『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

ハンセン病家族の集団訴訟で熊本地裁が国の責任認めたことは大きな前進!

2019-06-30 11:11:43 | 喜怒哀楽をポジティブに

国の誤った隔離政策により差別をされたり家族離散を強制されたと
ということで元患者の家族らが国に損害補償と謝罪を求めた訴訟で
家族らの訴えがはじめて認められた。

長い間の国の政策によって患者や家族が差別や偏見の対象となる社会構造が
生まれ、家族関係までをも歪めてしまったり、家族の形成を破綻させたという
ケースも多いという。

ハンセン病の特効薬のあることが確認された後も隔離政策が続けられ、
家族であることを隠して暮らしながら同じ境遇の人たち同士で苦しみ続け、
社会に訴える機会も持てず家族の苦しみは長期間続いたのだ。

家族の体験談の記事を目にする度に私の胸にも強い悲しみや怒りのような
ものが溢れそうになる。

今回家族について国の責任が認められたことは大きく前進したのだと
考えられるが原告全員の被害が認められなかった点は本当に残念である。

今回の判決で厚労相だけではなく法や教育を担う機関として差別の解消に
取り組む義務のあった法相や文科省の責任も認められたことは大きな意味を
持つと考えられる。

今回の判決に弁護団は高い評価をし、今なお残る差別や偏見をなくす第一歩と
なることを期待するというコメントがあった。

これに対し国側は今後の対応について明言を避けているというが、多くの国民は
絶対に控訴などはすべきではないと思っている筈である。

国が先ず最初になすべきことはこの『控訴しない』ということをいち早く
且つ大きく宣言すること。
そして原告団を含むすべての元患者の家族への誠意ある謝罪と一刻も
早い損害賠償である。


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青虫、毛虫類の駆除時は『殺生』という罪の意識などなく、むしろ憎しみをもって 鳥肌を立てながら殺処分(?)する私。

2019-06-29 10:05:09 | 喜怒哀楽をポジティブに
台風3号の直撃は免れたものの台風一過の晴天とはならず、ぽつぽつと
降っていた雨も昼前には上がり、空は灰色の雲でいっぱい。

窓を開けても風もなく湿った空気が漂っている。
アゲハチョウらしきものがゆずやミカンの木の周辺を忙しく飛び交っている。
この蝶たちが産みつける卵がやがて幼虫になるのかと思うと、想像するだけで
虫唾が走る。

蛹になってしまえばまだしも、幼虫が蠢く姿には可愛さを感じることなど全くなく、
極度な気持ち悪さがすかさず自らを『殺処分?』の行動へと移らせるのである。
青虫など蝶や蛾の幼虫、毛虫などを見るとその気持ち悪さに鳥肌を立てながらも
すべて殺してしまうのである。

昆虫愛好家などから非難の声が出るかもしれないが私の中では『害虫』扱いなので
この時に『殺生』という言葉から受ける罪の意識やむごいことをしているなどという
意識は全くないし、とにかくいち早く殺さねば・・・という意識だけ・・・。
蚊や蠅に対する時と同じ感覚で多少の憎しみを込めて殺したりすることもある。

益虫を含む他の昆虫類に殺意(?)を抱くことは全くないし、むしろ観察心なども
あるのだが・・・

蝶や、蛾の幼虫を殺すことが動物愛護法などに触れることはないと思うが
それでも一部の愛好家からは強い非難の声が出るかもしれないことは充分
承知している。

大局的に見ると自然界の「食物連鎖」も充分理解できるが身近に発生する
害虫などにはやはり自らの手で対処することでとりあえず自分の生活を快適な
ものにしようとするのはあまりにも身勝手すぎるのだろうか。

大量に発生する害虫の駆除に大切な時間を割いて対処している農家や
果樹園農家の方々はどんな気持ちで駆除しているのだろう。
特別に考えることもなくその必要もなく、仕事の流れの一環としてやっているのかも
しれないが・・・。



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またしても不祥事、吉本のコンプライアンス再徹底を誓った決意表明の効力は?

