ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

遅まきながら理解したこと

2017年01月31日 | 日記
 今日は、ジムに行く日でもなく、15時頃になって「何かし(身体を動かさ)なければ・・!」と思った。
 あの”泰然自若”としたアオサギに、逢いたいと思った。
 外出するに当たって、窓の外に目をやると「寒そうやなぁ!」
 「どうしょう・・?」
 迷ったものの、アオサギに逢いたい気持ちが勝った。
 犬くんを連れて、出掛けた。
 しかし、残念ながら、今日は居なかった。
 そのまま、散歩を続けたが、舗装道でなく防波堤を歩いた。
 犬くんには”酷”であった様である。
 防波ブロックとブロックの繋ぎ目に、犬くんの足が填る隙間がある。
 時々、コロンと、転倒していた。
 往路は、波打ち際を歩いた。
 打ち寄せる波に興味を持ったのか・波に驚いたのかは分からないが、時々・立ち止まっていた。
 やがて、帰宅する道にアクセスする防波ブロックに戻った。
 先に歩くか、並んで歩いたのに、後から付いて来るようになった。
 見ると、左前足を痛めた様で、引き摺る様に歩いている。
 不安定な防波ブロックでなく舗装道を、暫く歩いたが、元には戻らなかった。
 可哀想に思い、犬くんを抱いて帰宅した。
 帰宅し、ゲージに入れる。
 夕食の準備を済ませ、様子を見に行った。 
 何時ものように、犬小屋(寝床)で寝ている。
 前足の様子を伺うために、小屋から出す手段で、オヤツを与えた。
 寝床から、手元のオヤツまで歩く様子は、正常であった。
 この様子をみて、思い出した事があった。
 「犬も平気で嘘をつく(スタンレーコレン著)」と云う事である。
 現役時代の通勤時間に聞いていた「武田 鉄也 今朝の三枚おろし」というラジオ番組で紹介された書籍であった。
 犬を飼い始めて間もない頃で、興味もあり購入した。
 10数年前の事で、書籍の内容は忘れたが、表題は印象的で、記憶していた。
 体力的(貧血症)に「歩くの・もう嫌!」と云う訴えをする事は、過去にもあった。
 腰を地面に着け、歩こうとしないのである。
 犬くんの幼き頃で、幼児の駄々っ子な風体であった。
 医師の説明で、体力的に無理からぬ事と、理解していた。
 しかし「犬くん(嘘をつく)新たな知恵を付けたかな!」と感じさせられた今日の出来事であった。
 実力行使ではなく「(足が痛いけど)頑張ってるよ!」と、感情に訴える方法を!である・・・

 御断り:犬くんを歩かせた”防波ブロック”とは、テトラポットではありません。
      説明が難しいので、夜間ではありましたが写真を撮ってきました。そして、添付しました。
     
       所々で、繋ぎ目に隙間があって、チッチャナ犬くんの足が入る状態であった。
       私の配慮が足りませんでした。
       写真をクリックして下さい。 少し大きく成って見易くなります。
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何でだろう!?

2017年01月30日 | 日記
 ケーブル・テレビから、自前のテレビ・アンテナに切り替えた。
 ランニングコスト(月額利用料)が負担に思えるようになってきていた。
 ”費用対効果”の観点からも・・・
 巻き返し繰り返しの放映など、放送手法にも疑問を感じている。
 1月末での解約で、今日(30日)ケーブル・テレビ会社の担当者が来て、装置一式を撤去して帰った。
 そして、予め準備していたアンテナをセッチングした。
 映らない。
 チャンネル表示はされるが「受信アンテナか放送波に問題あります」と警告される。
 何でだろう!?
 本当に!真剣に!悩んだ。
 「B-CAS」カードまで疑った。
 使われていないTVの「B-CAS]カードと、差し替えてみた。
 やはり駄目!映らない。
 今は・使われていないTVに、アンテナをつないだ。
 「あれぇ!映るじゃぁん!」
 頭にランプが灯った。
 受信設定をやり直して、問題解決!
 そうです。
 受信設定を、ケーブルテレビから、地上ディジタル放送波に設定変更しました。
 思い込みから、間違いを起こした初歩的なミスでした。
 我ながら、滑稽な一日であったと、日記にします。
 
