たちと
バイクツーリングで・・・
埼玉から長野は近いし、行きやすいのでビーナスラインなども
若者たちと一緒に大型バイクを駆って走り回っていた頃だった。
軽井沢からは意外に近く、バイクを止めてから滝までの距離も近く、
また滝の様子もすぐ近くで見られるのが良かった。

昨日の記事のkenさんの説明どおりだったことを今思い出す。
さすがは避暑地・・と感じる空気、何条もの滝が幅広い岩肌を伝って
落ちる優雅な景色、岩肌の緑の苔・・・湧き出る細い水が絶え間なく
白い糸を紡ぐような様子・・・
高さがない分、穏やかな光景に映ったことを覚えている。

その後、妻千恵子選手の実家(新潟)へ行った帰りに立ち寄ったことも
あったが、やはり最初のバイクツーリングの仲間たちと見たあの滝の
印象が強く、仲間たち一人一人の笑顔が浮かんでくる。
あの頃私は50代前半だったが思えば彼らももう50~60代になっている。
既に定年を迎えた仲間もいるかもしれない・・・・
年賀状で近況を報せ合う程度だが、実際に会えればバイク組、車組
合同で旅した思い出なども夜を徹して語り合うことになるだろう。






















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残念ながらいつもの時間に目が覚めてしまった。

2021-10-24 11:12:38 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨夜、紅葉の写真を見ていたことが脳裏にあり、記憶のどこかで
それが働きかけたのか「いい夢」を見ている途中で目が覚めた・・・残念!。

目が覚めたのはちょうどいつもどおり起きる時間が来ていたからかもしれない。
以前、仕事(最後の仕事は運送業)をしていた頃は仕事の内容により
起きる時間も就寝時間も不規則だったが3年半ぐらい前に仕事を完全に
辞めてからもしばらくは同じ状況が続き、最近は(今頃になって)就寝、
起床時間もほぼ同じように安定し、ある程度は規則正しい(?)生活と
なっている。

高齢者は睡眠時間が短い、そして短くても十分だなどとよく言われるが
はたしてその真偽は?・・・
私は家族や友人からはよく「忍者」と言われる。
それは眠りについた後も「コトリッ」や「カサカサ」という音にも
「スゥースゥー」という人の寝息にも反応し、すぐに目を覚ますから
なのだが・・・

過日、何となく「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」について少し、
わかったつもりだったが、私の場合はこのようにいつ、いかなる時でも
小さな音で目が覚めるのである。

さて、冒頭の紅葉に結び付く「いい夢」、そして残念だったのは・・・
夢の中で、二本の白線の入った学生帽(中学生)の私が母と一緒に
童謡・唱歌の「紅葉(もみじ)」を唄っていた。
白い割烹着を着た母は首を緩やかに揺らしながらにこやかに私の方を向き、
忘れもしない、あの声で歌っていた。

秋の夕日に照る山もみじ
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの裾模樣(すそもよう)

溪(たに)の流に散り浮くもみじ
波にゆられて はなれて寄って
赤や黄色の色さまざまに
水の上にも織る錦(にしき)

歌詞の意味が解りかけてきたころの中学生の私と、私の一番好きな
姿である割烹着姿の母・・・夢の中の母の声がまだ耳に残っている。

母が語る楓や蔦の赤と松の緑、そして赤く染まった山と麓の緑色の
織りなす光景、さらにこの詩をよくみると山の紅葉と川の紅葉の様子・・・

木の枝から離れ、散り落ちていく紅葉が川面に浮き、幾重にも重なりあって
揺れている様子や、水の流れの中で離れたりくっつき合うようにしながら
波と共に踊るように川下へ下っていく様子・・・

山全体が織りなす錦と水の上で巧みに織られるような様々な織物を
イメージさせられるような姿・・・
本当に美しい光景風景を心に焼き付けてくれるようだ。

母がその光景を説明してくれた時のことがすべて映像としてはっきりと
残っている。
今もこの曲を聴いたり歌ったりするとその映像が再び、みたび、目の前に・・・

目が覚めたのは「波にゆられて はなれて寄って」のところだった。
私たちが子供の頃は割烹着姿の母親は珍しくなかったが今は
お母さんたちの生活パターンも大きく違うので映画や飲食店など
特別の場所へでも行かないとみかけないのではないだろうか・・・

そしてふと思った。
ブログ友「けんすけさん」「ポエットMさん」のことを・・・

ブログ友「けんすけさん」はよくお母さんのことを記事にされている。
やはり、小さいながらも母親の背中で感思ったこと、成長する段階や
大人になってからも母親の愛情をたくさん感じたことなど・・・
厳しくもその何倍も優しく、愛情を注いでくださったお母さんのこと・・
「けんすけさん」の記事には胸が熱くなる。

私の母も厳しくやさしかった。
生きていれば110歳の母があの時の割烹着姿のままでまた再び
夢の中で私と歌うかもしれない。
それはもう少し寒くなったころ・・・・
「冬の夜」や「冬景色」・・・そして春になればまた春の歌を・・・。

