先の日記「8月6日」で”恐ろしい”と表現したことについて、記憶の定かな時に記しておきたいと”追記”を思い立った。
私の幼少期の周囲には”軍”を体験した人達が居た。
父と仲が良かった”カッチャン”。
そして、両親の善き理解者であった(と父母から聞かされいた)”たなかのおっちゃん”
たなかのおっちゃんは、生家の前にあって、私達・家族が8人(祖父母・両親・私達4人兄弟)であった時代、我家の風呂を利用する様な親密な関係であった。
そして”おっちゃん”は(陸軍で)乗馬を許される階級であった。
”カッチャン”は、父と同年輩で、気があっていたのでしょう、父と晩酌をする姿を子供心に刻まれている。
この様な環境で、終戦直前の惨状(広島・長崎・満州)について聞かされていた。
”原子爆弾”に関することは、新型爆弾・ピカドン・キノコ雲・ケロイド・衣服がくい込んだ皮膚・水飴の様な皮膚・石も溶かす・水を求めて川の水に行列・川に浮かぶ人体・死体の並ぶ惨状・・・等々であろうか・・
子供心に恐怖心と言うか恐ろしさを覚えたのである。
やがて、映画「原爆の子」を観るに至った。
そして、高校生になった時、父の営む同業種の親睦旅行で、広島を訪れる機会を得た。
平和資料館で、現実的なそして、衝撃的な光景を観るに至っては、親達から聞かされていた幼少期の継ぎ接ぎな話しが繋がった思いであった。
その中で、今も鮮明に思い出せるのは、ある銀行の入り口の石に刻まれた”人影”である。
兵器は人間を殺戮する。
原子爆弾は人間そのものを消滅させてしまう。 影だけを残して・・
幼少期に受けた”恐ろしい(兵器)”は、今も代わってはいない。
私の幼少期の周囲には”軍”を体験した人達が居た。
父と仲が良かった”カッチャン”。
そして、両親の善き理解者であった(と父母から聞かされいた)”たなかのおっちゃん”
たなかのおっちゃんは、生家の前にあって、私達・家族が8人(祖父母・両親・私達4人兄弟)であった時代、我家の風呂を利用する様な親密な関係であった。
そして”おっちゃん”は(陸軍で)乗馬を許される階級であった。
”カッチャン”は、父と同年輩で、気があっていたのでしょう、父と晩酌をする姿を子供心に刻まれている。
この様な環境で、終戦直前の惨状(広島・長崎・満州)について聞かされていた。
”原子爆弾”に関することは、新型爆弾・ピカドン・キノコ雲・ケロイド・衣服がくい込んだ皮膚・水飴の様な皮膚・石も溶かす・水を求めて川の水に行列・川に浮かぶ人体・死体の並ぶ惨状・・・等々であろうか・・
子供心に恐怖心と言うか恐ろしさを覚えたのである。
やがて、映画「原爆の子」を観るに至った。
そして、高校生になった時、父の営む同業種の親睦旅行で、広島を訪れる機会を得た。
平和資料館で、現実的なそして、衝撃的な光景を観るに至っては、親達から聞かされていた幼少期の継ぎ接ぎな話しが繋がった思いであった。
その中で、今も鮮明に思い出せるのは、ある銀行の入り口の石に刻まれた”人影”である。
兵器は人間を殺戮する。
原子爆弾は人間そのものを消滅させてしまう。 影だけを残して・・
幼少期に受けた”恐ろしい(兵器)”は、今も代わってはいない。