『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

『あなたはA型でしょ』とよく言われるが・・・

2019-03-31 12:57:24 | 喜怒哀楽をポジティブに
私は『あなたはA型でしょ』とよく言われる。

血液型による性格診断は話題のひとつとして巷間よく取り上げられるが
血液型と性格との関連性は科学的根拠がなく性格形成に影響を及ぼさないと
科学者や医者の見解が知れ渡っている今日でも依然としてその話題が尽きない。

そしてかなり多くの人が血液型性格診断をあたっているとも思っていると
答える人も多いようだ。
それを多くの心理学者たちは一種の「刷り込み」とも言っているらしい。
『A型はこうだ・・・』『O型はこうだ・・・』などと言われることにより、
自分はこうだと思い込み、それを意識してその方向に考えたり行動したりと
いうことがあるらしい。

確かに私の性格や行動は一般的にA型の性格だと言われるものと一致していることが
多すぎるくらいあると思う。

私は血液型の性格診断を信じているわけではないが・・・というよりむしろ、
全否定的なのだが、医者によっては人それぞれ血液型によってかかりやすい病気や
免疫力が違う・・・という意見もあるようでそう言われればもともとの体質などが
健康状態との関連で少しは影響があるのかな?と思えば楽しい会話の話題の一つとして
完全否定とまで言い切らなくてもいいのいいのかもしれない。

しかし、占い師は全く別で、彼ら彼女らは誰にも思い当たることや共通すること、
誰にも当てはまることをまことしやかに言うだけで全く信ぴょう性がないのは事実だ。
私は占い師の言うことはほぼ嘘だと思っている。
100%嘘だと言いたいところだが「ほぼ」というのは誰にも共通することを
言ってる点だけは嘘ではないかもしれないと思うからである。

メンタリストや心理学者の性格分析や心理テストとは全く違うでたらめな占いを信じたり
それに振り回されることのないよう、声を大にして言いたいところだが、その嘘を
唯一の心のよりどころとしている人たちがいると思うとこれまた完全否定をできないかも
しれないという私のこの複雑な心境は血液型診断では何型になるのだろうか?










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遂にその日がきてしまい・・・やはり寂しい。

2019-03-28 10:07:55 | 喜怒哀楽をポジティブに
3月23日の投稿文(孫のメキシコ行き)の日がついにやってきて孫は遠い彼方へ
大きく羽ばたいていった。

昨日、私たちの唯一の孫が予定どおり、メキシコでの就職のため成田を
飛び立ち日本時間の今朝早朝にメキシコに到着し、一報が入ったが
じじ、ばばとしてはやはり複雑な心境である。

這っていたころ、歩き出したころからの彼女との思い出は限りなく多く、
私の自慢の孫であり彼女も常に「じじ」「じじ」と私のことを慕ってくれ、
頼りにもしてくれていた。

そんな孫が遠く離れた地へ行き、なかなか会えない状況になるとは・・・
実に寂しい話だが彼女の新しい人生のスタートを祝福し、喜んで送らなければ
と思いながらも近くにいて常に見守り続け、遊び続けてきた孫との別れはやはり寂しい。

先日の記事とダブルが孫の父親は私の息子、そして母親はメキシコ人、息子が
1987年から1995年までメキシコで仕事をしておりその間に知り合い、1991年に結婚し、
1995年に帰国後1998年に孫が生まれたのだが・・・

小さい頃から明るく元気で可愛い孫だったが成長するとともに本当に可愛くなり
私がいうのも可笑しいが綺麗な女の子というより母親にも似てきて美人さんになったが
見かけはあまりハーフっぽくはない。

幼稚園や小学校時代は男の子にも負けないような元気そのものの生活ぶりだったが
中学校ではハーフということに起因する多少の「いじめ」などに会い、暗くはないが
少し「消極的」「自信喪失症」気味な点も見受けられ、私たちも心配したものである。

高校ではいい先生や仲間たちとの出会いで再び静かな自信を取り戻し、元気に
短大生活を送ることができて本来の明るく優しい子が復活したのである。

就職活動にあたり国内の企業数社の面接を受けたがいずれも不合格・・・
そこで彼女は日頃家庭内では主としてスペイン語を使っていることを武器に(?)
メキシコでの勤務を希望して・・ということでWEB面接なども利用したりで首尾よく
メキシコ行きとなったのだが・・・。

昨日、私たちじじ、ばば夫婦は大宮の成田行きのバス発着所まで、息子夫婦は成田まで
見送り、夜にはたまたま上京していた義弟も交え、我が家で門出を祝う『飲み会』が
夜遅くまで続いた。
こうしてここ数日間に及ぶ『イベントラッシュ』は終わった途端なんともいえぬ
強い脱力感を覚えた。
これがよく言われる『心にポッカリと穴が・・・』というようなことなのだろうか?

