ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

我家の犬くん

2015年09月30日 | 日記
 最近、よく耳を搔く様になったので、病院に連れて行った。
 それ程切羽詰った状況(重症化)ではないだろう!と、思う程度であった。
 しかし、獣医からは「悪いですねぇ!」との診断結果と、7日分のクスリを処方された。
 7日後に、再診を受けて!と言うシグナルであろう・・。
 モノ言わないし、見えないから、気をつけているつもりでも、症状は進行している様である。
 犬くんも、年を重ねるとともに、問題もあるようだ。
 7日後の再診で、症状が回復していることを期待したい。
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スーパー・ムーンだってよ!

2015年09月29日 | 日記
  
 昨夜は”中秋の名月”の翌日で「スーパー・ムーン」と言うらしい。
 聞き慣れない(表現)言葉で、今も・新たな言葉が誕生していることを感じた。
 従来からあった言葉かも知らないが、私にとっては、新たに記憶に留める言葉となった。
 カタカナで単刀直入な表現であることは、率直に理解できる。
 しかし”花鳥風月”を愛でる日本人にとって、奥行きのある風流や情緒を感じさせる表現は無かったのだろうか?
 ”風流”といった感性には疎いと思っている私が”スーパー・ムーン”という表現しか知らない「月」を観ながら思ったことであった。
 旧暦8月15日を”中秋の名月””十五夜お月様”と幼少期より親しんでいる。
 スーパー・ムーン=十六夜お月様としては駄目!・・ですか? 暦・天文学上からは認められないのでしょうね!!
 今日の絵日記の絵(写真)は、2015年9月28日の”月(スーパー・ムーン)”である。
 雲間に見え隠れしていた。
 
 蛇足
  月の表情を、もう少し写真にしたいと思った。
  通常・撮影(シャッター速度や露出)は、カメラに任せっぱなしである。
  マニュアル設定する方法を忘れた。
  パソコンに記憶させている「取扱説明書」を開いたが、時既に遅し!
  一面の、あつい雲に遮られていた。
  「平時の鍛錬が身を助ける」と言うことでしょうか?
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直っちゃった

2015年09月27日 | 日記
 何時からだろうか?
 我家の”オーディオ装置”のことである。
 琵琶湖周遊ツーリングにあたり、急ぎ装備の整備をしていた。
 作業をしながら好みの楽曲を、聴いていた。
 右からの”音”が、聞こえてこない! あれぇ!と、始めて気付いた。
 それは、熱中する余り、分らなかった。
 しかし、解決の見通しを感じ・緊張が溶けた時、気付いたのである。
 自作したソースを切り替える切替器に、ショックを与えると”時々断”となる。
 切替器の部品(安価な部品を好んで選んだ事)への不安から、市販品を(買い)求めるしかないか?と判断もあった。
 市販品への憧れもある。
 自作品の切替器には無い音量操作を、それも・リモコンで操作できるのである。
 光信号入力は欲しい!とか、プリ・アウトは必須”とか、Netの商品検索で、夢は膨らんでいった
 しかし、その”夢物語”は終焉した。
 直ったから・・・
 原因は他愛もない、私の作業ミスからであった。
 ハンダ付けの、所謂”イモハンダ”でした。
 ハンダをやり直して、今も元気で働いている。
 今しばらくは、我家に市販品が導入されることは無くなった。
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その後

2015年09月26日 | 日記
 それ程の”御忠心”では無かったのかと思う我が”心”である。
 その心の先は「メタセコイアに恋したかも!」知れないと言う(日記にした)思いである。
 その中で、現存する”メタセコイア”には、再会も出来て、その”お姿”にもお目にかかる事も、交流も出来る。
 しかし、その存在を知り”恋心”に似た感情を抱いた”(愛媛県伊予市の海岸から出土した)メタセコイアの扶桑木”には、片思いに終わったと思った。
 何時・退院され、どの様な生活に復帰されるのかが分らず、気持ちの持続に不安を覚える為である。
 「〇〇指定文化財、そして天然記念物」と指定されても、扱いはこれ程のものか?とも理解した。
 私としては”熱っぽい日記を書いた”と思った昨日までであったが、今朝は穏やかに目覚め、朝食を頂いた。
 そして、コーヒー・タイムとした。
 昨日までのコーヒーは”苦味”が強いと感じており、ミルの粗密を、少し”粗”にしてみた。
 微粉末となったコーヒー粉が、邪魔しているのではないかと、感じていたのである。
 手間は掛かるが、自分好みに調整出来る楽しみもある。
 確かとする私の”味覚”ではない。
 その時の気分で味わいたいと思うのである。
 牛乳に少量の蜂蜜甘味料を加え、レンジで暖め、抽出したコーヒーとミックスする。
 私好みの飲み方である。
 今日も元気で、コーヒーも&が、美味しい!! 先日・頂いた、コーヒー・カップの按配も良い!
  
