ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆トキの移ろい

2014年10月30日 | 日記
 キャンプ等で日の出・日の入りを見る事がある。
 東の空から”太陽”が顔を出し初めから短時間のうちに天空に昇り、”熱”を感じるまでになる。
 我家は、ほぼ南に向いている。
 そして、農事用のビニール・ハウスがひろがり、見通しは良好である。
 今日(29日)は”抜ける様な晴天”となった。
 午後になり、海面が鏡の様に”ギラギラ”と輝いていた。
 光り輝く海面が、左から右へゆっくりと、そして確実に移動するのである。
 
 14時から30分間隔で”海の輝き”が移動する様子を撮影(30日に再度撮影)したものである。
 ”時の過ぎる速さ”を、体感的に認識させられるのである。
 この様に、時(時間)の過ぎ行く速さを知らされ、遣りたい事は、そして、しておかなければならない事は何だろう?
 残りは少ないだろうなぁ!
 悔いの無い様にしなければ、と感傷的になった、今日の夕暮れであった。
 ほんま! メッチャ速いで! 一日・一ヶ月・一年が経過するのが・・・・
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☆アボカドのその後・・!

2014年10月30日 | 日記
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 大きく成長しました。
 振り返ってみれば、食材に買った”アボカド”の種に、興味を持ち「発芽を見届けよう!」と、2012年6月(日記「アボカド育苗記1(2012.6.6)」)から育苗と観察をはじめた。
 今では、私の身長と同じにまで育った。
 鉢も三度、順次に大きくしてやった。
 前の日記にもしたが、樹高に対して”葉”が大きい。
 観てのとおり、頭デッカチな体型(樹形)である。
 幹(茎を訂正)が細いこともあり、支え棒が無ければ、自立は無理で、倒れてしまう。
 来年の今頃には、天井にまで届くのではないだろうか?
 何はともあれ、大きく成長している事を喜びたい。
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☆今日、この日 その2

2014年10月27日 | 日記
 自宅を出て、指定された集合場所に向った。
 集合場所には、出発予定時刻の10分前に到着した。
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 既に大勢のツーリング参加者が終結していた。
 60人位になるという。
 出発前のミーティングがあった。
 「大勢での行動である。他の車両に配慮して行きましょう!」と申し合わせ、出発予定の10時となり、出発した。
 途中、道の駅と給油の為に停車した。
 13時頃、昼食。
 昼食は”カツオのタタキ定食”若しくは”カツ鍋定食”のどちらかを予め選択しておいたもので、私は”カツオのタタキ定食”を頂く。
 美味しく頂いた。
 昼食が終わって、出発までの暫しの時間を夫々に休息をとった。
 私は、多くのバイクが並んだ風景を写真に収めようと撮影場所を探していた。
 黒いアスファルトの上に”黒い物体”が落ちている。
 携帯電話機である。
 「携帯電話、紛失した人、居ませんか?」と声を掛けたが、該当者は居なかった。
 昼食後、帰宅した人のモノかも知れないと、主催者に委ねた。
 結果、Yさんのモノであったとのことで、持ち主に還って(後日には成るが)一件落着。
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 海あり
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 山あり
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 潜水橋(沈下橋)あり
 主催者のアイデァ溢れる、変化に富んだツーリングであった。
 天気も、汗ばむ程で、集合場所で一枚脱ぎ、休憩場所の”道の駅”でも一枚脱いで、下着(半袖シャツ)に皮ジャンという服装であった。
 ツーリングも終盤、陽も落ちかけた自宅まで40Km時点頃から”脳の疲労”を感じ始めていた。
 総走行距離 Door To Door 約350Km。
 自宅を9時過ぎに出発し、帰宅は18時30分頃となった、今日のツーリングは無事に終わった。
 親しい人達との再会が何よりも嬉しかった。
 そして”走る”爽快さを確認出来たツーリングでもあった。
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☆今日、この日 その1

