『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

久しぶりの青い空と白い雲

2021-06-28 11:07:03 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は朝から空気も爽やか・・気温は徐々に上がるようだが
スッキリとした天気でタイトルどおり、久々の青い空と白い雲に恵まれた。

3、4日前にも気温が高く夏の到来を思わせるような好天に恵まれたが
その日の上空は青と白が交ざる中で雲の形もはっきりしたものではなく、
大きく拡がるようなものだった。

今日は青い空に浮かぶ白い雲がいろんな形に見えるという私の
大好きな空模様・・・いつもどおり幼稚とも思えるような視覚、
感覚が目まぐるしく駆け巡るようだ。

気象学者や気象予報士のような知識もなく、雲が現れたその後の天気や
気象にとらわれずそれとは無関係にただ、ただ自分の楽しみとして
見るならばやはり今日のような「青空に白い雲」がこの梅雨時には
最高のプレゼントに思える。
私なりの一番の条件、ポイントは先ずふわふわの状態でぽっかりと
浮かんでいること。
しかもそれがあまり大きいものではなく、なるべく小さいものが
あちこちに・・・という状態でなるべく真っ白に近いもの。

今朝の空と雲はそんな条件にも合っていたので庭から見上げ、360度を
何度も何度も見まわした。
私が見てこれはまさに何々だ!・・とか何々に似ている・・と例える
代表的なものは地上の動物や多くの鳥たち、そして想像上の生き物が
多く、風によって刻々と変わっていくその姿にも短い物語を連想するのだ。

一番多いのはやはり、犬や猫、ウサギ、羊、馬や牛、猿、魚、
クジラなど・・・そしてそれらの組み合わせが周囲の少し大きめの雲が
表す車や船や建物と繋がって私の中で意味不明な(?)世界最小の
短編物語となるのである。

雲は食品の形にも変化する。
白菜や、ニンジン、きゅうり、ナスなどはよく見かけるが
私の一番好きな食べ物のトマトはいまだに見つからない。
雲は丸い形になる確率が低いのだろうか。
ちょっと歪なジャガイモぐらいなら何とか想像できるが丸い果物
などの姿もみかけない。

ある時、ちょっとゆがんだ片思い的なハートを見つけた時に
写真を撮ろうと思って用意をしようとした途端にそれはぷっくりとした
ひよこになってしまっていた。

まだ仕事をしているころ群馬からの帰りに一段と広く見える空の
トンビと雲のたびたびの競演を見るのも楽しい時間であった。
また、さいたま市と隣接する川越市からの帰りに荒川を渡るとき・・・
遥か前方の低い位置に広く長くたなびく大きな龍の親子の連れ添う
姿など・・・

今日はこのまま長い間雲を見ることができるかな?・・と喜んでいたら
10時ごろから雲の色が薄いグレーに、そして部分的に濃いグレーとなり、
くっつきあって空一面に広がり始めて、小動物たちの姿もその中に
吸い込まれてしまったようだ。
そして私の真上には青空がなくなり分厚い雲が不気味な色に変化しつつある。

ただ、どこからか明るい日差しは降り注いでいる。
遠くを見ると所々に青空と雲ではないが白っぽい空が・・・
この後も青空が優位になればいいのだが・・・
天気予報では夕刻までは洗濯物の外干しはOKだと言っている。

リハビリを兼ねて歩いている妻、千恵子選手が帰ってきた。
妻は重いものは持てないので頼まれた物を買うためそろそろすぐ近くの
スーパーへ行かなければ・・・

 







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判断や決断には責任が伴うはず・・・更に謙虚に反省と説明をするどころか「長官本人の見解」と一笑に付す・・というような態度には呆れる。

2021-06-25 17:43:58 | 喜怒哀楽をポジティブに
一昨日の記事に続き、またまた政権批判になるが、現政権はいよいよ
終わりの始まりの様を呈し始めて来たようだ。

宮内庁の西村長官が「天皇陛下がオリンピック・パラリンピックの開催が
感染拡大に繋がらないかご懸念されていると拝察する」と述べたことに
ついて、菅総理は前日の加藤官房長官と同様「長官本人の見解」と発言。
丸川大臣も「私どもとしては(宮内庁)長官ご自身の考えを述べられた
ものと承知をしております」と述べ、「天皇陛下の懸念」には直接言及せず
西村宮内庁長官の発言は 「長官自身の考え」との政府側の認識を踏襲した。
宮内庁宮内庁長官の「拝察」という言葉の意味を深く理解せず、口を揃えて
戯言扱いするとはなんたることか・・・

西村宮内庁長官は『仮に拝察でも長官の発言が報道されれば影響があると
思うが発進していいのか?』という質問に対し『はい、私は拝察し、
感染防止のための対策を関係機関に徹底してもらいたいと言っているし
『日々陛下とお話ししている中で私が肌感覚として受け止めていると
いうことです』という発言も・・・

さらに『これは陛下のお気持ちとうけとっても間違いないか?』の
問いに対しても『陛下はそうお考えではないかと私は思っています。』
とも話している。

開催と決めたのならばなぜ政府は「安心・安全」の根拠を説明しないのか。
ワクチン接種の状況も進んでいない中、ただ呪文の様に「安心・安全」と
言うだけでは多くの国民は納得していないのだ。

「関係者」といわれる人達の入場を1万人と決めただけで、その対象や
選出などについても明らかにされていなプレーブック3版にも
不可解な点が多いし、特別扱いなるものの説明もない。

五輪関係者、メディア等の5万3000人の食事についても
「大会会場の食事施設」「宿泊先のレストラン」「自室内でのルーム
サービスやデリバリー」などとなっているが、これらができない場合は
コンビニやテイクアウトの店で食べ物を買うことができることや
感染対策をしたレストランの個室を利用できる・・などという
とんでもない案内をしているのだ。
個室であれレストラン、居酒屋、割烹、どこへ行ってもいいという。
これは明らかに飲食店クラスター発生の因となるのだ。

五輪関係者の行くところについてはすべて活動計画書に入れるのが
大原則だと言うが既にOBSやNBC放送関係者などが自由に行動している
事実があると言われている。

また更に大きな問題として来月13日に開く選手村の1万8000人の選手の
中から感染者が出た場合、宿泊施設がある中央区の保健所が担当するのか
という問題に対しても中央区の保健所に迷惑をかけないために第2保健所を
設置する・・・などと安易に考えているようだが果して対応できるのか・・
その科学的根拠など示されていないのである。