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お遭い出来なかった”メタセコイア”のご先祖様

2015年09月25日 | 日記
    
 今日の絵日記の絵(写真)は、伊予市から使用の許可を得た「愛媛県指定文化財・天然記念物 扶桑木(珪化木)」の写真である。
 伊予市と市の木”メタセコイア”との関係や、伊予市から出土したメタセコイアの扶桑木が知りたくて、Netでの情報収集に集中した。
 辿り着いたのが「伊予市のホームページ」のリンク先「伊予市/<県指定文化財>扶桑木(珪化木)=天然記念物」であった。
 観てのとおり、今も現存している様ではありませんか?
 「お逢いしたい!逢ってみたい!」と言う想いが募ったのである。
 22日に、お見合いを一方的にさせて頂く思いで、出かけたのであった。 
 しかし、ご不在で満足できる結果と成らなかった。 此処までは既に、日記している。
 扶桑木の現状が知りたくて、連休明けの昨日・伊予市役所に電話をかけた。
 交換手に「伊予市の市の木&扶桑木について、お聞きたいのですが?」と伝えた。
 そして、暫く待った。 「もう暫くお待ち下さい」と告げられた。
 普段とは異なる内容で、少し混乱している様子を感じた。
 此処で分った事は「体調不良で京都の病院に入院中(*1)」とのことであった。
 「市の木とメタセコイアとの関係は明日に!」と言うことで、今日・再度電話をさせて頂いた。
 伊予市森の海岸で出土した扶桑木(写真)は、この場所から市の施設(公民館)に移設されたが、劣化が激しく、現在・京都で保存の為の補修(*1)を行っていると言うこと。
 伊予市の”市の木”と扶桑木とは関係はないと言うこと。
 そして”市の木”がメタセコイアとなった経緯については”伊予市史”を解読しなければ判らないと言うこと。
 以上、3点については理解できた。
 しかし、扶桑木の退院(京都での保存の為の補修が完了)後については、ご本人様のご意向か?周囲の思惑であるか?は、知らないが、生活の有り様(展示する等)は、定まっていない様である。
 もしも、倉庫での保存となっても「申請書を提出して頂ければ観る事は出来ます」との事であった。
 
 今日の”絵日記の絵(写真)”は、引用元「いよしの文化財」平成23年3月31日 伊予市教育委員会 からのものである。
 ご理解を頂いた「伊予市教育委員会様」に御礼を申し上げたい。
 そして、添付している写真は「伊予市」のものであることから転用は、ご勘弁願います。
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”メタセコイア”に恋をしたかも? PartⅢ

