ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

思わず買ってしまった工具

2015年08月31日 | 日記
 思うものがあって、造る為の材料を探しに、DIYショップに行った。
 DIYショップと言えども”プロの職人”が利用する”お店である。
 開店当時は、本店(他県)と同様に、ホームセンター的な臭いもしていたが、最近では、職人用に特化した品揃えと成っている(様である)
 此処で「ガラクタ市」なるコーナーと言うか・商品を、コンテナ(プラ箱)で展示販売している商品類を見つけた。
 前々から「ラジオペンチ」が欲しいと思っていた。
 40数年は使っていると思う。
 日本の二大メーカー製である。
 ラジオペンチの先端が湾曲し、修正を繰り返すうちに、上手く勘合しなくなっていた。
 雑多な商品に中に、ラジオペンチを見付けた。
 手にとって確認した。
 ”良さそう!”と思った。
 その日の主たる買物が、私の求める仕様と合致しなかったことから、従たる欲求を満たす事となった。
 ラジオペンチとニッパーを買い求めた。
 兎に角、安い。 安かった。
 二つ(ニッパーとペンチ)で、500円程であった。
 そして、今日になって、ニッパーを使う機会が生じた。
 2mmの針金を切断する必要が生じたのである。
 ”スパッ”と切れる期待感に胸踊った。
 ”あれ!!”一発で切断出来ない。
 所謂、刃が”逃げる”のである。
 造りはシッカリしているのに何故?!
 ヒンジに問題がある様である。
 少し”ガタづく”のである。
 ペンチの方は”挟む”という動作に”ヒンジ”の精度は余り関係が無く、現状では問題なく使用出来ている。
 ”ハサミも使い様!”と言う言葉もある。
 ニッパーの刃が、目標物から逃げない様に意識して使うしかないのだろう・・・?
 道具を使う為に頭も使う。
 ”ボケ防止”の為の、天の御計らいだろうか? 
 
 追記:絵日記(写真の添付)に出来たが、ためらい(商品の表示に)もあり、やめた。
コメント

えぇ!この言葉(名詞)正しいの・・?

2015年08月30日 | 日記
 ”えぇ!この言葉(名詞)正しいの・・?”と、一瞬・思った。
 久し振りに”三色丼”を食べようと、食材を求めに行った。
 私は、茶色(と言うか黒)=豚・牛のミックス・ミンチ、黄色=卵、緑色=グリンピースをベースとして、彩に”デンブ”を添える。
 話しは、このデンブについてである。
 普段、買わないものであることから、売り場が分らない。
 それ程、大きくないない売り場ではあるが、二度三度と捜したが、分らない。
 意を決し、お店の制服を着た年配の方(女性)に尋ねた。
 「デンブは何処に有りますか?」と尋ねたものの”デンブって何?!”と云われるのではないかと一瞬・考えた。
 そして「デンブって、有りますよね?!」と、付け加えた。
 女性「えぇ!有りますよ!」と返事はもらったものの、その女性の方は”清掃員”であった。
 「担当者に聞いてみます」と云って、商品を陳列している、若い男性に尋ねていた。
 「デンブ??」と、知らない様子であった。
 女性の説明を聞いて分ったのか、若い男性社員(?)は、商品を探し・届けてくれた。
 双方に「有難う!」と、お礼を言った。
 必要とする食材を買い求める事が出来た。
 その時、最初に尋ねた女性が「若い人、特に男性は知らない様ですね!」
 と、云う事で”一件落着”したが、一瞬・脳裏を掠めたこと、それは、何をか血迷ったか、身体の一部の”隠語”を口走ったのではないかと言う不安であった。
 言葉と言うもの、取り違えると大変な事になると、考えさせられた食材探しであった。 
 
