ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

富士へ・そして東北へ Ⅰ

2015年05月31日 | 旅行記
 2105年5月22日、当初・出発予定の20時を一時間程、経過した21時頃に、自宅を出発する。
 700余Kmに及ぶ、富士スピード・ウェイへの行程の、始まりである。
 自宅から最寄のインターまでに、第一回目となる給油をしなければならない。
 しかし、セルフの給油店しか営業をしていない。
 2Lの補助タンクにも給油の必要があることから、やむを得ず高速道路のSAで、給油する事を判断し、ICを通過した。
 判断の誤りであった。
 目的のSAに到着したものの、営業時間外で給油成らず・・・!
 一般道で24時間営業の給油所があることから、IC(最寄の)から一般道へ。 そして、給油を終え、再び高速に載る。 
 あとは、ひたすら「富士」へ向って走行するのみである。
 新名神を走行し、名古屋付近で、東の空が明るくなってきた。
 新東名・浜松SAで早めの朝食をとる。
 御殿場ICから、本日の目的地である富士スピード・ウェイへの、最終行程となった。
 
 良く晴れた”富士山”の歓迎を受け、午前8時30分頃、富士スピード・ウエイ西ゲートに、無事に到着することが出来た。
 入場手続きも済ませ、野営場所へ。
 野営の準備も整え、イベントへの参加となった。
     
 添付写真の説明 写真・左より1から5とする
 写真 1:フリー・サイトでの私のテント(右側) 同じメーカーの同じテントが、たまたま、お隣さんとなった。
 写真 2・3:催しの内容も様変わりしてきた。
 写真 4:会場内で飲酒するための”酒類”を購入する為には「誓約書」を提出し”印”を受けなければ、酒類は入手出来ない。 家から持ち込んだ”量”が余りにも少量で、追加が欲しくなり、手続きを済ませた結果である。
 写真 5:打上花火をもって、今日のイベントは終了した。 後は、就寝するのみ・:私は!
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さて!この人の業務は?

2015年05月30日 | 日記
 
 28日、福島市のホテルを出発し、磐梯山に向った。
 東北六県にある「百名山」のうち「八甲田山」「岩木山」「鳥海山」の周遊は終えている。
 今回、「蔵王山」と「磐梯山」を周遊する予定であったが、入山規制が懸かる「蔵王山」は断念した。
 さて、磐梯山に付いてであるが、浅学な私、磐梯山が「活火山の山」とは知らなかった。
 磐梯・吾妻スカイラインを快調に走行していると、火山・特有の”臭い”を感じた。
 そこで、磐梯山は火山の”ヤマ”である事を認識した。
 山頂(スカイラインの)「浄土平」に到着すると、双眼鏡を首に提げ、一点を見詰るガードマンが居た。
 「800m程の区間で、駐停車禁止となっている。長時間滞在する様な車両が居れば、車で駆け付け注意する・・・」仕事との事であった。
 確かに、途中でこの様な標識があった。
 
 そして「(車の)窓を閉めて走行してください」とも・・・
 バイクはどうするの?!
  蔵王山も磐梯山も最近、活動が活発になっているとの事であった。
 NETで「口永良部島」が噴火した事を知った。
 専門家は、各火山個別で関連性は無いと説明すが、続け様に起きている事であり疑ってしまう。
 今日は、今回のツーリングで知った、忍耐強さが求められる仕事に従事される人がいることを、日記にしました。
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無事・帰還

2015年05月29日 | 日記
 3200Kmの行程を消化し”命”を携え、2015年5月29日20時30分頃、帰宅しました。
 娘宅に預けてていた犬くんも受け取り、今より通常の日課に整えて行きたいと思います。
 日記の内容も、絵日記の”絵”となる写真も”盛り沢山”です。
 しかし、先週の金曜日・20時過ぎに出発して、今日は早くも金曜日である。
 3200Kmは、云わば”時間”です。
 過ぎ去ったのですね?!
 今回のツーリングの準備で散らかった我家を明日から修復しながら、日記にします。
 今日は、無事に帰宅出来た報告(日記)とします。
 
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☆何か一言を・・!!

