『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

「夏は来ぬ」が果てしない思いに・・・

2021-05-30 13:19:25 | 喜怒哀楽をポジティブに
5月26日、yamaさん(ID:yama1411)の記事の書き出しの部分の
「卯の花の、匂う垣根に 時鳥、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、
夏は来ぬ・・・」の文字列が目に入った時・・私の頭の中、胸の中に
いろんな思い出が駆け巡った。

子供の頃にこの歌を習い、歌ったこと、曲が流れると今も歌詞がすぐに
出てきてその頃にすぐに戻れること、母が好きな歌だったこと、
5月生まれの私を風薫る初夏の爽やかさやその光景がいろんな意味で
勇気づけてくれたことなど・・・。

懐かしさのあまり、その日(26日)、知っているに違いないと思いながら
妻千恵子選手に「夏は来ぬ」の歌を知っているか?・・と聞いてみた。
千恵子選手は即座に『夏がく~れば、思い出す~・・・』と歌い始めたのだ。
よもやの事態(?)に私は『違う、それは「夏の思い出」だよ・・』と
言うべきか『卯の花の、匂う垣根に 時鳥、早も・・・』と自ら歌うべきか
と迷ったがそのまま小声で歌い続ける妻の姿を見てこのままでは歌が
終わっても気づかないだろうと思い、「水芭蕉(みずばしょう)の花が 
咲いている 夢見て咲いている水のほとり・・・ 」あたりで
制止することにした。

『違う・・』という私の声に、怪訝そうな表情の妻は間違えたことに
気づかなかったが私の『卯の花の 匂う垣根に 時鳥・・』の声に
『あぁ~』の声を発し、「ニタッ」と少々不気味(?)な笑いを・・・
彼女にとっては二つとも慣れ親しんだ曲なのに間違えるとは?・・と
思ったのかもしれないが私は『不問に付す』という表情でそれ以上語らず
『お咎めなし』で決着。

そんな事件(?)があったあと・・・
今日、再びyamaさんの投稿記事に巡り会ったのだ・・・
卯の花はウツギ(空木)と称されることやその語源、名前の由来、
形状などの説明、用途なども詳しく記されている。
妻の千恵子選手も「クネ」や「畝(うね)」のことを知っていたが
ウツギはピンクの花だとばかり思っていたようで、この歌に
登場する「卯の花」は「田植え花」と呼んでいたそうだ。
yamaさんの記事を見せると『うん、うん』と頷いていた。

ここで一つ新たな疑問(?)が・・・
「夏は来ぬ」の歌詞が五番まであることを初めて知ったのだが
先に書いたとおり今も暗唱している「夏は来ぬ」の歌詞で
私が覚えているのは一番と五番だけ・・・
姉も含め親子であんなに歌っていたのに二番から四番は全く覚えて
いないのだ。
私はyamaさんの記事を読むまで「夏は来ぬ」は二番の歌詞で
終わりだと思っており、その二番が五番の『五月やみ 螢飛びかい 
水鶏なき 卯の花咲きて早苗植えわたす 夏は来ぬ 』だと
思い込んでいたのだ。

私がはっきりと覚えているのはこの一番、五番の歌詞だということは?・・
なぜ?どうしてなのだろう?
二番には「さみだれ(五月雨)」や「早乙女」「裳裾ぬらして」
「玉苗」など山村での田植えの様子が浮かんで来るし、
三番の「橘の かおる軒場の ・・」からミカンの香りを思い起こされ、
「蛍飛びかい」と「おこたり諌(いさ)むる 」の言葉で「蛍雪の功」
を連想させられる。
四番に登場する「水鶏(クイナ)」のことは
しっかり覚えている五番の歌詞の意味を母に聞いた時に
教えてもらったので今日初めてみた四番の歌詞の意味はわかったが・・・
「棟ちる」は今、ネットの検索で「棟」とは夏に花をつける落葉樹の
センダン(栴檀)だと知った。

ただ、私が覚えているのがどうして一番と五番なのかはわからない・・・
もしかすると昔は一番と五番だけだったのではなかったのか?・・と
自分に都合良く考えたりしたがそんなはずはないだろう。

もしや?・・・
私の母が二番から四番に出てくる光景の「総集編」のような五番の歌詞を
覚えれば「夏は来ぬ」の歌詞の意味を理解できるのではないかと考え、
私達に最初と最後をしっかり覚えさせたのではないかと思うことで
自分では「一件落着」としたのだ。

その「夏は来ぬ」の歌詞をyamaさんの記事内から転用させていただくと

*卯の花の、匂う垣根に 時鳥、早も来鳴きて 忍音もらす、夏は来ぬ
*さみだれのそそぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ
*橘の かおる軒場の 窓近く 蛍飛びかい おこたり諌むる 夏は来ぬ
*棟ちる 川べの宿の 門遠く 水鶏声して 夕月すずしき 夏は来ぬ
*五月やみ 螢飛びかい 水鶏なき 卯の花咲きて早苗植えわたす 夏は来ぬ





コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何度も何度も思ったことだが、今日もまた『ブログをやって本当に良かった・・』の思いが・・・

2021-05-29 14:12:39 | 喜怒哀楽をポジティブに
過去にも同じようなことを書いてきたが、約3年前(2018年8月)に
ブログをやってみようと思い、訳のわからぬまま、思いのままに
感じたことをただ書き連ねてきた。

その間、ちょっとしたことや共感、共鳴できることがきっかけで
私にも少しずつだがブログ友として交流したいと思う仲間ができてきた。

そのような仲間の投稿記事内の何気ない一言や行動が私の心に響き、
『ブログをやって本当に良かった・・』と思うだけではなく
このブログ友たちのことをより多くの人達にも知っていただきたいと
考えるようになり、こうして時々感じたことや思ったことを素直に
書いてみようと思っているのだ。

ブログ友たちの投稿文からその人の考えや、強い思いや信念、信条
の一部でも知ることが出来たりまたその人生を垣間見ることが出来る
ことによって『自分はどうか?・・』と考える機会を得て自分の未熟さを
知り、参考にしたり、知識を得る喜びを感じたり、励みになったり・・・

そしていただくコメントにもその人ならではの優しさや人柄を
感じることができ、人の繋がりの大切さを痛感する。

ブログを始めて間もない頃に最初に交流できたのが「highdyさん」
highdyさんの博学、博識にはいつも驚かされる。
パソコンの無料教室で多くの人達をサポート・・・
工学、科学、化学、医学、農学、天文学などなど・・実に幅広い知識を
お持ちで私も毎日の記事を楽しみにしているのだ。
常にお忙しく、機会ある毎に知識を得ること、そしてその活用の大切さを
唱えていらっしゃる方・・・。「役に立った」を連日ポチッと押さずには
いられない。

2番目に交流できたできたのが「けんすけさん」
その記事からは「信念の人」を強く感じ、その真摯な
思いと実践する生き方には脱帽・・そして、敬服・・・。
政治や国のあり方などでは共通する思いも多く、正しいことは
正しいと主張し、小さな声を挙げ続ける大切さを共感、共有している友。

