『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

犯罪者の摘発・検挙・逮捕と撲滅のために・・・

2019-04-30 09:07:46 | 喜怒哀楽をポジティブに
何故にこうも毎日毎日犯罪が発生しているのだろう。

社会の仕組みや経済状況、仕事でのトラブル、人間関係など
いろいろな問題によるもなのだろうが、犯罪の大小に関係なく
罪を犯すその人間そのものの考えや行動が原因なのだと思う。

その原因を探っていくと更に複雑な問題があるのだろうが
どんなことがあっても決して罪を犯してはいけないという
強い意識が欠如しているため制御が効かない・・或いは暴走
してしまうのではないだろうか?

子供の頃には理解、認識していても成長と共にその意識が
希薄になったり、損得の感情が優先したりで、本来「人」として
あるべき姿から距離を置きはじめ、次第に正しいことへの
意識も遠ざかり「悪」に無頓着になるのだろうか?

昨日、名古屋市内のフラワーショップの植木が次々と倒されていく
様子が報道された。
映像ではその男の顔にはモザイク(ぼかし)がかかり、明らかに
されていなかったが、こういう事件であっても人物像とその行為が
はっきりしており犯人が特定できるのだから公開すべきでは
ないだろうか。

色々な事件が報道されるたびに我が家では『防犯カメラ』の
効果とさらなる設置増について語り合っている。

お茶の水女子大付属中学校で悠仁さまの机の上に刃物を置いた人物の
逮捕には昨年の渋谷でのハロウィン事件と同じカメラ画像を移動方向に
たどる「リレー方式」と呼ばれる捜査で足取りを追跡し、男の居場所を
突き止めたことも発表されたこと。

「プライバシーの侵害」「肖像権」などを理由に防犯カメラ設置に
反対や異論を唱える人もかなりいるようだが、自分にやましいこと、
後ろめたいことなどがなければいつ、どこで撮られようが全く
問題ないはずではないか。

大きくは報道されなくても防犯カメラによる検挙の数は飛躍的に
伸びているし、防犯カメラによる犯罪抑止効果も格段に上がっている
ことを思うとカメラの増加を喜ぶことはあっても否定する理由は
ないと思う。

もちろん、カメラなど設置しなくても犯罪などが一切起きないことが
望ましいが残念ながら今、日本ではこの「防犯カメラ」はまだまだ
必要であると考えるし、私が最近何度か投稿した『魔の交差点』の事故の
様子などを残した映像が事故対策の資料となっていることも事実で私は
機会あるごとに設置の必要性を訴えていきたいと考えている。

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コマーシャルに目くじらを立てるなという声もあるが善悪を感じてしまう。

2019-04-29 08:19:45 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨年仕事を辞めてからはテレビを見る機会も多くなり、テレビもCMも
大好きな私は自称『CM評論家?』として家族(妻)をはじめ親しい
友人にもその感想や評価を捲したてる日がある。

私の好きなCMは『明るい』『元気』『快活』『優しい』『楽しい』『笑顔』
『爽快』『おおらか』『ほっこりする』『ほのぼのとする』など気持ちが明るく
爽やかになるものが多く、一方、嫌悪感を持つのは『内容に疑問が残る』
『しつこい』『わざとらしい』『嘘』『騒がしい・うるさい』『大袈裟』
『商魂丸見え』『不潔感』などを強く感じる類のものである。

CMには確かに販売促進の重要な役目もあるので、見る側に強いインパクトを
与えようとの目的で作られるのだろうが私には見ていて我慢ができないものや
不愉快になるものもかなりある。

見ていても爽やかで心が温かくなるような好きなCMはたくさんあるが、
それらは小さい子供が主役となっているものが多いような気がする。
最近はあまり放映されないが「積水ハウス」のCMで少女が子犬(捨て犬)と
一緒に成長し、嫁いだ後(映像は永野芽衣さん)、実家に遊びに来た時に
年老いたその犬との心通う会話をするという光景が描かれたもの。

また「吉野石膏」の「タイガーハイクリーンボード」の真宮葉月さんが可愛い
小さな女の子二人と一緒に同色(ピンク)同デザインのワンピースで弾むように
踊るCMやあどけない寝顔の子供達と一緒に横になって寝る姿など…。

対して、いやなCMはいつでも生意気な(わざとそういうキャラクターにしている
のかもしれないが)あの梅沢富美男ががなり立てるものや厚切りジェイソンが
大声でしゃべり続ける「ライフネット生命」。そして、佐藤隆太の「ビッグモーター」の
CMなど。

それにも増して嫌悪感を持ち、大人げないかもしれないが抗議文を書き続けたいと
思っているのは『ハズキルーペ』
最初のバージョンから嫌いだったが、大げさやうるさいだけではなく、何故辻褄の
合わないことや見え透いた嘘をつくのだろうと思うからである。

最初のバージョンのものから現在放送されているものまでのどのCMにも
『ブルーライトがカットされている・・・』というセリフがあるが開いたパソコンを
見ただけでブルーライトのカットがわかるのだろうか?

