『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

ゆっくりと振り返る間もなく・・・それでも大晦日に思うことは・・・

2021-12-31 10:37:38 | 喜怒哀楽をポジティブに
2021年の最終日が静かに始まった。
先日、あと僅かで今年も終わるのだ・・と思ったのもつかの間、
まさにあっという間にこの日が来てしまった。

今年もごく当たり前のように自分や家族、友人や知人、世の中の多くの
人たちの「喜怒哀楽」を見聞きしたり、感じたりしてきたが・・・・

良きにつけ悪しきにつけその一つ一つが心に響いたり、心を激しく
揺さぶったりしたことはこれも貴重な体験だったと思う。
殊にブログ友との交流により感激、感動を得たことや知識や視野にも
少なからず影響があったと自認できたことなどは目に見えぬ宝物となった。

今年もこれといった成果のようなものもなく、何となく過ぎたような
一年だったと思うがこのブログを続けてこれたことが何よりも大きな
価値あるものだったと思う。

少しずつ増えてきたブログ友との本音の交流・・・
そしてその友を介してそっと訪問させていただいた人たちの記事・・
自分の気持ち次第で気軽に学ばせていただける「万能教室」のような
ものだとも思う。
自分自身はいつまでも若いつもりでいられるのもこのブログの力に
よるものも大きいと感じる。

年々縮む身長同様、歳を重ねるといろんな気力なども衰えるという
事をよく聞くが、気力は気持ち次第・・無理に片意地を張る必要は
ないが、自分らしく何事にも関心を持つために目を見開き、いろんな
声を聞き、小さなことでも体験、実践してみるなどすれば気力は
衰えるどころか充実に向かうと考える。

来年も有り余る体力を活かしながらそれに見合う、いいアンテナを
張り巡らし、一つでも多くの知識と共に感激や感動という宝物を
得ることができる心と感情を自分の心の中に育て上げたいと思った。

私の拙いブログに立ち寄っていただいたみなさん、
たいへんお世話になりました。
あらためてお礼を申し上げます。
来年もよろしくお願いいたします。

どうぞよいお年をお迎えください。
Have a happy new year.




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気が付くと来年のカレンダーが一つもない・・・

2021-12-26 17:09:21 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、最後の一枚となったカレンダーに残り6日間の予定などを
確認したり、記入しようとしたときに重要なこと(?)に気づいた。

まもなくバトンを引き継ごうとする新人選手(新しいカレンダー)が
一人(一部)もいないことに気づいたのだ。

あと僅かで新しい年を迎えるというのに我が家には新しいカレンダーが
一部もないのだ。
昔は年の瀬が来るといろんなところからカレンダーをもらったが、
近年は年々、カレンダーを無料で提供してくれる会社や商店が少なく
なったような気がする。

銀行へ行くにしても窓口へはいかず、ATMで事足りるので銀行の
立派な(?)カレンダーなども久しく見ていない。
今は二人だけの生活なのでそんなに沢山は要らないし、文房具店で
買うこともできるのだが、昔からカレンダーを買うという意識が
なかったのでわざわざ買いに出かけることにも多少の抵抗感もある。
(昨年も大きいものを文具店で購入)

仕事を離れ、社会との繋がりや交流が少なくなってきているということも
あるだろうが我が家でも毎年カレンダーをもらうのは長年付き合っている
ディーラーからだけだったがその担当者も10月に退職し、後を引き継いだ
社員も産休ということで、点検時以外はディーラーへ行くこともなく、
やや疎遠気味なのである。

どこかでふとしたきっかけでカレンダーをもらうとなんとなく嬉しく、
それが予定などを書き込めるような欄や空白が大きい物だとなおさら
嬉しくなる。

すべてのカレンダーに予定や行事を書き込むわけではないが各部屋と
自分の部屋や廊下などにもあると便利なのでやはり5~6部は欲しい
ところである。

昨年、一昨年は大きな文房具店で買ったが以前よく見かけたような立派な
写真付きのものとは程遠いごく普通のものでもけっこういい値段だった。
その後100円ショップでも見かけ、購入したものは200円程度だったが
充分役にたつものだったことを思うと企業はもとより、個人的にも
やはり無駄の排除と生活改善なのかなあと納得。

身近にパソコンやスマホがあるこの時代であっても壁に目を遣ると
一目瞭然のカレンダーはやはり便利であり不可欠なものなのでは
ないかと思う。

・・・ということでとりあえず100円ショップで大きいものを2部買い、
後日文房具店でもう少し便利に使えるものを買うことにした。
急ぐこともないが千恵子選手が通う整形外科でも毎年、もらうので28日の
ブロック注射時に貰ってくるという。

実用的なことに重きを置くのもいいが、昔のように日本の綺麗な風景や
季節の行事や花や鳥などの写真に心安らぐ・・・というカレンダーも
懐かしい。
カレンダーには癒しの効果などもあるのではないかと思う。
近日中に予定しているカレンダーの購入についてはまた一年顔を合わせる
事も考え、使い易さはもちろん癒し効果も狙い、文房具店ではゆっくりと
吟味したいと思う。





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我が家もささやかなクリスマスイヴを・・・

2021-12-25 17:31:57 | 喜怒哀楽をポジティブに
2日ほど前に息子の妻ソニアから24日は久しぶりにお父さんたちと
食事(夕食)をしたいと思うので・・・と電話がありコロナ問題発生以後、
約2年ぶりに息子夫婦とのささやかな食事をすることにした。
娘夫婦にも声をかけたのだが都合が悪いようで今回も4人での食事と
なった。

家庭では綺麗好き、気が強いがしっかり者で、現在働いているスーパー
からも頼りにされているうえ、美人のソニアは料理も得意・・・
そのソニアから最近老化が目立つようになった妻千恵子選手を気遣うように
『当日は私がポットパイを作って持っていくからお母さんは何もしなくて
いいですよ・・』と何度も確認の電話があったので私は『それじゃ、
冷蔵庫が溢れるほどのビールと”からやま”のパーティセットを用意して
おくよ』と返事・・・
(からやまは全国展開の唐揚げ専門店)