2019-06-28 10:54:33 | 喜怒哀楽をポジティブに
24日に所属芸人11人(13人?)を謹慎処分にしたと発表した吉本興行は
連続して発生した「反社会勢力」のパーティーに参加したスリムクラブの
二人も無期限の謹慎処分としたことが伝えられ、今日発売の週刊誌
「FRIDAY」にも闇営業のないようが掲載されるとのこと。

今回明るみに出たこれらの営業のいきさつ、パーティーに参加し、金銭を
受けとった芸能人たちの事情や内容には複雑な問題が絡んでいることと思うが、
何故嘘をついたり、ごまかそうとしたり、言い訳めいたことを言うのかと
考えると腹立たしくなる。

一握りの人達しか脚光を浴びないお笑いの世界で人知れず修行したり、
金銭的にも苦労が絶えない中で夢を持ち続け、ようやく世間に知られるように
なった人達も多いと聞く。
そんな厳しく競争の激しい世界を経験している人たちだからこそ、善悪の
区別は人一倍できているのではないかと私は思いたい。

先輩や苦労を共にした仲間たちとの強い絆や断り切れないような関係も
あるのかもしれない。
だからこそ、なおさら自分の個性や考えを強く打ち出し、自分を最も自分らしく
表現するためにも善悪の判断がしっかりできるよう、言動には人一倍細心の
注意が必要なのではないか。

言い訳や言い逃れなどに汲々とせず、何故潔く自分の非を認めないのか・・・。
反社会的勢力であることを事前に知らされていなくてもパーティーとなれば
当然会話も飛び交うし、主催者側の服装や服飾品、言葉遣い、目の動き、
態度などからもそれとなく察することは充分できるのではないか。

紹介者や主催者に迷惑を掛けたくないので・・という理由からその時点で
断るというのは難しいことであるのはある程度理解できるとしても
そこで勇気をもって、人としての正義を貫いて、難しく誰もできないことを
やる・・という行動こそが苦労をした仲間たちからさらなる信頼を得、後々の
自信と成功に繋がるものだと思う。

どの職業や社会でも正しい言動が非難をあびたり、排除されたりというリスクは
当然付きまとい、職場、職種などにも及ぶ場合もあるが、誰もが思っていても
現実にはなかなか行動に移せないことをやろうと思い実践する勇気こそが
自分の大きな自信となり、力となることは明らかであると思う。

私自身も声を大にして言えるというほどでもないがこれまでの人生では
それを良好な信頼関係の構築と共に実践してきたつもりである。

今は現役を引退した身ではあるが、今なお何事についても、好奇心旺盛で
『私にもできる』ではなく『私ならできる』『私だからできる』『私でなければ
できない』などと過度な自信につながっている。
この自信過剰発言にはかなり反省の余地があるが・・・

今回の事件をふり返り、私たちの気持ちに明るさや余裕や安らぎ、教訓などをも
与えてくれる「お笑い」の効果は計り知れないと思う。
今回の吉本興行のコンプライアンスの強化についてはぜひ徹底してやってもらい
たいと思うが、がんじがらめなものだけではなく、一人一人との会話や
コミュニケーションを中心に一人一人の声を聞いたり取り上げたりできるような
組織と人材を強化し、風通しの良い環境づくりに徹してほしいと思う。




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今日の悲しい新聞記事に一言・・・。

2019-06-27 11:28:12 | 喜怒哀楽をポジティブに
『最高裁、再審取り消し』
最高裁は40年前の大崎事件で殺人罪が確定し服役した原口アヤ子さんの
再審を取り消した。

一、二審の最新決定を最高裁が取り消したのははじめてであるとのこと。
弁護団や支援者らは「まさか」と驚き、残念というより本当に力が
抜けてしまったという。
「新たな証拠」が高裁では「十分な信用性がある」と考えたのに対し、
最高裁は「決定的な証明力はない」と正反対の評価によるものだという。

この40年間原口さんは「やっちょらん」と一度も罪を認めず、無罪を
訴え続け、服役中も仮釈放を勧められても「罪を認めることになる・・」と
断ったという。
共犯とされた人や、周りの人たちも次々と亡くなり弱気になることも
あったようだが「このままでは死ねない・・」と無実を信じて
闘ってきた思いはどうなるのだろう。
「疑わしきは被告人の利益に・・」という大原則はどうなってしまったのだろう。
今後、更に注視していきたい。

『小学4年生心愛ちゃんの虐待死、母に猶予判決』
傷害幇助罪に問われた母親のなぎさ被告に対し、休憩よりも重い
懲役2年6か月、保護監視付きの執行猶予5年の判決が言い渡された。

