『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

どっちを選ぶ?

2019-05-31 08:21:31 | 喜怒哀楽をポジティブに
先日近くにいる息子夫婦が同い年である私たち夫婦の『喜寿の祝い』ということで
食事に誘ってくれた。

仕事を終えた現在でも一年365日車を運転する私は、家族や友人と外で食事を
する際も近くを除き、車を利用するので外でのアルコール類は飲まないことに
しているがその日は4人揃って電車で大宮へ行くことにし、昼間っからキンキンに
冷えたビールを思いっきり味わった。

やっぱり家で飲むビールとは雲泥の差・・・などと声高らかに、大好きな肉を
次々と頬張り、我ながら上機嫌の様子を感じたりもして楽しい時間が流れていた。

私たち夫婦のことを実の両親以上に思ってくれている息子の妻ソニア(メキシコ人)は、
その綺麗に整った顔立ちからは想像もできない位面白いことを次々と言い、快活で
『本当に明るく楽しい嫁さん』なのである。

そして女性にしてはあまり使わない言葉の『豪放磊落』がぴったり。
嘘やごまかしが大嫌いで思ったことははっきりと言うが心根は本当に優しい。


日本女性ではないで故にできるのだろうと思えるような外国流、日本流両方の冗談を
駆使し、私たちを遣り込めるというケースも多々あり、それが的を射ており、
また鮮やかで双方にとって楽しいのである。

そのソニアは私たち夫婦が揃って何事も『綺麗好き』であることを意識して選んで
くれたその店が綺麗だったことが料理をいっそう美味しく感じさせてくれた。

そのことを感謝しながら食に関するいろんな話題へ・・・
そして巷でいう『汚いけど凄く美味しい店』と『綺麗だけどあまり美味しくない店』の
話題になり、それぞれどちらを選ぶか・・・という話になった。

私は美味しくなくても店舗も備品もきれいで掃除も行き届き、清潔感溢れる店を
選ぶと言い、妻は汚い店はいやだけど、美味しい物を食べに行・・・という意味では
多少汚くても許せるかな?・・・という意見。

息子は汚くても美味しければそんなに気にならない・・・と言い、ソニアは基本的に
汚い店は入りたくないけど、最近綺麗じゃないけど美味しい店と言われて何軒かの
店へ行ったがいずれも前評判どおり美味しかったので、味に後悔しなければまあ
許せるかな?・・ただし一人では生きたくない・・・という意見だった。

結局、汚くても美味しい店はそれなりに評価され、市民権(?)を得ているのかな?
とほんの少しだが許せるような気持ちになりそうだったが、いやいや、これは断じて
許せない・・・とまた本来の頑なな気持ちに戻った。

私の持論(?)は汚いけど美味しい店というのは絶対に有り得ない・・・というもので
その理由は、客に美味しく、或いは気分よく喜んで食べていただきたいと考える店
なら絶対に店を綺麗にする筈だと思うからである。

綺麗な店だから食事も楽しく美味しく感じるのであって不潔とまでは言わなくても
綺麗じゃない店では食欲も減退するのではないだろうかという私の意見を
皆さんはどう思われるだろうか。


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周りの木々も一段と緑が鮮やかに・・・

2019-05-30 05:06:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
暑い日が連続した後はここさいたま市でも少しの雨で僅かに潤ったかな?
と思ったが、今日から6月初旬は晴れる日と雨を含む曇天の日が交互に
やってくるようだ。

昨日は予報を下回る少量の雨だったが、周りの木々も一段と緑が鮮やかに、
そして濃く、葉も大きく、多くなってきたことに改めて気づいた。

ケヤキ並木の上空は勢いのある葉っぱで塞がれたようで隙間から微かに
青空が見えるという光景にもなっていた。

各家の花々はここぞとばかりに競うように咲いており、2月の半ばには寒さの中でも
凛としてさいていた近所の家の梅の木のまだ固そうな緑色の実も今はかなり膨らみ、
ブロック塀の下にはいくつかが落ちていた。

まだ小さいながらも琵琶の実も少しずつ色づき、柿の実も順調に大きくなっているようだ。
過日投稿の『ジャガイモの花』も今はほとんど散り、土中で少しずつ大きくなっているで
あろうジャガイモは収穫される時期のためにエネルギーを蓄えているのだろうか。

こんな住宅街の中の家庭菜園にも日々新鮮な様子が見られる。
ポツポツと実り始めたエンドウを若いお母さんが可愛い笑顔の女の子と一緒に
収穫している微笑ましい光景も見られ、周りの花のすぐそばで失礼ながら場違いとも
思えるような(?)大きなネギ坊主も仲間と共に自分の存在を主張しているように見えた。

私たち夫婦は今日これから東京駅7時30分発の新幹線「のぞみ」で神戸の
姉夫婦宅へ向かうのだ。
最近体調が思わしくない義兄との久しぶりの会話と『老々介護』の様な姉への
労いのためで、実の姉妹以上に仲の良い姉と妻はほとんど毎日電話で1時間
ぐらいの会話をしているので元気な様子はわかるし、久しぶりに会うというような
感覚ではないのだが・・・。