2015年09月25日 | 日記
 「琵琶湖周遊ツーリング」に出かけ、メタセコイアの並木を観て、私の思い違い(地名&樹名)を知り、愛媛県伊予市の”市の木”に繋がった。
 伊予市とメタセコイアの関係を調べるうち、古代の地質が露出し、1800mにわたって断崖を成している場所があること。
 その断崖から炭化・若しくは化石化した”メタセコイアや他の樹木(扶桑木)”が、出現し、海岸に存在する、と言う情報を得たこと。
 そして、8月22日・バイクで出かけてみたまでは先の「”メタセコイア”に恋をしたかも? PartⅡ」で日記にしている。
 地図を頼りにアクセスするが、到達出来ない。
 仕方なく、バイクを路側に停め、徒歩で向う。
 海(伊予灘?)を眼前にして、右方向の海岸で釣りしている一人。
 そして、向う方向・300m程先にも”人”が居る様であった。
 近づく・・・
 やはり二人であった。
 此れ幸い!と「この先に、古い地層が露出し、古い樹木が化石となって露わになっていると聴いて来てみた」と、その存在を尋ねた。
 地元の人の様で「若い頃、見かけたけど、最近ではどうだろう?」と回答があった。
 そして「場所は、あの崩れている辺りです」と指を示し教えて頂いた。
 教えられた場所に向かって砂浜を歩む。
 教えられた其処から、どれ程だろう? 500~700m位であったろうか・・・?
 確かに”地層”と思われるものは確認した。
 しかし、肝心のメタセコイアの”扶桑木”は無かった。
 写真を撮って、バイクに戻る途中、教えて頂いた方に「有難う」と感謝を述べた。
 「有りましたか?」「イイエ・無かったです」と少ない会話をして、バイクに戻った。
 伊予市市内に”メタセコイア”を植樹している処がある事を、予めNetで調べていた。
 伊予市の行政機関がある区域に「郡中保育園」があり、其処に植えられていると言うのである。
 行ってみました。
 連休明けを待って<扶桑木>はどうなったか?伊予市役所に問合せるしか、疑問は解消されない。
      
 絵日記の絵(写真)の説明:写真・左から(写真)1・2・3・4・5・6・7とする。
 例によって、写真をクリックすれば拡大し、観易く成ると思います。 お試しあれ!!
 写真1:写真・奥からこの地に侵入している。即ち、道路の終点に人家があって、標高を増している。約2Kmに亘って、この様な断崖となって地層が露わになっているとのこと。
 写真2・3:地質・地学に無学ではあるが、粘土層?と砂利の層があることは理解した。
 写真4・5:写真4が遠景で、写真5が接写で撮影したモノで、写真4中央・下部を拡大撮影したのが写真5である。 写真5の雑草が生える右・下、異質なものがあり、土石ではない物体では?と思って撮影をした。
 写真6・7:郡中保育所に植えられた”メタセコイア”である。植えられた意図は知りませんが、南・西日を遮る様な配置であった。園児達を、夏の日差しから守る意図ではなかったかと推測され、設計者の心遣いが温かい。この二枚の写真は、同じ位置から撮影している。写真6は北東方向。そして写真7は南西方向を撮影する。 
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”メタセコイア”に恋をしたかも? PartⅡ (25日 注釈を追記)

2015年09月24日 | 日記
  
 伊予市の”木”がメタセコイアと、伊予市の関係を調べるうち、同市・森の海岸に、古代の地層が露出し、1800mにわたって断崖を成している場所があること。
 そして、その断崖から”メタセコイアの芙桑木(何万年か地中に埋もれて、樹木が炭化・化石化したモノ)が、出現し、海岸に存在(注)すると言う、情報を得た。
  注:記述によると、メタセコイアの扶桑木は愛媛県指定文化財・天然記念物との事である。
 8月22日(片思いの)恋人となった”メタセコイア”の数百万年前の先祖に、バイクで遭いに出かけた。
 デートは叶わなかった。
 留守である理由は、連休が明けて、伊予市役所が業務を開始しなければ判らない。
 帰路、1993年に開催された「全国・豊な海造り大会」の会場場所(現・愛媛県水産試験場)であった森漁港や、隣接する「しおさい公園」を周遊した。
 森漁港では、休日とあって、大勢の家族連れ等が、釣りに興じていた。
 ある家族連れの男性に「いまの時期、何を狙うの?=何が釣れるの?」と質問した。
 「判らない!」との回答。 さては、この人”鯨”でもねらっているのかな??
 しおさい公園は、伊予市の市民運動公園で、整備され・立派な施設であると思った。
 そして、数キロ、市街地に寄った処に「五色姫海浜公園」がある。
 公園横の道路を進行していると、爽やかな「ハワイアン」の音楽が聞こえてきた。
 時間的余裕もあることから、バイクを路側に停め、徒歩で公園内の音源に向った。
 ”老若女”が、フラダンスのパフォーマンスを展開していた。
 フラダンスにマッチした環境ではあったが、黄色い旗の文字に違和感と滑稽さを覚えた。
 優雅に、パフォーマンスを展開する二組(注)のバックにハタメク「いもだき会場」の黄色い”旗”
 ”コラボ”とは云えない。が、楽しくもあり・微笑ましくもある”日本的な風景”であったと日記にした。。
 注:・・を展開する二組の・・・・この様に表現すると、同時に踊っていると誤解するが、そうでなく、左の組に後、右の組の踊りであった。
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”メタセコイア”に恋をしたかも!