2014年10月26日 | 日記
 今日(26日)6時半過ぎに、自然な目覚めとなった。
 昨日からの懸案であった”エンジン”を始動にはまだ(早朝で)早すぎる。
 しかし、気になる。
 充電器ではない通信・実験用電源(最大電流が1A)での長時間充電を施した結果、14Vで0.2A程度まで下降していた。
 「いける!」と確信した。
 8時になって始動を試みた。
 「頼む!懸ってくれ!」と祈った。
 ”カシャ!”
 セルが回らない。 駄目か!
 もう一度、試みた。
 セルが回って、一発で”元気に”始動した。
 ホッとした。 楽しみにしていた久し振りのツーリングに参加出来ると思った。
 15分ほど暖機運転をして、停止させた。
 そして、もう一度、始動してみた。 快調である。
 朝食を頂いて、出発の準備を整えた。
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☆明日が不安

2014年10月26日 | 日記
 明日(26日)約8ヶ月ぶり(前回のツーリングは日記「実に110日目(2014.3.2)」による)となる”ツーリングに参加する予定である。
 エンジンが始動するか心配なことから、バイクを車庫から出して、始動させてみた。
 BATTの容量不足でセルが回らない。
 充電をしてみたが、充電器も故障しているようである。
 充電電流計の振れが少ないのである。
 通信機用の電源を流用することした。
 急速な充電は出来ない。
 時間をかけるしかない。
 用心のため、自動車のBATTに繋ぐ準備もした。
 屋内配線用のVA線を保有しているので、流用する手筈を整えた。
 明日の朝、早めに起床して”エンジン始動”を試みたい。
 ”ドタキャン”になりはしないかと、心配でもある。
 永い間、犬くんに目が向いていたので、バイクの”ヤッカミ”であろうか?
 考えてみれば、8月に仙台方面へのツーリングを前にして、オイル交換し、慣らし運転した時から、疎遠になっているである。
 駐車中は、定常的に”補充電”をしていたが、状態を表示する計器がなく、補充電状態に成っていなかった様である。
 何はともあれ、充電器類の手配(修理Or購入)をしなければならない。
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☆青天の霹靂・・・・? その2

2014年10月24日 | 日記
 4~5ヶ月前のある日、娘夫婦が訪ねてくれた時のことである。
 夕食をするなかで”焼き鳥(鉄板焼き)”を食いに行こうよ!”と言う話になった。
 そこで、娘夫婦の知らない”JAZZ(を聴かせる)喫茶店”の思い出を話しをした。
 そして”独りでは行けない”心情を話した。
 「喫茶店の屋号は同じであっても、どう云う経歴を辿っているか分らない事から(入店を)躊躇している」と告白した。
 そして、実行(2014.10.23に)されることになった。
 万感こめて入店した。
 40数年前と全く変わらない店内に驚いた。
 ただし、聴かせる楽曲は、レコード盤ではなく、CDであったことが唯一、異なっていた。
 入店すると、女性の店員さん(と思っていた)が対応してくれた。
 飲み物を、夫々に注文した。
 窓から店外が見えて、乗用車が歩道を走行して店の前で停車した。
 この時点で、娘の注文したミックス・ジュースが提供された。
 「歩道を車が走行している」と話していると、店内の女性が「マスターです」という。
 そして、注文した”ホット・コーヒー”が提供された。
 私は、確認したい事を聴くタイミングを図った。
 女性とマスターの引継ぎが終わって女性が居なくなった。
 路上(歩道)に駐車した自動車とともに・・・・・ 
 私は「昭和40年頃、通い詰めた思い出の店であること、そしてマスターのことを”ヨッチャン”と云っていましたが、消息が知りたい」と聴いた。
 マスターは「私が、皆さんからヨッチャンと言われています」と言う。
 そして「70歳をとうに過ぎたのに、未だに”ちゃん”付けですよ!」「先程の女性が家内です」と付け加えられた。
 ”ヨッチャン”と云われていたマスターは、最早(高齢で)生存しては居ないだろうとの思いがあった。
 その事が、行きたいと思いつつ、私一人では入店出来ないというプレッシャーとなっていた。
 何を・何から話したら良いだろう!?と思う単純な心の弱さであった。
 念願叶って、想い続けた疑念が晴れた日であった。
 マスター(ヨッチャン)曰く「開業して51年になります」という。
 そして、地元テレビの収録もあったと云う事であった。
 「今後は、私(ふくちゃん)一人で来ます」と言えることが出来た。
 私自身の年齢からも、世人ではない、若しくは代替わりをしているだろうとの先入観から、御本人とのことで”青天の霹靂”の想いであった。
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☆青天の霹靂・・・?