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天候に誘われて・・

2017年01月29日 | 日記
  
 先日来の寒さが、和らいだ昨日(28日)天候に誘われ、犬くんの散歩がてら、カメラを持って散策に出掛けた。
 家を出て、西に進むと水門がある。
 水門を境に、潮の干満で、水門の海側の水位が大きく変わる。
 水位が下がると、小魚を見掛ける様になる。
 此処は、小魚が集まる場所である。
 小魚が集まる・・・と云う事は、水鳥たちも集まってくる。
 今日は”鴨”の集団が、仲睦まじく集っている情景に出逢った。
 その様子を観ている私は、写真に捉える事も忘れる程に和む時間であった。
 しかし、その様な私の気持ちとは裏腹に、何処ともなく飛び去った。
 「しまった!」と思ったが、どうにもならない。
 私の心の移ろいを、ジッと観察している”アオサギ”が居る事に、気付いた。
 「行っちゃったよ!」
 「行っちゃいましたね!」
 アオサギと、短い会話を交わした。
 アオサギの”泰然自若”としたその風貌には、何時もながら感心させられる。
 やがて、風景は代わって”春の装いの菜の花”に出逢った。
 菜の花畑ではなく、荒地に数輪咲いた菜の花である。
 寒さ厳しい気候にあって、鴨もアオサギも、菜の花も逞しい!
 もう少しですよ!暖かい春になるのは・・・と声援を送りたい。
 そして、私自身にも・・・!

 追記:アオサギの写真で、アオサギの居る岩場は、潮が満ちれば水面下になる。
     干潮ともなると、小魚は自分の命を懸け生活(泳ぐ)する。
     アオサギは、命をつなぐため、根気よく捕獲のタイミングを計る。
     暫し、息詰まった命のやり取りの光景が展開される。
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気付かせてもらった事

2017年01月28日 | 日記
 誰か来訪があった気配がした。
 「誰だろう?」と思っていると「ぉ父さん!」との声が聞こえてきた。
 久し振りの娘の来訪であった。
 買い物に行く途中に立ち寄った様で「用事(買い物)が済んだら、また来ます」
 「今日は、スポーツ・ジムに行く日であるが、風呂だけにする・・・」と、娘に伝える。
 入浴を済ませ帰宅する。
 程なくして娘がやってきた。
 そして、ショッキングな指摘を受けた。
 「ぉ父さん 臭うよ!」
 下着は、入浴して着替えているが、上着は、一週間近く着用している。
 娘に指摘されると云う事は、周囲の人に不快な思いさせている事になる。
 しかし、他人さんは”口にして指摘”はしてくれないでしょう!
 娘であればの事である。
 お洒落を維持する事は、気持ちの維持につながると云う。(過去に日記にしている)
 手抜きをしたことで、老いが加速したのではないか・・?
 此れからは、少なくても二日毎には、着替えをし、洗濯しようと思った。
 ”井の中の蛙・・”に成らい様にしなければと教えられました。
 人間・生きていく為には、緊張感が必要と云うことなのでしょう。

  追記:現役を退き、人との折衝が少なくなっている状態を”井の中の・・・”と表現した。
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無沙汰は無事な便り

2017年01月27日 | 日記
 日記にすることがなく、苦肉の表題とした。
 私から、伝える事も無く、また伝わってくる情報も無かった。
 私も無事であり、周囲の人も無事と云う事である。
 50数年来の友人から、電話があった。
 「どないしょん! 元気?」
 「あぁ!有難う・元気やで!」
 映画俳優が亡くなった事が話題になり「おぃ!順番が来よるで!」
 類似言葉に「便りのないのは良い便り」と云う言葉がある。
 便りがないこと、伝える事がない日々が平安なのでしょう!
 退屈はするけど・・・!
 贅沢は言える年齢でもないことも、理解はしています。
 
