『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

紅い椿の最後の一輪に思う・・・

2021-03-31 10:44:26 | 喜怒哀楽をポジティブに
我が家の紅い椿の最後の一輪が明るい陽射しをその花びらに受けて
真っ赤にそして鮮やかに顔を染めている。
先日咲いたのが最後の一輪だと思い、夫婦で『今年は本当に
多かったね・・一体何百個咲いたのだろう・・』などと話していたの
だが再び思わぬプレゼントが・・・



もしや葉の奥の方にまだ蕾があるかもしれない・・と思い、
探し続けるが蕾はなく、既に小さな実があちこちに・・・
あらためて最後の一輪と向き合うと咲き誇っていた頃のもの
よりもかなり小さく、その姿は親から少し離れ、不安を持ちながらも
いろんな事に関心を持ち学校生活を楽しみたい・・・というような
希望に満ちた笑顔と紅い頬の小学一年生を連想させる。
  

こんな可愛い笑顔を見せてくれた最後の一輪に『ありがとう』の
気持を込めてシャッターを押した。
このまま(自然に)にしておくのもいいが「ぽとっ」と地面に落ちて
しまうのは可愛そうなのでしばらくの間は明るい外の空気をいっぱい
吸わせた後、枝を切り家の中で対面を続けることにしよう。

これが最後の一輪か・・と考えると・・ふと、子供の頃に読んだ
(教科書にも載っていたと思うが)『最後の一葉』を思い出した。
この椿に対するイメージとは全く違うものだが『最後の・・・』
という言葉が頭の中を駆け巡り『最後の一葉』に結びついたのかも
しれない。

あの物語を読んで子供心に命の儚さやそれ故に最も大切に
しなければならないことが頭にも胸にも刻み込まれたのだと思う。
画家を目指すあの二人の少女と年老いた画家、それぞれの
心境の変化や自己犠牲のような悲しくも美しい姿・・・

もう一度・・・今度は原作を読んでみたいと思った。

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『すわっ、一大事!』と思いきや・・・結果は『珍事件・・』

2021-03-28 15:13:17 | 喜怒哀楽をポジティブに
事件は昨日の昼前・・・
妻の絵手紙教室の3人の生徒さんから連絡があり、そちらの
近くへ行く用事があるので先日久しぶりに再開された教室の
内容に関してお聞きしたいことがある・・・ということで我が
家から100メートルぐらいのスーパー(ヤオコー)前で待
ち合わせることにしたようだった。

妻が出かけて40分以上経った頃、「ピン、ポーン」と我が家の
インターホンが鳴り、応答するとその3人の映像が・・・

すぐにでて話を聞くとヤオコーの前や駐車場、店内もくまなく
探したがどうしても妻の姿が見つからない・・・という。
その3人は外出中の妻に電話するよりも自宅を尋ねれば何かが
分かるだろう・・ということでの訪問だったのだ。

ここで私は咄嗟に・・
『すわっ、一大事!』『よもやの徘徊の始まり?・』と思った。

勿論帰宅もしていないし、彼女達にも私にも連絡も入っていない。
それもそのはず・・妻はスマホを持って出なかったのだ。
これには「訳」が・・・

実は、いろんな事情で前日にスマホの機種変更をしたばかり・・・
元々機械音痴のうえITが苦手な妻は朝から私にスマホの「特訓」を
受けていたが、変更したばかりのスマホではまだ電話の送受信
すら戸惑っていた状態だったのですぐ目の前のスーパーだと
いうこともあり、持たずに出かけたのだ。

その3人はもう一度探してみます・・・と再びヤオコーへ向かい、
私も探す準備に・・
しばらくすると妻のスマホに電話が・・・
それはその3人のうちの一人からだった。
いくら探しても見つからないので取りあえず3人が帰宅する
方向へ向かいますとのこと。

私はすぐに駐車場へと向かう・・・車に乗り込んだ直後に私の
スマホに何も知らない娘から電話があり私は『お母さんが行方不明に
なりこれから探すところなのだ』と、状況を説明・・・
娘は『私もすぐに探しに出る・・』と心配な様子だった。

私はまずヤオコーへ・・・
店内にはいないことを確認後、店員さんに『おばあちゃんが店内で
倒れて救急車の依頼などはなかったか・・・』と聞こうとしたのだが、
しばし待て・・救急車の出動があれば当然我が家にもサイレンの
音は聞こえるはずだと思い、再び周辺を探すことにした。

すこし範囲を広げ探すも見つからず一旦家へ帰ってみようと考え
自宅に向かう・・・
自宅マンションの角のところでパトカーとすれ違い、少し
ドキドキしながら『やっぱり!徘徊途中を助けられ送り届けて
もらったのか・・・』と安心と共に不安も頭をよぎった。

駐車場に車を入れ、自宅に戻ろうとしたときに入り口付近で
妻を発見(?)。
『やはり、勘が的中!パトカーのお世話になったのだな』と
変な確信を・・・(私も少し動揺していたのかもしれない)

妻にはまったく異常も変化も見られず、どうしたのかと尋ねると
妻は約束した場所で彼女達と会えなかったという。

私が彼女たちのことを話すと驚いたように『ヤオコー前だったの?』
と奇妙な質問・・・
私は妻が出かける前に妻が『これからヤオコー前で会うことに
なってるから行ってきます』と言ったことを確認するとさらに
驚いたように『ヨノフード』前だと思ってそこで待ってたのだという。

自分でヤオコー前と言いながらそれを忘れてヨノフード前とは
なんたること・・と思ったが責めるよりも先ず無事だったことに
安心し、部屋に戻りゆっくりと事件(?)の真相を確かめた。