2015年05月23日 | 日記
 犬くんとの関係である。
 過去に好んで食べたモノ。
 そして、新たに好んで食べると認識したモノ。
 これ等の記憶を頼りながら食べさせる事に執心する。
 この行為が一方通行ならせめて一言! 「此れが食べたい」と云ってほしい、と思うのである。
 人・犬の言語の壁を越えて”食べたい”思いが私に伝われば(理解でききれば)、と願うものである。
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明日、出発です。

2015年05月21日 | 日記
 昨日は、会社を退職した者の組織の、年一度の総会と懇親会があった。
 そして、今日は「農業体験」で田植えのお手伝いをさせて頂いた。
 日記にしたい魅力的な”テーマ”や”(絵日記の)絵”は沢山できた。
 この様な日々のなか、明日は「富士へ・そして東北へ」の出発の日となった。
 後日、これ等の出来事や思いを日記にしたいと思います。
 (「富士へ・そして東北へ」の帰宅後の)29日まで、日記(BLogの更新)は”休暇”とします。
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何だか騒々しくなってきた

2015年05月18日 | 日記
 今月27日、周遊する予定の「蔵王山」が不穏な動きを見せている様である。
 気象庁は、蔵王山の噴火に関する警戒ランクを一つ上げた、と報じている。
 気象庁が発表した火山情報の内容は「想定火口域(馬の背カルデラ)から概ね1.2kmの範囲では噴火に伴う弾道を描いて飛散する大きな噴石に警戒してください」と言うものである。
 御釜と称する”池?”を中心にカルデラが構成されていて、このカルデラが”馬の背”と云うらしい。
 即ち”御釜”はカルデラ湖である。
 御釜はNETで検索して”神秘的な色合いの池or湖?で、今回の観光の対象としていた。
 今後の火山情報に、注視して往きたいが、最終的には現地での判断に成ると思う。
 静かに迎えて頂けないものかと、今は祈るばかりである。
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有難う! そしてお答えを・・・

2015年05月17日 | 日記
 私の拙い「日記(Blog)」にコメントを頂いておりますこと、感謝申し上げます。
 暖かい応援メッセージ(コメント)を頂くと”頑張ろう!”とチカラになります。
 有難うございます。
                       ・
 「バイクで全国周遊」の企てには、色々なやり方があると思います。
 県庁をバックに写真を撮る。
 駅や観光地、その県を証明する場所を訪れる。
 秘かに、自分の”心(記憶)”に仕舞って置く。 等々
 私は、H・Dショップを訪問し、訪問件数をクリアする毎に、記念品が貰える「ディラー・スタンプ・コレクション」で(周遊の)”証し”にする事としました。
 日記「富士へ・そして東北へ(2015.05.14)」で訪問する予定の「山形県」があります。
 山形へは、2007年の「東北五大祭りツーリング」で「花笠まつり」を鑑賞してきました。
 しかし、その時、ショップが休日で、ディーラー・スタンプがもらえていない。
 従って、今回「花笠まつり」でない「山形(市)」を訪れる予定です。
 確かに、通過なりを数えると、既に達成はしております。
 少し”意固地”に成っている感はありますが、私の「スタンプ帳」には、今回・山形を訪ねたとしても、大阪・広島・愛媛、3府県のショップ・スタンプが存在しないことになります。
 残り少ない”3県”に所在するH・Dショップの訪問を果たし”(初志貫徹)遣ったぜ!”と総括したいと思うのである。
 此処に至っては、自分の(描いた)哲学で、貫徹させようと思う気持ちなのです。
 