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キンカンを頂く

2017年01月26日 | 日記
 
 日記「食べたいなぁ!と、思ったのは、私だけでなかった様です。(2017.1.24)」の続編である。
 お昼前、犬くんを日光浴をさせてやろと、庭に出た。
 お隣さんの居る気配がした。
 庭のお掃除をなさっている。
 「Fさん・キンカン頂戴!」
 「どうぞ!」と、返事を頂いた。
 何時もの様に塀を乗り越え、お隣さん宅に侵入する。
 数個で良かったが、多くを収穫している。
 「少しで良いです!」と、制止しなければ成らなかった。
 お気持ちなのでしょう! 有り難かった。
 近所の奥さんとお子さんが、バトミントンをしている。
 この、奥さんに「(金柑は)皮を食べる?それとも実!?」と質問してみた。
 「”実”かなぁ! 皮は抵抗があって・・・!」と云う返事が返ってきた。
 ”抵抗があって”の”抵抗”が気に成ったが、それ以上は聞けなかった。
 お子さんは、3~4歳であろうか・・?
 「此れ(キンカン)食べた事ある?」 「食べてみる」と手渡した。
 親子で「有難う!」と云われ、何という私の性格?と思った。
 頂いたモノを、承諾なく他人に提供する・・・そして、礼を言われる。
 如何なものでしょう・・・?
 Fさんは「何時でも、採って食べて・・!」
 そして、キンカンを蜂蜜で煮たという”料理品”を頂いた。
 人生・初めて食する”料理”である。
 早速、取って返し、食してみた。
 蜂蜜で煮た!と、言っていたので、どれほど甘いか?と思ったが、ほんのりとした甘みで、永く煮込んであるのだろう、舌で潰せる程であった。
 確かに、初めて味わう食感・味覚であった。
 今日の絵日記の絵(写真)は、頂いたキンカン料理とキンカンである。
 幼き頃の微かな記憶と、現実の差異についてである。
 果皮を食した味覚・食感は、記憶がそのまま蘇った感じであった。
 果実は、硬かったと記憶している。
 しかし、完熟しているせいか、果皮を歯で噛むと、果汁も口に広がった。
 果皮の仄かな甘みに果汁が加わる。
 「しまった!あの時(幼少期)もう少し待っとば(熟すまで)良かった」と反省しても”あとの祭り!”
 熟すまで待つ!何て言いう余裕はなかった。
 従って、熟してから食る”知恵・知識”は無かった。
 今日の体験は、付加価値が付いたものの、キンカンの記憶を呼び起すものでありました。
 
 
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お年玉年賀はがきの当選確率

2017年01月25日 | 日記
 年に一度の、御挨拶の年賀状の仕舞いをした。
 仕舞い・・それは、お楽しみにとっておいた「お年玉当選番号」の確認である。
 年賀状のお年玉・当選番号は既に発表されている。
 確認すると、今年も「お年玉切手シート」であった。
 「お年玉切手シート」の当選確率は、2/100が二本である。
 私が、受領した「年賀状」は、約100枚。
 その中に、企業名が印刷された規定(企業の)年賀葉書があった。
 「何の楽しみも無いじゃないか・・!」嫌味の一つでも云ったやろう!と思った。
 よくよくみると、切手に「番号」があった。
 恥ずかしながら「年賀はがき」為らぬ「年賀切手」が有る事を知りました。
 知らずに・冗談にも伝えていたら「恥の上塗り」になるところでした。
 お年玉当選確率は、下二桁の数字(45&51)夫々に、対して100枚あたり2本である。
 確率であることから、私は”ゼロ”かもしれない。
 しかし、・・・45で1枚、そして、・・・51で1枚が当選番号に合致していた。
 確率上、4本の当選となるのであろうが、5割の”お年玉”を頂きました。
 当たり葉書を頂きました方に、お年玉・頂きました。有難う!とお礼を言いたい。
 そして、他の方にも、ワクワクする気分を与えて頂き有難う!と、伝えたい。
 お正月・行事は、一段落しました。
 