次は「よう爺さん」さん、とにかく明るく、仕事熱心で
バイタリティのある方。
高齢者施設の利用者さんの送迎をはじめ、パトロールや複数の
仕事をこなし、私より少しお若い(76歳?)が今も現役で連日大活躍・・・
私は『後期高齢者の鏡・お手本』として尊敬し、お互いに
『元気炸裂!』を合い言葉に冗談を交え、楽しく交流させていただいて
いるのだ。

つづいて「ポエット・Mさん
以前以前から(失礼ないい方ながら)『只者ではない!』と思っていたが
最近、その経歴を知り驚いた。
まさに『能ある鷹は爪を隠す』の例えのような方・・・。
世相を斬る姿も私のように強烈な言葉を使っての罵りや蔑みのような
ものではなく、常に冷静で穏やかで温かみがあり、万人が納得できる
ような言葉と表現で批評・・・。
後述の「yamaさん」同様、アップの写真からはその光景の美しさだけ
ではなく、暖かく優しく穏やかな人柄が感じ取れる。
記事内に必ず、十~二十首前後の胸を打つ短歌も掲載され、短歌を
詠めない私だが三十一文字の中に時間や動き、人物、情景、感情などを
私なりに感じ、胸が熱くなり、じ~んとすることもしばしば・・・・

そして「すずさん」
子供の頃から本に親しみ、ブログだけではなく作家としての実績もあり、
日々読書を欠かさない生活習慣が効を奏し、文章を書くことには慣れて
いて何の苦労もないように思える。
語彙も豊富、言葉や文章を使っての表現力も豊かで情景描写や感情も
素直に伝わってくる。

読書量も多く、その読後感にはすずさんの視野の広さを感じるとともに
尊敬の毎日である。

すずさんはブログでピアノやエレクトーンの演奏もアップ。
そしてこの演奏のファンも多く、リクエストをする人達も・・・。

仕事上は「社会福祉士」や「介護福祉士」の資格を持ち、困った人達を
助け、福祉の手助けを必要としているさまざまな人に対して、現場でも
利用者が安心して生活できるよう助言や指導にも力を傾注しているのだと
思う。
そして、海外留学や海外での勤務の経験、体験を活かし、「ECC」の
先生も兼務するなどその多才ぶりに多くの人達が驚きと拍手を・・・

そして「さくらさん」
元ジャーナリスト
自助努力の患者会「がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会」の主宰。
自ら癌を抱えての活動は日夜病友や地域社会のために・・・上記の役目の他、
地元名張市以外の各地で大活躍・・・80歳とは思えぬ活動。
寒風吹きすさぶ中をバイクで疾走する様子にも驚くが身の回りの
いろんな食材を見事に活かし、病友たちと幸せそうにいただく様子も
しばしば拝見する(記事内で)

短い文章の中にも新聞記者、ジャーナリストとしての揺るがぬ矜持を
お持ちのまさに「矍鑠」そのものの姉上である。

そして「yamaさん」。
現在もある新聞社の編集責任者としてご活躍中・・・
私たちとほぼ同世代のyamaさんは仮に激しい感情があったとしても
それを抑えることができるような鷹揚で温厚な表現の記事と明快で
整然とした文章とともに記事にアップの写真はどれも私達の目を
生き生きさせる力に溢れている。

私生活ではご家族思いの様子があちこちに・・・
そして和太鼓の指導者としてもチームを上手くリードしたり、
まとめたり緩急自在の指導法は後輩、弟子(?)達の信頼も厚い様子。

そして「浅間山明鏡止水さん」
ポエットMさん経由で知り合えた新しい友人、やはりポエットMさんや
yamaさんと同じで心が洗われ爽やかになるような写真の数々に連日感動!
お互い、昔からの「阪神タイガースファン」であることがわかり
今後、そちらでも意気投合の連続が・・・と期待上昇中。

長くなったが前述の人達との交流(コメント)によって
日々、楽しく前向きな気持で生活することができている。
もともと『喜怒哀楽をポジティブに』を掲げている私にとって
強い味方が少しずつ増えてきたがこのブログ友たちに教えを乞いながら
今後も力強く生きていこうと思う。






















コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ドラを観ていろいろな思いが・・・

2021-05-28 14:46:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
以前にも何度か投稿したが、私は2014年頃から昨年(2020年)
の後半まである理由でNHKの放送はテレビ、ラジオともに
視聴、聴取していなかった。

私の他にも不信感や様々な理由でNHKを嫌う人達もかなり
いるようだ。
私の場合、あの『N国党』とは全く違う理由によるものだが
以前の記事のように理由を書くと、延々と長くなりそうなので
ここでは省くことにしよう。

その私が昨年、(これも記事にしたが)ブログ友すずさんから
心に響くアドバイスをいただき、再び昔のように
NHKの放送もニュース以外は少しずつ観るようになり、
昨年の終わり頃から始まった朝ドラ「おちょやん」は1回も
欠かすことなく最終回(5月14日)まで観るという予想もできない
結果となった。(ニュースにはいまだに拒否反応・・・)

今までは野球中継がNHKで放送される事がわかっていても・・、
しかもそれが子供の頃から大好きだった「阪神タイガース」の
試合であっても意地(?)を張り、観なかったことを思うと雲泥の差・・・。

歴史や時代小説が好きな私の気持は堰を切ったように
大河ドラマ「青天を衝け」にも向かい、そして「おちょやん」に続き、
今月17日から始まった朝ドラ「おかえりモネ」も物語の舞台となる
宮城県の登米市や気仙沼市の心洗われるような光景とそこに住む人達の
心温まるような表情に私は頷いたり、ほっこりしたりしながら
毎朝楽しんでいる。(このドラマは妻、千恵子選手も一緒に視聴)

前回の「おちょやん」はドラマの登場人物達の涙のシーンも多く、
彼らの言動が視聴者の涙を誘うような場面もかなり多かったと思う。
私の印象では80%以上が「涙」に結びつくシーンではなかったかと
思うくらいである。

明治生まれのおちょやんが大正、昭和の厳しい時代を
涙と共に送った人生を思うとおちょやんの4歳ほど年下である
私の母の人生はまあまあ幸せだったのかなあ・・と思う。
もちろん、おちょやんの人生の幸せを描いた部分もあり
おちょやんはその人生を力強く生きたことは幸せであり、
おちょやん自身もいい人生だったと思ったことだろう。

現在放送中の「お帰りモネ」はいまのところ前作(おちょやん)で感じた
重くのしかかるような思いや感情の表現はないので前作よりは
楽な気分(?)で観ることができる。

テレビやラジオのドラマと言えば・・・
私が初めて(本格的に?)ドラマに巡り会ったのは小学5年生の時・・
昭和28年(1953年)、NHKラジオドラマ『新諸国物語・笛吹童子』だった。
この頃の新諸国物語は1年間放送されていたと記憶している。