結果、妻の勘違いで3人の中の一人と以前に待ち合わせた
ヨノフードへ躊躇いもなく向かったのだという。
妻はいつも自己紹介的に使う言葉の『せっかち・はやとちり・
思い込み』の特徴(?)をいかんなく発揮したのだった。

その後、自分の思い違いで起きた珍事件のお詫びを・・と彼女達
3人に電話をかけるが彼女達は昼食中だったのか連絡がつかず、
何度も何度も電話をし、ようやく繋がった時には心身の疲れ(?)
で疲労困憊気味だったことは言うまでもないが・・・

こうして『千恵子選手徘徊物語』は一件落着したのだが
後々までの語り草となるような我が家のとんだ『珍事件』であった。

ただ、今後も『せっかち・はやとちり・思い込み』の特徴(?)が
再び珍事件を引き起こすかもしれないので要注意!・・と二人で
半分は面白おかしく、半分はちょっと心配・・と笑いながら話し合った。





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選抜高校野球大会の開幕以来、何となく落ち着かない。

2021-03-26 10:12:39 | 喜怒哀楽をポジティブに
毎日、それほどきちっとしたものではないが私なりの
ルーティーンのようなものがあり、そして基本的には・・
というほどでもないがまあまあそれに則って生活している
つもりなのだが、どうしてもテレビの野球観戦が主体と
なるような日々が続いている。

それに加え、今日はプロ野球の開幕・・・
これからは当然のように『野球漬け』の毎日が予想される。

日々のルーティーンといっても心身共に健康な生活を目指す
ようなものばかりでさほど重要なものはなく、仕事をして
いない身なので変更(?)や停止はいつでもできるし
今こそ高齢者の特権とも言うべきこの自由(?)の時間を思い
どおりに使ってみたいと思う。

そこで・・・
やはり大好きな野球(今は観戦のみだが)中心の生活は
コロナ禍の下では好都合でもあると思う。

高校野球はこのあと試合のない日もあるが順調にいけば
決勝戦が4月1日に行われる予定なのでまだまだ白熱した
試合を見ることができるので楽しみである。

プロ野球も開幕直後は例年どおりしばらくは「打高投低」が
続くかもしれないが投手陣も暖かさと共に調子を上げてくる
ことは当然予想されるので乱打戦あり、投手戦ありで
私達野球ファンにはたまらない時期でもあるのだ。

高校野球の今日の予定は
  • 鳥取城北(鳥取)vs 東海大相模(神奈川)
  • 具志川商(沖縄)vs 福岡大大濠(福岡)
  • 明豊(大分)vs 市和歌山(和歌山)
どの試合もテレビ観戦した私が僭越ながら両チームの
エピソードなどを含め両チームの戦力や試合運び、注目の選手なども
取り上げて解説したいくらいである。
現在7回の表を終了し東海大相模が1点リード・・・
投手戦の様相を呈しているこの試合をこのあとしっかりと
観ることにしよう。
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コロナ禍の中でも私達を癒やしてくれる球児たちの数々の感動のシーン

2021-03-24 11:06:39 | 喜怒哀楽をポジティブに
長く続くコロナ禍の中で、緊急事態宣言解除に伴う
「5本柱」と銘打った相変わらず実効性のない政府の対策にも、
国民の自制心や心の緩みにも「もどかしさ」や「苛立ち」「唖然」
「呆れ」「残念」「苦々しい」「情けない」「うかつ」「うんざり」
などという言葉と共にさらに「見苦しい」「不愉快」「不満」
「憤り」「憤慨」などの強い怒りの言葉が頭をよぎる。

その後も感染者が減るどころかまた増加傾向にあるので
リバウンドと言われる状況や第4波の到来は免れないのでは
ないだろうか。
そんなすっきりとしない毎日の中で19日に開幕した選抜高校野球大会が
もたらすいい効果が私だけではなく多くの国民の気分転換や意欲に
結びついていると思う。

連日の熱戦、高校生らしい溌剌、キビキビとした動き、潔さ、
最後まで頑張ろうとする意欲やピンチ、チャンスでの勇気、
どれをとってもいろんな疲労が蓄積している国民にとっては
胸を打たれる感動のシーンが盛りだくさんの『清涼剤』であり
『栄養剤』でもあると思う。

高校野球を含む野球ファンとしては連日の好ゲーム、緊張する
場面、勝敗の決め手となった一球、一打・・・どれもここで
紹介して再現してほしい位なのだが・・・
今年もまた忘れることのないシーンとしていつまでも心に
残ることだろう。
そして明後日26日にはプロ野球も「セ・リーグ」「パ・リーグ」
の同時開幕でさらに盛り上がるだろう。
私達野球ファンのみならず春の恒例行事(?)が予定どおり
行われ、それによって関連する業種や仕事にも相乗効果が
表れ少しずつでも活気が戻れば・・・とも思う。


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球春、更に熱く・・・

2021-03-22 10:02:20 | 喜怒哀楽をポジティブに
球春到来の声と同時にプロ野球のオープン戦も次第に盛り
上がり、昨日で終了したが今年は予定どおり今週金曜日
(26日)に開幕が決定したので私達野球ファンとしては
嬉しい限りである。

我が阪神はドラフト1位の新人佐藤輝明の期待通りの活躍も
あって絶好調!・・・
一昨日までは絶対的王者「福岡ソフトバンクホークス」と
同率で他チームを圧倒的に上回る12球団トップの成績・・・
そしてオープン戦最終ゲームの昨日・・はついにオープン戦
首位に躍り出た。
この勢いのままスタートから快調に走り続けて欲しいと思う。
ここで・・・
今年のオープン戦、12球団の珍現象(?)の一つを紹介・・・
既に野球ファンはご存じだと思うが前述の通り「阪神タイガース」
が1位で2位のソフトバンクホークスから7位までがすべて
パリーグの球団・・そして8位から最下位の12位までは
すべてセリーグ球団が揃うという珍しい結果になったのだ。