この母親の受けたDVの影響はあるものの心愛ちゃんから何度も
救いを求められていたにも拘わらず、夫に加担して死に至らしめた罪は
許しがたいものであると思う。

この母親がこの罪の重さを反省する日々の中でどのような更生の
道を歩むのか、そして周囲はどう支援や協力するのか・・・
また今後、二度と起きないよう各地の教育委員会や児童相談所の
組織や態勢などにも厳しい目を向けていく必要があるのではないかと思う。

『札幌市の2歳衰弱死』の母親と交際相手が再逮捕されたという
記事では十分な食事を与えなかったり病院へ連れて行かなかったり
という親として、保護者としての責任のなさが伝えられ、また
『12歳の中学生が用水路に転落し死亡』という記事では用水路を
管理する県の事務所の必要な対策を怠ったことが原因であるという。
いずれも無責任としか言いようがない。

『少女監禁、容疑者は担任』
いずれ明らかになる部分もあると思うが教師が何故?

改革が求められてはいるがなかなか進展しない教師の長時間労働にも
耐え、自己を犠牲にしてまで子供たちの為に身を粉にしている教師や
何よりも間違ったことを教えてはいけないことをしっかりと認識
している教師が圧倒的に多い中、この容疑者のような心の腐りきった
人物が教鞭をとっているとは・・・厳罰を与えてほしい。







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やっぱり野球がない日は何か物足りない・・・

2019-06-26 09:31:47 | 喜怒哀楽をポジティブに
我が阪神は交流戦が終わってから今日で3日間試合がない・・・
そして次の試合は3日後の29日(土曜日)である。
スケジュール上致し方ないことではあるが野球ファンとしては
何か物足りない日々のように感じる。

我が家の二人は私が阪神、妻が巨人ファンであり、両方とも
テレビでの中継がある時はイニングやそれぞれの攻撃時に交互に
チャンネルの切り替えをしたりしながら楽しんでいる。

我が阪神・・・現在はセリーグで3位だが29日からの中日戦を機に
一気に上昇し、そろそろ首位固め(?)の体制に入ってほしいと思う。

首位との差は3ゲーム・・・もちろん射程距離内だし、今年の
戦力や戦いぶりを見ると決して不可能ではない。

チーム別の成績でホームランは5位、得点は4位と少し水を
空けられてはいるが、打率も失点も3位であることから
盗塁数1位という走力を絡めた打線の奮起と防御率2位という自慢の
投手力のさらなるアップでオールスター前には首位の座を確保して
ほしいのである。

今はあらゆるスポーツが広まりそれぞれが脚光を浴び、選手にも
ファンにも本当にいい時代になったと思うが私たちの時代はやはり
野球が中心だったと思う。

61歳まで草野球に取り組んだ私も野球少年から長~い齢を経てきたが
子供の頃の仲間やチームメートの顔はすぐ目の前に浮かび、その声は
今もはっきりと聞こえてくる。

開幕から4番を任せられてきた大山の打率も徐々に上がり、低かった
得点圏での打率も最近は少し上がってきたので、広角に打ち分ける
技術に加えてそろそろホームランも量産してほしいと思う。

3番の糸井も足の怪我の回復と共に最近は目覚ましい活躍で、得点圏でも
快打を飛ばしているし、大山、糸井、糸原、梅野、近本らによる
効率のいい2塁打、3塁打も他チームを圧倒しているので四球、盗塁
をフル活用して他チームにとって脅威となる存在であってほしいと思う。

アクセントもイントネーションもわからないが私も声を大にして叫ぼう!
『7月から巻き返して今年は優勝しまっせ!・・・』と。


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筍づくしの豊かで幸せな気分の毎日・・・。

2019-06-25 11:29:23 | 喜怒哀楽をポジティブに
我が家では先週末から食卓に大好きな筍がいろんな形や味となって
並んでいる。

毎年6月になると『爺さんカルテット』の一人、Kさんが奥さんの
実家である群馬の姉さん宅の竹林から大量に採ってきたものを
いただいているのであるが、この真竹は根元である青い部分まで
柔らかく本当に美味しい。