 追記:彩に添えるのでは無く、デンブを”赤”とし、四色丼と言うらしい。
コメント

音響機器の収納ラック

2015年08月29日 | 日記
 我家の音響システムを収納する”棚(ラック)”のキャスター部分が壊れた。
 電源の制御が出来なくなり、その原因追求の為、壁面より引き出した。
 そして、原因も判り、対策(修理)を講じた。
 この際にと、蛸足配線状態であった、電源ケーブルや信号線ケーブル類も整理した。
 そして、元通りに納めようとした。
 壁面に納めるためには、カーペット・一枚分を乗り越えなければならない。
 後方のキャスターを持ち上げ、カーペットに載せた。
 キャスターがカーペットに載った事を確認し、押し込んだ。
 後ろ向きに傾き、移動させる事が困難となった。
 「あぁぁ! キャスターが壊れた!」と直感した。
 永年使ってきた。そろそろ更改時期か?と考えた。
 しかし、余分な出費は控えようと、修理できるなら、修理によって対処しようと、直ぐに反省する。
 ラックから、収容機器を撤去し、不具合部分を確認した。
 キャスターを保持する部材のホモゲンホルツ(集積材)が破損していた。
 「修理は可能!」と判断し、DIYショップに行き、材料を物色した。
 プラスチック製のキャスターを保持する緩衝材が磨耗し”ガタ”がきていたので4個とも更改する事にした。
 ネジ留め式が、安価である事が判った。
 キャスター・一脚あたりの許容荷重は、20Kgであることから、(4脚で)60Kgは許容されると判断した。
 価格・製品のスペックから、本体(ラック)に直接、キャスターをネジ留めする工法を選択した。
 キャスターの高さ調整、及び緩衝用の部材として、加工がし易いSPF材を使った。
    
 今日の絵日記の絵(写真)は、左より写真1から写真4とする。
 写真1:破損の無いキャスター保持部(四脚ある前面の二脚)
 写真2:破損したキャスター保持部材(裏面部の二脚)
 写真3:修理が完了した、キャスター四脚
 写真4:修理を終えた一脚部の拡大
 因みに、修理材料の総額は、千円で少々の御つりが生じた程度。
 但し、キャスターを固定する5mm径・長さ50mmのボルトナット用切裂き(ドリル刃 5.5mm径)を所有していなかったので購入したが、この代金は含まず。
コメント

多様化した社会?

2015年08月27日 | 日記
 Netのニュースで、高校生が”労働組合(首都圏高校生ユニオン)”を結成したことを知った。
 アルバイトにおける労働条件に関する問題点を提起し、解決を図ることを目的とした”高校生だけの労働組合”の創設であると言う。
 会費・数百円/月額を支払って、労働組合員として構成する。
 自分達(発起人)の経験から、社会の中で”喘いでいる”(同じ境遇の)人達が居るとの危機感から、発起したとの事であった。
 彼等、発起人の思い・覚悟は如何程のものかと、少ない情報ではあったが、感動した。
 雇用する側・される側(労使)に、夫々に立場はあると思う。
 しかし、労使ともに、強者・弱者の立場でなく、より良い雇用関係が維持できれば、理想である。
 高校生のアルバイトの必要性については、個々に事情があって、私が言論する術も、知る由もない。
 かく云う私も、高校3年生の時、三ヶ月程(?)ではあるが経験がある。
 授業が終わって、電車で通勤し、三時間程の勤務であった。
 勤務先は、新聞社でした。
 仕事は、記者の記事を、校閲室に届け「未決箱」に入れる。
 校閲室の「既決箱」に記事があれば、凸版室へ運び、「未決箱」に入れる。
 同じ様に既決箱に(記者の書いた原稿と、印字された)記事をあれば、再度・校閲室に運ぶのである。
 新聞の、見出し・袖見出し・前文をこの様な手段で、作成していた様に記憶している。
 そして、主文と成る部分は「気送管」という空気の力で、専用の筒に入れ、印刷室に送るシステムがあった。
 記者が書いた記事があれば、この気送管で印刷室に送る事などの”集配送の業務”が、我々・アルバイターの役目であった。
 最終的に、記者が書いた記事が、記者がイメージする”カタチ(見出し・袖見出し・前文・主文)”となっているか、誤字・脱字はないかを”ゲラ刷り”で確認し、訂正箇所があれば、朱書きされたゲラ刷りを印刷室に届けるのである。
 急ぐ場合は「ボン!」と呼ばれ、届ける様に要請されていた。
 我々、アルバイトの学生は、名前でなく、一括して「ボン!」と呼ばれていた。
 私の、学生時代のアルバイトに関して、問題とすることも・違和感を覚える事もなく、有意義な経験であったと記憶している。
 終身雇用制から、現代社会のニーズで”雇用制度”も多様化している。
 求人も容易になったのでしょう。
 また、学生側の社会生活(人間関係や経済的要求等々)上で、アルバイトへの要求もあるのでしょう・・・
 そして、その事(雇用の多様化)が、社会問題として、ニュースになっている事も事実である。
 「学生の労働組合」のニュースに接し、過去のアルバイトを思い出すと伴に”より良い雇用文化の発展を!”と祈りたい想いで日記にした。
 