そして午前中勤務の昨日、腕によりをかけてパイとスープ等を作った
ソニアは『ちょっと荷物が増えたので自転車では難しい・・』と私に
助け舟(車での持ち運び応援)を依頼してきた。
予約してあったからやまのセットの受け取りを兼ねて5時にソニアと
合流し我が家へ・・・
息子の帰りが6時半過ぎだというので久しぶりの会話を楽しみながら
一足お先に‥とばかりに乾杯し、ゆっくりと食事をし始めた。

その後息子も加わり、本当に久しぶりの親子での楽しい食事を味わった。
息子もソニアも私もビールが好きなのだが昨日は3人とも格別に旨いような
顔つきだったようだ。
千恵子選手はビールを少し飲んだだけ、ソニアの手作りパイや他の
料理にも顔をほころばせていた。

そして午後8時半ごろ、メキシコの孫娘にテレビ電話を・・・
メキシコは早朝なので孫は起きたばかりだったが元気よく生活
している様子がわかり私たちも安心。

クリスマスイブをきっかけとしてささやかだが久しぶりに賑やかな
食事を楽しむことができた。





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冬至を過ぎると・・・

2021-12-23 17:59:55 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の冬至もいい天気だったが、今日も気温は低いものの
陽射しにも恵まれ、近隣の家では庭の木々の葉が返すその光も
嬉しそうに空中を泳いでいるように見えた。

昨日は二十四節季のひとつ冬至・・・
太陽が一番南にある状態で北半球では1年中で昼がいちばん短く、
夜がいちばん長くなる日。
冬至の別名は「一陽来復(いちようらいふく)の日」。
昔からの習わしで身体を温めるゆず湯に入り無病息災を願いながら
寒い冬を乗りきる知恵が今も続いているというのも微笑ましい限りである。

冬至にまつわる話は多いと思うが「冬の七草」というのもあるようだ。
かぼちゃもそのひとつ、夏野菜であるかぼちゃを冬至に食べるように
なったのも面白い。
この冬の七草は、「ん」が2つある食べ物なので運をたくさん取りこむ
「運盛りの野菜」といわれ、
  1. なんきん(かぼちゃ)
  2. れんこん
  3. にんじん
  4. ぎんなん
  5. きんかん
  6. かんてん
  7. うんどん(うどん)・・・いかにも日本らしい。
そして厳しい寒さと引き換えに(?)今日からは少しずつだが日の入りの
時刻が遅くなっていくと思うと何となく嬉しくなる。
日曜日(26日)には寒波の襲来もあり、さあむさも厳しくなるという。

今年も残すところあと僅か・・大勢の人たちがコロナ禍での生活をはじめ、
様々な苦労や困難などに遭い、大変な一年だったと思う。

今、まさに「冬来たりなば春遠からじ」の言葉どおり、生活の変化も
実際の季節も暖かい春を待つ心境で希望の光が差すことを信じて
一年の締めくくりを悔いのないよう・・そして一人一人の心の中に
自分自身で暖かい春を作っていきたいものである。
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昨日は嬉しいことが二つも・・・

2021-12-18 10:53:19 | 喜怒哀楽をポジティブに
朝から天気が目まぐるしく変わった昨日は就寝後も強風が吹き荒れ、
日付が今日(18日)に変わった深夜までもその音が地を揺るがすように
ごうごうと響き渡っていた。

風の音だとわかっていても、もしや周辺に異常、異変があるのでは?・・と、
玄関の扉を開けて外の様子を見ようとすると扉が強風に押されて
いつものようにスゥ~ッとは開かなかった。
とりあえず、マンションの共有部分である廊下には異状もなく、飛散
しているものも無かったが、駐輪場の自転車の一部が大きく揺れていた。
駐輪設備はしっかりしているので自転車が倒れたりすることはないが、
それでも多少は不気味な感じもした。

さて、タイトルの嬉しいことの一つは・・・
その昨日、夕刻が近づく頃になると朝から激しく変わる天気と空の様子が
ベートーベンの「田園」を思わせるような感じだったので目の中に入る
空や雲の動きと自分の感覚を「田園」に重ね合わせ、一昨日の記事の
続きのような記事と併せて投稿したところ、ほどなくしてブログ友の
yamaさんからコメントが入った。

そのコメントが時間的にも内容もあまりにもタイミングが良かったので
思わぬ感動に繋がったのだ。
yamaさんのコメントの一部に『こちらは「冬の旅」です。木枯らし寒く、
いまにも雪が舞ってきそうです・・・。 』という文章があった。

クラシックに詳しいyamaさんを意識して意図的に書いたものでは
なかったのだがあまりにもgood timingだったので私もすかさずコメントに
次のような返信を・・・
『yamaさんなら即座にわかっていただけると思っていましたが・・・
さすがはyamaさん、お得意の太鼓のように「打てば響く」という早業の
「シューベルト」で返信には感動しました。 』・・と。

このアンダーラインの部分は日頃から空と雲が大好きな私の雲に対する
強い思いや、表現(擬人化や何かの形に例えること)をよくわかって
いただいていることからそう考えたのだが・・・

そして私の返信(シューベルトと気づいたこと)にも通じ合う喜びを
感じたというコメントをいただいたのである。
ただ、趣味が合う・・などということだけではなく、日頃からのブログの
交流によって気づかぬうちにごく自然に相手を理解していることが
分かったようなもの。嬉しい出来事だった。

もう一つの嬉しいことは・・・他愛もないことだが・・・
夕食前に風呂へ入った時・・・
いつものように入る少し前からの暖房で浴室が十分暖まったころに
シャワーで体を洗い終わったあと、いざ湯船へ・・と浴槽の蓋を
取ったところ、いい香りと共に3個の柚子が目に入った。

久々に嗅ぐ柚子湯の実にいい香り・・・。
冬至にはまだ数日あるがもちろん異論はない。

実は14日に千恵子選手が友人(元の絵手紙仲間)からいただいた柚子を
使い、冬至前の柚子湯で私を驚かそうとしたようだった。
柚子は加工品も含め、いろんな形で食するが柚子湯は本当に久しぶり・・・
ほぼ1年ぶりではなかっただろうか。

普段は最後に湯船に浸かる時間が10~12分程度なのだが昨日は嬉しくて
思わず『えんちょ~う(延長)』と一人で声を出し、3分間の延長・・・
その間、浴槽に浮かんだ3個の柚子を交互に軽く握ったあと、掌の
匂いを嗅ぐとこれがまた素晴らしい・・・何度も嗅いできた懐かしい
香りなのだが「えも言われぬ香り」とはこのことなのだろうと思った。