選手団には厳しいルールが課されるが関係者には入国後の隔離期間などは
緩やかで厳しい罰則なども明確に発表されていない。
そもそも、その管理や監視体勢についてもGPSで管理などと言って
いるだけで誰がどの様にやるのか全く闇の中である。

田村厚労相は、東京の感染者が増加していることを受け、感染拡大の
可能性があれば、緊急事態宣言を再発令することも念頭に置いていると
述べたが本当に再発令をする意思はあるのだろうか。

菅首相はじめ、現政権は口を開けば『安心、安全』・・・
そして指摘や追求されれば専門家の意見を聞き「総合的に判断」と
言いながら科学的な根拠による提言は無視し続け「開催」を決めたが
誰も責任を取ろうとしない結果がどうなるのか。

今の状況ではインド型変異株(デルタ型)のほかにデルタプラスという
更に驚異の変異株に変わって行くことがかなり高い確率で伝えられている。
そして明らかにリバウンドは始まっているし、このまま行けば
第3波を遙かに超える感染拡大が予想されるのだ。

中止という選択肢がないとなれば状況次第で無観客にすべきであろう。
誰もがアスリートのことを考えないわけではない。
できればオリンピックを成功させたいと言う気持は多くの国民に
ある筈なのだ。
ただ、今の状況を冷静に見ればアスリートのためにも世界から
日本は素晴らしい国だと評価されるためにも徹底した対策で
感染者を出さないことである。
その一番難しいことを疎かにしてただ開幕の日を待つ政権は自らの
無能にいち早く気づき、衆知を集め徹底すること、そして責任を
明らかにすることだと思う。




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4~5日前から我が家で昨年と同じ『我が家・ふしぎ発見』の事象が・・・

2021-06-24 08:57:15 | 喜怒哀楽をポジティブに
下段にコピペした昨年の投稿記事(赤字部分)とほぼ同じ状態で
再び季節外れとも思えるような木蓮の花が咲き始めたのである。

去年は4個、今年は3個だが雨上がりの空に向かい『私達を見よ!』
とばかりに日増しに濃くなった紫色の花びらを伸ばし、ファッション
モデルが背筋を伸ばし胸を張って歩く姿を思わせるように・・そして
選ばれし者として主張しているように見える。

木蓮が6月に咲くことは珍しいことではないのかもしれないが、
我が家に限らず、さいたま市や隣接する市町村でも私は見たことがない。
我が家の木蓮は18年ぐらいに前に通りかかった大きな民家から分けて
もらって育てたものでそのいきさつがまた忘れられない思い出と
なっている。

18年前、その民家の脇を通る時に何気なくその庭を見ると沢山の
木蓮の花が・・・
毎年木蓮の花を沢山絵手紙に描きたいと思っている妻の千恵子選手の
望みが叶うのならば・・・と少し離れた場所に車を停め、私は
勇を鼓してその民家を訪れた。

木蓮の花はかなり咲いていたが外は寒く、住人のことを思うと
インターホンを押すのを躊躇したが思い切って押してみるといかにも
暖かい暖房のある部屋からでてきたと思われるような頬が少し赤らんだ
その家のお父さんらしき人・・・
事情を話すと少し面倒くさそうな表情ではあったが人は悪くなさそうで
すぐに玄関脇の剣先スコップを手に木蓮のところへ・・・
しかし、すぐにまた家の中へ・・実は寒さが厳しいので少し長引くかも
しれない作業に備え、少し厚手の棉入り半天を着るためだったのである。

何本かある木蓮の木の根元近くの小さな木を掘り起こし、その根の部分を
透明のビニール袋に入れて私に渡してくれたのだ。
絵を描きたいのならこの枝も・・と開いた花の他に幾つもの蕾のついた
すこし大きめの枝も切って渡してくれたのが寒風とともに心に沁みた。

その後、お礼のためお菓子と千恵子選手の絵手紙を持参し、時々は
若木の様子を報告し、花が咲き始めてからも時々絵手紙でお礼を・・・
という今や我が家の年中行事となっている。

昨年の投稿記事
1週間ぐらい前に大きく拡がった木蓮の葉っぱの間に小さい薄紫色の
蕾のようなものが見えたのでもしや?・・・と思い、近づくと紛れもなく
2個の蕾であった。

日々少しずつ膨らみ、どこから見ても木蓮の蕾だとわかるようになり、
3~4日前あたりからその膨らみは次第に大きくなり今にも開きそうな
様子で花びらの形もはっきりとわかるようになってきた。

今朝の雨に打たれている姿は自ら開花を一時中止し、近いうちに
青空の下で大きく開き、私たちを喜ばせようと頬を膨らませ笑みを
こらえているかのように見えた。

雨をしのぎながら下から覗くと私の大きな掌の縦半分ぐらいに
成長した葉は枝を覆い隠しているがその陰の新しい枝にまた二つ・・・
合計4個となっている。
更にその奥にも生まれたばかりの小さな蕾がひとつ、ふたつ・・・

花が咲き出してからかなりの年月が経過しているがこんな事は
はじめてである。
この木蓮にはいろんな思い出があるがまた一つ記憶、記録が追加
されることになる。

桜が季節外れに咲くニュースなどは耳にすることはあるが、我が家でも
こんな事が起きるとは・・・
そういえば・・・昨年は3月に月下美人が咲いたことがあったなあ・・・と
思い出した。

いずれもささやかな『我が家・ふしぎ発見』であった。
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二十四節気の「夏至」にまつわる思い出

2021-06-22 09:38:28 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は1年で太陽が最も空高く昇り、昼の時間が最も長くなる
二十四節気の「夏至」だった。
昼の長さが最も短い”冬至”と比べると、5時間ぐらいの差は
あるという。
この時期は確かに日の長さは感じるし、正午頃の影が短く
なることなどは体験的にも思い当たる。

最近まで私は「夏至」は日の出時刻が最も早く、日の入り時刻が
最も遅くなる日だと思っていたが、ブログをやりはじめた頃、
そして二十四節気に関心を持った時に、日の出が最も早いのは
夏至の一週間ほど前で、日の入りが最も遅いのは夏至の一週間
ほど後だということと夏至はあくまで、昼間の長さが(日の出
から日の入りまで)が最も長い日のことなのだということを
知ったのだ。