2014年10月23日 | 日記
 今日、子供達のお陰で気持ちの整理が出来ました。
 時を溯ること40数年前、数年間通い続けた”喫茶店”の話である。
 バイクで過去に住み慣れた街中を走行していて、今もって営業している証しの看板と照明が点灯している喫茶店に心が揺れた。

 社会人となって一年目に、始めてとなる転勤というものを体験した。
 そこで、六畳間に二人の”寮生活”を体験した。
 そして、勤務体系は”四輪番” 即ち「宿直・宿明・休日・日勤」であった。
 言い換えれば、宿直明けの9時から一日の休日を経て三日目の8時30分の日勤前までが自由時間(非拘束時間)となる。
 若さもあり、この様な勤務体系をおおいに活用したものであった。
 多くは、山登りが楽しめる環境であったことから、一泊泊まりの、単独のこともあり多人数での山歩きを楽しんだ。
 ”お金”が掛からない手っ取り早い”余暇”の過ごし方であった。
 くわえて、寮生活のなかで、飲酒という”対話方法”も学習した。
 そして、私の新たな趣味となる”JAZZ”という音楽を教えてもらった。
 JAZZが知りたくて”JAZZ喫茶”に通うことになる。
 私は、今もって”JAZZ喫茶”という定義を理解していない。
 ・・が、私が行きつけた(JAZZ)喫茶店は、昼食時間前(10時頃)に開店し、20時からアルコール類も提供される”お店”で聴かせる音楽はJAZZであった。
 そして、七年間の勤務期間を経て、新たな勤務地への転勤によって転居した。
 長男の誕生地でもあり、転居後も何度かは訪問していた。
 しかし、次第と疎遠となっていった。
 40数年経過したある日、バイクで走行していて、懐かしい町並みとともに、見慣れた看板を見付けた。
 「えぇ!今もあるんだぁ!」と正直思った。
 そして「行きたい・行ってみたい!」という気持が高揚してきた。
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☆鏡が曇ったかなぁ!

2014年10月21日 | 日記
 社会人としてなすべき事は「社会の鏡に照らしあわすこと」と教えられた。
 いま、自分が行っている、若しくは、これから実行に移そうとしている時、社会の常識等(鏡)に適合しているか考えろ!という事である。
 私は、ある人物に興味をいだいた。
 この人の”社会の鏡”とは何であったのだろうかと・・・・?
 最近の話題である女性の国会議員が辞表を提出して受理された、と言うことから話は始まる。
 責任者・管理者の組織やシステムに対するリスク管理の職責について問答する気持ちは無い。
 しかし、問題点があれば解明し、改善し、リスクの改善を図ると言う事が課せられた責務であるとの思いから疑問がうまれた。
 ”PDCA”サイクルを絶え間なく検証するということになるのでしょうか?
 辞任会見で「信頼に値すると思った人」の成した(役割・仕事の)結果であっとして悔しさを馴染ませていた。
 そして、任せきった結果での”自責”であったと、言いつつも反省の意志が感じとれない会見でもあった。
 我々(国民)の血の滲む想いで支払った”税金”を安易に使った結末と思う。
 やはり”特権階級”という意識での”驕り”であったのだろうか・・・?
 余りにもズサンで、常識(社会の鏡)から逸脱していると、私は思うのである。
 そのことも然る事ながら!
 私が”あれっ!”と思った”社会の鏡”は、問題の国会議員の出身地である、町長が”引責辞任”するかたち(報道の範囲)で町長と言う”職”を投げ出した事である。
 私が住まうこの地で、この様な事があったとして「町長・あっぱれ!よぉやった!」と言う感覚になるのであろうか?
 ”町長”という職責を如何考えているのだろうか?と疑問が増幅するのである。
 (地元選出の)国会議員の資金管理団体の責任者=町長がセットで選挙が行われ、町長に就任したのなら異論はない。
 私には選挙権は無いが・・・
 資金管理団体の責任者は個人的な役割であって、町長は選挙という手順で委嘱された公職であると思う。
 それなのに、町長辞職に至った事が、疑問のままである。
 これって”社会の鏡”で正像であるのだろうか・・・・?
 公人(町長)と私人(資金管理団体の責任者)の垣根ない風土があること知った”事件”であった。
 この、憤りや疑念を、歴史の記録として日記(2014.10.21 記述)とした。
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☆光陰矢の如し