カットされたものとカットされていないものを見比べてみてようやくわかるような
ブルーライトが瞬時に判るなどということや、初めてハズキルーペを使用した
客(小泉孝太郎)が「ブルーライトがカットされている・・・」と言ったり、クラブの
ママ(武井咲)がかけたメガネを見て『新色?・・・』などと聞くのはどう考えても
絶対にありえないこと。

さらに如何に丈夫であるかを訴えたいため、ホステス達が尻で踏みつぶす場面でも
彼女たちは尻が椅子に触れる前にキャッ、キャッと声をあげて尻で押しつぶすという
仕草もほんの少し触れる程度で、その後にもメガネに異常のない様子などは一度も
放送されていない。

たかがコマーシャルにそんな目くじらを立てるよなことをしなくても・・・という
意見があることは重々承知しているが、あんなに頻繁に流れるCMは子供たちも
見ていることを強く認識してほしいと思うのである。

「ハズキルーペ」はもう世の中に充分知れ渡っているのだから今後はもう少し
CMの内容を変えてみたらどうだろうか?
誤解を招こうが嘘まがいの怪しいCMだろうが売れればいいのだ・・・という意図が
あるのならばいずれしっぺ返しを食らうだろう。

「ハズキルーペ」ほどの違和感はないがいろんな会社から販売されている
サプリメントなどのCMにも疑問を感じるものが少なくない。

テレビ画面の端などの見えにくい場所に背景に溶け込むような色と小さい文字で
『個人の感想であり、効果効能を表すものではありません』とか『個人の感想です』
などという紛らわしい説明が記されていることが多い。

コマーシャル内容(映像や登場人物の言葉)では大きな効果が表れているような
表現だが『個人の感想であり、効果効能を表すものではありません』と効果や
効能がないことを小さく書き添えてあるのがなんとも言い訳がましく感じる。

効果がないのにあるように見せかけるCMを信じて購入する人には効果が
ない物でも『鰯の頭も信心から・・・』と揶揄するだけでいいのだろうか?
何か問題やクレームの発生時には「効果がないことをちゃんと表示しています」と
言い逃れをするようなものは私には良識あるCMとは思えない。

見ていて心和むものもあれば不快感を持たせてしまうものもあることを
制作側はもっともっと考えてもらいたいと強く思う。




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安倍政権の働き方改革は支持されているか?

2019-04-28 12:33:24 | 喜怒哀楽をポジティブに
ゴールデンウィークが始まり、10連休の話題と共に華やかな面が
大きく報道されているが、このゴールデンウィークを本当に喜んでいる
人達はどのくらいいるのだろうか?

高速道路の渋滞状況、空港での旅行客の笑顔、観光地の賑わいぶりなど
大型連休ならではの光景だが、この笑顔や喜びとは正反対の顔や表情を
持った人たちも少なくはないのである。

安倍政権がメリットがあると考えているような大きな企業や会社に
とっては良い休暇になるだろうが、家庭の事情でアルバイト、パートでの
仕事を余儀なくされる人たちにとってはまさに死活問題ともなっているようだ。

非正規社員のすべてが自らの意思で非正規やアルバイト、パートとして
働いているわけでもなく、時給、勤務日数が生活を左右するという人たちも
かなりいるという。

大きな会社やビル内で作業や清掃をしている人たちはその会社が休みになると
自分たちも休まざるを得なくなり、多額の減収になる。
その間、他所でアルバイト・・と言っても家庭の事情も考慮するとそう簡単には
見つからず経済的には苦しくなる・・ということだ。


『長時間労働をなくす』『有給休暇を増やす』などだけが改革ではないはずだ。
安倍政権はいつもきれいごと、口先だけ、などの『羊頭狗肉』で世間を
ごまかそうとしているが、何事においてももうすでに化けの皮が剥がれて
いるのである。

日本の貧困率のことなども考え、そろそろ少しは国民の役に立つ政策などを
考えてみてはどうか・・・と思う。

「ポチ」という名前に満足し、トランプの周りや各国首脳の様子を見ながら
小刻みに羽を動かす大嘘つきで卑怯なコウモリの姿は見たくない!




