ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

富士へ・東北へ 番外編 Ⅶ

2015年06月28日 | 日記
 バイクのシートは、硬質ビニルのフレームに、スポンジと人造皮革(以下、皮革)で成型したものである。
 過去に、フレームに亀裂が生じ、座り心地が損なわれていた。
 亀裂部分を、薄い鋼板をカットし、ビス止めし、FRPで補強する手当てをした。
 スポンジと皮革でのシートとしての成型は”シート屋さん”に依頼した。
 そして、一日のツーリング(9時に出発して17時頃帰宅)での後半は、股間に下着がくい込む様で、座り心地が悪い。
 尻部分の”アンコ(スポンジ)”をカットして調整をする。
 座り心地を改善しなければ!と、二度三度、試みたが、改善しない。
 3000Kmにも及ぶ、今回のツーリングに、出立するにあたって”何とかしなければ・!”と思った。
 ”引き算”の修正(改善)が駄目なら”足し算”ではどうだろう?と、発想した。
 押入に「使わなくなった・枕があったなぁ!」 低反発のウレタン製の枕である。
 思いきって、シートの”アンコ”に転用することとした。
 ウレタン製の枕を、カッターで成型し、組み入れた。
 たまたま、上手くいったのでしょう! 不快な思いをすることなく、今回のツーリングを終えた。
 しかし、皮革のシートカバーをフレームに接合するのは”タッカー”と言うホッチキスを大きくした様なものである。
 どうせ”(アンコの)微調整は、必要!”との思いから、タッカー留めを手抜きした。
  言い訳:針が残り少なかったこと。 上手く刺さらなくて、失敗が多かった。
 そして(ツーリング中に)気付けば、仙台あたりから前部のシート部分が逸れ、アンコが見える様(写真・左)になった。
     
 来週の土・日曜日はツーリングがある。
 加えて、翌週には、関西(神戸・大阪)方面へのツーリングも控えている。
 今日(28日)に至って、修理を行った。
 手直後は、写真・右である。
 
 追伸:手直しするに当たって、タッカーの”針”を買った。
    価格は、2000発で180円程であった。
    刺さらなくて失敗が多かったが、新しい針は嘘みたいに、施工出来(刺さ)る。
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古き善き幼き時の友 PrtⅡ

2015年06月27日 | 日記
 先月末、同窓会の案内があった。
 一昨昨年「古希(喜寿を訂正)」を迎えるに当たり、同窓会があった。
 その時の様子については「古き善き幼き時の友(2013.01.22)」として日記にしている。
 同窓会は、五年に一度、お世話役によって、継続的に開催されている。
 前回の同窓会で”中学校に入学して六十年となる記念の同窓会をやろう!!”と言う事になった。
 そして、来月・七月の中旬に、開催される事となったのである。
 開催場所は、兵庫県神戸市垂水区の、本四橋・明石大橋の袂にあるホテルで実施する旨の案内であった。
 参加出来る条件も整った事から、槙原 敬之の唄(遠く遠く)う”同窓会の案内状(に)欠席に〇を入れ!”ではなく「参加します」と返信をした。
 そして、この機会を活用して「バイクで全国周遊を!」の計画で、残る「大阪」を攻略し、完結へと導きたいと思っている。
 
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あぁ!無情

2015年06月26日 | 日記
 メダカに関する日記である

 先日、餌をを与えようとした。
 よく観ると、小さな動くモノが居るではないか!
 そして、親メダカが近づいたかと思うと、何んと云う事であろうか、一口で飲み込んだ。
 思わず「何するんね!!」と(言葉=想いを)発した。
 餌やりは後回しである。
 親メダカから隔離しなければと焦った。
 4~5匹はいた様に思うが、結果的に2匹を隔離した。
 翌日、メダカ鉢(日記「私達、引っ越しました!(メダカ編) (2015.01.18)」)を再度・観ると”タマゴ”を抱えたのが居た。
 新たな育成鉢(野菜のパッケージ)を急遽・用意し、隔離した。
 昨年の繁殖期に、用意していた”シュロ”を入れてやった。
 翌日には”放卵”した様で個体になっていた。 (親)メダカは、元の育成鉢に戻してやった。
 そして、一週間程経過し、卵を産み付けただろう育成鉢を注意深くみると、チッチャな・チッチャな、動くモノを見付けた。
 無事に孵化した様である。
 5匹を確認した。
 善かったね!親達に食われなくて! 食われた”幼い仲間”の分まで”生きてくれ!”と願うばかりである。