例年、筍を採ってきたから・・・と連絡が入るとその日のうちに
もらいに行き、真竹独特の光沢のある綺麗な色の皮をむくのが
私の仕事。

そしてそれを調理や冷凍保存のための加工などが妻の役目・・・。
『お父さん、子供たちは食べないし私たち二人だからそんなに沢山
もらわなくてもいいからね』と毎回言われて家を出るのだが、
実際に有り余るほど大量の筍を見るとついつい、一本、二本と
調子に乗ってもらってしまう。

Kさんは妻のいとこ夫婦がも筍が好きなことを知っており、その分も
用意してくれているし、『爺さんカルテット』の家族分を含めると
本当に大量なのでその収穫時の大変さを強く感じる。

筍は日持ちしないということで保存方法もいろいろあるようだが
我が家では大好きな筍を一日でも長く味わいたいと冷凍保存を
している。
ただこれが一般的な茹でてからの冷凍保存ではなく、小さく薄く
切った筍を生のまま冷凍し、食べる時に解凍、調理・・・という
方法をとっている。

他の葉物野菜などもそうだが、茹でてから冷凍にすると解凍時には
くちゃっとかべちゃっとした状態になるので生のまま冷凍し、
調理時に熱湯で軽く茹でてシャキッとした感触を味わうようにしているのだ。

筍ごはん、味噌汁、ピリ辛の炒め物、色々な食材との炒め物や煮物、
肉類との相性の良さ、酢の物などどれをとっても筍の個性も主張できる
ようで、筍づくしは毎日でも飽きないし、あのほのかな香りや味と食感は
本当に贅沢を感じ、心も豊かになり得も言われぬ幸せを感じるのである。

その中でも私が一番好きなのはバターを効かせた『筍のステーキ』である。
既にみなさんご存じであろうがまだ食していない・・・という方は
ぜひ一度お試しあれ・・・。

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大嘘つきで恥知らずで卑怯なコウモリ(安倍晋三)は臆面もなく飛ぶ

2019-06-24 12:17:40 | 喜怒哀楽をポジティブに
太平洋戦争の末期、全体で20万人を超える人たちが亡くなり、県民4人に
1人が犠牲になったという沖縄戦の話を聞くにつけても戦争は絶対に二度と
起こしてはならない・・・と誰しもが思い、亡くなった方々への追悼、慰霊を
目的とし、心から祈りをささげる『沖縄慰霊の日』でも「卑怯なコウモリ安倍晋三」は
辺野古移設を進める方針を明らかにした。

玉城知事の言葉にもあった辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が行われ、
その結果圧倒的多数の県民が辺野古埋め立てに反対していることが明確に
示されたにもかかわらず県民投票結果を無視して工事を強行する政府の
対応は民主主義の正当な手続きを経て導き出された民意を尊重せず、なおかつ
地方自治をないがしろにするもの・・・というのは全くその通りであると思う。

「卑怯なコウモリ安倍晋三」は挨拶の中で『私が先頭に立って、沖縄の振興を
しっかりと前に進めてまいります』などと嘯いて、またもや口先だけの見え透いた
『ええかっこしい』で誤魔化し、取り繕おうとした。
卑怯なコウモリの不誠実な言動にヤジが飛ぶのは当たり前である。

新聞各紙、ラジオやテレビ、各メディアがこの『慰霊の日』を報道したが、
御用新聞の一つである産経新聞は状況を伝えながらも次のように知事や
沖縄県民側に批判めいた記事を書いている。

例えば玉城氏による「県民の圧倒的民意」の誇示も政治的思惑が垣間見える
などどし、県民投票では辺野古移設への反対が投票者の7割以上を占めたが、
投票率は52%だった。有権者の6割以上は反対しておらず、評価は必ずしも
定まってはいない。などと沖縄県民の民意を無視、否定するような論調である。

また、ヤジについても公園入り口には首相の到着を待ち構えるようにマスクや
サングラスで顔を隠した「市民」ら数十人が陣取った。と不審者扱いでそれに
反発する団体との間でヤジの応酬が続いたが、首相は既に別の入り口から
会場入りを済ませていた。・・などとあざ笑うかのような文面で御用新聞の本領を
発揮するところもあり更に次のように続いていた。