詳しいことは覚えていないし、上手く説明はできないが地球の
自転の軸の傾きや公転の軌道が真円でないことに因るもの
だったと思う。

2年ほど前に「夏至」がきっかけで二十四節気のことを少し学んだが、
季節ごとの特徴や恵みを活かした人々の智恵や風習などにも
驚かされる。
自然や生き物たちを題材に取り上げた二十四節気は現在の時間と
少しずれるところはあっても一つ一つが小さくても大きな意味を持つ
物語のようでもあると思った。

何かがきっかけで、或いはきっかけとして思いがけず学びの
機会を得ることはしょっちゅうあると思う・・・幾つになっても。

知り得た知識は「財産」「武器」などいろんなものに例えられる。
それを見せびらかしたり、大上段に振りかぶったりすることなく
必要に応じて、臨機応変に使えば大きな力となることは
多くの方々の言動からも理解できるし、身辺の小さな範囲では
自分でも多少の体験からも納得し、頷けるものであり、結果的に
小さな知識でも工夫や改善に繋がってきたと思う。

過去に私はブログで知り合えた友から短期間でも多くのことを
学び、『ブログ礼賛』のような記事を度々投稿してきたが
ますますその意を強くし、日々学んでいきたいと考えている。
今日もまた『これからがスタート、始まりだ!』と考えて・・・


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ワクチンは万能にあらず、接種後も感染予防行動が必要。

2021-06-20 14:19:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
世界各国に比べるとまだまだであるが、日本のワクチン接種の状況も
少しずつ増えつつあるようだ。
多くの人が接種に積極的で自分たちの周囲の人達の接種にも期待
していることなども報道されている。

「接種すべき」と考えている人はその理由として「家族・親戚が感染
しないか心配だから」が最も多く、次いで「早く新型コロナウイルスが
終息してほしいから」「自分が感染したくないから」と続き、また
「景気が回復してほしいから」「経済的に厳しい状況になったから」と
いう声などからコロナ禍の終息とともに経済回復への期待の声も
増えているという。

一方、様々な理由で接種を受けたくない人、受けられない人が
いるのも事実・・・
ただ、体質によっては、受けたくても受けられない人もいるし、
どうしても受けたくないという人もいるはずだ。
個人の判断は当然、尊重されるべきだと思うし、認められている
はずである。
この接種を受けない人達が不利益となるようなことや不当な扱いを
受けるようなことがあってはいけない。
先日も接種を受けない人のリストを作り、管理職に廻したという
問題があった。
リストを作成すること自体は良しとしてもそれを利用して受けない
人に強制したり、何らかの差別などを示唆するようなことが懸念
されるような使い方はもってのほか・・・
接種についてはあくまでも個々の自由であり、本人の判断が尊重される
ものである筈。
受けない人にはそれぞれ病気などを含む受けたくて受けられない
事情や確たる考えや感染予防対策などがある筈・・・
しっかりとした信頼関係が必要だろう。

ワクチンの専門家の話では接種により人の免疫反応を引き出すことで
効果を得るため、効果が出てくるまでには一定の時間がかかり、
1回目のワクチン接種から免疫が働くまでには10日間から2週間は
かかるので接種の後も感染対策を続ける必要があるとのこと。

1回目の接種から2回目に接種するまでの期間ではワクチンの効果は
およそ50%位だという。
ワクチンの効果が95%前後といわれているのは2回目の接種を
受けてから1週間以上経過してから(抗体ができてから)の数値のようだ。
接種後に体内で作られるタンパク質によって免疫細胞がその働きを
表すにはある程度の時間が必要であり、ワクチンを2回接種したと
しても必ずしも100%感染を抑えるわけではないので安心して安易に
外出していいというものでもなく、決して油断してはいけないし、
気を緩めないことが当然必要であり、ワクチンの効果がしっかりと
確認されるまでは対策を続ける必要があると言う。

ワクチンの効果として「感染予防の効果」、「発症予防の効果」、
「重症化予防の効果」などの他に多くの人がウイルスへの抗体を
持つことで社会全体が守られる「集団免疫の効果」があるとされて
いるがこの「集団免疫」を確保するのは難しいようだ。

発症を予防する効果が95%程度などと高い数値も発表されているが
それでも発症の可能性が完全になくなるわけではないので完全な
終息を迎えるまでは楽観視せずに感染予防行動をとり続けることが
必要ということをみんなが知るべきだと思う。

私も新型コロナウイルスに感染したり、重症化したりするリスクを
考えると、ワクチンを接種してそのリスクを下げる方が大切だと
思い、受けると決め、7月5日に2回目の接種を受けるがその後、
無症状であっても自分は既に感染しているかもしれないということを
常に頭に置き、知らないうちに周りに感染を拡げてしまうかも
しれないことを防ぐためにも2回目の接種が終わっても今の対策は
続けるのが当然だと考えている。

高齢者の接種も終わっていないが「大規模接種会場」や「職域接種」での
若い人達への接種も始まったことはいいことだと思うが、前述のとおり、
ワクチンさえ接種すれば安全だと考えて若者達が今以上の無秩序な
行動をすることが心配でもある。
緊急事態宣言の解除で依然として感染や人流が増え続けている中、
規制も緩くなった上、間違ったワクチン知識で感染が拡がることが
心配である。

ワクチン接種の推進と同時に万能ではないことも併せて浸透させることが
必要なのではないだろうか。





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爽やかな朝にぴったりのクラシックベスト【心地の良い音楽~作業用BGM/勉強用BGM】

2021-06-19 11:30:36 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日も曇り空の中から小雨が降り続いている。
梅雨なのだから仕方がないとは言え、間断なく降るとやはり鬱陶しい。
外へ目を遣ると潤いを与えてもらった木々の葉っぱ達もそれほど
嬉しそうには見えないように私には思える。
今この時季、勢いを増す木々の緑にはやはり、雨続きよりもカラッと
した空気と太陽の光が似合うのだろうと私は勝手に思うのである。

大きくても小さくても一枚一枚の葉が少し強いとも思えるような
日差しを浴びてそれぞれ一枚一枚ががそれを力強くはね返すように
見えるあの眩しいほどの輝きが空中に拡がる様子を見ると何故か
私も意欲が出るような気がするから・・・。

