『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

脅威の変異株「オミクロン」に対する対策は・・・

2021-11-29 09:35:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
欧州で新型コロナの感染が再拡大し、死者が70万人増加する恐れも
あるという。
そういう報道の中、脅威の変異株が南アフリカで見つかり、その名は
「オミクロン」と名付けられた。
この「オミクロン」はデルタ株やベーター株や他の変異株よりも
再感染するリスクが高いと言われている。

このオミクロン株は南アフリカと隣接するボツワナやヨーロッパの
ベルギー、そして香港などでも発見されているようだ。
そのため、南アフリカやその周辺国からの渡航を制限する国が
相次いでいるという。
昨日からオランダ空港での対応の是非も語られているが、
EUもアフリカ南部7カ国からの渡航を制限する方針を発表するようだ。

日本ではコロナの感染が減少傾向が続いており、日本への入国制限は
あらゆる規制緩和に続き、海外のビジネス関係者や技能実習生、留学生
などの新規入国を認める制限を行っているが今後の対策はどうするのだろう。

現在、ヨーロッパと中央アジア53か国でコロナによる一日の死者数が
4200人にも及ぶという中、9月と比べると倍増し、これまでに150万人が
死亡ということで・・感染状況が悪化している。
このまま行けば地域内の49か国で集中治療室が逼迫し。来年3月までに
死者は累計70万人増えて累計220万人に達するという。

ロシアでは死者が過去最多。ヨーロッパでもドイツ、オランダなど、
さらにオーストラリアで感染者が過去最多になったという。
韓国でも11月から各種規制が緩和されたが、感染者数や重症者数が
過去最多になっているという。

海外のメディアは「驚くべきサクセスストーリー」と日本の現状に
驚いているというが、経済のためとはいえ、日本の規制や制限の
緩和はこれでいいのだろうか。
と同時に過去も水際対策で失敗している日本には学習能力がないのかも
しれないとさえ思う。

感染者の状況は減少傾向が続いているとはいうものの今まで制限
されていた人数や時間をはじめ移動、イベント等すべての規制や
制限が全く無いに等しい今の状況は私には少し「悪乗り」し過ぎ
なんじゃないかと思える。

ワクチンの接種率も高まり、ワクチンの証明書があれば・・・
などと調子に乗っているとすぐに第6波はやってきてその波は
瞬く間に大きく広がり、大災害という結果になっていくのではないだろうか。

国民にできることはいまや、日常となった自らが感染しない、
そして感染させないための基本的なことを徹底することぐらいなのだ。
テレビの報道では街中に人が溢れるような様子や大勢で飲みながら
大きな声で騒ぐ様子なども伝えられている。

外食や何人かが一緒になって飲食を楽しむことのすべてが悪いと
言っているのではない。
やはり、日本人特有の節度ある行動がきちんとできるよう、国が
中心となり、そのリーダーシップで国民の命を守るべき行動を
とらなければならないと思うのだ。
ところが今の政権ではそれができるのか・・相変わらず優柔不断とも
言える後手後手の対応では狭い日本はウィルスの毒牙にかかり、
尊い命が危険にさらされ続けるのだと思う。

自制できない人が街にあふれることのないよう、やはり、科学的根拠に
基づいたある程度の規制や制限はきちんと徹底すべきなのだと思うが・・・

専門家たちは今回のオミクロン株による第6波を懸念している。
海外からのウイルス流入阻止は絶対必要だと思う。
対外的にも経済対策的にも医療関係対策についてもすべて「風見鶏」や
「卑怯なコウモリ」的な立ち回りでは日本や日本人らしさがどんどん
失われて行ってしまい、世界各国どこからも信用されないのみならず
相手にされない国になるのではないだろうか。

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今年の日本シリーズも終わって・・・

2021-11-28 13:05:40 | 喜怒哀楽をポジティブに
野球ファンの多くの人たちが、第7戦までもつれ込むこと必至・・と
思っていた今年の日本シリーズも延長12回、引き分けの可能性大だった
ツーアウトからのよもや(?)の得点・・・ヤクルトスワローズが
20年ぶりの優勝で幕を閉じた。

ヤクルトスワローズ、オリックスバファローズともに2年連続
最下位からリーグ優勝・・・両チームともその戦いぶりは見事であった。

今年の日本シリーズは開幕直後から快進撃だった我が阪神タイガースと
パリーグの王者ソフトバンクホークスの間で行われると信じて疑わな
かった私だったが、両チームともに後半は思わぬ苦戦が続き、その願いが
叶わなかったが、もちろん収穫と思えることもあったし、来年に期待
できる要素が幾つもあったので両チームとも今年を総括し、捲土重来を
期してほしいと思う。

さて、今年の日本シリーズだが、戦い終えた6戦を振り返ると
第2戦の2対0以外はいずれも1点差ゲーム、華々しい打撃戦は展開され
なかったが、両チームともにピッチャー陣がそれぞれきちんとした仕事を
したという印象だった。

そして両チームの監督の思いと選手の動きや結果が一致し、
信頼され、意気に感じた選手たちの見事なプレーにつながったことも・・・

ヤクルトの青木選手への体すれすれの投球を審判がデッドボールと宣告
した際に、青木選手は自らグリップエンドに当たったと申告し、
ファールボールとして再開したフェアプレーも1点を争う展開では
清々しく、爽やかな印象で、両軍のファンからも喝采の拍手が沸き起こった。

プロだから・・と当たってもいないのにあたったように見せかけ、
有利な試合展開に・・という例も過去にはあったがこの青木選手の
行動には野球ファンの誰もが感激、感動したことだろう。

これからはシーズンオフ・・
自主トレ、そしてキャンプ・・と野球選手も来年のシーズンに向け、
体力づくりや地道な練習の日々がやってくる。
たゆまぬ努力によって花開き、実を結ぶことの大切さを本人たちが
充分わかっている練習風景が私たち野球ファンにもハッキリと
伝わってくるのももうすぐだろう。


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各地の雪の様子で・・・

2021-11-25 12:00:04 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日からテレビで北海道や新潟、福島などの雪の様子が報道
されている。
一晩で80㎝も積もったところもあり、湿った重い雪の
処理に苦労している様子なども伝えられ、今年もいよいよ
各地に雪の到来が迫ってきていることを感じた。

昨晩は外気温も下がり、私たち夫婦もやがて来る本格的な冬に
対する話をする中で、雪の大切さも含めて雪についてそれぞれの
感じ方や遠い昔の思い出なども・・・

妻千恵子選手は新潟県中頸城郡板倉町(現在の上越市)という雪深い
ところの出身なので、子供の頃から雪の中の生活にも慣れていたようだが、
やはりその時の家族の苦労を思うと『雪はいやだ』という気持ちが
真っ先に出るようだ。

私は富山県の氷見市の海岸近くで育ったので、何メートルも
積もった雪の中での生活などは未体験だったが、それでも時には
1メートル位の積雪になった年もあったことを覚えている。

中、高校時代には体育の時間にスキーもやったという千恵子選手は
当然のようにスキーができるが、私はスキーやスケートは全くダメ・・・
若いころに数人の友達と一緒に狭山市(埼玉県)の人工スキー場へ
行ったが大勢の人に圧倒され、他の人に怪我でもさせたら大変だと
思うと滑ることもできなかった。
また、50代の頃、会社の保養所があった新潟県の白馬村の近くの
スキー場へ行ったが貸し靴のサイズが小さく、足の指先が
我慢できないほど痛かったことを差し引いても・・・そこでも
スキーを会得することはできず、運動神経は鈍くないは筈なのに・・・
と自分を疑い、落胆もしたスキーツアーだったことを思い出す。