2014年10月19日 | 日記
 先日、ジムに行ったついでに”本屋”に行ってみた。
 間口の広い店舗ではあったが、目に付いたのが”年賀状作成ソフト”である。
 今年・2014年も、来年の年賀状を準備する時分になったかと、気付かせられた。
 そして、昨年、年賀ハガキを購入(受取る)するため280Kmの道程をバイクを走らせた事を思い出した。
  <注>ふくちゃんの絵日記 年賀ハガキを求めて280Km(2013.11.26)
 今年も「年賀ハガキ買って!」と電話があった。
 昨年、息子さんのお勤め関係で購入を決めた、ご縁多き人からの依頼である。
 「あぁ!ええよ!買わしてもらうよ」と即答した。
 有難う!とのお礼とともに「配達します!」と言うオマケが付いた。
 理由はどうであれ、この様に元気で再会出来る事が嬉しい!!
 例年どおり、12月20日頃までに入手出来れば良いと思っている。
 押し迫らなければ、エンジンが掛からない私である。
 2014年も、年賀状を書いて、年始の準備を整え、2015年にと継承して行くのも間近となった感がする。
 良い年であることを、お祈りした今年の元旦を、昨日の様にとは言わないにしても”光陰矢のごとし”である。
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☆どうしょう

2014年10月19日 | 日記
 楽しみの晩酌が出来なくなったらどうしよう?
早いもので、今日は、今年の健康診断の受診日であった。
身長・体重・腹囲の測定があって、ドクターの診察である。
「尿酸値がイエローカードですねぇ!」と前年の測定値をみて指摘した。
食べ物に関わりがある様で「酒とツマミ」が元凶!と自慢げに(?)言うのである。
そして、酒とイクラは最強の組み合わせと警告された。
酒のつまみにイクラを食することはないが「ああ!そうですか」と、反論できなかった。
今年の検査結果で数値が上がっていると・・・・・・と思うと、お先真っ暗である。
好きな楽曲を聴きながら、チビリチビリとやる時間が至福の時であると感じている。
昨夜は所用があり”晩酌”は無かった。
注:健康診断の前夜21時からは絶食
帰宅すると22時まえであった。
”ちょっと一杯だけ!”との誘惑もあった。
しかし、押し止まったがなぁ!     自慢する話しではなかったですねぇ?
検査結果は一ヵ月後である。
蛇足:体重を測定すると、昨年より2.5Kg増加していた。
そして、腹囲の測定では、昨年と変わらなかった。
測定した女性が「どうして(体重が増えて腹囲に変化がないのは)でしょうねぇ」と言う。
知らんがなぁ、俺が聞きたい・知りたいよ!



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☆寒いです!

2014年10月15日 | 日記
 今日は10月15日、時刻は午前7時45分である。
 寒い!とにかくさむい。
 昨日は良いお天気でした。
 今日は、明るくはあるが、雲に覆われ太陽のお顔は見えない。
 日本列島を縦断して、大きな被害をもたらした台風19号。
 台風一過、天気の回復は”寒気”まで連れ来たものと思われる。
 正直、ストーブが欲しいとさえ思える今朝の寒さである。
 体調を崩さないように気をつけましょう!と、我が身に言い聞かせる。
 急激な気温の変化に、追従出来ない我が身体である。
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☆自転車競技を嫌った時期 =連記 最終話=