コメント

ヤラレタ

2015年08月26日 | 日記
 蚊に刺されての感想である。
 雑草に被い尽くされた、我家の”猫の額ほどの庭”。
 雨が降って、土地が柔らかくなったら整理しようと思っていた。
 台風の影響で、降雨となった。
 そして、今日・実行した。
 以前にも日記にしたが”薮蚊”と思われる・黒くてチッチャナ蚊が居る。
 刺されると、激しく痒いのである。
 腕などの皮膚に触る(留まる)と、もう刺している。
 腕などに留まって「さて!どうかな?」と、首を傾げる様な動作をして「(この動物の血は)美味しいかな?」「ソロソロ頂こうかなぁ!」等と云った”戦国武将の風情の”蚊”ではない。
 ”ゲリラ”の様な蚊なのだと思ってしまう。
 但し、蚊に首が有るのかは、知らない。
 幼少期に覚えた、蚊を腕に留まらせ、刺した事を確認したら、腕に力をいれる。
 蚊は異変に気付き、逃げ様とするが、刺したモノが抜けない。
 バタバタしている様を観て「パッチ」と叩き「この野郎!よけ(沢山)血吸いよって!」といった”風情”は、此処の蚊にはないのである。
 完全武装=白い長ズボンに長袖のシャツ・首に大型タオルを巻き、帽子を被り、長靴を着用して、作業にかかる。
 不覚にも、長袖シャツは着ていたがボタンを留めていなかった。
 作業の途中で「痒い!」と感じた。
 そして、作業が終わって確認すると、左腕に6ヶ所・右腕に1ヶ所の痕跡があった。
 それも(上腕の)脇の直ぐ下まで達しているのである。
 やはり”ゲリラ(的な蚊)”であり、恐ろしい奴等であると思う。
 それにしても、痒い・・・!
コメント

大は小を兼ねる Prt2

2015年08月25日 | 日記
  
 大は大なりに・・小は小として・・
 はやり”容姿”に適合した道具が良いのでしょう・・
 サイフォンコーヒー用の攪拌棒である。
 結果的に三本造った事にる。(写真・左の小さいのが、今回の作品)
 ”三度目の正直”で、適度なサイズに成ったかな?!
 ヘラの部分が、もう少し細くても良いのかも知れない。
 サイホンでの所作は、好きであるが、火力の「アルコール・ランプ」が如何ともしがたい思いである。
 アルコールは揮発してしまい、使うときには補充しなければならない。
 点火にマッチが必要。
 風に弱い。
 過去において、キャンプ用のガスストーブ(コンロ)を装着出来る様に手造りした。
 何度か使っている間に、フラスコ部分が割れた。
 火力が強かった事もあると思うが、永年使って、ストレス(キズ等)によって割れた事が大きな要因と考えている。
 アルコールランプに代わる”火力”が無いか考えている。
 電気製品での市販品はある。
 三万円近い価格では、手が出せない。
 思案がまとまり、完成させれば、日記にします。
 
コメント

大は小を兼ねる!?