柚子湯の効果効能は科学的にも証明されているようだが、こんないい香りが
他にあるだろうかと思うくらいであった。
冬至(22日)にもまた入りたい・・と思いながら額に少し滲んだ汗に
少し冷たいシャワーをサーッとかけて浴室を出た。

こんな些細なことが嬉しく、幸せを感じるのだからまだまだ小さな喜びを
感じて感謝しながら生きていこう、目標の125歳まで健康で・・・・。


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昨日の記事の続きのようだが・・・

2021-12-17 15:29:59 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は思わぬ足の痛みの再現の記事を投稿したが、発生以来3日経っても
痛みの解消とはならず、激痛のレベルが少し和らいだ程度で今朝も
起床時には依然として不快な痛みは続いていた。

ブログ友たちの親切なアドバイスや心配してくださる気持ちも考えながら
今日のトレーニングはどうしようか?と思い、やるべきか、休むべきか・・と、
足の痛みの状態を考えながら迷ったが、バーベルやダンベルなどを
用いたベンチプレスなどの筋トレは足に負担がかからないのでとりあえず
行ってみることにした。

朝から冷たい雨が降り、それに呼応するように風も冷たかった所為か
トレーニングルームのオープン時には私を含めて4人しかおらず、
そのうちの3人は昨日の記事にも登場のごく親しい私たちの仲間だった。
しばらくして二人が加わったが静かなジム内には私たちの声と器具の
音だけが響き渡るような状態が続いていた。

トレーニングを始めてから1時間ぐらいたった10時ごろ、ジムの大きな
窓から外を見ると、道路を歩く人たちが傘をさしていない・・・
空も少し明るくなってきたようだった。
臀部も足も痛みを感じなかったのでそのままトレーニングを続け、
バーベル等重量主体の運動を終わると隣のAルームへ移り、プルダウンなど
別の運動をしながら『さて、今日はどうしよう・・』から『やっぱり少しは
歩こう』と決めて時速4㎞で10分だけ歩くことにしてランニングマシーンに
乗った。

やがて11時になる頃、とりあえずのトレーニングメニューを終え、
ベルトバイブレーターで腰や足の部分をゆっくりほぐし、運動後の
心地よい疲れを感じながら帰宅した。

そのころには空は明るく、青空も少しずつ見えはじめ、様々な形の雲が
広く広がっていた。
見るからに薄く伸びて向こう側が透けて見えるような雲や何段にも
重なったような雲、さざ波のような雲、小さな家族を思わせるような
雲など様々な雲が青い空と会話でもするかのように遠くまで・・・

家につき、食事までの間、庭に出て空を見ると雲間の光芒が優しく感じた。
そして、だんだん広がる青空と雲の関係に私の心にはある重なる思いが・・・

それはベートーベンの交響曲第6番 (田園)の曲の姿を見るような
まさに心の中に起こる田園での喜びの感情を表した様子が大空に
描かれるようで不思議な気持ちだった。
ただ、現実では朝からの冷たい雨や風による(?)第4楽章「雷雨、嵐」の
場面はすでに終わっていたが・・・

 第1楽章「田舎に到着したときの晴れやかな気分」
 第2楽章「小川のほとりの情景」
 第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」
 第4楽章「雷雨、嵐」
 第5楽章「牧歌 嵐のあとの喜ばしい感謝に満ちた気分」

曲名までは覚えていなくても誰もが聞いたことがあると思われる
交響曲第6番 (田園)のイメージが空に映り、痛みなど忘れるような
ひと時だった。

明日も関東地方はいい天気になるようだが
いま、この時間は朝と同様、再びグレーの雲が空を覆っている。
タイミングをずらした第4楽章「雷雨、嵐」が来なければいいのだが・・・。

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久しぶり(実に4~5年振り)にあの痛みがやってきた・・

2021-12-16 11:34:30 | 喜怒哀楽をポジティブに
3年前(2018年)の春に妻のサポートのため・・ということで多少の
未練を残しながらもそして実際には無い(スキンヘッドの)後ろ髪を
引かれる思いで仕事を辞めたが、四六時中、傍にいる必要もないことから
常に悶々とした思いもあり、それはブログを始めることで楽しさと共に
解消されつつあった。
その後ブログのお蔭でいろんな人たちとも知り合い、交流できることの
楽しさ、嬉しさを日々、感じている。

そしてその年(2018年)の10月下旬から埼玉県スポーツ総合センター
(上尾市)のトレーニングルームで筋力トレーニングを中心に体を
鍛えなおすことにも力を入れることで昔取った杵柄を思い出させるような
楽しく充実した日々が続いていたのだが・・・

自宅の狭い庭でも重量を中心としたハードなトレーニングはできるが、
歩くことが嫌いな私でもそのセンターでは目の前にランニングマシーンや
足を鍛えるトレーニング機器も数多くあり、否応なしにそれに向かう
日々だった。
しかし、コロナの感染拡大の影響で昨年の3月からはそのセンターへ
通うことを止め、自宅の庭でトレーニングを続けてきた。

自宅ではやはり思った通り、筋肥大のためのトレーニングに集中し、
嫌いな「歩き」を取り入れなかったためか、その後ウェストが大きく
なったかな?‥と思うと腹回りに贅肉と思われるものが予想以上に
つきはじめ、今やかなり目立つように(95㎝にも)なってきた。

ただ、ウエストは95㎝あっても胸囲が110㎝あるのでそれほど下っ腹が
でた高齢者には見えないと自己満足しているのが危険な考えのようだ。
周りの家族や神戸の姉からも腹囲を落とすことを忠告され続けていたが
歩くことが嫌いな私は時々、自宅室内でエアロバイクを漕ぐ程度で
お茶を濁し、筋トレだけは続けてきた。

先日、筋トレの仲間達はどうしているのかと思い、電話をしてみると・・・
最も親しかった4人はスポーツ総合センターの安全対策を確認、納得し、
感染状況が落ち着いてきたころから通い始めているという。

そこで私も今月の上旬にセンターへ行き、対策や実際の状況を確認し、
まだまだ予断は許されないと思いつつもコロナの状況が少し落ち着いて
いることと実際に確認したことを根拠として10日から通うことにしたのだ。