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食べたいなぁ!と、思ったのは、私だけでなかった様です。

2017年01月24日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、お隣さん宅の「キンカン(金柑)」である。
 昔を思い出し、許されるなら、食してみたいと思っている。
 お隣さんに「キンカン頂けませんか?」と、オネダリをしたいが、お忙しい様で、ここ数日お逢い出来ていない。
 今日は、昨日に比べ過ごし良い天候だった。
 外気温は、9℃。
 犬くんの”世話”のため、庭で作業をしていると、メジロが飛んできた。
 私や・犬くんに、逢いに来た訳ではないようである。
 目的は、お隣さん宅の「キンカン」である様だ!
 メジロの来訪を受け「しまった!先にヤラレタ!」と、何とも幼稚な感情が・・・
 熟成し、落下している果実が多数ある。
 メジロにとって、食べごろなのでしょう・・・!
 ところで、貴方は、金柑の果皮を食しますか?
 それとも、果皮を残し、果実を食しますか?
 私は、果皮を食べる。
 甘味料の無かった時代、仄かな甘みが、堪らなかった記憶がある。
 この記憶を、蘇らせたいのである。
 メジロの思い出は、昭和20年代後半から・30年代前半の頃であろうか・・?
 兄が、メジロを飼っていた。
 幼心にも「よく世話をするなぁ!」と感心していた。
 家に無ければ、近所の八百屋さんで、売れない大根葉をもらってくる。
 潮干狩りに行き、貝殻は保存しておいて、砕く。
 大根葉を、すり鉢で磨り潰したものに、穀物と思われる粉と貝の粉を加え「生餌」として与える。
 穀物の粉が、何であったか忘れた。
 毛並みが美しくなる様に!と、水浴びもさせていた。
 昆虫を捕まえて来ては、与える。
 毎日である。
 今も、その時の兄の姿が思い出される。
 当時、既成の餌があったのかどうかは知らない。
 餌を造る(生餌)・・根気のいることである。
 メジロを捕まえに、連れて行ってもらった事がある。
 当時、近所の雑貨屋さんに「鳥モチ」が、量り売り?で売られていた。
 5~60㎝の長さの細い竹に、鳥モチを巻いて、飼っているメジロ(籠に入った)の周囲に、何本か仕掛ける。
 鳴き声に誘われ、(野生の)メジロが来るまで、身を潜めじっと待つ。
 鳥モチに、とまれば捕獲できる。
 メジロの鳴き声に誘われて、鴬がやってくることもあった。
 そして、捕まえる事もあった。
 今日、メジロの姿をみて、昔を思い出し、そして、メジロの姿をみて、春の訪れも早い事を感じ、日記にした。
 
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あまりの寒さ故に・・・

2017年01月23日 | 日記
 あまりの寒さ故に、暖房用の灯油を買いに走ったと言う、絵日記にならない日記である。
 今朝、8時前に目覚めた。
 何時もと様子が違っていた。
 今までの、冬の朝の寒さと違う。
 朝の所作を済ませ、炬燵で身体を温めながら朝食を頂く。
 暖を取っているにも関わらず、何時まで経っても身体が”暖かい”と感じない。
 それどころか、増々・肩のあたりが、冷えてくる。
 「此れは、堪らん!」と、灯油を買いに行く。
 ホームセンターの、レジで注文している間も、身を刺す寒さである。
 「灯油を下さい」
 「一缶(18ℓ)で良いですか?」と、のたまう。
 ”一缶では、ダメなんかい?”とは云わなかった。
 「あぁ!」 と、大人気ない返事をしてしまった。
 支払いを済ませ、給油所に移動する。
 先客がい居て、五缶・給油していた。
 私の後にも、客が居た。
 皆んなの思い(寒い)は同じなのでしょう。
 今まで、気にもしなかったが「何度かな?」と、外気温が気に成った。
 帰宅し、温度計を出してきた。
 室内で9度、屋外で2度であった。
 屋外では風もあり、体感温度はもう少し低いのでしょう。
 暖房機を点けて、一時間程経過し、室温も18度まで上昇している。
 何だろう!この幸福感は・・・
 早く来い・春よ! 春よ早く来い!
 この地方では「お八日祭り」が済むまでは寒いと云われている。
 そのお祭りも、半月程となった。
 もう少し! 寒さに耐えていこう。
 灯油を買って、居室が暖かくなって、そして気持ちに余裕が出来ました。
 