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当たり前の様で・・・

2015年05月16日 | 日記
 14日は、月例会であった。
 何時もの様に、電車で出かけた。
 電車は、乗車駅の次の駅と、4番目と7番目の駅で下り電車と離合する。
 現役時代に身についた”癖”であろうか、今でも、先頭車両に乗車している。
 運転台にある計器類を観て、電車が受取る電気は・直流700Vか? えぇ!100Vも直流だね! 照明(蛍光灯)は如何しているんだろう? 等と考えてしまう。
 それにしても消費される電流は、1000Aにもなるんだぁ! 制御するのに”火花”も出さず、如何しているんだろう?凄いなぁ!とも思ってしまう。
 やがて電車は、下り電車と離合する7番目の駅に到着した。
 私が乗車する電車が停車すると、下り電車は、発車準備、即ち・車掌がドアを閉める動作をしている様子が観れた。
 その時、私は「あれぇ!」と思ったのである。
 下り電車の車掌は”女性”であった。
 その光景は、何ら違和感はないはずである。
 しかし、この電鉄会社では、始めてである。
 今までは、車掌=男子であった事を、改めて気付かされたことであった。
 私が、幼少期には、乗り合いバス(路線バス)には、車掌が乗務していた。
 その大多数は”女性”であった。
 当時の、女性の職業は、車掌(バス)・バスガイド・銀行等の窓口業務・電話交換手・看護婦・特殊なところで、プロの競技選手(競輪・競艇)位ではなかっただろうか?
 バスの車掌は女性でも、列車(鉄道)の車掌は男性であった。
 何故だろう? 今もって不明である。
 離合した電車の車掌が”女性”であったことが、新鮮な身持ちを抱かせたのは、何故だ!
 他の鉄道会社の体制(女性車掌の採用)に、追いついたと言う想いを抱いたから・・でしょうか?
 まもなくして、電車は目的の駅に到着、駅に程近い、月例会の会場に向った。
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富士へ・そして東北へ

2015年05月14日 | 日記
 今月、23に~24日、最大級のバイク乗りのイベントがある。
 ハーレージャパンが主催する「富士ブルー・スカイ・ヘブン」である。
 此れに参加し、思いを遂げようとする”企て”がある。
 昨年、悪天候(ダブル台風)により、断念した”東北方面へのツーリング”をセットで実施したいと考えているのである。
 富士で野営し、福島県小名浜・岩手県北上市・宮城県仙台市・福島県福島市・長野県松本市を宿泊地とする計画である。
 宿泊場所の選定は”わけ有り”でも良い廉価な事、そして、駐車場が無料で敷地内であることを優先した。
 そして、最近、多く観られる「無料・朝食つき」というヤツである。
 先ず、今回のツーリングの目的は、昨年と同様(日記「仙台・南三陸 方面へのツーリング(2014.08.03)」)に、遅きに失した感があるものの”震災の現状”が知りたい事である。
 なお、昨年の計画では「仙台・七夕祭り」の観光も、大きな理由ではあった。
 2007年8月に「東北五大祭り」を廻るツーリングを行った。
 しかし、ツーリングの途中でアクシデント(日記「バイク旅行中の出来事 そのⅡ(2012.06.05)」)が発生し、仙台七夕祭りの観光を中止した経緯があった。
 従って、今回の計画は、昨年・計画し”天候不順”で中止した”リベンジ”でもある。
 「仙台・七夕祭り」を犠牲にはしたが・・・(仙台七夕祭りを断念した理由は日記「東北五大祭りツーリング PartⅡ計画と反省(2014.08.17)」による)
 今回のツーリングの、主要行程は、小名浜から釜石までの海岸線を走行し、震災の現状を知る(観てくる)こと。
 そして、帰路において、西蔵王高原ラインと、美ヶ原(長野県)ビーナス・ラインを周遊する計画である。
                     ・
 今回のツーリングで「バイクで全国周遊」(バイクショップのスタンプ・ラリー)も残すは、3府県となる(予定である)。
 大阪・広島・愛媛の三府県である。
 2000年から始めた計画も、完結まで”あと一歩”となった。
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好天気に誘われて (5月11日加筆)