そしてこの歌の光景や醸し出す雰囲気を「ポエットMさん」ならきっと
私たちの心を揺さぶるようなそしてそれを感じた私たちの心が響き合う
ような短歌を作られるだろうと・・・

そして、highdyさんなら理系とは思えない文章で・・、yamaさんや
kenさんなら情感の籠った写真や文章で・・、すずさんやさくらさん
だったら読者の心を揺さぶるような解説やさらに想像が無限に膨らみ、
果てしなく広がっていくような文章で・・・とみなさんそれぞれ
言葉だけにとらわれず、独自な感想で描かれるかもしれないと・・・














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感動と懐かしい思い出が重なり私も「What a feeling」・・・

2021-10-22 13:04:54 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日、午前中に長野の友人からずっしりと重い荷物が届いた。
宅配便の配達の人も台車で運んだその箱を渡すときに千恵子選手では
持てないと悟ったのかニコニコ顔で『重いですよ~っ!』と言いながら
『どこに置きましょうか?・・』と聞いていた。
千恵子選手はすかさず『お父さ~ん、ちょっと来てぇ~』と大声で
私を呼んだのだ。

大きくしっかりとした段ボール箱を開いてみると・・・
送られてきたものはサツマイモと多少傷があるものも混ざった大小
さまざまなリンゴ・・・そして説明メモと通信文
サツマイモは自宅の庭で作ったという

友人曰く(通信文)・・・
リンゴは近隣からしょっちゅういただくが家族(老夫婦)では
食べきれないので、あちこちへ送り、我が家へも送ったとのこと。
いつものことだが我が家でも二人では多すぎるくらいの量であり、
それは子供たちにも食べてほしいからだという。

その夫婦は私たちとほぼ同年代でやはり夫婦ともに物を大切に・・・
特に食料品は無駄にせず感謝していただく・・・という気持ちから
大小さまざま、そして種類も、少し傷のあるものも送ることにしたのは
『shimaさんの家なら多少傷がついたリンゴも喜んで食べてくれるだろう』
と、思い、失礼を承知で・・というより分かり合える仲だから譲って
くれた人の収穫の気持ちも汲み、敢えて選ばず送ってくれたようだ。
その気持ちが嬉しい。

サツマイモもまだ畑の土が少しついている状態のままであることで
余計に新鮮味を感じた。
綺麗に洗い、皮の色がはっきりとわかるものもそれなりにいいと思うが
やはり、掘りたてのものには一段と甘さや美味しさのイメージが湧く。

テラスに折りたたんで保管してある段ボールの中からリンゴを入れる
ものを二つ選び、サツマイモは段ボール箱の中に新聞紙を敷いて
保存することにした。

サツマイモを触ると既に乾いた土の塊がぽろっ、ぽろっと下へ・・・
そして動かすたびに細かい土がさらさらと落ちていった。
親指と人差し指や中指を軽くこすると目に見えないような細かい土の
粒子の感覚が指先に伝わってくる。
ああ、この感触は・・・そうだ、いつか味わったこの感覚・・・

思い出すのに時間はかからなかった。
それは遥か昔・・67年前の小学6年生だった時・・・
みんなで観察を兼ねて学校の裏庭で育てたサツマイモの収穫後、
幾日か経ったときにそれをみんなで食べるために手分けして
準備し、洗う前に周りの土を手で落としたあの時・・・

指先の感覚はまさにあの時と同じだったことを思い出した。
感動が蘇りこれもある意味では一つの「What a feeling」なのかも
しれないと思った。

そしてもう一つの思い出も・・・
収穫した芋は先生の指導の下に給食用の大きな鍋で茹でて
学校の2階の畳敷きの「裁縫室」で裁縫台を並べて食べたこと・・・
男子生徒が「裁縫室」へ入ることはなかったのでそれも珍しく
きちんと整理してある綺麗な表紙の「へら台」や「くけ台」などを
いじりだす男子生徒もいた。
各家庭でもへら台やくけ台は見ていたかもしれないが、母親の
大切なものをみだりに触ることはなかったと思うのでこの時とばかりに
触ったのだと考えられる。

へら台やくけ台と言えば・・・
今年の6月13日に投稿した記事にもそのへら台やくけ台が意外なことで
紹介されている。
以下はその記事から一部抜粋したもの・・・

母の道具である「へら台」は時々、私と弟の遊び道具でもあった。
生徒さん達のための幾つもの「へら台」を開いて屏風のように立て、
つづら折りのようにして作った通路を行ったり来たり・・・

『神聖なる道具を遊びに使うとは不謹慎な・・・』などと叱らなかった
母のことを考え、私達も倒して傷つけたり汚したりしないよう
子供ながらに充分注意しながら遊んだ日からもう既に70年以上も
経っているのにまだ数日しか経っていないような気がする。


こうして今日は友人からの秋の収穫物と元気の報せを兼ねた
ずっしりと重く、嬉しい贈り物に感謝しながら長野の澄み渡る青空と
少し冷たく、すっきりとした空気を頭に描きながらお礼の手紙を
書き、遅い昼食後に投函しようと思っている。