スキー場や観光などの経済活動に影響する雪、また全ての生活を
支える水の資源としての雪など必要、重要性も十分弁えたうえで
二人の話が『やっぱり雪はいやだね・・・』というところに治まった。
そしてほとんど雪の降らない、降っても1日で消えるほど
しか降らないさいたま市に住んでいることを感謝・・・。

暫くテレビを見た後、千恵子選手が日記を書こうと愛用の
「10年日記」を広げたときに思わず大きな声が・・・
『お父さん、5年前の今日24日は初雪が降り、積もったのよ・・』と・・・

この「10年日記」は3冊目でページの日付を開くと2013年から
2022年まで書けるようになっており、毎日記入するときに過去の日々の
記録が確認できるようになっているので何かと便利でもあるのだ。

その日記によると、朝6時半ごろにみぞれが降り出し、12時15分頃から
本降りになり、かなり積もったと書いてあるという。
しかし、夕刻には太陽が出ていたとも・・・
水曜日なので私は当然仕事に行っていたはず・・・
毎年、仕事(運送)用の車は11月の1日にスタッドレスタイヤに
履き替えるようにしていたので少しぐらいの雪では問題なかったはずだが
・・・と記憶を辿ると雪道での走行で苦労したことも少なくないので
『あの時かな?・或いは?・・・』という心当たりも多く、
11月と分かってもハッキリと思い出すことはできなかった。

自分のワンボックスカーを使用する時は装着したスタッドレスの
状況なども分かるし委託契約先のトラックでもスタッドレスを
履いた車はまあまあいいのだが、チェーンを装着する場合は
運転には不安はなかったが、走行時の振動や音や積荷への影響などに
気を遣うのでやはり雪道の走行は好きではなかった。

仕事を辞めてからは雪が降ったり、道路が凍結したりすると
なるべく車の運転はしないようにしているので、今年もまだ
スタッドレスタイヤに交換はしていないのだ。
千恵子選手の病院への送迎等もあり、車に乗らない日はほとんど
ないのでそろそろ雪に備えてタイヤ交換をした方がいいという
メッセージかもしれない。

明日から29日までは晴れの日が続くようなのでもう少し先に延ばし、
12月に入ってからでもいいのかもしれないが「善は急げ」という言葉も
あるので・・・・。


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今日もまた好きな雲を眺めながら・・・

2021-11-24 17:23:14 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日に続き今日も埼玉はいい天気に恵まれた。
風もなく、陽射しも暖かく優しい。
全国的には九州から関東までの太平洋側が晴天のようだ。
青空にところどころ真っ白い雲が浮かぶ空が一番好きな
私にとっては今日の空は雲の数は少ないが、その分青空が
遠くまで拡がり、気分を爽快にさせてくれる。
私の中の「青空、碧空ベスト20」ぐらいにはランクインすると思う。

昨日は時間帯によって空は「千変万化」の様相を呈していた。
夕刻には少し黒みがかった雲も出現し、重なり合う厚い雲の
様子や動きに加え、雲間に現れ、見え隠れする太陽の幅広く見える
光線軍があたかも戦国乱世を思わせる迫力で、時には広い範囲の
雲を染め、ある時は夕日といえども直視できないほど強烈に
眩しい矢を打ち込んでくるようにも思えた。

そして次第に穏やかになり少しずつ落ち着いて行くオレンジ色の
光は私の周りの建物や近隣のマンションの壁を琥珀色に染め、そして
遠くに見えるビルのガラスも鮮やかなオレンジ色の光を静かに
跳ね返す光景はこの時季ならではのものではないかと暫く見とれていた・・・

さて、今日の空の様子は・・・
いい天気の日に多く見られる真上の空は青一色・・・
ところどころに小さな雲がふわり、ぽっかりと・・・
例によって何に見えるかと思うより早く、それは小さな
ワニの子供だった。
そして反対方向の小さい雲はゴマフアザラシの子供・・・

そして・・・
このゴマフアザラシの子供は・・・
先日かなり大きい犬を散歩させている50歳ぐらいの男の人が
始末せずそのまま行き去ろうとした時のあの路上に残された
犬の糞に似ていると思い、その時のことを思い出した。

その人は始末するどころか何食わぬ顔で立ち去ろうとしたため
「イラッ」とした私が近寄り『忘れものだよっ!』と言うと
後ろを振り返り、きょろきょろしたので『このうんこっ!』と
語気を強めて言うと不服そうな顔で何やらブツブツと呟きながら
時々、私の方をチラチラと見ながら片付けていたことを・・・。

私は喧嘩を売るつもりなどまったくなかったが、その人は糞の始末を
する小さな入れ物のようなものは携帯していてもそれは格好だけで
実際には使わず、平気な顔で立ち去ろうというその魂胆が
気に入らなかったのでその態度を指摘し、さらに追い打ちをかけるように
言わなくてもいいことを言ってしまった。
『今度同じことをしたらお宅の玄関のドア前に届けるからねっ』と。
もちろん、その人の家も知らずに咄嗟に出た言葉なのだが、かの男性は
それほど罪の意識を感じた様子はなかったが、首をすくめ、
ゆっくり歩こうとする犬を急かすようにリードを引く姿が
滑稽でもあったので『二度と同じことをするなよ・・』と思いながら
見送ったのだった。

そんなことを思い出した後、トレーニング用のベンチを芝の
上へ運び、仰向けに寝ながら再び遠くの方の空まで眺め続けて
いると上空に風が出てきたのか今日の空には珍しい細長い雲が
目に入った。
やがて、その雲は薄く伸びて少し広がり、緩やかな波を打つような
形に変わってきた。

そして私の例の雲への妄想(?)がそれを天女の羽衣に結び付け、
天女の肩から滑り落ちた羽衣が飛んできたのだと。
その羽衣は暫くの間、すこしずつ形を変えながらゆっくりと棚引いて
いたがあとを追ってくる天女の姿の雲はついに見かけることはなかった。

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入浴中にふと思い出したことが・・・

2021-11-22 16:37:57 | 喜怒哀楽をポジティブに
私の入浴時のルーティーンは浴室やキッチンの壁に設置の
リモコンから『お風呂が沸きました』という音声メッセージが
聞こえた後に、先ず洗面所の壁に設置の「浴室換気乾燥暖房器」の
コントローラーで浴室内の換気扇(24時間設定)を消し、すぐに
浴室内の暖房のスイッチを入れ(夏でも)浴室内を充分温めること
にし、浴室内が暖かくなってから浴室へ入ることにしている。

そしてまず暖かいシャワーを全身にかけた後、おもむろに
全身を洗い始めるころには浴室も暖かくなっているのでゆっくりと
全身を洗いつづけ、終わると浴槽へ・・・そして湯船の中では
10~12分ほど首までゆっくりとつかり、「つれづれなるまま」では
ないが「心にうつりゆくよしなしごと」を思うことにしている。

昨夕も一日中何かと活躍した手をお湯の中から出して暖まった手の甲を
見ると、いくつもの小さなシミが・・・ま、当然、歳相応の変化の
表れだと思えば驚くこともないし、近年、顔やツルツルの頭(スキンヘッド)
にシミが増えてきているので手の甲にできたからといって慌てふためく
ことなど全くないのだ・・・

浴室内の時計を見ると10分が過ぎていたので立ち上がり、
浴槽の縁に腰かけて体の他の部分を見てみた。
わき腹から腹部にかけても小さなシミが点々とある。
今まで自分の体をそのように見たことがなかったので知らぬ間に
出来ていたシミに『これも長い間頑張ってきた証だ』と、
どうでもいい納得をし、湯船のお湯を掌に汲んでピチャピチャと
小さなシミの部分にかけたときにふと、思い出したことがあった。