とはいってもやはりお互いに直接会って話すのが一番!
神戸までは多少時間もかかるが新幹線内は無料のワイファイも使えるようなので
意外に苦も無く到着できるかもしれない。
さあ、そろそろ出発としよう。
そしてお互いに元気が出る会話で楽しい時間を過ごそう。

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連続殺傷事件に腸が煮えくり返る・・・。

2019-05-29 10:14:53 | 喜怒哀楽をポジティブに
季節外れの暑さが多方面にわたりいろんな影響を与え、ようやくおさまりそうだが
昨日も忙しく始まった通勤、通学時間にまたもや悲惨な連続殺傷事件が起きてしまった。
複数の小学生を含む19人をも襲った男は自らも命を絶とうと思ったのか
自分の首にも刃物で傷をつけたが確保された後、病院で死亡したとのこと。

何の罪もない被害者やその家族の動転、憤怒の思いは測り知れないものだろう。
私が家族だったら犯人を自らの手で八つ裂きにしてもまだ足りないような思いだが、
その犯人は自殺を図るという卑怯な手段をとったので死刑にさえできないのは
本当に残念である。

私の様な意見を声を大にして言うことに反論の声があることは充分承知している。
犯罪者であってもその人権は守られるべき・・だとか死刑は勿論、厳罰はただの
復習に過ぎない・・・などとしたり顔にいう学者なども多くいるようだ。
彼らは悲惨な事故の被害者やその家族ではないからだろう。

今回の犯人には残念ながら死刑執行はできないが私はこのような事件の犯人には
死刑が妥当であり、感情をむき出しにして言うならば現行の執行方法ではなく
もっともっと残虐な方法でもいいぐらいだと思う。
抑止効果を含めて・・・。

死刑反対の立場から抑止効果などは期待できないと言う人達がいるかも知れないが
人間はあらかじめ予測される身の危険などには予防も含めて敏感に反応するもの
だと思う。
他人の犯罪と刑罰が自分自身を抑制するという直接的な問題とは少し意味が
違うし、かけ離れてはいるが『羹に懲りて膾を吹く』という故事、ことわざもある。

良識、常識ある人間は勿論、自制できないような弱い心をもっていて犯罪へ
心が向きそうな人たちにも踏みとどまることのきっかけになればと思う。

犯人の命を奪っても亡くなった人は帰ってこないのはわかっていても犯人が
弁護士の知恵を借りてのうのうと生きていくことなど絶対に許されない筈である。

世界では死刑制度のない国が圧倒的に多いようだ。
『日弁連もかなり前から』死刑執行停止法の制定に向けた取り組みをしている。
「人権」「冤罪の可能性」「野蛮で残虐」「非人道的」「更生の可能性」などという
言葉で説明されており、事実そういうケースもあるだろう。

もちろん、国であっても人の命を奪う権利などはないのかもしれない。
死刑などは本来ない方がいいに決まっているが悪質な犯罪が後を絶たない
現状では被害者やその遺族の感情も含め、やはり必要なのではないかと思う。

私は殺人を犯した人間のすべてを死刑にすべきだと言っているわけではない。
自己防衛のためやむなく命を殺めた・・・というケースには十分な調査や
情状酌量などの配慮も必要なケースもあるだろう。

過日投稿の『特殊詐欺』を含め、計画的に、故意に、卑劣な手段で・・・
などによる殺人や詐欺の犯罪者や加害者が現行犯で逮捕されたような場合は
裁判など不要、有無を言わさず死刑・・・ということである。
抑止効果を含めて・・・ということだと思っている。

今回のような犯人に対しても「更生の可能性」や「人権」などという言葉を
用いるのはもってのほか・・・被害者や遺族の感情を無視するだけである。

昨日の午後にもさいたま市で刃物を持って警察官に向かって行った男が警察官の
威嚇射撃後腹部を撃たれて病院に救急搬送され、治療を受けたが命には別状
ないという事件があった。

こういう場合も何かと警察官の行動が問題にされるが、私は警察官としては
当然のことをしたので非難されることはないと思う。
アメリカをはじめ外国ではポケットに入れた手の動きだけでも撃たれるケースも
多いというし、今回のように明らかに刃物を振り回して向かってくる場合などは
日本でも躊躇なく拳銃で市民や警察官自らの命も守ってほしいと思う。

世の中に渦巻いている『金』『慾』『嘘』を良しとせず、子供の頃から
礼節や心を大切にするおおらかな教育を一歩一歩進めていってほしいと思う。

私も常に使うので大きくは反対しないが文明の利器一辺倒ではなく、
時には本に親しみ、そこからの知識や言動を学ぶのもいいことだと思う。

子供の頃にワクワクして読んだ『南総里見八犬伝』の伏姫が死ぬときに飛び散った
八つの数珠玉に刻まれた『仁』『義』『忠』『孝』『礼』『智』『信』『悌』は
私の心にも深く刻まれ、そのころから現在に至る自身の『行動指針』ともなり、
私のモットーである『いつも、いつでも元気炸裂!』と共に元気の源、そして
生きる力となっていると言っても決して過言ではない。