球春といえば19日から始まった第93回選抜高校野球も
私達野球ファンにとっては選手たちの溌剌とした動き、
真剣なプレーが大きな魅力であり毎試合、毎試合いろんな
感動を呼ぶもの・・・今日からの試合も選手たちの爽やかで
力感溢れるプレーを期待したい。

昨日は大勢の高校野球ファンが注目していた『福岡大大壕高校』
と『大崎高校=長崎』の試合を含む3試合が雨のため中止と
なり、今日に順延となったが・・・

上記2チームの他に九州勢「明豊=大分」や「具志川商=沖縄」
の試合が予定されていたので日曜日にゆっくりと観られると
思っていた九州のファンには残念な中止となったことだろう。
前日「宮崎商」が強豪校の天理高校に負けただけに九州勢の
活躍に期待をしていたと思う。
『福岡大大壕高校』対『大崎高校=長崎』に野球ファンの
注目が集まったというのは昨年の秋の九州大会決勝で両校が
戦った際、その前の試合の準決勝戦で「明豊」を延長12回、
サヨナラで破った大崎高校が勢いに乗って決勝では大濠高校を
5対1で下したという白熱のゲーム展開があったからなのだ。

大崎高校としては昨年に続きライバルと素晴らしい戦いの末
再び勝利したいと燃えているだろう。
日頃から何かと協力して応援してくれる西海市の離島大島町の
島民の大きな声援に応えるためにもかつて「島」の代表として
優勝した兵庫県の洲本高校のように優勝を目指し是非とも初戦を
突破したいところだろう。

福岡大大濠高校としても昨年準決勝で宮崎商に完封勝ちしたが、
今大会で前日に天理高校に敗れた宮崎商のファンのためにも
この九州勢同士の試合を本当に誇らしいいい形でその意気を
示したいところなのでは・・・

今日は天候も回復し、選手たちも一段と気合いが入ることだろう。
今日、私はそれぞれの学校や選手たちの想いを考えながら
今年もこれからの試合を充分楽しみたいと思う。
関東勢の活躍も期待しながら・・・

もう既に第一試合の「具志川商(沖縄)」と「八戸西(青森)」の
試合が始まっている。
4回を終了して具志川商が5対0とリード・・初出場の両校だが
固くならずいい緊張感をもって試合を進めて欲しい。
私も野球に専念しよう
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ついにまたその時がやってきた・・・

2021-03-19 11:39:03 | 喜怒哀楽をポジティブに
一昨年、短大卒業と同時にメキシコの観光会社に就職した
孫娘がコロナ感染拡大の影響により昨年7月に帰国していたが
今日再びメキシコへ向かった。

孫が勤めていた観光会社はやはりコロナによる影響が大きく
規模縮小を余儀なくされ、孫たちは解雇ではなかったが、
給与の停止中で日本の支社への転勤なども叶わず、メキシコでの
コロナの感染拡大の問題もありしばらくは状況を見る・・・という
状態が続いていた・・・

この間、孫娘は家の近くでしばらくアルバイトをしていたが、
途中から少しでも将来目指す仕事にも関連することがいい・・
ということでアルバイト先を池袋の会社に変えてオフィスに
勤めながら自分の最大の武器でもある『スペイン語』を使う外国での
就職先を探していたのだ。

前勤務先(メキシコの観光会社)への復帰はほぼ絶望的と
なり、昨年の11月頃から始まった旅行会社H.I.Sメキシコ支店への
勤務の話が今年になって具体化し、正式に決まったもの。

父親(私の息子)が9年間メキシコで働き、メキシコ人と結婚し、
帰国後の息子たちは日本語とスペイン語の両方を使う生活の中で
生まれた子供(私の孫)も両国の言葉を使う生活をしてきたことが
効を奏し、前回も今回も本人が希望する海外勤務となったことを
本人が一番喜んでいるのは言うまでもない。

私達は孫の気持とは別にせっかく日本に帰ってきたのだから
このまま日本にいてくれれば・・と願う気持もあったが
やはり本人のことを考えると・・と複雑な気持で・・・
『ついにその時がやってきたか・・』と秘かに思うだけ・・・。

これからのメキシコでの生活は祖母の家が近く、家主との関係も
良好な前回のシェアハウスに住むことになり、昨年の帰国時に
『いずれまた戻るから・・』と家賃もかなり先の分まで先払いして
あり、生活用品などもそのままになっているので入国後すぐに
入れる状態で問題なし・・・
取りあえずは祖母のところで初日を過ごすかもしれないが・・・

いま、このコロナ禍ではメキシコへの直行便の数も制限されて
いるようで1時間ほど前(10時頃)に家を出たが今夕の成田発で
出国する・・・
一昨日、本人の免許更新の際に同行し、久しぶりに色々と話したが
今日の出国について私が成田まで車で送ると言うと今は空港内の人が
少ないとしてもやはり『じじがコロナに感染するといけないから・・』と
頑なに断り、父親にも電車で上野までにしてもらったという。

一昨日、昨日と我が家で私の妻との話も済ませたので今日は
私一人で近くの駅まで送ることにした。
そこからは予定どおり父親と上野まで電車で・・そして
スカイライナーで成田へ・・・
最寄りの駅で孫を降ろし、『健康第一、元気で楽しく・・』と
伝えると孫は『じじっ、じじもだよ・・』と飛びついてきて
力強いハグを・・・

小さい頃から孫とは何度も何度もハグをしてきたが今日の
ハグは何か特別じ~んとして胸が詰まりそうになった・・・
孫が小さい頃の二人の間は孫の『やっぱりじじしかいないよ・・』
と言う台詞と私の『瑛舞(エマ)が言えば黒も白・・・』だったことが
一気に大きく聞こえてきたような気がした。

