ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

今日は28日

2014年11月30日 | 日記
  
 今日は11月28日である。
 予定されたゴルフをする日である。
 年に3度程、ゴルフに興じている。
 メンバーは、五十年来の友人でSH氏の兄弟(3人)+私である。
 今年は、4月に続いて9月にも実施した。
 9月は、私の家より30分程の処に御住まいのSH氏の兄・弟の三人で、他県に住むSH氏宅まで遠征してのコンペであった。
 ラウンドが終わり、恒例の反省会という名の「飲み会」となった。
 話しが盛り上がり「次回は11月開催。幹事は私!」と決まった。
 そして、今日を迎え、今年、三度目となるコンペである。
 ”難行苦行”のゴルフが終わり、楽しみは、恒例と成った”飲み会”である。
 今日のゴルフの出来具合を面白可笑しく論じ合いながらの酒宴は実に楽しいものである。
 笑い声が絶えないのである。
 現役時代の20年程前には、初心者の腕前であっても”冠コンペ”を主催するものであった。
 年に6回ほどは開催していただろうか・・・?
 正直!その時代の成績は、良くて10X(110代)であった。
 練習もしなかった。
 上手になれるはずも無い。
 しかし、出来高の成績には無頓着であった。
 4~5組でのコンペが楽しかった。
 話を今日に戻して、SH氏のご兄弟を驚かす結果がでた。
 ハーフ(後半INコースで)48と言う数字がでたことだ。
 前回の9月、ある忠告があった。
 「100を切る様でなければコースに出る資格はない! 出てはいけない!」と言う事である。
 それまでは130代を叩こうが参加していることに意義(楽しみ)がある。と思っていた。
 この忠告は、正直、ショックであった。
 秘かに練習をしようと、この年齢になって初めてと成る、ゴルフ練習場の会員にもなった。
 ”寄せ”という処理方法を重点的に練習しようと目標を決めた。
 二度目の練習の後、腰に違和感を覚えた。
 階段の昇り降りや起き上がり等、腰をかばっての体重移動が当分の間、続いた。
 練習どころではなくなっていた。 
 結局、練習は二回に止まった。
 練習の成果でもあるまし、何かの拍子で”良い結果”が出たのであろう!
 二度の練習で効果が出るようなものであれば”シングル”など容易いことである。
 精神力を伴うスポーツであり、人に迷惑を掛けないで楽しめたら良いなぁ!と思う。
 そして、折角、練習場の会員になったことであり、余暇を活用し負担とならない程度の練習も続けていこうと思っている。
 次回は、来春・3月頃に九州(九住高原)で!という話しがまとまっている。
 楽しみな事である。
 
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今日のこと

2014年11月28日 | 日記
 今日あった事、明日ある事を 日記のしたいと思う。
 一寸待って!
 何故なら、帰宅して飲酒・祝宴になった。
 飲酒・祝宴に至ったことも日記にしたい。
 おやすみなさい・・・・
 
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防災(避難)訓練に参加して

2014年11月25日 | 日記
  
 24日・振り替え休日で朝から好好天に恵まれた。
 気温も、高いようだ。、
 この日、公報で知らされていた「防災・避難訓練」に参加した。
 一次避難場所(集合場所)にご近所さんと集まった。
 市役所の防災担当者が、参加者の確認をしている。
 名前を名乗った。
 そして、担当者(前出)から訓練の説明があった。
 歩行困難者が居ることを想定して、車椅子での避難路の確認も併せて行った。
 途中、他の一次避難場所からの人達と合流して、避難路の順路を確認しながら指定避難場所に向う。
 指定避難場所と想定したスパーの駐車場で、防災に関する心構えや注意点の説明があって、訓練は終了した。(写真:左)
 今回の訓練で得た情報として、指定避難場所が県立高校から市の施設に変更になった事であった。
 自宅から指定避難場所(変更前後とも)へは、幅約7m程の河川橋がある。
 新耐震基準で、近年、架け替えられてはいるが、災害時に渡河することが出来るか気掛かりとなっていた。
 私は、秘かに徒歩数十秒で到達出来る市営住宅(四階建)を緊急的な避難場所と決めていた。
 しかし、最近、建設された私営の施設(日記「風景が変わる(2014.11.02)」)が受け入れてもらえる事になった様であった。
 帰宅し「非情持ち出し袋」(写真:右)を点検した。
 非常食と懐中電灯用の乾電池(単一)二個を整えなければならない事が分った。
 犬くんのものは「ドッグ・フード」だけで良いのだろうか? 「此れも要るよ!」と云ってもらえば助かるのに・・・!
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 防災メモ:地震発生から40数分で、4mの津波がやってくる。
      地区の避難者を受け入れてくれる民間の施設(前出)を避難場所とすることを家族に周知する。
      今回の訓練で周知された「救援は、四~五日後」であることを想定する。
 
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その昔

2014年11月24日 | 日記
 昨日(23日)のツーリングで、観音寺市有明浜から豊年池に向う途中、国道11号線「十三塚」交差点を通過した。
 そして、その昔を思い出した。
 国道から山側の地域を「残水」と云う地名らしい。
 40数年前まで溯るが、此の地に実家を持つ、知人がいた。
 現在では、音信も途絶えている。
 実家は農家で、私がその知人と、訪れた時、広いお庭に、野菜と思われるモノが山積みされていた。
 良く観ると、それは”レタス”であった。
 「此れどうするの?」と訪ねると「廃棄する」という。
 豊作であったらしく、収穫はしたものの(価格維持のため)出荷出来ないという。
 「頂いて良い!」「全部、持って帰って!」「・・・・」 2~3個を頂いて還った。
 ”ミズモノ生産する農家”の苦悩のようなものを感じたと記憶している。
 そして、年間を通じて、雨量が少なく、河川での水量も少ないことから、農耕には切り離せない「水」に苦労してきたと言うお話しを聞いた。
 讃岐平野には人口湖・溜池が多く点在する。
 昨日、訪れた「豊年池」や満濃池、然りである。
 そして、知人のご家族の方から、地名に関するお話を聞いた。
 用水路からの農耕用に頼りとする(農業)水が”残り水”でしかなかった地域ということで、名付けられた地名・残水(のこず)であるという。
 その時、お話しを聴いた私は、水に対する”戒め”の様な地名だな!と感じさせられていた。
 私より、少しお若かったと記憶しているが「お元気だろうか?如何、御過ごしだろうか?」と思い出された信号機に掲げられた、地名表示「十三塚」であった。
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 お断り、私が、知人のご家族から聞いた地名に関するお話であり、認識違いや記憶違いなところがあれば、お許し願いたい。
 知人と表したことについて、当時は友人としてお付き合いをさせて頂いていたが、40数年が経過し、音信不通となった現在においては”知っている人(=知人)”と表現させて頂いた。 気持ちは今も”友人!”
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讃岐にラーメンを食しに!

2014年11月23日 | 日記
    
 今日のツーリングの”コンセプト”は「讃岐に(うどんでなく)ラーメンを食し行こう!」と云うものであろうか・・・
 最終集合場所である、国道11号線「道の駅・とよはま(香川県観音寺市豊浜)」に、50名程が集合した。
 先ず、昼食にラーメンを食し、続いて、観音寺市の「有明浜」を散策し、最終目的地「豊年池」に向うという今日のコース概要の説明があった。。
 ラーメン店には、一度に50人のモノが入店すると混乱することから、二班に分かれ、時間の間隔をとって入店することとした。
 定刻の、午前11時となり、出発した。
 私は、先発組であった。
 30分程、高松方面に向って走行する。
 ラーメンのメニューは、塩・醤油・白湯がベースであった。
 私は「白湯ラーメン」を注文(券売機)した。
 美味しかった。 素直にそう思った。
 食事が終わって、近くのコンビニまでバイクを移動する。
 後発組の到着を待った。
 二班が合流し、有明浜に向った。
 此処、有明浜は「琴弾公園」でもあり、砂浜に描いた「寛永通宝」の銭形でも有名である。
 一般的には高台の展望台から「砂絵の銭形」を観るのであるが、駐車スペースが手狭な事もあり、有明浜を散策した。
 そして、先人達の英知で造営された灌漑用のダムとダム湖「豊年池」へと向った。
 全行程290(390は誤り)Kmの今日のツーリングも無事に完結することが出来た。
 天候にも恵まれた絶好のツーリング日和でもあった。
 今日の絵日記の”絵(写真)”について
  左より1~5番として、1番:ラーメン店に入店する様子、2番:有明浜での集合写真 3番:「寛永通宝」の砂絵を地上から観る。
窪みが見えるだけである。 4番:豊年池での集合写真 5番:解散を前に、帰宅を待つバイク
 