 
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京人形 (23日訂正)

2017年01月22日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、趣向(「思考」を改め)を代えて「京人形*」である。
  注*人形の分類について造詣はない、譲り受けた時に教えられたものである。
 私の手持ちとなったのは、高校三年生の時である。
 高校三年の時、外国人と文通をしていた同級生と、懇意になった。
 「語学研修で、文通をしている」と、言ってはいたが本意については、推して知るべしであろう。
 血気盛んな時期である。
 しかし、出した文面を見ても、返事の文面を見ても、チンプンカンプンであった。
 やはり、語学勉強の為であったのでしょう!
 同級生は、京都市近郊の枚方市の出身であった。
 人形は、その文通相手にプレゼントするために用意したものモノであった。
 裸体の状態で人形を入手し(同級生の)母親に、衣服を縫ってもらって仕上げた”人形”である。
 プレゼントが不調に終わった経緯については、記憶していない。
 友達で有った証しに、外国人の友達に替わって、私にプレゼントされた。
 但し、プレゼントされる相手の”性”は異なっている様であったが・・・
 私は”京人形というブランド”と”愛くるしい顔立ち”が、土産として家族に喜ばれると思っていた。
 しかし、60年を経過するも、今もって私の手元にある。
 考えてみれば、経緯は別にして、これ程までに、伴にあるは、私・自身と、この”人形”であろう!
 お顔に、汚れがあったことから、この人形の本質を知った。
 施された塗料から、古来からの技法で仕上げた代物である事を理解した。
 顔料は「胡粉」であった。
 由緒正しい”作品”であると、大切にしている。

 追記:人間に似した”人形”には、人・夫々の思いがある。
 当初は「土産(家族へのプレゼント)に!」と、思って、同級生から譲り受けた(無償提供)人形ではあった。
 土産として準備したモノに対し、贈る側・受け取る側の、当時の思いが、如何様であったのか?
 何故、今もって私の手元にあるかの経緯は忘れた。
 60歳を超えて、衣服も汚れ(劣化)が目立つ様に成っていた。
 お湯に洗剤と漂白剤で、洗濯を試みた。
 同級生の母親の丁寧な創りを改めて知る事となった。
 昔を思い、この絵日記を書くにあたって”絵”の描き方に苦慮した。
 無難なのは”横顔”と思い、絵日記の絵(写真)としました。
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テレビ・コマーシャルで思う事 (1月22日加筆)

2017年01月21日 | 日記
 退職して、家に居る機会が多くなった。
 その事で、何気なく・何となくテレビを点けている事が多く成っている様である。
 民放の、番組放送時間に対し、コマーシャルの放送時間に、制約があった様に、記憶している。
 その様な先入観からか、最近・コマーシャルの放映時間が、永く成っている様に感じている。
 午後に繰り返し放送されている、連続番組などは、コマーシャルの時間が、凡そ10分にも及んでいる。
 加えて、コマーシャル専門のチャンネルも存在する。
 「一個人(法人)が”電波”を占有する」など、考えもしなかった。
 コマーシャルだけの放送が、電波法の定める「公共の福祉」を増進するのだろうか・・?と、疑問に思ってしまう。
 私と”電波”の関わりは、アマチュア無線の為に開局している「無線局」である。
 開局したのは、55年程前に成るであろうか・・?
 無線局は、1年から5年(アマチュア無線局等)毎に、更新手続きが必要である。
 開設を維持する過程の中で、電波行政を主る行政官と、話す機会があった。
 鮮明に記憶している事がある。
 それは「退職金の代わりに、貰えるなら”電波を一波”欲しい」と、言うものであった。
 その当時の退職金が、如何程のもの(額)であったか?については知らされていない。
 しかし、現金(退職金)より”価値”がある事からの(行政官の)思いであったのでしょう。
 コマーシャルの放映時間が永く成ったと思える背景に、コマーシャルの放送時間の制約を緩和し、消費を呼び起こす、結果として経済が好転する。
 と言う”壮大な構想”であろうか・・?
 好むと好まざるに関わらず、一方的に放送されるコマーシャルである。
 取捨選択する事しか、受ける側は出来ない。
 観たい番組は録画し「コマーシャル・カット」で鑑賞する。
 コマーシャル・タイムとなって、醒める事もなく、一気に観られて、ストレスも少ない。
 多種多様なコマーシャルのなかで、絶対に見たくない、コマーシャルがある。
 温浴施設や、運送(引越し)業者、サプリメント販売、そして食べ物(プルーン)業者が提供する、コマーシャルである。
 何とはなしに、放送される画面で、この四つのコマーシャルになると、身体が、自然にチャンネルを変えている。
 何でだろう? ”肌に合わない”のでしょうか?
 しかし、提供する側の、観てもらえる内容にしようと、努力している事が伝わってくるモノもある。
 決して、コマーシャル嫌いではない。悪しからず!