2日前には
先日も千恵子選手の友人から
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今日も陽射しの温かさを感じ・・・

2021-10-21 09:46:23 | 喜怒哀楽をポジティブに
今朝も空を見ると、青空と雲がせめぎ合っているように見え、
青空がやや優勢・・・
今日一日(半日ぐらい?)はいい天気が続きそうな気配・・・
少し冷たい空気の中、雀が3羽降り立ち2羽は同じ方向を向き、
もう一羽は背中合わせで芝生の根元に向かってそれぞれが忙しそうに
頭を上下に動かしている。

椿の木の枝と葉っぱだけが忙しそうに動いているのは「強」にセットした
レンジフードの排気ファンによって送り出された排気が天井裏の配管を通り、
庭側の壁へと続く排出口から強い排気風を押し出しているからだとわかった。
壁面から出る排気風が少し離れた場所の木の枝を揺さぶることに何故
今まで気づかなかったのだろう・・・

暫くすると予想にたがわず、少し強く感じる太陽の光も参加し、椿の葉の
光沢を一層際立たせているようだった。
椿の枝や葉っぱの集団(?)はその強い排気風と陽射しの温もりに
やや困惑気味なのか、ざわざわと大きく揺れ、お互いにぶつかり合いながら
触れ合う様子が時には小さく、そしてまた大きく騒ぎ、それぞれが勝手に
何かを喋っているようにも見える。

椿の枝が揺れ、硬い葉っぱ同士が擦れる音が意外に大きいものだと
わかりその収拾のつかないような葉っぱたちの「おしゃべり」は
まだ花は咲いていないが椿の品格を損なうような気がして私は急いで
部屋に戻り、キッチンの換気扇のスイッチを「OFF」に・・・

そして再び庭に出ると椿の葉たちは何事もなかったかのように
口をつぐんだまま微かな音もたてず一枚、一枚が温かい陽射しの中で
来たるべき日(開花)のために役立とうとお互いに無言のサインを
交わしているようにみえた。
換気扇から出る風は椿の木には迷惑だったのかもしれないと思った。

人も動物も植物も太陽の恵みを受けていると知りつつも私にはそれを
深く考えたり本当に感謝するという機会はあまり多くはなかったような
気がする。
今、無風状態でこの陽射しの温かみを全身に感じながら少しずつ
感謝の気持ちが太陽に、そして自然界に向きつつあるような気がする。

これは決して他人事(ひとごと)ではないと思う自分にも少し気が付いた
ような気がするのである。







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ふとしたことから・・・

2021-10-20 16:16:46 | 喜怒哀楽をポジティブに
妻、千恵子選手の絵手紙仲間から里芋をいただいた。
スーパーなどで売っている一つ一つがころころとしたもの
ばかりではなく、親芋に子芋が、そして孫芋までくっついた
ものもいくつかあった。
自宅で作ったものだという。

それにしても自分で育てるとは?・・・
確かにその家は何代も続く旧家のようなので広い敷地内のどこかに
里芋を育てるぐらいの土地は十分にあるだろうと想像がつく。

私の友人たち「爺さんカルテット」の一人は定年後、貸農園を借りて
いろんなものを作ることに興味を示し、今も楽しみながら野菜を
育てることに没頭している。
以前、里芋にも挑戦したが水遣りで失敗したと言っていた。
私も里芋についてはジャガイモよりもはるか昔から食されていると
いうことや湿潤な土壌が良い・・という程度のことを僅かに知っている
だけで育て方などの知識はもちろん皆無である。

どんなものを育てるにしても収穫まではいろんな苦労があることを
考えると、この里芋もあだや疎かにはできないと思い、感謝して
いただかなければ・・・と。

そしてふと思った(気が付き、思い出した)。
私の住むマンションの隣家も町内では苗字の数では1、2、番を
競う何代も続く広い土地を持った旧家(元農家)であり、マンション
(A館)の駐車場側に隣接する土地には里芋が植えてあったことを・・・
余談だがこの元農家は周辺にも多くの土地を持ち、私達の住む
マンションも元はこの家が持つ土地であった。
また道路を挟んだ向かい側の「介護サービス付き高齢者住宅」や
その隣の「有料老人ホーム」などの土地もこの旧家がもって
いたものだという。
さらには幾つもの駐車場も・・・

マンションのB館の駐車場の向かい側の住宅街の民家でも
最近里芋の大きな茎や葉を見かけるようになったが、それは日増しに
その勢いを増し、ますます大きく伸びている・・・

この家は数年前に隣家が引っ越した後、その土地を買い(?)、
空き地となった場所をすべて家庭菜園にしたのだと聞いていた。
野菜類も年々増え、成果が上がっているようで住宅街の中の
立派な畑を周りでみる私達も楽しく感じる。
今では農家も認めるであろうと思われるような立派な野菜畑となっている。