 絵日記にしようと写真撮影を試みたが、成果を得る事が出来なかった。
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我家の犬くんの今日 Ⅱ

2015年06月20日 | 日記
 4月11に、犬くんに関する日記を書いた。
 元気を取り戻している様な仕草(給餌が遅く、要求されたこと)が観られるようになった様子を日記にした。
 そして、今日、犬くんのエポックと思える展開となった。
 一週間前、右耳から出血していることに気付いた。
 診察を受けた。
 獣医師はカルテを観て「耳の治療を優先しよう!ワクチンの接種は、その後にしよう!」
 両耳の内側の毛をカットする等、治療を受けた。
 加えて、一週間分の飲み薬を処方された。
 一週間が経過した、今日(20日)再受診した。
 「(内耳は)乾いてきている。このまま様子を観ましょう!何か変だと思ったたら来て下さい」との診察結果であった。
 そして”ワクチン接種”が受けられるまでになった。
 昨年は、医師の「接種することで、何が起きる(体調の異変)か分らない。リスクは避けましょう!」との指導で接種しなかった。
 しかし、今日・接種されたことで、改善している”証し”と思っている。
 ワクチンの接種後の注意として「2~3日は安静に!」と言う、何時もの指導を受けて帰宅した。
 帰宅後は、相変わらず寝ている。
 口を開けて、忙しく息をしている様子から、気温が高くなっている事もあるのでしょう。
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アジサイが今年も

2015年06月19日 | 日記
  
 今年も、我家にアジサイが咲きました。
 かぼそい枝に、大きな花をつけた。
 狭い庭に大きく成り過ぎ、他の樹木に陽があたらなくなっていた。
 そこで、昨年の末に”少しきりすぎた!”と思う程に切り払った。
 「来年は、花をつけないだろう」とその時に思ったくらいであった。
 しかし、花をつけた様子をみて、逞しいとも、よく花を今年もつけてくれたと思う。
 梅雨空にあって、明るい気分にさせてもらっている。
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冨士・東北へ 番外編 Ⅵ(重宝したもの)

2015年06月18日 | 日記
  
 今回の、冨士・東北方面へのツーリングで持参したものの中で”良かった!”と思ったのが、今日の絵日記の絵(写真)の”履物”である。
 所謂「100均」と称するお店で見つけ、購入したものである。
 購入価格は、250円プラス消費税であった。
 材質は「EVA樹脂」と表示されている。 (EVA樹脂=エチレン酢酸ビニルポリマー)
 これまでの、ツーリング先での”街歩き用”は、ズック靴であった。
 もっと軽便なものは無いと考えていた。
 例えば、学校等での”室内履きズック靴”等が思案の対象であった。
 このお店は、県別地図の品揃えが豊富であった。
 所有する20冊程の地図は、此処で買い揃えたものである。
 しかし、在庫販売のみとなっていて、私が必要する県域の地図はなかった。
 「仕方が無い、帰ろう!」と出口に向う途中で、目に付いたのがこの履き物である。
 サイドバックに詰め込んでも、その材質から復元性に富んでいる。
 6泊した今回のツーリングの”夜の部”を支えてもらったグッズであった。
 ”価値(C/P)あり”の買物であったと思っている。
 