腸の煮えくり返る思いと共に自己の言動を振り返る一日にしたいと思う。













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くだらないことでも笑いに繋げて遊ぶ。

2019-05-27 08:54:32 | 喜怒哀楽をポジティブに
妻がみかんの木の葉についていた小さな青虫のような幼虫を指先で
つまんで捨てた。(その後、殺処分)
私には到底できないある種の勇気を感じた。
この「勇気」とは害虫を殺したことではなく手の指でつまんだことである。

私は毛虫や蝶や蛾の幼虫であるあの独特の外観と動きを見ると鳥肌が立つ。
私が虫といわれる生き物の中で自分の素手で触れるのは昆虫類の中の
ほんの一部で、カブトムシ、クワガタ、テントウムシ、カナブンなど甲虫類の
一部とトンボ、セミ、アリぐらいである。

これらの虫たちでもその幼虫は絶対に触れない。
あのフニャッとした柔らかそうな姿を見ただけで『身の毛がよだつ思い』で
まさに『背筋が寒くなる』という状態である。

バッタやカマキリなども少し硬く感じる背中の部分を持つことはできるが、
柔らかい腹の部分に指が触れるとゾっとして放してしまうほど昆虫の柔らかい
箇所は苦手である。

そんな私であるから前述の妻の姿は驚きを超え、尊敬に匹敵するぐらい
なのである。

妻もすべての昆虫、幼虫に触れるわけではなく、幼虫でもごく小さなものに
限って・・ということらしい。
それでも私にとっては感心、尊敬の念を持つぐらいなのだ。

そこで、下世話な話というより、低俗、下品な話になるが、私は触ることによって
得られる昆虫別の報酬額の設定を持ちかけた。
現実とは大きくかけ離れたくだらない話ではあるが二人の間では結構盛り上がり、
笑いながら次々と・・・・。

結果、妻は私が触れない幼虫の中でランク付けをし、最低はゼロ円でも触り、
順に最高額1万円ぐらいで商談成立となったが私は最低額10万円でも難色を示し、
お金もないくせに100万円でも嫌だと言って不成立に終わってしまったが何故か
『ほっ』とした。

仕事を引退した身でも、もしかすると100万円や200万円は手にすることが
あるかもしれないがあの「フニャッ」と感じる虫を触ったという嫌な感触を
一生持ったまま生きるのは厭だ・・・というとんでもない発想を消すことが
できなかったからという情けない話はその後電話で娘にも伝わったが幸い娘も
私同様いくらお金を摘まれてもNO・・・ということだったので再び『ほっ』で
一件落着となった。
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タチアオイの花から昔の遊びへの連想が・・・。

2019-05-26 06:53:44 | 喜怒哀楽をポジティブに
我が家から200メートル程の住宅街の一角に半月ほど前から「タチアオイ」が
咲いている。
今年は少し早いのだろうか?

遠目にも近くへ寄っても実に綺麗だ。
空に向かって真っすぐに伸びた何本もの茎はかなり高く、周りの花も幾つかの
塊のように咲いているが、その色の多いことに少し驚く。

同じピンク系や赤系統のものでもその花びらの色や中心に向かう模様や
色の濃淡など・・・こんなに種類がある花だとは知らなかった。
今までは綺麗な花だと思っても傍によってじっくりと見たことはなかったが
優しい色のものから目の奥に焼き付けられるような鮮やかで濃い色のものなど
その花びらの独特の色に出会い、予想以上に暑い日差しも気にならないほど
魅入ってしまった。

妻はタチアオイの花が咲き乱れる時季になると毎年決まったように子供の頃の
思い出を語る。
それは花びらをとり、その根元部分をもってそれを二つに裂いて分けるように
して開き、それを自分の鼻の先にくっつけて燥ぎまわったという無邪気な子供の
様子を再現するという他愛もない話である。

私も数年前にやってみたことがある。
根元の粘着力はかなりのものだが嫌な感じのベトベト感ではなかったように思う。

この花には『コケコッコの花』とか『コケコッコ花』という言い方もあるようで
花びらが、鶏の鶏冠(トサカ)に似ているから・・・というところから来るらしい。

妻の実家は新潟県だが、この遊びは北海道、南会津(福島県)木曽(長野県)
などでも見られるようで花びらを割き鼻や額や顎に張り付けて手足をバタバタ
させて遊ぶ時の姿を想像すると、物に溢れた現在の世の中のゲームなどに
代表される競争主体のような遊びとは違った『心豊かな遊び』というイメージが湧き、
『ほっこり』とする。

この記事で「私も・・・」と思い出してくださった方々もいらっしゃるかもしれないが
幾つかの地方で同じ遊びがあり、それが話題になった時の嬉しさを共有できるのも
楽しいことだと思う。