どうか無事に到着を・・そして向こうでもしっかりと身を守る
コロナ対策を徹底して続けて行って欲しいと願う。


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今日もまた『ブログをやって良かった・・』の思い・・・

2021-03-17 08:23:13 | 喜怒哀楽をポジティブに
今まで何度も何度も『ブログをやって良かった』という内容の記事を
投稿してきたが、多くの人達の記事から教えられるもの、学ぶものの
多いことに今更ながら驚くくらいである。

頻繁にコメントを交換し合うことのできるブログ友たちからは
更にお互いを理解し、尊重できるものも日を追う毎に多くなり、
人それぞれの人生の生き方考え方や楽しみ方、そして他者との
繋がりを大切に思い、認め合って自分でもできる範囲内で実践
したり・・・ということができることが嬉しく楽しい。

また自分でも視野を広げるつもりでいろんな方のブログを訪れ
それによって考え方や見方の違いなどいろんなことに気づき、
単なる賛成や反対意見としてだけではなく、自分でどう感じて
参考にしたり自分の生き方、信念としては受け入れがたいもので
あると判断するか・・など考えさせられることも多い。

ただ、自分の考え方や生き方とそりが合わないからと言って
その意見、考え方などを無視したり強固に否定したりすることは
避けるだけではなく大きな意味ではそれを認めるだけのおおらかで
広い気持を持てるよう自分を省みながら考え続けていきたいと思う。
(たとえ考えが大きく違い、自分が否定されようとも・・・)

時々、突然、訪問してくださる方から「いいね」をいただくことが
あるがどなたのからの経由、由来かわからなくても感謝を兼ねて
できる限りその方の記事を拝見することにしている。
そこからまた新しい発見があることも多いと思う。
(経由がわかれば尚更のこと・・)

またかつてのブログ友に代わってご家族が頻繁に訪問してくださる
こともあるが残念ながらお礼の気持を伝えることもできない状態が
続き、現在に至っている・・・
連絡が取れれば・・と思ってもその術も無くただ訪問いただいている
ことを感謝し、過去のブログに遡りいろんなことを学ぶしかない状況が
残念・・・
次回訪問してくださるときに何らかの変化があれば・・と期待したい。

いずれにしろ私の拙い記事に訪問してくださるすべての方々から
学ばせていただくことがこんなに多いのか・・と思うだけでも
連日心が弾むように楽しく嬉しくなるのである。

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春本番近し・・・の様子

2021-03-16 09:27:50 | 喜怒哀楽をポジティブに
春の息吹が一段と・・と感じるようになった先週から今日、明日にも・・
と期待され「福岡」「広島」「高知」「東京」のどこでいち早く桜の
開花宣言(発表)がされるか話題になり注目されていたが・・・
先日の広島、さらに福岡に続き、一昨日、東京都の「開花発表」が
あった。
そして東京タワーではピンクと白で鮮やかな桜をイメージさせる
一日限りのライトアップ「桜開花宣言ダイヤモンドヴェール」が
24時まで行われたようだ。

またJR九州では九州新幹線の全線開通10周年を記念した
『流れ星新幹線』を特別運行し、光と花火を併せた華やかな演出で
コロナ禍の九州に希望の光を届けようとしたことは遠く離れた私達が
映像で見ても感動を呼ぶ良い企画だったと思うが、カラフルで綺麗な
光線と花火を現地で直接見た人達の心には大きな希望やコロナ禍に
負けない強い意識が高まったのではないかと思う。

東京の開花発表の日に併せたように埼玉にも強風が吹き荒れた(?)が、
昨日は朝から風も穏やかになり、太陽の光も降り注ぎ
ガラス越しでも暖かく、庭に出ると更に顔が少し火照る位の暖かさ
でいよいよ春本番か・・・を思わせるようだった。

今朝の埼玉は曇り空だがこれからだんだん気温も上がり、太陽は
見られなくても更に春を感じるような一日になるかもしれない。
西日本は雨のようだが明日からはまた全国的に青空が見られそうだ。

飲めや歌えの大騒ぎ・・と陽気に騒ぐだけではなく静かな花見さえ
できなくても日本全国でコロナに負けない心豊かで本格的な春を
迎えたいと思う。


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[いのちをつなぐ未来館]の若き語り部たちの思いを・・・

2021-03-14 08:58:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
連日『東日本大震災』について新聞テレビ等で報道されているが
昨日岩手県釜石市の震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で若き
語り部として働く川崎杏樹(あき)さん(24)のことが「テレビ朝日」で
紹介されていた。
また同じように「BS日テレ」でも11日に同施設で働く菊池のどかさん(25)
の様子が紹介されている。

私はテレビを見た後、このことについてネットのいろんな情報を見たが
『釜石の奇跡』として評され全国に広く知れ渡ったこの避難のことを
彼女達は「奇跡と言われるのには違和感や抵抗感もあった」と語っている。

川崎さんは「防災教育のおかげ」と話し、だからこそ自分たちが伝えて
いかなければならないと思い、語り部になったのだという。
彼女達の災害に対する思いがひしひしと伝わってくるようで
周りには犠牲となった人も多く、地元では「釜石の奇跡」というより
「釜石での出来事」と伝えられているようだ。