今日は梅雨の静かな朝だからこそ爽やかで軽快な曲が聴きたいと思い、
先ほどからあれこれとCDを選び、聴いていたのだが心地の良い音楽
ということで爽やかな朝ではないがアップした曲を繰り返し聴くことにした。

爽やかな朝にぴったりのクラシックベスト【心地の良い音楽~作業用BGM/勉強用BGM】

気分爽快☆爽やかな朝の音楽【モーニングカフェBGM】オシャレなカフェで朝の心地良い音楽✰1日の始まりを爽快に

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国民の命を危険に晒しても暴走する政権のブレーキは故障ではなく故意に取り外されている。

2021-06-17 17:17:42 | 喜怒哀楽をポジティブに
医療関係の専門家や分科会が度重なる危険予知の信号を送ろうが
現政権はオリンピック・パラリンピックの中止は勿論、無観客の
開催さえも選択肢に入れず、開催の理由も説明しないまま、ただ
闇雲に観客を入れての五輪にアクセルを踏み続けている。

先日の分科会の『五輪を開催すれば国内の感染や医療の状況に必ず
何らかの影響を起こす影響について評価するのはプロフェッショナルと
しての責任だ。なるべく早い時期に我々の考えを正式にしかるべき
場所に表明する』という警鐘にも耳を傾けないどころか
政権は『自主的なご研究の成果の発表なのでそういう形で受け止め
させていただく』とか『全く別のご地平から見てきた言葉をそのまま
言っても通じづらいというのは私の実感でもあります。』や
ちょっと言葉が過ぎる決める立場にはないんだからそれ以上でも
それ以下でもない、言うには言ってもらったらいいけど関係ないことだ
などと伝えられ,聞く耳持たぬという態度である。

一説によると田村厚労相は『専門家に引っ張られるなと菅首相に
叱責され萎縮している』や菅首相が尾身会長に激怒し、
黙らせろ、専門家の立場を踏み越え、勘違いしている、首相にでも
なったつもりなんじゃないか』などと怒りを爆発させている・・という
説もあり・・・

その後の菅首相の発言は「五輪を延長すべき」という意見に対し、
専門家の意見をうかがった上で判断したいと思っているなどと
しながらも全くその気はないようだ。
今回もまた専門家というのは開催に賛成する人物の意見だけをとりあげる
ものと考えられる。

緊急事態宣言解除についても専門家達はかなりの確率でリバウンドを
示してくるのではないかと心配している。
解除されたらまん延防止をしたとしても人流は更に増える・・・
イベントの観客についてもこれまでの収容人数50%以下、または
5000人の小さい方から新たな案の収容人数50%以下、または
1万人の小さい方という案についても分科会の尾身会長は政府に対して
これは五輪とは関係ないですねと確認した上での了承ということだが
政府側は『オリパラの上限やあり方を決めたわけではない
それについて分科会に決める権限が与えられている訳ではない』
している。

そして五輪の観客数は国内スポーツイベントの上限規制に準じて
6月中に5者協議で判断する・・と言っていることから何が何でも
観客を入れるつもりのようだ。

果たして明日、分科会はどのような表明をするのだろうか。
そして安心、安全、国民の命を守る・・という絵に描いたもちを
大事そうに掲げている首相と政権幹部達の反応は?・・・

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ようやく1回目のワクチン接種を・・・

2021-06-15 15:52:35 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、1回目のワクチン接種を・・・
私が予約を取れたのは我が家から7~8kmの医療モール内のクリニック。
病院での予定時刻は15時45分だったがすこし早めに行き、駐車場で
しばらく待機後15時20分に『予定より少し早いがもしや?・・』の期待を
胸に(?)病院の受付へ行くと、『はい、いいですよ、どうぞ・・』の声。

事前の連絡では決められた時刻の15分前に来てくださいと通知されて
いたのだが『余裕を持って』、或いは『せっかちで』という高齢者が
多いためかもう既に予定よりかなり早く進んでいるようだった。
接種券と身分の確認が終わり、待機所のイスに座るや否や名前を呼ばれ
診察室へ・・
医師の問診もすぐに終わり息つく暇も無いほどに(喜ばしいことだが)
ワクチン注射を・・・
日頃から注射には全く抵抗も痛さも感じない私なのでもちろんその場も
満面の笑みを・・看護師さんが私を見て『嬉しそうですね』と声をかけた。
病院へ入って注射が終わるまでの所要時間は10分にも満たなかった。

妻の千恵子選手は10日に別の病院で1回目の接種を終えたが、その時も
流れは順調で、進行時間は予定どおりだったが、今回私が受けたのは
医療モール内のあまり大きくないクリニックだったのが良かったのかも
しれない。
妻の分の予約は接種券到着日の夜に取れ、私の分は予約を取るまでに
何日もかかったが両方の病院共に接種に関する流れがスムーズに
なるまでにはそれなりに時間がかかったようだ。
試行錯誤の末に今のような医療側、接種を受ける側ともに問題の無い
システムにたどり着いたというような説明もあった。

何一つ滞るようなこともなく、思っていた以上に快適だったので、
その後の15分の待機時間もあっという間に過ぎて、痛みも違和感も
なく、気分爽快のまま駐車場へ・・・
お互いに初めて見る顔だが安堵の表情で挨拶し、感想を気軽に話せる
高齢者達はその場限りでもすぐに親しくなれる笑顔を見せていた。

帰りの車中では数多くの映画の主題歌や有名なヒット曲を収集した
『World Mood Music(決定版・世界のムード音楽)』のCD5枚セットの
NO.1を聴きながら帰ったが曇っていた空も晴れ渡り、気分爽快で
映画避暑地の出来事の主題曲「夏の日の恋」や赤い風車の「ムーラン・
ジュールの歌」ひまわりの「ひまわり」昼下がりの情事の「魅惑のワルツ」
風と共に去りぬの「タラのテーマ」ティファニーで朝食をの
「ムーン・リヴァー」などを聴いているうちに自宅へ到着したので
駐車場の中で他の12曲を聞き終えてから部屋に戻った。