 蛇足
  電波を利用する為には、国際的な”約束事”がある。
  国内にあっては「電波法」である。
  電波法の「第一条(目的)」には、以下の様に規定されている。 
  「この法律は、電波の公平且つ能率的な利用を確保することによつて、公共の福祉を増進することを目的とする」
  「公平且つ効率的な利用」のため、電波を利用する”受益者負担”として、私共・アマチュア無線家も、電波利用料を支払っている。
  不法無線局の監視・摘発を目的とした「電波監視業務」等の経費負担である。
  過日、日記にもしたが、警察に業務委託し、不法無線局の摘発に”力”を入れている。
  無線機は、通販でも入手できる。
  そして、電源を入れれば(法的手続き無しに)電波は発射される。
  不法無線局である。
  電波を利用(無線機を使って電波を空間に放出)する場合は、順法の精神で行いたい。
  しかし、コマーシャルだけの放送が、電波法の定める「公共の福祉」を増進するのだろうか?
  法の定めによって存在するから、順法なのでしょう。
  私の知識・見識では、違和感は解消出来ない。
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説明書を読めば解るだろうに・・!

2017年01月20日 | 日記
 先日「疑問が解消した・・・!」と、日記にした。
 「説明書を読めば解るだろうに!」と、聞こえてきそうなので”言い訳”をします。
 オーナーさんの「美しい山を残したい!」との思いから、苦心して入手した「自動枝打ち機」。
 現在では、製造・販売をしていない「製品」である。
 加えて、そんじょそこらに在るものではない”特殊な機械”である。
 新規製造販売されていないことから、中古品・若しくはネット・オークションで、探すしかなかった。
 全てオリジナルで、程度の良いモノが見付かったものの、取扱説明書が無かった。
 ディラーの説明や、ネットで調べ、動作させるところまでは、たどり着いた。
 何にも増して、不安にさせたのが「充電器は有りません」と、ディラーからの情報であった。
 内臓された電池の電圧に合致する「充電器」を確保しなければ・・・!
 「充電が出来なければ、高価な買い物であっても”無用の長物”に成り兼ねない」との思いであった。
 「取扱説明書」さえ有れば、悩むことも無かった事である。
 オーナーさんと話し合って、電池二組と充電器を準備し、山での不測の事態に備える事とした。
 説明書を読めば解る範疇ですが、肝心の「取説」がなければ混乱もします。
 しかし”大なり小なり”この様な事はあります。  ありません・・か?
  