息子がメキシコへ行った1987年頃とは通信手段も大きく変わり、スカイプ、スマホでの
映像を使った会話も即時できるので距離はゼロとも言えるが、今までのようにすぐ近くから
跳んできて『じじ』『あーちゃん』と生の声をかけてくれるのとは大違いである。
(これは仕方のないことであるが)

成人した一人の人間が社会人として責任を持った仕事に取り組むのだから、私たちも
それをわきまえて少し離れて静かに応援しようと思っているが、本音はやはり寂しい。





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ばあちゃんと野鳥の珍攻防

2019-03-24 13:06:56 | 喜怒哀楽をポジティブに



最近、連日のようにばあちゃん(私の妻)と野鳥(ヒヨドリ・鳩・ムクドリなど)の珍しい
戦い(?)が起きている。

我が家はマンションのため庭は狭いが妻が毎年キヌサヤやスナップエンドウなどの
種を撒き、成長とその収穫を楽しみにし、そしてとれたての独特の香りと味を楽しんでいる。

今月のはじめにラディッシュと一緒に撒いた種を大切に育てようとばあちゃんは素人ながら
ちょっと工夫をしていたようだが地面に直接撒いた個所の土が芽の出る前に荒らされている
様子を見て私に『お父さん、この辺りで何かしたんですか?』と聞いた。
私は『何もしていないけどさっき夫婦らしき鳩が遊んでいたよ・・・』と答えた。

妻が指さす方を見ると確かに土が散乱しテラスのレンガの部分まで飛散していた。
プランター内のものには変化がなかったのでそこにはまた何らかの手を加え、近いうちに
出るだろうと思われる芽への対策を講じたようだった。

その後も妻は鳩の動向に注意しているが、気が付くといつの間にか鳩やほかの小鳥たちも
庭を訪れ、ガラス越しに、或いは窓を開けて脅しているつもりのばあちゃんをからかうように
飛び立っては戻り、また飛び立っては降りてくることを繰り返し最初の『珍攻防』が始まった。
スナップエンドウはかなり伸びて大きくなったのでもう食べられることはなさそうだが・・・

最近温かさが続いたので木蓮の蕾も膨らみ、今にも開きそうなものも見え始めてきたが
このころになると毎年、決まったようにヒヨドリが花を食べに来るのだ。
今年も数羽のヒヨドリがばあちゃんの様子を見ながら木蓮の蕾を啄み始めている。

温かいせいかムクドリの集団も庭に降りてくるのでばあちゃんは窓際で目を光らせているが
ムクドリの狙いは木蓮ではなく、芝生の中の虫のようだ。

偶然なのかどうかはわからないがばあちゃんは何度追い払っても鳥たちはすぐに集まって
くるのに私がちょっと顔を出すと一目散に逃げる野鳥たちはその後なかなか姿を見せないのだ。

この様子を妻は『ばあちゃんはきっと鳥たちになめられているのだろう』と笑いながら話している。
ばあちゃんと私の差は何だろう?
鳥たちは腰が痛いので行動がゆっくりのばあちゃんからは気迫を感じないに対し、私の風体が
ツルツルのスキンヘッドに口髭なので鳥たちはお互いに『ヤバイ奴』と認識し即座に仲間へ
合図を送っているのではないかと妻は笑いながら言う。

昨日も同じ状況が続き、あれほどばあちゃんを舐めていた野鳥たちは私が一度顔を
出すとその後1回も現れなかった。『なにこれ珍百景』に登録を申請したいくらいの光景である。



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五日後に迫る孫娘の旅立ち・・・

2019-03-23 10:16:02 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日は我が家と息子の家族にとって記念すべき日の一つとなった。

今年成人式を行い、既にメキシコでの就職が決まり、出発をあと五日後に控えた
孫娘の短大卒業式があり、代表者となって証書や記念品等を受け取る役目を担った
孫娘の晴れやかな卒業式に出席した両親にとっては大きな記念日となったのだ。

以前から卒業式には孫の両親も休暇をとると決めており、夕刻には私たちも合流し、
予定どおり一緒に門出を祝う食事会をした。
成人した孫と飲むビールが最高に旨く感じたことは言うまでもない。

1987年にメキシコへ渡った息子が1991年に現地でメキシコ人と結婚し、1995年に
帰国した3年後(1998年)に生まれた孫の成長は私たち夫婦にとって楽しみ、感動、
刺激も与えてくれて私たち二人の元気の源でもあった。

近くに住んでいるということもあり、一緒に過ごす時間も多く、孫娘も私たちを
今も『じじ』『あーちゃん』と呼び慕ってくれている。

私が言うのもおかしいが顔も可愛く(今は美人)性格もいいことから私たちも
大袈裟には言わないまでも『自慢の孫』なのである。

幼稚園の頃の元気あふれる姿は『どすこい姫』とか、瑛舞(エマ)という名前の下に
「男」をつけて『えまお』と呼ばれるほど活発な子供であった。
何年も経った今も妻の友達などは『かわいいどすこい姫はどうしてる?』と聞いたりも
するらしい