2015年09月23日 | 日記
 

 先の琵琶湖周遊ツーリングで訪れた「メタセコイア並木」が気掛かりと成った。
 私の一方的な誤解ではあったが、地名と樹名である。
 私は”滋賀県高島市マキノ町メタセコイアにある並木道”との理解であった。 少なくとも帰宅するまでは・・
 何故!この様な誤解を抱いたのであろうか?
 マキノと言う地名が惑わせる要因であったこと、そして、樹名に見識が無かったこと、と言い訳をさせて下さい。
 「カタカナ表示の地名が多い処」という手前勝手な誤認識をしていたのである。
 同行のMU氏に「何でこんな名(地名)なんだろう?」と疑問も無く会話した記憶がある。
 事実を知って”赤面”である。
 メタセコイアは原産地が中国で、和名・アケボノスギ。
 アメリカ原産で樹高が100m近くまで成長する「セコイア」の変形=メタで、メタ・セコイアとなったらしい事がわかった。
 誤解を改め”滋賀県高島市マキノ町にある樹名・メタセコイアの並木路”と理解する事が出来た。
 では、何故!この地にこれ程の並木路となったか?についての、次なる疑問がうまれた。
 以下、「高島市観光情報」「マキノ高原観光株式会社」のホームページの一部を引用させて頂く。
 昭和39年・開発(農産品土地改良)に着手し、昭和50年には、4万本を有する栗園(マキノ町果樹生産組合)に成長する。
 しかし、この年(昭和50年)大型台風の襲来で、3万本が被害に見舞われた。
 そして”ポプラ並木の防風林も、根こそぎ被害に遭う歴史があった。
 場面が代わって、琵琶湖の歴史に関する調査で、400~189万年前に堆積した古代琵琶湖層から”メタセコイアの葉や球果(球果=原文のまま)”の化石が出土した。
 琵琶湖とメタセコイアの関連性も明らかとなり、成長が早く、根も深く・大きく成長する”メタセコイア」を植樹(町道)することとなった様である。
 昭和56年「マキノ・土に学ぶ里」整備事業で、距離2Kmに400本の苗木を間隔を広めにとって植樹する。
 平成3年に至って、500mに100本を延伸させた、とある。
 恥ずかしい・思い違いや誤解から調べるうちに、この日記・大きく発展するのである。
 愛媛県伊予市の「市の木」が”メタセコイア”であることが、Netで調べるうちに判明した。
 因みに、滋賀県高島市の「市の木」はサクラ。 マキノ町の「町の木」はソメイヨシノ。
 メタセコイアを”市や県の木”に指定しているのは、この伊予市のみの様である。
 伊予市にも、マキノ町を凌ぐ”メタセコイア並木”が存在するのだろうか? そして「市の木」に込めた思いは何だろう・・?
 連休中で気が揉める。
 続く!!
 今日の絵日記の絵(写真)は、私に恋心を抱かせた?滋賀県高島市マキノ町のメタセコイア並木とします。
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海津大崎の桜について調べました

2015年09月23日 | 日記
 先に訪問した滋賀県高島市・長浜市に跨る、琵琶湖湖岸”海津大崎”の桜並木について調べてみました。
 日本・桜の名所100選に選ばれる”桜並木”である。
 何年前だろう? ライト・アップされた”枝垂桜の映像が印象的で脳裏に残った。
 Netで検索を試みた。
 ”畑の枝垂桜”という表記があった。
 何でも、茶畑に囲まれた、樹齢400年の”しだれ桜”であるという。
 ”さくらの花のトンネル”を期待する傾向があるが、単独にして、これ程の迫力を誇示するのは”400年”という歴史からであろうか・・・?
 この事がキッカケで「滋賀県・桜の名所」について調べてみた。
 20ヶ所程の”桜の名所”がある事がわかった。
 記憶に残る画像に「琵琶湖湖畔の数キロ(*)に亘る・桜のトンネル」との”添え言葉”があった。 (*):表記されていた距離数を忘れた。
 桜の開花時期になると、思い出すのである。 「行きたい!行ってみたい!」と・・・
 開花時期の交通事情を知るにつけ「葉桜だけでも(観てみたい)!」と、五年ほど前から思いは募るばかりであった。
 