昔の遊びを思い出してみると幼いころの友達の顏も浮かんできて頬も緩む。
そして幾つになっても童心に帰るという時間を持てることに感謝したい。
自然を相手の遊びや子供なりに頑張って作った手作りのものを使っての遊び・・・。
心無い人に『懐古趣味』と揶揄されても数多くの昔の遊びはお金で買える遊びとは
違った良さを思い出すからこそこうして『ほっこり』できるのかもしれない。
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美談に心打たれ、常軌を逸した議員には『怒り心頭に発する』。

2019-05-25 06:54:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
先日沖縄の高校生の美談が二件報道され私たちの心を揺さぶった。

一人は連休中に埼玉県越谷市に遊びにきていた高校生が偶然居合わせた
火災現場で自らの危険も顧ず冷静な行動で2階によじ登り、逃げ遅れて
パニックになっている16歳の少女に優しく声をかけて冷静沈着な言動で
救助した勇気ある沖縄の高校生、玉城弘次廊さん。
その後行われたインタビューの応答も爽やかそのものだった。

もう一人は実家である与那国島での叔父の葬儀に参列するために
那覇空港駅へ着いた際に航空券と6万円の入った財布を無くしたことに
気づき途方に暮れていたところ、何も言わず6万円を貸してくれた男性
のお陰で無事葬儀に間に合ったが連絡先等を聞いていなかったので
その後、新聞社の協力によりその男性(埼玉県の医師)を探すことができて
お金を返し、授業の成果を活かし、感謝を込めた文字入りの素晴らしい手作りの
文鎮を渡した工業高校の高校生、崎元颯馬さん。
医師からも財布のプレゼントがあり、心温まる話題となった。

崎元さんの『再会できて嬉しい。直接お礼が言えて良かった。今回の経験を
活かし将来は自分も困っている人に声を掛けられるような人になりたい』
というコメントと
医師猪野屋さんの『批判などが多い世の中で、崎元さんの行動はお互いの
尊厳を大事にすることを表してくれた。改めて会ってもしっかりしている子だ
与那国島へも行ってみたい』という話には誰もが胸を熱くし、涙が流れたことと思う。

それに引きかえ、丸山穂高議員の常軌を逸した言動は人として許されるものではない。
次々と報道される恥ずべき言動には呆れるというよりも議員としての資格が
ないことが明らかなので即刻辞めるべきである。
「衆議院議院運営委員会」は本人から事情を聴取するため出席を求めることに
したが、卑怯な丸山議員は体調不良を言い訳に出席を拒否している。

なんと情けないことか・・・。
単なる失言だったとか誤解を招いたなどと嘯いて撤回で済まそうとした議員たちが
あとを絶たない。

こんな議員たちは不要!・・・議員数を減らし、報酬が少なくても国民のために、
社会のために働く人物だけが議員としてその職責を担うという制度を強く願う。
その為にも先ずは安倍政権打倒が肝要!


大嘘つきで卑怯なコウモリ安倍晋三はトランプ訪日のこの4日間、またもや
「ポチ」という名で尻尾を振りまくり「ご機嫌取り」に徹するであろう。
得意の茶番劇はほどほどにして何らかの成果を一つでも出せるだろうか。
口先だけのパフォーマンスはにみんなが飽き飽きしていることを考えよ。
問題は山積しているのだから・・・。



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完全に防げた筈の交通事故加害者には厳罰を

2019-05-24 07:37:32 | 喜怒哀楽をポジティブに
池袋、滋賀、大阪などで頻発して起きた車による大きな、そして悲惨な事故が
大きく報道されているがそれでも連日同じような事故が連続して起きている。

池袋の事故は事故を起こした本人や家族が良識、常識ある判断をしていれば
100%防げたものだと思う。

駐車場での操作や車の移動が周囲からも不安がられる様子で杖を使わなければ
歩行もおぼつかない状態だったことなどかなり前から既に事故を起こすかも
しれないという状況が幾つも重なっていたことを本人も家族も承知していたはずである。
さらに医師からも運転はしないようにとの注意もあったという。

事故後に『アクセルが戻らなかった』『ブレーキを踏んだが効かなかった』などと
嘘をついて車に責任があるかのような発言を繰り返した卑怯な男は自分自身を
卑劣で恥ずかしい人間であると思わないのだろうか?

この事故については加害者の退院後、任意の聴取が行われいろんな検証も
なされてきているが車の機器等には全く題はなく、事故前後の車両の情報を
記録するために設置されている『EDR』でもブレーキ操作をした形跡(記録)は
ないという結果も出ている。

しかし事故を起こした男はこの期に及んでブレーキを踏んだが効かなかった・・とか
運転操作のミスはないなどと未だに言い逃れをしようとしている。

最近被害者あてにお詫びのメッセージを発表したようだが、謝罪するなら
サングラスやマスクを外してしっかりと正面を向き、誠意ある言葉と態度で
示してほしいものである。

旧通産省・工業技術院長という社会的にも責任ある元官僚が責任逃れに
汲々とする情けない姿は心ある人間とは思えない。
今回の事故は『故意』に起こした事故と言われても反論できない筈である。
行政も『パニックに陥り、操作ミスを冒した』などと情状を酌むようなことが
ないよう決して「執行猶予」などをつけず実刑扱いにしてほしい。