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あれこれと頭をよぎるもの・・・

2019-04-28 11:51:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、報道特集で『ハンセン病家族の叫び』としてハンセン病家族訴訟の
原告の一人の女性の悲痛な声が伝えられていた。

謂れなき偏見や差別により長年苦しんできた家族の訴訟の判決が6月に
出るとのことだが、国が摂ってきた間違った『終身隔離政策』や
『患者絶滅政策』は新憲法下でも、その後ずっと長くとられ、
家族は居住する地域からも大きな差別に遇い、様々な人権侵害を
受けてきたのである。

患者は家族から引き離され、自由のない施設で過酷な労働を科せられ、
住んでいた住居は家中が白煙に包まれるような消毒で周囲にも見せしめの
様な恐怖感を与え家族への差別も決定づけたのである。

国際社会から『終身隔離政策』などを破棄するよう勧められても国は
過去の施策の誤りを認めず、敢えてこれを継続・固定化することで
正当化しようとした国家犯罪であることを認め家族訴訟には本当に
きちんと向き合わなければならないと思う。

ハンセン病は潜伏期間は少し長いというが、感染力は弱く早期発見、早期治療
さえすれば完治する病気でもあり、間違った認識と共に謂れなき差別や
偏見につながるものはすべて一掃するよう、国自らが大きく動き出すべきである。

必要のない軍備や過剰な議員の報酬などを大きく削減すれば被害を被った
患者や家族への償いは充分にできるはずである。





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断捨離は『功罪相半ばする』と言いたいところだが・・・

2019-04-26 05:47:31 | 喜怒哀楽をポジティブに
やましたひでこさんの断捨離という言葉が世の中の脚光を
浴びてから8~9年経つのだろうか?

やましたひでこさんと共にかたづけコンサルタントの名前を持つ近藤麻理恵さんも
「ときめき」の言葉と共に「こんまり」さんの名前でアメリカでも有名人となって
いるようだ。

近年、断捨離を実践する人たちのことを「ミニマリスト」と呼び、彼ら、彼女らも
それぞれ断捨離のメリットを語ったりアピールしたりしており、ちょっと大げさに
言えばミニマリストと共に世の中『断捨離礼賛』というような報道もされている。

断捨離を推奨している人たちも断捨離にはメリットとデメリットのようなものも
ある・・・ということは語っているが、概ね断捨離肯定派なのであろう。
断捨離を薦めるような発言や章も多いようだ。

やましたひでこさんは断捨離とミニマリストとははっきりと区別していると言われて
いるのでそのあたりも今後の情報を得たいものである。

私には断捨離は果たして本当にいいものだろうか?という強い考え、思いがあり、
『断捨離礼賛』には大きな疑問が残る。
ミニマりストの中には『断捨離ができる人』或いは『できない人』などという言葉を
使う人もいるようだが『・・できる』『・・できない』ではなくて『・・する』か
『・・しない』かだろうと反論したい。

『できる』はあたかも能力があり『できない』はその能力に欠けている・・などと
いうような意味に誤解されることがあるとしたらそれはとんでもないことであり、
大きなお世話であると言いたい。

断捨離にメリットがあるということは認めるとしてもあくまで個人の考えで『する』
『しない』を決めるものであろう。

「もったいない」という固定観念に囚われてしまった心を不要なものを捨てることに
よって物への執着から離れて自分自身が作り出している重荷から解放される・・・
ということやものが増えすぎるとやがては自分が快適に住むための空間が圧迫
されたり狭くなってしまい、膨大な時間や気力を奪われ、知らず知らずのうちに
心身の健康を害することにもなる・・・などということは私には考えられない。

物を大切に思い、大切に使い、捨てられなくてため込むことがあたかもゴミ屋敷に
繋がるような表現はするべきではないと思う。

また高齢になっても物をためこむと本人の死後、遺族がたいへんな思いをし、
その片付けや処分に余計な時間と労力を使うことになるので断捨離はすべき・・・
という意見に対しても私は疑問をもっている。

家族間でも楽することがそんなに大切なのか?
生前本人が大切にしていた思いや、品々を遺族が片付けるのがそんなに辛く
大変なことなのか?
それらの品を見たり引継いで使うことで故人との絆や愛情を感じたりすることなどは
無意味であるとでも言いたいのだろうか?

たとえ、1年に1回しか使わないものでも、或いは今後使わないかもしれないもの
でもきちんと整理整頓し、どこに何があるかを記憶、記録などしておけば全く
問題もないし、物を大切に・・・という気持ちが家族にも充分伝わり、いい効果が
あることも考えられると私は思うので私は日々実践している。

私は空間を利用し、それぞれの品に応じた箱などを利用して寄せ木細工のように
収納することによって、自分なりに便利で快適な生活を送っており、家族からも
喜ばれているので過度な断捨離には反対である立場を今後も続けていきたいと思う。

断捨離をしたいけど・・・と思う人は『私はできない・・』と思わず、今はして
いないけどそのうち折を見てやろう・・・とか『これはする必要がない』『しない・・』
などと自分の意思を尊重し、風潮に流されないことも必要なのではないだろうか。

結局、やりたい人はやればいいしやりたくない人は少しずつ片付けることに力を
注ぎ、決して無理に意味もなく捨てないことが肝要だと思う。

断捨離はたぶん捨てることが目的ではなく自分にとって必要なもの、大切なものを
選ぶということなのだろう。
調子に乗って捨ててしまったことを後悔するようなことがあっては何の意味もない。