首相の挨拶が始まりヤジが飛び交うとこれも翁長時代からの光景・・と表現したり、
厳粛な式典を妨害する行為だととらえる出席者も少なくない・・・などと根拠不明な
表現で、遺族会幹部の「みんな慰霊のために来ているのに邪魔している」という
声や高校1年の女子生徒の「ヤジを飛ばすと、会場の人がヤジに耳を傾けてしまう。
亡くなられた方々に祈りをささげる場所なのでおかしい」とあきれ顔だった。という
声や、はじめて参加した男性の「隣の人が大声をあげたせいで首相の言葉が
頭に入ってこなかった。」という声、そして「ヤジを飛ばすのは一部の基地反対の
活動家に過ぎないですよ」と冷ややかだったという男性の声などこれらはいずれも
「卑怯なコウモリ安倍晋三」を擁護するものばかりで、辺野古移設反対である
民意側の意見や声は取り上げられていない。

まさに権力の監視などを放棄した『官邸御用の産経新聞』の自画自賛のような
ものである。
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数限りない緑色・・・その一つ一つが目に染みるようだ。

2019-06-23 06:20:16 | 喜怒哀楽をポジティブに
突然の集中豪雨のような強い雨の後、空が少し明るくなったので庭へ出てみた。
木々や芝生の緑が鮮やかに目に映る。

雨に洗われた木たちを順々にゆっくりと見ていくと一本の木の緑の葉っぱの
一枚一枚が同じように見えてもそれぞれ少しずつ違う色に見えることに気づいた。

大きさの違い、僅かだが厚みの違うもの、光沢のあるもの、くすんだもの、
そして一見同じ緑色でも比べてみると濃淡が区別できるものなど・・・。

木や花の種類が違えば自ずと葉っぱの色が違うのはわかるが、一本の木でも
こんなに違うのかと・・・そしてそれが何種類も・・・やはり自然は不思議である。

我が家の狭い庭の中でもこんなに多くの緑色があるのだから、世界中の緑色は
一体どのくらいあるのだろう。

我々は通常、緑色というと緑色、黄緑色、薄緑、若葉色、新緑、若草色、
浅緑、若竹色、萌黄色、深緑、モスグリーン、エメラルドグリーン、オリーブ色
などという言葉で表現したりしているが、その数は緑を含む日本の伝統色は
数百色にも及ぶらしい。

何気なく見ている・・・いや、目に入ってくる緑色がいろんな意味で我々の心を
豊かにしてくれているようだ。

今日、これからまた元気な『爺さんカルテット』が集まり楽しい時間を過ごす。
各人各々がそれぞれ多少の悩み(?)やちょっとした心配事がないわけでは
ないが、一人一人が自分らしさをアピールして更に元気になるという時間を
共有できるこのカルテットは「代わりのきかない」まさに『かけがえのない』
大切な友達なのである。


今日もこの4人は特徴のある緑色と共に様々な色で会話に、心に、個性ある
グラデーションカラーをフルに使うことになるかもしれない。
何しろ個性派のあつまりだから・・・。

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今年も恒例の市の健康診断を・・・。

2019-06-22 07:49:28 | 喜怒哀楽をポジティブに
既に予約してあった市の健康診断に行くにあたり以前から気になっていた
目の検査のため前日には昨年から徐々に開院したすぐ近くの医療モール内で
3日前に開院した眼科へ行ってきた。(6月15日の記事の不安解消のため)

時々(1ヵ月に1~2度)現れる視野内のギラギラとした鋸の刃のような形の
波紋の様なものが少し視界を遮るようなこともあるのでその原因や今後の
対応についてはっきりとしたかったのである。

ネットで調べると同じような症状が出る『閃輝暗点』という病名のものかな?
と少し不安になったが、発生時の頭痛はないので少し楽な気分で受診した。

視力をはじめ、眼底や瞳孔を含むいろいろな検査の結果、加齢による
軽い白内障はあるものの特別問題となるような異常、所見は無し・・・
ということでひと先ず安心。

さて、毎年の「さいたま市民健康診断」だが・・・
「胃」や「大腸」は毎年、川越市の『川越胃腸病院』で内視鏡検査を
しているので市の検診は通常のものだけをしているが、今回も
特別異常なところもなさそうで、結果はほぼ1ヵ月後になるが
これまた安心・・というところ。