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富士・東北へ 番外編 Ⅴ

2015年06月16日 | 日記
 5月26日 宿泊地の岩手県北上市から大船渡市へ至り、三陸海岸沿い(国道45号線)を走行する。
 国道45号線を大船渡市から仙台方向へ南下していると、プレハブの南三陸警察署が左にある交差点に差し掛かった。
 この交差点は少し高台になっていて、観下ろすと、大規模な宅地造成工事の真っ最中と云った風景が開けた。
 そして、その場所が、街を形成する地域であったのでしょう。
 警察署も役場も、この信号のある高台に有ったことから仮移転先であったことは察しがついた。
 多くの工事用車両が行き交う道路(国道45号線)を走行しながら”さんさん商店街”は何処に?
 ニュースでも取り上げられ、NETでも観られることから、看板・標識はあるだろうと、まさに工事中の地域に入っていった。
 町外れとなり「標識等は無かったなぁ!」「如何しよう?」「引き返そうか?」「無かったのだから仕方が無いか!」「諦めるかぁ!」と自問自答した。
 
 此の建物が近くに見える交差点で、信号に従って停車した。
 ガードレールに見え隠れする”看板”に気付いた。
 「さんさん・・・」と看板の一部が見えた。
 良く観ると、さんさん商店街を指し示す看板で、1Km程手前である事が分った。
 「あの時、行っておけば良かった!」と云った反省はしたくなった。
 左折し、Uターン・信号の指示で右折、お目当ての”さんさん商店街”に到着する事が出来た。
 ”神のご加護か・お導きか!”という次第である。
 そして「有名な処で直ぐに分る」と思ったことも「看板・標識はあるだろう!」と思ったことも、独り善がりであった。
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富士・東北へ 番外編 Ⅳ

2015年06月16日 | 日記
 蔵王山の警報が解除されたとよ!! 今、NETのニュースで知った。
 未練なれど、蔵王山・御釜の周遊を果たしたかった思いが、再燃している。
 しかし、これで観光への扉も開るでしょう。
 山形市のショップや、蔵王温泉で知った「待ちに待った”解除”」であったでしょうから・・・・
 待っとれよ!御釜・そのうち、観に行ってやるからな!!との思いのするニュース(NET)であった。
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被災された東北方面に行くにあたって・・

2015年06月16日 | 日記
 2011・3・11震災被害についての想いと、訪れる(ツーリングで)事について、整理してみた。
 2011年、5月の連休を利用して「関東方面のショップ周り(ディーラー・スタンプ・コレクション)をしよう!」と、バイク仲間のM氏と計画した。
 M氏は現職の教員である。
 私は、連休には拘らないが、M氏の休暇の事もあり、5月連休の決行とした。
 M氏は首都圏に、ご兄弟が居られることから、ホテルの予約等の手続きは私だけで良かった。
 連休の混乱を回避するため、早めの予約を完了した。
 そして、運命の「3.11」を迎えた。
 結果的に「混乱しているだろうし、遠慮しよう」と云う話合いがまとまり、中止した。
 余震も継続的に発生していた時期でもあった。 身の保身もあった。
 津波の押し寄せる映像を目にしては”ご遠慮申し上げよう!”と思うしか方法はなかった。
 放送された映像が、衝撃的であった事は、今でも思い出される。
 そして、震災発生から一ヶ月程経過したある日、元・会社時代の後輩とスポーツ・ジムで逢った。
 「災害応急復旧の支援で一週間程であるが、震災地に行ってきた」
 「想像して余りある状況であった」
 そして「(あの壮絶さは)行ったモノで無ければ理解出来ないでしょう!」と続いた。
                ・
 震災の後、2年が経過していた。
 被災地の報道が連日の様にされていた。
 被災地に観光バスで訪れ、それを受け入れる現地の人たち・・TV撮影の為ではないと思うが”明るい”
 インタビューを受けた現地の人が「皆さんに、この様にして来て頂く事が励みになります」と応えていた。
 地元TV局のレポーターは「来て下さい!そして(復興への)勇気を与えてやって下さい」とレポートをしていた。
 観てやろう!等の”興味本位”は不謹慎な事と思っていた。
 しかしながら”自然の脅威”が、如何なる程か?知りたい気持ちは持ち続けていた。
 そして「後世に伝えよう! そのためには、現状を観てもらのが一番!」とレポーターの問いに、応える被災者もいた。
 「此処、南三陸町”(仮設の)さんさん商店街”には、観光バスで訪れる人たちを多く見かける様になりました」との趣旨のレポートもされていた。
 さんさん商店街とは? NETで検索した。
 幾度と無く閲覧した。 訪れた人たちの感想も含め・・・
 「例え、一杯の丼でも・・。例え、一人でも、訪れることで、貢献出来るなら”行きたい!”」と強く思いを抱く様になった。
 2013年、南三陸への行動計画の立案に取り掛かった。
 犬くんが(病気を)発症した。
 2014年、犬くんの容態も完璧とは云い難いが、娘の(犬くんを預かってもらう)了承もあり、実行に移した。
 不運なもので、天候不順(ダブル台風の襲来予測)で、出立の直前でキャンセルとなった。
 そして、今年、計画は実現した。
 震災後・4年が経過し、被災された痕跡は、薄らいではいたものの、その復興工事の有り様から、そして、道路標識で知らされた津波の凄さなどを身を持って体験できた。
 自然界の底知れぬ恐ろしさであったり、立ち向う人間の逞しさと言うものに、触れた思いのする”旅(ツーリング)”でした。
 総じて”力”を頂いた想いがする、ツーリングでもありました。
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お陰様で!