断捨離推進派、ミニマリストの人たちの中には時代の潮流に乗って・・・という
意識が強い人もいるのではないか。

ミニマリストの声には確かにそういう見方や考えにも納得ができる・・・というものも
あるが、『貧乏人ほど物が多く、お金持ちほど物が少ない』とか『少ない物で
生活ができるのは豊かな証拠』『貧乏人は取捨選択が下手だから・・・』などと
上から目線で裕福でない人々を蔑むような言い方をする声も堂々と取り上げられて
いる。

誰しも自分が豊かでないことを『貧乏』と認識するのは改善や意欲につながることも
ありいいと思うが、他人のことを『貧乏人呼ばわり』するのはいかがなものか?・・・
というより人格が下劣であると思う。

断捨離をするためのわかりやすい言葉の例として言ったとしても断捨離の由来を
考えると主旨がずれており、慎むべきであろう。

私は断捨離と言われる行為、行動を全否定しているつもりは全くない。
ただ、『断捨離=善』と思わず、もう少しおおらかに、緩やかに行うべきだと考え、
決して押しつけがましいような表現はやめるべきじゃないかと思っているのである。

余計なものを持たず最小限の労力で・・・とか運気が上がる・・・などともっともらしい
言葉にに惑わされることなく、物を捨てる時はあくまで自分の意志で・・・ということが
最も大切だと思う。

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筍の思い出は今も・・・

2019-04-25 10:32:42 | 喜怒哀楽をポジティブに
春の風物詩『たけのこ』が出回るころになるといろんな思い出が頭を駆け巡る。
「たけのこ」としても「筍」としても子供の頃から現在までのいろいろな思い出が
たくさんありいつまでも色あせない。

野菜の中ではトマトが一番、二番目が筍・・・できれば365日毎食食べたいくらいの
私の大好物であるが、大好物という言い方では好きな程度が言い表せないので
もう少し詳しく表現すると、『食前食後にトマト(筍)』『もちろん食事もトマト(筍)』
『お茶やコーヒーと一緒にトマト(筍)』『おやつにトマト(筍)』『夜食にトマト(筍)』
『寝る前にトマト(筍)』『目覚めにトマト(筍)』でも決して飽きない位の食べ物
ということになるのかもしれない。も(もちろんそんなには食していないが・・・)

甲乙つけ難いこの一番、二番の差はほとんどなく、トマトは昔と違いいつでも、
まさに一年中食べられるし、筍も冷凍保存のものを使えば季節に関係なくその
食感を味わうことができるが筍に関してはやはり旬(しゅん)の時季に最高の旨さを
感じるのは間違いない。

今、生きていれば108歳になっている母は昔から料理が好きで、私たちが子供の
頃から身近な野菜や粗末な材料などを活用してそれぞれの特徴や風味を活かし、
子供にも充分その味わいがわかるように工夫したものをたくさん作ってくれた。
そのころは近隣、友人、知人からもいただいたし、販売していたとしても今ほど
高価ではなかったのでなないだろうか。

筍の時季になると筍ご飯をはじめ、いろんな炒め物、煮物,味噌汁、スープ、天ぷら、
ピリ辛炒め、サラダ、酢の物などなど・・・
その一つ一つの母の味がすぐに思い出される。

私が結婚して4年後に両親が老後は便利な都会での生活を望んで上京し、私たち
家族との距離は一気に近くなり、仲の良かった母と妻は頻繁に行き来するように
なったことが我が家の食生活にも大きな影響(?)を与えてくれた。

そのころ、我が家の家族の長男は東京に、嫁いだ姉は横浜に、私は埼玉に・・・と
雪の降らない関東に住んでいたので、雪国ではないが毎年、寒く、雪も降り、
曇り空の多い冬の富山での老後に不安を抱いた両親は上京を考えるようになっていた。

富山には近くに独立した次男の家があったが夫婦ともに働いており、交流時間も
少なく、末っ子である私の弟も石川県にいたので、寂しさもあり、家を処分してまで
上京を決心したことはそれなりに頷けるが・・・

結果は両親にとっても私の家族にとってもいいことずくめで、特に母は私の妻との
濃厚な付き合いを喜んでくれ、妻も料理をはじめ、いい影響をたくさん受けてお互いに
良好な関係がその後も長く続きお互いが楽しく幸せな時間を過ごしたようだ。

そして、ささやかでも楽しみのこもった数々の料理の伝授・・・となるのだが、
その中でもこの時季の筍料理が一番・・・。
今も妻は母から教わった料理やそれにちょっと工夫を凝らした一品で食卓に賑わいを
持たせている。

中でも私が特に好きなのは筍ご飯に『筍のステーキ』と『筍と肉厚わかめの味噌煮』
『ピリ辛炒め』『筍と絹ごし豆腐を短冊切りにした熱々の味噌汁』などの組み合わせで
筍の根っこに近い硬い部分を使った『筍ステーキ』の醤油バター風味のものが特に
旨いと思えるので友人家族などにも推奨しているが、やはり好評である。

この記事を読んでくださった方々にも是非試していただきたいと思う。
押しつけがましいようだがたぶん喜んでいただけると思う。

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インドリンゴは何処へ?