事実確認や状況確認は必要だがいかなる事情があろうとも完全に防げたはずの
事故なので高齢だから・・・とか犯罪者の人権も云々という扱いはやめてほしい。
被害者やその家族たちの気持ちを思うと被害者たちの人権を最優先し
犯罪者(加害者)には厳罰が妥当であると思う。

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力士の所作への思い。

2019-05-23 08:22:14 | 喜怒哀楽をポジティブに
最近は自分自身が相撲への興味、関心が薄れていることに気づいた。

我が家は夫婦ともに野球を筆頭にスポーツ番組が好きなので以前は
相撲もよく見ていたがこの頃はダイジェストやネットで結果だけを見ることが多い。

相撲中継が終わるのは野球放送が始まる前なので観ようと思えば
いつでも・・・という状況ではあるが・・・。

大きな理由の一つとしては横綱白鵬の言動である。
白鵬は確かに強く、色々な記録も次々と塗り替えてきた稀代の横綱と言えるが
はたして強さだけで偉大な横綱といえるのだろうか。

私たちが子供時代から大人になったころの横綱にはそれらしき風貌や品位や
品格が備わっているようで親しみの中にも威厳が感じられたし、力士たち、
とくに横綱からは心身共に研ぎ澄まされた偉大な力を感じさせられるものが
あったように思う。

決してモンゴル勢を悪く言うつもりはないが、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜達は
確かに強いし、異国での生活や言葉をはじめ、稽古に関してもその努力や苦労は
並大抵のものではなかったと思うので日本の力士たちも見習うべきところも多いと
思うが、横綱の風格という意味では歴代横綱には及ばないのではないかと思う。

生活や慣習、文化の違いからくる戸惑いや不慣れなどによるものもあるかも
しれないがとかくあれこれ問題になる白鵬の場合は特に違和感を覚えてしまう。

確かに激しい稽古の中で体力や技を磨き、勝負に賭ける精神力も群を抜いて
いるのかもしれないが、礼儀作法よりも勝てばいい・・・という感じがするのは
否めない点もあるし、戦い方が綺麗とは言えない。
勝負だから勝ちにこだわるというのは違反ではないとしても立ち合いの張り手、
厚いサポータを巻いた肘でのプロレスまがいのかちあげ、勝負が決まり、土俵を
割った相手が力を抜いた途端のとどめの一撃や土俵下へ突き落とす行為など・・・。
誠に見苦しい限りである。

一方、先場所負け越して大関を陥落した栃ノ心は今場所10勝以上の勝ち星で
なければ大関へ復帰できないという状況の中でも非難されるような相撲ではなく
土俵外へ押し出し、或いは寄り切った時に相手が土俵下へ落ちないよう即座に
「まわし」を掴んで自分の方へ引き寄せるような光景もよく見られ、厳しい勝負の
中でも相手への敬意と共に人柄の違いが表われている。

ここでこの記事を読んでくださってる方々に私と同じような気持ちを新聞に
投稿された東京都の大島さんという方の記事『豊真将関の所作こそが手本』を
そのまま紹介させていただきたいと思う。(2015年に朝日新聞に投稿されたもの)

大相撲の元小結・豊真将はけがに勝てず、初場所6日目の16日に
現役引退を発表した。
さぞ無念だったろうと思う。
 豊真将の取り口は、いつも真正面からぶつかる正攻法だった。
取り組み直後の所作でも、勝つと指をまっすぐ伸ばし、大きく手刀を
切って懸賞金を受け取っていた。
敗れても対戦相手への敬意と、無事にその一番を終えた感謝を
込めるように、土俵と相手に向かって深々とお辞儀をしていた。
 端正な所作の力士はほかにもいる。
だが、上位になるにつれて雑になっているように感じるのは私だけか。
例えば、行司の勝ち名乗りの最中に土俵から降り始めてしまうのは
無作法ではないか。
行司がきちんと腰を落とす前に、軍配の懸賞金に手を伸ばすのは
いかにもさもしげだ。
 負けると憤怒の表情もあらわに土俵上で下がりを抜く三役力士。
横綱・白鵬関は、懸賞金の束をこれ見よがしに掲げているように感じる。
いずれも、私には見苦しく映る。
 大相撲は伝統の様式美を備えた国技である。
すべての力士は、豊真将関を手本に誇りと品格ある立ち居振る舞いを
してほしい。

という記事だが豊真将には古武士を思わせる風格があり、私も家族には
豊真将のことをよく話していたので何事にも通じる豊真将の所作を
機会あるごとに多くの人達にも伝えたいと思い、その心を大切に今もこうして
しっかりと保管しているのである。
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日常生活を自らもチェックしていこうと思う。

2019-05-22 08:38:36 | 喜怒哀楽をポジティブに
過日、90歳を超えてもまだ知識欲旺盛な人のことが紹介されていた。

『125歳まで生きる!』と豪語している私もそうありたいと思う。
幸い私は何事も面倒とは思わないし、小さなことでもどんどん知りたいと
思う性格なので、紹介されたその人に一歩ずつ近づいていけるかもしれない。