夕刻、放送時間になると弟と二人でラジオの前に正座し、
『一言一句も聞き逃すまい』と、まさに固唾を呑んで足の
しびれなど気にせず少し前屈みになって聴いていたことを今も
はっきりと覚えている。
翌、昭和29年(1954年)の新諸国物語は『紅孔雀』だった。

この2年間のうち聞き逃してしまったなどということはほとんど
なかったと思う。
「笛吹童子」のドラマの主題歌の『ひゃら~り ひゃらりこ ひゃり~こ
ひゃられろ 誰が吹くのか、不思議な笛だ・・・』も
「紅孔雀」の 『まだ見ぬ国に 住むという 紅きつばさの孔雀鳥・・』も
自然に口を衝いて出てくる。

この放送を聞き続けたこととこの時期(小学5、6年生)の
担任であった要門先生が折に触れ講釈師のような口調で面白
おかしく歴史を語ってくれたり、いいところになるとこの続きは
自分で読みなさい・・・と話してくれたことによってその影響を受け、
歴史や歴史小説、時代小説が好きになり、その後友達と一緒に
これらの本を読むことになったのだ。

大人になってからは司馬遼太郎が好きな友人と酒を飲みながら
歴史談義になった事も・・・

それが時代小説や映画を好きになる事にも繋がっていった。
いま、こうして振り返ると誰にとっても小さい頃に見聞きしたこと、
学んだことなどがその後の人生にも少なからず何かしらの影響を
与えることが多いのだなあ~と先生の顔を思い浮かべながら思った。

 





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のブログのタイトルとサブタイトル『喜怒哀楽をポジティブ』の由来 

2021-05-27 15:42:08 | 喜怒哀楽をポジティブに
私のブログのタイトル『いつも、いつでも元気炸裂!』
という言葉は多少の波瀾万丈とも言える私の人生の、最後の
勤務先で定年を迎えるまでの16年間、言い続け、使い続けて
きたもので、今思えばもう30年以上になる。

国民の大多数が知っていると思われる大塚製薬の炭酸栄養ドリンク
「オロナミンC」のキャッチコピー『元気ハツラツ』をヒントに
「ハツラツ」を「炸裂!」にしたものだが、長い歴史のある
「オロナミンC」のイメージが強いため、しょっちゅう間違え
られたり混同されるという歴史(?)だった。

オロナミンCの「元気ハツラツ」の文字がカタカナだから商品と
共にこのキャッチコピーが何十年も続いているのではないだろうか?・・
とふと考えた。

あれが仮にひらがな、或いは漢字の「溌剌」だったらその文字から
受ける感じが違っていたのではないだろうか?
「ハツラツ」だからこそ子供でもすぐに読めるし、シャキッとして
生き生きとした様子を感じることができるのだと思う。
「はつらつ」はどうだろう?・・これは「ハツラツ」に比べると
丸みを帯びたひらがなの文字には緩やかでゆったり感をイメージ
させるので溌剌感にやや欠けるような気がするのである。
そして「溌剌」は栄養ドリンクに使う文字としてはちょっと
固いイメージがするようで・・・

特に溌剌の「剌」は尖ったものを表すとげ(刺)や鋭利なもので
ものを刺す場合の「刺す」という文字に似ているので私個人的には
ドリンクに対しては相応しくないのでは?・・と、そういう感覚を
持ったのかもしれない。

一方、私の「元気炸裂!」は心身共に頑健であることを望み、
気持も行動にも爆発力を持つぐらい元気を維持し、お互いに
励まし合っていこう・・・という意図から使うようになった
言葉なので今後も使っていきたいと思う。

最後の「!」については良い場合にも悪い場合にも使われることが
あるようなので要?不要?と考えたが意欲を感情の高ぶりで
表したいというつもりでつけることにしたのだが今では「!」が
その思いを強調してくれるもの・・・という意味で忘れずにつける
ようにしているのだ。

さて、前置きが長くなったが・・・
副題の『喜怒哀楽をポジティブに』について・・・
「喜」と「楽」には誰もが素直(自然)に「積極的」や「肯定的」
に考えたり、人それぞれ多少の差はあっても素直に自分の気持を
表すことができると思うが、「怒」と「哀」をポジティブに・・・
というのはなかなか難しいし、もともとそんな発想はない(しない)
かもしれない。
そこで・・仲間達から「奇人・変人・暇人」と言われる私が
暇に任せて(?)腹立たしいこと、激しい怒り、恨み辛み、
などの激しい感情や、悲しいこと、寂しいこと、辛いこと、
苦しいこと、やるせないことなど心の中の様々な複雑な思いも
ほんの一瞬でもいいから時間をおいて考えてみよう・・・そうしたら
自分の気持がどうなるのだろう?・・と考え、それを実践するには
文字にしようと思ったことからポジティブに・・・が浮かんだの
である。
「言うは易く行うは難し」の例えどおり、「怒」や「哀」を
良いように考えようなどとは至難の業に近いものだと思ったが、
その都度少し考えるだけでも僅かに気持が楽になることもあり、
絶対に無理なこと・・と決めつけるものではないということも
少しだがわかったような気がする。

といっても決していかなる場合でも自分の気持、感情を抑え、
我慢に徹すると言うことではない。
怒りも悲しみもその感情を表してこそ人が人であるのだと
いう基本的なものも充分考えながら、一呼吸置いて考えれば
対処の仕方や幅も拡がることに少しだけ気がついたという程度の
ことなのだ。(当然のことだが偉そうに言えることではない)
だが、自分の感情を抑え、周りに気遣って「長いものには巻かれろ」と
いうことではない。
すべてあくまで正しいことは正しいと述べる気概を持った上での
対処ということで・・・

そして、もう一つのサブタイトルの
『寄らば大樹の陰より一寸の虫にも五分の魂』を忘れる
ことなく、心を広く穏やかにして対処できれば・・と思うのである。
私にはまだまだ道が遠いが・・・





コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日26日はスーパームーンで皆既月食 

2021-05-26 15:23:23 | 喜怒哀楽をポジティブに
今月の初めにブログ友highdyさんがゴールデンウィークの頃から
始まる5月の空の色々な「天体ショー」のことをわかりやすく、
かつ、興味が持てるような記事にされていた。
ゴールデンウィークの頃は月が土星や木星に近づくことや
その後の流星群や水星のこと・・・
そしてきょう26日の皆既月食のこと、その月が赤銅色になることなど・・・

今朝、報道でも今日がスーパームーンで皆既月食であることや
その珍しいことなどを伝える場面があり、皆既月食は3年ぶり、
スーパームーンと皆既月食が同時に見られるのは24年ぶりだと
いうことも伝えられていた。

月初にhighdyさんの記事を読み、カレンダーに記入して楽しみにして
いたのだが今日は全国的に天気も良く、いい条件で見られそうだ。
まだ空に明るさが残る19時前から部分食が始まるようで
20時を過ぎた頃からいよいよ赤銅色の月が見られるようなので
この絶好の機会を逃さず見てみたい。