2015年05月10日 | 日記
 本来の予定は、昨日(5月9日)であった。
 自宅から、60Km程、隔てた処に、甥が居る。
 届け物があって訪問する予定であったが、降雨のため、今日にした。
 単独行動でもあり、通常、通過する事のないルートで・・と思った。
 そして、昔・仕事場があった処が懐かしく・訪問したく、バイクを走らせた。
 道路は、山中へと進んだ。
 しかし、見違える程に、道路改良がされていて、昔の面影は無かった。
 思い出される当時の道路は、曲りくねった砂利敷きの山道で、離合もままならない道路環境であった。
 その後、簡易舗装はされたものの、道路幅は以前まま(未改修)であったと記憶していた。
 改修された道路は、通行量も少なく、コーナリングを暫し、楽しんだ。
 しかし、改修途中なのであろう、行政区が代わった所(峠)で、一変した。
 思い出のある道路状況となった。 
 カーブの多い下り道である。
 対向車に注意しながら走行する。
 コーナリング(ワインディング)を楽しむ状況ではなくなった。
 「この辺では無かったか?」と、当時の記憶をたどったが、廃屋などで風景が変わって居た事、そして記憶そのものが薄らぎ、満足する結果とならなかった。
 戦後の一時期、進駐軍に接収されたことのある、通信施設が存在していたのである。
 気が付けば、県道を離れ、一般国道に至っていた。
 やがて、甥の住む所に到着した。
 甥の家で、所用を済ませ、帰路についた。
 このまま、帰宅すれば、走行距離は 120Km位であろうか?
 バイクで走りながらも”汗ばむ”様な天候である。
 暫し、ソロ・ツーリングを楽しんで帰宅する事にした。
 そして、走行距離 約 250Kmの先週に続き、山間部の走行を楽しんだ。
 最高の天候でした。
 そして、転ばなかったよ!
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男子厨房に・・・・

2015年05月09日 | 日記
 ”男子厨房に入らず” 外国の文化を都合よく受け入れた?”男尊女卑”の日本的な思想であったと理解している。
 生前の母から、色濃く教えられた事であった。 生活上・宗教上等々である。 
 江戸時代や戦前でもあるまいが、当時の”男”にとって、都合の良い”思想”であったのでしょう・・・か?
 しかし”その様な思想”の社会であったことを知っているのは、その時代を生きてきた、若しくは、教育を受けた証しなのでしょう。
 戦後70年を経て、新たな社会思想・男女共同参画の時代だからと、云う訳でもないが(家庭)調理を好んでする”厨房男子”は大勢いる(様である)。
 私も、自身が食するものを造るのに”億劫”と思ったことはない。
 鯖の生姜煮を食べたい!と思っていたが、煮物料理には不安があった。
 所用で外食を余儀なくされた時、所謂・定食屋で食事をするが、鯖の煮付を好んで食していた。
 煮物料理に、不安があるものの、鯖の煮付けに挑戦してみようと、鯖の切り身と生姜を買って来た。
 味付けをし、落し蓋をして、弱火で煮付けた。
 「美味い!」
 「天才か?」と思い上がった気持ちが一瞬ではあったが、抱いた。  今は、もう思っていないよ!
                 ・
 入社(他県の職場に赴任)した当時、入寮(食事付き)希望者が、順番待ちの状態であった。
 職場の計らいで、社宅の提供を受け、同期入社・三人の共同生活を経験した。
 その時、女子社員(主婦)の方から「男子厨房に・・・と言うが(奥さんが病気等で)男子も、家事が出来なければ不幸よ! 経験したら!」と言われた。。
 社会人となって、山登りや野営(アウト・ドア)に興味を持った。
 休日になると、テントや飯盒・ラジウス(石油コンロ)を持って、出かけた。
 炊事炊飯(飯盒炊飯)は”当たり前”となっていた。
 料理教室という名の講座で、習った”料理”は、一つだけある。
 IH調理器の普及に、躍起になっていた当時の電力会社が、開催した”講座”に参加し、教わったものである。
 今も”献立(レパートリー)”の一つになっている。
 私の味覚に対する概念は「自分の味覚に合えば”美味い!」と云う程度のものである。
 自炊し美味い!とは、自画自賛・自己満足の範疇である。
 他人の思い(味覚)を参酌しないから・・・・
 味覚を磨くには、他流試合(外食)で!とは云うが、経済的負担を覚悟しなければならなくなる。
 しかし、例え・それが高級食材と言えるモノでなくても、自分が美味いと思えば、美味しいのである。
 そして、美味しいと思うことで”食”が進み、楽しい(食事が)と思う事が大切ではなかろうか・・・?
 TV番組(放送)で、食に関する番組は、視聴率を稼げるらしい。
 一事が万事、形にはまった演出(見せ方など)や、やたら”美味しい!”と言う表現(コメント)には辟易する。
 例えば”ツバメの巣”等と云ったモノを口した事も無く、観た事もない。
 しかし、この様な”職材”を食べなくても、人間は生きていける。
 貧乏人の僻み根性と、言われても仕方がない。
 すみません! 鯖の生姜煮が上手くできたことから、調子にのった長文となってしましました。
 しかし、鯖の生姜煮・美味かったよ! 初めて造ったと云う割には! 本当!!
 でも、(食のための)提供はしません・・・よ! 美味しい!と思う満足感を否定されたくないから・・・・ 
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御心配をおかけします

