『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

今、一番腹が立つことは・・・

2018-12-20 09:49:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
『いつも、いつでも元気炸裂!』と共に『喜怒哀楽をポジティブに』を謳う私だが
ポジティブになどと言っていられない『怒』が長く続きその怒りは益々増幅している。

言うまでもなく、数の暴力により次々と悪法を通し、この上ない悪行を繰り返し、
暴走し続ける『安倍政権』のことである。

すぐに思い出すだけでも「特定秘密保護法」「安保関連法」「共謀罪」
「国家安全基本法」などがあるが『希代の嘘つき』とか『他に類を見ない悪人』
などという生易しい表現じゃなく、かの悪人「麻原彰晃」と肩を並べる・・
いやそれ以上の極悪人安倍晋三の改憲は改正とは程遠い『憲法改悪』なのだから
絶対に許してはならない。

他に「外国人労働者」の問題「原発」「カジノ」更に未解決の『森友・加計問題』
など看過してはいけない問題が依然として山積している。

裁量労働制度拡大の法案は真っ赤な嘘がばれて取りやめになったが、つじつまが
合わない詭弁を弄し「働き方改革」などと嘯いているがこれも間違いなく
『働き方改悪』で矛盾や根拠のない内容を追及されるとごまかしと逃げに徹する
大嘘つきで卑怯者なのである。

数々の詐欺的発言は「戦争法制」を「平和安全法制」などと言い換えたり
護衛艦「いずも」を攻撃型空母にすることについても「多用途運用護衛艦」として
運用するなどと嘯いている安倍政権が国政を私物化し、この戦争に向かって暴走し
続けるこの暴挙を来年はぜひ国民みんなの力で打倒し真に安全で平和な日本を
取り返したいものである。

国民が理解や納得ができるようなまともな説明が全くできない安倍政権に
日本のかじ取りをさせることは大きな禍根を残すことになるため、絶対に
許してはいけない。

普段は周囲からいつも明るく元気で温厚で、誰とも親しく交流ができる気さくな
おじさんだと思われていると自負している私だがこと安倍政権に関しては常に
牙をむき誰にも遠慮することなく自分の意見を主張し続けていきたい。

私は自民党は好きではないが、昔は議員同士が常にけん制しあったり、お互いの
意見を尊重しながらも激しい議論を交わしたり主張し合ったりでこんな体たらく
ではなかったと思う。

今は政府の方針に疑問や不信感を持っていても正面切って持論を展開することなく
保身と受け止められても反論もできない議員が多すぎると思う。

心ある自民党議員がいるならば・・いやきっといる筈だからぜひ抵抗勢力となって
反戦と平和への旗印を掲げ、国民や野党と共に悪党集団の安倍政権を壊滅させて
いただきたいと思う。

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今年も同じ顔を見せてくれた獅子ゆず(鬼ゆず)

2018-12-19 14:40:22 | 喜怒哀楽をポジティブに


我が家の獅子ゆずは4年前にネットで注文した苗木が首尾よく育ち、昨年見事に
3個の実をつけたが今年は10個の実を結んだ。

中には私の顔以上の大きい物もあり、写真に撮ったりして喜んでいる。

私たち夫婦が獅子ゆず(またの名を鬼ゆず)を初めてて見たのは8年ぐらい
前だっただろうか?
妻の絵手紙の仲間からいただいたものでしばらくは玄関に飾っておき、
その後、ネットで調べたレシピで「ジャム」と「ピール」を作り友人などにも
食してもらった。

ネットなどではこの実は特別美味なものではない・・・というような説明
だったが友人たちの評価は結構良かったのでその後いただく度にジャムとピールを
作ってきた。

そして4年前に面白いから自分たちでも育ててみようということでネットで注文し
九州から送ってもらったのだ。
届いた苗木はボールペンぐらいの太さで高さも60cmぐらいだったが今は
木の幹がノギスで測ると直径32mm(3.2cm)一番高いところは1.8mとなっている。