ただ、その頃に我が阪神タイガースの試合はまだ継続中で
あると思うが・・・
今日は阪神の試合がテレビ中継されることでもあり、序盤から
タイガースがリードした状況で空を仰ぐことが一段と楽しく見る
条件(?)に相応しいと思うので、先発の秋山が0点若しくは1点に
抑え、新の新、まさに新ダイナマイト打線が大爆発し、
大量リードの価値パターンでクローザー、スアレスの登場を
迎える時間帯となることを期待したい。

今日これから夕刻のニュースなどでもスーパームーン、皆既月食の
ことは放送されると思うが、興味のある方は是非ご覧いただきたい。
因みにhighdyさんの記事は『highdyのきまぐれブログ』で投稿日は
5月2日・・・
その記事内には「星座学習アプリ」やダウンロードできる
「モバイルアプリ」の紹介などもある。




  
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

接種券到着後4日目にしてようやく予約完了・・・

2021-05-25 10:03:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
ワクチン接種クーポン券到着後、予約をとるためすぐにスマホと
パソコンで昼夜を問わず、深夜も含めいろんな時間帯にアクセスし、
妻のID分は当日に予約が取れたが私の分はその後全く画面が進まず、
「ただいまWEBサイトへのアクセスが大変混み合っております。
お手数ですが、しばらく経ってから再度お試しください。」
のメッセージばかり・・・

運良く(?)「予約受付ID」と「パスワード」入力の画面が出て、
「ログイン」をクリックしても
「ログイン認証に失敗しました。
ID/PWの入力ミス。もしくは有効なIDではありません。」
と表示されるだけの時間(日)がその後延々と3日間も続いたのだ。

その間、いち早く予約が取れた妻千恵子選手は私の分が取れないことに
何故かオロオロするような状態で必要のない『ごめんなさい、
ごめんなさい』の言葉を繰り返していたが予約ができたことを
知り、その嬉しさからか年甲斐もなく(?)うろたえていた。

何度アクセスしても前述の冷たく感じる文字が繰り返される
だけではなく、続けて5回失敗すると1時間はアクセスできなく
なるということもあり、のんびりとやっていこうと思いながらも
傍らで落ち着かない様子の千恵子選手を見ていると、少しでも
早い予約を・・と言う気持になりこの3日間はアクセス主体の
生活になってしまった。

今回、この予約がスムーズにいかなかったことについて
アクセスが大変混み合っている・・というのは充分理解できるのだが
ログイン認証についてID/PWの入力ミス。もしくは有効なIDではありません。
というのは何度も確認し、正しい文字を入力している多くの人の混乱を
招くのではないかと思った。

私達は7月末どころか8月か9月になるのではないかと思っていたが
6月中に接種できる事になり、取りあえず心も落ち着き、さらなる
感染防止対策の徹底を・・という意を強くしたのである。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意志薄弱で暗中模索の政府に国民の怒りの感情が・・・

2021-05-24 11:15:16 | 喜怒哀楽をポジティブに
 開催理由や実施する場合の具体的な説明がないまま今、日本は
オリンピック開催に向けひたすら突っ走ろうとしている。

並々ならぬ努力をしているアスリート達への複雑な思いは国民の
誰もが持っていると思うので、オリンピック、パラリンピックの
延期や中止を残念に思うのが当然ながら現状では多くの国民が
『開催は無謀』と考えるのは当然のことだと思う。

今回のIOCバッハ会長やコーツ副会長の発言には違和感どころか
強い非難の声が殺到しているという。

そして日本は・・というと・・・
安全な対策は徐々にできている・・だとか、さらに検討を進める
などと「開催ありき」の発言が先行し、立ち止まって真剣に現状を
分析し、冷静に考える姿勢は皆無のようだ。
ここでもアクセルとブレーキの踏み間違えで今や危険な暴走車と
なっているようだ。

大会組織委員会の橋本会長も「3徹」と言う言葉で
『来日人数削減の徹底、行動管理の徹底、医療体制見直しの徹底を
実行することにより真にみんなのオリンピック、パラリンピックを
実感していただけるよう引き続き準備を進めていく』と発表。

そして依然として決まっていない観客数については『感染状況によると
思う。安心安全最優先なので、国民、アスリートをはじめとする全ての
関係者が安心安全を実感できない限り、非常に難しいと思っている』と発言。

更に『感染状況、医療体制に支障を来さないことにならなければ
難しいと思っている』と無観客の開催もあり得るとの見解を示した。
無観客開催で済む問題ではないはず・・・

菅首相は先日の記者会見で『日本と世界にとって、開催のメリットと
デメリットは何か?』という質問に対し、『オリンピック・
パラリンピックは、世界最大の平和の祭典であり、国民の皆さんに
勇気と希望を与えるものであるというふうに認識している。』
『選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加することが
できるようにするとともに、国民の皆さんの命と健康を守る。
これが開催をするにあたっての基本的な政府の考えであります』と
“定番”の答えの繰り返しで質問をはぐらかすような始末。

『安心・安全な大会が開催できるよう、全力を尽くすのが政府の責任だ』
と言うだけでは国民の80%以上が開催に反対の意思を示している事への
説明にはならない。
何ごとにも納得のいく説明がないのが菅内閣の特徴ではあるが
それにしても国民の命や安全に関わる問題の軽視が甚だしいと思う。

選手を含む海外からの入国者の数を78000人に減らすと言い、
その対策もしっかりと行い、違反者には厳しい措置を・・などと
軽々しく言うが誰がどのように監視し、どう対処するのかについても
全く分からない状況。

あるコメンテーターの『日本人の命と健康を掛け金にして行うギャンブル』
であるという発言は「言い得て妙」だと思った。
日本人の大きな犠牲はなんらIOCの負担にはならないのである。

現状では安心安全な大会など望むべくもない。
菅首相は『開催の可否を判断するのはあくまでIOC』という
見解を示しているがIOCの判断や意見に左右されず、政府が
独立して判断すべきではないだろうか。

トランプのポチになったり、各国(特に大国)の間をコウモリとなって
飛び交った大嘘つきの安倍晋三よりは少しマシかな?と
思った菅首相だったが・・あの力ない目と発言に不信感を抱く国民の
愛想づかしは日に日に増えて今や怒りとなっているのだ。

信頼を得ようと思うならば一刻の首相として誇りのある
決断をして欲しいと思う。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨のような空の下でも・・・

2021-05-22 12:25:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は朝からスカッと晴れた空を予想(期待)していたが
間もなく正午となるこの時間になっても一面、雲に覆われた
まま・・・・
今日は太陽の光を見ることができるかどうか?・・・

風もなく、雨も降っていないが梅雨を思わせるような空気である。
各地では例年より早く梅雨に入ったところもあるが、関東は
いつ頃になるのだろう。
早く入り、早く明けてほしいものだと我が儘を言いたい心境である。

庭へ出ても我が家には今、明るく元気な花は咲いていない。
毎年、これでもか・・と言湾ばかりに数多くの大きな花を咲かせる
真っ赤なアマリリスの蕾が大きく膨らんでいるが今日の開花は
なさそうである。