2015年08月22日 | 日記
 この言葉、調べて(NET)みると”死語”になりかねない言葉で有るようだ。
 現代社会においては”大は大・小は小”で、道具の使い方を限定しなければ成立たない様である。
 日記の始まりから、大上段に振りかぶった言い回しで始まったが、何のことは無い、寸法を誤って、手造りした”道具”の言訳である。
 コーヒーを飲む為に、サイホンやペーパードリップ等によって”固体(粉末)から液体”に変換している。
 器具の利用は、その時の気分で選び・楽しんでいる。
 友人などは、NETで「コーヒー豆を買っている」という。
 気侭に、NETを観てみたが、文書では味わいが分らない。
 何度と無く購入する中で、自分の好みにあったものを見つけ出す事が出来るのでしょう。
 サイホンコーヒーで使う”攪拌棒”なるモノが目にとまった。
 販売価格は、400数十円であった。
 サイホンコーヒー器具を購入した際に添付されていた計量スプーンを、攪拌に使っていたが「格好良いのでは・・・?」と思い、竹材で造る事とした。
 竹は、3年ほどに成るか、頂いていたモノがあり、充分に乾燥されている。
 イメージで、先ず・造ってみた。
 大き過ぎた。
 そして、再度今日・造って使用してみたが、やはり大きい様である。
 そこで、出てきた言葉が「大は小を兼ねる」という保身的な言訳の言葉であった。
 材料(竹材)はある。
 また、造ろう・・・
  
 写真・左は、原寸合わせをすることなく”イメージ”で創りあげた・攪拌棒 二種類である。 右が、左の”反省”を受けて造ったが、やはりこれも大き過ぎた。
 写真・右は、実際に使ってみた状態である。 もう少しコジンマリとした方が、バランスがとれる様に思う。 
 
コメント

月例会

2015年08月21日 | 日記
 昨夜は、月例会があり、参加した。
 今月は、通常の開催日が盆中にあたる為、翌週での開催となった。
 一週間遅れの開催で”懐かしさ”が感じたのは何故だろう。
 参加する事を、楽しみにしていることの”証”なんだろうか・・・?
 最近「えぇ!あの人が・・・」「この人も逝ったんかぁ!」と云った悲しい情報を目にする事が多くなっている。
 私自身が、その様な年齢に、なったという現実はある。
 昨夜は、15名が集まったが年齢的には、殆どが私より年長である。
 月例会に参加し、語り合う・私の楽しみを維持する為には、皆が元気で居てもらわなければ成らない。
 昨夜は、最近の政治問題(安保法案・原子力発電再開)に、議論が白熱する様は、往年を思い出させるものであった。
 まだまだ、皆さん・お若い!
 閉会の予定時間となり、来月の開催日の通知があった。
 二時間余りの語らいも、瞬時に済んだ様に感じるものであった。
コメント