私が健康である秘訣は?・・・と問われても、はっきりとこれである・・と
いうものはないが、おそらく心身ともに健康であると自負できるのは
私のブログのタイトルどおり『いつも、いつでも元気炸裂!』の実践のため
気持ちをおおらかにして、悩まず、言動は常に明るく元気で三食をきちんと食べ、
週に3回の筋トレや速足での歩行(30分で3km=自足6km)を行っているからでは
ないかと思う。

このままいつまでも健康を維持していくために何事も無理なく・・・と言いたい
ところだが、我々の時代の人間は自分は誰よりも若いのだ・・・という思いで
どうしても多少の無理をしてしまうのだ。

私ほど健康な人間はいない・・・などと奢らず少し、謙虚に生きなければ・・・・。
うぬぼれや奢りは極悪人で卑怯なコウモリ(安倍晋三)がその醜態を晒して
いるのだから決して真似をする必要などないのだからネ。


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親の社会的立場をどう考えるか、道義的な責任のとり方はどうか?・・・

2019-06-21 08:09:48 | 喜怒哀楽をポジティブに
拳銃強奪の容疑者の父親が勤務先である関西テレビの常務を退任
したという報道があり、視聴者からいろんな反応があったようだ。

成人している息子であっても、親の社会的立場から道義的に責任を
とらざるを得ないという声や、責任をとる必要などないという意見、そして
息子が犯人ではないかと思われることから親が自ら通報するという責任感を
持った方だからこそそのまま仕事を続けていく訳にはいかないという考えに
理解を示すような意見など人それぞれの感じ方が違うということが複雑な
言葉で表されていた。

いずれ事件を起こした動機などがあからさまになるのかどうか?
父親は容疑者である息子が逮捕された日に謝罪を含めたコメントを発表したが
逮捕された強奪犯(容疑者)は容疑を否認しているという。
この親子の関係を思うと、どうしても何故?という疑問を持たざるを得ない。

どの家庭でもそれぞれ違った親子関係があると思うが、会話があっても
上手くいかない関係もあるかと思えば、会話は少なくてもお互いに
人格を尊敬し、敬い認め合う良好な関係も数多く見られると思う。

何もできない我々はただひたすら被害者である古瀬鈴之佑巡査の一刻も早い
回復を祈るばかりである。
手術の結果、快方に向かっているというがラグビーで鍛え上げた体と強い心により
見事に回復し、私たちを一層勇気づけてほしいと思う。

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安易な考えや行動が踏切事故を招く。

2019-06-20 10:09:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
小田急線の快速電車が踏切で車と衝突し、脱線した事故は明らかに
運転者の気の緩みや安易な予測によって起きたものだと考えられる。

この事故の影響は89000人もの人に影響を及ぼしたという。
28歳の女性運転者は無事避難し、あまりにも大きなショックで本人が
『過呼吸』になったと伝えられているがその責任は非常に重いと思う。

『道路交通法第33条』には
車両等は、踏切を通過しようとするときは、踏切の直前(道路標識による
停止線が設けられている時は、その停止線の直前。以下この項において
同じ。)で停止し、かつ、安全であることを確認した後でなければ進行
してはならない。ただし、信号機の表示する信号に従うときは、踏切の直前で
停止しないで進行することができる。
されている。

誰しも踏切では一時停止が義務付けられていることは知っている筈なのに
こうした事故が後を絶たないのは運転する側の心の問題であり、怠った時の
ことを想定しない軽率な行動によるものである。

遮断機が降りていなくても前を走る車が踏切内を走行中だったり踏切の先の
車が停止していたりしていればどんなに急いでいようが停止して待つのが
当然であることをあまりにも軽視してはいないだろうか。

「踏切で一時停止」「安全確認」「前のクルマが踏切を渡りきってから進入する」
これらの「当たり前」を軽く考えず実践することが事故を未然に防ぐ最大の
秘訣である。

この一時停止違反は交差点の赤信号で停止しないことと同じであるが
単なる道路交通法違反の軽視では済まされないし、事故が起きなくても
踏切での一時停止違反は免許取り消しに匹敵する大きな違反であると思う。

早急に道路交通法を改正し重大な罰則として決定づけして欲しいと思う。
そして車を運転するすべての人がもう一度自分をふり返り、決して違反を
起こさない運転に徹してもらいたいと思う。