さて、その勢いよく育っている里芋の事だが一般の住宅地の跡を
畑にしただけの場所でどのようにして水を?・・と考え、以前
畑をはじめた頃と同じ様に自宅からホースを使って水やりを
しているのかと思うと・・・・
な、な、なんと、これが・・・
いつの間にか道路側に、昔よく見かけ、或いはどこの家庭でも
よく使っていたあの鋳鉄製の「手押し型ポンプ」が鎮座ましまし、
太陽の光を鈍く反射させていた。
そのボディの色も懐かしいあのくすんだ緑色・・・
懐かしさに思わず近寄ったが鉄格子(フェンス)の向こう側でもあり、
またみだりに触ることも出来ないのでいつか家主と顔を合わせた時にでも
じっくりと見せてもらおう・・・と思っていたのだが今朝、B館の
管理事務所へ書類を持って行くときにふとみるとその畑に家の
主人らしき人がいた。

早速、向かいのマンションの住人であることを説明し、側で見せて
いただきながら話を聞くことに・・・
そして真相がわかった。
年々、立派になるこの畑をみたマンションの住人の間ではその家の
主人は隣の家が引っ越したあと、その土地を買ったという説があったが
実は住人が引っ越したと思われてたその家ももともと現存する家の
物であったという。

そして、居住している側の家には十分な広さがあるので人生の後半は
野菜作りを楽しもうと自家栽培に目覚めた主人が隣のもう一棟を壊し、
畑にしたのだとわかったのだ。

そして最近になってポンプが現れたことについては・・・
この家も今は周りの新興住宅街と同じような造りだが元々は古くから
この地に住んでおり、以前から庭の隅にあった小さな井戸を再利用
することにしたのだという。
側でしげしげと見ながらあれこれ質問する私にその家のご主人は
何かの種をまきながらマスク越しのくぐもった声で応えてくれたのである。

突如として現れたこのポンプのいきさつもわかり、納得・・・
みれば確かに木製の台に本体をとめる箇所やハンドルと本体の
接続部分、ハンドルとピストンロッドの連結部分などのボルト、
ナットがすべて新しいステンレス製のものに交換されていた。

私達近くに住む住民の間ではいつしかその畑について語られることも
多いと聞いている。
立派な野菜の評価(?)のような話題もあり、その高い評価に
気づいたというご主人は私に成功体験を語るなどご満悦・・・

昔と違い、近所づきあいも少なくなった現在、何かのイベント的なものが
無い限り近くといえども交流の機会は少なく、ましてやマンションの
住人となると近くの住宅の人の顔もわからず、すれ違いざまに会釈を
することはあっても話す機会などはほとんど無いのが現状・・・

日頃小学生の登下校時に声をかけるようにして気さくな爺さんぶりを
発揮しているつもりなのだが今日は近隣でまた人の良きふれ合いを
感じるひとときでもあった。





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昨日の続きとして・・・

2021-10-19 15:39:01 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の記事の最後の部分、早速「善は急げ」のつもりで・・・として
やってみたこと、それはゆっくりと映画音楽を主とした世界の音楽の
CDを聴くことを選んだのだ。

記事の投稿後10時半ごろから聴き始め、1曲ごとにこの映画を観た
あの頃は・・・と、その時代を思い出し自分の人生を振り返ったり、
また映画のシーンや登場人物の表情なども思い浮かべながらゆったりと
した気持ちで聴いた。

いつもは何かをしながら聴くことが多く、こんなにゆっくりと味わう
ように聴くことはあまりないのでリラックス的な効果と共に心に綺麗な
流れと豊かな緑の草原が現れ、そして爽やかな緑の風が吹くようだった。
そしていつの間にか自分もその映画のシーンに登場しているような
心躍る思いや静かにもの思いに耽り感傷的になるような時間なども・・・

2枚めのCDが終わる頃はもう昼を過ぎていたがいつになく静かに
ゆったりとしている私を見て妻千恵子選手は『ご飯ですよ・・・』の
声をかけるのを控えていたようだ。

映画音楽を含むイージーリスニング曲を積極的に聴くことは多いが、
大体はいつも何かをしながら聴いているので今日のような体験(?)は
私にとって新鮮であり、あっという間に5時間が過ぎたが何時間を
費やしてもその時間は決して無駄でもなく、飽きることなく、
むしろ心が豊かになるような思いであった。

それぞれの映画(小説・物語)に登場する人物たちの心の奥底に
秘められた思いや、それを素直に表現できない苛立ち、様々な
葛藤や我儘とも思える言動、相手を思うばかりに自分を偽って
批判、非難を浴びるような状況・・・
それら、人の心の機微を見事に描いた作品の数々・・・

その映画を観た若いころには『どうして?・・何ゆえに?・・』と
思うことも少なくなかったが、その後、本を読んでみてその詳しい
いきさつが解ったり、年齢を経た今だからこそ理解できるような
ものも・・・・
例えば「ひまわり(曲名もひまわり)」の戦争の残忍さやその中で翻弄
される男女の愛・・そしてその矛盾と悲しみ、お互いに軌道修正の
できないどうしようもない現実の中で単なる諦念ではなくお互いを
思うが故の判断をする強い心etc・・・