私達もいつ何処で起こるかわからない災害への対策を普段から
考え、準備しておかなければならないことを再認識させられる。

以下はネットの記事から転記したもの。

03/13(土)
(テレビ朝日[週刊ニュースリーダー])
東日本大震災の記憶と教訓どう語り継ぐ?・“釜石の奇跡”体験の語り部・
川崎杏樹
東日本大震災から10年。
災害の記憶や教訓をどう語り継いでいけばいいのか。
10年前、東日本大震災の時は中学2年だった震災語り部・川崎杏樹は、
今はない母校の写真を見せながらパソコンの向こう側にいる大阪の
小学生たちにあの日のことを語りかける。
当時、川崎ら生徒たちは坂道を駆け上がり海抜44m地点へ避難。
地面に座り込み時が過ぎるのを待った。
中学校があった地区は津波で壊滅。
川崎たち570人ほどの生徒たちは難を逃れ無事だったことから当時は
「釜石の奇跡」と呼ばれた。
しかし中学校のあった岩手・釜石市では994人が死亡、152人が
現在も行方不明。
自らの体験を語り継ぐことでこれから先、津波での被害を少しでも
減らせたらと女性たちはかつて中学校のあった地区に新しくできた岩手・
釜石市の防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」で語り部として勤務。
川崎は中学時代、ここで受けた防災教育のおかげで自らの命が助かった
と語る。
写真:高村幸男、釜石市、菊池信平。

関連記事
03/13(土)
(テレビ朝日[週刊ニュースリーダー])
東日本大震災の記憶と教訓どう語り継ぐ?・“釜石の奇跡”体験の語り部・
川崎杏樹
岩手・釜石市の防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」語り部・
川崎杏樹を取材。
当時の授業では地上の津波の速さを体感するために先生が車に乗って
生徒たちを追いかけたり、地元のハザードマップを作り炊き出しや
応急処置を実際に体験。
楽しみながら学んだことにより救われた命。
川崎は県外の大学を卒業後地元で念願の語り部となったが再び困難が。
新型コロナウイルスの影響で施設を訪れる人が3割ほどに激減。
現在はオンラインで語り部を行っている。
川崎は「自らの体験を語り継ぐことで未来の命を救いたい」と
これからも語り部として頑張っていくという。
帰還困難区域、農家、高齢者問題、水産業者、TOKIO、復興、西日本、
陸前高田市、三陸、津波について言及。
菊地幸夫弁護士のスタジオコメント。

2021/03/11
BS日テレ 【深層NEWS】
若き“津波語り部”の葛藤と思い
東日本大震災から10年。
中学3年生のときに釜石市で被災した菊池のどかは、2019年から
津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で語り部ガイドとして全国の
人々に津波の記憶と教訓を伝えている。
菊地のどかは「すごく大きかった10年だった。話せなかった時期もあった。目の前の人の命を助ける気持ちでお話している。死にたくないと思って
山まで走ったのを覚えている。奇跡と呼ばれること自体には複雑な
気持ちが正直ずっとあった。みんなのおかげだったと思う。子供たちに
助かってほしいという気持ちをすごく持っている」と述べた。
コロナウイルス、津波サミットに言及。
映像提供:釜石市釜石東中学校。
読売新聞編集委員・飯塚恵子のコメント。

この2名の方以外にも震災当時は小学生だった人達があの自分たちが
経験したことを活かして今後も長く伝えていかなければならない・・
という気持から東北各地で語り部として活動している様子が
今朝も伝えられていた。
東北から離れた群馬県伊勢崎市の東京福祉大学で学んでいる一人も
今後とも語り部としての活動を誓っている姿も私には眩しく映った。

各世代の語り部たちもいらっしゃるがこの若き語り部たちの熱意に
溢れる活動に今後も目を向け、できる範囲内で私達も協力し、後々までも
語り繋いでいかなければいけないと思う。






 


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すぐ近くの高齢者用住宅に目を向けると・・・

2021-03-13 09:22:50 | 喜怒哀楽をポジティブに
私の住むマンションは今年で築23年になる。
このマンションが建つ少し前から近くに大きなマンションが2棟ほど
あったようだが20年ほど前から続々とマンションが林立し、いずれも
昔からの住宅街に隣接しているが近くには少しだがまだ畑なども
残っており、静かな環境はそのまま維持されているように見える。
 
マンションの庭側の道路の向こう側は昔から(所有者の先祖代々)
ずっと250X100メートルぐらいの幅も奥行きもある大きな梅林
だったのだが5~6年(6~7年?)前から高齢者用の住宅が建てられ
この時季に梅の花と香りを楽しむことができなくなったが、暖かい日には
入り口近くで入居者のひなたぼっこをする姿を時々みかけるようになり、
何故か「ほっこり」するのである。
今日は生憎の天気で微笑ましいひなたぼっこの姿は見られそうにないが
明日の日曜日は天気が回復して暖かくなるようだ。
また優しい笑顔が見られると思う。

マンションのすぐ向かい側は広い駐車場を併設した近代的な2階建ての
『サービス付き高齢者向け住宅(自立型)』が2棟・・・いずれも
かなり大きい。
少し離れて、これまた大きい3階建の『特別養護老人ホーム』・・・
これは一段と綺麗でおしゃれな感じのする外観であり、入居者の心も
落ち着きゆったりするのではないかと想像できる。

サービス付き高齢者向け住宅のほうには日中、介護士らしき姿の人達の
出入りやデイサービスなどの送迎車も頻繁にみられ、すこし大きい声で
楽しそうに話したり笑ったりする声も響き活気ある様相を呈しているが、
夕刻を過ぎると寂しいくらいひっそりとしている。

コロナウィルスの問題が出る以前は入居者の家族や親戚、友人らしき
人達の訪問する姿も多く見られたが最近はお互いに気をつけているのか
面会などに制限があるのかその姿も見かけなくなった。

お元気な高齢者が多いようでも時々救急車の姿も見かけるので
そんな時は私も何となく緊張気味に・・・
その救急車の出動は夜間に多く冬の寒い時期には特に多いような気がする

遠くからだんだん近づいてくるピーポーピーポの音が大きくなったと
思ったらサイレンが止み、窓の向こう側の道路上に赤色灯の光が
見えるので『また具合の悪い人が?』と思うと同時に
『たいしたことなくどうか無事であって欲しい』と願う気持になる。




