ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

私の”新年度”の開始

2016年04月30日 | 日記
 自治会の運営は、市役所→区長(広報に関する業務は、市長から任命された広報委員)→班長と云う組織体制である。
 先日、広報委員が、広報物を持ってきた。
 そして「一年間、宜しくお願い致します」と挨拶が出来た。
 今日、回覧板と併せ、広報物の配布を行った。
 私の”仕事始め”の日である。
 
 
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今日はちょっとシンドイかぁ!

2016年04月29日 | 日記
 昨夜は、年間10回・開催される「OB会」と云う”飲み会”があった。
 少々・御酒が過ぎたかな・・・?と、思える今日の体調である。
 予定の18時30分、20名弱が集まり開始となった。
 最近、どうもビールを受け入れない我が身体である。
 早々に、焼酎のお湯割りを頂く、話も盛り上がり、閉会となった。
 そして、誘われるままに”二次会”に行く事になった。
 現役時代には、行き付けのスナックは、四軒程あった。
 しかし、今では、一軒だけと成った。
 昔から替わらずの定額制である。
 時代の流れでしょうか? ウイスキー・オンリーだったモノが、焼酎もOKである。
 カラオケも”通信カラオケ”で、注文に裏切られる事はない。
 歌を歌う者・会話を楽しむ者、それぞれに過ごしていると、後輩達の集団(7人)が来店し、満席となった。
 一段と、声のトーンが増幅される。
 時間の経過と伴に、誰云うことなく「帰ろう!」と云う事で、タクシーの手配をお願いした。
 同じ帰路方向の者が三人であった。
 お陰で、負担は電車代と大差ない。
 二次会に行かないのは、行けば(二次会に)必ず、タクシー帰りと成る。
 そのことで、負担が余りにも、大き過ぎるのである。
 (二次会に)行かないのではなく、行けない、と云うのが正直なところかな!?
 この様にして、有意義で楽しかった一日が無事に終了、就寝となった。
 ”過ぎたるは猶及ばざるが如し”
 やり過ぎて”毒害”が残った今日の体調である。
 この年に成っても、学習能力の欠如を反省している自分が居る。
 一体、これまでに何度、反省をしたことだろう・・・?
 
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昨日(27日)のこと

2016年04月28日 | 日記
 記憶違いで、目的を達成することが出来なかった一昨日の、リベンジ(日記「今日は雨(2016.4.27)」)を果たした。
 訪問を果たし、色んな情報を得る事が出来た。
 先ず、目的であった、保有する無線機の性能が維持出来ているか?については、判定(測定)の結果「OK」であった。
 しかし、電波には”国境がない”ことから「電波の質」に関する規制が強化され、猶予期間を経て、再免許が得られなくなる成ることを知った。
 と、云う事で、私の所有する無線機も該当するらしい。
 今日の絵日記の絵(写真)は、年齢を重ねたものの”健康診断の結果、異常が無かった無線機である。
 
 私が、五回目(転居は4回目)の転勤をした職場の同僚に、お世話して頂いたモノである。
 40数年は経過しているだろうか・・・?
 単独周波数の”オールインワン”で、現在では有り得ない形態である。
 とは云え、無線機が動作する事から、アンテナがあれば、再開出来る状態となった。
 災害時の情報連絡に、大きな役割を果たしている”アマチュア無線”である。
 所有する機材を活用し、あってはいけない事ではあるが、要請により、役割が果たせるなら、貢献したいと思うのである。
 