 海津大崎は(滋賀県)県道 西浅井・マキノ線(557号線)の沿線にある。
 琵琶湖湖畔に沿って、約4Km”800本のソメイヨシノ(琵琶湖高島観光Naviによる)”の桜並木である。
 歴史を少し溯ってみる(桜並木としての歴史を調べる)。
 1990年に「日本さくら名所100選」にも選ばれた様である。
 それには、1931年頃から植樹されてきた歴史から始まる。
 以下「高島市観光情報」&「琵琶湖高島観光Navi」の記述を参考にし、一部転用する。
 滋賀県高島地方事務所に勤務する道路補修作業員・宗戸 清七氏(当時37歳)が「愛着ある道路に何か残したい」想いから、道路補修作業の合間を活用し、自費で桜の(苗木)植樹を始めた事が、桜の名所に成長する発端となった。
 植樹を始めて五年後(1936年)に「大崎トンネル」が開通する。
 この開通を記念して、海津村(現 高島市マキノ町)が、植樹を推進したという歴史があることが判った。
 ある人の”志し”が発端となって、100選に選定されるまでに成長した”ありさま”を観て、ある人・宗戸さんは、どの様な想いだろうか・・・ 
 志しを実行し始めて、85年を迎えようとしている。
 
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聞いてやってください (23日・誤りを訂正、加筆)

2015年09月22日 | 日記
 先の「琵琶湖周遊ツーリング」の前日”ドタバタ劇”を演じたことを日記にした。
 バイクには、アマチュア無線機・ヒートジャケット用電源・ナビを装備している。
 そして、バイクに標準装備の音響装置とは別に、ミキシング・アンプ(日記「心が少年に還ったこと(2015.09.18)」他)を装備するにあたり、電源SWやヒートジャケットの温度調整器の収容箱(操作部)も更改した。
 操作部の電源線等の接続点は、フロント・カウル内にある。
 ツーリングの前週には、カウル部分を外し、作業の準備を行っていた。
 操作部の更改(コ字のアルミ製を加工し新調)を行ったが、納めなければ成らない部品(ボリューム等)が収まらない等のアクシデントに遭遇し、試行錯誤を繰り返した。
 確かに「一週間もあれば楽勝!」と、思い上がっていた事はある。
 バイクに装着できる準備が整ったのは、出発前日の夕刻であった。
 陽の明るい間に、フロント・カウル部の”仕舞い”だけは済ませようと焦った。
 ネジの仕舞いが難しく、苦労する事は、何度も経験済みである。
 ボルトは特殊な「トルクス(ボルトの頭部が星型)のインチ・ネジ」である。
 先週、外した時に仕舞っておいたと思われる場所に、トルクス・レンチが無い。
 幾ら探しても見付からない。
 時間は容赦なく経過していく。
 この際、仕方が無い、新たに購入しようと、DIYショップに走る。
 作業に取り掛かるが、私の視力では照明が無ければ作業が困難と成ってきた。
 LEDライトを口に銜え作業を継続するが、今度はナットが転げ落ちた。
 又しても、幾ら探しても見付からない。
 先程、DIYショップに行った時に、バイクショップの明かりが点灯していた事を思い出し、代用できるボルトが無いか訪問した。
 幸にもストックがあると言う事で購入し、急ぎ帰宅する。
 購入できたボルトは、ボルトの頭部が六角型で、適合するレンチは4mmサイズであった。
 ”神は我を見放したか!”と今ある不運を恨んだ。
 4mm六角(トルクスは誤り)レンチが欠落している。
 DIYショップの閉店時間が迫っている。
 又しても、今度は4mm六角レンチを買いに走る。
 売価・約150円程の工具ではあるが、工具が無ければ何も出来ない。
 無力である。六角レンチと言う「工具」をもって「人」は始めて意思を伝える事が出来る。
 ”マン・マシン・インターフェース”を形成しなければ、小さなボルトさえも”あやつれない”のである。
 
