ここ2、3日は涼しく感じる日が続いていたが、今朝マンションの
エントランスのポストへ新聞を取りに行くとき、通路を渡る風が
冷たく感じ、いよいよ秋が深まるのだなあ・・・と言う実感・・・・
今日はリハビリも、妻千恵子選手の病院行きもないので朝ご飯も
テレビを見ながらゆっくりと済ませ今、パソコンに向かった。
さて、昨日に続くその③の前に・・・
私の最初の就職先(株)Mは私の入社3年後には東証2部に、
5年後には東証1部へと上場し、その後も勢いを増し、我々従業員に
とって給与や福利厚生面でも充分満足し得る会社で時代背景もあったと
思うが20代後半には男性社員の多く(ほとんど)が家を建てることが
できるという恵まれた状況だった。
そんな恵まれた環境の下で各社員が力を養い、それぞれが仕事にも
自信を持ち、どんどん進化するシステムや体制の中で私も在籍年数と
共に少しずつ責任ある立場にあったが勤続20年を間近に控えたころ
ある種の悩みが少しずつ私の頭に蓄積していった。
その頃、私とは違う業界へ進んだ弟も私とは全く別の悩みを持っており、
弟から『兄貴と俺が一緒になれば必ずや成功する筈・・・』
『小さくともやりがいのある仕事をしよう』と持ちかけられ、私の心も
起業へ大きく動き、二人を中心に小さな会社を作り大波の中へ
小さなボートを漕ぎだしたのである。
余談の余談で二人の悩みなどはどうでもいいのだが・・・・
簡単に表すと私は会社の強烈な締め付けとも思える管理体制と
部下や後輩たちへの自分なりの接し方に大きな相違を感じ、
上層部に逆らうと私へではなく、下位の人たちに報復手段的な対応が
されることに大きな疑問を持っていた。
多くの成長企業にも数多く見られた現在のパワハラ的なものとも
言えるかもしれない。
私は会社組織には不適格かもしれないが最近流行りの言葉で言うと
一切『忖度』はせず会社の原動力だと思っている第一線の人たちの
ことを優先するという立場をとり、職場のムード、コミュニケーションを
第一とし、仕事内容や結果においても上層部には文句を言わせない
よう努めていた。
一方、弟は大学卒業後、営業の世界に入り、2度3度と転職を
重ねたが、それは自分が常にトップセールスになることによって古い
体質の会社を変えていこうという意識、意欲を持ってのこと。
ところが、転職先すべての会社で営業成績、成果のトップになっても
目指す改善や改革が叶わず、加えて報酬も自分の成績に見合うものでは
ない・・という不満を持っていたのだ。
そして私はある支店への異動をきっかけに自分の気持ちが
退職→起業へと向かっていることを強く感じた。
さていよいよその③へ・・・・・
そして無二の親友Tさんにもそのことを打ち明けるとTさんからは
『おまえがそう思うのならそれが正しいと自分を信じてそうすればいい・・・誰よりもおまえのことを知っている俺は賛成だ・・・』という力強い
後押しともとれる答えをもらっていよいよ決断へ・・・。
異動先の支店長との出会いは2度目でその支店長は以前から私の
仕事ぶりや言動を認めてくれていたので少し後ろめたいような
心苦しさはあったが1年後退職を決意し、支店長に申し出た。
支店長の言葉には激しく叱責したり説教がましいものはなく、理由を
根ほり葉ほり聞くわけでもなく、強く引き留めたりすることもなく
私の意を汲むように頷き、少し厳しい表情だったが笑って握手してくれた。
そしてただ一言、『家族に対する責任感を強く持つように・・・』という
アドバイスに加え、これから立ち向かうであろう数えきれないほどの
「苦難」「困難」に立ち向かうための決意を促すということだったのか
再び厳しい表情で私にとっては思いもよらぬ言葉を・・・
それは・・・『これからの人生は口髭を蓄えて挑戦しなさい・・・』という
言葉を付け加えて私を見つめていた。
髭の意味は・・・?
そのころ髭を生やしているのは特殊な職業や人物であり、一般社会人
にはほとんど見受けられず現在のようにファッション感覚で髭を蓄えて
いる人も少なかったし、ましてやこれからの人生の面接。面談、商談や
面接などには不適格と思われていたので私はその支店長の言葉に
『えっ?』と思った。
(この意味は誰にも言わぬと自分自身心に決めて現在も封印中)
更に『私との約束を完全に果たすまではどんなことがあっても髭を
剃ることまかりならぬ』・・・と。
その後、度々この髭が原因で、面接、面談、転職、商談などが
成立しないケースが多すぎるくらいあったが、あの時すぐに
理解できなかった支店長の言葉の『髭』の深い意味を探りながら
『不成立の原因は髭だけではない・・・自分が至らないからだ』と自覚し、
めげることなくその先を目指し、むしろ励みとして挑戦意欲を
燃やしてきたと自負している。
その支店長が亡くなってからもう10数年も経っている。
子供たちも成長、そしてそれぞれが社会人となったこともあり、
支店長との詳細な約束はほぼ達成しているが約束の内容は未だに
家族にも語らず、今後も公表するつもりはない・・・一生封印するつもりだ。
何かの拍子に私の髭やこの約束のことが話題になると次のようなことを
言う人も少なくない。
『約束を守り、達成してきたのならば既になくなった人との約束よりも
現実重視でその約束はもうそろそろ反故にしてというか終わりにしても
いいんじゃないのか?・・・』と。
勿論、仲良しグループの『爺さんカルテット』の4人もそうだが・・・
しかし私はそのたった一つの約束があったからこそ今、自分や家族が
裕福じゃなくとも普通に暮らしていられるのだと思うとあの支店長の
言葉を思い起こし、今後も生きる糧として日々感謝と共に、命果てるまで
守り続けていかずにはいられないのだ。
それにも増して私を決断させてくれたTさんには感謝し続けてきた。
このシリーズ②の記事内のとおり、私の脱サラ後間もなく、将来を
嘱望されていた彼も安定企業の管理職をあっさりと捨て、小さな会社を
作ったが判断力、実力に加え、社交面でも優れた才能を持っていた彼の
仕事は順調に推移していった。
いずれは父の仕事を継ごうと考えていた彼の息子「龍一郎」は
建築士の資格を取り、側面から補佐しようと他の会社で経験を
積み重ねていたが小さくとも充実した仕事を・・・と考えていた
親子の夢が叶う前に彼は逝ってしまったのだ。
こうしてこの世に二人とない大切な知己を僅か42年間で失ったが
125歳まで生きる私は残された47年間も四季折々、ことあるごとに
彼を思い出し懐かしむ日々が続くことは間違いない。
そして私は決して言わない・・・
『Tさん、もう少し待っててください、私もやがてそちらへ行きますから』
などとは・・・・。