9年前の誕生日の日を選んでおこなった胆のうを全摘出するための
「腹腔鏡手術」をした痕(あと)はどうなっているのだろうと思い、
このあたりだったかな?と腹部を探してもすぐには見つからなかった。
それはその時の傷跡が年々小さくなり、その色も体にできたシミと
同じ色だったからなのだ。

最初にわかったのは臍(へそ)のすぐ近くのものだったが
それも臍の窪みの部分だったので押し広げるようにしてようやく(?)
見つかった。
確か手術の穴(傷跡)は4つだった筈だが・・・と思いながら
あと3か所ある筈だと左右の脇腹に目を遣ると・・・
米粒位のシミが点々とする中にシミと同じようなものがあった。
左脇腹のものは米粒ぐらいでシミか腹腔鏡手術の痕か判別し
難かったが右側の2ヵ所は『おそらくこれがそうだな・・』と
思えるご飯粒ぐらいの細長い形のものだった。

術後、しばらくの間は傷口も赤みを帯びていて小さいとはいえ、
それなりにわかったがいつのころからか気にすることも
見ることもなかったのでいつごろから今のようになったのかは
わからない。

ようやく見つかった傷跡が愛おしくなり、もう一度湯船に
首までつかり、あと5分入ることにした。
そして今更ながらあの時の手術の成功に喜びと感謝を・・・
私が胆嚢の全摘出手術をしたころはすでに腹腔鏡手術の技術も
かなり進んでいたようだが、その前後に群馬大学病院での
8件の死亡事故などもあった。

一般的な開腹手術と腹腔鏡手術それぞれのメリット、デメリットを
それほど詳しく比較検討したわけではなかったが、開腹手術よりも
難易度が高く、合併症の可能性も高く、手術の時間も長い腹腔鏡手術を
選んだのは傷口が小さいので退院までの日数も短く、仕事への復帰が
早いから・・・という理由だった。

病院からは折角の誕生日を祝うためじゃなく、手術をすることを
選んだことについての確認・・・があったが私は成功しても
万が一失敗しても「70歳の誕生日」ならば絶対に忘れることも
ないし、成功すれば毎年必ず「健康に感謝する日」として確認できるし、
小さな記念日となるので絶対にその日にしてほしいと頼んだのである。
(もちろん、万が一などということはない・・と信じていたが)

術後は合併症や健康被害もなく順調に回復し、ややもすると自分の
健康を過信することもあり、食事についての注意を怠ったりすると、
遊びに来た孫娘から『じじは胆嚢がないんだからねっ、注意しないとねっ』
と叱られたこともいい結果に結び付いているのかもしれない。

あれからまもなく10年・・・日々健康でいられることに今日も明日も
感謝をして生きようと思う。






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カムカムエヴリバディの感動のシーン・・・

2021-11-20 17:50:16 | 喜怒哀楽をポジティブに
一昨日(18日)のカムカムエヴリバディには胸が熱く、
そして痛くなるような場面が多く、感動の連続であった。

雉真家の次男、勇は子供のころから安子のことが好きだったが
兄、稔のために諦め、稔に政略結婚的な縁談を勧める父千吉に
『家のための結婚は俺がする』と訴え、兄稔と安子の結婚を
認めてほしいと願い出た勇の心情に心を動かされた千吉が「たちばな」
を訪れるシーンでは稔の父とは知らない安子がどこか寂しそうで
元気のない千吉を見て戦況下の原料不足のため作れないおはぎの
代わりに亡くなった祖父が好きだったお汁粉を勧める場面・・・
安子の優しい人柄や丁寧な応対、千吉が心動かされるような表情・・・
これらの一つ一つが目の前で起きているように思えた。

そして
訪問者が雉真千吉だと気づいた安子の父、橘金太は父杵太郎が
あの世へ旅立つ時に履いた足袋が雉真繊維のものであることと
勘当した息子算太が出征するときに自分が見送らなかったことへの
後悔の念を伝えるとともに、これから学徒出陣をする稔について
『息子さんを悔いのないように送り出してください』と話す場面。

橘家のお汁粉を食べたこの千吉と技術を大切にする金太の
お互いの職人魂や仕事への誇りを認め合い、お互いに子を思う
強い気持ちの表れる会話と二人の顔の表情には私も思わず涙が・・・

あの何か重大な決意をしたような千吉と日頃は頑固者の金太の
表情がまさにあの時代の男を物語るようであった。

昨日の放送では安子の優しくしっかりとした人柄に感動し、
安子こそが息子稔をしっかりと支えてくれる人だと確信した
千吉が稔と銀行の頭取の娘との縁談を断り、祝言のために岡山に
戻った稔を安子に引き合わせ、『このお嬢さんこそがお前の嫁に
相応しい人だ』と言い、結婚に結び付けるというこれもまた
感動的な場面であった。

感動的と言えば・・・
その前の放送で、勇が稔の下宿先へ行き、自分の気持ちを吐露
しながら、兄、稔を思うあまりに殴りかかり稔をねじ伏せるシーン・・・、 

家のため、会社のために銀行頭取の娘との結婚を受け入れざる
を得ないと不本意な覚悟をしたまま弟と対峙した稔も
ついにはもって行き場のない感情を表すように
『もう…どうだってええんじゃ・・』と言いながら声を挙げて泣く
様子も胸に響いた。

今週は家族愛、親子、兄弟の愛情、男女の愛、男と男の友情、
友愛など、「様々な愛」を感じさせる「カムカムエヴリバディ」だった。
来週もこの「戦争と愛」がどのように展開されるのか注目していきたい。

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我が家の庭の今年の「最優秀選手(Most Valuable Player)は艱難辛苦に耐えたミカンに決定!

2021-11-18 16:46:37 | 喜怒哀楽をポジティブに
ホームセンターから買ってきた我が家のミカンの木は私の
小指程の細い苗木だったが狭いマンションの庭でも一生懸命
実を結ぼうと何年も頑張ってきて昨年、ようやく小さい実を
5個つけただけだったが、それでも私たちは嬉しく、暑さにも
寒さにも強風にも耐え抜いてきたミカンの木に敬意(?)を表し、
特に甘いとも言えないミカンを大切に味わって食べた。

今年は木も一段と大きくなったような気がしたが、蝶たちの
活躍もあったのか、たくさんの実が生り、葉っぱの影のものも
一様に大きく育っているようだった。

 

やがて、実の色にも少しずつ変化が現れ、秋を感じるように
なった頃から太陽がよく当たる部分はその黄色が実の全体に
広がっていき、花たちがそれぞれの役目を終えて、来年まで・・と
別れを告げ始めた庭に一つ二つ・・と日々、彩を添えてきた。

去年に比べ、今年は本当にたくさん実が付いた・・・と
思っていたが黄色が目立つようになると葉っぱの奥の方に
なっているものにも気づき、ついつい数え始めていた。
『あっ、これは数えたかな・・と思い、また数えなおすのも
何となく嬉しい』

・・・と言っても所詮狭い庭の隅の小さな木なのでせいぜい
50~60数個程度なのだが去年の10倍以上もの数・・・
その数よりもその大きさに圧倒される・・・

これがミカンなのかと目を疑うほど大きいものが全体の50%
位を占め、傍によって測ってみるとその中でも特に大きいものは
直径11㎝~12㎝以上のものも10個ぐらいあり、大部分が
直径8㎝以上・・・
大収穫に思わず頬が緩む。


ビールのアルミ缶の直径が7㎝位‥それと比較すると・・・

大きいミカンに驚くとともに千恵子選手はまだ緑の部分が
残るうちからどんな味なのか試したくなったようで
今月の初旬頃だっただろうか、まだ緑色が三分の一ほど
残っている完熟にはほど遠い大きいミカンを嬉しそうに
葉っぱを付けたままパチンッと切り取り
『お父さん、食べてみましょ・・・・』の声に私は驚いたが・・・