 作業が完了したのは、日付が代わろうとしていた。
 一時は(整備出来なかったら)どうしょう! ドタキャンするしかないか?との悲壮感を感じ始めていた。
 作業が終わった事で、この悲壮感から、開放された時間であっった。
 工具は定められた場所に仕舞う。 時間は余裕を持って!
 ドタバタ劇は演じたくないと、判ってはいるが、何故こうなるのでしょう!
 
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まもなく”秋分の日”

2015年09月21日 | 日記
 今日(21日)連休を利用し、帰省している息子から電話があった。
 「S君が”オープン・カフェ”を遣っているよ!来てみない」と云った内容であった。
 S君とは、この日記にも登場する、50数年来の友人H氏の御子息である。
 そして、先の日記「嬉しい”オクリモノ”(2015.09.6)」のキッカケとなった、コーヒー・カップの持ち主である。
 S君夫婦とは、久方ぶりの再会であった。
 カフェの目立つ処に「名詞」があった。
 来春には、カフェをオープンする準備中との事であった。
 二時間ほど会話を楽しみ、帰宅した。
 帰宅途中の路沿いに”彼岸花”の怪しげな・赤い花が無数に咲いていた。
 風も何となく爽やかさを感じるのである。
 暦も、まもなく”秋分の日”であることを教えている。
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楽しき時間でもあり、寂しくもある時間 (20日訂正)

2015年09月19日 | 日記
 私は、月に一度ないし二度の、懇親会を楽しんでいる。
 年に12回実施されるものと、年に9回・開催される”月例会”がある。
 10日に引続き、今月は二度目の年9回・開催される懇親会が今日、あった。
 電車の終着駅から、指定された懇親会の会場には徒歩で向う。
 現役の一時期、通勤に使った通い慣れた路である。
 その道すがらに、小中学生が詠んだ”五七五”が、今年も吊るされていた。
 現役時代の光景が思い出され懐かしかった。
 えぇ!どう判断(詠んだら)したら良いの?と思うもの、奥行きを考えさせられるもの、そうか!と率直に感じるもの等、夫々である。
 それでも、総じて”凄い”と思った。
 記憶に残るものとして、小学一年生の、向日葵(朝顔は誤り)を見上げた光景で”そっぽを向く向日葵”と発想し、字体化している。
 率直で素直に表現していて素晴らしい、と思った。
 そして、懇親会・会場に到着し、〇〇さんが逝った!とか、□□さんが入院した!との情報が飛び交う。
 旧知の懇親を楽しみもあり、そして今ある年代の寂しさを覚える時間でもある。
 やがて、時間となり、次回は11月の末との次回幹事からの案内があり散開・帰宅する。
 帰路は、吊るされた”五七五”の裏面を読みながら乗車駅へと向う。
 小中学生の”表現力”に脱帽である。
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心が少年に還ったこと