とは言ってもまだまだ小さい木なので実が大きくなるにつれて幹や枝を補強すべく
それなりに養生を施してきたが枝が折れるのではないかと心配が絶えなかった。
特に連続して関東にも暴風をもたらしたあの台風の時には実がすべて落ちるかも
しれないと諦めもしたが1個も落ちることなく、成長と共に見た目がまさに鬼の形相の
ようなごつごつした顔を昨年同様見せ続けてくれている。

実は次第に黄色味を増してきたので去年と同じ今月の末頃には枝からもぎ取り
友人たちにも喜んでもらえるピールとジャムを作ってみようと考えている。





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巨人ファンの友達と阪神ファンの私の展望。

2018-12-19 08:22:38 | 喜怒哀楽をポジティブに
最近有名人を含む高齢者が相次いで亡くなっていることを寂しく思う人が
多いのではないだろうか。

私は常々家族にはもちろんのこと友人、知人達にも『125歳まで生きる!』と
豪語している。
そして付け加える言葉が『125歳まで生きたいのではなく、125歳まで生きる!』と
言い切ることなのである。

みんな大人なので特に反論するわけでも驚くわけでもなく、『ハイ、ハイ』と
いうような表情で『嶋さんならそうかも・・・』と一応認めてくれている。

私たち友人5人の仲間のうち最年長の一人は昨年78歳で亡くなったが残る4人は
大病もせずもう既に40年以上も家族ぐるみで長く親しく付き合っている。

月に1~3回ほど会う仲の良い仲間だが私ともう一人が最年長(?)の76歳、
そして、74歳と69歳、みんな元気で二人は仕事を、一人は家庭菜園に勤しんでいる。
この4人は健康上多少の不安を抱えていてもみんなすこぶる元気でかなり
長生きしそうである。

みんなスポーツ好きで野球も大好き・・・私を除く3人は昔からの巨人のファン。
私は以前のブログでも声を大にして訴えたつもりの阪神ファンでその歴史は
小学生の頃まで遡る。
大阪の正統派(?)の阪神ファンの域には達していないかもしれないが、
紛れもなく純粋な阪神ファンで試合は勝っても負けてもその思いは揺るがない。

先述の友人3人の巨人びいきもかなり年季が入ったもののようだが最近は3人が
3人共口をそろえて『巨人ファンではあるが監督が嫌いなので憂慮している』という。

何故思い煩うのか・・・それは原監督と高橋監督の采配を含む諸々の態度や仕種や
公での言動にあるようだ。

低迷が続いた高橋監督の退陣で喜んでいた彼らは原監督の再々登場でまた一気に
諦念感が大噴出したようだ。
彼らの諦念感は『物事の道理を悟って迷いを去る』という意味の諦念ではなく、
一般的に多く使われる『諦めの境地に達する』という方である。

私から見ても高橋、原氏ともに選手の起用法や育成方法、戦術に違和感を覚える
ことがありすぎるくらいあると思う。
毎年、他チームのFAとなった選手を根こそぎといってもいいくらいにかき集め、
活かすことなく例年同じことを繰り返しているし、ここ10年近くは王者の風格の
ようなものが全く見えない姑息な作戦で汲汲としているのが情けない。

私が言うこの場合の『姑息』は一般的によく間違えて使われる「卑怯」や「ずるい」
という意味ではなく本来の意味である一時の間に合わせ「一時しのぎ」「その場しのぎ」
という意味で他の球団にもみられるが巨人ではかなり前からあたかも伝統でもあるかの
ように多く見受けられるのがライバルである我が阪神としても嘆かわしいことだと思う。

来年は原監督がどんな作戦を、そしてどんな采配を振るのか・・・
今年も丸、炭谷、岩隈、中島、クリスチャン・ビヤヌエバ等の他、複数の外国人選手を
獲得しているが果たして捲土重来を狙っているのか・・・