柑橘類は何でも好きだし、多くの人たちが酸っぱいというものでも
私は気にならず、むしろ酸味があった方が好きなくらいなので
大変甘く感じた。
酸っぱさに弱い千恵子選手も思ったよりも甘く美味しいと
言っていたので完熟の頃はきっと甘い甘いミカンになるだろうと
期待してから2週間、・・確かに甘くなった。

2日前、近くに住む息子夫婦、娘夫婦にもちょっとした自慢(?)を
兼ねて分配すると・・・彼らも食べる前からその大きさとマンションの
庭で採れたことに驚いていたがその顔は『本当にあまいのかな?・・』
という表情だったが昨日娘から「追加注文?」あり・・・。
普段は何も欲しがらない娘が言うのだからと私たちも嬉しかった。

少し大袈裟だが玄関や食卓の上に飾ったり、絵をかいても
いいのではないかと思い、気を利かせたつもりで葉をつけた状態で
渡すと『葉っぱは要らない・・』とあっさり断られ、やむなく玄関で
葉っぱを落とすのも私の役目だった。

何はともあれ、私たちを喜ばせ、楽しませてくれた大豊作
(我が家にしては)のミカンが今年のMVPとなったことは間違いない。

そして『艱難汝を玉にす』の言葉を身をもって知ったこのミカンの木は
今年の実績を自信として来年も連続受賞を目指してほしいものだと思い、
それとなく、そんなことを話すと、千恵子選手は何の感情もない表情で
『お父さん、今年はこの辺りはどこのミカンも鈴なりですよ・・
今年は「なり年」なのでしょう』と来年は不なり年になるのではないかと
いう現実的な話・・・・
さて、私の期待とミカンの木の頑張りは如何に?・・・


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「初恋」を読み終え、「飛ぶ教室」も後半に・・・

2021-11-17 16:34:31 | 喜怒哀楽をポジティブに
念願(?)のトゥルゲーネフの「初恋」を読むことに決め、
14日はあの日の記事のとおりに「ラストワルツ」を聴いた後、
読み始めたのだが暫くすると友達からの電話や、買い物の
依頼、また当日は筋トレの日でもあったためそれを含め、何度かの
中断を余儀なくされ、夕刻までに86ページまでしか読めなかった。

そして次の日(15日)は朝から暑く感じる陽気で、熱い位の陽射しの
照りつけるテラスに、キャンプなどで使うような簡易な折り畳み式の
アウトドア椅子を用意し、少し仰向けの姿勢で読み始めると何と
気持ちの良かったことか・・・

読み始めるとすぐに千恵子選手の『帽子を被った方がいいですよ』の声・・・
なんのこれしき・・・と思ったが季節外れの強い日差しがスキンヘッドの
頭に容赦なく照りつけ、このままではさすがに真夏のように皮膚が
炎症を起こすかもしれないと考え、帽子を被ることにした。
濃紺のジーンズの上からもその熱い光は皮膚に痛痒いような刺激を
与え続ける中、帽子の効果もあり、昼までにかなりページが進んでいた。

昼食を終えたころから少し風が出てきたので午後は家の中で読むことにし、
寒くはなかったがアウトドア椅子を畳んでしまい込み、自室で再び
続きから・・・・
そうしてその後は中断することなく読了。

昨日からはケストナーの「飛ぶ教室」を読み始めたが、それほど
多くない登場人物だと思っても日本人のように簡単な名前ではないことと
仲間の5人以外にも上級生や先生や周囲の人物を含めると
10人以上は登場するので性格、特徴、役割などを一人一人書き出し、
脇に置きながら読み進めることにした。
これは私がいつもやっていることで、物語に登場する人物たちの
相関図を作ることによって、物語の展開を早く理解できるような
気がするからなのだ。

この「飛ぶ教室」を読むきっかけとなったのはブログ友すずさんの
11月7日の記事によるもので、すずさんの説明文を読み、
これはどうしても読まなければ・・・と思ったから・・・

その理由は・・これは決して古い時代の物語の中だけではなく、
現代の世の中でもあり得ることだし、そして現代だからこそ
それをさらにもっともっと大切にしなければならないし、人として
当然な考え、そして実践しなければならないことなのだろうと強く
思ったからなのだ。

もう、ページの上では後半に入るが、読み終えたらもう一度、最初から
ゆっくりと、登場人物と状況を再び頭の中だけではなく、目の前に
描きながら読みたいと思う。



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「ラストワルツ」を聴きながら・・・その後はゆっくりと・・・

2021-11-14 08:50:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
先日(11月9日)の朝、瀬戸内寂聴さんが亡くなった。
大正から令和までの四世代を愛とその作品に生きた寂聴さんの
物事にとらわれず、堂々と生きるその姿に勇気をもらった人は
数多くいることだろう。

思わず笑ってしまうと言われるような法話やわかり易い話に
救われる人も多かったという。
例えば
『目に見えるものばかり追いかけてきた結果、日本人は想像力を無くして
しまいました。想像力とは思いやる心です。相手の気持ちを思いやると、
そこに温かな人間関係が生れます。』
のように誰に対しても優しく常に様々な「愛」を感じさせる話し方と
柔和な顔、相手を真剣に見つめて語るところなどが聞く人の心に
安らぎを与えていたのではないだろうか。
人生で一番大切なものは諸々の愛であるということを常に語っていた
寂聴さんの人柄から受ける影響は多いと思う。

実は瀬戸内寂聴さんが私より20歳上で99歳だということは
知っていたが亡くなってはじめて知ったことがある。
それは私と誕生日が同じだということ・・・
『だからどうした?・・なんだというのか・?・・』と言われれば
それまで・・・
どうってこともないのだが偉大(?)な人と誕生日が同じという
他愛もないことで嬉しくもあり、自分も何か一つでも努力しなければ・・・
と思ったり考えたりできるきっかけになるのではないかと・・・

今日も早朝はガラス戸越しに見る外の様子は少し寒そうに見えたが、
太陽が出始めてからは気温も少しずつ上がり、気持もどこか暖かく
なるような穏やかな一日が予想される・・・
周りの景色や今の環境に感謝しながらゆったりとそして心が
「ほっこり」とするような「愛」を感じる一日にしたいと思う。
そこで・・・
今日は、ブログ友すずさんが先月紹介された時から読んでみたいと
思っていたトゥルゲーネフの「初恋」を読んでみようと思う。

すずさんの解説を参考に想像すると主人公は5歳年上の初恋(?)の
女性に主導権をとられたり、牛耳られたり、翻弄されたりするのでは
ないかと物語りの展開が気になるが、そこは「初恋」・・・それなりの
初々しさや、何とも言えない喜び、心震えるような感動、そして自分の
思いと想像、もどかしさなどなどあらゆるものが綯交ぜ(ないまぜ)に
なり、読み終えた後の私の心の中にも熱い思いが湧き上がるかもしれない。
自分自身の「初恋擬き」と一致するところが数多くあると嬉しいのだが・・・

とにかくこの後すぐに読み始めよう。
気になったところはメモするなど、私の読書法では少し時間を要するかも
しれないが、無理に急がず、少しでも作者の気持ちを汲んだり、理解したり
できるように・・・・

その前に、好きな曲のひとつでもある「ラストワルツ」を
いくつかのバージョンで聴く事に・・・そしてほのぼのとした気分で・・・

この曲は岸洋子、ペギー葉山、菅原洋一、尾崎紀世彦、倍賞千恵子
やキャンディーズなどカバーした日本人歌手も多く、それぞれ
個性的な歌い方で紹介されているが今日は本家本元の
「エンゲルベルト・フンパーディンク」の歌うものと
「ジェームス・ラストオーケストラ」の演奏で・・・
そして尾崎紀世彦の歌でも・・・

ラストワルツ [日本語訳付き]  エンゲルベルト・フンパーディンク

ラスト・ワルツ (ジェームス・ラスト)

尾崎紀世彦 ラスト・ワルツ

The Last Waltz
I wondered should I go or should I stay,
the band had only one more song to play.
And then I saw you out the corner of my eye,
a little girl, alone and so shy.