2015年06月15日 | 日記
 右頬の、痒さは、今はない。
 幼少の頃、自転車で転倒するなどして、擦り傷等は日常茶飯事であった。
 治癒する直前に成ると”痒く”成っていたことを思い出した。
 あの”痒さ”は、もう少しで直るよ!と、示唆するシグナルであったのでしょう。
 今日、スポーツ・ジムに行って、入浴時に、我が顔を観た。
 日焼けした顔に”(此処に)傷がありましたよ”と、自己主張するが如く、赤くて真新しい肌色が形成され、目だっていた。
 しかし、やがては(肌色も)馴染んで、何事も無かった様な、状態に成るのでしょうね!
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富士・東北へ 番外編 Ⅲ

2015年06月12日 | 日記
 右肩に、不快感を感じていた。
 そして、その不快さが、5月29日・ピークに達した。
 長野県松本市から、国道158号線で岐阜県に入った処で「薬局は無いか?」「この不快さから少しでも逃れたい」との思いが強くなった。
 高山市に至って、ドッラグ・ストアを見つけた。
 湿布薬と栄養ドリンクを買い求めた。
 ドラッグ・ストアの影に隠れ、早々に湿布薬を貼った。
 ヒリヒリ感に、少しは和らいだ様に感じた。
 栄養ドリンクも飲み干し、バイクに跨った。
 アクセルと前ブレーキの操作で、右腕が参っているのだろうか?
 「風呂に入って改善しない様であれば、内臓に原因が・・・病院へ・・」の投稿が、NETにあった事が頭を過ぎる。
 帰ったら「病院へ行こう! 絶対に行くぞ! 行かなければ・・・・」と強く思った。
 今までに、湿布薬の世話になった事は皆無ではないと思う。
 しかし、肩こりを悩んだ事もなかったことから、記憶に乏しい。
 肩こりと思える不快感から、逃れたいと、自ら”湿布薬”を求めた行為を、日記にして、記憶に留めたい。
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富士・東北へ 番外編 Ⅱ

2015年06月12日 | 日記
 いま、右の頬が痒い。
 5月22日から29日まで、即ち・富士・東北方面へのツーリング期間中、天候に恵まれた。
 ヘルメット(ジェット・タイプ)と眼鏡(サングラス)以外の”陽”の当たる部分は、日増しに日焼けが酷く成っていた。
 陽光の強さを肌(顔)で感じていたことであった。
 29日に帰宅し、預けていた犬くんを迎えに行った時、娘が「日焼けしたねぇ!真っ黒じゃん!」と云った。
 翌日(30日・土曜日)の夜には、所用があって、出かけなければ成らない。
 お昼頃、通っているスポーツ・ジムで入浴だけを済ませた。
 此の時に、約一週間ぶりとなる、ヒゲそりをした。
 弱った肌に剃刀を当てたものだから、剃刀負けしたのでしょうか?
 デキモノの様に膨れて、痒いです。
 痒いものですね?!剃刀負けって!
 剃刀負けと思っているのですが・・違うかなぁ! 経験が無いので判りません。
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富士・東北へ 番外編