このセット5枚は常時車載しているので、その時の気分により、
色々と楽しみながら聴いているのだがやはり、どの曲を聴くにしても
晴天の車内が一番いい。


夏の日の恋(パーシー・フェイス)

「 風と共に去りぬ タラのテーマ Gone with the Wind Tara's Theme」マックス・スタイナー、Max Steiner
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ブログ友と一緒にチャイコフスキーを・・・

2021-06-14 13:49:25 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、ブログ友yamaさんからワクチン情報を含む二度目のコメントを
いただき、遅くなってもコメントを・・・と思い、その前に今日の
yamaさんはもう忙しさの峠を越えられたのでは?・・とお邪魔したところ
『ダージリンを飲みたくなって・・・』のタイトルと記事の一行目の
『久しぶりだが私の好きなチャイコフスキーピアノ協奏曲を
第1番だけ聴いた。』の文字列に気持ちが吸い込まれるように・・・

昨日は予想通り阪神が楽天に勝ち、18日からの巨人戦とその後の試合、
そしてオールスターに続く後半戦に勢いをつけるかのような6連勝で
交流戦を終え、気分爽快、そして高揚した状態で久々にクラシックでも
聴こうかな?・・と思い、CDを整理していたところ、千恵子選手から
絵手紙教室のカリキュラム用の紙の裁断を頼まれ、視聴は今日に変更
したところだったのだ。

ピアノのことは何もわからない私だが、音楽を聴くことは好きだし、
ピアノの音色も好きなのでクラシックも時々聴くことにしているが
今日はyamaさんに習い、「チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番」を
聴くことにした。

そしてその前にyamaさんの記事に従い、「Sofia Vasheruk」女史と
「Anna Fedorova」女史、そして「辻井伸行」さんの演奏を聴いてみた。
(You Tube) 

事前にyamaさんかの情報(感想)を得ていたせいか、確かに私にも
yamaさん同様の印象が・・・
思い込みかもしれないと思い、何度か聴いてみた。
私には「Sofia Vasheruk」さんの演奏は音が跳ねるように聞こえ、
「Anna Fedorova」さんのものは溶け込み流れるように聞こえ、
「辻井伸行」さんの演奏はすべてのものが融合し、気持ちも事象も
厳かに移り行くように感じたのだ。

そして私の持っているCDで「Ronan O'Hora=ロナン・オーラ」さんの
演奏を・・・

結局、何もわからない私にはすべてがコロナ禍の今の世の中の
閉塞感のようなものをを癒してくれるような気がした。

ブログ友それぞれ、自分との共通点や共感、共鳴するもので一層、
親交が深まったり、理解しあえたりすることは毎日感じているが
こうして共通の趣味などでもそれを感じ合えることがある。

たまたま、yamaさんも私も娘がヤマハの音楽講師でピアノや
エレクトーンを教えているということなども・・・
yamaさんの娘さんはご自分で開かれた音楽教室で・・
わが娘はヤマハの音楽教室で・・・という違いはあっても
音楽を通して技術だけではなく、人間的な成長の手助けになるよう
生徒たちを見守り、育てるという意欲をもって接していることを
強く感じるのは親として、大変うれしく思うのである。



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言葉で思い出す人、形(物や写真)を見て思い出す人・・・

2021-06-13 12:30:31 | 喜怒哀楽をポジティブに
今朝、明け方に母親の夢を見た。
和服に懐かしい白の割烹着を来た母は大きな風呂敷包みを持ち、
声にならないような小さな声だったが私にははっきりとわかる
あの声で車で送ってくれるよう話しかけてきたのだ。

隣の助手席に乗った母は風呂敷包みを自分の膝の上に載せその結び目を
ゆっくりと解いて、あらためて中を確認するようにしてから私の方を見た。
信号で止ったときに母の荷物に目を遣ると鮮やかな模様の「へら台」や
つかい古したような、それでいてしっかりとした「くけ台」が・・・

この時(夢の中だが)私ははっきりと「へら台」と「くけ台」の
名前とその用途を思い出し、母は今日も若い女性たちに着物の縫い方を
教えに行くのか?・・・と思ったのだ。

私のブログにお立ち寄りいただく方々の中には私の子供達位の方も
いらっしゃるが多くは私とあまり年齢に差が無い同世代のかたが多いようだ。
きっとこの「へら台」「くけ台」でその形やそれを使う母親達の姿を
思い出される方も多いのかもしれない。
「へら台」「くけ台」という言葉ですぐに思い出せなくても実物や
写真を見ると一気に記憶が子供の頃へ・・・となる方々も・・・
早朝の夢は私にとって本当に懐かしいものであった。

「へら台」(ネットより借用)
        

    
「くけ台」  (ネットより借用)      
   
私達が子供の頃、5人の子供を育てる母は教員としての父の給料を
少し補足するためにボランティアを兼ねて近くの若い女性達に
和服のこと、その縫い方などを時々教えていたのである。
実際には授業料のようにしてお金をいただくケースはほとんどなく、
大概は、米、野菜、干物などの食料品を時折いただいていたことを
思い出した。

そのミニ和裁教室は我が家で行い、出かけることなど全くなかったのだが
今朝の夢では出かけるような場面であった。
それはどうしてなのか?・・・もちろん夢の中のことなので考えても
わからない。
狭い車の中で母と少しでも一緒にいたい、そして話したいと思っていたの
かもしれない。

母の道具である「へら台」は時々、私と弟の遊び道具でもあった。
生徒さん達のための幾つもの「へら台」を開いて屏風のように立て、
つづら折りのようにして作った通路を行ったり来たり・・・

『神聖なる道具を遊びに使うとは不謹慎な・・・』などと叱らなかった
母のことを考え、私達も倒して傷つけたり汚したりしないよう
子供ながらに充分注意しながら遊んだ日からもう既に70年以上も
経っているのにまだ数日しか経っていないような気がする。

母が生きていれば今年110歳になる。
私が予定どおり125歳まで生きる頃には思い出の母は156歳か・・・
まだまだ沢山の思い出を懐かしむことができる・・・。






















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50%の確立が見事(?)に・・・⚪or⚫?