こんな日はゆっくり、静かに花や木々の緑を見ていたい・・と
思うが、感染が一向に収まらず、ワクチンの接種も進まぬこの
コロナ禍の状況ではそれどころではないと思う人達も数多く
いることを考えると自分の気持も引き締めなければ・・という
気持にもなる。

最近はずぅ~っと外出を控え、妻の買い物時にすぐ近くの
ス-パーへ荷物運搬係として同行する程度なので飲食店や
夜の街の様子などは全く見ていないがテレビや新聞から
入ってくる情報ではかなり深刻な状況が依然として続いて
いるようだ。

苦悩を抱える事業者のことを思うと心苦しいが、青空や
そこに浮かぶ白い雲を見て勇気や希望を感じ、民家の
花々を見て美しいと思う気持によって自分自身がいつも元気で
いられることが周りにも少しずつ何か小さな影響を与え、
見えない力やささやかなエールに繋がれば・・・と思うことにしよう。

そのためにも自分が一番元気になれるよう、午後には散歩を
兼ねて近隣の農家の花々を見て歩き、私がいつも感じる
「花たちの笑顔」を胸いっぱいに納めてこようと思う。
その頃に少し陽が射すことを願いながら・・・・。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

79歳の誕生日を迎えて思ったこと・・その2.

2021-05-21 13:55:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
78歳から79歳になった自分はいったい何がどのように
変わったのだろうと思い、考えてみた。
妙に・・そして訳もなく心が弾み、血がたぎるようなこの
思いは何なのだろうと・・・。

この1年間であきらかに変わったことといえば・・・
多くのブログ友によってものの見方、考え方を含む沢山の
「学び」を得た事だと思う。

同世代を生きた方々や年齢は離れていても考えや行動が素晴らしく
常に刺激を受け、自分ももっともっと学びたいと思う人からも
教えていただいたことが数え切れない。

「学び」と言っても難しいものではなく、私の場合、その根本は
「心」が豊かになるかどうかなのだと思う。
79歳にしてあらためて心の豊かさを教えていただいたブログ友たちには
感謝!感謝!なのである。

その方々の記事から直接学ぶもの、いただいたコメントや
紹介された文章や書物から感じ、教えられるもの・・
学びは多くても決して重荷にはならない。
私の心も少しずつ大きく膨らんでいるからだと思う。

「人生は死ぬまで勉強」という言葉もあり、
「20歳だろうと80歳だろうと、
学ぶことをやめた者は老人である。
学び続ける者は若さを保つことが
 できる。」
というヘンリーフォードの言葉からも幾つになっても何かを
学ぶことの大切さがわかる。
個々の人生だから面白おかしく、楽しくそれぞれの人生を
謳歌するのもいいだろう。
そのことについては誰も文句を言える筋合いのものでも
ないと思うが・・・人生の終わりに自分の過去を振り返った時、
なるべく後悔することが少ないようにと思うと、特別難しい
事でなくても常に自分の周りの小さな事にも関心を持ち、また興味を
抱くことによって、何かを学ぶことができるのだと思う。

勉強というと難しく聞こえるかもしれないが日々の何気ない小さな事や
それを行う人から教えられることも多い。
「特に言葉の持つ力」・・・話す言葉、文章の言葉が与える影響は
時には相手の人生を左右するかもしれないと思えるほど感じる。
何度も繰り返すが学びの力は大きいと感じる。

学びや勉強・・それが一体何の役に立つのか?・・と言われると
さすがに難しい。
その価値を金品や豊かと言われる実生活に結びついたものという
ことで判断されるとなると尚更のこと・・・
しかし、私は今まで幸いにも明らかな物欲(金品)や出世欲に
さいなまれるような事がなかったことが今の自分を支えているのだと思う。

私の人生で出会った人達の中の成功者と言われる人にも
いろんなタイプがあり、何かを学ぶにしても必ず損得を最優先する
人も少なくなかった。
その人達には家族や働く仲間を守っていくという強い使命感もあり、
裕福、豊かな生活こそがいろんな絆を作り、良い関係を保っていくの
だという考えが大きかったのだと思う。
そのことについても異論を唱えることはできないと思う。

一方、私は自分自身にも家族や友人にも常に言っていたのは
『お金のないことは悪いことではない!』とお金優先よりも
日々の生活に対する自分たちの気持(心が豊かになること)を
優先する生活をしてきた。
最初に勤務し、20年勤めた会社では収入にも福利厚生面でも
恵まれ、少しずつ責任ある立場にも就いたが何か物足りなさを
感じながらの毎日だった。
時代背景もあり、それぞれ企業は違っても私達や前後の世代の
誰もが企業戦士と言われた時代・・・
それによって日本もどんどん近代化し、いろんな苦悩や苦労を
かかえながらも世界に冠たる経済大国にもなったのだから、
そのこと自体は良しと考え、そのお陰で生活が成り立って
いるという自覚も当然あったのだが・・・・

会社のお陰で若くして家を建て、仕事にも自信と責任を持てるように
なり、後輩、部下にも恵まれ、充実したかのような毎日の中で
徐々に『これでいいのか?』の考えが頭の中を占領しはじめていた。

それは安定し、幸せすぎると感じた現状をそのまま受け入れていれば、
また違った自分や違った人生になっていたのかもしれない。
頭の中に拡がりはじめた『これでいいのか?』の思いはあの頃の
先輩や同僚、後輩にもあったかもしれない。

ただ多くの仲間達は『これでいいのか?』を『これでいいのだ!』
と考え、その後も迷うことなく邁進できたのだと思う。
彼らは決して仕方がない・・と諦念したわけではなく、気持を
切り替えることができたのだと思う。

その『これでいいのか?』を簡単に言うと・・・
会社からも認められ、少しずつ責任ある立場に就いた私と
上司や上層部、そして後輩、部下との関係で「板挟み状態」を
上手くこなせない自分へのジレンマと仮にやりこなした場合の
罪悪感のようなものだったのだ。

上司は業績を上げるためにはひたすら部下を叱咤激励し、
個々の考えや仕事ぶりを考慮するより『尻をたたけ』と
言わんばかりの指示・・・私は個々の性格や考え、そして
仕事ぶりに合わせ、みんなで協力、助けあって仕事を
進めたいという考えで実践・・・。

当然、意見の食い違いから多少の摩擦もあり、私は上司よりも
部下を優先し、守る立場でそれなりに業績を上げたが、上司達は
私の意見を尊重するような顔をしながら、私のいないところ
(休みの日)では部下の人間性を否定するような無理難題を
押しつけ、集中攻撃をするという事態も・・・

上司達との話し合いも続けたが、自分の性格から「面従腹背」を
するなどということは考えず、自分のモットーでもあり、
そう信じていた山本五十六の言葉の『やってみせ、言って聞かせて、
させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』の方針を貫いて来た。
結果、不完全燃焼のまま私は他の部署に異動・・・
立場が逆なのに上司達が私に「面従腹背」のような異常な態度だった
事にも大きな違和感を抱いていた。