2015年06月11日 | 日記
 今回のツーリングにおいて、ホテルで寛ぎながら夕食をとったのは、富士スピード・ウェイの野営を除いて、いわき市小名浜と福島市である。
 汗ばむ季節でもあり、入浴を済ませば、自ずと”ビール”が欲しくなるのは、私だけでは無いと思います。
 日記で”銘柄等の固有名詞を表現しない”としている。
 しかし、焦点が合わなければ、理解できないと思うので、明らかにしたい。
 日頃から、愛飲しているモノ(ビール)は、キリンの「濃い味」がある。
 私の住まう周辺での食品スーパー等では、容易に入手できる。
 しかし、今回(以前にも、関東方面でも経験した)の旅先では、販売していないのである。
 地域限定商品かも知れない?
 そこで、キリンさんに(メールで)聞いてみた。
 私「御社の商品である”濃い味”は地域限定(販売)商品ですか?」
 キリンさん「販売店様の意向で、店頭販売されていないのでは・・・?!」
 そして「なお一層の(販売に)努力をしてまいります」と締め括られていた。
  確かに、他のビール(発泡酒等)類は宣伝していますが「(濃い味は)美味いよ!」等のコマーシャルは観た事ないよねぇ!
 キリンさんは、(販売に)力を入れていないのかなぁ! 
 でも”濃い味”には、二種類(*)の関連商品あるんだぜぇ! 力(営業に)入れない訳ないよね!
     (*)濃い味・糖質 零 とデラックス
 関西・関東の味覚の違いかな? 関西では売れるが、関東では売れない・・?
 そこで、来月(7月)関西(大阪・神戸)に行く予定があるので、確認しようと思う。
 ビール((発泡酒)の事で、其処まで”熱くならなくても!”と、思われるでしょう。
 この様な些細な事に拘るのが、好きなのです。 お許しあれ!!

 晩酌を頂きながらの日記で(文書も纏まらないことから)”酔払っちゃたかなぁ!?”
 また、日記にしますので、お付き合い願えれば思います。 スミマセン。
 
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冨士へ・そして東北へ Ⅶ (帰宅への路)

2015年06月10日 | 旅行記
 2015年5月29日(金曜日)長野県松本市のホテルで目覚めた。
 今日も、天候に恵まれた。
 今日の行程は、ホテルを出立し、美ヶ原ビーナス・ラインを経由し、中央自動車道「諏訪IC」から帰宅する計画であった。
 ナビにルートを入力すると「通行止め」の表示が何箇所かある。
 ホテルの人に聞いても、求める回答が得られない。
 提示される資料は、観光用パンフレットや大まかな地図などである。
 「美ヶ原ビーナス・ライン」は、次回にと諦めた。
 松本市から国道158号線で、岐阜県高山市に向かい、飛騨清見ICから東海北陸自動車道・名神自動車道を経由して帰宅することとした。
 国道158号線を走行していると「上高地」の標識が目に留まった。
 給油の際、給油所の人に尋ねた「上高地へはマイカーで行けますか?」
 「さわんど」まで行って、バスに乗らなければ(上高地まで)行けません」との答えであった。
 ”さわんど”とは”沢渡”と書くらしい。
 上高地へは、一度・行ったことはある。 50年程前にはなるが・・・
 バスに乗ってまでは、(行かなくても)いいか!と此れもまた諦めた。
 そして、上高地への入口には、ガードマンが二名いた。
 国道158号線は左カーブで、直進すると、上高地方面である。
 ガードマンの一名が、旗の棒を縦に両手ではさみ「入ってはいけません」とのゼスチャーをした。
 大きく左カーブして、高山も方面に進む。
 暫くすると、今度は「乗鞍方面」の標識があった。
 「行けるなら行ってやれ!」と左折する。
 一台のバンが止まっていたので「乗鞍へは行けますか?」「マイカー乗り入れが禁止されております」との回答があった。
 Uターンして、国道158号線に戻り。高山市に向う。
 ナビが右折を指示するが、直進する。
 峠越えの難所をトンネルでパスする「有料道路」であった。
 2011年に佐渡島に行くため、白川郷から高山市・安曇野への道すがら、この峠道(国道158号線)を通った経験がある。
 長野県と岐阜県の県境「安房峠」越えである。
 何処かにもある「酷道」と云われて久しいらしい。
 トンネルが開通した事で、周辺の住民らは「夜明けだ!」と歓喜したという、記述がある。
 確かに、バイパス(トンネル)道路は、何の不安も無く、楽な道中であった。
 そして、料金精算は「ETC」であった。
 高山ICからの「中部縦貫自動車道」(建設中で無料区間)は「東海北陸自動車道」の「飛騨清見IC」に接続されており、そのまま「東海北陸自動車道」に乗り入れる事が出来た。 
 「名神自動車道」等を乗り継ぎ、帰宅した。
 