2019-04-24 08:18:55 | 喜怒哀楽をポジティブに
テレビの医学、医療番組などでリンゴはその栄養価値や体にとって素晴らしい影響を与える
食品として紹介されることが多い。

リンゴは甘み、酸味、香り、食感などを楽しむことができる果実の一つであり保存期間も長く、
特別高価なものでもなく手に入りやすいし、もともと大好きな果物なので我が家でもリンゴは
年間を通して一番多く食べる果物かもしれない。

私たちが食べたり見かけるリンゴの種類はつがる、ふじ、サンふじ、紅玉、世界一、陽光、
陸奥、ジョナゴールド、王林、シナノゴールドなどその数は多いが世界では15000種、日本でも
2000種、そして青森県内でも50種以上が栽培され、40種以上が市場に出ているとのこと。

しかし、あの独特な形と味や甘さ時々硬さを持つ『インドリンゴ』はかなり前から街中の商店でも
スーパーでも全く見かけなくなった。
そんなに多くの種類が栽培されているのなら・・・と思うとなんとも不思議ではないか。

あの縦にやや長く、左右が少し歪んだようで色も均一ではなく、果肉は水分が少なく、
少し硬く独特の甘みと香りを持ったあの『インドリンゴ』はどこへ行ったのだろう。
思い出すだけでも懐かしい・・・栽培上の問題なのか、経費など採算の問題なのか、リンゴの持つ
特徴が時代に受け入れられず総合的に断念となったのか・・・

今の小さい子供たちは食べたことも見たこともないと思うがもう少し上の若い世代や、
もしかすると30代以上でも知らない人たちがいるかもしれない。

近日中に商店やスーパーなどで営業の妨げにならない時間や様子を見ながら店員さん、
社員さんに聞いてみよう。
スーパーの店員さんにはあまり期待できないかもしれないが青果店の年配の店主なら
知っているかもしれない・・・
果たしてすぐに納得の回答が得られるか・・・

今、手を止めてネットの情報をチラッとみたがネットでは販売しており、1個平均260円から
300円ぐらいのようだ。
現在もネットで販売しているのに市販されていないのはなぜか?
ますます追究心が膨れ上がってくる。

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見知らぬ家族の会話から・・・

2019-04-23 09:50:04 | 喜怒哀楽をポジティブに
妻は歩行にも多少影響のある脊柱管狭窄症のため、軽い荷物以外は
持って歩けないので日常の買い物にも私が一緒に出かけることが多い。

スーパーなどで店内を一緒に回ることもあるが、妻が商品をカートに
入れ終わってスマホでの連絡があるまで私は駐車場で待っていることもあり、
昨日も温かい空気の中、窓を開けた車内で待っていると同じようにドアを
開けた状態で隣に停めた車から大きな話し声が聞こえてきた。

ふと目を向けると40代位の夫婦と中学生、小学生の女の子だった。
活発な姉妹は親の言葉が終わらないうちに大きな笑いと共にそれぞれが
親たちに負けじと自分の考えや意見を強く、矢継ぎ早に言っているようだった。

その光景(話し声)は微笑ましくもありまた我々の時代とはずいぶん
変わったなあ~という印象だった。

私たちの子供時代にももちろん素直に自分の意見を主張できる女の子は
いたが、親に意見や考えを求められる前に親を制して・・という状況は
あまり見られなかったように思う。

私は嘘、ぞんざい、不適切、下品、無礼、などのないよう言葉さえ選べば
子供の頃から自分を表現したり、主張したりする習慣や能力を養うためにも
良いことだと思うし、彼女たちの明るく弾むような声が心地よく耳に伝わり
聞くとはなしに聞いてしまっていた。

時折聞こえる両親の声も穏やかで子供であれ一人の人格・・ということを
認めているような状況が想像できると共に知らず知らず自分の頬が緩んで
いることに気づいた。

現在の家族はすべてこういう関係ではないと思うが近年外国人を多く
見かけるようになり、これとよく似た情景もしばしば見ることがある。

私の息子も9年程の海外生活により外国人と結婚し、性格や考え、言動などが
よくも悪くも外国人っぽさを兼ね備えている。

外国人からみると、或いは日本人が見ても日本人の特徴というようなことが
しばしば話題になることがあるが、そのほとんどはいい意味での驚きや感心、
感嘆、尊敬など褒め称えるようなものが多く、あまり悪い評価はないと思う。

そのいいと言われていることを今さっと思い出しても、「礼儀正しい」「秩序を守る」「我慢強い」「綺麗好き」「完璧主義」「約束を守る」「行儀がいい」「協調性がある」「仕事熱心」「温厚」「誠実」「挨拶を大切にする」「謙遜の精神」などなど次々と
出てくる。

そして悪いとまではいかないがちょっとマイナスな評価としては「自己主張を
しない」「自己表現が上手くない」「外見を気にする」「集団を重視する」
「周囲に合わせる」「シャイ」「おとなしい」「表裏がある」「ちょっと卑屈」「自虐的」「流行を気にする」「ユーモアに欠ける」などだろうか?