利用者のマスク使用はもちろん、トレーニングジム内の機器の消毒は
センター側でも利用する側でも徹底して行い、機器の使用も1台おきに
間隔を開けた状態で使うこと、また換気についても頻繁に行うなど、
ほぼ満足できる状況だったので・・・

トレーニングを再開するとやはり家で一人でやるのとは違い凄く楽しい。
嫌な歩きも何のその・・とウェルロード(ランニングマシーン)にも
自然に足が向かう・・・
ところが・・・・
残念なことに・・初日は当然と言えば当然ながら、以前のようなスピード
(時速6㎞以上)での走行はもちろん、歩く時間(30分)も予想をはるかに
下回った情けない結果となった。
実際には時速4.5㎞での15分走行は厳しかった。
マシーンから降りると足がガクガクするようで・・・

ウェートトレーニングは自宅でもやっていたので全く問題はなかったが
歩くことがこんなにきついとは・・と再認識・・・。

2日後(13日)は無理をせず時速4㎞で15分、その後にランニングマシーンの
傾斜角度を15度に設定し、歩き出したが2分と持たず、1分以内に10度→8度
と落とし、その後は5度に設定し、トータル10分で終了・・・終わった時には
自分の足ではないような気がした。

それが影響したのかどうかはわからないが、その日、自宅へ到着し、
車から降りた途端に、臀部左側から太もも、そして脹脛にいたるまで
激痛が走り思わず膝をつきそうになった。

この何とも言い難い痛みは実に4~5年ぶりだと思う。
運送の仕事で寒い物流センターの荷物の積み下ろしなどの時によく発生した。
寒い中でのフォークリフト運転時にもたびたび・・・

13日以後もこの激痛は時折発生している。
もともと私にも「脊柱管狭窄症」の症状があり、以前も下肢の痛みや
しびれはあったが自然治癒したものと思っていたのだ。
ただ、今もなお毎日起床時には腰の部分が物凄く痛くて歩くのもつらいが
時間の経過とともに痛みもなくなるので心配などはしていなかった。

常に自分の健康体には感謝しているつもりなのだが、今回は健康に
過信気味の私に忠告を与えるサインだったのかもしれない。
どんな痛さにも強いと言われ、実際にいろんな痛みに耐えてきたつもりの
私だがそれにしても痛い、痛い、そして痛い、怪我などの痛みとは違い、
神経そのものを引きちぎるように感じる痛さとでもいうのだろうか、
気持ちの悪い痛さが甦ったのだ。

これは健康な自分への注意喚起として考えよう。

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野鳥の巣で・・・

2021-12-14 10:12:27 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は今季最低に気温になるという。
確かに外の空気も景色も寒々と感じる。
最近は徐々に気温が下がったかと思うとまた少し暖かくなったり・・・
全国的にも日によって外気温の差が大きくなっているようだ。
晩秋を過ぎてもなお県道沿いの銀杏並木や近くの神社や寺、また民家の
庭などに紅葉、黄葉の名残が見られるが、公園の木々の様子などからも
確実に冬の到来を間近に感じるようにもなってきた。

昨日、完全に葉の落ちた木の上の方の細い枝の間に野鳥の巣が見えた。
いろんな角度から見るとどうやらヒヨドリの巣のようだった。
この時期はすでに成長したヒナが飛び立った後の空っぽになった巣だろう。

子供の頃に野鳥の巣を見つけるとたまらなく嬉しかったことを思い出す。
私は大小さまざまな松林が並ぶ海岸の近くで育ち、そこには野生の鳩が
沢山の巣を作っていた。
近くには松以外の木々の小さな林もあったが、他の野鳥の巣はなかなか
見つからず、海岸からは少し離れた小学校へ行く途中の雑木林などへ
友達と一緒に野鳥の巣を探しに行ったことも懐かしい。

巣を見つけても決して卵やヒナを捕ったりはせず、友達と交互に
巣の様子を見るだけなのだが、見つけた巣に何度も通い、親鳥の行動を
気にしながらヒナの成長を見るのが楽しみだった。

そのわけは私たちの行動を見た大人たちが言ったことを本当だと信じて
約束し、私たちはそれを不文律、暗黙の了解として決して破ることが
なかったので友達との強い絆も結ばれたのだと思う。

それ(大人が言ったこと)は巣を見るのは良いが、卵はもちろん、
巣にも絶対に触っちゃいけないということだった。
それは人間の匂いが付くと親は巣に戻ってこなくなり、卵もヒナも
死んでしまうから・・ということだった。

科学的な根拠などがあるのかどうかもわからなかったが、その当時は
それを信じて鳥たちや私たちのため絶対に触ったりはしなかった。

昨日見つけたのはあまり歓迎されないヒヨドリの巣・・・
木に登り、確かめることはしなかったがその形から間違いないと思う。
ヒヨドリの卵は薄紫や薄い茶色の殻に茶褐色の斑点が混じったものが
多かった。

鳩は木の細い小枝などを重ねて作る簡単なもので、深いくぼみなども
ないため、親鳥が飛び立ったり巣に戻ってきたりする時の揺れなどで
卵が転がり落ちないかと友達と心配したことも多かった。

木の花やその蜜を狙い、実を独り占めするようなヒヨドリは農家からも
嫌われているようだが、ヒヨドリはその姿に似合わないようなきれいで
丁寧な巣を作ることにも感心する。
特にヒナが育つ巣の内側にヒヨドリの「子を思う親の優しさ」を感じる。

昔からヒヨドリは一ノ谷の戦いで知られる鵯越(ひよどり越え)や
小説「ひよどり草紙」やヒヨドリの名の付く公園などもあるように
身近に感じる野鳥だったようだ。
富山県の砺波市の市の鳥としても指定されているようだ。
昔は渡り鳥だったヒヨドリが留鳥になり、私が育った富山県の氷見市でも
たくさん見られた。
そして鵯越と言えば・・神戸に住む私の姉の家は鵯峠からそれほど遠くない
位置にあることも鵯に結び付けると面白い。