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あれから10年・・・

2021-03-11 16:50:19 | 喜怒哀楽をポジティブに
死者、行方不明者、そして震災の関連死を含めると2万2千人以上もの、
犠牲者が出たあの『東日本大震災』発生から10年になる。
最近は連日震災に関する報道がされていたが、避難生活を送る人は
今もなお4万人を超えるという。

被災地のインフラ整備は進んでいるというが帰還困難区域の大部分では
いぜんとして解除の見通しも立っていないようだ。

災害公営住宅や三陸沿岸の「復興道路」の整備はすすんでいるとは
いうものの本当の「復興」にはまだまだほど遠い状況のようだ。

そんな中でも将来の為に懸命に前を向いて進んでいる人達の姿が
報道されると胸が熱くなる。
あの時に生まれた子供(3月生まれ)は今年小学5年生になり、
10歳だった子供は20歳になることを思うと時の流れと遅々として
進まぬ復興に被災地のかたがたの心境も複雑であろう。

既に力強く足を踏ん張って進んでいる人・・・月日の経過と共に徐々に
気持が上向きになりつつある人・・・いまだにふとした瞬間にあの日の
心理状態に戻りそうになる人・・・すっかり気力を失ったような人・・・
私達にはわかっているつもりでもまだまだわからないことがたくさん
あると思う。

日本中が驚き、次々とテレビに映る恐怖の状況に怯え、しばらくの間は
国民の間に緊張感も高まり、防災意識も高まって来つつあったが今は
その感覚も少しずつ薄れそうになっているのではないだろうか・・・

機会ある毎に口では『決して忘れることなく教訓に・・・』と簡単に
言えるが・・・
実は私も被災者の苦労の1%もわかっていないのかもしれない。

我々夫婦も今もなお苦しい現実の中で懸命に戦っている人達のことを
思いながらあの日のことを振り返ってみた。

アップの写真は30年以上も続く妻千恵子の2冊目の10年日記の表紙と
2011年3月11日の中からの抜粋・・・

私はその時(14時45分頃)、午後の「時間指定」の荷物を都内
北区浮間町の物流倉庫に下ろし、フォークリフトを返却しようと
している時だった。
多少足下もふらついたような感じがして『あろう筈もない目眩かな?』と
一瞬思ったが、順番を待つ他のトラックのドライバーたちの少し慌てた
ような様子と大きな声で地震だとわかったのだが・・・ 

当日の納品はそこで終わりだったので急いで帰宅・・・
家の中の被害などはなかったが、その頃飼っていたタナゴやクチボソ
(モツゴ)の水槽の水がかなり外に溢れ出てリビングの床が水浸しに・・・

家族の様子はどうかと電話をするが都内の美術館へ行った妻との電話が
繋がらず、やはり休日で都内へ出かけていた娘とも連絡がつかない状態。

その二人はあらかじめ用事が済んだ後の待ち合わせ場所を決めていたので
同じ場所で食事をしていたようだがその時に発生し、驚いて私に再三再四
連絡を取るもやはり繋がらず双方で困惑状態。

そのうちもう一つの仕事用の携帯電話が時々だが繋がってようやく、
安否の確認と帰宅についての対策を・・・
都内では電車にもバスにもタクシーにも乗れないとのことなので
車で迎えに行くことにしたが埼玉県も道路の混雑が激しく、都内へも
通常の何倍もかかりそうだったので取りあえず上野駅を目指して
歩くように指示して私は車で都内へ向かった。

もともと道路には詳しい方だったが定年後に始めた運送業のお陰で
誰よりもいろんな道を知っていると自負していた私はその頃運送の
仲間からも『ルートshimaスペシャル・・◯◯バージョン』を教えて
欲しいと言われたりもしていたので地道に努力(?)した甲斐があったと
嬉しい気持もしていたのだが・・・

日頃からカーナビはあまり使わず信号も交通量もすくない道路を開拓し、
往路と復路は必ず別の道路を利用していてどんなコースでも自信の
あった私だがあの日は一般の車両も走り出したのか渋滞は激しく
どこの抜け道も抜け道ではなくなっていた。

妻と娘が寒さの中、人並みに揉まれながら手を繋ぎ、徒歩で上野へ
着いたのは夕刻の17時20分頃だった・・・
そして悪戦苦闘の私が上野駅近くの待ち合わせ場所に着いたのが
21時を遙かに過ぎていた。
寒い中、震えながら4時間待っていた二人が車に乗り込んだ時の
安堵した様子は今でも目に浮かぶ。
上野から我が家へ帰るときも依然として渋滞は解消されず、到着したのは
12日午前2時半頃だったと思う。
車内で聞く地震情報・・・時間と共に伝わってくるすさまじい状況に
これからどうなるのだろうか・・・と思うと実に長~い不安なドライブ
だった。

そんなことを話しながらそして東北の人達のことを考えながら、
そして繰り返されるテレビの映像見ているとあっという間に時間が
過ぎてしまった。

いつどこで災害が発生するかもしれない現在・・・緊急時にはお互いが
少しでも危険を回避できるよう、心と共に災害時に必要な物資の準備も
整えておきたいものである。

2冊目の10年日記(東日本大震災の頃)※現在は3冊目


日記の一部分・・2012年分枠へもはみ出して・・)

コメント (8)
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今朝のカラスの動きから・・・

2021-03-09 12:52:15 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日から3日間、ほぼ全国的にいい天気に恵まれるようで、
ここ埼玉も朝から気持ちよく晴れて微かな風の中で陽射しの
ぬくもりが感じられることが何故かおおきな幸せのような気がする。

マンションの向かい側の住宅街の道路のゴミ収集場所を二羽の
カラスが網を上手く掻い潜り、中のゴミを引っ張り出して荒し、
散乱したゴミを忙しそうにつついたり蹴散らかしたり・・・