また「風邪と共に去りぬ(曲名はタラのテーマ)」の主人公の激しい
感情とその底に流れるもの、周りの評価・・・
気象も激しく真の強すぎる女性が目まぐるしく変化する環境の中での
生き方、真実の愛の確かめ方、求め方など・・・彼女の生きざまを
私たちはどう捉えるか、色々と考えさせられる作品を今の自分の気持ちで
ゆっくりと観てみたいとも思った。

青年時代の 恋愛 を回想する「ニューシネマパラダイス」にしても
 映画好きの少年と映写技師の年齢を超えた友情と映画に対する熱い思い・・・
少年の初恋と別れ・・・若者となった少年の将来を思うからこその
ベテラン技師の美しくも悲しい「嘘」の功罪・・・。

どの作品を観ても作者の細やかな神経が伝わってくるようだ。
作家になることなど到底叶わぬ私だが原作を読むことによって
映像の表情の奥にあるもの、また表情だけではくみ取れないものを
深く知ることができるのではないかということを改めて感じた。
そうして、そのためにはやはり読書は大切なものであるということも・・・。















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今日からはまた新しい一日が・・・

2021-10-18 10:12:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
今朝起きると外は明るく、ガラス戸の向こうは予報通り(近年は予報が
外れるようなことはないが)いい天気になるような気配だった。
食事を終えたころには既に太陽が燦燦と・・・

ガラス戸越しに見る外の空気も温かそうな感じだったが、戸を開けて
様子を窺うとひんやりとした空気が顔を撫でる・・・
これまた予報が的中(?)し、11月半ば頃の気温になるのだろうか・・・

昨日降り続いた雨も夕刻が近づくころには上がり、空には薄い青空が
雲と半々ぐらいに広がっていたが今朝は雲一つない・・・
その所為か空気は一段と冷たく感じるようだ。
でもやはり気持ちがいい。

こんな日はまた新しい一日が始まることを強く感じる。
そして何となく、本当に何となくだが何故か意欲が湧いてくるような・・・

自分の意識とは関係なくても昨日まではできなかったこと、また
やらなかったことなど、大したことではなく、ほんの些細なことでも
「何かをやってみよう!」という気持ちが頭を擡げるのはいいことだと思う。

普段、何もやっていないとは決して思わないし、一日がもう少し
長ければいいのに・・・と思うこともしょっちゅうあり、無意識のうちに
周りのものや目に入るものに工夫を凝らしたり、改善を試みたりすることは
やっているつもりだが無駄な労力や時間の浪費(?)も多いのでは?・・と
思うこともしばしば。

自分の好きな工作、改善、修理、整理整頓、などだけではなく、そこから
考えを外し、一日中音楽を聴く、映画(CD、DVD、PC)観る、
読書を続ける、公園内の木々を見て歩くなど普段は生活の一部では
あっても長時間没頭することのないようなことをただひたすらやってみる・・
というのもいいのではないかと思った。

では早速「善は急げ」のつもりで・・・



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深まりゆく秋

2021-10-17 11:43:19 | 喜怒哀楽をポジティブに
秋の歩みが確実になってゆくにつれ、我が家の僅かばかりの花たちも
それぞれの役目を終え、最後の顔を見せながら去っていったもの、
私がその姿に気づかずいつの間にか消えていったもの・・・・
そして小さな庭は日ごとに寂しくなっていった。

ミカンの木の陽の当たる部分の実は予想をはるかに超えるほど大きく、
少し黄みを帯びてきたが反対側は実も小さくまだ緑色である。
ミカンの木の隣の「獅子(鬼)柚子」も順調に大きくなりつつあり、
今年も私の頭を超える大きさになりそうである。
いずれも元気がいい・・獅子ゆずの木の下のシュウメイギクも今年は
もう終わったのだろうか・・・
以前はあまりにも増えすぎたので処分し、かなり減らしてしまったが
最近は少なくなっても静かにその存在感をあらわしている我が家の
シュウメイギクは一重の白い花をつける種類で、秋風に誘われて
緩やかに動く姿にはただならぬ風情があった。

朝から降り続く小雨は木々の枝や葉を満遍なく濡らし続けている。
獅子ゆずやミカンの葉は時折その先端から丸くなった水滴を落とし、
木蓮の枝もそれに呼応するかのように枝を伝わった雫をその先の下に
向かって丸みを帯びた部分から時々ポトッ、ポトッと落としている。

今日は庭側の道路の向かい側の「サービス付き高齢者向け住宅 」に
出入りする車が少ないのかあたりも静かである。

雨が嫌いな私が『今日は一日読書で静かに暮らしてみよう』・・などと
殊勝な気持ちにもなるのはこの雨のお蔭かもしれない。
さらに雨のお蔭(?)でこの雨を多少は秋を思うに相応しい静かで
優しい気持ちにもなるような「秋霖」「すすき梅雨」など秋の長雨・・と
ロマンチックに言いたいところだが天気予報では雨は続かず、明日からは
全国的に晴天、曇天などが交互に繰り返されるようである。