同僚や私の気持を知った友人達は強がりや無駄な抵抗はやめて
「長いものには巻かれろ」「所詮蟷螂の斧」などという言葉で
早まるな!というような大袈裟な忠告をしてくれたのは
私を思ってのことだと感じたが私は彼らの共通のアドバイス
「寄らば大樹の陰」よりも幼い頃から教えられた
「一寸の虫にも五分の魂」を大切に守りたかったのだ。

折しも・・理由は別だが仕事上で悩みがあった弟から二人で起業を
・・という相談があり、私は後ろ髪引かれる思いで20年勤務の
会社を退社したのだ。(そのころは髪も充分ふさふさとあったのだが)

思えば現実を見るより、人としての思いや生き方、信念の
ようなものを主体に生きていきたいと言う気持が強すぎたためと
経営能力の無いことに加えて病気というアクシデントもあり、
本当に小さな会社は6年弱で閉鎖となった。

その後、再び会社勤めで無事定年を迎えたがこの会社は
居心地が良かったし、自分の仕事にも充実を感じていた。
それは狭義での「学び」とその大切さを味わえたからだと思う。

その学びが定年退職後の仕事にも多少活かされたが3年前に
リタイアしてからはじめたブログでの学びが一番大きいと思う。
時々『ブログをやって良かった・・』という記事も投稿しているが
この誕生日を機に人生を・・特にこの充実した1年間を再確認
できたことが何よりの収穫だった。

そしてこれからも毎日、楽しい学びを続けていこうと思っているのだ。
もちろん、『我以外皆我が師なり』の気持で朝夕にすれ違う
小学生達からも・・・




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西純矢投手の初登板、初先発、初勝利という快挙に感動!

2021-05-20 17:32:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は昨日の続き「79歳の誕生日を迎えて思ったこと・・その2」を
投稿する予定だったのだが、今日の記事のタイトルどおり、昨日、
我が阪神タイガースの2年目の西純矢がプロ初登板(先発)し、
5回を無安打無失点で初勝利を挙げたことに当然ながら、
感激、感動・・興奮が醒めない・・ということでその西純矢について
皆さんにも知っていただこうと思い急遽変更を・・・

彼は子供の頃からの非凡な才能とたゆまぬ努力で高校時代には
奥川恭伸(石川・星陵高・ヤクルト)佐々木朗希
(岩手・大船渡高・ロッテ)及川雅貴(神奈川・横浜高・阪神)らと共に
高校Big4と呼ばれる位全国の高校野球ファンに知られるような選手に
なっていたのだ。

1年生の時から頭角を現し、そして高校2年の夏の大会(甲子園)
では16奪三振の完封という偉業を成し遂げたが3年時には
春夏共に甲子園の土を踏むことができなかった。
その後U18として日本代表になり期待通りの活躍で2019年に
阪神タイガースに入団、昨年は2軍で好成績を挙げ、1軍入りが
期待された今季、満を持しての登板で見事初勝利・・・。

阪神ファンとして、いやそれ以前に野球ファンとして拍手喝采を
ということなのだが・・・・

創志学園高校の西純矢投手という名前を聞くと多くの高校野球
ファンにとって忘れられない思い出があると思う。
それは甲子園出場の前年に応援に来た父が帰路に倒れ、46歳
という若さで亡くなったことで甲子園では『天国の父へ向けて・・』
という意味を込め、打者を打ち取る毎に天を仰ぎ拳を強く握り
行ったガッツポーズが物議を醸し、高野連からの注意を受け、
翌日の試合では球審からも厳しく咎められたのだ。

そのためか動揺し、ペースを乱した西純矢はその後大きく崩れ、
創志学園高校は敗れるという結果になってしまったのだが
もう一つ悲しいのは奇しくもその日が亡くなった父親の誕生日
だったこと・・・

当時、このことをブログの記事にしたがその中から一部を
抜粋して『野球選手のガッツポーズについて』を
皆さんと一緒に考えられたら・・・と思うのである。

今年は高校生たちが日頃の練習の成果とともに気迫あふれる
プレーといくつもの感動、感激のシーンで全国民を盛り上げて
くれたことは野球ファンにとっても本当に嬉しいことであり、
いろんな力や夢、希望を感じさせてくれたと思う。

今回の岡山県代表『創志学園』のピッチャー西 純矢のガッツ
ポーズ禁止について賛否両論で取り上げられており、それぞれの
議論には頷ける点もあると思うが、私個人としては彼が自分自身を
鼓舞するための自己表現で、決して相手チームへの不敬や侮辱とは
思えないのである。

更に彼の今大会にかける意気込みは昨年、46歳という若さで亡く
なった父への思いが込められているという話も伝わっており、
彼の帽子の裏側には『笑顔』と父が亡くなった日10月11日の
『10:11』が書かれており、ここぞ!という時に相手を抑えた
場面で天から見てくれているであろう父へ捧げるメッセージの
ようなものの表れではないだろうかと私は好意的にみている。

野球には相手への敬意を重んじるアンリトゥンというルールには
載っていない「不文律」があり、メジャーリーグのみならず
日本でも取り上げられることがあるが、三振を喫した選手が相手
投手の『ガッツポーズ』に対して馬鹿にされた・・・という
意識を持つなどということはないのではないだろうか?

今回の西純矢投手へ注意をした審判は無駄な時間を省き、試合の
テンポを速めるためにという意図があったというように伝えられており、
わからなくもないがぎりぎりの中で戦っている選手たちの
心の叫びとしておおらかに認めてあげてほしいと私は思う。

純真無垢な気持から体いっぱいに緊張や喜びや悲しみを表すことが
制限される事に私はむしろ違和感さえ感じるのだ。

それよりも・・・
かなり古い話になるが1992年の星陵対明徳義塾の試合で
馬淵監督の松井秀喜に対する5打席連続敬遠という作戦の是非・・・
これも賛否両論で勝利を目指すなら致し方ない・・と言う声も
あったが私は高校生らしくいきいき溌剌としたプレーで正々堂々
と戦うべきであると大きく反論したことをはっきりと覚えている。

地元の期待を背負っての甲子園出場・・ということから何が何でも
勝利を目指し、卑怯と言われようが勝てばいいのだ・・という
意見にはどうしても納得がいかない。
教育の一環としての活動なのだからなどと声高に主張するつもりはないが、
あくまでも高校生としてのプレーを指示するべきではないだろうか。
しかも・・・
バッテリーには最初からすべて四球を指示する中でピッチャーには
何故ストライクが入らないのだろう?・・と首をかしげるような
仕草や外野手にはフェンスいっぱいに背中をつけて松井秀喜の
打球に対する準備をするようにという演技指導などもしていたと
いう。
当時のピッチャーにしても素晴らしい打者松井と対戦し、
打たれても真剣勝負をしたという誇りを感じるだろうし、
一度でも討ち取り抑えればまた大きな自信と野球に対する
情熱も持ち続けられるのではないかと思うからなのだ。

後にインタビューを受けた当該選手の心境を思うとやはり、
若者を育てる指導者の心構えも必要なのではないだろうか

松井の達観した言動にも感動したが、強豪校の監督といえども
教育者のひとり・・・若い生徒達にも人間としての「矜持」を
教えてもらいたいものである。
教師であった私の父が生きていたら何を思い、
どう語るのだろうか・・・


明徳義塾の馬淵監督はその後一旦身を退いたが要望する声もあり、
再び監督としてチームを率いている。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

79歳の誕生日を迎えて思ったこと・・その1.