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今日は雨

2016年04月27日 | 日記
 今朝・9時過ぎに目覚めた。
 昨夜は、23時を過ぎた頃、睡魔に襲われた。
 睡魔に堪えるのではなく、その意(眠たいという)に従った。
 久し振りに、途中で目覚める事もなく、心地よく目覚める事が出来た。
 10時頃だっただろうか? 小さな雨が降り始めた。
 明日まで、雨降りと成るという予報である。
 昨日は、何年振りだろう・・・?
 アマチュア無線用品を扱うお店に行った。
 行くに当たって「(休業日は)木曜日だったよね!」と、記憶をたどった。
 近くまで行って「何処だった?」迷った。
 お店に到着して「あれー!休み・・・?」
 仕方がない、引き返し帰宅した。
 この地に”居”を構えた時、アンテナ用にと17m高のコンクリート柱を建ててもらった。
 海岸に近いことから、アンテナを昇降させる機能を付加したいとの一心から、現在に至っても「アンテナ柱」としての役割を果たせさせていない。
 何とか、50MHz帯だけでも運用したいと思った。
 無線機・アンテナを回転させる機材や同軸ケーブルは、過去に使っていたものがある。
 ただ、無線機は永年使ってなかったために、使用できるかの確認が必要である。
 そこで、性能確認をしてもらうために、久し振りに”お店”訪問となったのである。
 「これは、もうダメ!良いの(機材)があります!」何て言われたらどうしょう・・・?
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君の名(前)は!

2016年04月26日 | 日記
 思う事があり、屋外に置いていた”洋ラン”と思われる植物を屋内に置いて、咲いた花と・香を楽しんでいる。
 ”この御方(洋ラン)”は、何と云うお名前だろう・・か?
 香りを知り、その存在感が増した事で”誰だろう?”と、気に成って仕方がない。
 そこで、NETで調べてみた。
 類似している花弁から「デンドビウム」ではないかと思う。
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、我家の洋ランの花弁である。
 そして(洋ランって)寒さを与えなければ、花を着けないと云う記述を見付けた。
 知識も無く、お世話させて頂いていた、今まで通りの扱い(育成方法)が、理に適っていた様である。
 通年的に室内ではなく・屋外に、出してやらなければならない様である。
 この日記を書いている間にも、じっと(静かに)していると、香を感じる事が出来る。
 此の”御方”が、はたして「デンドビウム」であるのか、今もって判らない。
 もし「デンドビウム」さんでなくても、本当の名前が判明するまで、そう思う様にした。
 交配や改良が進み、新たな”品種”が出来れば、命名されている。
 少しの違いで”名”が付くのである。
 分別の為の”眼力”を持ち併せていない事から難しい。
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想いも新たに Prat2

2016年04月25日 | 日記
 流木に絡めた”洋ラン”を、配置転換させた事は、先の日記で記した。
 置き場所は、リビングの出窓で、音楽を聴く定位置から、1m程を隔て、目の高さより、少し高い位置である。
 椅子に座り、音楽を聴いていた。
 耳から心地良い楽曲が・・そして、今までにない”香”を感じた。
 臭覚のイメージは、匂いを求めて”鼻”が、お出迎えに行く感覚ではなかろうか?
 しかし”匂い”が襲ってくる感覚・・・!である。 判るかなぁ!
 静かにしていると云う事は、空気が停滞している。
 イメージとして、静かな水面に、小さな小石を投げ入れる。
 投げ入れた場所が、匂いの”震源”洋ランの花であり、波紋が広がる様に、香が私の”鼻”に届いた。
 香りを楽しむ・風流心が有る事・残っている事を感じた瞬間であった。
 そして、先人の・日本人の感性を思った。
 ”欄間”である。
 諸説あるが、私が理解する欄間は「締め切った部屋(人・モノの動きが無い)の、床に飾った「寒蘭」から発する”香(微香)”を部屋に充填(充満)させ、欄間から零れる香りを次の間で、楽しむ為に”隙間=欄間”を設えた」と云うものである。
 理に適った、日本人の感性ではなかろうか!と誇らしく思うのである。
 目を瞑って、欄間から零れる”香”と思えば、我家も御屋敷である。
 
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想いも新たに・・ (追記)

2016年04月24日 | 日記
 先の日記「馬酔木(2016.4.22)」で一枚の”絵(写真)”を紹介した。
 名前を知らないが、洋ランと思う植物である。
 何時・如何様にして、我が家に来たのか、記憶は定かではない。
 しかし、毎年・花を着けて、楽しませて頂いている事は、記憶している。
 先の日記を書くにあたって、室内へ取り込んだ。
 そして、花が咲いている間は、室内で楽しもうと、窓辺に置いていた。 気紛れ・・?
 何か違った”気配”を感じた。
 屋外では感じる事が出来ないであろう”香”であった。
 人間って・私って、身勝手なものである。
 可憐な花に加え、香を知り、これ以後・室内で育成してやろうと思ったのである。
 