餌の少ない時期に訪れる野鳥たちの動きを見るのも楽しい。
枝の間を忙しそうに動き回るシジュウカラ、ジョウビタキの胸の色、
人懐っこいような動きをするセキレイ、ツグミの凛とした姿にも
一部では嘘がまかり通る人間界とは全く無縁の素直な姿を感じることが
できるのも清々しく感じ嬉しい限りである。

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石原伸晃氏の辞任は当然のこと・・・

2021-12-12 11:45:53 | 喜怒哀楽をポジティブに
岸田政権の内閣官房参与に就任した石原伸晃について石原伸晃自身が
代表を務める政治団体が新型コロナウイルス対策の緊急雇用安定助成金を
受給していたとして批判を浴び、その問題が取り沙汰されていたが、
「体力・能力ともにある」と胸を張った就任から、わずか1週間での辞任劇・・・

私は辞任は当然だと思うし、それよりも就任すること事態が良識のない
行動で、本来はあり得ないことだと思っている。

そもそも選挙で国民から自分たちの代表に相応しくないと「ノー」を
突きつけられ、不適格の烙印を押された者が内閣官房参与に推奨される
のは安倍政権時と変わらぬ性懲りも無い「お友達内閣」を押し通そうと
する表われ・・・「岸田総理の人物を見る目がない」・・などという
生やさしいものではなく、総理自身も失格者と言われても仕方ないだろう。

エリート扱いをされ、調子に乗ったような石原伸晃が環境相時代に
中間貯蔵施設設置をめぐって「最後は金目でしょ」と発言した問題なども
そうだが、やはり自民党議員らしい(?)「既得権益」や「お金」に
固執する浅ましく、下劣な思いがここでも発揮(?)されたような気がする。

訳のわからぬ「新しい資本主義」と「民主主義」についても解りやすい
説明のない岸田政権の行方はどうなるのだろう。
正しい舵取りが出来るのだろうか・・・

奇しくも昨日、ブログ友のhighdyさんが『誰が悪いの?』というタイトルで
現在の政治の事について投稿されている。
私の記事に立ち寄ってくださった方々は是非、「highdyの気まぐれブログ」を
訪問していただきたいと思う。
その記事の一部をご本人には無断で勝手に引用させていただくと・・・
(後でお詫びを・・と思いながら・・)

こんなことを考えるおバカな政権を選んだのは、愚かな国民と選挙に
行かなかった人達であると言ってもいいだろう。全員とは言わない。

国民の共感を得られるしっかりした独自の政策を掲げて人材を集めた
政党でないといけない。

全国民が自分の権利を正しく行使しないから、こんな税金の無駄使い
ばかりをする政治になる。
国会で居眠りをしていても、スマホをいじっていても何千万もの
歳費(報酬)が貰えれば、甘い密に群がる議員生活も魅力的なのかも
知れない。
真面目にやれば、国会議員は決して楽な商売ではない筈だが・・・。

私達国民も、少しずつではあっても政治に関心を持ち、よく考えて
選挙時には当然ながら必ず投票によって自分たちの意思を表わさなければ
いけないと思う。

今回の選挙で「東京8区」の人達が賢明な判断をされたことによって
石原伸晃氏の落選という結果に結びついたと思う。 
本人は残念至極だろうが落選したことにはいろいろな要因があるだろう。
仲間内に甘い縁故主義などに頼らず、決して驕らず、反省を忘れず
「捲土重来」を期することこそが政治家としてやるべき事だと思うが・・・





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ハエとりリボンの思いで・・・

2021-12-11 10:39:38 | 喜怒哀楽をポジティブに
ガラス戸越しに陽射しの温もりを感じる穏やかな時間が流れる10時・・・
庭に出て枯れ始めた芝生を見ると、ところどころに直径2㎝にも満たない
小さな土の塊があちこちに・・・

モグラが土を盛り上げたあとのようなその様子はきっと小さな
虫の仕業なのだろう。
その塊を崩しても虫がいる様子はなかったがその下(地表に近い土の中)には
きっといるのではないだろうか。
或いは地中から土を盛り上げて出てきた虫が羽化して飛びったのかも
しれない・・・と暖かい陽射しを受けた私は勝手な予想を・・・・

一つ、二つとその盛り上がった小さな土の塊を壊していると、
明るい陽光の中で残り少なくなった木蓮の葉がはらりと落ちてきた。

と同時にどこからか1匹のハエが・・・ハエにしてはゆっくり過ぎる
飛び方で物干し台の根元の台にやはりゆっくりと停まった。
力なく飛ぶようなそのハエは近寄ってもすぐには飛び立とうとしない。
昔、よく見かけたずんぐりむっくりとした目玉が赤茶色のものより
少しスリムで目の色も少し黒みがかったようなハエだった。

冬は街中でハエを見かけることはほとんどないと思うし、近年は
どこの街も衛生的であり特に寒いこの時季では珍しいのではないだろうか。
しかも住宅街の中のマンションの庭に現れるとは・・・

この辺りでは家畜を飼っている家もなく、いったいどこから飛んで
きたのだろう?・・と思うと同時にふと子供の頃の懐かしい光景を
思い出した。

私たちやその前後の年代の人たちにはきっと記憶があると思うが・・・
あの懐かしい(?)「ハエとりリボン」の思い出である。
ハエが活発に活動する時期に多くの家で見かけたあの天井から吊り下げた
「ハエとりリボン」はハエだけではなく、いろんな虫がくっつき、
時にはかなり大きな蛾なども・・・

ある程度くっつくと処分(廃棄)するのだが、その時にうっかりすると
あの粘着液が手につくのが嫌だった。
匂いは特に嫌ではなかったが・・・

新しいものをニュルニュルと引き出し、天井から下げる時は最初に
1本の棒状になったものが少しずつ広がり、テープの形になって行く
様子に楽しさも感じたが、ハエがついたそのリボンテープを弟と交代で
捨てる時には不思議な緊張感もあったことなどを次々と思い出したのだ。

また、家の中に海からの風を入れようと窓を開けたときなどは
風にあおられたそのリボンの複雑な動きに翻弄されたり、ふざけたような
声を挙げたり・・・

ちなみにネットで検索すると今も同じようなものが販売され、
使われているようだった。
ガラス製の「ハエとり器」も懐かしい・・・
あの頃はそのメカニズムなどもわからなかったが今回の検索の結果
ハエは上下(垂直)に飛ぶことやホバーリングができないという
ことがわかり、あの簡単な構造で大量(?)のハエを一網打尽に
することができるということも・・・