事故の原因の大半は軽微なものも含め「違反」が原因となっていることを考え、
自分に置き換えて、走る凶器を扱っているということを再認識して欲しい。
55年以上毎日車に乗っており、無事故の私も当然その実践者の先頭に立って・・・。
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いよいよアジサイが本格的に・・・

2019-06-19 08:37:33 | 喜怒哀楽をポジティブに
1週間ほど前に「ガクアジサイ」の記事を投稿したがそのアジサイが
益々綺麗に見えるようになってきた。

隣家のふっくらとしたアジサイも今を盛りと明るい陽射しの下で
独特のたたずまいを見せている。

アジサイというと雨にしっとりと濡れた静かで落ち着いた花という
しとやかな女性を思わせるようなイメージもあるが、隣家のアジサイは
すっきりとしたブルーの花びらに薄い水色の絞りをちりばめたような種類で
今日のような晴れ渡る空の下では雨の日の落ち着いた印象とは別の
「希望」「勇気」のようなものを感じさせてくれる。

アジサイは2000種にも及ぶ品種があるという。
各地の「あじさい寺」と呼ばれる名所では数え切れないほど多くのアジサイが
紹介されているが我々が目にするものはそのうちのほんの少しなのだろう。

私の住むさいたま市にもアジサイの名所はいくつかあり、それぞれ特徴のある
美しさを呈しているが、少し範囲を広げると埼玉県には本当に多くの名所があり、
『あじさい寺』と名のつくところは流石に見ごたえがある。

私が毎年行く、熊谷市(妻沼)のあじさい寺『能護寺(のうごじ)』の
あじさいは独特の鐘楼とともに訪問者の記憶にいつまでも残るものだと思う。

埼玉県に限らず、関東に、そして全国にはこんなきれいなアジサイが
あるのかと思わせるような光景、風景が数多くあるに違いない。
この限られたアジサイの季節(期間)に1か所でも多く見たいと思うので
少し先まで足を伸ばしてみようと思っているのだが・・・




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街中に溢れるようなリュックサック。

2019-06-18 10:11:52 | 喜怒哀楽をポジティブに
私は筋トレのためジムに通う時には妻が幾つか持っているうちの一つを
譲り受けたリュックサックを使っている。(昨年の11月から)

リュックが流行りだしたのはもうかなり前だと思うが、私自身自分がリュックを
使うことになるとは夢にも思っていなかった。

子供から中、高校生はもちろん、最近はビジネスマンと呼ばれる人たちがスーツの
背中にリュックを背負っている姿を見るのも珍しくはないし、どこを見渡しても街中
リュックだらけの様な気がする。

昔は遠足用や登山というイメージだったがいつの頃からかデザインをはじめ
素材やカラーなどの点でも著しく進化し、全体に便利な機能や工夫がたくさん
施され、リュックのイメージが大きく変化したと思う。

リュックを背負うことにより左右の肩に同じ重さがかかり、重みが軽減されるし
何よりも両手を自由に使えるという大きなメリットがあるので老若男女を問わず
大いに使うべきだと思う。
ことに加齢とともに転びやすくなると言われる高齢者は軽い物でもリュックを使えば
姿勢もよくなるだろうし手が空いているので咄嗟の動きにも素早く対応したり
危険を軽減できるのではないだろうか。

かく言う私も実は・・・
背中に背負うのはなんとなく気恥ずかしいような気がするので本来の便利で
安全な使い方に反したハーネスの部分を手にもって歩くことにしている。

妻から『どうして背負わないの?』と言われるのだが・・・・やっぱり意味も根拠も
ない恥ずかしさが先立ってしまい、今日こそは・・・と思いながらも7か月間も
一日伸ばしで今日に至ってしまった。

高齢者がリュック背負う姿は珍しくもないし、むしろ「しゃんとした」姿にさえ
見えるのだが私はどうも…前述のとおり何の根拠もない拒絶反応(心)が行動を
遮ってしまう。

来週は思い切って勇気を出し(?)背負ってみようかと考えているのだが・・・。


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久々につばめの飛ぶ姿をみた。

2019-06-17 08:17:32 | 喜怒哀楽をポジティブに
先日荒川を渡り川越市から川島町を抜け東松山方面へ向かおうとした時に
飛び交うツバメの姿を見た。

日本人なら小さいころから誰もが知っているツバメが飛来する時期になっても
私の住むさいたま市北区ではめったに見られないので久しぶりにみるツバメに
感動のようなものを覚え、嬉しくもなった。