I had the last waltz with you,
two lonely people together.
I fell in love with you,
the last waltz should last forever.

But the love we had was going strong,
through the good and bad we got along.
And then the flame of love died in your eye,
my heart was broke in two when you said goodbye.

I had the last waltz with you,
two lonely people together.
I fell in love with you,
the last waltz should last forever.

It's all over now, nothing left to say,
just my tears and the orchestra playing.

La la la…
去るべきか
留まるべきかを
考えたんだ
バンドは
あと1曲だけしか
歌わない
その時
僕の目の隅っこに
君を見たんだ
たった1人の少女
とても内気な少女

僕は最後のワルツを
君と踊った
2人の孤独な人が
一緒になって
君に
恋をしてしまったよ
最後のワルツが
永遠に続けばいいね

でも僕等が育んだ
この愛は
とても強くなったよ
良い事も悪い事も
僕等で一緒に
過ごしたよね
そして突然
君の瞳の中で
愛の炎は燃え尽きた
君がサヨナラと言い
そして僕の心は2つに
引き裂かれたんだ

もう今じゃ全部終わりさ
言うべき事は何もない
ただ僕の涙と
オーケストラの演奏だけ
La la la la…


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久しぶりに『国営武蔵丘陵森林公園』へ・・・

2021-11-13 13:07:41 | 喜怒哀楽をポジティブに
3日連続でいい天気が続いているが気温も比較的高い
この状況は来週の半ばごろまで続くようだ。
特に今日は太陽がまぶしく、全くの無風状態で・・・小さな
細い枝でさえ揺れるような風も全くなく、芝生の上に映るその
影も濃く、くっきりと動かない。

昨日の朝、千恵子選手の洗濯物を干す作業と、私が取り掛かった
ドアのヒンジ修理がほぼ同時に終わり、陽射しが強くなり始めた頃、
私は突然思い立ち、『森林公園へ行ってみないか?・・』と声をかけると
千恵子選手は大喜びで『だったら、お母さんのお墓へも顔を出して
きましょう・・』と即座にOKの返事だった。

そして一旦、『国営武蔵丘陵森林公園』へ・・・
車の中は差し込む陽射しにより暖かいというよりも暑いくらいで、
窓を少し開けて走ると天気に恵まれない西日本や日本海側の人たちには
申し訳ないくらい快適な温度だった。

以前にも家族や友達と何度か行ったことがあるが、過去は
北口と南口から入り、西口と中央口からは入ったことがなかった。

1974年に日本で初の国営公園として指定されたというこの
森林公園は面積が304ha、地形は南北に4km、東西に1km
標高40~90mとあまりにも広大なので前回もそうだったが
公園内のほんの一部しか観て廻れない・・・

今回、千恵子選手は杖を突きながらの歩行なので、スピードも距離も
控え目に・・と言いながらもいざ歩きだすと大木の好きな千恵子選手は
木に見とれ、また足元のどんぐりや楓の落ち葉にも心奪われ、
子供のように声を挙げ続けていた。

今回は中央口から入ったのだが平日の爲か、人もまばらだった。
それでも高齢者から若い子供連れの家族やカップルなど幅広い
世代を見かけ、それぞれが清々しい顔で、緩やかな坂の場所を
足取り軽く歩く様子をみて意味もなく『ああ、やっぱり来てよかった』と
思った。

老若男女、いずれも見知らぬ人たちとすれ違うたびに千恵子選手は
自らの足にも勇気を鼓舞するように元気よく『こんにちは』と声を
かけると、一瞬、驚いた、或いは怪訝な表情を見せる人もいたが、
多くの人たちは笑顔で『こんにちは』の言葉を返してくれ、その様子は
『私たちももう少し、歩いてみようと思いますから、高齢のあなた達も
お気をつけて・・』とでも言っているかのようだった。

『こんにちは』の声を発するのに始めは何となく、恥ずかしさも
あり、躊躇いがちの私だったが5人目ぐらいからは声も少しずつ
大きく出せるようになり、お互いに立ち止まって周りの花や
木々のことを話題にする場面もしばしば・・・
ここでも『ああ、やっぱり来てよかった』と思ったのだがこの時は
「見知らぬ者同士でも心通う嬉しく大切なひと時」を感じたから・・・

広い園内は貸し自転車や循環バスも利用出来るが私達は歩ける範囲内を
ゆっくりと歩くということで花や木々をゆっくりと見ながら歩いた。

道路脇には電飾をあしらったものやライトアップの装置なども
沢山みかけ、後でわかったのだが15日からは20種類500本の
カエデがライトアップされる「紅葉見ナイト」が開催されるようだ。


(この写真は森林公園のホームページより引用)

私達が入った中央口付近には「針葉樹見本園」「カエデ見本園」
「公園・庭園見本園」などがあり、途中いろんな場所にいろんな年代の
人達も楽しめるように木の端材を利用した人形や動物、華道家の
イメージした作品、モニュメント、銅像なども幾つもあった。






そして古今集や古今和歌集から今この季節に相応しい歌があちこちに・・・
それを見て咄嗟に思ったことは・・ポエットMさんがこの場に居合わせたら
・・と。




その後も静かな森の中や丘陵の中を歩くと、思わぬ発見も・・・
舞い落ちた枯れ葉でいっぱいの路を歩くと「シャリッ、シャリッ」と
いう音が静かな森に響き渡る・・・枯れ葉といえどもこの綺麗な景観の
中で踏み潰して歩くのはかわいそうな気もしたが避けようも無く、
そのまま歩き続けるとその音が靴を隔てた足元に響くようで何故か
気持がいい。
大きな沼を見ていると目の前にはらり、ひらひらと舞い落ちる鮮やかに
紅葉した葉がかがやいて見えた。
そして小鳥のさえずりも・・・気持を爽やかにしてくれる。

帰りは川島町のJAの野菜直売所で、新鮮な野菜を購入・・・
続いて川越市の大きな野菜直売所「アグレッシュ」へ寄ろうかと
言うと千恵子選手は疲れたから帰りたい・・・というのでそのまま帰宅。

夕食は冷凍ピザを主とした簡単メニューとキンキンに冷えたビールで
「お疲れさまの乾杯!」
千恵子選手は寝る前に、拾ってきた紅葉カエデなどを愛おしそうに
眺めながら整理・・・
穏やかな一日だった。


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陽気に誘われたのかまたもや現れた彼らに・・・

2021-11-11 11:12:10 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日に続き、今日もすっきりした青空が広がってきた。
はるか遠くの低い空にはぼんやりと雲のようなものが少し見えるが
上空は真っ青・・・
陽射しも暖かく、先日紹介したフェンスのサザンカ達も頬を一層
紅潮させて私に笑顔を送ってくれている。

雨模様で気温の低い西日本に比べると関東周辺は天気に恵まれ、
今日は20度ぐらいの気温になるという。
どうりで半袖のアンダーシャツの上に長袖のシャツを着ただけで庭に立つ
私も寒さを感じない。

トレーニング用のベンチに腰かけた私の上空であのヒヨドリの声がした。
フェンスの向こう側の道路の電柱(電線)の上に3羽停まって
首を左右に動かし、何かを相談しているようだ。