2021-06-12 10:51:24 | 喜怒哀楽をポジティブに
先ほどマンションの管理事務所へ行き、抽選を・・・
その結果は・・・

過日マンションの機械式駐車場の上段(地上部)の1カ所が
空いたということが掲示板で通知され、希望者は本日抽選を
することになっていたのだ。
地上に駐車できるのは車高170cm以下、地下の部分は
車高が155cmという規定があり、マンションへ入居当時は
大きな乗用車だったが170cm以下だったので問題はなかったが
定年退職後にはじめた運送業ではトラックは勿論、仕事用の
ワンボックスカーも停めることはできず、乗用車はそのまま
利用していたが、仕事用の車は近くの駐車場を借りていたのだ。

その頃は大型バイク(ヤマハ・ビラーゴ1100cc)も駐車場を
借りていたが仕事が忙しくなってきた頃から乗用車をやめて
ワンボックスカーを仕事と乗用、両方に使い、車の買い換え時も
同じワンボックスカーを選んでいたのでマンションの駐車場は
10年以上も使う事ができなかったのだ。

利益は少なくても、仕事が忙しくなるとバイクに乗る機会も
減り、無駄を省く・・という意味も含め乗用車に次いでバイクも
手放すことに・・・

そしてワンボックスのみの生活が続いたのだが、昨年、
車の買い換え時にマンション内に駐車可能なサイズの車を
選んだのだが残念ながらマンション内で空いているのはA棟、
B棟ともに地下の部分のみ・・・
(地下は不人気?で10台分以上空いている・・)

そして今回、上の場所(地上部)1カ所が空き、今日の抽選
によって決まることになったのだが・・・

掲示板に通知されたときには・・・
マンション内に停めたくてもやむなく、すぐ近くの駐車場を
利用している人は私以外にも何人もいるようなので厳しい
抽選になるのかと思ったが2日前に発表された結果はなんと、
2名での抽選という嬉しい報せ・・・

確立50%だから確実にあたる・・・と無理にでも思いたいのだが
『勝負(?)は時の運』ということもある。

この2日間、ふとした瞬間に12日(今日)午前10時の抽選の
ことが頭に浮かんでいた。
管理事務所の前で二人が顔を合わせた時に、くじを引く順番は
どうなるのだろう。
もう一人の希望者は顔見知りで、よく話す相手かもしれない・・
或いは全く知らない人かも?・・・

最初に引く権利(?)を譲るべきか否か・・・
相手が同じように考え、『どうぞ先に引いてください』と言われ
たらどうしようか・・・
やはり私のほうが人生の先輩として相手に譲るべきか・・・
おそらく私よりも高齢で車に乗る人はこのマンションでは見かけないので。

最初に引くことができれば2分の1を自分で選ぶのだから
当たっても当たらなくてもまさに運命で納得もできるし、
後悔めいたものもないはずだが・・・などと考えて・・・

そして今日(先ほど)、抽選の場に臨む5分前、自由に選べるの
なら相手に先手、後手を選んでもらうことにしよう・・・
残り物に福があると考えるのも良いだろう・・・と考えたのだが。

結果は見事に外れ。
そう、何も思い迷うことなど全くなかったのだ。
抽選はあみだくじ方式で2本の線を選ぶのをじゃんけんで
決めるというものだった。
じゃんけんの結果、相手が勝ち、二本の線の左側を選択したので
私は自動的に右側となり・・続いて線を加えるかどうかの選択・・
相手の方は一本の線を追加記入・・私は線の追加は必要なしと
いうことで・・・その結果、外れとなったのだ。
私ももう一本追加しておけば私が当選だったのに・・・という
ことなのだがあとのまつり・・・というより、自分できめたこと
だから後悔などは全く無用・・・
相手(40代)の方も申し訳なさそうに挨拶をされ、私も
『残り物に福がなかったのです・・』と笑顔で話し、笑い合って、
何故か爽やかな気持で自宅へ戻ることができた。
退出時の管理さんの『B棟で近々1台分空くと思うので次も申し込んで
ください』という言葉に私の頭の中には『捲土重来』の文字が
浮かんだ。(本来の意味とは違うが諦めずにもう一度・・・と)。

見事に外れたことを妻に話すと『いいじゃない、今の駐車場で・・』
と軽やかな返事が返ってきた。
これも妻千恵子選手らしい言葉である。


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鳥、鳥、鳥、その2.

2021-06-08 10:59:50 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の記事のミナミジサイチョウに比べるとその大きさは比べものに
ならないほど小さいので本来は話題にもならないようなことだが、
最近、我が家にあの食欲旺盛で、行儀の悪いヒヨドリをはじめ
他の小鳥(野鳥)たちも顔を見せなくなった。
蜜を吸うための花も終わり、訪問する意味が無くなったからだろうか。

ただ、ムクドリとスズメだけは頻繁に芝生に降り立ち、嘴を芝の
中に忙しそうに突っ込んでいる。

ムクドリというとよく駅周辺や街の中へ大群で押し寄せ、鳴き声や
糞の害で住民達を困らせている光景が報道されたりしている。
それを追い払うための対策等でも行政は頭を悩ませる様子も・・・

我が家へ訪れるムクドリやスズメ達は公園や大きな木のある家で
見かけるような数羽以上の数での訪問ではなく、一羽から三羽で
やってきてしばらく芝生内を物色しているが餌となるものがないと
みるや、たちどころに飛び立ってしまうということを繰り返して
いるようだ。

ムクドリのあの尖った黄色い嘴と黄色い足の動きを見ていると
不思議に可愛くも見えるのである。

ミミズか地中に這う虫か、何か少し長い餌を嘴にくわえた時の
頭を揺するようにして咥えなおし、飲み込む姿には真剣な様子が
窺えるし、芝生の上を行ったり来たりしても気に入った餌が見つから
ないような表情に見える時は気のせいか首をうなだれてでもいるかの
ように見えるのもまた面白い。

先着のムクドリのところへスズメ達が降り立っても驚く様子もなく、
『ここへ来るなっ』と威嚇するような素振りも見せない。
小さいスズメたちもごく当たり前のように芝生やテラスを歩き回り、
お互いにその行動を『我関せず』とばかり・・全く気にしないようだ。

昨日は明るい日差しの中、久々に二羽のシジュウカラがやってきた。
細い枝の間をチョコチョコッと行ったり来たりしながら
葉の間をくぐり抜けるように少しずつ移動していた。
虫でも探していたのだろうか。