こんな齢になっても知らないことや体験していないことはまだまだ多すぎる位
あるし、それらに巡り合う機会は日常のどこにでもあると思う。

わからないことや『えっ?』と思ったことはすぐに辞書やネットで調べることも
億劫ではないし、とりあえず引退した身で時間はたっぷりあるし、この機会に
ジャンルを問わずいろんな知識を吸収したり学びなおしたりしてみようと思って
いるので身近な問題はもちろんのこと昔読んだ本を読み返してみるのもいいかな・・・
と考えているのだ。

私が多くの人達から年齢より遥かに若く見えると言われるのはブログのタイトル
どおり『いつも、いつでも元気炸裂!』を意識し、気持ちを若く保ち、筋トレにも
励むということで心身とに実践していることに加え『なんでも知りたい・・・』と
思うこの『欲張り』が少し功を奏しているのかもしれない。
このような欲張りなら誰にも迷惑が掛からず自分の楽しみも膨れ上がり
無意識のうちに意欲も継続させていくことができるのではないだろうか。

これができるのも健康だからであることを再認識し、この健康状態を長く維持
できるよう日常生活を自らもチェックしていこうと思う。

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長い長い夢を見た。

2019-05-21 08:33:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
私はよく夢を見る。昨夜も長い夢を見た。
そして今朝(早朝)も・・・

現実の様な出来事が次々と続き、しかもはっきりと覚えている。
いつもは夢から覚めた時にこの夢は忘れず伝えようと思っても朝起きた
頃には忘れている場合も多いが今朝はしっかりと覚えていた。

夢のメカニズムには不明確なところが多く、長年研究され続けていても
未だに解明されてはいないということのようだ。。

いろんな説明にもあるように脳は起きているが体は眠っている状態の
レム睡眠時に多く夢を見るというのは私も寝入り端や明け方によく夢を
見る・・・という実体験で充分うなずける。

夢の原因の一つとしての説明のように私の場合も脳が起きているから
自分の生活で体験したいろんな記憶や感情が夢となって再現される
のかもしれない。

現実離れした夢を見ることも少なくはないがよく覚えていた夢や忘れられない
夢などを思い出してみると日常に近いような夢が多いように思う。

それにしても長い長い夢だった。
その連載小説の様な夢には既に亡くなった兄弟たちや仕事で知り合った人達
が現在の自分の周囲にいてその会話も至って現実的だった。
亡くなった兄弟の顔や声は生前そのものだった。

次々と関連付けしながら進行していく夢の中に現在続けている『筋トレ』の
設備やトレーニングルームの移動先が不明で館内を探し回ってる様子や
中庭を歩く人たちの危険防止のために後輩達と一緒に頭上から落下する
瓦礫などを排除する夢などはそれと類似した体験が何かの記憶と共に
蘇ったのであろうか?

過去に経験、体験したことや実際に見たものが断片的に出てきて夢の中で
物語を作っていったのかもしれない。

尿意をもよおし、トイレへ行こうとしてもトイレが見つからなかったり、
順番待ちが長かったり、行ったばかりなのにすぐに行きたくなるような夢は
その感情がストーリーとなってその行動の夢となるのかもしれない。

今夜はい夢を見たいものである。
希望や願望が実現する夢などはきっと楽しいものとなるだろう。
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立ち止って胸を張る格好が凛とした姿に見えるツグミはもう帰ったのか・・・

2019-05-20 08:21:33 | 喜怒哀楽をポジティブに
野鳥たちは今どうしているのだろう?
最近は庭へ来るツグミの姿を見かけなくなった。
もうシベリア方面へ帰ってしまったのだろうか?

ついこの前まではピョンピョンと小走りに移動して立ち止り、胸を張るあの
独特の姿を毎日のように見かけていたのに・・・。

それから今年は数度しかみなかった渡り鳥のジョウビタキの姿も見なくなったので
やはり中国方面へ帰っていったのかもしれない。

冬鳥は現れなくなったが食欲旺盛なムクドリは今も頻繁に降りてきて伸び始めた
芝生の中に忙しそうに嘴を突っ込んでいる。

木蓮の蕾が開き始める頃に集団できていたヒヨドリたちも他所で次々と美味しい
花や実が食べられるようになったのか我が家へは姿を見せなくなった。

そういえば・・・
数羽の群れで落ち着きなく機敏に動き回っていたシジュウカラも最近では
見ることもないがシジュウカラは渡りをしない留鳥だと聞いているのでそのうち
またあの可愛い姿を見せに来てくれるかもしれない

こんな住宅街の中でも野鳥がみられるのは嬉しいことである。
妻も頻繁に訪れる小鳥たちの名前と特徴を少しずつ覚え、最近では『嘴と足が
黄色いからムクドリですね』とか鳴き声と羽ばたいては羽を閉じて上下に波型を
描くような飛び方をみて『ヒヨドリね・・』とか『少し歩いて胸をそらすからツグミでしょ?』
などと見分けられるようになっている。