如何しようか?と迷ったが・・・

2015年08月18日 | 日記
 我家の犬くんに咬まれた事を日記にしている。(「我が犬に噛まれる(2015.02.21)」)
 咬まれた翌日からは、不安と恐怖に葛藤する日々の連続であったことを、記録(日記)として書き残すかについて迷っていた。
 半年という時間の経過で、落ち着きも取り戻す事が出来ている(と思う)今日この頃である。
 咬まれた事によるリスクが、完全に払拭されたとは、今もって云い難いが、残そう(日記として)と意を決した。
 2015年2月20日の夜、犬くんの行った”不始末”に怒りを覚え、強く叱責した。
 犬くんは防衛本能で、私に攻撃を仕掛けてきた。
 そして、出血を伴う”咬み傷”を私は受けた。
 「明日、病院に行こう!」と思った。
 翌朝となって、出血が止まった傷口の手当をしながら、30数年前に、同じく犬に咬まれ病院で手当てを受けた時の言葉が”トラウマ”となって蘇るのである。
 以下は日記の抜粋である。
  病院の院長(女医)が診察した。
  犬に嚙まれた部分の手当てをして、治療は終わった。
  若い男性医師が「血清を投与?しましょう!(医療の常道では?)」と提案した。
  「ワクチンを投与する事と、狂犬病による発症を比較すれば、投与しない方が良い」
  加えて「この三十年程は狂犬病(発症)の事例はこの地域にはない」と説明した。
  しかし、若い男性医師は「結果は(院長の責任で)知りませんよ!」
  院長は、現状の発症(この地域での狂犬病の)から投与(注射)しない判断をしたということであった。
 院長と、若き医師の問答”ワクチン接種=副作用・若しくは後遺症”と言う言葉の意味が重く圧し掛かって、昨夜の「病院へ行こう」と言う意識が抑制される。
 ワクチンの接種による新たなリスク(前記の後遺症や副作用)への恐怖心が勝って、受診(受診=ワクチンの接種)しようとする意識が失せるのである。
 そして、夜を迎える。
 NETで「狂犬病」というキーワードで、不安を解消する言葉を捜す。
 目に付く事、それは「発症すると100%死」と言う記述しか見当たらない。
 「明日は、病院へ行こう!」
 翌朝を迎え、陽光穏やかにして「(ワクチンを接種しなくても)大丈夫!」と言い聞かせる。
 医師をする甥に電話をする。
 「犬は、雑菌を多く持っているから病院へ行くこと!」と進言された。
 そして「ワクチンは接種されるでしょう!」という。
 「さて!どこの病院へいこうか・・・?」と調べは、した。
 やがて、夜を迎える。
 不安に押しつぶされそうになる。 明日は病院へ行くぞ!
 朝となって、息子や犬を飼っている友人に電話する「何度も咬まれるが(病院に行っていない)大丈夫!」
 又しても、夜を迎え”発症すれば”死”と言う恐怖感が襲ってくる。
 朝を迎え、動物病院の診察開始時間を待ち焦がれて「狂犬病」に関する情報を得ようと電話をする。
 「海岸近く(注1)居て、野犬と喧嘩し、咬まれる様な事がなければ(犬が)狂犬病を発症することはい」
 「もし、発症したとなったら大問題になる!」 注1:海岸近く・・とは密航してきた犬が居たとしての話し。
 太陽が沈み、静寂が訪れると「獣医はあのように云ったが、100%狂犬病が無くなったのではない」と不安な気持が目覚めるのである。
 咬まれて、此れだけ日数が経過したのだ、今更、ワクチンを接種しても、駄目だろうから(注2)、悩むのは止めようと、気分転換に努力をした。
 注2:狂犬病を持つ犬に咬まれたとして、間髪なくワクチンの接種を受けると、略100%発症することはないとのこと
 楽天的、それとも優柔不断な性格からか? 30数年前の女医が発した言葉の重みか? 受診する事をためらい、今日まで居る。
 世界の事例(一年後?に発症した)からも、発症するリスクから開放された訳ではない。 脳裏にその不安は今もある。
 それでも、過去の、夜と昼の精神状態からは開放され、記録(日記)として残そうと思う”穏やかな”日々を取り戻している。
 あれ程の、夜と昼の精神状態の違いを、経験したは無かった。
 当の犬くんは、自分が咬んだ事を日記にしているとは知らないのだろう、暑いのか板間に腹ばいとなって、忙しそうに息をしている。
コメント

三度目の正直!でなく、四度目にして

2015年08月17日 | 日記
 琵琶湖の湖畔に沿って、一周するツーリングの計画がある。
 琵琶湖を廻るツーリングの計画は、表題のとおり、過去にあった。
 4年ほど前に、最初の計画が成された。
 しかし、メンバーの身内に、不幸事が起きて中止。
 そして、翌年にも計画したが、天候不良で中止を余儀なくされ、二年前は、我家の犬くんが発症した。
 私事であり、予定通り実施して頂く様、懇願したが、結局・中止となった経緯がある。
 従って、四度目にして、実行可能な条件が整ってきている。
 暑さも和らぐであろう、9月の実施で、バイク仲間で、経験と情報が豊富なM氏が、鋭意検討中である。
 どの様なコース執りを提案されるのか、楽しみである。
 結果は”旅行記”として、絵日記にします。
コメント

”ポパイ”に至らない我が肉体 (17日 加筆・訂正)

2015年08月16日 | 日記
 ”永い事、筋トレしたけど、筋肉が着いていないんだってよ!”
 この文書が、今日の日記の主題で、書きたい内容である。
 「5W1H」の文書形態(報道)で云うところの”何を(した結果)・どう(なった)した”と云ったところであろうか・・・?
 しかし、文書を形容しながら、私の日記にしたいと思う。 
 通っているスポーツジムで、特定期間中に5回(「一週間に三度」は誤りでした)利用すると”ご褒美”が頂けるイベントがあった。
 そして、参加(スタンプ帳の交付を受ける)し、完遂した。
 ”ご褒美”は、筋肉量を測定するものであった。
 イベントも終わり、筋肉の消費を温存(筋トレ前)したある日・測定を依頼した。
 測定が終わって「前回(約一年前)の測定と対比して、余り、筋肉量は増えておりませんね!」であった。
 もともと”スポーツジムに行こう!”と思ったのは、バイクに(現状どおり・一日も永く)乗りたい!と思って始めた。
 言い換えれば「現状維持が出来れば良い!」此れが目的であった。
 総括的には「衰退していません・目的は達成しております」と、私の目標とする結果で、喜ばしいことではあった。
 帰宅し、色々と思い起すなかで「何故!筋肉が付かない?」と言う”欲”が出てきた。
 筋トレ前後の注意点について、NETで調べた(検索した)
 筋トレ後の入浴は、通常温度なら問題はない。
 筋トレ終了後に”たんぱく質?”を与える。等の記述があった。
 この中で”牛乳を(筋トレ終了後、30分以内に)飲む事は効果あり!”と言う記述を見つけた。
 此れ以後、ジムに行く日は、牛乳(加工品)約180ccと、蜂蜜加工品を添加したモノを、持参し、入浴前に飲用している。
 ”信じる者は掬われる”として、当分。継続してみようと思っている。
 ”バイクに此れからも乗っていたい!”と言う当初の意識から、前記の”欲”が芽生えた結果であろうか・・?
 カリキュラムが終わって、脱衣所から風呂場に向う途中にある鏡に「おぉ!遣るじゃ!」と腹部の変化を喜んでいる私が写っているのである。
 ポッコリお腹が、改善した様にみえるのである。
 筋肉増強の方法(サプリメントの服用・等)は色々あれど、自分流(サプリメントに手が出せない現実)で(今の遣り方を)継続しなければならないのでしょう。
 ”此れからも継続する”意欲はあります。
コメント

我家の犬くん その後

2015年08月15日 | 日記
 今日・15日、終戦記念日である。
 終戦記念日とは関係ないのであるが、土曜日と言うことで、午前中・犬くんを病院に連れて行った。
 土曜日に(病院に)連れて行く!は、特段の決まり事ではないが、8月14日(金曜日)の翌日(以降)という”日”である。
 最近、耳を搔く動作が増えたことから”14日(今月は)を過ぎたら”診察を受けさせようと考えていた。
 そして、フィラリアの予防薬の処方を受ける目的もあった。
 何時もの様な治療(耳の内側の毛抜き・カット・薬品による消毒?)の後「(それ程)重症化していない。耳を搔く様な仕草をする様であれば診せて下さい」との診断結果の説明があった。
 犬くんの、その後であるが、レバー類とか増血作用のあると思われる食べ物を与えているが、血の量としては足らない状態が続いているのでしょう・・
 舌の色が”真っ赤”とはなっていないのである。
 しかし、車両の後退する合図のビザー音などに、反応して”吼える”様にはなっている。
 完治ではないが、元気なら良いと思う、今日この頃である
コメント

リンゴが高くて・・・!

2015年08月14日 | 日記
 最近、聞かなくなった言葉に”所帯染みて!”というのがあると思う。
 此れって、所帯染みた話し?
 旬と言うか・集荷(出荷)時期でない事は理解している。
 ”リンゴ”が高くて手が出せ(購入でき)ないでいる。
 朝の食事に必要な”リンゴ”である。
 リンゴ(4分割し、一片(/一人))と、バナナ(半分・小ぶりなら一片(/一人))に、有れば人参の小片を、牛乳と伴にミキサーにかける。
 この牛乳の混ぜモノに、食パンと乳製品一品が、私の定番の朝食である。
 それでも、ツーリング等で外泊すると、ご飯食に手がでる。
 朝は”ご飯と味噌汁”と、いきがっていた時代からは久しいが、その頃の名残りであろうか・・・?
 家族(親子4人から、祖父母を含む8人程)で、朝食の「ご飯と味噌汁」の味は、美味しかった。
 多量に炊くご飯と、大鍋で造る、豆腐や揚げ・若布などが入った味噌汁の味である。
 20年程前・相方が、配食サービスを受ける様になり、娘(の分)と私は、自然とパン食になった歴史はある。
 朝食を造る”手間”で云うと、飲み物とパン・付け出しがあれば事足りるパン食に、軍配が揚がると思う。
 話を今にもどして、バナナだけではモノ足らず、リンゴの代わりに”トマト”を加えているが、イマイチで満足出来ない。
 早ければ、来月から、今年のリンゴの出荷が始まる様で、価格の低下に期待している、と言う”所帯じみた(チッチャイ)”話しである。
 
 リンゴの嫌いな人、トマトの好きな人には、不適切な日記(文章)であると想うので、スミマセン!
コメント

今日の日記(今日・あった事)

2015年08月12日 | 日記
 草刈機のエンジン音で目覚めた。
 自宅裏の市有地の草刈をしている。
 午前8時である。
 仕方が無いと、起床することとした。
 雨も降っている様である。
 朝食を済まる。
 やがて、昼となって夕刻を迎える。
 話を数日前まで溯る。
 洗濯物の中から、ジーンズ製のズボンを二本を、取り出した。
 このズボン、誰のか不明である。 娘のものであったのかも知れない。
 しかし、少なくとも、この3年程は、私の所有物であった。
 その間に、膝小僧”が見えるまで消耗している。
 それでも、着用していたが”歳相応に!(膝小僧が剥き出しでも穿けるのは若年層の特権?)”と考え、朽ちた部分から、ハサミでカットした。
 着用すると、夏らしく・清々しい気分となった。
 しかし、その反面、一日・着用すると”解れて”糸となった部分が、足に触れて具合が悪いのである。
 縫い合せる事が最良であると考えた。
 アイロン加工する・接着テープで済まそうかとも思ったが、前例(*)を鑑みて縫い合わせることとした。
 そして、今日・依頼していた”ズボン”が出来上った。
 帰宅し、早々に着用してみた。
 実に心地良い!
  (*):例えば、衣料品スーパー等で、ズボン類を購入すると「手間要らず!」と称して粘着テープで、自らがアイロン等で裾上げするシステム。経年と伴に分離する。

 追伸:”デニムは強い”と思っていた事について
    デニムと言えども”無限の使用に耐えられるモノでない”は、自然素材であるが、所以でしょう・・・。
    自然とのふれあい(キャンプや山登り等のアウトドアー・スポーツ、野地作業・等々)で一番・マッチしている衣服は”ジーンズ”と思う。
    半ズボンとなった此れからも、愛着を持って着させて頂きます。
   追伸の追伸
    縫合はプロに依頼した。
    やはりプロだね! 知り合いの洋装店に、昨日・依頼しました。
    良い出来栄えです。 一本700円で仕上げてもらった。
    依頼した洋装店の主人と語り合ったこと、それは!
    「若者は(ズボンを)カットしたままで着ているよね!」
    「四捨五入でなく四捨五十除(50歳を差し引く)なら、青年(二十歳代)となって穿けるけど・・・!」
    「歳相応でなければいけないですね!」
    「何事も出来る若者は良いですね!」
    「我々も、その年代の年長者から、羨ましく思われた時代が、あったのだから仕方ないか・・!」
    