私が出会った(‥といっても車内から聞こえる声だけだが)かの子供たちの
行く先にはおそらくこのマイナス面は表れないだろうと思うと何故か痛快な
気持ちにもなってくる。

あのまま素直に、節度ある日本人らしさを兼ね備えて大人になることを
期待したい。



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十能から『シャベル』『スコップ』の違いに発展。

2019-04-22 13:17:08 | 喜怒哀楽をポジティブに
先日、十能(じゅうのう)のことを書いたが、若い世代や中年の
人たちの中にも『十能って何?』と思う人がいるかもしれない。

更に移植ごてについても子供の頃から砂遊びや学校の園芸、家庭での
花や木を育てる時などに当然見たことや使ったことはあっても『移植ごて』
とは言わず、現在はすべてスコップ、或いはシャベル、ハンドスコップ、
ハンドシャベルなどと言うのかもしれない。

ネットショッピングなどでは『十能』『移植ごて』としても『ハンドスコップ』や
『シャベル』としても取り扱われているので購入などを考え、検索、する時に
困るようなこともないようだ。

老いも若きも『スコップ』『シャベル』というとすぐに形も用途も頭に浮かぶと
思うがひとそれぞれスコップと言おうがシャベルと言おうが誰もそれは違うなどと
目くじらを立てる人はいないし、『スコップ』と『シャベル』の違いなどについて
議論は疎か話題にもなることはないだろう。

実際には一応その違いはあるようなのでちょっと紹介してみよう。

☆JIS規格では『シャベル』は上部が平らで足を掛ける部分がある
       『スコップ』は上部が曲線状で足を掛ける部分がない。
☆一般的には大きさで区別されており、
西日本では『シャベル』は大型、『スコップ』は小型。
東日本では『シャベル』は小型、『スコップ』は大型。
『シャベル』は英語、『スコップ』はオランダ語というところだ。
   
一部の辞書ではスコップを「小型のシャベル」と説明しているものがあり、
西日本の呼び方が支持されているという

一方、建設機械の「ショベルカー」を「スコップカ-」と呼ばないことから
大きい物を「シャベル」小さい物を「スコップ」という東日本説を支持する
人もいるという。

先が尖った剣のような形のものを「シャベル」、先がまっすぐで四角いものを
「スコップ」という区別の仕方もあるようだが土木現場では剣型のものを
「剣スコ」四角いものを「角スコ」と呼び、先の形状に拘わらず「スコップ」と
いうことなどから考えてもJIS規格以外の区別ははっきりせず、どちらも
間違ってはいないということなのだろう。

違いとしては英語の「shovel」とオランダ語の「schop」という語源が違うだけと
いうことで一件落着ではどうだろう。

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深紅の牡丹の表情と共に・・・

2019-04-21 07:50:26 | 喜怒哀楽をポジティブに

昨日も温かく、夕刻になっても春の陽射しが庭いっぱいに広がり、木蓮や
ハナミズキ、牡丹などをいっそう輝かせていた。

朝、開きかけだった深紅の牡丹の一つは昼過ぎから大きく開きはじめ、
前日に木の上部の端で開いていた大きい花と呼応して中央付近の蕾たちにも
開花を呼びかけ、一刻も早くと促すように折からの微風を受けて語りかけて
いるようだった。

私にはその牡丹の木を包むように夕日を浴びてキラキラと柔らかく光る白椿の
若葉も、開き始めた牡丹を応援しながら見守っているように見えて、また自分も
この柔らかい同じ時間を木や花たちと共有しているように思え、暫くの間花たちとの
無言の会話を続けながらゆったりとした気持ちでひと時を過ごした。

明日はまたこの深みのある真っ赤な牡丹が幾つか新鮮で明るく元気な顔を
見せてくれることだろう。
しばらく楽しみが続きそうだ。

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池袋の事故を機に大きく法改正を・・・

2019-04-20 08:10:28 | 喜怒哀楽をポジティブに
またしても悲惨な事故が池袋でも起きてしまった。

歩行者らを次々とはねながら暴走し続け、ごみ収集車に激突後
トラックに衝突してようやく停止したというこの事故が親子二人の
命を奪い、8人が重軽傷を負うというあまりにも悲惨な結果をもたらした。

この事故は運転者とその家族が常識、良識ある判断をしていれば
未然に防げたものだと思う。

この87歳の高齢者は自分でも体力や判断力の機能低下を以前から
認識していたようで、近隣住民の話では駐車場での車の操作もにも
時間を要するだけではなく、危なっかしい様子だったとの証言あり。