 今日の絵日記の絵(写真)は再登場ではあるが”室内バージョン(*)に装いを改めた、洋ラン(?)”である。
 海岸で拾って来た、流木に絡めている。
 この様な形態(流木に絡める)にしたのは、何時頃かは、忘れた。
 しかし、この流木は、水に漬けて塩抜きをしている。
 一時期、グッピーの水槽のアクセントに、使っていたモノである。
 寒さにも、渇水にも強い事から、雨が降れば雨に充ててやり、日照りが続けば水を与える程度の世話しかしていない。
 絡めた流木が保水したことから”生存”出来たのでしょう。
 その様な環境にあって、逞しく育ったものである。
 我家に来た頃は、数枝しかなったと、記憶している。
 それが、この樹勢は、如何でしょう!大きく育ってくれたものである。
 香りと云う、違った存在を知ったことで、異なった扱いになった様である。
 新たな”魅力”を知った事による(人間=私の)身勝手な行動なのでしょうか・・・? 

 追記
  室内バージョン(*)とは、植木鉢に水はけと、保水の為の用材を入れて、室内でも適度な保水が出来る様にした。
  屋外では、散水で木片に水を(色が変わる程)含ませていた。
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季節を感じる”商品”が・・・・

2016年04月23日 | 日記
 昨日、スポーツ・ジムの帰りに、三日ぶりとなる食料品を買い求めに、行きつけのスーパーに行った。
 売り場に入ると、袋モノの”花火”が目に留まった(陳列されていた)。
 「あぁ!(季節は)夏か・・!」と、思った。
 この家(我家)に住まい初めて、20数年が経過するが”夏の風物詩=花火”には、良し悪しの思い出がある。
 夏の訪れと伴に、100m程隔てた海岸での、要請をしない”花火”に興じる一団が現れる。
 手持ち花火なら問題は無いが”ロケット(花火)”と云うモノがある。
 シュルシュルと云う音と伴に、空中に到り「パーン!」と云う炸裂音を伴うのである。
 その炸裂音に、同期させるように歓声があがる。
 大方は、酒宴を伴うもので、風の方向によっては、歓声も、現場に居る勢いで、聞こえる。
 白々と夜が明け始める5時近くまで、続く事もあり、眠れない夜となっていた。
 ”海岸=開放的”と云う感覚は、判らない事ではない。
 2時3時ともなると「おい・おい!もう寝ようよ!」と、思ったことであった。
 しかし、その環境も、ここ四年程の間に、大きく変わった。
 海水浴場だった陸地設備部分(駐車場・売店・シャワー室・納涼席)を、津波対策と云う名のもと、4m程(コンクリート製の擁壁に守られ)盛土された。
 そして、大部分が更地の状態で、目的の施設(建物)が建設されている。
 盛土に伴って、歴史ある防風林の松は、伐採され”白砂青松”の、数少ない風情は失われた。
 今日では、夏と成っても”花火”で眠れないという”愚痴”を言わなくてもよくなった。
 善くなったモノと、失ったモノの”バランス・シート”は如何な結果と成るのでしょう・・・・?!
 松林の海岸で、花火を、楽しむ事は”絵”にも成る夏の風情と、思うのである。
 願わくば、騒音を発する”ロケット花火”でなくて・・・
 加えて、花火をする人が”浴衣姿”なら、どうだろう。
 夏の季節の”一枚の絵”と成ることは、間違いない。
 何方も、夏を感じさせる、ツール(季語)である。
 しかし、浴衣姿で”涼”を楽しむ情景は、一段と遠い・記憶の中である。
 それ程・遠くない昔の、白砂青松の風景や、団扇を片手に、涼を求める浴衣姿の風情が蘇らないものかと、食品スパーで観た”花火”から、思い出されたのであった。
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馬酔木