2015年09月18日 | 日記
 日記「道具に支えられながら(2015.7.9)」で、バイク走行中の情報収集手段として”各種情報を集約する”ことを記した。
 情報収集の手段として、色んな方法があると思う。
 私は、ヘルメットに仕込んだスピーカーから”音・若しくは音声”で受取る事が良いのではないかと考えた。
 高速道での単調な長時間走行時は、音楽やラジオ放送を! そして、目的地に向っては、ナビの音声ガイドを!等である。
 運転者は、運転に専念し、情報の提供は機械やシステムに任せる。
 そこで、単純に発想したのが、複数ある情報を”まとめる” 即ち、ミキシングすると言う事である。
 例えば、バイクのラジオを聞いている。
 そして、ナビが案内地点になって「300m先を右折」と音声案内する音声も聞き取れるのである。
 ミキシング・アンプは、先の日記「道具に支えられながら(2015.7.9)」で製作を楽しみ、スピーカー駆動アンプは、以前・使っていた「組み立てキット」のD級アンプを転用した。
 アンプとスピーカーの線長制限があり、ヘルメットまでの線長では”発熱”する事が判った。
 そこで、ストックしていた小型トランスをアンプ出力に挿入し、スピーカーに導く細工を講じた。
 この様にして、仮にではある(音量調整が固定)が、出来上がった「ミキシング・アンプ」を搭載し、琵琶湖周遊ツーリングに臨んだのであった。
 結果は「遣ったぜ!」と、喜びの声を上げたい気分であった。
 心配と言うか、一種・諦めに似た気持ちであったこと、それは”バイクはノイズの塊”と言う環境から「ノイズが重畳」するだろうと思っていた事である。
 しかし、予想に反して、ノイズも無く、クリアな音声であった。
 琵琶湖周遊時のテストにおいては、ボリューム制御が、停車中で無ければ出来ないことから、高速道での音量では一般道で大き過ぎ、等の不便はあった。
 走行中の状態に、対応出来る音量制御の必要性を、大いに感じた”テスト(商用試験?)”であった。
   
 絵(写真)の説明、写真・左より(写真)1・2・3とする。
 写真1:日記「道具に支えられながら(2015.7.9)」で製作を楽しんだ”ミキシング・アンプ”
 写真2:インターフェースや制御素子をケースに収めた状態。
      左の基板はメイン・アンプである。そして、右は有線制御のモーター駆動ボリュームである。 
 写真3:ハンドル部に取り付ける「制御部」である。 
      左の白い棒状のものは、ボリュームで、冬場に使う「ヒート・ジャケット」の温度調整用
      電源SWが3個 ヒート・ジャケット用・ナビ用・無線機等用である。
      そして、右のスナップSWは、常に中央にあって”OFF”、下方・若しくは上方に操作し”ON”となり、操作の手を離すと中央に戻って”OFF”状態を
     維持するスナップスイッチ((ON)-OFF-(ON)タイプ)。
      このスイッチは、ヘルメット内のスピーカーの音量を調整するためのものである。

 「心が少年に還ったこと」それは、全ての回路がつながり、動作している事を確認出来た時の高揚感である。
 苦労して創りあげたモノが”動いた感激”は年齢を超えて健在であった。
 アンプ本体の確認は、先のツーリングで出来ている。
 ツーリングから帰宅し、完成させる為の手順が続いた。
 ストックしておいた、モーター駆動式ボリュームは、娘が中学生時代に買い与えていたステレオ装置(ミニ・コンポ)のジャンクである。
 動作電圧も不明で、スペックの追跡から始めた。
 5V(ボルト)で動作する事が判り、バイク電源は、約13Vである。
 100円程の部品「三端子レギュレーター」で、5Vに変換する仕組みを組み入れた。
 音量を上げる為には、モーターを”正転”そして、音量を下げる為には”逆転”させる。
 バイク運転中の操作性を考えて、前出の「スナップ・スイッチ(ON)-OFF-(ON)タイプ」二回路用を使用した。
 そして、仮配線状態で確認する。
 制御部のスナップSWを操作すると、本体のボリュームが動いている。
 ヒーティング・ジャケット用の時間スイッチも動作をしている
 「おぉ!動いた・動いたぞぉ!!遣ったぜ!」
 この、感動的なシーンが伝わりませんか?? 想像して大きく府らませてください。 文書力では駄目ですから・・・
 本当に嬉しかったのですよ! ボリュームが回った時は・・・
 自分の持てる”知識・技能”に勝る結果が導き出せた時、その喜びや感動は増幅される事は理解している。。
 アルミ製のコ字形の金物を、DIYショップで購入し、加工した制御部の塗装の痛みもあり、再塗装してバイクにセッティングしたい。

 
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サングラスを掛けた戦国武将

2015年09月18日 | 旅行記
  
 羽柴 秀吉と柴田 勝家が戦った「賤ヶ岳の戦い」を象徴する「賤ヶ岳七本槍」
 賤ヶ岳山頂駅から山頂までの間に”顔ハメ看板”が七体、間隔をおいて並べられていた。
 そして、山頂の一角には、総大将のものが・・・
 その一つ、平野 長泰と思われる”顔ハメ看板で、記念の一枚を撮影させて頂いた。
 戦国時代にも、サングラスがあれば、この様な”風景”になるのかなぁ!と思いを馳せた。
 なお、平野 長泰としたのは、家紋から推測したものです。
 名と家紋が不一致の誤りであれば、ご容赦を!!