最近は杖を使っての歩行をしていたそうだが不便なので車を利用して
出かけていたとのこと。

自分たちが不便だから・・という理由だけで判断も操作もおぼつかないのに
車を運転するということは事故に直結する可能性が最も大きいことを
認識していなかったのだろう。
隣に人が乗っていても運転し、判断するのは運転者なのである。
良識ある高齢者にあるまじき行為だと強く非難したい。

私は時々(つい先日=4月15日にも)免許証取得(発行)時や更新時には
厳しすぎるくらいの対応が必要であると訴えているが免許取得者のすべてに
更新時も厳しい運転技能の実施テストを実施してもらいたいものである。

交通事故のほとんどが何らかの違反によるものであり、軽微なものも含め
違反を犯さなければ事故は起きないのである。

今回の池袋の事故は直接違反を犯したかどうかも含め徹底的に検証すべきだと
思うが何よりも最大の原因である運転技能の低下や判断能力の欠如によるものだと
思うので今後同じような事故を発生させないためにも大きな法改正を断行し、
更新時の実技テストの実施と違反者には免許証はく奪後、再度取得の為のテストを
実施してもらいたいと強く願う。

事故を起こした運転者を攻撃するつもりはないが、『アクセルが戻らなかった』
などと言い訳をするのは常識を持った高齢者の言うことではないと思う。
亡くなった方や怪我をされた方々のためにも男は男らしく素直に非を認めよと言いたい。

傲慢と言われるかもしれないが私は法令順守で事故は絶対に起こさないという
自信もあるのでどんな実技テストも喜んで受けるしこのまま100歳までも
運転しようと思っているし、自分で運転に必要な何かの機能が少しでも衰えたら
潔く免許証の返納をするつもりなので自信をもって言える。


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明るい花が次々と・・・

2019-04-19 08:13:05 | 喜怒哀楽をポジティブに


温かい日が続き周囲の家々に、そして我が家にも追いかけるように色々な花が咲き始めた。
あのヒヨドリとばあちゃん(妻)の花の芽を巡ってのバトルの波を乗り切った木蓮も
数日前から大きく開きはじめ、青空に向かってその形と色を主張している。
その後ろにはやはり明るく空に向かってハナミズキが開き始め、賑やかになってきた。

我が家の花や木の中で毎年この時季に心を明るく雄大にさせてくれるような牡丹も
咲き始めてまた話題の一つとなっている。

スーパーへ向かう道には『白山吹』『ハナズオウ』『モッコウバラ』などの花がやはり
競うように咲いていて中でも民家の玄関先の『白山吹』がその小さい4枚の花びらの主張を
見てほしいと言わんばかりにヒラヒラと揺れている。

ドウダンツツジの生け垣の傍では園児がその母親に白いベル型の花が日増しに
増えていく様子を黄色い声で何度も何度も訴えるように話していた。
毎日そこを通る園児にとっては白く可愛いベルが日毎にふえるようす大発見だったのかもしれない。

その園児は素足に草履のS幼稚園へ通う子供だった。
今年短大を卒業しメキシコで就職した私の孫娘も外では草履、室内は裸足で生活というこの
S幼稚園に通っていたのはついこの前・・・という気がするがもう20歳になっているのだ。
大きな声でドウダンツツジの花のことを母親に説明していたあの子もきっとあっという間に
成長していくのだろう。

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十能から風鈴へ思いが飛んで・・・

2019-04-18 08:22:54 | 喜怒哀楽をポジティブに
リハビリに行く妻を送った帰り、昔からの農家を思わせる大きな家の門のそばに
竹ぼうきと十能が立てかけてあった。

長い間使ったとみられる十能を見て一瞬、私の得意な連想記憶術のようなものが
がひらめいた。
『十能』から『炭・練炭』『七輪』『鉄瓶』『南部風鈴』へと。

昔は家や家族の職業に拘わらずどこの家庭にも十能はあったと思う。
子供の頃に手伝いという意味からも炭をくべたり、赤く燃えている炭を
十能に乗せて少し緊張しながら運んだりしたものだ。

そしてこたつや七輪に・・・七輪の上には南部鉄でできた鉄瓶から出る湯気の様子。
連想が風鈴へ飛んだのは『南部鉄』というキーワードが頭に浮かび、寒い冬から
一気に夏風邪に揺らめく風鈴へ・・・。

風鈴と言えば昔は多くの人に『風情』を感じるという心もあったのだろうか
お馴染みの南部鉄製でもガラス製でもその音に心地よさは感じても、うるさいとか
耳障りであるとかというような嫌悪感を持つ人はそんなにはいなかったように思うが、
最近は風鈴のような音にも苛立ち、クレームやトラブルの原因となっているケースも
多いという。