2021-05-19 13:15:27 | 喜怒哀楽をポジティブに
さよなら涙 Billy BanBan

4日前、無事に(?)79歳の誕生日を迎え、ブログ友、私的な
友人、家族、知人などからたくさんの嬉しいメッセージが届き、
感謝と共に自分のこれまでの人生を振り返ってみようと思った。

先ずその前に図書館への返却日が迫っていたので、欲張って
たくさん借りすぎた本を少しでも多く読もうと思い、この3日間は
ブログの投稿も控えて読書に取り組んだが結果的には読破には
至らず、中途半端で終わったような気がする。

自分ではやるべき事は何ごともある程度きちんとやってきたつもり
だったが、今、時間がたっぷりある中でこのように、自分でも
消化不良や不甲斐なさを感じるとは・・・
自分に甘く、意思が弱いという過去には気づかなかった自分の
性格の一面が表れたのだろう。
これも年齢を重ねたお陰で気づいたと思えばいいことだ・・と
自分で納得。

振り返ればそんな甘さが79年の中でも幾つもあったような
気がする。
それが、結果的に良くないことに結びつくだけではなく、偶然
いい結果を招いたりしたことも少なくなかったかもしれない。
こうして今、裕福ではないが穏やかな日常生活を送ることが
できるのは過去から現在まで周りの人達との公私にわたる
信頼関係によって自分の心が少しずつ培われてきたからだと思う。

そして、自分自身、常に自分に言い聞かせるように、いいことも
悪いことも含め『過去があるからこそ今がある・・』という
気持だけは持ち続け、喜怒哀楽のすべてを同じように受け入れて
きたことが多少の波瀾万丈にもおおらかに構えることができ、
大袈裟に言えば『禍を転じて福となす』や『人間万事塞翁が馬』
と気持を切り替えることもできたのだと思う。

以来、怒りや残念なことがあっても少し冷静になれるよう、
なるべく少し時間が経ってから考えるようにしているのだが・・

人は誰しも頑固な一面を持っているのではないかと思う。
勿論、私にも頑固な面は一つや二つではない・・と自認している。
その頑固を意識的に相手に押しつけたり相手の意見を無視したり
ということはなかったと思うのだが静かに対応しても時には
他人(ひと)を傷つけたり不快にさせたりしたこともあったかも
しれない。
よく語られる言葉に相手を変えようと思わず、自分を変える
努力を・・などというアドバイスもあるが多少の気持の切り替えや
考えではそう簡単に自分を変えることができないのも事実・・

アップした動画(さよなら涙)の歌詞に『思いのあまり 傷つける
 優しさもあると 知りました』という部分があるが、これと
同じように私自身も相手に伝えた後で気づいたという体験がある。
これは自分にとってショックでもあったが自身を見つめ直すという
いい機会でもあった。

こうして79年の人生を少し振り返るとまさに「喜怒哀楽」の
連続だったと思うがどれもこれも後悔はしていない。
持論の『過去があるからこそ今がある・・』を自信を持って
言えるし、むしろ楽しく切り替えるよう考えることにしている
ことを仲良し仲間「爺さんカルテット」の面々はコロナの終息後、
口を揃えて『shimaさんはやっぱり奇人、変人、暇人だ~ぁ』と
半分は呆れ顔で・・しかし優しい笑顔で言ってくれるだろう。

私は私なりに常に私らしく『いつも、いつでも元気炸裂!』を
心の中だけではなく、時には大上段に振りかざし、臆することなく
『えいっ、やぁ~、とぉ~』と縦横無尽に突き進みたいと思っている。
たとえ幾つになっても・・・。




コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

79歳の誕生日に・・・

2021-05-15 11:09:27 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は私の79歳の誕生日、一昨日の投稿記事のあと、ブログ友たちから
たくさんの「おめでとう!」のコメントをいただき、神戸在住の姉や
友人や子供からも嬉しいメッセージが次々と・・・。

やはり幾つになっても誕生日のお祝いのメッセージは嬉しいし、
誕生日で自分の存在を確かめることができるのはいいものだとつくづく思う。

一昨日の記事のとおり昨日は私達夫婦の誕生祝いの食事を
二人でささやかに・・・特別のごちそうはなくてもお互いに
無事に79歳になったこと、そしてさらなる意欲で取りあえず
目前の傘寿を目指し、米寿、卒寿、そして白寿、さらには
二人同時に百寿(紀寿)へと伸ばしていきたいと思う。
そしてその後は・・・
私一人になっても目標の125歳まで・・『やればできる!』を
ここでも実践したいと考えているのだ。

私が125歳になる頃の世界は・・そして日本は・・
便利すぎる社会や生活ばかりではなく、日本古来の良き習慣や
風習、風情、情緒なども残っているのだろうか?
この目で確かめるためにも125歳までは絶対に生きようと思う。

思えば・・・
この79年間、子供の頃に遊泳中、急激な潮の流れに自らを
制御できなくなり恐怖に陥ったこと、車を運転中に後方から
追突されたことが2回、そして工事現場の鉄パイプが突然頭部を
襲ったことや、トラックの上からの落下事件、など何度か
命の危険に繋がるようなこともあったが、自分自身一番
気になり、そしてその後安心できたのは9年前の70歳の
誕生日に行った腹腔鏡手術による『胆嚢全摘出手術』だった。

胆石によって起こる激しい痛みの治療や胆石症解決のために
私は「胆嚢を全部切除してしまう」という手段を選び、
敢て70歳の誕生日をその手術日に充てたのだ。

それは私の場合、大きな胆石が複数あり、また胆嚢内(底)に
細かな砂利状、砂状の胆石が無数にあったため、普通の
治療や一部の切除では再発を繰り返す事になるという診断から
全摘出を・・・となり、そして選んだのは開腹手術ではなく、
「腹腔鏡手術」を・・・

取り出した袋(胆嚢)の中の砂状の石を家族は見ているが
私は見ていない・・・
しかし、取り出した大きな結石(直径2.5cm位)は今も我が家で
保管しているが色も大きさも少しずつ変化しているようだ。

ちょうどその頃、群馬大学病院で行われた腹腔鏡を用いた
肝臓切除の手術で何人もの患者が相次いで死亡したという
報道があったので私にも家族にも不安と言うより多少の
心配はあったのだが、私は手術の結果、万が一命を落とすことに
なったとしてもそれが70歳の誕生日ならいいだろう・・と
思い、迷うことなくその日に決めたのである。

後に聞いた話だが医師達は私の話から『この手術は何があっても絶対に
成功させなければ・・』と思って取り組んだのだという。
手術は首尾良く終わり何の問題もなかった。
ただ胆嚢の役割や働きはできず、他の臓器との連係プレーなどには
多少問題があるのかもしれないが、日常生活にも全く問題がなく
健康な毎日を過ごすことができている。