コメント

想い出した中学生の頃

2015年08月11日 | 日記
 先の日記「今と違う昔の知識」を書きながら想い出した事がある。
 中学校は、町内に二校ある小学校を卒業すると、一校の中学校に統合される。
 半数は知らない学友達である。
 しかし、すぐさま、喧嘩を始めるのも・仲良くなるのも”子供の特権”でしょう。
 中学校は、徒歩で30分は要する距離にあった。
 始業開始のサイレンが、鳴り始めて登校しても、間に合っていた小学校とは異なった。
 入学して最初の、ワクワク感は”教室は何処?””担任はどんな先生?”そして”誰か知っているか・知っている学友は居るか?”であった。
 ホームルームがあって、担任教諭・学友の顔合わせ・席の指定がされた。
 その後、新入生は、グランドに集められた。
 これからの三年間、体育行事(運動会)でのグループ分けがあった。
 全校生・300人程が、東西南北・軍に分割され、競い合うのである。
 一年生を四分割された時、私は”東軍”の最後尾で”余り”であった。
 担当教諭が「名前は?」と聴くので答えた。「あぁ!〇〇(姉の名前)の弟か!南軍に入れ!」と言うことで、私は”南軍のグループ”となった。
 担当教諭の意図するもの(姉の名前で東→南)は何だったのか、今も不明である。 姉は、既に卒業して数年を経過していたのに・・・
 次に決めなければ成らない事は「部活動」である。
 野球・バレーボール・陸上部は、県大会にも出場する、実力を持っていた。
 入部者も多かった。
 「どうせ・入部してもレギュラーにはなれない」
 「弱くても・構成員が少なくても良い、レギュラーが面白い!だろう・・」と思った。
 クラブ名はあっても、存在しない部活があった。
 バスケット部である。
 部員が居なくて”開店休業”状態で、入部出来ないという。
 しかし、3人程が示し合わせ、入部を申請した。
 結果的には、部活動としては認められず「同好会」として、バスケット・コートの使用が許された。
 部員が3人では、対外試合への参加資格なかった。
 しかし、仲の良かった・陸上部やバレー部の友人の応援を得て、対外試合に出場することもあった。
 部活として存続しなかった理由に、指導者が居なかったことが理由の一つであった。
 3年生になった時”(バスケットをしていた)想い出”が欲しいと思っていた。
 友人達が「助っ人するから出ろ!」という励ましがあった。
 力強い声援を受け、練習に励んだ。
 兄が、高校でバスケットをしていたことから、担当教諭の許可を得て、コーチ(技術指導)をお願いした。
 そして、県大会の参加を申し出た。
 県大会に参戦するには、郡大会を勝利しなければならない。
 当時の行政区としての郡域には、5町2村があった。
 そして、優勝を果たした。 
 ”何試合したか”についての記憶はない。
 しかし、優勝を果たした事は事実である。”同好会”の域を脱することが出来なかった弱小・バスケット部が!である。
 「よし!県大会に出られる・・」と思ったが”助っ人”自身の競技と重なったため、他力本願で勝ち取った県大会出場”を返上しなければならなかった。
 ”中学、最後の記念となる思い出に!”と、期待した県大会出場は、川の水の如く流れ去った。
 卒業アルバム(注)を観るにつけ、悔しさと諦めが交差する。
 悔しさはある! 対外試合に出るためには、助っ人が無ければならない中にも、毎日・練習に励んだ日々を思うと・・
  (注:卒業アルバムには、誇らしげに”試合参加資格を満たす以上の部員”が部活動をしていた如く、記録されている)
コメント