  蛇足:観光地等でよく見かける、顔ハメ看板は、単に「顔ハメ」あるいは「顔出し看板」と言うらしいです。
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琵琶湖周遊ツーリング (第二日目・Ⅱ)

2015年09月17日 | 旅行記
 (滋賀県)県道2号線から国道8号線に出て、左折する。
 程なくして、教えられたトンネルの手前となって右折しようとするが「えぇ!この路で良いの?」と思った。
 国道からの分岐で、一瞬・不安を感じたが「賤ヶ岳」という表示を見つけた。
 賤ヶ岳(標高441m)山頂へは、近江鉄道が運営する「リフト」を利用する。
 リフト利用料金・800円は「高い!」と思ったが、利用してみて「価値あり」と思いは変わった。
 リフト山頂駅からは、緩やかではあるが上り坂 300mを徒歩である。
 山頂に到着し、汗をかいた身体に吹く風が心地良かった。
 山頂付近を散策し下山する。
 国道8号線に戻り、8号線を左折し、国道303号線から県道557号線で、琵琶湖西岸に向う。
 長浜市から高島市に至る”海津大崎”は桜の名所で、訪れたかった処であった。
 琵琶湖湖岸、約4Kmに亘って桜並木が続く。
 高島市マキノ町に至り、左折する。
 湖岸道路を走行していると「ランチ」の看板を見付け、停車する。
 そして、昼食となった。
 昼食を摂りながら「メタセコイア並木」への道順を聞いた。
 「右・左・右・右・・・・判り難いので”ビックランド”を目指して行って!」と云って観光地図を手渡された。
 2.4Kmに及ぶ”メタセコイア”並木(約500本とのこと)を目の当たりにする。
 写真撮影などをし、最終訪問地である「琵琶湖大橋」に向う。
 琵琶湖西岸沿いの県道を走行していたが、時間経過ともに、琵琶湖大橋の周遊を中止した。
 走行中の県道333号線を離脱し、県道38号線から国道161号線バイパス(湖西道路)を走行する。
 走行中に見付けた、道の駅「藤樹の里 あどがわ」で休憩する。
 再び、国道161号線(バイパス道の湖西道路)で、高速道にアクセスしようとしたが、自動車道の湖西道路には、ガソリン・スタンドが無い事から県道315号線沿いのガソリンスタンドで給油する。
 湖西道路に入らず、雄琴温泉方向(琵琶湖)に走行する。
 そして、161号線から161号線バイパスの湖西道路に戻る。
 従って、給油の後、Uターンし湖西道路に戻っておれば、無駄は無かった事になる。
 名神道・京都東ICから、ひたすら家路をたどった。
 22時前に、無事帰宅を果たした。 
 総走行距離 1020Kmでした。走ったねぇ!!

 絵日記の絵(写真)の説明、写真・左から、写真1・2・3・4・5・6とする。
 写真1:近江鉄道が運営する、賤ヶ岳登山リフト リフトの数 101個を有していた。
 写真2:賤ヶ岳から”余呉湖”を望む。 賤ヶ岳の合戦で、この湖が血で染まったという。悲しい出来事である。
 写真3:長浜市から高島市に至る、約4Kmに及ぶ”海津大崎の桜”である。 湖岸に植えられた桜並木が壮観であった。
 写真4:樹名・メタセコイアの並木路 紅葉の名所として有名とのこと。
 写真5:琵琶湖大橋の周遊を後中止し、帰宅の途についた県道38号線のポプラ(?)並木。此れもまた壮観な眺めであった。
 写真6:道の駅「藤樹の里・あどがわ」 規模の大きな道の駅であった。 藤樹とは”近江聖人”「中江 藤樹」である。

 蛇足:「メタセコイア並木」と「海津大崎・桜並木」については、後日(日記で)整理したいと思います。
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