2016年04月22日 | 日記
 雨上がりの庭を観た。
 馬酔木が新芽を着けている。
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、新葉を着けた”馬酔木”である。
 許可を得て、山採りして来たものである。
 我が家の庭に収まって、20年程になるだろう・・・か?
 ”馬酔木”と云う植物を知ったのは、何時頃だろう?と考えた。
 三度目の転勤で、所謂”管理部門”に移動した。
 業務内容は、施設設計を担当する部署で、U係長が主査であった。
 着任した翌日には、新たに出来る山上の施設への受電処理(電力会社立会のもと、受電柱を何本建柱し、受電可能時期や、負担金について折衝するもの)を受命した。
 月(約4週)のうち、3週は”出張”と云う職場であった。
 忙しかった。しかし”人・モノ(知識)”を知る機会でもあった。
 在籍は、二年間ではあったが”貪欲”に取組んだ様に思う。
 担当内での、コミニュケーション(飲み会)も、盛んに行われていた。
 大上段の振りかぶった・大風呂敷を広げた始まりとなったが、内容はチッチャナ”馬酔木”の話である。
 U係長との関わりの中で、アセビなる植物を知った。
 「馬に食べさせたら酔った様になる”毒物”を含んだ植物」と云う様な紹介(説明)があった。
 そして、馬酔木の葉っぱを揉んで、馬の皮膚を撫でると虫除けや、殺虫材として使った歴史があることも知った。
 その後、山上施設への巡回保守・点検時に、気を付けて観察(馬酔木の存在)する様になった。
 寒い時期に、リンドウの様な可憐な花を着ける事を目撃した。
 若葉も特徴的な色合いで、好きである。
 何時かは自宅を持って”馬酔木を庭木にしたい”との思いが募った。
 その思いが現実と成るのには、20数年を経過していた。
  
 ”オマケ”の絵(写真)は、今も残る、馬酔木の花と、洋ランであろうか、この時期・多くの花を着けている様子である。
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懐かしく当時(昔)を思い出す その4

2016年04月20日 | 日記
 屋根裏部屋に仕舞ったままの段ボール箱を開封すると、今日の絵日記の絵(写真)が出てきた。
 そして、約45年前に出逢ったO係長の存在が、思い出されたのである。
  
 此れは、若かりし頃、憧れた”通信用受信機・トリオ9R-4”である。
 そして、その本質は、見ての通り、電源トランスやコンデンサー・真空管の大半が欠落している。
 入手した、当時のままである。
 私が”会社人間”に成って、二度目の転勤を果たした。
 転勤した職場は、未だ且つて経験したことが無い、組織であった。
 職制に”課長”が居る職場であった。
 課長ー係長ー主任ー担当と云う組織形態であった。
 私が、所属する”課”には、三人の係長が居た(総勢10名(共通事務担当2名を含む)。
 その一人の係長で、O係長が居た。
 日常的な作業は、このO係長の指示で行っていた。
 実業務から、データー整理と、伴に行動する事が多かった。
 そして、趣味の話にも及んだ。
 O係長が、アマチュア無線も楽しんだ時代もあった、と云う話題にもなった。
 「受信機のケースがあるが要るか?」と聞かれた。
 憧れていたトリオ社製の受信機「9R-4」とのこと、間髪入れず「欲しい!」と云ったことは、云うまでも無い。
 加えて、O係長が懇意にしている、タクシー会社が「タクシー無線の無線機を更改するが、要らないか?」と云う。
 150Mhz帯の無線機である、アマチュア無線の周波数に移行することは、困難な事ではない。
 更改する全数は要らない。3台頂く事にした。
 X-Tal(水晶発振子)を変えて、アマチュア無線として、使用出来る周波数帯域への変更は、容易に出来た。
 しかし、周波数の可変が容易に出来ない事から、アマチュア無線機としては、実用的ではなかった。
 真空管式(注)であることから、DCーDCコンバーター(継電器で交流化し、電圧の昇圧)等の知識の集積には、役立った。
  注:この真空管は、サブ・ミニチュア管と称し、ガラス管から直接リード線が出て、ソケット無しで配線される形状のもの
 保守用部品(真空管等)も無かった事から、今は手元にはない。 
 話を本来の「9R-4」に戻す。
 何時かは「リストアするぞ!」と思って今日までに至っている。
 部品の”時定数(コンデンサーや抵抗)”を入手さえすれば、電源トランスや、今では入手困難となっている”真空管”は手元にあり”復元(再生)”は可能である。
 真空管が、ほんのり点灯し、周波数ダイヤル表示のランプが点灯する”雄姿”から、電波情報が聞こえてくる様を、観てみたいとの情熱が再燃した思いである。
 思いの継承は、遅きに資したが、今も健在である。
 併せて、音信が途絶えて久しいが、O(係長)氏は「お元気だろうか・・・?」と、懐かしく思い出されている。
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振り返れば我が身なり!