我が阪神は走攻守がそろった複数の若手が育ってきているので来年は今まで以上に
生え抜きの選手たちに大きく期待したい。
最近は多くのチームに在りがちなノーアウト1塁、或いは1,2塁になるとすぐに
送りバントで走者を進めるようなけち臭い野球ではなく、続くメンバーが打って打って
打ちまくるようなまさに『ダイナマイト打線』の復活で豪快な野球を見せてほしいと思う。

しつこいようだが我が阪神だけはどんなことがあってもクリーンアップにバントを
させるようなことはしてほしくないし、タイガースの名を名乗る以上はあっては
いけないと思う。

高校野球でもよく『勝つことの喜びを・・・』『勝つための戦術』などと言われるが、
1992年の明徳義塾が星稜高校の松井を5打席連続敬遠した事件は私にとっては許しがたい
ものであった。

高校野球といえども戦う以上は勝利を・・・という声や教育の一環である・・・という
意見もあり、高校野球を指導する監督たちの中にも賛否両論があったことは紛れもない
事実で、『5連続敬遠もあり』とか『やむなし、むしろあり・・・』ということでの
肯定派が半数以上あったように思うが、私たちの世代ではあり得ないし阪神ファンを
名乗る者なら絶対に許すことができないという声が集中すると思う。

その後まことしやかに語られた監督の発言や指示の数々には呆れると共に怒りが込み上げる。
明らかな敬遠と思われないようキャッチャーには座ったままでの捕球を指示したことや
『ピッチャーになぜストライクが入らないのだろうという顔つきで演技しろ』とか
『外野手にはフェンスに背をつけるようなギリギリの位置で守備をしろ』などという
わざとらしく見え透いた指示が本当ならば教育者としては情けないというより
不適格者であると思ったことを今でも忘れないし、その後明徳義塾が出場するたびに
選手には罪がないのに同じ監督である以上は負けを願ったりもするという私自身も
料簡の狭い人間になってしまったことを自分で情けなく思った苦い思い出でもある。

さて、そんなわけで野球となると血が騒いでしまうが来年は由緒正しき『伝統の一戦』が
明るく、爽やかに、さらにダイナミックに繰り広げられることを巨人ファンの仲間と
共に期待することにしよう。






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青空に浮かぶ雲

2018-12-18 10:14:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は気象予報通り朝のうちは雨だったが昼前にはいい天気になり、
午後は車の中もちょっと暑いくらいの陽気になった。

見上げると白い雲も遠くへ押し流されたようにはるか彼方にまばらに
浮かんでいる程度でいつの間にか上空は青空が広がり、私もそうだったが
マンションの住人同士もついつい笑顔で『あったかいですね・・』と
挨拶を交わすような光景が見られた。

青く高く拡がる空は本当に気持ちのいいものだ。https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#
私はそんな青空の中に浮かぶ白い雲を見るのが好きである。

私たちや前後の時代の人たちは良くも悪くも『モーレツ(猛烈)社員』とか
『企業戦士』などと呼ばれる時代にそれぞれがその立場立場で活躍し、
日本の経済成長を支える担い手となってきたという一種の自負心の
ようなものを持っているのではないだろうか。

時代の変化や技術の進歩と共に社会の様子も変わり、『心』や『個』も
重要視されることになったのは本当にいいことだと思う。

いろんな時代を過ごし、通り抜けてきた私たちが今、過去を振り返ると
まさに日々喜怒哀楽を感じながらの人生だったのではないだろうかとも思う。

そのころは自分自身、青く高く広い空をゆっくり感動的に見ることは
あまり多くなかったと思う。
私が大好きな空や次々と変化する雲を本当に楽しみながら眺めることが
できたのは定年退職後の仕事をしてからであった。