雨を好きな人はあまり多くはいないと思うが、たまに静かに降る雨は
別としてやはりこの季節は秋晴れが多くの人の心を明るく、楽しくも
させるのではないだろうか・・・・
『明日晴れたら・・』と思い、『何をしようか・・・』『~をしよう・・』
と思うだけでも明るく、楽しく、小さくても夢が膨らむのだと思う。
たとえそれが他愛もないことであっても・・・

明日は全国的に晴れる所が多くなるようだ。
青く、高く、広い空と白い雲に思いを馳せよう・・・・











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花たちは律儀

2021-10-12 10:34:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
我が家の近くに過去の記事でも何度も登場した花いっぱいの家がある。
広い庭の中と入り口の門扉周辺が花で埋め尽くされたような花いっぱいの
Aさんの家・・・・
私が契約している駐車場の斜め前で、そこを通る時にはお互いに
笑顔で挨拶を交わし、立ち止ってしばらく話すこともしばしば・・・

私たちよりは少し若いご夫婦だが共に花好きで、常に花の話題に
事欠かない楽しいご夫婦なので私たち夫婦もその笑顔に惹かれ、
ついつい足を止めてしまうのである。
普段は寡黙とも思えるご主人は花の育て方、手入れの仕方などについて
話すときはまるで別人のようであり、追従(いや、追随かも?)する
奥さんの知識や技術(?)もご主人に匹敵するものだと思う。

そのご主人が亡くなってからまもなく3年ぐらいになるだろうか・・・
今は小柄な奥さんがご主人の分も頑張るのだ・・と言わんばかりに
毎日毎日入念な手入れをされるそのお陰で私たちは一年中、多くの
花々を楽しくみせていただけるし、側を通るだけで季節ごとの香りの
恩恵にもあずかっている。

その奥さんと妻千恵子選手は町の「老人会」で顔を合わせ、話した際に
お互いに腎臓機能の低下という病状で「腎臓食」などの話題についても
語り合ったということから「同病相憐れむ」の言葉どおりすぐに
意気投合したという経緯もあるのだが・・・

昨日は久しぶりに顔を合わせ、10月とは思えぬ真夏を思わせるような
太陽の下でお互い、額やマスクの周り強い日射しを受けながら花に感謝・・・
というような言葉を交わした。
久しぶりに・・・というのは・・・
実は私の車は9月にマンション内の駐車場が1か所空いたことによって
行われた抽選で運良く当選し、9月からはマンションの駐車場に停めて
いるのでAさんの家の近くの駐車場を利用しなくなったからなのだが・・・・

ただ、当選した駐車位置は私の住むA館ではなく、隣接するB館なので
僅かでも歩くことになるが今までと比べると「雲泥の差」というところ
だろうか。
マンションの駐車場は機械式で地下の駐車場はA館、B館共に何十か所も
空いているのだが地下に駐車できるのは車高155cmまでと高さ制限もあり、
最近の車の多くの車種はそれを超える高さのため地上は一か所空くと
希望者が殺到し、すぐに抽選となるのだ。(私の場合も車高が高いので
地下は不可)

そして機械式のため地下への出し入れを嫌う人が多く、地上9000円、
地下は6000円・・と地下のほうが料金は安いのだが多くの人は便利さを
求め、地上の場所を選ぶため競争率が激しくなるのだ。

そんなわけでマンションの駐車場に移ってからはAさん宅の方へ
行く機会も少なく、意識的に行かない限り今までのように毎日花たちに
会うことができないのだ。
今まで借りていた駐車場は今月(10月)いっぱいは契約期間なので
いつでも停められるのだが・・距離にしても50メートル程しか違わない
マンションに停めてしまうのである。

さあ、話をもとに戻して・・・
久しぶりにAさんと挨拶を交わした時に、いつも夏の終わりごろから
今頃にになると何年も前から聞こうと思っていながら聞く機会を失って
いたがつい先日名前のわかったあの花を見つけたのだ。
その花の名前がわかったのは梨木果歩さんの著書「家守奇譚」に出てくる
「ツリガネニンジン」を調べた時・・・

ネットの検索でたくさんの「ツリガネニンジン」の写真を見て、
これぞまさにAさん家のあの花だ!と思ったのだ、
そして久しぶりにその花をAさんの庭先で見て、Aさんの姿を探したが
近くには見えなかった。
花の名前がわかるまでにいくつも重なった偶然のようなものを
思うとなんとなく嬉しさを感じるとともに胸に大きな感動が湧き上がった。

Aさんの家の庭と門扉の周辺にはこの時季になっても夏の名残りの姿を
静かに見せている花やいち早く秋を知らせ、今もリーダーシップを発揮
するがごとく周りの花たちと共に明るさを提供している花、そして
これから楽しませてくれるような蕾たちもたくさん揃い、それぞれが
自分たちの出番を待っているようだ。・・・

カレンダーも温度計も湿度計も持たない花たちが毎年同じ頃になると
誰に言われることもなく、お馴染みの姿を見せてくれ、同じ花を咲かせ、
私たちの心に安らぎを与えてくれるその姿は人間が失いがちな「律儀さ」
を感じさせ、自らを振り返るきっかけにもなっている。