今はあまり見かけないが昔(少し前まで)は商店街などに設置してあった
「誘蛾灯」などに虫が集まる光景も懐かしく思い出される。
これらの電撃殺虫器もジリジリと音を立てるものや虫をおびき寄せ、
捕獲するために怪しいまでもの光を放つものなど色々・・・

場所によっては今も夜間に虫が飛び交うところも当然あることだろう。
技術が進歩した最近はLEDなども使われているのだろうか・・・
コロナの問題で昼はもちろん夜の外出などは全くしなくなり、夜間の
商店街へ行くこともなくなったが、コロナの終息後の夏は夜の街も
歩いて殺虫灯なども見てみたいものだと一匹のハエによって思いが
拡がった。

今、ここまで書いたところで、時々できる前述の土の盛り上がりについて
ちょっと気になったのでネットで調べてみた。
結果は「コガネムシの糞塚」か「ミミズの糞塚」のようだが、
最近、野鳥が数羽で芝生に降り立ち忙しそうに何かを突いているので
そのどちらかの説が合っているのかもしれない・・・

こんな他愛もないことを思い出したことが私にとっては嬉しいひと時と
なっている。










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雨の中の小さな庭の景色・・・

2021-12-08 12:36:27 | 喜怒哀楽をポジティブに
予想どおり、昨夜からの雨が今朝はまさに「冷たい雨」になった。
関東地方は強い風により横殴りの雨になるという予報のようだったが、
私の周囲は雨も風もそれほど強くはない・・・

今日は野鳥たちにとっても嫌な天気なのか庭を横切る姿も電線に
停まる姿も見えない。
間断なく降る雨の所為か空は昨日よりもいっそう暗いような気がする。
マンションの庭と道路の間のフェンスのサザンカとそれよりも少し
濃い赤の椿の花たちだけがひんやりとした空気の中で『みんな、寒くても
元気を出しなさいよ』と励ましてくれているようだ。

フェンスの下の地面には役目を終えたサザンカの花びらが狭い範囲に
散らばっている。
そして毎年春になると私たちを楽しませると同時にヒヨドリたちに
その花を狙われる木蓮の細い枝からぽたっ、ぽたっと落ちる小さく
透明な雫が異様な光を放っているかのように見える。
暗い空の下でも枝を伝い、玉となって冷たく綺麗に光る小さな水滴を
通して向こう側がハッキリと見えるような気がするのだ。

こんな日に太陽の出現は望むべくもないが、奇跡のように「ぱっ」と
晴れ上がり、まぶしい光が差せばどんなに綺麗だろう・・・

明日からは12日の日曜日を除き、全国的にしばらくいい天気が続き、
気温も極端には下がらないようなので外出日和の好天気に期待したい。

そして今やすっかり日常生活の常識や生活習慣のようになった
「感染対策」で、今年最後となるかもしれない「花や木を見ながら
緑の中を残り少ない緑の風に吹かれて歩く日」を実現したいと思う。





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ついに曇天がやってきた。

2021-12-06 18:36:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
ここ数日は朝起きて廊下からリビングの方を見ると日の出前でも明るさが
いっぱいに広がっていたが、今朝は薄暗く空気も冷たく感じた。
リビングからガラス戸越しに外を見ると先日来、あの「サザンカに続け・・」
とばかりに咲き始めた紅い椿の花達も微かな風に眉を顰めるような顔に見え、
次々と順番を待つ蕾たちの頬は嬉しさで紅潮しているように見えるものの
やはり今年一番の寒さになるかもしれない外気にその紅い頬が少し
強張っているようにも見えた。

空を仰ぐと黒っぽくも厚くもない本当に薄い灰色の雲が空一面に広がり、
見沼区方面の空のほんの一部が微かに白っぽく見えたが、雲というよりは
空全体が薄いグレーに覆われているという感じだった。

いい天気が続き、連日晴れ晴れとした気分だったがついに曇天が
やってきたのだ。

今日は1週間に3回行うハードな筋トレの日、いつものように半袖の
Tシャツでは寒すぎると思い、長袖のトレーニングシャツに着替え、
テラスに設置の器具へ・・・
夏の頃は熱くてやけどしそうなバーベルのシャフトも最近は天気がいいと
心地良い温もりを感じていたが、今日は冷たく、手までが悴むような
感触だった。

これからは連日冷たく寒い日が来ることを思うと、自宅でのウェート
トレーニングを控え、以前のようにスポーツ総合センターのトレーニング
ルームへ通うことも考えた。
コロナの感染拡大のため、私は通わなくなってから2年近くになるが、
以前、一緒にやっていた仲間たちの話では、何度かの閉鎖があったり、
いろんな制限等は現在もあるようだが、彼らは楽しくやっているようだ。

コロナが終息していない現在、自宅で一人でやるのは気軽でいいのだが
やはり寒さ対策を考えると・・・

陽射しの温もりなどみじんも感じない今日の筋トレは汗が滲むこともなく、
寒すぎることもなく無事終了。
どんな気候であれ、やはりトレーニング終了後は爽快な気分になる。

着替えて久々に友人たちと電話で近況報告を兼ねた情報交換・・・
みんなそれぞれ大なり小なり健康問題を含む悩みのようなものを持って
いるようだ。
私も最近の健康診断の結果、医師の勧めで一番マイルドだという
降圧剤を夕食後に服用しているが、今はこれと言って健康上の問題が
ないのがありがたく、改めて健康な体に感謝したいと思う。

妻の千恵子選手は複数の持病を持っているが、これ以上悪化させない
ための「現状維持」を心掛けている。
脊柱管狭窄症による足腰の痛みやしびれもその一つで、毎日の散歩が
体にも気分的にも功を奏しているようだ。

その千恵子選手は一昨日の私の投稿記事の「水元公園」へ行ったことも
精神的にいい作用があったようで、友人たちに話したり、義姉や義妹に
写真を送ったり・・・
本人も写真を見ては何度も何度も一人で頷いている。

私自身も連れて行ってよかったと思いながら来年はまた新緑、深緑の頃に
訪れようと思った。
その時にふと頭に浮かんだのは澄んだ空気の森の中をどこまでも歩きたく
なるようなあの曲「森を歩こう(ホルスト・ヤンコフスキー)」だった。