2016年04月19日 | 日記
 4月17日(日)前夜から明朝にかけての、家をも揺るがす、強風も収まり、好天な朝を迎えた。
 この好天が、久し振りにバイクを走らす気分にさせた。
 家を出て、40km程・走行した時、前を走る・同じメーカー製の異車種の排気音が気になった。
 その時は、そう思ったのである・・・・
 「嫌味な(大きな)排気音!」と思った。
 離れ・離れず追従していると「うぅ!(前走するバイクでなく)私!!」
 家を出た時から、気付くまで(前走者に追従して)何時もの排気音であった事から「(排気音の異音は)私ではない!」との自負があった。
 しかし、どうも・私のアクセル操作に、追従している様である。
 加速時やエンジン・ブレーキを掛けた時などに「バン・バン!バリバリ」とマフラー(消音機)が無いに等しいと、思える排気音をなる。
 「(シリンダーとマフラーの取付部分の)ガスケットが痛んだ為かなぁ!」と、考えた。
 エンジン等、機関には異常が感じられず、所定のコースを走行し、帰宅した。
 点検を試みた。
 後部シリンダーの排気管を懐中電灯で点検した時、排気管に”穴”が有ることを見付けた。
 「(異音の発生源は)此れか!?」
 そして、変速ギヤーボックスの窪みに、一個のボルトが有ることも見付けた。
 ネジが緩んで、排気の力で、10cm余り飛ばされて収まったものと思われる。
 六角レンチで脱着するもので、特殊なボルトである。
 排気の圧力や、ギヤー・ボックスに窪みがあったこと等、偶然が重なって、ボルトの紛失を防ぐ結果となった様である。
 家を出た当時は異音はなかった事。
 そして、10Kmに及ぶ、カーブも多い上り坂で気付いたこと等の状況判断から、前走者を追従し始めた直後に、排気管のボルトが脱落したものと思われる。
 原因が分かったことで、事も無げに修復することが出来た。
 試運転での、アクセル操作にも問題も無かった。
 前走者を疑ったこと、すみませんでした。
 思い込みは、イケない事です・・・・ね!
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何が正しい?

2016年04月18日 | 日記
 ”命を守る術”について、である。
 先の日記「続く地震(2016.4.16)」で、エリアメール「緊急地震速報」を受信して、一階へと移動した事を記した。
 この対処策が正しかったか? 如何にすべきであったか?反省した。
 熊本県地方での地震の被害状況を観る(ニュースで)と、一階部分が押し潰された映像が、気掛かりと成っている。
 私が執った行動を、仲間が「二階に居る事が正しいのでは・・・?!」と云う、指摘もある。
 二階では避難が困難な状況に陥る!と云う気持ちが、一階へと導いた行動であった。
 そして、津波が押し寄せた場合、最大潮位は、約4mである。
 縄梯子を準備し、二階に居る事が”命”を守るのか?
 津波が押し寄せる事を先ず考えて、屋外に避難すべき・・・か?
 正しい答えを導くことが出来ないでいる。
 緊急地震速報には「念のため、津波に注意を!」と併記されていることが、大にしてある。
 ”地震=津波”を想定することが”命を守る”対策ではなかろうか・・・?
 未だに、答えを導けてはいない。
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続く地震

2016年04月16日 | 日記
 九州・熊本県地方で発生した地震に関するニュースが連続的に放送されている。
 今日・未明1時25分、聞き慣れない”呼び出し音”を、携帯電話が発した。
 携帯電話を確認した。
 地震(緊急地震速報)に関する”エリアメール”であった。
 放送されている内容とも相まって、緊張が走った。
 やがて、長周期と思われる横揺れを身体に感じた。
 眠れない夜となった。
 そして、夜が明け、11時29分にも「緊急地震速報」のエリアメールがあった。
 この時、犬くんと、二階に居たが、急いで、犬くんを抱き、一階に移動し、地震に備えた。
 幸いにも何事も無く「誤報(観測・測定誤差)であった」との内容のニュースが流れた。 
 中央構造線と云われる処に近い、我が家である。
 そして、震源が、熊本県から大分県に移動(拡大)している様子もあり、終息する気配も無い。
 心配が募る。
 夜と成って、天候も悪化するとの、天気予報である。
 避難生活を余儀なくされている人達にとっては”泣きっ面に鉢”では、言い表せない苦難であると思う。
 唯々、平穏な生活を、一日も早く取り戻される事を、祈るばかりである。
 