あの額と喉のあたりが赤く、光沢のある背中の黒い羽根と切れ込みの深い尾で
空中を切るように飛ぶ姿は凛々しく映り、気分も爽快になった。

子供の頃に母と一緒に糞の始末をしながらひなの育つ様子や飛び立つ訓練の
姿を何度も何度も見たことが思い出され、母の説明を思い出し懐かしさが増幅
するようだった。

田舎の長閑な風景の思い出とは大きくかけ離れた昨日の拳銃強奪事件は
朝刊では逃走中・・・ということだったが父親から警察への通報で
次なる犯罪の発生を前に犯人が逮捕されたというテレビの報道に誰しも
ほっとしたことだろう。

ブログ記事の手を止めてあらためて新聞を開き、朝日新聞の『声』の欄を
開くと紙面の中段ぐらいにツバメが水を飲む姿の写真があった。
ツバメは飛行しながら水を飲む・・とは聞いていたが見たことがなかったので
こんな姿なのか・・とちょっと感動を呼ぶような写真だった。

ブログで取り扱った題材と新聞の写真との偶然の一致のようなものが
なぜか嬉しく切り抜いて保管しようと思った。。

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折紙飛行機の競争結果を亡き弟に報告しよう。

2019-06-16 05:46:37 | 喜怒哀楽をポジティブに
私のプリンターはパソコンラックの一番高い位置にある。
昨日スキャンした切り抜きをとろうとしたところ手元から離れた紙が
グライダーの滑空のようにす~っと緩い角度で斜め下に落ちていった。

上昇気流もないのにその翼をもったような紙は2メートルほども先の床に
安定した着陸(?)を見せたことに思わずニンマリ・・・。

偶然とはいえまことに不思議・・・ヒラヒラでもクルクルでもなく平のままで
ゆっくりと波状に・・・。
一瞬とも思えるこの時間が過ぎし日の楽しく長い時間に繋がっていった。

それは・・・紙飛行機や模型飛行機に夢中になっていたことが瞬時に頭を
よぎったからである。
そのころに作った紙飛行機(折紙飛行機)の折り方や、効率のいい飛ばし方、
そしてその為の加工方法などを工夫し、たった一枚の紙で作った飛行機の
各部分をミリ単位で帰ることによってこんなに変わるのだということを弟や
友達にも披露することがこよなく楽しい時間でもあった。

小学生の頃から、そして中学生になってますます工作が好きになり、高校生の
頃は宮大工に憧れながら家族の願いであった父親の跡を継ぐ教員に・・・の
期待と両立させることを考えていたが・・・結果的にはそのいずれも選択しない
人生だった。

ゆっくりと地上に舞い降りた紙の様子を見て私は無意識のうちに立ち上がり、
プリンターからA4の用紙を取り出し、すぐに飛行機を折り始めるとさらに懐かしい
思い出とともに一度も迷うことなく3種類の飛行機を完成させていた。

ツバメ型の飛行機の胴体から尾翼にかけての切り取る部分の幅や角度や
曲線に注意を払って・・・とあの頃のままの自分の姿と友達の顔が浮かんだ。

私は折紙飛行機として一般的な形のものを改造(?)するのが好きで機体の
幅や羽の長さや幅や角度を変えたり、湾曲させたり・・・してゆっくりと飛行する
タイプやスピード重視のものなどを多く作ったが、大雑把で面倒くさがり屋な弟は
簡単に作れる『イカ飛行機』が一番好きでそれぞれの自慢機でよく飛距離を
競ったものである。

その弟は2015年に71歳で亡くなりまもなく4年になる。
もう語り合うこともできないが命日には私の自慢の作品と弟のために真剣に
作る『イカ飛行機』で距離や高度、滞空時間、飛行フォルムなどを荒川土手で
競って青く高い空に報告したいと思っている。

宮大工にはなれなかったが繊細、且つしっかりとしたものを作ろうとする気持ちは
今も持ち続け、家庭内で使う物を作る時や製品の修理時にはその気持ちを込めて
工夫を重ね、些細なことにも決して手を抜かないようにしている。
この気持ちで作る紙飛行機2機が並んで土手の上を滑空する姿が楽しみである。
その日は二人の飛行機の滞空時間が長くなが~く続いてほしい。







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