A Walk In The Black Forest :Horst Jankowski / 森を歩こう
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冬の到来はこんなところにも・・・

2021-12-05 11:12:48 | 喜怒哀楽をポジティブに
朝刊の折り込みチラシを整理し、片付けようとしていた時、
右手の人差し指に見覚えのある(?)痛みが走った。
多くの人たちの既知の認識であり、私自身も既に何度も体験して
いる「紙で指を切る」が今年もまた起きたのだ。

カミソリ、カッターナイフ、包丁などの鋭利な刃物で切った時
とは違い、血が流れるようなことはなく、傷口を抑えると少し
血がにじむ程度なのだがいつまでもヒリヒリ感が続く。
幸い、神経が集中している指先(先端部分)ではなく、指の
付け根に近い部分なので痛さはそれほどでもないが鬱陶しい。

こんな小さな傷がなぜこんなにもヒリヒリするのだろうと
以前に調べたことを思い出した。
紙の切断面は目には見えなくても実はノコギリのようにギザギザに
なっていて一瞬に何度も傷つけられるから・・ということだったと思う。
説明としては皮膚の表面が切れても血が出るほど深くは切れないが
痛点には届く。
もしも刃物のように血が出る深さまで切れたら出てきた血が傷口を
治すので回復も早く痛みもなくなる・・・紙の場合はそこまでは深く
ないので傷口が治らずいつまでたっても痛いと感じる・・ということ。

いつものことだが、切ってみて初めて「またやっちまったぁ~」と思う。
乾燥した冬に多いということも解っていながらそれに対する
対策などは考えたこともない。(ネットではいろいろあるが・・・)

そのうちに少し軽いかゆみを伴いながら見えないような傷口の
色が少しずつ変化し、知らぬ間に治っていくのだ。

野生の動物は傷を負ったり、怪我をしてもいつも自然治癒・・・
人間にも自然治癒力があるはずだから・・・と思うがこれも
時と場合・・・大きな怪我や病気はやはり医学による治療を
必要とするが、今回のようなものは菌が入らないよう、絆創膏
などを使う程度で半分面白がりながら自然に治るのを待つのが
気分的にもいいのではないだろうか。

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遠く、広くどこまでも・・メタセコイア(ヤ)の森 水元公園(東京都葛飾区)

2021-12-04 12:53:18 | 喜怒哀楽をポジティブに






昨日、いつもどおりリハビリを兼ねた「杖を突きながらの散歩」を終えて
帰ってきた千恵子選手が、3日前(11月30日)に行った「さぎ山記念公園」の
メタセコイアの紅葉と岩槻城址公園の木々の様子を懐かしむように
『またメタセコイアが見たいね・・』と語りかけてきた。

既にテラスでの筋トレを終えていた私はすかさず反応するように
『じゃ、これからメタセコイアの森へ行くか?・・』というと
『いいの?・・』と嬉しそうにしながらも『お昼は?・・』というので
私は『コンビニでおにぎりでもなんでも・・・』と言いながら
すぐに出かける準備を・・・

と言っても特別に用意するものもなく、駐車場へ向い車の中で
千恵子選手を待つことに・・・。

最近は歩行だけではなく、諸々の行動にも加齢の様子が表れている
千恵子選手は花々や樹木類を見るというだけで嬉しくて頭の中が
ちょっと混乱するようだ・・・なかなか現れなかった。
あとで分かったのだがそれは飲み物やミカン、バナナなどちょっとした
おやつを用意していたのだった。

走り出し、メータを見るとガソリンがだいぶん少なくなっていた。
まだ150キロぐらいは充分走れるので給油は後日でも良かったのだが、
いつも利用するガソリンスタンドが進行方向だったのでとりあえず給油を
終えて出発したのが12時5分・・・

行く先は東京都葛飾区の水元公園・・・
東京都と言っても埼玉県の三郷市と隣接しているところなので、
途中から外環道を利用すれば我が家からおよそ1時間・・・

第2産業道路から県道1号線の途中までは多少の渋滞もあったが外環道
(高速)に入ると快適走行・・・
しかし、千恵子選手にとってはシェルターのような防音壁が続くのが
気に入らないようで『まだ?・・』とか『こんなところを走るの?』
『あとどのくらい?・・』『疲れた・・』『遠いね・・』など、
小さい声ながら不平、不満を連発・・・

『まだ40分も走っていないのに何を言う‥』と私は内心『イラッ・・・』と
したが、私が平然としているように見えたのか千恵子選手の不機嫌な
様子がさらに続いたので、私はついに少し声を荒らげて、『まだ1時間も
走っていないのに”まだか”とか”遠い”とかと不平を言うようならどこへも
行けないぞ!』と言いながら『あと20分ほどで到着するから落ち着け』
となだめ(?)たのだ。

そうして高速を降り、公園の周囲の道路に出ると千恵子選手は一変・・・
走りながらも見える公園の様子に安堵と共に小躍りでもするかのように
感激、感嘆の声を連発したのだった。

到着は13時10分、園内の駐車場に入り、そこからは杖を突きながらの
歩行を考慮し、先ずは「メタセコイアの森」を目指すことにした。
私たち夫婦はこの「水元公園(東京都)」や小合溜 (こあいだめ)を
挟んで隣接する三郷公園(埼玉県)へは既に4度ほど行っているのだが
いずれも千恵子選手の歩行や体調に問題がなかった頃だった。

最近の妻はいくつかの持病に加え、体調も以前と比べると良いとは
言えない状況であり、また記憶にも衰えが見え始め、診察の結果、
認知症ではないが、その手前ともいえる段階なので心身共に私たちが
フォローする必要性もあるのだ。

体力の低下も考え、数年前から展示会や絵手紙教室も各種の文化祭への
参加なども少しずつ減らし、今は近くの公民館でのみ教えているのだが、
25年もやり続けた絵手紙の楽しさは衰えることなく、今後も続けて
いきたいようなので私も協力を惜しまないつもりなのだ。
そのためにも外へ出て色んなものに触れてみることは重要だと思う。