これらの花たちにとってAさん宅はまさに「楽園」なのではないかと
思われる。
咲き競う、或いは咲き誇るような花たちも自分たちが競演する姿を
見る私たちに対し、驕り高ぶる様子も恩に着せるようなそぶりもなく、
ただ毎年それぞれが気候などの環境にも負けず精一杯生きている姿は
今回のように大きな感動を呼ぶことにも繋がっている。

政治家たちの姿にも謙虚さや律義さを無理なくごく自然に感じられる
ようになってほしいものである。




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何か損をしたような気持ちになる人もいるのでは?・・・

2021-10-09 14:53:51 | 喜怒哀楽をポジティブに
私たちリタイア組には直接問題はないが、仕事をしている
人たちの中で土曜日、日曜日、祝日が休みとなっている人たちの
中にはもしかすると今日から3連休だと思い、ほくそ笑んで
いた人がいるかもしれない・・・(いや、いないかな?)

その前に・・・
以前(1966年~1999年)は10月10日は体育の日として
制定されており、その後2000年以降は10月の第2月曜日が
体育の日とされていた。
そして法律の改正により2020年からは「体育の日」が
「スポーツの日」と名称が変更となった。
そして、
今年はオリンピックのための特別措置として下記のように
祝日が移動されたのだが・・・
  

昨年の暮れに2021年(今年)のカレンダーを用意した人の多くは
たぶん、祝日が移動される前に印刷されたものを購入したり、
もらったりで準備されたのだと思う。

オリンピック直前になって祝日の変更を知った人も多いのではないかと
思うが、好むと好まざるとに関わらずオリンピック開催中に3連休という
恩恵(?)を受けていてその時は「暑い時期だからラッキー!・・・」と
思った人たちも多かったのかもしれない。

そのオリンピックも終わり、季節の移ろいを感じるこの頃、残り少なく
なったカレンダーを見ながら今年最後の連休をいかに過ごそうかと
楽しみにしていた人も多いと思う。

緊急事態宣言などの全面解除や制限緩和などで自分や周りの気の緩みも
感じながら楽しみにしていた人もいるだろう。
感染者数も減少しているとはいえ、まだまだ感染予防の基本的な
行動は当然ながら必要不可欠・・多くの人たちは実践していると思うが・・・

それでも各地の人の流れはすさまじい・・・少しタガが緩んだようにも
みえるがそれを感じつつもこの連休に期待していた人も多いだろう。
ところが3連休ではない…ということが先週あたりから勤務先でも話題に
なり、『え~っ?・・そんな筈ではなかったのに・・・』と少なからず
落胆し、損をしたような気分になった人もいるという。

土曜日が出勤の人たちにとっては年末の休暇を除き、今年最後の
連休(予定)だったのに・・・

またまたGo Toキャンペーンなども取りざたされているが、今こそ
心を引き締めなければ・・・
新政府も地に足がついていないように見える。
「油断大敵」・・・コロナはまさに世界中どこへ行っても
「史上最強の大敵」であることを片時も忘れてはならないと思う。



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久々に感じた大きな揺れに驚き・・・

2021-10-08 11:15:08 | 喜怒哀楽をポジティブに
私は以前は夜更かしだったが近年は早寝に変わり、22時頃には
ベッドに入るようにしている。
その私の寝入りばなを突然のJアラート(緊急地震速報)と大きな
揺れが激しく襲ってきた。

時計を見ると22時40分・・・
いつもなら小さな地震でも怖がって傍へ飛んでくる千恵子選手の
部屋からは悲鳴も聞こえず、音も動きもない・・・。
揺れが大きく、暫く続いたように感じたのでテレビで状況を・・と
起き上がると同時に収まった。

怖がっていないのならば大丈夫だろう・・
私のベッドが大きく揺れただけなのかもしれない・・と思い
廊下を挟んだ向かい側の千恵子選手の部屋に声をかけなかった。

実は私の部屋のベッドは家族内で通称「空中ベッド」と呼ばれ、
ベッドの下の空間を大きく利用するために二段ベッドほどでは
ないがベッドの下に大きな収納スペースを作るため私自身で
加工し、ベッドの位置がかなり高くなるよう改造してあるのだ。

私たちの部屋(寝室)が別々なのはメリットもあり、デメリットも・・・
実は私はこれまた家族や友人間で「忍者」の異名をとるほど
ごくわずかな「音」「光」に対し敏感に反応(察知)するので、
微かな寝息や微妙な動きによる小さな音や光(瞼の裏側の明暗など)を
感じると熟睡も安眠もできないのである。
そんなわけで寝室を別にしているのだが、加齢とともにお互いを
気遣う必要も当然多くなる筈なので「痛し痒し」・・なのだが・・・・。

実は誰もが驚くあの大きな揺れに妻千恵子選手は全く気付かず
今朝、起きてテレビの報道で地震のことを知ったようだ。
そして一足遅れて起き、リビングへ入った私に向かって
『どうして起こしてくれなかったの?』
『次からはちゃんと起こしてね!』と言いながら不安げな顔つきだった。