 添付写真の説明(写真・左より1から4とする。写真をクリックすると拡大します。再度、クリックすと更に拡大)
 写真・1:松本市から高山市に向う国道158号線。上高地への経由地・沢渡の手前の工事中の区間。標識に「さわんど」の標記がある。
 写真・2:東海北陸自動車道「ひるがの高原SA」から観る沢山のスキー場とコース
 写真・3:ひるがの高原SA
 写真・4:リニューアルされた「多賀SA」宿泊施設も充実している様子であった。
      「宿泊施設が、下りSAであれば良いのに」と思う。
 本日の走行距離 844Km 総走行距離 3209Kmをもって「冨士・東北方面へのツーリング」は完結した。
 2015年5月29日 20時頃、帰宅を果した。
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長野県松本市へ・そして松本市で・・

2015年06月09日 | 旅行記
 
 絵日記の絵(写真)は、松本市の街中で見つけた、手押し式の”井戸ポンプ”とします。
 今もって、現役の様で、逞しくもあり・懐かしくもあり、です。
 父から教えられた、私の幼少期の記憶では”西洋式井戸ポンプ?”と思われます。
 磐越自動車道「猪苗代磐梯高原IC」から、長野自動車道「松本IC」までの370Kmを、阿賀野川SA(磐越道)・米山SA(北陸道)・松代SA(長野道)で休憩を取りながら、無事に松本市まで、到着する事が出来た。
 ホテルに到着し、駐車場の指示を受け、チェックイン。 今回のツーリングで一番・遅いチェックイン(17時過ぎ)となった。
 何はともあれ、入浴を済ませる。
 フロントで市内観光地図を頂き、市内の散策に出かけた。
 先ずは、何といっても「松本城」であろうと向った。
 入場料も不要で、市民の散歩コースになっている様であった。 犬の散歩をさせる人(複数)にも出会った。
 松本城を観て、道路に出ると「松本市役所」が観えた。
 その後、JR松本駅を周って”古い町並み”へと周遊した。
 太陽も西に落ち、照明に頼る時間帯となっていた。
 夕食・晩酌が摂れる場所はないかいなぁ?!
 勇気も無く、結局は、ホテルに帰ろう!と言う事に・・
 此方に来る時、スーパー(全国展開の大手スーパー)の看板があった。
 其処で買い物をしようと向ったが、有るのは看板だけ、閉店・移転したのか知れないが、不発に終わった。
 ホテルに併設する”食べ物屋”があり、支払いの時、ホテルの鍵を提示すれば割引が受けられるとのことで、利用した。

 添付写真の説明(写真・左より1から6とする)写真をクリックすると拡大します。見えやすくなりました。
 写真・1:磐越自動車道・阿賀野川SA
 写真・2:阿賀野川SAから見える高速道路と、以前から気になっていた”建物” 
      作業している人に聞いた「結婚式等のイベントをする施設」との回答であった。
 写真・3:松本城(以下、写真6まで、観易くする為、感度を上げて(明るくして)おります)
 写真・4:松本市役所庁舎
 写真・5:JR松本駅
 写真・6:街並み
 夕食と少しの”お酒”を頂いたお店と、そのお店に、この様な”御知らせ”があったでよぉ!!
  
 家族の団欒を思う外に、感じさせられませんか??
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