人が近づいてもすぐには逃げようともせず、少し飛び退いては
また図々しく寄ってきて我が物顔で中身を物色している。

その側にムクドリが舞い降り、カラスの動きを気にするような仕草で
少し遠慮気味(?)に袋の中に顔を突っ込む姿がちょっとだけ
可愛く見えるのは横暴な(?)カラスと比較するからかもしれない。

単独行動のムクドリは、カラスのあの太く鋭い嘴で攻撃されたら
ひとたまりもない・・・とカラスを恐れて控え目に?・・・
ここでも力関係がはっきりしていることによって行動を制限される
ように見えるのは可愛そうでもあるが・・・

この住宅街にやってくるカラスたちはここが生活の範囲の一部
なのだろうか・・縄張りのようなものあるのだろうか?・・・

ユーラシア大陸から中国にかけて広い範囲に棲息するミヤマガラスが
越冬のために日本に飛来するのは西日本に多いようで、熊本などでは
大量の糞被害などの様子も報道されているが、近年は日本各地に
飛来しているようだ。
ごく最近の情報では南下のためのミヤマガラスが福島県、宮城県、
岩手県など東北各地の農耕地などに降り立ち、朝夕は市街地に出没し、
大きな被害をもたらしているという。
映像で見てもその数、数千羽が空を埋め尽くす様子は青空が黒く見える
くらいすさまじいもの・・・
夜は天敵のいない市街地に集結するのも頭がいいからなのだろうか。

夕焼けの中をねぐらに帰るカラスの情緒的で郷愁を誘う姿・・・
やはり生きるためになりふり構わず住宅街でゴミをあさるカラスの姿・・・
彼らはそう思わなくても結果的に大きな迷惑行為となる市街地での
集団行動・・・

私達が勝手に駆除できないカラスや他の害獣・・・
カラスに限らず私達の周辺にはハクビシン、アライグマや場所によっては
イノシシ、熊など本来、いないはずの生き物による被害もたくさんある。

それぞれがお互いに本来の生活圏を荒らしたり脅かしたりすることなく
共存できる環境が望ましいのだが・・・
それには智恵ある人間が自然破壊につながる開拓、開発をはじめ
合理化の名の下に行われる環境破壊などについても考え、本来あるべき
姿に少しでも近づけるようまず行動を起こさなければならないのでは
ないだろうか。


コメント (4)
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ブログ友たちのお陰で・・・「その2」

2021-03-07 11:04:17 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の記事のとおり、ブログ友のお陰で連日楽しく、そして考える事も
できる感謝の日々を送っている。

今日はそのブログ友たちとの最近の関連記事を・・・

「すずさん」のお陰で見ることもできた『麒麟がくる』の最終回や、
つい先日の総集編についてのコメントのやりとりも楽しかったが、その
総集編が再放送された2、3日前にhighdyさんのブログに別宅(山口)から
日本刀が見つかったという記事があり、私の頭の中の感知器(?)と共に
その情報に食指が動いたがその後もすずさんの時代小説についての記事や
歴史についてのコメント交換などで久しぶりに血が騒ぎ(?)先月末には
調子に乗った私が自分の若き日(43歳)の甲冑姿の写真を何の躊躇いもなく
記事にアップするなどして「居合道」の稽古に夢中になっていた頃に
タイムスリップしたかのごとく思いを巡らせて楽しんでいたのだが・・・

昨日、highdyさんが先日見つかった日本刀についての登録証に
関する諸々の手続きなどの記事を投稿されていたが先日の写真を見て
その拵えなどの外観から私も「軍刀」ではないかと思っていたが、その後の
コメントでそのとおりだったとのこと。

しかしただの軍刀ではなく「銃砲刀剣類登録証」の「メモー書きコピー」から
濃州関「前川助房」作の銘ある刀だということがわかり価値のあるものだと
判明した由。
濃州(美濃=岐阜県)で作られたものだとわかり、そこで私はまた興奮!
濃州関は「居合道」に使う刀でも有名で居合刀、居合道用の真剣、
試し切りに使う刀などでも有名なところだからなのだが・・・
居合刀は九州の福岡や熊本などで作られたものも多く、他に全国各地でも
作られていたようだ。

気持が高揚した私はもう20年以上も使わずにしまってある稽古用の
居合刀を取り出すと一段と高まった気持は久しぶりに振ってみようと
いう方向に一直線・・・
ただ、狭い家の中でもあるので居合道着や袴を着けるところまでは
考えず、日頃筋トレで使っているトレーニング用のジャージに帯を締め、
小さな動きの「型」をいくつかやってみた。

鞘を払い空気を切り裂く音、背筋を伸ばし、残心、血振り、そして鞘の
途中までの素早い納刀とその後の静かな納刀・・・一連の動きは
あの頃のまま迷うことなく蘇る。
実に気持がいい・・特別理由もないのに何故居合いの稽古を長い間封印(?)
していたのだろう。

私の身長はあまり高くないのでこの2尺3寸と2尺3寸5分の刀はピッタリ、
しかし家の中では少し無理が・・・これからは健康のためにも時々は
居合道の稽古も・・・と思うがマンションの庭では危険人物と思われ
かねないのでどうするか考えてみなければ・・・

いずれにしろまた一つやることが増えそうだ・・・
でもこれは心身共に更に健康になるための一つの手段でもあると思えば
工夫もまた楽しくなることだろう・・・

今回の事で『ブログ友たちのお陰で・・・』がまた一つ増えたことが
何よりも嬉しい。

 


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ブログ友たちのお陰で・・・「その1」

2021-03-06 12:04:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
私は過去にも時々、『ブログをやってよかった・・』という記事を
投稿してきたが最近もまたブログ友たちのお陰で自分自身の事にも
気づかされ、あらためて知識の吸収を考え、年齢は度外視してできることは
実行する・・ということにも目覚めた(?)ような気がする。

