読書家で、その解説や読後の感想にも素晴らしい感性が溢れ出るような
言葉と表現に、ついつい読書欲をそそられるようなブログ友すずさんの
記事・・・
そのすずさんの感想文に惹かれて私も何冊もの本に出合う機会を得た。
読書には人それぞれ自分の好きなジャンルや作家などがあり、それらに
出会うと無性に嬉しくなり、関連する本を漁ったりしてさらに情報や
知識を増やそうと思ったりもするし、多少の「こだわり」にも
繋がっているのかもしれない。
またそれとは逆の「食わず嫌い」のような感覚で作家のことも本の内容も
わからず、また知ろうともしないで忌み嫌うようなこともあるのかも
しれない。(私もそうだったが・・・)
すずさんによって紹介された本の中には私が一度も読んだことが
ないものも多く、私自身、「食わず嫌い」のような状況を続けるか
はたまた、苦手だと思っていたけどそうでもないかもしれないと
手に取ってみるか・・・と考えたが(悩むほどでもなく)、何事も
未知のものへの関心を示して体験してみる方がいいだろうと判断し、
「未体験ゾーン」へ足を踏み入れた。
すると・・・思わぬ感激や予期せぬ感動が次々と繰り返され
あらためて読書のすばらしさを再認識させられたのだ。
そしてその魅力に心身ともに全く無害な「麻薬」を得たような気さえする。
最近は「梨木香歩」さんの作品に憑りつかれたように次々と・・・
その中でも面白かったというよりも感動したり考えさせられもしたし、
いや、「共鳴」という言葉がいいのかもしれない作品が
「西の魔女が死んだ」だった。
この「西の魔女が死んだ」は中、高生の読書感想文の定番本と
なっているらしいがこの優しい文体は小学生でも高学年なら楽に
読めると思うので、多くの子供たちにも読んでもらいたいと思った。
また子供だけではなく、大人にも十分感動を与える本だと思う。
後で知ったのだがこの物語は2008年に映画化されているようだ。
日本人の父とイギリス人の母との間に生まれた中学3年生の「まい」という
少女が同じ日本の離れた地で住むイギリス人の祖母(母の母親)が
死亡したという報せを受けて不登校だった2年前に一緒に住んだ
おばあちゃんの家に向かい、そこで汚れたガラスに書かれた
メッセージを見ておばあちゃんの元で過ごした日々を回想し、
そのことを綴った物語。
2年前学校へ行くことが苦痛になり不登校になったまいが、
母の勧めで祖母の家に身を寄せることに・・・
単身赴任の父親もまいのためだとまいの自主性を尊重し、
大自然に囲まれたおばあちゃんの家で生活を送っているうちに
その穏やかな田舎暮らしが閉ざされたまいの心を少しずつ
解きほぐしていく様子に何かを重ねてみる読者も多いのでは
ないだろうか。
感受性豊かなまいと包容力のあるおばあちゃんの会話や
生活の様子も実際に目の前に見えるような気がする。
まいとその母親がイギリス人の祖母を「西の魔女」と呼ぶのは
なぜか?・・・にも関心が・・・彼女の魔女ぶりにも・・・
現在のように様々な技術が発達する遥か昔から普通の人よりも
知恵や知識、特殊な能力を持った人たちがいて、それが魔女だという。
おばあちゃんのような魔女になりたいというまいにとっての
魔女修行にもおばあちゃんの厳しさと優しさが溢れているところも
感動!また感動!