2014年10月14日 | 日記
 私が六歳位であったろうか?
 実家より、それ程遠くない距離にあったグランドで、自転車競技会があった。
 私が出場する予定の幼年レースは、昼休みを挟んで午後の最初であった。
 「(走るの)嫌やなぁ!!」と思っていた。
 この時期、走る楽しみもなく、出来る事なら”棄権”したいと思う様になっていた。
 棄権する口実はないかと、無い知恵を廻らせた。
 この日、開催されたグランドは、広大な埋立て地のなかにあった。
 広大な一角ではあるが、足を伸ばせば海で、防波堤がある立地であった。
 防波堤に向って歩いていると、男女がボートに乗っているのが観えた。
 この時、勇気を出したんだ!と今になっても、自分自身で感心している。
 「〇〇、載せて!」
 〇〇をおじさんだか、どの様な声かけをしたのかについての記憶はない。
 ”お楽しみ中のお二人さん”ではあったが、載せてくれたのである。
  蛇足:お楽しみ中であったかどうかは、当時としては、分からない。大人となって思うに”お楽しみ中”ではなかったかなぁ?と・・
 始めて載るボート(貸しボート)であった。
 舳先に載せられた。
 私が艫では、オールを操作する男性とお見合いの格好になってしまう。
 それは不味かろう!!
 艫であろうが舳先であろうが、載る場所などどうでも良かった。
 「しめしめ、これで出なくても良いぞ!」と思っていると、一人の女性が此方に向って歩いて来る。
 もっと沖に出ようよ!と心で叫んだが、時既に遅しであった。
 姉であった。 ああ無情!
 「なんしょんで! 始まるでょ!」シッカリと声の聞こえる距離であった。
 姉は、父に指示されて探しに来た様であった。
 この(棄権したくてボートに載った)こと意外は、何位でゴールしたか等、全く記憶にない。
 そして、此れ以降、自転車競技に関する記憶が無いのである。
 時あたかも、昭和23年8月1日・自転車競技法が成立し、昭和25年には各県一箇所(特例もあった様であるが・・)の所謂”競輪場”が整備されていった。
 そして、幼年レースとか少年レースと云った枠組みでなく、プロとアマの競技という枠組みとなった。
 ただし、プロになるためには、伊豆半島にある”競輪学校”に入学し、卒業することが条件となった。
 ヨーロッパ等のロード・レースと異なり、整備された走路(競輪場)で競技する”競輪”は”ケイリン”として世界語にも成っているのである。
 そして、先の絵日記「昭和23年8月1日 =連記 その1=(2014,10.05)」で記述した「私は、この事によって”助かった=負担が無くなった”と幼き過去を振り返る」につながるのである。
 時は流れ、此れより10年程経った、高校入学の時、母から一冊の郵便預金通帳が手渡された。
 略、決まった金額が数ページにわたって、記されたものであった。
 私が、幼年レースに出場した時の「報奨金・賞金・(出場の)お礼金(のどれか)」を預金されたものであった。
 出場に伴って、頂いていた”お金”の名目(〇等賞等)ついては知らされていない。
 母は、私が高校生になったら”引き継ごう”と思っていた様であった。
 自転車競技の思い出とともに、熱いものがこみ上げてきた事を、今も思い出される。
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☆ツバメの思い出 =連記 その5=

2014年10月14日 | 日記
 昭和22・23年頃の事である。
 何処であったか、場所は忘れた。
 自転車競技の遠征先での思い出である。
 この日は、宿泊所(旅館?)で目覚める。
 宿泊所の前(路上)で、選手や同行した競技役員達が、競技用の自転車を組立てたり、整備をしている。
 私の自転車は小さかったこともあり、そのまま”手荷物”で持ち込めた様であった。
 私たちのグループは、10人程であったと、記憶している。
 私は、異様な気配を感じて、空を見上げた。
 電線に、驚く程の数のツバメがいた。
 今まで、観たことの無い光景であった。
 父から「南の国に帰るのだ!」と言う様な説明を受けた。

 近年、ツバメが減少している様である。
 私の思いや・知識が間違っているのかも知れないが、昭和40年代まで使われていた”農薬”による影響ではないだろうか?と、思うのである。
 水田に小さな看板(表札)が立てられていると、稲や水に触れてはいけないと教えられていた。