2015年05月07日 | 日記
 お見舞いのメールや電話を頂きました。
 昨日の日記で(5月5日のツーリングの帰路において)”転倒”した事を明かしました。
 その事で、心配をお掛けする結果となりました。
 バイク事故と云えば、悲惨なニュースが多いことが、御心配をお掛けする、最大の要因と思われる。
 お陰さまで、今日に至るまで、大事故(人身事故)に至らす”バイク・ライフ”を楽しんでいる。
 何はともあれ、御心配をお掛けし、お見舞いを頂いた方々に御礼を申し上げます。
 今回の転倒事故を教訓とし。安全(身の保全)を最優先にしていく事を、改めて肝に銘じたいと思います。
 有難う御座いました。
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昨日のツーリングで

2015年05月06日 | 日記
 昨日行ったツーリングの様子を、感情を込めて(込めたつもり・・!)日記にした。
 そして、結び文で「無事に帰宅でき来たこと・・」とした。
 一夜明け、正直に打ち明けようと考えた。
 昨日の帰路、Y字の道路で、右に行くところを左に進もうとした。
 間違えた事に気づき、すぐさま停車した。
 左は、上り勾配、そして右は、下り勾配である。
 1m程バックすれば、間違えを修正できる。
 しかし、バックするには、登り勾配で、儘ならない。
 私は、ここで誤った判断をしてしまった。
 Uターンできる場所を求め、そのまま左を直進する判断もあった。
 しかし、未知な道路である。
 現状で「(段差は)10cmだろう!」と判断した。
 そして、ハンドルを右に切り、強行突破を試みた。
 ところが、シャーシが路側の縁石につかえ、バランスを崩してしまった。
 段差が、10cmと判断した事も、誤りであった。
 支えようと足を突いたが、足が地面に着かない!
 倒れるしかなかった。
 二輪車の宿命である。
 そうです、転倒する”自損事故”を起こしてしまったのです。
 支える為、差し出した右足がバイクと地面に挟まり「痛!」と言う感覚を受けた。
 「捻挫したかな?」と思いながら起き上がった。
 「あ・あぁ!起こさなければ・・」と思っていると、M氏が停車してくれた。
 起こしの準備をしていると、ショップのスタッフも駆けつけてくれた。
 昨日の日記の結び文は「お陰で、この様な経験をしながら、帰宅する事が出来ました」が正解でした。
 明日まで、ショップは、お休みという事で、お礼の言葉を伝えたくて、日記にしました。
 負傷した右足は、少しだけではあるが”腫れ”がある。
 そして、歩くと、痛みも伝わってくる状況である。
 今日は一日、静かにしていようと思っている。
 手助けをして頂いた皆さん・有難う御座いました。
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未知なる日本・・!