私は男にしては(?)よく喋るほうで妻からもしょっちゅう『お父さん、5分でいいから
黙っててください・・・』と言われたりする。
幼稚園の頃だったろうか、毎日のように遊びに来る孫に私が『エマちゃん、じじに
何かしてもらいたいことはないか?』と聞くと孫がすかさず発した言葉が驚きの
『じじ、今、じじにしてもらいたいことは黙っていてもらうことだよ・・・』と
いうものだった。

長年絵手紙をやっている妻がその言葉を巻紙に書き留めて保管してあり、時々
いろんな場所で話題になったりもしている。

孫の母親はメキシコ人でもメキシコ系というよりヨーロッパ系のはっきりした顔立ちの
美人であるが孫娘の顔は見るからにハーフ・・・というものではなく、どちらかというと
日本人の可愛い子という印象なのだが小、中学校ではやはりハーフということで
本人も多少の悩みのようなものを抱えていたようである。

それは明らかな「いじめ」とかそういうものではなく、本人も多少意識していたこともあり、
仲間たちとは少し距離感があったというようなことで大きな問題ではなかったようだが
そのためか、家庭内ではスペイン語を・・・ということに少し戸惑っていた孫も
やがて両親と共にスペイン語での会話やメールをするようになり、その結果メキシコでの
就職にも繋がったのは喜ばしいことだと思う。

高校では自信を取り戻したように活動し、短大でも持ち前の明るく真面目で優しい性格を
発揮し、楽しく充実した学生生活を過ごしてきたことを私たちも喜んでいるのだ。

私達の娘夫婦には子供がいないのでたったった一人の孫であり、治安があまり良くないと
言われているメキシコでの就職には私たちも多少の不安はあるが本人の意思も強く、
会社が用意してくれた住居はセキュリティ状態も良く、会社からも近いようだし、
母親の実家も近くだというので拍手で送りだそうと思っているのである。

息子には常に何事にも厳しい『スパルタ』の私だったので32年前自分の意志でメキシコへ
旅立った息子には祝福しながらも『弱音を吐いて帰ってくるな!』と厳しく言い続けたが
五日後に出発の孫娘には『羽ばたけEMA・・』そして状況判断で『いつでも帰ってこい・・!』
『じじもあーちゃんも待っているぞ!』と言って見送りたい。












息子の




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何故?と思うことが多すぎる・・・

2019-03-22 12:04:46 | 喜怒哀楽をポジティブに

一昨日のモーニングショーで報じられた香川県丸亀市の『魔の交差点』と
呼ばれている場所での衝突事故多発の様子だが・・・

交差点近くの花屋さんのところに設置されたカメラに残された映像を見ると
3年間で24回も車同士が衝突するという事故は本来一つも起きなかった
はずのものだと思った。

その交差点には一時停止の標識があり、道路上にも大きく『止まれ』の文字が
書かれている。
映像を見る限りそのほとんどが一時停止を怠りそのまま進行するため発生して
いるもので、きちんと停止さえしていれば完全に防げたものばかりなのである。

守らなければならない法律や規則を何故守らないのか?
テレビ局が独自に調査した結果でも1時間に143台中54%に当たる77台が
停止せずそのまま交差点に入ったという。

一日に2度も事故が起きたあことがあるという危険な交差点であることから
地元では信号設置の申請をしているようだが警察では設置基準に合致しない
ということで実施されてはいない。
設置基準も大切だが近くには学校もあり通学路でもあることから子供達が
事故に巻き込まれることのないよう、特別な措置はとれないものだろうか?

ただ、現在の状況でもできることはあると思う。
信号が付けば事故が減ることは充分考えられるがその前に運転者として
考える必要があるのではないだろうか?

一時停止の標識や信号を守らないのはマナー違反ではなく、完全な法律違反で
あり、他の大きな犯罪同様、人命にもかかわる重大な犯罪であることを何故認識
していないのだろう。

交通事故のことが話題になったりすると私は必ずこう言う。
『事故のほとんどは何かの違反によるもので違反さえしなければ事故は起きないのだ・・・』と。

そして私は更にこう思う。
免許証取得については教習所での厳しい運転技術のチェックを重ねて行い、
少しの不安もない状態にして卒業させること。
免許更新時にも違反の有無に拘わらず必ず実技のテストを行い、違反に
繋がりそうな運転や不安の要素のある者には後日再テストを行う・・・など・・・と。

ちょっと厳しいようだが特に高齢者には温情は禁物。
体力の低下に伴い、いろんな判断能力も少しずつ鈍っている可能性もあるので
車がないと生活に困る地方よりも交通量の激しい都市では特に厳しくやって
ほしいと思う。

かく言う私も今年は77歳、すでに後期高齢者としての更新時のテスト等は
クリアしているし、55年以上の運転歴と毎日の運転で自信があるので強く
言うが、私自身も少しでも不安や衰えを感じた場合は即刻返納する覚悟でいるのだ。

毎日のように事故や危険な運転やマナーの悪い運転を見かけるが、そういう時、
他人事とは思わず、すべての人が自分の運転を再確認してほしいと願う。

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何故今頃「月下美人」の花が?・・・その続き

2019-03-21 23:08:22 | 喜怒哀楽をポジティブに



3月8日投稿時はまだ小指よりも小さい状態で、花が開くまで持たずこの小さい蕾のまま
落ちてしまうのではないかと思ったりもしたが、日を重ねるにつれしっかりと伸び、
そして少しずつ膨らんで、17日の夕刻からあの優しく甘く気持ちのいい香りと共に開き始め、
18日、19日と3日間も神秘的で優雅な姿を見せ続けてくれた。

3月8日の記事にも書いたがこの月下美人は何年も前に友達からもらったもので、昨年も
複数の花が2日間も咲いていたが我が家で育ったものは一般的に言われているとおり、
夜に咲いて翌朝にはほとんどしぼんでしまうという状態だった。

咲き始めてからの元気な姿をスマホで撮り、メールに添付して感謝の言葉と共に友達に送ったが
花好きな奥さんと一緒に喜んでくれることだろう。
写真の中の赤いものは我が家で育ったもので今年また紅白で咲くのを楽しみにしている。






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自慢したいような綺麗な生け垣

2019-03-21 12:14:46 | 喜怒哀楽をポジティブに






私の住むマンションは築22年になるが居住者と管理組合(理事会)、管理会社の
コミュニケーションが良く、設備関係はもとより、共有部分の管理や清掃も含め
連絡なども密で理事会を中心に居住者間の連絡などすべてにおいてきちんとしており、
何よりも居住者のマナーの良いことや理事会の活発な活動が事故やトラブルに繋がらず、
お互いに平穏な暮らしを続けていける大きな要因となっている。

我が家へ遊びに来る友人知人たちも築22年とは到底思えないと驚いているが
訪問者の多くは植栽(特に生け垣)の美しさと管理の良さに感心している。

ヒイラギの垣根の中に山茶花を含むこの生け垣はあたかも水準器でも使ったかの如く
その高さは地面と平行で、波打ったり歪んだりへこんだりせずその高さは1ミリも違っては
いないだろうと測ってみたくなるほど真っすぐなのである。

A棟B棟と二棟あるマンション内のどの場所の垣根も「直角」「平行」そして
幅のサイズも「寸分の狂いもなく・・・」と言えるほど曲がりや凹凸などは見られず
正にこれこそ日本人ならではの「職人技」だろうと思う。

造園会社の人が手入れをしているのを見かけると作業の邪魔にならない程度に感謝の
意を伝え、その技の素晴らしさに驚きながらしばし見とれてしまう。

この地域も近くにマンションが林立しているが、これほど素晴らしい形の生け垣は
どこにも見当たらず、自分の技ではないのにひそかに自慢したいような気分なのである。







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今年も優しく微笑みかけるような桜の花に会いに行こう・・・。

2019-03-20 19:01:08 | 喜怒哀楽をポジティブに
桜の開花宣言の基準となると言われている靖国神社の標本木に
今朝一輪の開花が見られた・・・とニュースで伝えられ、合わせて
各地からの桜の様子も報道されていたが、今日は予報どおり温かい
一日だったので気象庁はじめ気象予報会社の予想では明日となっていた
開花予想が季節外れのこの陽気によって一気に花開いたということも
考えられ、今日・・・ということになってはいないだろうか?

このいい天気にほとんど一日室内にいたが夕方ちょっと外出してみると
外の方が温かく・・というよりも暑くさえ感じた。
近くの公園の桜も蕾の先が少し色づきふっくらとしたように見える。

先日、私たち夫婦は桶川市川田谷の河津桜を見に行ってきたが、
小さな川の両岸に続く桜は本場静岡のものに比べると木自体もまだ小さく、
全体の規模も大きくないのだが日曜日だったためか見物客はかなり多かった。

私は基本的に空に向かって咲く花が好きだが、見物する我々に優しく
微笑みかけるように咲く桜の花にはまた違う魅力がありそれぞれの木の姿や
花びら一枚一枚が勇気を与えてくれる声や顔に見えるようである。

今年もまたもうじき数えきれない花びら一枚一枚のたくさんの顔に会えると
思うと本当に楽しみである。

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昔遊んだ場所と同じ色の土をみて・・・

2019-03-18 08:29:48 | 喜怒哀楽をポジティブに
私が住んでいる近くには公園が幾つもあるが新芽の綺麗な春、木々の葉が生い茂る夏、
葉っぱが色づく秋やその葉が落ちて空が広く見える冬・・・どの季節もそこで木々を見上げたり、
ベンチに腰かけて本を読んだりゆっくり日向ぼっこをしてみたり・・・などということはまだ
一度もない。

少し前までは人影を見ることがなかったこれらの公園内に最近は陽射しの温もりを感じる
日にはベンチにかけている人やお母さんと子供の姿なども見られるようになった。

温かい空気に誘われるように住宅街に隣接する小さな公園に私もそっと足を踏み入れてみた。
黒っぽい落ち着いた色の土がなぜか新鮮に見えた。
そして下から見上げる木々のはるか先の空はいっそう青く見えた。

子供の頃にこれと同じ光景を何度も見たぞ・・・それは公園ではなかったが・・・と思った時、
すぐに思い浮かんだのが同じ色の土の上で、どんどん直線でできる図を拡大していった
『釘刺し』の遊びだった。

一人ではできず、二人では物足りず、3~4人ぐらいでやることが多かったと思うが
交互に地面に釘を刺した位置に直線を引いていきながら相手を取り囲む・・・という遊びで
相手の進路をふさぐようにしたり、線の間を狭くしたりその間を抜けだしたりという攻防が
楽しく、お互いに勝つまでやりたいと思い時間の経つのも忘れ夢中で遊んだものである。

遊びの道具は五寸釘だけ・・・それを肩や頭の上まで振り上げ、力強く一気に地面に
打ち込んで刺しながら進み、相手を取り囲むという単純な遊びだが今やろうとすると
相手を傷つけたり自分の足を刺してしまう恐れがあって危険だから・・・と許されないのかも
しれない。

私たちは子供なりに危険のないよう、先輩から釘の持ち方、腕の上げ方や振り下ろして
地面に刺し込む技術や目標の取り方などと共に危険のない確実な刺し方なども伝授されて
いたので誰も心配しない楽しい遊びの一つだったのだ。
今、親指と人差し指の間に釘の頭の部分を挟んで持つ格好をボールペンで再現してみると
ひろがボールペンが釘に見えるような気がしてあの頃の友達の笑顔が目の前に浮かんで
くるようだ。

今回ふと足を運んだ公園の黒っぽい土の色が一瞬にして『釘刺し』に結び付いたのは
遠い昔に友達と遊んだ広場の土の色が頭や目の奥にしっかりと残っていたからだと思う。
周りにある他の公園へ行っても幼いころの何かを思い出すかもしれない。

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こぶしの花が咲き始めている。

2019-03-17 10:18:03 | 喜怒哀楽をポジティブに
例年3月の下旬に咲くと思っていた「こぶし」が既に周りでも少しずつ咲き始めたようだ。
高いところから春を告げるように見えるこぶしの花にはいろんな思い出がある。

先ず思い浮かぶのは私が小・中学生の頃、春になると母がよく歌っていた題名(曲名)は
定かではないが「こぶしの花の歌」を聞き、その歌詞の中の言葉とその意味を何度も聞いて
その光景を連想しながら、或いは目の前に見ながら母と一緒に歌ったこと。

その頃からもう既に60年以上経った今もこぶしを見るとその歌が口をついてでてくるが
なぜこんなに長きにわたり忘れずにいたのだろう。

こぶし咲く窓辺 
春の月おぼろ
若葉いまだ萌えず
花の風もひそやか

夢の花こぶし
色も香もほのか
月に濡れて匂い、
閉ざしがたきこの窓

覚えている歌詞が正しいのか、曲名は何というのかいろいろな言葉をキーワードとして
検索してみたが見つからなかったので私のなかでは『こぶしのうた』とすることにした。

そして懐かしく思い出すのは下北沢(代田5丁目)に住んでいた独身の頃、銭湯へ行くため
環七(環状7号線)脇の代田二丁目駅(現在の新代田駅)の手前の緩い坂道を通る時、
3月の下旬になるとやや右手の前方の夜空にもくっきりと見える高く大きな木に小さな
綿帽子のようなものが突然現れ、日が経つにつれ拡がっていくのが不思議でそれが
こぶしの花だったとは気づかなかった。

夜の住宅街の上空は暗く、しかも少し離れた場所に20メートル以上もあると思える高い木
だったので夜空に広がったたくさんの枝に突如として(?)現れる小さな白い物体がまさか
花だとは思えなかったのである。(今思えばすぐに気づかないのはおかしな話であるが・・・)

結婚してからは妻が花や木に関心があり、特に樹木、大木が好きだという影響を多少受けて
私も花や木にも少しずつ興味を持つようになり、マンションの狭い庭にも少しずつ木や花が
増えてきたが・・・。

我が家にはコブシはないがハクモクレンとモクレンが毎年高貴とも思えるいい香りとともに
優雅な姿を見せてくれ、心を和ませてくれている。
ただ、今年は残念ながら(?)ハクモクレンは庭から姿を消し、モクレンだけがあの姿を
見せてくれることになっている。

なぜ?・・・コブシに比べるとハクモクレンの木の高さは低い…とは言っても我が家の
ハクモクレンは幹の太さとともに少しずつ高くなり、剪定はしていても枝の広がりに
つれてあの大きな葉っぱもまるで自由を謳歌しているように伸び放題となり、土壌との
相性がいいのか頻繁に切っても切っても次々と葉を広げるのでマンションの庭で育て、
鑑賞する限度を超えると思い、断腸の思いで昨年の秋に切ってしまったのである。

空に向かって堂々と咲く優雅で清々しい姿を長年楽しませてくれたハクモクレンは今、
写真としてパソコンの中で生きており、季節を問わず今後も私たちを楽しませてくれるだろう。
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爺さんカルテットも春の花たちも更に元気に・・・

2019-03-16 06:18:04 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日(16日)は例の爺さんカルテットが川越のメンバーの家に集結(?)してまた一日を
楽しく遊ぶことになっており、まもなく出発予定。
今日はさいたま市に住む私が車で出かけ、途中の駅で二人を乗せて目指すメンバーの家へ・・・。

何故こんな早朝から?・・・と思われるかもしれないが私たち4人は月に3~4回、各家を
輪番制で回り、その集合時間を朝7時30分と決めているからなのだが集まる主たる目的は
老化防止のための麻雀がメインで麻雀そのものが面白く、楽しいが、ゲーム中や昼食時の
雑談がまた楽しいのである。
時にはにカラオケへ行ったり、季節によっては筍狩りに行ったり・・・
航空ショーなどのイベントへ行ったことなどもあり、何十年も続いているこの仲間は私にとって
何よりも大切な宝物とも言えるのである。。

毎回それぞれの家庭で奥さんたちが作る家庭料理をいただきながら爺さんカルテットは
鋭気と英気を養い、家族ぐるみでいろんなことを話すことによって更に元気で明日に向かおう・・・
という目的なのだ。

生憎、今日は冷たい雨になるという予報が出ているが明日からはまた晴れの日が続くらしい。
雨が降らないと困る人たちもいることと思うので軽々しくは言えないがやはり晴れが続くと
気分も爽快になり外出も億劫にならず嬉しい気分である。

昨日も朝は寒かったが次第に温かくなり、近くの花好きな家の庭やブロック塀の上下にもまた
何種類かの花が一気に咲き始めた。
寒さの中、周りで次々と咲き、傍を通るたびにいい香りと共にその姿に気高さを感じさせて
くれていた梅たちも少し前に優雅で華やかさをアピールするようなしだれ梅にバトンを
渡したかと思ったがいつの間にかそのしだれ梅の鮮やかな花びらも散り始めているようだ。

暖かさと共にこうして次々と花々が咲き乱れるような本格的な春の気配を感じ、
平和であることを感謝しながらも各地で起きている悲惨な事故や事件の情報を見聞きするとき、
それらの中には予見、或いは防げたものもあるのではないかと思うと本当に残念である。

と同時に必ず思うことがある。
それは何故不必要な軍事力強化拡大に伴う「イージスアショア」の導入「護衛艦の空母化」
「F35B戦闘機」の購入などをやめて災害や福祉に目を向けお金を使わないのか・・・と。

私は時々、激しく「現政権打倒!」を口にし、安倍首相については「極悪人」「大嘘つき」
「卑怯者」「裏切者」「恥知らず」「コウモリ」「小心者」「くず」などと口ぎたなく
罵る言葉を頻発させており、その時は自分自身でも人が変わったように思うほど心が怒りと
興奮で震えるような状況にもなる。
この時の私の顔の表情はきっと見るに堪えられない醜いものになっているだろうと思う。

口先では不毛なスローガンを連発し、国民の声を無視し、米、中、露に対しては卑怯な
コウモリとして飛び渉る安倍晋三の思い上がり、のぼせ上りとその安倍一強政治を決して
許してはならないと思うと不本意ではあるが、まだまだこのように罵倒し、蔑み、罵り倒す
ようなことを使い続けていくという悲しさも自覚しながらいろいろな機会を利用し世に
訴えていかなければ・・・と思うのである。
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若いお母さんと可愛い女の子に心もほっこりと・・・

2019-03-15 08:01:47 | 喜怒哀楽をポジティブに
一昨日は陽の当たる場所では長袖シャツ一枚でも寒くないほど暖かく、車の中は
暑いくらいで、浦和へ向かう渋滞の道路では少し窓を開け、ちょっと早い春を感じて走っていた。

さいたま市内の北区~大宮区間を走行中、遠くから保育園児とお母さんらしき人が
私の車の進行方向とは逆の方へ向かい、歩道を歩いてきた。

その女の子は背中に背負った小さなバッグを上下にパタパタさせながらスキップを
するような足取りで、3~メートル程進むとしゃがみ込み、その繰り返しで私たちの車の
横まで来ると私たちに向かって無邪気な笑顔で愛嬌を振りまくように手を振って
何かを言っていた。

若いお母さんは助手席の妻に向かい笑顔で軽く会釈すると自分もしゃがみ込んで
その子をちょっとたしなめるように両手をとって軽くゆすり、子供の笑い声を受け止めていた。

その微笑ましい光景に私たちの頬も緩み、その子はとても可愛く、そしてそのお母さんは
優しく、明るく、おおらかで親しみのある特別な美人に見えたのである。

親子が通り過ぎてからも道路は渋滞のままで前に進めなかったのを幸い、サイドミラーに
映る親子の姿を見ながら私たちはその親子の会話や家庭での微笑ましい様子などを
想像し、心温まる思いとともにちょっと得をしたような気分になったと語り合った。

陽射しが降り注ぐポカポカ陽気の中で見た親子のあの素晴らしい笑顔のように、万人が
本当の笑顔をもって人と接すれば心も打ち解け、相手への尊重や、敬意の心で嘘もなくなり、
家庭内暴力やいじめ、不必要な喧嘩や体罰なども必ず減ると思う。

学校、教育委員会、施設、病院なども事件の隠蔽に汲々とすることなく、真に心から話せる
ような環境づくりに努めてもらいたいものである。
周りには小さくとも見本となるような人や行動がたくさんあることに気づき、目を向けて
取り入れる材料はたくさんあるのだから・・・・

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20年以上も前に飲んだ熱いコーヒーが・・・

2019-03-14 09:05:24 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨年、兄の法要の時に姪から『おじさんの人生も波乱万丈でしたね・・・』と言われ、
それまでの起業や転職の人生に自分ではその都度一生懸命、真剣に、そして楽しく
生きてきたつもりだったので『波乱万丈』とは思わなかったが今、自分の人生を振り返ると
私にも多少の波乱万丈があったように思う。
これは私よりも妻の方が強く思っていることだと思うが・・・。

私が定年前に16年間勤めたK・M社での前半8年間は大きな工場の寮の管理主体の仕事であり、
後半8年間は研修センター(兼寮)での仕事だったが、私たち夫婦の仕事は本社からの指示
により研修に伴うスケジュール作成や諸々の準備、研修機材などを取り扱う会社とのやり取り、
清掃会社や給食会社の社員の管理とともに研修センター内に併設の寮で生活する東京や
埼玉などの支店や営業所、事業所に勤務する社員たちの寮生活の管理業務などであった。

毎年春にはK・M社とK社合同での新入社員(男女100人以上)の研修が2か月間以上
行われ、大学を卒業したばかりの若者達と一緒に過ごしたことが私にとってすべての面で
有意義であったが、カリキュラム終了後の自由時間や夜などの雑談の機会に技術系の
社員たちから得るパソコンの新しい知識などは特に楽しみであった。

毎年、多くの研修生から学ぶパソコンの知識や技術はその後(定年後)の私の仕事や
人生にも大きな影響と力を与えてくれ、委託契約先や取引先との信頼にもつながる業務の
改善にも活用でき、役立つことも多かった。
今はまた趣味としてもなくてはならないもののようになっている。

研修中の期間は彼ら、彼女らからは若者らしい新鮮な勢いのようなものも多く感じ取れたが、
中にはこれから取り組んでいく仕事や人間関係などに不安や戸惑いのようなものを持って
いる人も少なくなく、寮生も含め、夜間や休日などにも話し合ったり遊んだりしながら彼らの
話を聞き、励ましたり、一緒に考えたりして過ごす日々も多く、今思い出すと懐かしい。

研修を終えた彼ら、彼女らが本社、工場、営業店、事業所など各配属先に赴任した後も
多くの社員からメールや手紙をもらったり、連休には仲間と共に遊びに来てくれたり・・・
結婚の知らせがあったり、年賀状の写真や手紙で子供たちを紹介されたり・・・と、今も
何人かの人達との交流がつづいていることが、私たちにとっては大変ありがたく財産でも
あると思っている。

特に悩みの様なものを打ち明けた社員に私が簡単なアドバイスをしたことが大きな励みに
なったという彼ら、彼女らはもう40代になり、いいお父さん、お母さんになっているが
彼らは口をそろえ、示し合せたようにそれぞれのメールや手紙でも私の妻が淹れたコーヒーが
何よりも美味しかった・・・そして未だにその味を私の言葉と一緒にしっかりと覚えていると
言ってくれている。
20年以上も前に一緒に飲んだ熱いコーヒーが齢の差を超えて彼らとの繋がりになっている
と思うと彼らの言葉が心に響き、彼らが感じてくれたその時のコーヒーの香りまでもが胸に
拡がるようでじ~んと熱くなってくる。
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3月3日の投稿記事の花たちは・・・

2019-03-13 08:15:43 | 喜怒哀楽をポジティブに
3月3日の記事には
『多少冷たく感じるこの雨の中でクリスマスローズは首を少しうなだれるような
格好で上目遣いにお互いを見つめているように咲いている』 と、紹介したが10日経ち
花の数が増え、お互いが少し近づいたようにそして窮屈そうに見える。
しかし、相変わらず下向きにひそやかに咲いている。

今日はキッチンの一輪挿しの小さな花器のなかでもこのクリスマスローズが咲いている。
少し開き始めた花とその上下の小さい茎(?)にもちょこっとついた蕾が肩を寄せ合って
いるように・・・。

今までは土から生えている花を離れたところから眺めるだけで近くで見たことがなかったので
目を近づけてみると花びらの表にも裏にも毛細血管のような細い筋の様な模様があることに
気が付いた。
これはどんな役目をしているのだろう?

そして同じ3日の記事に書いた
『すぐ傍にある沈丁花は最近咲き始めたばかりだが雨に向かってあたかも競うように
微かな風を受けながら小刻みに揺れて存在感を表しているようだ。』・・・の沈丁花のその後
(今日の様子)は朝の柔らかい陽射しを受けて『私が主役だ・・・』とばかりそのこんもりとした
丸い形の木の全体に拡がり、一つ一つの花が満面に笑みを浮かべて燥いででもいるかの
ように見えた。
いい天気が続き、一挙に開花が巣sんだのだろうか?

別れを惜しむ間もなく少しずつ仲間が減っていく椿の花たちも、朝の光を反射させてピカピカに
光っている周りの葉っぱの間から顔を覗かせ、残された時間を力いっぱい生きていこうと
その鮮やかな赤い花びらと筒状の黄色いおしべがアピールしているようだ。

10日前にはその椿に語りかけるように、また励ますように並んで咲いていた水仙達は
その役目を終えて花は枯れ、手を振るように動いていた長い葉も萎れ始めている。

こうしていろんな草花が次々と交代しながら私たちを楽しませてくれる春がやってくるが
周りの家々でも多く見かけるいろんな花が今年もまた同じ顔を見せてくれることが私たちの
気持ちを安らかにし、また活力をも与えてくれるものだと思う。

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晴れた二日間は・・・その3.

2019-03-12 10:35:41 | 喜怒哀楽をポジティブに
晴れた二日間は・・・その3.
二日目の土曜日も川越方面へ・・・
例の仲良し爺さんカルテット(クヮルテット?・クァルテット?)の集まりで
朝、6時半に出発・・・。

予報どおり朝から晴れ渡る好天気に恵まれたが空気は冷たく、久しぶりに
車のフロントガラスに霜が張り付いていた。
この時季の霜なのでガリガリに凍ったものではなくプラスチックの霜取り
グッズの手ごたえも軽い物だった。

今は四人組だが1年半ぐらい前まではクインテット(五人組)だったこの仲間
達との家族ぐるみの交流は最も古くからの付き合いが50年、短い人でも
20年以上になる。
因みに5人中、私も含め4人は社内結婚で、妻たちはお互いを知らなかったが
5人がそれぞれの家庭で持ち回りの集まりをすることによって家族での交流が
始まり、以後女性たちも顔を合わせる機会もありこうして付き合いが長く
続いているのである。

一番長生きするであろうと思われた最年長のメンバーが残念ながら1年半前に
すい臓がんで亡くなったためそれ以後は4人になってしまった。

五人全員、私が最初に勤めた会社のメンバーで、それぞれ支店や部署は違っても
頻繁に行われる人事異動によりどこかの支店で知り合った気の合う仲間であり、
私は金属20年で退職したが彼ら四人は全員真面目にその会社で定年を迎えた。

なくなった仲間が生きていれば79歳、次が私と同じ76歳、そして次が74歳、
最年少者が69歳という爺さんたちだが元気者揃いでみんなが月に2~3回
の顔合わせを楽しみにしているのだ。

メンバーの3人は川越を中心に5km圏内に居住しており、私はさいたま市なので
少し離れているがそれぞれの家庭への訪問時は車で出かけ、途中で合流して
行くことにしている。

川越へ向かう国道16号の上江橋(かみごうばし)を渡る途中に道路の真正面に
大きな富士山が現れる(見える)地点があり、特に冬場の晴れた日はくっきりと
したその稜線と青空と雪のコントラストや光を反射するように聳え立つ
全体の姿は雄大で心の中に大きな力が伝わってくるようである。

このはっきりと鮮やかに見える富士山も春が進むにつれてその姿が次第にぼんやりと
してくる感じではあるが、いつ、どんな時でもそして何度見てもその都度何かを
感じさせてくれる。

そのほとんどが過去の思い出や古き良き時代への郷愁などではなく、雄大なその姿から
激しく移り行く時代に向かって、小さな自分であっても一歩でも二歩でも自分らしい
歩み方で進んでいきたいと思わせてくれるのである。
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