 現在に至っても、ゲンゴロウやミズスマシ・アメンボウ等の水生昆虫、蛍・トンボ等の昆虫類、そして、キギン(アカザ?)やナマズ・ドジョウといった淡水魚を見かけなくなっている。
 このうち、水質の改善でトンボが復活してきている様で、連鎖的に蛍も復調の兆しが見られるようである。
 ツバメの話にもどして、日本の風情として”ツバメは益鳥”として慈しみ、ツバメが出入りする家は”繁栄のシンボル”とされ大切にされていた。
 天敵の危険もない、屋内の鴨居等に巣造りをし、子育てが終わった後も、家人は「来年もおいで!」と大切に残していた。
 しかし、農薬によって餌となる”ムシ”類が少なくなったこと。
 価値観の違いからか”巣”を取り壊したり、夏であっても戸を閉め切る人間の生活スタイルの変化が、ツバメの生活環境を変えてしまったのだろうか?
 そして”越冬ツバメ”の如く、日本に遠路、渡って行かなくても南国で子育てしよう!とツバメは考えをかえたのであろうか!?
 日本が住み難くなったと思われれば、何千キロもの距離を命を掛けて、渡ってくる事もなくなる。
 来ることが無くなれば、帰ることも無くなる。
 幼き頃に「南の国に渡って行く・・・」と言う父の教えから、集団で行動するものと思っていた。
 しかし、ツバメは単独で飛行する事が分った。
 そして、巣立ちをむかえば、川岸等の葦(昔は良く見かけた)等の草むらで集団で生活する習性があること等も学んだ。
 確かに、川岸に多く見られた”萱や葦”の群生する姿は、今はない。
 ツバメにも倦厭される”日本”・・・・なのだろうか?
 寂しい気持ちにさせられた思い出である。

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☆台風19号のその後 平穏にして有り難し・・!

2014年10月13日 | 日記
 台風19号は、九州・鹿児島に上陸した後、四国・高知に再上陸したとの情報である。
 15時頃、高知県四万十市付近を北東に向っているとの事で、四国全域が暴風圏に入ったことになる。
 千余m級の山岳が”盾”となってのお陰か、山岳の南北で全く異なった状況となっている。
 そして、波も”〇〇水道”という、狭い海峡によって、大きなウネリは消耗され白波程度と成っている。
 この様に、大型と言われる今次台風の、通路の北側に住まう私にとっては、平穏な状況が維持されているのである。
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 我家から観る15時頃の”海”の状態である。
 写真撮影ということで、少し誇張した映像になっていることをお断りしたいが、少し、風の強い日常的な風景である。
 木々は、多少、揺れている。
 カラスも活動している。
 台風による被害も報じられているなか、平穏で居られることに感謝したい。
 そして、台風見舞いを申し上げると伴に、台風の通過に伴う被害もなく、早期に収束してくれることを祈りたい。
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☆台風19号

2014年10月13日 | 日記
 13日・朝6時半頃、娘から「避難して(此方に)来る!」と言う電話で、眼が覚めた。
 11時30分時点で、広範な市町村に対し「大雨洪水警報」が発令された。
 そして、防災行政無線で「避難所を開設」したことを告げている。
 しかし、窓から外に眼をやると、雨は降り続いているが、風は”無風”状態で、木々は静止したままである。
 そして、海は白波もなく、消波ブロックに打ち寄せる波も穏やかである。
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 現在の台風の位置は、宮崎県・宮崎市付近であることを告げている。
 それによると、私の住まう地区は、暴風圏である風速25Km/sのエリア外である。
 今日、夜半にかけてが正念場だろう。
 静かな今のうちに食料等の準備や、携帯電話の補充電など、停電に備えておきたい。
 今日の絵日記の絵(写真)は、ベランダから望遠レンズ(300mm)で捉えた海の状態である。
 そして、細い枝も静止している状態を、捉えている。
 ”嵐の前の静けさ”・・か!? 不気味な感じである。
 
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