 
 
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日帰りツーリング

2014年11月23日 | 日記
 今日(23日)は、今年最後となるツーリングの日である。
 NETなどのニュースで昨夜、長野地方で発生した地震の被害を伝えている。
 夜間に発生した地震の被害規模が、朝となって明らかに成って来ているいる様である。
 被害の拡大がない事を祈りたい。
 そして、被害に遇われた方に、お見舞いを申し上げます。
 何はともあれ、朝食を頂く等、準備をします。
 9時30分に、一次集合場所を出発と云うことで、一時間前には自宅を出発しなければならない。
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さつま芋

2014年11月22日 | 日記
 犬くんの餌にと買い求めた”さつま芋”のヘタを水栽培用の容器で育ててみた。
 二ヶ月位経過しが”芋の蔓”は成長が停止したが如く伸長しない。
 成長しないことから、廃棄しようか?と思った。
 水栽培用のガラス容器から取り出そうとしたが、根が張って出てこない。
 取り出してみて、此処まで大きく成ったのだから、廃棄してしまうにはしのびないと思った。
 そこで、夏にトマトの苗を植えた場所に定植した。
 あまり期待はしていないが「お芋さんは出来るだろうか?」と興味津々である。
  
 左の絵(写真)は水栽培用のガラス容器から取り出した”根”の様子。
 右の絵(写真)は、定植した様子である。
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インタビューでの風景

2014年11月21日 | 日記
 今日(21日)、友人宅で”お酒”を頂きながら”衆議院解散”のニュースを観た。
 今まで、気にしていなかったが、記者達の”モチモノ”が違っていることに気付いた。
 ニュース記者=マイクと録音機と云ったスタイルが定番であった様に記憶している。
 ショルダー・バックの様な形態で、記者達は肩に掛けて、マイクをインタビューの相手に向けていた光景が今も記憶にある。
 録音機も、オープンリール型からカセットタイプに発展し、軽量化が図られた。
 今日の会見風景を観た限りでは”アナログ式”のものは見当たらなかった。
 所謂「ICレコーダー」と云ったものであろうと思われる。
 あの頃。 あの頃とは、40数年前まで溯る。
 私は、半年間、研修で家族共々、東京・杉並区高円寺に、6畳一間の借家を借りて住んだ経験がある。
 その時点では「もう、二度と東京で住むことはない」との思いから休日になると出かけ”東京での一時の生活”を楽しんだ。
 上野動物園でのパンダ・深大寺の達磨市・浅草寺の羽子板市・渋谷パルコの新春他、研修仲間が野沢温泉で民宿を営んでいたことから、善光寺・野沢温泉にまで至った。
 その他に、東京で居る間に堪能しておきたい事があった。
 それは、JAZZ・ライブである。
 聴きたいと思う演奏家が出演するライブハウスに家族で出掛けた。
 新宿であったり、高円寺であった。
 此処で、やっと「デンスケ」と言う、SONY社製の携帯型の録音機の出番となる。
 ライブハウスでの状況を録音したく、秘かに「録音機=デンスケ」を持ち込んでいたのである。
 さも田舎から出てきました!と言う風体で、ボストンバックに”デンスケ”を忍ばせて、録音することに情熱を燃やした。
 しかし、上手く往く筈がない。
 多くは失敗作であった。 でも、懲りずに繰り返していた。
 そして、ライブハウスの録音に関わる思い出話しの締めくくりに、日記として記録に留めておきたいことがある。
 それは、数日後には東京を卒業して、元の職場に復帰すると言う最後のライブを、家族で聞きに行った時の事である。
 新宿のライブハウスであった。
 何度目かの、ジョージ大塚クイテットのライブである。
 ライブが終わり、客が居なくなった時点で、オーナーが、ジョージ大塚さんに「明日、国(故郷)に還る・・・」と紹介され、我々・家族の為のライブを催して頂いた。
 一時間足らずのライブであったが貴重な体験で、録音OK! 写真撮影OK!での、破格の待遇を与えて頂いた。
 あの時代(40数年前)に”ICレコーダー”なるものがあったら、大きなバックに録音機を忍ばせて(秘かに)持ち込む苦労も無かっただろうに!と思うのである。
 今日の日記は何故か、インタビュー風景から”ジョージ大塚”さんと云うJAZZ演奏家(ドラマー)の思い出話しに至る物語である。
  
 今も、我家に残る「デンスケ」である。
 動作するかの確認はしていないが往時を偲ばせる風体である。
 此れにステレオ・マイクをセットし、バックに偲ばせ録音するのは至難の業であった。

 注:「デンスケ」とは、取材用可搬型テープレコーダーでSONY社の商標である。
    今も、ディジタル・デンスケとして存在している様である。
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戸惑いとお詫び!

2014年11月21日 | 日記
 引越し前の「ブログ人」はコメントを頂くと「編集」という操作が可能であった。
 従って、コメントを頂いたお礼や”返信”の様な事が出来ていた。
 引越し後の「gooブログ」には編集機能(ブログ人で言う)は無い。
 従って、コメントを頂いた事項に対する返礼や返信が出来ない。
 なんだか”言い放なし””やり放なし”で無責任な感じがしていならない。
 気掛かりとなるコメントを頂いた場合には、日記にして、自分(ふくちゃん)の気持ちなり、考え・意見としようと思っている。
 従前に比して、対話形式での、コメント処理が出来ないので、悪しからず・・・!です。 
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定期健康診断

2014年11月20日 | 日記
 今日(20日)は、先に受診した「定期健康診断」の結果説明会があった。
 重大な指導事項もななかった。
 一安心である。
 説明を受けた健康指導員は、昨年と同じ人であった。
 指導員が、大勢居る中で奇遇と思えた。
 そして、昨年と同じ様に”休肝日”を造りましょう。
 尿酸値を上げない様”美味しいモノ”は口にしない。
 此の二点の指導があった。
 「休肝日は、どうも・・・」と昨年と同じ様な反応したが「永く楽しむ為に頑張りましょう!」
 これまた教科書の様な答えが帰ってきた。
 しかし、歳相応に考えなければいけないかなぁ!と少しは反省しながら帰宅した。
 
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そうは問屋が卸さな(い)かった

2014年11月19日 | 日記
 ブログ「ふくちゃんの絵日記」のお引越し(ブログ人からgooブログへ)で、思ったことである。
 引越し先を、ブログ人の運用者は「gooブログ」を推奨していた。
 両社は、関連会社であり、私に異論は無かった。
 私は、写真の添付も少なく、3年ほどの間で、与えられた”容量”の一割程度を利用するに留まっていた。
 付加価値のつく有料でなく「お試し」での無料利用であった。
 引越し先の部屋(機能)は今以上に充実している様であることから、引越しをしても当分は、無料枠!で決めた。
 予備知識も持たないままに、引越しの作業を行った。  難渋しながら・・・
 そして、お引越しが終わって、確認した。
 「あれ!私の日記はどれ!」と云った感想であった。
 周囲を広告に囲まれ、ヒッソリとしている様を観ると哀れであった。
 ネオン輝く繁華街の中にあって、照明はあっても薄暗いが、部屋は充実している(様である)。
 リサーチ不足であった事は否めない。
 煌びやかな広告、それも数多くである。
 ブログを始めた頃を思い出していた。
 代わる代わるに、スポンサーが付いていた。
 しかし、文字やイラストが躍ったりはしなかった。
 気付けば、そのスポンサーも居なくなっていた。
 アクセスする人が少なく「(スポンサーとして)効果なし」と判断されたのでしょう。
 画面を独り占め出来ていた。
 引っ越した部屋で、生活出来るか? 活力が生まれるか?と寂しくなった。
 ブログを継続させる意欲が殺がれると思った事であった。
 すぐさま、有料のサービスへの移管の手続きを行った。
 年間・五千円余りの出費を伴うこととなった。
 生活を楽しむ”嗜好品”と思うようにするしかないかぁ!・・と思う様にした。
 企業の戦略・手中にはまったかな?
 