早寝早起きなど規則正しい生活を送ることが修行の第一段階で、
まいはまず、いくつかの決まり事を決め、それに沿って生活することから始める。
おばあちゃんは『大事なことは意思の力を強くすることで、
それは継続することで初めて身につく』という。
「自分で決める」という強い意志の力を持ち、外からの刺激も
自分の感情も含めて周りに振り回されることのないよう、
常に見るべきものを見て、聴くべきものを聴き、世界の動きを
正しく受け止めることだと・・・。
さらにおばあちゃんは、「自分の感情」も「外からの刺激」だという。
自分の心の中にある感情や妄想も「外からの刺激」で、自分自身を
傷つけていくこともある・・と。
本当に魔法が使えるということではなく、自分の人生を明るく、
そして楽しく強くおおらかに生きていくための秘訣を知っているという
意味なのでは・・・
毎朝毎晩同じ時間に起きて同じ時間に寝る、頭と体の両方を
毎日しっかり動かす・・そのために自分自身が決めたルールは
コツコツ守って生活するのはごく普通のことだと・・・
私がすずさんに大きな刺激を受けたように私のブログに立ち寄って
いただいた方の誰か一人でも『それじゃ読んでみようかな』と
思う人が現れるといいのだが・・そして願わくばその輪が少しずつ
広がっていくように・・・と。
私が興味を持ち、思わずほっこりした『アイ・ノウ(I know)』に
ついて・・・
さて、この物語のまいとおばあちゃんとの会話のシーンで
まいの『おばあちゃん、大好き!』という言葉におばあちゃんが
優しくにこやかに『アイ・ノウ』という言葉で応えるところが
あり、今にもおばあちゃんが私の面前に現れるのではないかと
思うような場面がいくつかあったのが心に残った。
おばあちゃんと一緒に作ったジャムのラベル貼りの後、まいのために・・と
エプロンを作るおばあちゃんに胸の中で温かいものを感じたまいが
『おばあちゃん、大好き』といつものように早口で
呟いて、おばあちゃんの背中に頭をすりつけた時の「アイ・ノウ」
まいが好きな場所をおばあちゃんは『ここはまいの場所にしましょう』と言い、続いて『色んな強くて優しい草のものにしましょう』、『秋にはスノードロップの球根を宝物を隠すようにあちこちに埋め込むといいわ』という言葉に目の前がぱっと明るくなる思いがして
『おばあちゃん、それ、すごくいい。おばあちゃん、大好き!』といった時もおばあちゃんは目を細めて満足そうに「アイ・ノウ」・・・
死んだおばあちゃんの家でふと目にした汚れたガラスに書かれた
ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ
というメッセージを見ておばあちゃんの大きな愛を実感したというシーン。
おばあちゃんの深い愛情に気が付いたまいがおばあちゃんの
死という事実が嬉しいのか悲しいのかわからず目を閉じて拳を固く握り、
耐えきれずに『おばあちゃん、大好き』と叫び涙が溢れ、止らなかったとき・・・
心の底から聞きたいと思ったおばあちゃんの『アイ・ノウ』の声が
確かに聞こえ、まいの心とおばあちゃんの家の台所いっぱいに
あの暖かい微笑みのように響いたとき。
「アイ・ノウ」・・
英語の表現がよくわからない私だが
I know~と、~の部分にどんな言葉も入らずI know だけで終わって
いるとところがまたいいのでは?・・・と勝手に思ってしまった。
この言葉は「知っていますよ」という意味だけでなく、
「まいのことをすべてちゃんと分かっていますよ」
「私はどんなことがあっても、まいの味方ですよ」という愛情が
溢れる意味も込められているのだろう。
そして「My dear」 という言葉にも・・・
この「西の魔女が死んだ(文庫本)」を借りてきて最初の部分を
さっと読んだときに行間もやや広く、読みやすいと感じたのと、
私たちもハーフの孫を持つ身として関心が深かったので、まず
妻千恵子選手に読むことを勧めた。
その後私も読み始めたころに返却日が来たので一旦返し、
再度借りた時に、単行本もあり、ペラペラページをめくると
最後の部分が違うことに気づき、一緒に借りてきたのだが・・・
〇文庫本では「渡りの一日」ショウコの話
〇ハードカバーの単行本では「ブラッキーの話」と「冬の午後」
となっていた。
その181ページからは「まい」の表記が「私」に変わり、
199ページからの「かまどに小枝を」はおばあちゃんの
モノローグ・・・このモノローグがまた良かった。
・・・というわけでとりとめのない感想になってしまったが
この後もまだ何冊かの「梨木香歩」作品が私を待っている。
速読ができないので返却日までにどれだけ読めるか・・・
でも焦らず、じっくり、コツコツといってみよう。