入浴中に時々腹腔鏡手術で穴を開けた4カ所の傷跡を見ることが
あるが、どれも数ミリ程度で肌に表れるシミとの区別ができない
くらいになっている。

そんなことを色々思い出しながらの79歳の誕生日の後半に
また何かの思い出を作りたいがこの後は読書で静かな時間を
送ることにしよう。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不要不急の外出は控えるという掟(?)を破り、渋沢栄一記念館へ・・・

2021-05-14 17:24:52 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の記事のとおり、私達夫婦は同い年で昨日(13日)は
妻千恵子選手の誕生日、そして明日(15日)は私の誕生日・・
両日の真ん中今日14日は外出もせず、夕食は我が家で
ささやかに好きなものを食べることにしていたのだが、
あまりにも気持のいい天気だったので不要不急の外出は
絶対避けるべきだと思いながら人が密集しないところと
言う条件で罪の意識にさいなまれながらかねてから一度
行ってみたいと思っていた渋沢栄一記念館へ足を運んだ。

大河ドラマの「青天を衝け」はまだ一度も観ていないので、
今度の日曜日から観ることにしているのだがこのドラマで
話題になるずっと以前から行ってみようと思っていたのだ。

定年退職後に2018年まで16年間運送の仕事に就いたが
その最後の3年半は毎日埼玉県の川越市から東松山市、
熊谷市、深谷市、本庄市を経過し、群馬県の高崎市、前橋市、
伊勢崎市、太田市などを経由して再び埼玉へ戻るという
220kmコースを走行しており、その時に毎日深谷市の至る所で
「渋沢栄一生誕の地」という立て看板や表示を見て、いつかは
運送の仕事の合間に記念館に寄ってみようと思いながらもその
当時はそんな時間はなく、ついに記念館を観ることなく現在に
至ってしまったのだ。
前述のとおり、大河ドラマは観ていないので記念館の展示物や
書物などと本人像の結びつきなどは分からなかったが
今後、ドラマを観てもう一度訪れれば展示物や手紙などの文面、
彼の真意などが分かるかもしれない。

大河ドラマの主人公でもあるということからそのことに
関する写真や資料、登場人物を演ずる俳優陣などの写真や
色紙なども人物相関図と共に飾られており、そこに注目している
見学客もあった。
広い駐車場には車の数も少なく、館内の人も少なく、見終わる頃は
罪の意識も少し薄れていたかもしれない。
次回は心置きなくゆっくりと楽しみながら見ることができるよう
コロナが一日も早く収束に向かい、さらに終息することを願いたい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五月生まれの私達・・・

2021-05-13 10:32:20 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日5月13日は妻千恵子選手の誕生日、腎臓機能の問題や
足腰の痛み、しびれなどを抱え、杖をつきながらも無事に
傘寿一歩手前の79歳に到達した。

日常生活ではしげしげとその顔を見ることはなかったが
その顔には年相応のシワが・・そして良くも悪くもその表情は
年々「おばあちゃん」らしくなっている。
風格などを探そうとしても見当たらないが明るく親しみやすい
おばあちゃんの顔としては合格点だろうと思う。
そして体調とは別に性格、気持が明るく元気なのは何よりだと思う。

このおばあちゃんと一緒に住むおじいちゃん(私)の二人は
先日結婚55周年を迎えたが、多少の小競り合いはあっても、
そして多少(?)の波瀾万丈はあっても無事に小さな港に
たどり着き、明るく元気に・・そう『元気炸裂!』で日々を
送ることができることに感謝したいと思う。

そして・・明後日(5月15日)は私の誕生日・・・
二人とも5月生まれ・・しかも同い年、千恵子選手のほうが
2日早く生まれているので気遣いなどが要らない人や場所で
紹介するときには「2日先輩の姉さん女房」と言っているのだ。
その姉さん女房は私のことを『後輩なのに私の言うことを聞かない』
などと言って周りの人達を巻き込みながらの「応答話集」が
しばらく続くことがある。

こうして我が家の千恵子選手(別名モップばあさん)は今日も
せっせとモップがけに勤しんでいる。
※千恵子選手という呼び方もかれこれ50年になるだろうか・・
 親しき友人達もごく自然に千恵子選手と呼ぶようになっている。
何の選手?・・、選手と言う文字がついているが何の選手でも
ない・・その由来も定かではないのだ。

例年二人の誕生日の間をとって14日にささやかな誕生記念の
食事などもしていたが去年同様、今年も外食は控え、家族も呼ばず
控え目に二人でキンキンに冷えたビールでお互いを労うことに・・・。
普段アルコール類はほとんど飲まない千恵子選手も時々は
200ml程度のビールを美味しい美味しいと言って飲むのだが
明日は35ml位は飲むかもしれない。
私?・・アルコール類は何でも飲むし、量にも制限はないくらいだが
酔っ払うなどということもなく、どちらかと言えば楽しむタイプ
だと思う。
ただ、常に量も控えめにして飲まない日も週に2~3回、と自分では
至って健康的(?)な飲み方だと勝手に思っているのだが・・・。



コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急事態宣言は延長されたが・・・

2021-05-12 11:56:41 | 喜怒哀楽をポジティブに
今月の5日に梅雨入りした沖縄、奄美に続いて速くも
九州南部の梅雨入りの発表もあった。

梅雨の大切さも分かるがやはりスカッと晴れた日が
気持のいいのは事実・・・
現在の日本国民と為政者の心の天気図の様子はどうか・・・
梅雨とは違った何とも言えないジメジメとして不快な状態・・・
国民の多くがもついろんな疑問が不満に変わり渦巻いているようだ。

勿論コロナ禍に因るものだが現況では当然ながら緊急事態宣言を
延長はしたものの解除の基準やいろんな対策も明らかにされず、
オリンピック、パラリンピックについての菅首相の答弁も
チグハグで質問に対する答えにはなっていないし、どれもこれも
出口などは全く見えてこない。
ワクチンについても大袈裟な数字を発表したり、特設会場では
一日1万人の接種をおこなうだのとただ希望的な発言と
根拠のない言い訳のような発言ばかり・・・
4都府県に加え、愛知、福岡も対象地域としたが他の自治体からの
緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の発令要請があっても
真剣に対応しようとはしていないようだ。

緊急事態宣言延長に伴う休業要請と時短について発表された
内容も何故?と思うものばかり・・・
『分科会や医療関係者の意見を参考に総合的に判断する・・』
とはいうもののその大きな声や意見は無視されている。
一つ一つ挙げればきりが無いが『国民の命を守る・・』と
言うのは口先だけで実際には感染拡大に歯止めをかける対策は
皆無に等しい。

短期集中で・・・と大見得を切ったが予想どおりの失敗・・
このまま同じことを続ければすぐに第5波がやってくるのだ。
我々素人が考えても分かることを誰に、何に気を遣い、遠慮して
強い措置を執らないのか・・・補償とのセットで行えるものや
行うべきものに目を向けない事に疑問を通り越し怒りが充満
している国民の姿が見えないのだろうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする