ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

8月6日のこと 追記

2015年08月06日 | 日記
 先の日記「8月6日」で”恐ろしい”と表現したことについて、記憶の定かな時に記しておきたいと”追記”を思い立った。
 私の幼少期の周囲には”軍”を体験した人達が居た。
 父と仲が良かった”カッチャン”。
 そして、両親の善き理解者であった(と父母から聞かされいた)”たなかのおっちゃん”
 たなかのおっちゃんは、生家の前にあって、私達・家族が8人(祖父母・両親・私達4人兄弟)であった時代、我家の風呂を利用する様な親密な関係であった。
 そして”おっちゃん”は(陸軍で)乗馬を許される階級であった。 
 ”カッチャン”は、父と同年輩で、気があっていたのでしょう、父と晩酌をする姿を子供心に刻まれている。
 この様な環境で、終戦直前の惨状(広島・長崎・満州)について聞かされていた。
 ”原子爆弾”に関することは、新型爆弾・ピカドン・キノコ雲・ケロイド・衣服がくい込んだ皮膚・水飴の様な皮膚・石も溶かす・水を求めて川の水に行列・川に浮かぶ人体・死体の並ぶ惨状・・・等々であろうか・・
 子供心に恐怖心と言うか恐ろしさを覚えたのである。
 やがて、映画「原爆の子」を観るに至った。
 そして、高校生になった時、父の営む同業種の親睦旅行で、広島を訪れる機会を得た。
 平和資料館で、現実的なそして、衝撃的な光景を観るに至っては、親達から聞かされていた幼少期の継ぎ接ぎな話しが繋がった思いであった。
 その中で、今も鮮明に思い出せるのは、ある銀行の入り口の石に刻まれた”人影”である。
 兵器は人間を殺戮する。
 原子爆弾は人間そのものを消滅させてしまう。  影だけを残して・・
 幼少期に受けた”恐ろしい(兵器)”は、今も代わってはいない。 
 

8月6日

2015年08月06日 | 日記
 今日・8月6日は、広島に人類史上・最初の、原子爆弾が投下された日であり、70年となる。
 私は、二歳になったばかりで、記憶はない。
 しかし、親達や周囲の人達から、悲惨さを聞かされた。
 そして、小学生となり、映画「原爆の子」を観るに至っては、夢にまで”恐ろしさ”が私を支配するのである。
 ”恐ろしさ”それは、物語の構成であるとか、社会性の善悪とか云った理屈ではなく、ただただ”恐ろしいモノ=原爆”との幼き印象であった。
 戦後教育を受け、原爆投下は必要悪!であったとの、教えもあった。
 しかし、広島市の中心地・相生橋を原爆投下の目標にしていたと言う事実を聞かされるに至っては、市民を犠牲にする、何ものでもなかった。
 原爆投下国は「戦争を早く終わらす為(前記の「必要悪」)」との偽善を止めて、広島・長崎に向き合って欲しいと思う。
 そして、戦争を始めた国も、その非を反省し、平和憲法の(法的安定性)下、平和を享受する努力を怠っては成らない。
 今日・8月6日を迎え、8時15分から、原爆犠牲者への黙祷を奉げさせて頂いた。

 追記:旅行記のためにと、2012年から始めたブログ(日記)であるが、昔の日記を読み返してみた。
    2013年・2014年と過去に二度、8月6日について、日記にしている。
    そして、思う事、それは”(日の経過の)早いこと!”である。
    8月6日そして、9日は、此れからも際限なく繰り返されるだろう。
    しかし、1945年の様な、8月6日(9日)は、未来永劫あっては成らない。