2015年05月05日 | 日記
 大上段に振りかぶった、表題ではあるが、日記の内容は些細な事である。 悪しからず!!
  
 先ずは、此処は愛媛県久万高原町・大川峰(美川高原を訂正)と言う処である。
 5月5日、約50台の仲間が集まった。
 山岳ルートを廻るツーリングの企画に参加した。
 今日の絵日記の絵の為の、写真を撮っていた。
 「何か、阿蘇山に似た景色やなぁ!」と、隣で、同じく写真撮影していた仲間が言った。
 私も「阿蘇の風景に似ていますね!」と返した。
 私は、バイクで此の地に訪れたのは、二回目であろうか?
 前回は、一昨昨年であったと思う。
 しかし、その時は悪天候で、この様な眺望を観る事は、叶わなかった。
 大きい・広い。 ”阿蘇”の、雄大さと言う事では、いま少しとは云え、四国にもこの様な”景色”がある事を教えられた。
 今日の日記の「表題」である”未知なる日本”を知ったということである。 チッチャ!!
 そして、駐車場から徒歩で20分程であろうか、山頂である「笠取山(標高1,560m)」を散策した。
 50数台のバイクは次なる場所、高知県・東津野村にある「風の里」に向った。
 山岳道路を駆け抜ける此の時期は、新緑深き季節である。
 時として”紫色”の花をつけた山藤も観られ、木々の”新緑”に加え、景色に変化をもたらし心地良い。
 まさしく、春・新緑の季節である。
 天候にも恵まれ、気分も”春爛漫”と云ったところでしょうか・・・
 途中「太郎川公園(高知県梼原町)」で昼食となった。
 私は、集合場所のコンビニで、買い求めていた「カップ麺とオムスビ」を昼食とした。
 東津野村は、四万十市(旧・土佐中村市)から太平洋に至る四万十川の源流の里でもある。
 風の里は「四万十川の源流域に近い場所にある様であった。
 風の里に至り、その場にあった標識で、位置関係を知った。
 近年にないツーリングであった。
 何と言っても、無事に帰宅が出来た事が今日の”成果”ではなかろうか・・・?
      
 写真・左より1~6
 1:美川高原・山頂の笠取山 2:ハートの滝 3:風の里での集合写真を撮影風景 4:風の里から観る、鳥形山(日本鉱業 鳥形事業所) 4:風の里・風車の風景 5:風の里に集合したバイク
 
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拝啓、アボカド様

2015年05月04日 | 日記
 貴方が、突然、葉っぱの全てを落とされてから、早くも一ヶ月になろうとしております。
 最近になって、やっと新たな葉っぱを着け始めましたね。
 一時は、このまま葉っぱを着けず”枯れてしまうのかと、心配もしました。
 私の身長(170cm)程に成長されて、今後、どの様な樹整になるのか、楽しみにしていました。
 しかし、その矢先に私の、お世話がお気に召さなかったのか、丸裸となってしまいましたね!
 この一ヶ月程は、只々、回復を願って、水を与えさせて頂きました。
 私の、気持ちをご理解して頂けたのか、幼き葉っぱを着け回復の兆しが見て取れる今日となっております。
 今後も、お水や追肥などの、お世話をさせて頂きますので、元気を取り戻されることを願っております。
 
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、再生し始めた「アボカドの木」とします。
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