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懐かしく当時(昔)を思い出す その3

2016年04月15日 | 日記
 若かりし頃を、思い出される品々を天井裏の整理中に発見した。
 繰り返された転勤・転居においても、開封もしなかった形跡がある。
 その3、驚異的な計算をすると思わせた”電卓”である。
 
 仕事上、三角関数や対数計算(デシベル計算)をする必要があった。
 当時のツールとしては、計算尺であった。
 精度は、自ずと低い。
 大規模な、そして、精度が求まられる”計算”は、鑽孔テープにデーターを入力し、電算部門に持ち込んでいた。
 或る時、YHP(ヒューレットパッカード)社製の電卓が一台、配備された。
 当時として、驚異的な計算能力を発揮していた。
 チッチャナな”身体(電卓=ハンディータイプ)”にして、事も無げに、対数計算等を、処理してしまうのである。
 「此れは凄い!」と感心されたことを、昨日の様に思い出される。
 今日の絵日記の絵(写真)は、その計算能力に感心した同機種ではないが、私でも購入出来るまで、低価格化されたYHP社製の電卓である。 
 但し、三角関数の計算処理は出来たが、対数計算は出来ない(ワン・ボタンで!)機種である。
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懐かしく当時(昔)を思い出す その2 (14日追記)

2016年04月14日 | 日記
 若かりし頃を、思い出される品々を天井裏の整理中に発見した。
 繰り返された転勤・転居においても、開封もしなかった形跡がある。
 その2:昭和45年頃(だったと思う)の”8mmフィルム編集器”と、撮影用照明ランプである。
 
 宿直勤務が、四日に一度あった。
 若さもあり、宿明けの日中も”元気”であった。
 知合いの”団体”から、写真(スチル&ムービー(8mm))撮影や編集の依頼を請けていた。
 今日の絵日記の絵(写真)は、750Wの照明ランプ(上部)と、8mmフィルムの編集用の器具(下部)である。
 8mm撮影では、照度が必要で、照明ランプを点灯すると、その発熱に閉口したものであった。
 夏の催し等は、汗だくとなり地獄であった。・・・地獄には行った事が無いので真実の程は分からない・・が!!
 そして、触れたりすると”火傷”する状態となる。
 今では、小さなLEDランプが点灯し、撮影が可能であることを考えると、当時の苦労(電源が必要な事など)が、察しられると思う。
 そして、何度も観返し、失敗の許されない”一発勝負”の編集作業(カット・接合)であった事が、思い出される。
 楽しんで鑑賞して頂く・良いものを造ろう!と、撮影・編集技術の習得に、貪欲に”学ぼう!”と、取り組んでいた時代でもあった。
 でも! 今考えると「あの技術(撮影であったり、撮影したモノを編集する技術)は、何だった!?」と思うと寂しい・・
 息子を撮影したソフト(8mmフィルム)はあっても、ハード(映写機)がない現実がある。
 そして、娘の成長記録は、電子式に成っている事を思うと、8mmフィルムは”時代の申し子”であった事が理解できる。
 この時代、息子と娘、数年の時代差ではあるが、技術(光学式から電子式への移行)の進展は、驚異的なスピードであったと思うのである。
 
 蛇足:「8mmが時代の申し子」と表現した理由
     フィルム式の映写システムの歴史はあるが、一般家庭に使われだした歴史は短かった、と思うのである。
     確かに、8mmフィルムは「1923年コダック社が開発・販売した」と云う歴史的事実はある。
     私が育った歴史の中で、動画撮影や、それを鑑賞することは、一般的と云うか、大衆化されていなかった様に思うのである。
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