私は文句を言うつもりも咎めるつもりも全くなかったのだが
『あの揺れに気づかないとは考えられない・・・』と言うと
『ちょうど熟睡に入ったところだったからわからなかった・・』と言う。

私は内心『おおらかにもほどがある・・小心者なのに・・』と思った。
普段は眠りこけるようなことはないので特に不思議だったが
『その説も良しとしよう・・』ということで朝食のテーブルに・・・

我が家(私)の朝食はほとんどパンで、ご飯粒を食べるのは年に
2~3回もあるだろうか・・・・
千恵子選手は3食とも自分でカロリーやたんぱく質、糖質などを計算した
自分専用の「腎臓食」を・・・米も真粒米(まつぶまい)という美味しくない
たんぱく質調整米を食しているのだがメニュー作りも大変なようだ。
時々はパンや白米も少し食べているが朝食がパンの時は嬉しそうである。

今朝はブドウの入ったバターロールパン・・・少し小さめの皿に重ねて
入れたバターロールがころころと転がってテーブル上に落ちた。
私はここでも思わぬ、予期せぬ小さな地震が起きたのだと思った。
そしてその震源地は久々にパンを食べられるという喜びに打ち震えた(?)
千恵子選手の心臓だったのではないかと・・・
何気なく顔を見たがコーヒーカップを手にしたその様子からは拍動の
乱れは感じなかった。


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あの大草原にバイソンの群れが・・・

2021-10-06 17:21:15 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は妻千恵子選手の整形外科での注射とリハビリの日・・・
いつもは天候によって、本人が歩くか、私の車で行くかを決めているが
帰りはだいたい私が車で向かえにいくことにしているのだ。

9時の予約だったが昨日は気持ちよく晴れていたので本人は余裕を持って
8時40分ごろには家を出て杖を突きながら歩いて行った。
出かけるときに本人は『ブロック注射などの痛みや施術後に違和感が
なければ帰りも歩いてくる』という旨の話をしていたが、常々注射をした
後はベッドに30分前後寝たままの状態になるということも話して
いたので迎えの準備はしておこうということで筋トレの時間をずらすことに・・・・

以前、筋トレは午後2時ごろから4時ごろまでとしていたが、今年は
8月頃からだっただろうか、午前10時ごろから12時頃までに変更して
いるのだ。
ただ千恵子選手が整形外科へ行く日はこの「迎え」があるため、以前同様
筋トレは午後に・・・ということで久々の変更。
筋トレは週に3回、注射は月に2回程度なので合致することは本当に
久々なのである。

いつものように整形外科の駐車場で待とうか?とも思ったが本人は
歩いてくると言っていたから・・・と家で待機・・・
千恵子選手は11時半ごろにやや疲れた表情ながらもまあまあ元気そうに帰宅。
これならトレーニングをやっていても問題なかったな・・と思ったが
後の祭り。

昼食後ゆっくりと休み、14時になるのを待っていつもどおり室内から
トレーニングを開始。
庭(テラス)に設えたトレーニング機器に向かったのが14時30分・・・・
夕刻が次第に近づく時間とは言え、まだ太陽はかなり高い位置にあり、
トレーニング用のベンチに仰向けになると顔面に日射しがガンガンと
照りつける・・・暑さ大歓迎の私にとっては最良の日であった。

午前中はかなり強く吹いていた風もいつの間にか感じなくなっていた。
木々の枝の揺れも少なく、どの木も体を休めているいるようにみえる。
隣の庭の芝生の上を這うようにしてやってきた涼風がベンチの下から
私の体を優しくなでるようにして通り過ぎて行く。
多少汗ばんだ体にはまことに心地よいものだ。
緩やかな風の所為か時折木蓮の葉がはらり、はらりと落ちていく。

トレーニング終了予定の16時が近づき、太陽が傾き始めたとは言っても
太陽はまだ高い位置にある。
日没にはまだ充分時間もあるが芝生に注ぐ光も次第に柔らかくなって
いるように見える。

器具を片付け始めたとき、ふと芝生に目を遣ると・・・
29日に投稿した記事の続きのような妄想(?)が・・・
あのミニチュア西部劇のような我が家の庭の大草原のあちこちに散った
木蓮の枯れ葉がいつの間にかアメリカバイソンに変身している・・・
葉っぱの色、形、全体の姿、そしてそこにイメージしたものはまさしく
バイソンであった。

枯れ葉の葉脈の周りの盛り上がりはバイソンの肩の部分の盛り上がった
部分や背中の筋肉や体を覆うあの長い毛並みのようにも見える。
葉の根本、枝に繋がっていた部分はバイソンのしっぽ・・・
そんなバイソンたちが治まった風ともに動きを止め、静かに草を食んで
いる姿に見えたのだ。

29日にあの煌々とした月に見えたあのキバナサフランモドキは
その先端に丸い実(種)をつけていた。
我が家の少し枯れ始めたミニ大草原にはこれからも数多くの違う物語が
次々と生まれるかもしれない。
















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