太陽の光が射し込んでいたからだろうか、す速い動きの中でも
黒と白の体が一段とくっきりと見えるようだった。
じっとしていないその動きを見続け、目を離したくなかったので
カメラに納めることもできず、仮にカメラを用意しても私には
たぶん綺麗には写せなかったと思う。

昨日はいつもより少し長い滞在だったが動きが速い上、正面から
見ることができず、あのネクタイ模様といわれる部分をはっきり
見る事はできなかったが、手前の枝に横向きで止ったときには
黒く小さい嘴と目の下の頬の部分のあの真っ白で鮮やかな模様が
はっきりと目に入った。

私の掌に二羽が同時に乗るくらいの小さな体は私の存在に気づいてか、
これ見よがしとも思える軽業師のような動きで上下左右に飛び回っていた。

コロナ禍の社会と人々の様子、そして理由なども説明されないまま
開催に突っ走ろうとしているオリンピック問題・・・
明るい話題が少ない中で大自然は緑を鮮やかに、花々は明るい笑顔を
惜しげも無くまき散らしてくれるし,鳥たちはこうして気持を
和らげてくれるような動きで訪れてくれる・・・

ままならぬ世の中でもこんな何気ない日常を感謝したいと思う。











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鳥、鳥、鳥・・・その1.

2021-06-07 12:53:33 | 喜怒哀楽をポジティブに
最近、各局のニュースやネットに取り上げられ話題を呼んでいた
ミナミジサイチョウがようやく捕獲保護された。

1年7ヶ月も前に茨城県のペットショップから逃げ出し、二度も冬を
越して最近は千葉県柏市周辺でよく見かけられたというアフリカの
サバンナに住む絶滅危惧種であるこの大型の鳥がその後、多くの
人達からの情報でペットショップの人達が再三再四、捕獲を試みるも
捕まえることができなかったという。

映像で大きな蛇や蛙を捕食する姿も紹介され、注目が集まっていたが
ついに「御用」となった。
人間に危害を加えることはないそうだが、近くで見た人はその大きさと
不気味とも言える黒と赤の体色に驚いたことだろう。

無事ペットショップに戻され今は元どおりの生活をしているようだが
今後は果たしてどうなるのか・・・・

寿命がどのくらいなのか、仮にペットとして購入した人がいたとしても
その鳥にとっては日本での生活は決して快適なものにはならないと思う。

その鳥は生まれて20年ぐらいになるという情報もある。
ワシントン条約に触れない種だと言ってもこのままでは日本で
番(つがい)を見つけることもままならず、繁殖などはできない
だろうし、絶滅危惧種であるということから鳥のためにも
生態系を守る為にもまた研究などのためにも何らかの方法で
アフリカへ帰した方がいいのではないだろうか?

サバンナは雨期や乾期はあっても日本のように季節による極端な
温度差はないだろうし、肥沃な土地であれば餌となる生き物にも
困らないだろう。
遠くへは飛べないというが大きな翼をゆっくり羽ばたかせ、地上でも
ゆっくりと一歩一歩歩くその姿は大自然で生きてこそのジサイチョウ
だと思うのだが・・・

日本の自然の中で暮らした時期はミナミジサイチョウにとって、
決して快適ではなかったはずだ。
有害となる「菌」の繁殖の有無などを調べ、一刻も早く生まれ育った
アフリカへ帰してやって欲しいと願う。








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嫌な役目を卑怯にも(?)一日延ばしにしている私は・・・

2021-06-05 11:12:46 | 喜怒哀楽をポジティブに
先月の終わり頃、庭に出て今年咲かなかった牡丹の木の様子を見ていた
妻、千恵子選手から『お父さん、白い椿の葉っぱの裏に虫がいるから薬を
買ってきてください・・』と少し慌て気味の声が・・・

虫が嫌いな私はどんな虫なのかを確かめようともせず『うん、後で・・』と
生返事・・・そしてそのまま次の日も『うん、わかった・・』と虫の様子を
確認することもなく、殺虫剤を買いにも行かなかった。

マンションの狭い庭なので隣家のためにも虫が拡がる事を気にする妻は
再度の購入依頼を・・・
私は仕方なく重い腰を上げ、やおらホームセンターへ・・・。
数ある殺虫剤の中で、「這う虫、飛ぶ虫など多くの虫に効く」という
説明と、噴霧するためのノズルが切り替えられるものという条件で
大容量(?)の噴射式の商品を買い帰宅。

帰宅後、すぐに使用することもなく、そのまま物置の中へ入れ、その日は
虫との戦いを免れた。
本当は戦いではなく駆除なのだが私にとっては一世一代の大仕事に
匹敵するようなまさに戦いという認識なのだ。

しかし、いつになったらやってくれるのかと常に妻の目は光っている・・・。
大概のことはすぐにやる私だが虫にだけはどうしても気持が向かないのだ。
次の日は幸いにも雨で堂々と(?)駆除を回避でき、その次の日は
風が強く、その後も雨とこれまた私にとっては「天の助け」であった。

こうして殺虫剤を身近に用意したまま私にとっては天候が味方し、
都合の良い日が続いたが・・・
今日はどうやら天の助けもなく、言い訳も見つからない。
仕方がないから観念してやってみようと思うのだが、いまだにこうして
パソコンに向かい、なんとか回避できないものかとグズグズしているのだ。

業を煮やして『私がやるっ・・・』という妻の声を期待するのも
男としてはいかがなものか・・とも思うし、意味も無く微かに「男女平等」
などという言葉も頭の隅をかすめるのだ。
しかし、小さな虫ごときに怯えるような態度は男の沽券に関わるという
声も胸の奥から響いてくるのだ。

やはり、勇を鼓して虫と戦おう・・昼食後に・・とまだ一日伸ばしの体勢。
私はこんな体たらくな態度を見せるつもりは全くないのだが・・・

ここで以前に投稿した記事を思い出したので情けない男を
さらけだして気持の切り替えをはっきりとさせることにした。

以下は過日の投稿記事

妻がみかんの木の葉についていた小さな青虫のような幼虫を指先で
つまんで捨てた。(その後、殺処分)
私には到底できないある種の勇気を感じた。
この「勇気」とは害虫を殺したことではなく手の指でつまんだことである。