年に何度かは野鳥の姿を見たり鳴き声を聞いたりできるところへ出かけるが
気候が良く、緑もきれいなこの時季にまた出かけてみようと思う。

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懐かしい『肥後守(ひごのかみ)』を思い出して・・・

2019-05-19 09:24:08 | 喜怒哀楽をポジティブに
私は仕事を辞めた現在もパソコン作業や文字を書いたり書類を整理したり
するときは自分で改良したパソコンデスクを使っている。

これは自分の部屋はあまり広くないので机も天板(甲板)や足を取り外して
片袖の抽斗(ひきだし)部分だけを使い、スペースの有効活用するためで、
ベッドの下は勿論、空間を最大限に利用し、種々雑多なものを収納しているのだ。

普段必要な文具や書類ケースなどは改良パソコンデスクの周辺に配置して
あるので机の抽斗を開けることはあまり多くはないが、久しぶりに机の引き出しの
中を整理しようと思い、細かく分けられた仕切りや箱の中のものを取り出し始めると
パソコンデスク周りにまとめてあるつもりの鉛筆の残り2本が出てきた。

その2本はいずれも芯が折れた状態で、普段はほとんど使わない三角スケールや
折尺やコンパス類と一緒に細長い箱の中に入っていたのだ。

すぐに削りなおして鉛筆類が入った箱に移そうと思い、手回しの鉛筆削りを
手にしたのだが、その鉛筆の先はナイフかカッターで削られたものだということに
気づき、懐かしさや幾つもの小さな思い出が蘇ってきた。

出てきた2本の鉛筆の削り方を見ると六つの角から芯の部分までの削り幅や
長さや角度が不揃いで明らかに自分が削ったものではないことが判り
『誰が削ったものだろう?・・・』と思った。

その鉛筆には『高崎芸術短期大学』の名前が入っていたが家族や友人関係との
関連も思いつかず、また『高崎芸術短期大学』を検索すると2008年に廃止されて
いることなどから10年以上前から我が家にあったものだと思われる。

どんな経緯で私の机のなかに入ってきたのか不思議なのでいずれ判明するまで
これはこれできちんと(?)保存しておこうと考え、あらためて正しい私の削り方で
保管することにした。

さて、削るとなると・・・
最近はほとんどの場合早くて便利な鉛筆削りを利用するので私自身も久しぶりに
鉛筆を削ることへの「わくわく感」のようなものを覚えた。

そして数多い私の道具箱の中から「切り出し小刀」を取り出し既に削ってある
部分に刃をあてて右手で持った小刀の柄と刃の接合部分をしっかりと押さえ、
左手の人差し指の第一関節から小指の付け根にかけて斜めに握った鉛筆の先の
削る箇所に刃をあてて親指で刃の峰の部分を押しながら削っていく・・・
という懐かしい動作。

久しぶりの小刀だが、刃先の向きや角度と削る量などの微調整のようなものは
やっぱり忘れていない。

現代の若者にも小刀などをうまく扱える人はいることと思うが、私たちやその
前後の世代の人たちは子供の頃から自分で鉛筆を削っていたので今でも上手く
削れるのではないかと思う。
まさに『昔とった杵柄』と言えるのではないだろうか。

私が使った小刀は一般的に「小刀」や「切り出し」「切り出し小刀」と言われている
ようだが「切り出し」と「小刀」は違うらしい。

切り出しは『切り出しナイフ』『共柄切り出し』などと呼ばれ小刀は『鎖入れ小刀』
『繰小刀』『横手小刀』と呼ばれるものという説明があった。

切り出しは刃と柄が一体になっているもので小刀は鞘のあるものというのが
わかりやすいのだろうか。

いずれ切り出しについてもっともっと調べてみたいと思うが・・・
私たちが小、中学生の頃は『肥後守』が普及しており、この切り出し小刀よりも
肥後守が多く使われ、必需品のようだった。

この言葉でいろんな懐かしい思い出が蘇ってくる人たちも多いことだろう。

鉛筆を削るだけではなく、いろんな工作や遊びの材料を作るのにも軽量で
使いやすく、ポケットにも入り、「危険」「犯罪」などの感覚など全くなく、便利な
道具としての認識しかなかったが現在の中学生がポケットに入れて持ち歩く
ことは許されないのかもしれない。

私が持っている『肥後守』は子供の頃のものではなく30年以上も前に買った
ものだが一般の人には考えられないほど種類も数も多い道具や工具を持っている
私の道具箱の数があまりにも多いので常日頃きちんと分類と整理はしていても
『肥後守』はすぐに見つからず、今回は『鎖入れ小刀』を使って削ってみたのだ。

『肥後守』の行方をゆっくりと探してみて見つからなければネットで購入し
追加保存しておこう。次はいつ使うかわからないが・・・。


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毎日が忙しい5月を元気に過ごそう。

2019-05-18 08:33:18 | 喜怒哀楽をポジティブに
ゴールデンウィークが終わっても我が家ではまだまだハッピーな日が
続くのが5月・・・
そして活発、軽快に動き出すのも5月から・・・。