もともと千恵子選手は明るく元気そのもの、そしてまじめで涙もろく、
ちょっとおっちょこちょいタイプなのだがこのコロナ禍で
外出が制限されることに苦痛を感じていたようだ。
私自身は何日間一歩も外へ出なくてもストレスのようなものは全く
感じないのだが千恵子選手は一日に1回は外の空気を吸いたい・・と
言うことで自分自身リハビリ兼散歩を行っているのだ。

そんな千恵子選手なので園内へ入ると途中のことなどなかったかのように
綺麗だ、素晴らしい、などという言葉を連発し、もう既に落葉した大木の
ポプラが続く道も足取り軽く歩き始めたが過去の何度かの記憶が
蘇らないまま、私たちは「メタセコイアの森」へ・・・

千恵子選手は以前に見て感動したメタセコイアがこの場所だったのか
どうかはっきりとは思い出せないまま相変わらず感動の歩きを続けた。
さいたま市周辺にもメタセコイアの並木などはいくつもあるが、
この水元公園は群を抜いている。

千恵子選手は『緑で生い茂ったようなメタセコイアもいけどこの紅葉した
姿も綺麗で、私はこっちの方がいいかもしれない・・』と何度も何度も
言っていた。

私は新緑の、そして深緑のメタセコイアの方がいいと思うが、特に
そのことで争うこともないのでうんうんと相槌を打つだけ・・・

昨日は千恵子選手もさすがに森の中を歩き回ったのと気持ちが昂ぶり、
疲れたのかこのメタセコイアの森だけをみて満足したようだったので
他の場所へは行かず、14時には帰宅の途についた。

行くときのことがあったので高速(外環道)を選ぶかその下の
298号線を選ぶか千恵子選手に聞くとあれほど嫌がっていた防音壁には
触れず、どちらでもいい・・という返事・・・
高速道を利用しないと時間がかかることを説明し、念を押したうえで
298号線で帰ることに・・・案の定到着には時間がかかり、家に着いたのが
16時過ぎ・・・「2時間ちょっとの〇〇道」となった。

想像以上のメタセコイアを見てこの上ない感動と喜びを得たような
千恵子選手から私に感謝と運転お疲れ様・・と労いの言葉があったが
運転が何よりも好きな私にとっては疲労などあるはずもなく、ゆっくりと
コーヒーを飲み、私にとってもこの4時間はいい時間だったな・・と思った。

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残り1枚となったカレンダーに・・・

2021-12-01 15:49:53 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は12月1日、今年もカレンダーが残り1枚となった。
例年この日には1年を振り返ったり、少し早いがやがてくる、
いや、すぐ・・まさにあっという間にくる新しい年に対する
思いや、決意(?)のようなものを書き留めるようにしてきたが
今日もいろいろな思いが頭を駆け巡る。

一年前の記事の一部には・・・
『人生の扉は重くても明るい気持で開けて夢や希望を見いだそう。』
というタイトルで次のように書いている。

今日から12月・・・世界も、日本も私たち個人も常にコロナを
意識しながら生活してきた今年もついに残すところ1ヶ月。

人それぞれがいろんな思いを背負って・・・喜怒哀楽と対峙してきた
11ヶ月・・・みんなが強くも優しくも賢くもなってきたと思う。

今、一年の最後の扉を開けて『多少の悔いを残しながらも間もなく
やってくる新しい年に備え、気持を明るく、元気にするための大切な
1ヶ月にしたいと思う。』

そこで・・・
今日はやがて来る新しい年の、「頑丈で少し重いかも知れない」
それぞれの『人生の扉』をみんなで開けて勇気を持って前へ進むための
応援歌として竹内まりやさんの『人生の扉』を聴きながら過去の人生を
肯定し、新しい扉の向こう側に夢や希望を託したいと思う。

大きく黒光りしたようなドアノブは目の前にみえている・・・
一人で開けられない大きく重い人生の扉は周りの人に助けてもらい
ながらでも開ければその先は勇気や自信に繋がるのだと思う。・・と。

そしてその前2019年の今日は・・・
『残り一枚のカレンダーに向かって・・・』のタイトルで・・・

今日は12月1日・・・今日からまた新しい月が始まるが何故か
いつもの月の初めとは違うような何かを感じる。

それは師走(しわす・しはす)という言葉が閃くからだろうか。
壁に掛けてある残り一枚となったカレンダーに予定やメモを
書き込もうとすると、軽く、ふわふわとした感じでペンも
動いてしまう。

年初に今年は何かを・・こんなことを・・などと思っていた頃は大きく、
ずっしりと重いカレンダーに向かうと何事にもそれなりに予定や
ささやかな目標もあり、意識意欲もあったと思うのだが、月日の経過と共に
それが薄れてきたのは何時頃からだっただろう?・・・。

何をして何を得て、何が残ったのだろうとふり返ってみても残念ながら
これと言って思い当たるものはない。
でも自分を否定したくない私は決して無駄な時間だけを過ごしてきた
ではないと思っている。

生きているのだからいろんなことがあって当然・・・形として残るもの、
目に見えて効果が表れ、ひとの役に立ったものなどはなくても、
過ぎ去った時間の中には家族、友人、知人、近隣、地域社会の
人たちと共に小さな喜びや感動を共にできたことを実感できるだけでも
良しとしよう。

今、こうして少しの風にでも揺れ動くように軽くなったカレンダーに
向かい、曲がりなりにも無事に過ごしてこれたことや他人にとっては
意味のないような小さな感動や幸せを味わえたこと、更に来年は一段と
元気に意欲的に前向きに・・・と思う気持ちも持続できることや
生きている喜びを感じていることに感謝しながら自分には「老い」は
まだまだ遥か先のことだと空欄に太文字で大きく書き込みたい。・・・と。

こうして振り返ってみると、新たに人生の重い扉と思えるような
ものはなかったが、軽く小さな扉はいくつかあったような気がする。
幸い自分の手で開けられるものばかりだったが、中には扉の向こうには
部屋や道がないものもあった。
心身ともに無駄な労力も決して後悔するようなものではないと思う。
過去があったから、そしてあんなこと、こんなことがあったらこそ
今がある・・と思えば良かれ悪しかれ全て貴重な経験、体験である。

今日、このカレンダーに予定などを書き込めたのはほんの数件・・・
今年だからこそ・・と思うことや些細なことを含めて来年に備えての
準備や行動で記入される日がいくつあるだろうか・・ちょっと楽しみでも
ある。

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