年齢が割合近いであろうと思われる「さくらさん」「yamaさん」
「highdyさん」「けんすけさん」「ポエットMさん」「よう爺さん」たち
からはいろんな知識や押しつけがましくない人生訓のようなものを知らず
知らず・・教えられていると思う。
また、昨年残念ながら夭逝された「Mさん」からも多くのものを学ばせて
いただいた。

さくらさんの思いや考え方生き方には学ぶべき事が多く、日々の記事の
素晴らしい文章と驚くような語彙、言葉の豊富さは他を優しく圧倒するようで、
さすがは言葉や文章の専門家(?)でそれを大切にする方だという印象・・・

yamaさんの何ごとにも柔軟な思考で真剣に取り組み、卓越した人心掌握術で
豊かに人を育てるところに暖かいお人柄を感じ、highdyさんには連日
パソコンを駆使する技術や情報は勿論、パソコンに限らず何ごとも知識を得、
それを使う事の大切さを学んでいる。
さらに理系出身のかたとは思えないような博学多才ぶり・・知識だけではなく
人の心理や人としてあるべき姿などをそれとなく書かれる記事にも感動!

けんすけさんの言葉は優しくても日々真剣に、懸命に・・・という力強い
生き方と他者を思う気持と厳しく世を見つめる姿、決して自分を偽らない・・
打算で動かないという姿勢には共鳴、共感・・・私の好きな言葉の一つである
『一寸の虫にも五分の魂』を感じる方でだと思う。

「ポエットMさん」の冷静沈着・・それでいて人一倍優しいところ、穏やかで
決して奢らず、正に『能ある鷹は・・・』という印象。
私には作れないがその短歌に込められた様々な思いは胸を打ち、その洞察力は
本当にに見習いたいものである。
「よう爺さん、さん」の元気溢れる姿とその仕事ぶり・・私はいつも
『後期高齢者の鏡』として尊敬している。
どんなものも美味しく感謝して食べるその姿はごく自然で親しみのある
会話調の記事にも魅力が・・・
夫婦仲のいいことも「鏡」なのではないだろうか。

この方たちはこのコロナ禍にあってもどなたも「利他」「他者を思う」という
気持に溢れ、記事を拝読させていただくとなぜか気持が和らぎ「ほんわか・・」
となるのだ。

また、公私ともに本当に『八面六臂』の活躍を思わせる・・・そして実践
している読書家であり、頑張り屋ナンバーワンとも言える「すずさん」。
ご本人の長い海外生活・・そこでの生活で得た知識や情報、感覚、などが
豊かな人間性を作ったのだろう・・他者のために・・という思いが現在の
仕事にも繋がり、多くの人達の心と体の健康を守っているのだと思う。

私も本が好きだが、近年はあまり読まなくなっていた事に気づき始めた頃
ブログ友「すずさん」の素晴らしい読書感想やご本人の著書に触れて、
少し前からまた読書を再開したのだが若い頃には理解できなかったことや
一方的に考えていた事などにも気づかされ、違った解釈をしてみることに
よって新たに楽しみを見いだす事もできるようになった。

また長い間(6年間ほど)NHKに対し、不信感、不快感を持ち続け、
NHKの視聴をやめていた私が「すずさん」の一言で我に返り最近は
またNHKの放送(一部)も観るようになったこともブログのお陰・・・
フォロワーの多いのも頷ける・・・

このように日々、ブログ友たちに刺激され、感激、感動し、125歳まで
生きるという目標(予定)が決して夢ではないと思えることにあらためて
感謝している。



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防災無線(?)と子供達の大きな笑い声と笑顔と・・・

2021-03-05 09:56:33 | 喜怒哀楽をポジティブに
この時期の寒暖と共に各地の雨も場所によっては繰り返される
ような日が続いているが、昨日は埼玉も良い天気に恵まれ穏やかに
時間が過ぎていった。
今日、明日は雨の予報だが現在はまだ空も明るく、本当に雨に
なるのかな?・・と思うような空模様である。

雨の大切さも充分わかっているし、雨が降らないと困る人達の
多いことやいろんな意味での恵みの雨も理解しているつもりだが
個人的にはやはりいつも晴れていて欲しいと思ってしまう矛盾を
感じながら昨日の午後4時前に買い物を頼まれスーパーへ。

買い物を終えて店外へ出ると後方からいつも夕刻に流れるメロディーが
大きく聞こえてきた。

3月になったので曲名は「春の小川」に代わっていたが12月から
2月までの「ふるさと」同様、まだ午後4時の放送は変わっていない
ことに気づいた。

確かこの時間に子供達へ帰宅を促すように流れる音楽(防災無線?)は
春から秋までの明るい時期は午後5時ではなかったか・・・と
思いながら帰ったのだが・・・

最近は小学生達も帰宅が早く、午後3時過ぎには道路を通る集団の
大きくはしゃぐ声が聞こえてくる。
2ヶ月ほど前は朝、集団登校する子供達の様子には手袋をした手を
ポケットに手を突っ込んだり、首をすくめて歩く姿が多く見られたが
昨日のように手袋もせず、いろんな仕草をしながら明るい声で歩く姿や
大きな笑い声を聞いたのは久しぶりのような気がする。

これから5月いっぱいは「春の小川」、そして6月から流れる曲は
「うみ」だったと思うがその頃にはコロナから解放された子供達の
顔のマスクが外され、大きく笑う口元が見えるのだろうか。

そうなると・・その頃には朝、このマンションの前で集まる通学班の
子供達にいつもどおり『おはよう、いってらっしゃ~い』と声をかけると
今より元気な声が返ってくるかもしれない。



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