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不安となり、慌てたこと

2014年11月18日 | 日記
 Blog・ふくちゃんの絵日記が、ブログ人からgooブログに引越しを余儀なくされて、お引越しはしたものの、不慣れな事や不安なことが多々ある。
 読者側からの「ふくちゃんの絵日記」はどの様なものか確認してみた。
 左枠に「ログイン」の項目に「編集画面にログイン」があり、クリックしてみた。
 ログイン出来るではないか!
 えっ!これなら誰でもが書き込んだり、編集が出来る。
 此れでは”ふくちゃんの絵日記”で無くなる!と思った。
 設定を確認したが該当する設定は見当たらない。
 私・以外のパソコンから確認しようと思った。
 さて!誰に頼もうか。
 誰もが仕事中だしなぁ!
 そうだ、妹に頼もう!
 ホッとした。
 「ログイン」欄の「編集画面にログイン」をクリックしても、真っ白な画面になって何も出来ないとの事であった。
 当たり前と言えば当たり前の事であったが、判明するまでは不安であった。
 
 フォトアルバムの展示方法など、まだまだ、不慣れな点があって苦労する。
 何はともあれ、一つの不安が取り除かれ、ホッとしている。
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☆「OCNブログ人」の終焉に伴う、最後の投稿・・・!

2014年11月18日 | 日記
 私がBlogを始めたのは、佐渡島周遊ツーリングに際し「元気でツーリングをしているよ!」と言う事を家族達に伝えたくて、始めたものであった。
 2012年5月13日から開始し、許容された”容量”のうち、10,3%を使用して終焉することとなった。
 佐渡島ツーリングの当時、即ち”blog”を開始した当初は、現地からタブレット端末機で”日記”の更新をすべく準備を整えてツーリングを開始した。
 しかし、絵(写真)の添付が儘ならず、絵日記としての体裁が整わなかったため、現地からは、文書だけの紀行文となっていた。
 所謂”速報版”の様相であったと、記憶している。
 帰宅して「心に残る絵(写真)」を添付しながら絵日記として完成させていた。
 一方的に「Blogサービス」を終焉させる通知を受け、簡単な”移住作業”と、主体者は言う。
 しかし、移住を完了させるまでの、一週間程は、長男にレスキュー(ブログ人からgooブログへの移住手続きの支援)を願う事も考えた。
 何はともあれ「ブログ人」から「gooブログ」への”転居”も終わった現在、旧「ブログ人」からの最後の日記を投稿して、終焉とします。
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☆早くも疲れ感が

2014年11月17日 | 日記
 昨日の作業(間伐及び通行路の整備)で、今朝、目覚めると、足の疲労感を覚えた。
 階段の昇り降りに「アイタタ!」と自然に言葉がでる。
 使い慣れていない、鍬やツルハシ・チェンソーを使っての作業であった。
 斜面での間伐作業などで足を使い。
 鍬やツルハシ、鋸を使っての作業で手に疲労感がある。
 年老いてくると”筋肉痛”は3日・4日経過して現れるが、今回は翌日である。
 若返ってきているのだろうか・・・?
 そんな分けないよね! 若さを願う妄想でした。
 しかし、痛い!
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☆檜林の間伐 (お手伝い)

2014年11月17日 | 日記
 
 昨日(16日)30数年前に植林した檜の間伐を行った。
 間伐のお手伝いに至る経緯がある。
 星空観測が出来たり、動物達の観測できる場所があれば・・・・
 ツリーハウスの様な拠点となる施設が出来れば・・・等と、夢の膨らむ話しとなった。
 そこで、前記の30数年前に植林した山が対象となり現地を観ることを兼ねて間伐をすることになった。
 林道から約700m程の山道を経て目的地に到達する。
 過去においては、弁当・茶とチェンソーを携えて、入山していた様である。
 しかし、拠点(野営のための)を設営するとなれば資材の運搬が必要となる。
 そこで、運搬車を投入する事になった。
 運搬車を目的地まで走行させるには通行路が必要となる。
 従って、樹木の伐採や、法面整備等、運搬車の通行路を確保しながら目的地に向った。
 昼食は目的地でコーヒー・タイムも併せ楽しむ算段であった。
 しかし、通行路の確保(道普請)に予想外の時間を要しため、行程約700mの2/5の処で昼食となった。
 この付近が一番の難所ともなった。
 山側を掘り起こし、勾配をゆるくする必要があったのである。
 結局、本日の間伐は五本だけの成果となった。
 しかし、此処で頂いたコーヒーは格段に美味しかった。
 間伐や、星空観測の為の、拠点(野営場所)造りはスタートしたのである。
 今日の絵日記の絵(写真)は通行路を確保しながら進む「運搬車」とします。
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