先入観はよくないが、きっと「悪だくみを・・」というところなのだろう。
どこかで人間世界の「三人寄れば文殊の知恵」を知り、その上での
行動なのか・・・。
あの3羽はどんな関係なのか・・・私の方から見て一番左側のヒヨドリは
体が大きい割には落ち着きがない・・・
顔の表情は見えないし、見えてもよくわからないかもしれないが、
あの様子は何なんだろう・・・

我が家のミカンはかなり熟してきているが、そのまま突っつくには
ちょっと無理があるのでは?・・・、とすると、狙われるものはないが、
彼らなりに知恵を働かせ、自分たちをアピールすることにより、
あのhさんのような優しい人が、切って食べやすくした果物などを
置いてくれるかもしれないとでも思っているのだろうか。

その時、私はふと思い出した。
春にもヒヨドリたちがたくさんやってきて我が家の木蓮の蕾や花を
突っついたり、食べたりでやりたい放題だったころ・・・
ガラス戸を開け、手をたたいて追い払おうとするこの家のばあちゃん
(妻の千恵子選手)のいつもの行動には慣れて逃げようともせず、
まるでおちょくるように木蓮の枝の間を飛び渡っていた彼ら(彼女ら)は
私が顔を出すと何もしなくても一斉に飛び立ち逃げていったことを・・・。

理由は・・
おそらく太陽の光を見事(?)に反射させるこの「スキンヘッド」だと思う。
さらに私が作ったヒヨドリたちを威嚇する武器類(?)の被害を受けない
ようにと彼らなりに考えたのだろう。
もちろん私には彼らを追い払い、この周辺に近づかないように
警告を与えるだけで、仕留めようなどと言う気はさらさらないのだが・・・
(狙われるものが多い隣家も被害にあの手、この手で対処中)

逃げる際、ヒヨドリたちはあの女性議員のように『このハゲ~ッ』とでも
言っているようだった。
例え、その声が現実に聞こえたとしても私は承服できない・・・
なぜなら、私の頭は毛は無いが「禿(はげ)」ではなく、「スキンヘッド」
だからなのだ。
(これは私の被害妄想ではないし、もともと禿げることは恥じる必要が
ないばかりではなく、人の成長段階のシグナルなのだと思っている)

このようなことを口にする私のことを『爺さんカルテット』の仲間たちは
「禿」も「スキンヘッド」も同じ・・強がりを言うな・・とかヒヨドリに
馬鹿にされた負け犬の遠吠えなどと言い、他愛もないことと一笑に付すが
私は真剣になり、『禿といわれるのがが嫌なのではない!、スキンヘッドも
禿には違いないが、部分的なものと頭部のほぼ全体を占めるものとの違いを
ちゃんと区別してほしいのだ・・』と、いつもわけのわからない説明を
しているのでヒヨドリたちも『面倒くさい爺だなぁ!・・こんな奴には
関わっていられない・・・』と『このハゲ~ッ!』の捨て台詞を残し、
退散していたのかもしれない。

科学的根拠など全くないのだが、事実として私のスキンヘッドには
武器を使わずともヒヨドリを撃退させる効果があるようだ。
「スキンヘッド」或いは「それに類似するような禿」をお持ちの
方がいらっしゃれば一度お試しを・・・

『えっ』、そんなことをする人はいないって?・・・
『ものは試し・・』って言葉もあるでしょ、あなたにもきっと貴重な
体験ができるかも?・・・










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昨日の記事に呼応するかのように・・・

2021-11-08 11:57:03 | 喜怒哀楽をポジティブに
私のモーニングルーティーンのひとつである朝ドラ視聴に続き、民放の
報道番組を見たあと、空と雲の様子を見ようと雨上がりの庭に出て見ると
芝生の先端の小さな水滴群が裸足で履いたサンダルの足に軽い刺激を・・・

だが、この冷たさは不快なものではなかった。
雨は深夜に降ったものか、明け方に降ったものか、いずれにしても
地面と芝生の様子から短時間で少量のものだったと思われる。

食事前には出ていなかった太陽の光も降り注ぎ、足のつま先は冷たく、
スキンヘッドの頭のてっぺんは熱いという「頭寒足熱」とは真逆(?)の
状態がなぜか心地よかった。

毎日何度も見るのを楽しみにしている「鬼(獅子)ゆず」と
思いがけず大きく育った「みかん」の色の微妙な変化に満足(?)し、
ふとフェンス(生け垣)に目を遣ると・・そこには、な、な、なんと・・・





 

昨日の私の記事に呼応した姿を見せるかのように一つ、二つと
開き始めたサザンカの花とその周りの蕾たちのちいさな共演の
始まりが・・・共演?きょうえん?・・と私の頭の中に言葉が
響き渡った。

これは昨日の記事で自分たちのことを気にかけてくれていると
思ったサザンカの木たちが仲間に声を掛け、早速私をもてなして
くれたのだろう・・・
そうだとしたら・・飲食のないささやかな「饗宴」なのかもしれない、
そしてこの蕾たちの様子だとすぐに華やかな「競演」になるかも
しれない・・・と。
近づいて傍で見る開いたばかりのサザンカも今まさに開こうと
待ち構えているような蕾たちも本当にかわいい顔をしている。

 

山茶花(サザンカ)と柊(ヒイラギ)が交互に植えられた生け垣で
できているマンションの道路側に面したフェンスは長く続いているので
外を歩いても気が付くはずなのだが、昨日までは全く目に入らなかった。

両方の隣家にも咲いているのだろうかと目を向けるとやはり
サザンカたちの気遣いなのか、平等(?)に一輪ずつ咲いていた。

あらためてもう一度顔を近づけると私の耳元で小さな声が・・・
『ありがとう・・、fumi爺も私たちに気づいてくれたんだね』という
まさしくかわいいサザンカの声が・・・
その声はコロナ禍の中、単身メキシコで働いているあの自慢の孫
「エマッチ=瑛舞(エマ)」の声だった。

23歳になった孫娘と私は家族の中で一番気が合っているのだと
信じ切っている私は自己満足。
サザンカは私のことを「fumi爺」と言っていたが、エマッチは
私を「じじ」と呼ぶ、「じいじ」ではなく、「じじ」と・・・
サザンカもそれを弁えて、瑛舞専用の「じじ」とは言わなかったのだろう。

エマッチは妻千恵子選手のことは「あーちゃん」と呼んでいる。
今でも自分の父親将太郎を「しょうちゃん」母親ソニアを「ママ」と
呼ぶエマッチは子供の頃、毎日我が家へ遊びに来ていたが、自分の
両親が先に帰ると両手を挙げて『やったぁ~!』と歓喜の声・・・。

エマッチの母親、ソニアは明るく元気で優しくユーモアたっぷりの
外国人だが言葉遣いや躾に厳しく、エマッチが緊張する場面もしばしば・・
おばあちゃんである千恵子選手「あーちゃん」も優しいのだが私とは違い、
我儘などには厳しい態度であったため、しっかりと育ったエマッチは
唯一力の抜ける場所として「じじ」「じじ」と私との時間を求めて
いたことが懐かしい・・・

ほしいなぁ~というものがあっても我儘は言わず、ねだることなども
ないのだが、「エマッチ」と「じじ」の以心伝心で、先日感想を書いた
あの「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんのように私の無言の
「アイ・ノウ」の表情に対し孫の瑛舞は常に・・・
大きな目を輝かせ『やっぱり、じじしかいない・・フフフッ』と
言っていた声が今も聞こえてくるようだ。

その声をサザンカたちにも聞かせたいと思い、みたび近寄ってみた。
開いたばかりで頬を赤く染めたサザンカの笑顔と蕾たちのクスクス笑いと
共に私の耳に聞こえてきたのは親ばかならぬ
『じじ馬鹿ちゃんりん、蕎麦屋の風鈴』の合唱だった。






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早くも立冬

2021-11-07 11:49:09 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は二十四節気の「立冬(りっとう)」

昨日までは秋の最後の二十四節季「霜降」の末候「楓蔦黄」だった。
その「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」とは・・・
もみじやつたが色づいてくるころ・・・

ブログ友のyamaさんや、kenさんの記事でも各地の素晴らしい
紅葉、黄葉が連日沢山紹介され、私たちは居ながらにしてそれを
楽しませていただいているが、これぞまさしく「山粧う(やまよそおう)」
或いは「山燃ゆる・・」「錦秋の・・」などという言葉で
表される素晴らしい日本の、そして私たちが感じる「深まる秋」を
言い表す、美しい言葉や表現ではないかと思う。

そして今日の「立冬」・・・
その初候の山茶始開(つばきはじめてひらく)は山茶花(さざんか)の
花が咲き始める頃・・・
すでに銀杏の葉が黄色く色づき始め、紅葉(もみじ)が見ごろとなる頃。
さらにはじめて冬の気配があらわれてくる頃。

晩秋から冬にかけて咲くサザンカは、冬枯れが進む中の景色に鮮やかに
色を添える役目があるように思える。
私の住むマンションのフェンスは山茶花(サザンカ)と柊(ヒイラギ)
が交互に植えられた生け垣でできている。
例年、その濃い緑の中に、優しく可愛いピンクや深紅のさざんかが
少しずつ顔を出し、次第にその数を増しながら咲きほこる様子が
私たちを楽しませてくれているが今年はまだ顔を見せていない。

ツバキに先駆けて冬を告げる花サザンカは・・・
七十二項では「山茶」と書いてツバキと呼ぶが実際には山茶花を
指すものらしい、そして昔はサザンカもツバキも混同されていたという。
ちなみに中国では「山茶」と書くとツバキを指すということや
そのわけも今年初めて知った。(ちょっとややこしい)

それは・・・山に生える茶の木としてツバキの葉をお茶として飲んで
いたから・・・そしてサザンカは「茶梅」と書くことも・・・
その由来は椿の枝を火で炙り、お湯に浸して飲む「椿枝茶」からだという。

サザンカは長い間私たちの目を楽しませてくれる。
椿は椿なりにサザンカもその個性(?)をいかんなく発揮し、
その役目(?)を終えるとハラリハラリとひとひらふたひら、地上に落ち、
私たちのいろんな感情を生むきっかけを作ってくれるようでもある。

立冬と言っても今日の天気では寒い冬にはまだほど遠いような気がする。
遠くにあった紅葉も今はすぐ近くでもみられるようになった。
色づいた落ち葉を拾い、その色を楽しむこともいいのではないだろうか、
まだまだ深い秋を静かに楽しむこともできる。













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アイ・ノウ(I know)に感動!

2021-11-06 16:32:50 | 喜怒哀楽をポジティブに
読書家で、その解説や読後の感想にも素晴らしい感性が溢れ出るような
言葉と表現に、ついつい読書欲をそそられるようなブログ友すずさんの
記事・・・

そのすずさんの感想文に惹かれて私も何冊もの本に出合う機会を得た。
読書には人それぞれ自分の好きなジャンルや作家などがあり、それらに
出会うと無性に嬉しくなり、関連する本を漁ったりしてさらに情報や
知識を増やそうと思ったりもするし、多少の「こだわり」にも
繋がっているのかもしれない。

またそれとは逆の「食わず嫌い」のような感覚で作家のことも本の内容も
わからず、また知ろうともしないで忌み嫌うようなこともあるのかも
しれない。(私もそうだったが・・・)

すずさんによって紹介された本の中には私が一度も読んだことが
ないものも多く、私自身、「食わず嫌い」のような状況を続けるか
はたまた、苦手だと思っていたけどそうでもないかもしれないと
手に取ってみるか・・・と考えたが(悩むほどでもなく)、何事も
未知のものへの関心を示して体験してみる方がいいだろうと判断し、
「未体験ゾーン」へ足を踏み入れた。

すると・・・思わぬ感激や予期せぬ感動が次々と繰り返され
あらためて読書のすばらしさを再認識させられたのだ。
そしてその魅力に心身ともに全く無害な「麻薬」を得たような気さえする。

最近は「梨木香歩」さんの作品に憑りつかれたように次々と・・・
その中でも面白かったというよりも感動したり考えさせられもしたし、
いや、「共鳴」という言葉がいいのかもしれない作品が
「西の魔女が死んだ」だった。

この「西の魔女が死んだ」は中、高生の読書感想文の定番本と
なっているらしいがこの優しい文体は小学生でも高学年なら楽に
読めると思うので、多くの子供たちにも読んでもらいたいと思った。
また子供だけではなく、大人にも十分感動を与える本だと思う。
後で知ったのだがこの物語は2008年に映画化されているようだ。

日本人の父とイギリス人の母との間に生まれた中学3年生の「まい」という
少女が同じ日本の離れた地で住むイギリス人の祖母(母の母親)が
死亡したという報せを受けて不登校だった2年前に一緒に住んだ
おばあちゃんの家に向かい、そこで汚れたガラスに書かれた
メッセージを見ておばあちゃんの元で過ごした日々を回想し、
そのことを綴った物語。

2年前学校へ行くことが苦痛になり不登校になったまいが、
母の勧めで祖母の家に身を寄せることに・・・
単身赴任の父親もまいのためだとまいの自主性を尊重し、
大自然に囲まれたおばあちゃんの家で生活を送っているうちに
その穏やかな田舎暮らしが閉ざされたまいの心を少しずつ
解きほぐしていく様子に何かを重ねてみる読者も多いのでは
ないだろうか。

感受性豊かなまいと包容力のあるおばあちゃんの会話や
生活の様子も実際に目の前に見えるような気がする。

まいとその母親がイギリス人の祖母を「西の魔女」と呼ぶのは
なぜか?・・・にも関心が・・・彼女の魔女ぶりにも・・・
現在のように様々な技術が発達する遥か昔から普通の人よりも
知恵や知識、特殊な能力を持った人たちがいて、それが魔女だという。

おばあちゃんのような魔女になりたいというまいにとっての
魔女修行にもおばあちゃんの厳しさと優しさが溢れているところも
感動!また感動!

早寝早起きなど規則正しい生活を送ることが修行の第一段階で、
まいはまず、いくつかの決まり事を決め、それに沿って生活することから始める。
おばあちゃんは『大事なことは意思の力を強くすることで、
それは継続することで初めて身につく』という。
「自分で決める」という強い意志の力を持ち、外からの刺激も
自分の感情も含めて周りに振り回されることのないよう、
常に見るべきものを見て、聴くべきものを聴き、世界の動きを
正しく受け止めることだと・・・。

さらにおばあちゃんは、「自分の感情」も「外からの刺激」だという。
自分の心の中にある感情や妄想も「外からの刺激」で、自分自身を
傷つけていくこともある・・と。

本当に魔法が使えるということではなく、自分の人生を明るく、
そして楽しく強くおおらかに生きていくための秘訣を知っているという
意味なのでは・・・

毎朝毎晩同じ時間に起きて同じ時間に寝る、頭と体の両方を
毎日しっかり動かす・・そのために自分自身が決めたルールは
コツコツ守って生活するのはごく普通のことだと・・・

私がすずさんに大きな刺激を受けたように私のブログに立ち寄って
いただいた方の誰か一人でも『それじゃ読んでみようかな』と
思う人が現れるといいのだが・・そして願わくばその輪が少しずつ
広がっていくように・・・と。

私が興味を持ち、思わずほっこりした『アイ・ノウ(I know)』に
ついて・・・
さて、この物語のまいとおばあちゃんとの会話のシーンで
まいの『おばあちゃん、大好き!』という言葉におばあちゃんが
優しくにこやかに『アイ・ノウ』という言葉で応えるところが
あり、今にもおばあちゃんが私の面前に現れるのではないかと
思うような場面がいくつかあったのが心に残った。

おばあちゃんと一緒に作ったジャムのラベル貼りの後、まいのために・・と
エプロンを作るおばあちゃんに胸の中で温かいものを感じたまいが
『おばあちゃん、大好き』といつものように早口で
呟いて、おばあちゃんの背中に頭をすりつけた時の「アイ・ノウ」
まいが好きな場所をおばあちゃんは『ここはまいの場所にしましょう』と言い、続いて『色んな強くて優しい草のものにしましょう』、『秋にはスノードロップの球根を宝物を隠すようにあちこちに埋め込むといいわ』という言葉に目の前がぱっと明るくなる思いがして
『おばあちゃん、それ、すごくいい。おばあちゃん、大好き!』といった時もおばあちゃんは目を細めて満足そうに「アイ・ノウ」・・・ 

死んだおばあちゃんの家でふと目にした汚れたガラスに書かれた
ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ
というメッセージを見ておばあちゃんの大きな愛を実感したというシーン。

おばあちゃんの深い愛情に気が付いたまいがおばあちゃんの
死という事実が嬉しいのか悲しいのかわからず目を閉じて拳を固く握り、
耐えきれずに『おばあちゃん、大好き』と叫び涙が溢れ、止らなかったとき・・・
心の底から聞きたいと思ったおばあちゃんの『アイ・ノウ』の声が
確かに聞こえ、まいの心とおばあちゃんの家の台所いっぱいに
あの暖かい微笑みのように響いたとき。

「アイ・ノウ」・・
英語の表現がよくわからない私だが
I know~と、~の部分にどんな言葉も入らずI know だけで終わって
いるとところがまたいいのでは?・・・と勝手に思ってしまった。

この言葉は「知っていますよ」という意味だけでなく、
「まいのことをすべてちゃんと分かっていますよ」
「私はどんなことがあっても、まいの味方ですよ」という愛情が
溢れる意味も込められているのだろう。
そして「My dear」 という言葉にも・・・

この「西の魔女が死んだ(文庫本)」を借りてきて最初の部分を
さっと読んだときに行間もやや広く、読みやすいと感じたのと、
私たちもハーフの孫を持つ身として関心が深かったので、まず
妻千恵子選手に読むことを勧めた。

その後私も読み始めたころに返却日が来たので一旦返し、
再度借りた時に、単行本もあり、ペラペラページをめくると
最後の部分が違うことに気づき、一緒に借りてきたのだが・・・
〇文庫本では「渡りの一日」ショウコの話
〇ハードカバーの単行本では「ブラッキーの話」と「冬の午後」
となっていた。
その181ページからは「まい」の表記が「私」に変わり、
199ページからの「かまどに小枝を」はおばあちゃんの
モノローグ・・・このモノローグがまた良かった。

・・・というわけでとりとめのない感想になってしまったが
この後もまだ何冊かの「梨木香歩」作品が私を待っている。
速読ができないので返却日までにどれだけ読めるか・・・
でも焦らず、じっくり、コツコツといってみよう。







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柘榴と燃えよ剣が亡き友を呼んだ

2021-11-05 16:10:21 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨夜と言うより今日の明け方近く、ふと私の目の前にあの頃のままの
友人S.Tが現れた。
彼が亡くなったのは今から12年前、まだ68歳という若さだった。
雨の日で蒸し暑く重苦しい夏の日だったが今朝は涼しい朝の対面・・・

若い頃から車と歴史小説(特に司馬遼太郎作品)が好きだった彼と私・・・
一時期同じ職場だったこともあり、結婚後も双方の家族ぐるみで長~い
長い付き合いだったが・・・
彼は昭和16年2月生まれで私は17年の5月・・・年齢は1歳違いだが
彼は早生まれなので学年では2年先輩になる。
ただ、職歴は高卒の私が大卒の彼より2年先輩・・・

彼が入社した頃は彼の同期の社員達の多くが私達高卒組より1~2歳
年上でも職歴や経験の長い私達には敬語や丁寧語を使っていたが
S.Tだけは自分たちのほうが年上である・・・という自覚から私達には
一般的に言われる「タメ口」だったが私には全く違和感はなかった。
(私が最初に就職し、20年勤めた会社の同僚として)

余談だが私が転職した際は年齢が若くても職場の先輩として経験豊富な
人には先輩に対する節度ある言葉使いと態度で接することを守り抜いて
きたつもりである。

さて、そのS.Tは今までも度々私の夢の中に出てきたがその訳は・・・

今回は昨日、妻の千恵子選手がS.Tの妻T.Tさんと久しぶりに電話で
話していて家族の近況の様子を聞いていたことや最近、映画の
「燃えよ剣(司馬遼太郎作)」が話題になっており昨日も主人公
(土方歳三)役の岡田准一が何度もテレビで映画の宣伝をやっていたので
それが無意識のうちに頭のどこかに残っていたからかもしれない。
さらには昨日300メートルぐらい先の民家の柘榴の実が赤く、今にも
はじけそうになっている様子を見てS.Tの家にも大きな柘榴の木が
あったことを咄嗟に思いだして懐かしく思ったことなども・・
同じように頭の片隅に残っていたからなのではないだろうか

S.Tとは二人で、或いは3人、4人でもあちこちへドライブしたり、
長期休暇には旅行に行ったりもした。
北は奥さんの実家(秋田)へ・・・南は仲間4人で車で姫路城見物や
九州までも・・・

彼との思い出は数限りないが・・・
私が20年勤務した会社を辞めて弟と二人でマッチ箱のような会社を
作った時に銀行をはじめ、いろんな取引先や契約上のすべての問題で
誰もが嫌がる保証人を『shima、お前なら俺は喜んで・・・』と
自ら引き受けてくれたことが一番の思い出でもあり、その後の人生でも
私自身が強く生きる力を維持出来た根源だと思う。

以前の記事にも書いたが私の息子「将太郎」の名付け親でもあり、 
その名前の由来も歴史小説が好きであり、少し古めかしいが日本男児の
名前に多かった「太郎」と武将の「将」にこだわってつけてくれたもので、
因みに彼の息子の名は「龍一郎」で息子達も1歳違いなのである。

彼は陽気な大酒飲みで二人で徹夜で飲時時はいつもお互いの家だった。
今となっては何をとっても、何を思いだしてもいい思い出ばかり・・・
野球好きで六大学の応援団だった彼はさすがに男らしさも人一倍・・・
まさに[豪放磊落]な人間だった。

私が彼より優位に立てたのは野球ぐらいだと思う。
私が20年勤めた会社にも一時期、社会人野球のチームがあったが、
私のレベルでは到底そんな力は無く、同好会的な活動として人事異動
ごとに新しいチームで草野球を楽しんできた。
彼も人並みには出来たが私に「一日の長」と「長き(?)経験」が
あったのは彼も認めてくれ、バッティングセンターでは素直に私に
教えを乞うことも・・・

彼との野球についての思い出も沢山あるが、一番の思い出は
私の育った富山へ行く途中「魚津」のバッティングセンターで
私が正面遠くのネット上のホームランの看板を3度直撃したときに
あたかも自分のことのように喜び、握手どころかハグで周囲の人達に
アピールしてくれたこと。
今、キーボードを打つ自分の指をみて思いだした。
彼の手も私と同じ節くれ立った太めの指だった。

過日読んだ「家守奇譚」の主人公(私=綿貫征四郎 )の前に時々現れる
友人「高堂」のことが思い出された。
これからもことある毎に高堂のようにふっと現れ、いつの間にか
消えていると言うことがしょっちゅうあるかもしれない。






















コメント (6)
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