私は毛虫や蝶や蛾の幼虫であるあの独特の外観と動きを見ると鳥肌が立つ。
私が虫といわれる生き物の中で自分の素手で触れるのは昆虫類の中の
ほんの一部で、カブトムシ、クワガタ、テントウムシ、カナブンなど
甲虫類の一部とトンボ、セミ、アリぐらいである。

これらの虫たちでもその幼虫は絶対に触れない。
あのフニャッとした柔らかそうな姿を見ただけで『身の毛がよだつ思い』で
まさに『背筋が寒くなる』という状態である。

バッタやカマキリなども少し硬く感じる背中の部分を持つことは
できるが、柔らかい腹の部分に指が触れるとゾっとして放してしまうほど
昆虫の柔らかい箇所は苦手である。

そんな私であるから前述の妻の姿は驚きを超え、尊敬に匹敵するぐらい
なのである。

妻もすべての昆虫、幼虫に触れるわけではなく、幼虫でもごく小さな
ものに限って・・ということらしい。
それでも私にとっては感心、尊敬の念を持つぐらいなのだ。

そこで、下世話な話というより、低俗、下品な話になるが、私は虫を
触ることによって得られる昆虫別の報酬額の設定を持ちかけた。
現実とは大きくかけ離れたくだらない話ではあるが二人の間では
結構盛り上がり、笑いながら次々と・・・・。

結果、妻は私が触れない幼虫の中でランク付けをし、最低はゼロ円でも
触り、順に最高額1万円ぐらいで商談成立となったが私は最低額10万円
でも難色を示し、お金もないくせに100万円でも嫌だと言って不成立に
終わってしまったが何故か『ほっ』とした。

仕事を引退した身でも、もしかすると100万円や200万円は何かの機会に
手にすることがあるかもしれないがあの「フニャッ」と感じる虫を
触ったという嫌な感触を一生持ったまま生きるのは厭だ・・・という
とんでもない発想を消すことができなかったからという情けない話は
その後電話で娘にも伝わったが幸い娘も
私同様いくらお金を摘まれてもNO・・・ということだったので再び
『ほっ!』で一件落着となった。
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日々の言葉もそうだが、外国語と親しむことの大切さを感じた。

2021-06-03 16:06:01 | 喜怒哀楽をポジティブに
物事の判断や評価をするような場面、意見を求められた場合などで
できそうでなかなか難しい「多角的に見たり考えたりする」
「広い視野で」「包括的に」「大局的に」や「俯瞰する」など
ものの見方、考え方について様々な言い方を表す言葉での答えを
求められると感じた場合、何をどのように表せば・・・と考えると自分の
知識や情報力では容易にその表現ができないばかりか実践するとなると
さらに難しいと思う。

しかし、いろいろなことをきっかけにその経験や体験をもとにして
無理なくできる(やる)人の存在を知り、その人達が自分の考えや行動
のみにこだわらず、多くの人達との交流によって多くのことを学んだり、
知識や情報を得て、機会ある毎に的確に表現していることを思うと
あらためて人と人の交流、未知だった世界との繋がりのようなものの
大切さを少しだが思い知ることとなった。

私が常々考えるブログの効果もその一つで、多くの人達の様々な
考えや意見を聞き理解し、いいことはやってみるという行動が
できれば少しは今まで自分には無かった、或いは意識もしなかった
違った自分の一部を見つけ出せるのかもしれないと思った。
(半分は自戒、半分は期待して)

小さくても心に沁みる言葉や胸を打ち、自分の行動によってまた
その輪が拡がるという波紋のようなものであったり、さざ波が
大きなうねりにもなり得ることも・・・

昨日の夕刻、生ぬるい風の中、すぐ近くのスーパーへ行った時に
大柄な外国人女性が商品を探している様子をみた中学生らしき
若い女の子が臆することなく側に近づき、何か話しかけていた。
「臆することなく」というのは日本人の多くは外国人と話すことに
恥ずかしさや一種の不安のようなものを感じる場合も多いようで
日本人特有(?)の真面目さから正しい文法で話せるだろうか?
言葉が合っているだろうかなどという考えが先立ち、できれば
避けたい・・と思う人も少なくないようだ。

私は『さすがは現代の中学生だなとも、勇気ある行動だなあ・・とも
思った』
私自身も以前は恥ずかしさもあり、積極的に話すなどと言うことは
できなかった。
積極的に近づき、上手く喋ることなど望むべくもないし、できない
私だが・・・幼稚園の頃から外国人を見ると駆け寄り『What your
name』と声をかけていた息子が、9年ほど外国(メキシコ)で
仕事をし、外国人と結婚したこと、そして私達が彼の妻との
交流によって、だんだん外国語を敬遠することがなくなったことや
その後、月日の経過と孫の成長(息子の家庭ではスペイン語)に
よって、スペイン語や英語にも余計な神経を使わず、意思の疎通を
主体として話すことによって徐々に違和感なども無くなったように思う。

外国語を流暢に話す人日本人男性を軽薄だと思ったり、その人が
日本語で話していたとしても軽薄なイメージを持ったりする
女性がいる・・ということを塩野七生さんも言っていたような
気がする。
更に滑らかに外国語を話す人に対して少し嫉妬の気持が働く
ケースもあり、また自分ができないことに対する無意識な
劣等感なども・・・
塩野さんはこうも言っていたような・・・
それは・・外国語を話せることを自慢する人も外国語を話せる
ことを馬鹿にする人達も救いようのない馬鹿であり、外国語を上手く使う
ことは違う文明で育った人たちを理解するための基本的なものだとも・・・

そして塩野さんは誰もが外国語の達人であることが必要である
と言ってるわけではなく外国語に対する「耳」を持っているか
どうかであると・・・

遠い昔、ローマ人はラテン語のみを話し、高い文化とされたギリシア語
や周辺の国(現在のイギリス、フランス、ドイツなど)の言葉に疎く、
一部の人しか話せなかったようだ。

英語が国際語になっている現在、日本人が英語を話すようになれば
英語しか話せない外国人よりも、そして通訳を介しての会話よりは
遙かに理解もできるということなど・・・

塩野さんの言葉をすべて覚えているわけではないが、言葉は
道具であり、上手く使えば人生が豊かになるいい道具であると
いうことが言葉を上手く使えていない私の脳に深く刻み込まれたような
気がするのである。
取りあえず日常の言葉に対しても考えてみようと思う。

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