12日は母の日、息子夫婦と娘夫婦からお祝いのメッセージや花のプレゼントが
あり、息子夫婦の子供(私たちの孫)からは自分の両親と私たちじじ、ばばにも
就職先のメキシコからお祝いの連絡があり。テレビ電話でお互いの健康を
喜び合った。

13日は妻の誕生日、そして15日は私の誕生日、16日は息子の妻の母親
と昨年亡くなったが私の義理の姉の誕生日、そしてその1週間後は姪の誕生日、
特別に何か大きなお祝いをするということなどはないのだが電話やメールや手紙
などを通して更にお互いの人生の新しいページを開くことに喜びと期待を確認
し合えることが嬉しい。

日々の生活も5月は忙しい日が続く、抽選で決まるマンションの理事は昨年で
任期を終えたが、今年は町内会の組長のくじを引いてしまい、更に副班長をも
兼任することになったので、募金活動や、町内の清掃活動をはじめ、回覧板の
仕事などを含むと結構忙しい気がする。

またマンション内でも消防設備の点検や、植栽の消毒、その他の機器の点検等
忙しい日が続きそうだ。

いい天気が続くので自分でできることを片っ端からやっていこうと思う。
洗車や定期的に行っているタイヤの空気圧点検、いろんな道具の手入れ、
布団を圧縮袋から取り出して天日に当てて保管したり芝生内に遠慮なく
生えてくる雑草の除去や椿やミカンの木の枝の手入れ等々・・・。

『77歳はまだまだ洟(鼻)垂れ小僧』だと思ってますます元気で頑張ろう!

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ジャガイモの花にふと足が止まった

2019-05-16 08:24:44 | 喜怒哀楽をポジティブに
私の住むマンションの近くの畑のジャガイモの花が一斉に咲いた。

周辺は戸建て住宅と複数のマンションがいたるところで隣り合わせていると
いう地域でその中にこの広い畑がある。

元々この畑の隣には狭い道路を挟んでかなり広い梅林があったのだが数年前に
その梅林が空地に変わり、その一部に『サービス付き高齢者住宅(介護型)』と
『サービス付き高齢者住宅(自立型)』が立てられ、今年になって更に建築中だった
『特別養護老人ホーム』がオープンした。

その畑には一年中いろいろな野菜が次々と植えられ、それらの花や実の色、
そして全体に拡がる緑が私たちの目を楽しませてくれている。

ついこの前、ジャガイモの葉が大きくなったなあと思っていたが瞬く間にこんな
可愛い花の集団となったことに驚き思わず立ち止ってしまった。
幾列にも植えられたジャガイモの畑の道路側の2列のジャガイモがひときわ
鮮やかにその様相を呈し、中央にツンと伸びた茎の先で幾つもの花が集まって
あたかも周りを見渡すように咲いているような光景と、今咲いているジャガイモの花は
薄い紫色のものなのでその色がいっそう可愛らしく見えるのかもしれない。

やがて、あの優しい色と形のオクラの花や力強い黄色というイメージの花を咲かせる
ズッキーニの姿も見られるだろう。
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今朝の報道からちょっとした喜・怒・哀・楽

2019-05-15 08:48:51 | 喜怒哀楽をポジティブに
今朝のニュースで昨日、全国的に降った雨の様子が伝えられていた。
道路が川のようになる様子や道路わきの川の水位が上がり、道路上に
拡がって大きな川のようになった状況や駅の入り口が水浸しになり
混乱している人々・・・そして強い雨による街中の歩行困難な様子など・・・。

そんな中、雨の中を歩く高齢の女性(おばあちゃん)に寄り添って
傘を差しだし、歩行を助ける女生徒の姿が映し出された。
冷たく強い雨の中でお年寄りを助ける女性徒(中学生か高校生)の
優しく温かい気持ちが私にとっては大きな『喜』に思えた。

続いて『怒』は松本市の「松本走り」なる悪弊。
松本市では暗黙のルールとでも言いたいのか右折車が対向する直進者の直前を
強引にすり抜けるという走行が当然のように行われ、直進者もそれを許したり
認めざるを得ない状況になっているとのこと。

もともと城下町なので道路が狭く、右折ラインが作れないから・・・
などという理由は全く通用しないどころか言語道断・・・
もっともっと厳しく取り締まり、厳罰を加えるべきだと思う。

全国にも「名古屋走り」「岡山ルール」「茨城ダッシュ」「伊予の早曲がり」
「阿波の黄走り」「山梨ルール」などがあるとのことだが、ルールという
言葉は正しいことのためにある規則で、これらは決してルールなどではなく、
自慢げに話すことでもない・・・ということで怒りを覚える。

そして『哀』は栃木県で住宅火災による3人の死亡、越谷市でも火災があった
ことや「区」は違うが私が住むさいたま市でも住宅新築現場で作業員が足場から
転落し、死亡したことなど。

ささやかな『楽』として感じたのは「青いケシの花」の画像を見たこと。
妻に話すと昨年博物館で実物を見たとのこと。
ケシの花そのものが好きという訳ではないがこんなきれいな花を咲かせるケシの
由来についてちょっと気になり、知りたいので今日はこの後、この珍しい花について
検索してみようと思う。
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