途中、兄弟で起業し、僅かではあってもそれなりに躍動していた時期もあったが
人生の大部分を曲がりなりにも『企業戦士』的に生きてきた自分が定年退職後、
車の運転という好きなことを仕事として選び、15年間楽しみながら仕事を続けて
きたことにも大きな価値があったと思う。

日々違う会社への納品や長距離、定期コースなどいろんな仕事で毎月平均
6000km以上を走り15年間で約110万キロ、地球27周以上をも走行したが
60代はもちろん70代後半に入っても疲れや嫌気を感じたことはなかった。

今年の5月に体調の悪い妻のサポートのためということで残ながら現役を
引退し、ゆっくりと過ごしている私だが直近の3年半は月~金曜日は毎日
埼玉~群馬コースの220kmを走行していた。

先ず車の運転が好きだということもあったが、仕事さえ確実にきっちりとやれば
自由な気持ちでいられるし目に映る様々な景色や街の様子を見ることができることが
こよなく楽しかったし、何よりも前述の青空と白い雲を充分見て楽しむことが
できたからだと思う。

何故そんなに嬉しく楽しいのか?・・・
青空は言うまでもなく大きく綺麗で自分の気持ちも明るくおおらかにしてくれるし
白い雲たちはそのいろんな形で私の想像や思いを膨らませてくれるから・・・。

兎の形をしていると思うとそれが瞬く間に亀や魚の形に変わったり、大小様々な
雲が風の強弱により複数の動物や物に変化していく姿が楽しく好きなのである。

運転中はすべてに細心の注意を払うことは当然で、この楽しみを味わうのは納品先での
車の乗降時や家内の作ってくれた弁当を広げた時で、青い空と白い雲が弁当の
旨さを一層引き立ててくれるのである。

小さい雲がくっついて急にハート型になったりすると今年20歳になった可愛い孫に
見せたくなり箸を置きスマホを引き寄せたりもする。

今は外へでればいつでも空を見上げられる環境だが・・・・。
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自分の手を見て・・・

2018-12-07 16:53:52 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日CD、DVD、BDなどを保管してある棚の中から録画の内容や
タイトルなどが不明なものをきちんと調べなおし整理しよう思って取り出し中、
角にちょっと手をひっかけてしまい人差し指の付け根(手の甲側)の皮膚が
ほんの少し剥がれてしまった。

と言っても7ミリぐらいの範囲で血が少し滲む程度で痛みもほとんどなし・・・。
傷用の絆創膏を貼る必要もない程度の傷なので、そのままにしておいたが
そんな小さなものでも何かするたびにその傷の赤さが目に入ってくる。

いつもは無造作に動かしたり使ったりしている手を止めて久しぶりに
ゆっくりと自分の手を見てみた。
加齢と共に増えた皺、私たちやその前後の年代の人たちに多くみられる
幅が広く分厚い手のひら、そして太く短く、関節もごつごつした指・・・

日頃誰もが気が付かなくてもそれぞれ振り返ると自分の手には喜怒哀楽のいろんな
思い出や感傷のようなものがあるのではないだろうか?

この手はいろんなものに触れて知識や経験を積み上げてきた筈だし、遊びにも
スポーツにもそしてどんな仕事にも真っ先に先頭に立つように大活躍をしてきた
はずなのに自分の健康な体には両親の存在を含めて感謝のような気持ちを抱くことが
あっても自分の手に対して『ありがとう』というような気持ちを持つことはなかった。

擦り傷、切り傷、やけど、突き指、捻挫、脱臼、骨折などに耐えて今日ここまで
私を守り育ててきてくれたと思うとじ~んとくる思いである。

ずしんとした重みや衝撃には耐えることができてもふとしたはずみでペーパーに触れて
指や手が切れることがある。

砂粒よりもはるかに細かいものや髪の毛よりも細いものなども敏感に感じるこの指先、
それを当たり前と思わずにまた時々まじまじと見つめながらそして感謝しながら
生き続けていきたいと思う。


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