確かに強風下での風鈴はもはや風情ある風鈴ではなく、小さくても一種の騒音かも
しれないが、微風の中での風鈴に心癒される瞬間を感じるような人ならばもちろん
強風時には風鈴をつるしたりしない筈である。

日本を訪れる外国人からも風鈴の良さが語られることがあるが、この音から
どんどん思いを膨らませられるこの小さな芸術品(?)を今年の夏もあちこちで
見てみたいと思う。



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久しぶりに父の夢を見た。

2019-04-17 08:57:38 | 喜怒哀楽をポジティブに
母の夢は時々見るが前回父の夢を見たのはいつ頃だっただろうか?
もう数年、いやもっと長い間見ていないかもしれない。

明治37年生まれの父はそれなりに厳格なところもあったが、長い教員生活で
時代に対応する必要もあったのか、我々子供達にも柔軟な面を見せたりもし、
母親ほどではないが忙しい中で親子の会話はあったほうだと思う。

夢の中の父は家庭風呂の3倍位の湯船の中で一緒に入っている私に
向かって『もうそろそろ引退してゆっくりと全国の史跡巡りをしてみたい・・・』と
言いながら大きく手を広げて波立たせるように湯船のお湯を私の方に
送り込んでいた。

何故こんな夢を見たのだろう。
夢を見る理由は完全には解明されていなようだが記憶や感情によるものが
多いとも言われている。
とすると、歴史のクイズを見た後だったからなのかもしれない。

ゆっくりと語り掛けるように、そして長年の夢でも叶えるかのように言った
『史跡巡りをしてみたい・・・』という声は聞き慣れたあの声のようだった。
父は教員生活と同時に市の市史編纂委員などもやっていたが、忙しかったため
史跡を訪ねる機会はそんなに多くはなかったのかもしれない。

父は私が29歳の時に67歳で死亡したがまもなく77歳になる今の私よりも
10年も早く若くして死んだのかと思うとあまりにも若すぎる・・・と思う。

私は不謹慎なくらい神の存在や宗教心も信仰するものもないが史跡や神社、
仏閣の建造物、そして彫刻や仏像、絵画などを見るのは好きである。

信仰心のない私には『父は今頃あの世で・・・』などと思ったことは全くないので
ただ頭に残っている歴史のクイズのことが公私ともに歴史、地理のなどと
取り組んでいた父と結びつき、その記憶と感情が湯船に浸る父の姿を
レム睡眠時に呼び込んだのかもしれない。

夢であっても久しぶりに父に会えてその声を聞いた様な気がしたのはやはり嬉しい。
今、生きていれば115歳、夢に現れた父は写真に残っているあの頃の顔の
ままだった。

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エアメール封筒探しがこんなに難しいとは?・・・

2019-04-16 08:16:13 | 喜怒哀楽をポジティブに
先日、就職のためにメキシコへ行った孫娘とはライン、スカイプなどで
連絡を取っているが、妻は何とかスマホが使える程度でパソコンやラインや
スカイプのシステム等については苦手なので手紙を書きたいと言い、手紙の
準備をしているところへちょうど孫から私のスマホにラインで連絡が入った。

スマホの画面に映る孫の顔と声は元気そのもので、私たちが考えている
諸々の心配は取り越し苦労のようでもあるかのように仕事とメキシコでの
生活を楽しんでいるとのことだった。

私とはしょっちゅうラインでメールのやり取りをしており、その内容を妻に伝えたり、
写真を見せたりしているのだが、妻は妻なりにいろいろと考えたり、孫を思う気持ちを
手紙で伝えたいということで少し前から絵手紙風に・・・と考えていて、スマホを
通して見た短時間で大人っぽくなった孫にすぐ手紙を出す…ということになった。

エアメールの封筒には特別な規定がないらしいが私はわかりやすく・・・という
ことから青と赤のシマシマのエアメール封筒を買いに出かけたのだが・・・
どこにでもあるだろうと自転車で出かけたすぐ近くのコンビニでは扱っていなくて
次のコンビニへ・・・そこにも無く、ベルクという綺麗なスーパーへ行くも文房具は
あったが目当ての封筒はなし。
そしてそのすぐ近くの大きなコンビニなら・・・と期待したがそこもダメ。
なじみ深い青と赤のシマシマの封筒を…というのは諦めて普通の封筒にしようかと
一瞬考えたがここまで来たのならもう少し足を延ばして・・・と100円ショップへ・・・
そこでも期待を裏切られ(?)そしてまたその近くのコンビニでも扱っておらず、
やっとその先のステラタウン内のヨーカドーへ。
その3階の『ロフト』でようやく見つかりやっと購入。

天気が良いとはいうもののシャツ一枚で自転車を飛ばす爺さん(私)にはやはり
少し涼しすぎると感じた午後だった。
こうして元気な爺さん(私)のお陰(?)で妻は無事投函完了、めでたしめでたし。

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