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解けた”謎”と思ったこと

2017年01月19日 | 日記
 今日、急遽・山行きとなった。
 先の日記(「”キャンバス”に描けなかった絵日記の”絵”(2017.1.10)」)で、次回の山行きは2月に成ると記した。
 そして、昨日の日記(「山行き・番外編(2017.1.18)」)で、オーナーさんが導入した「自動枝打ち機」の動作確認をするため、急遽・今日”山行き”となった事も、記した。
 日記にもしたが、私に与えられたテーマは、無線操縦の受信機側の”バッテリー”の維持であった。
 先日の日記に、記述していない事がある。
 過日・受信機のバッテリーを、お預かりして充電器の選定を行った。
 そして「充電は出来た」と自信を持って、昨日の試運転に臨んだ。
 しかし、電源が入らなかった(PLランプが点灯しないのである)
 咄嗟に「電池が悪い!」と判断した。
 電池(バッテリー)が、機能しなければ(今日の)実地試験は出来ない。
 ”焦った!”
 兎にも角にも、何とかしなければ・・・!
 再度・訪問する事を伝え、早々に帰宅した。
 帰宅するあいだ、頭は真っ白!!!
 思考回路が機能しない。
 何が原因(で電源が入らない)やろうか・・?
 何はともあれ「6V電池を造ろう!」(ニッカド電池の端子電圧は、1.2Vであることから5個組)
 手持ちは、アルカリ電池(端子電圧1.5V)である。
 4個を直列接続(ベニヤ板に貼り付ける)したものを、造り上げ、持参した。
 本体(自動枝打ち機)に、電池をセット(接続)しても、電源が入らない。
 テスターを駆使し、調べた。
 コネクターの機能不良であることが判明した。
 持ち併せていたコネクターに取り換えた。
 この様な経緯があった後「試運転は無事に終わった」と、昨日の日記に記した。
 前書きが永く成ったが、今日の日記の表題「解けた”謎”と思ったこと」についてである。
 自動枝打ち機を制御する「無線制御機」の送信機側は、一次電池(充電不可)で、受信機側は二次電池(充電可)である事に疑問を持っていた。
 制御盤の表示ランプは「電源・充電・受信」である。
 制御盤にある「電源」ボタンを押して、制御回路を起動させる。
 電源を入れると「電源」「受信」のランプが点灯した。
 「受信」は、無線操縦の受信機能は「正常」ですと言う(マシンからの)意思表示である。
 点灯していない「充電」は、電池の電圧降下で「充電をして下さい」というアラームと思っていた。
 今日、枝打ちをする立木に(自動枝打ち機を)セットした。
 本体(リモコン受信)側の電池は、何故”二次電池”何だろう・・?との疑問は、今日・解消する事が出来た。
 昨日の試運転と同じく「電源」と「受信」は表示されている。
 エンジンを起動させる。
 表示ランプ残りの「充電」のランプが点灯した。
 此の「充電」表示ランプは「充電して下さい」ではなく「充電中」で、あるらしい。
 此の事から、本体側の電池が「充電可能な)ニッカド電池」であることが理解できた。
 今日の絵日記の絵(写真)は、5枚である。(左より、写真1~写真5)
     
 写真1:枝打ちをしようとする”材”に、自動枝打ち機をセットした状態。
     マシン上部の垂直部が”チェンソー”部である。
     上昇・下降する機能は、ゴムタイヤの駆動による。
 写真2:枝打ちをしようとする”材”の状態
 写真3:エンジン音をたなびかせ、枝打ちをしながら上昇するマシン(自動枝打ち機)
     チェンソーは、セットした時点では”材”と3cmの離隔はあったが、リモコンの「上昇」に操作すると、1cm以下に移動していた。
 写真4:(写真中央の立木が)枝打ちが終わった状態。
 写真5:今日の出来高である。 
     横材・12本のうち、残るは二本となった。
     やはり、今日の二名の増員は、工程進捗上の”馬力”は凄かった!!
 これで、山仕事(ツリーハウス造りのお手伝い)は、二月までお休みです。
 なお、電源が入らなかった原因が「コネクター」であった様な記述となったが、長時間充電(弱電流での)しても、所定の電圧が得られなかった。
 此の事から、二者(コネクター&電池)に問題があったと判断している。
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山行き・番外編

2017年01月18日 | 日記
 明日”山”に行く事になった。
 オナーさんの「美しい山(山林)を残したい!」との思い。
 その為には、間伐をし、枝打ちを完遂させなければならない。
 そこで、取り入れたのが「自動枝打ち機」である。
 山林従事者の減少・高齢化から”救世主”の如き登場した印象がある。
 20~30年程前になるであろうか・・・?
 要するに、立木(枝打ちをしようとする材)に、複数のゴムタイヤが巻き付く様な形状で、エンジンを動力とし、上下する機能に、チエンソーが備わった機械である、
 制御は、ワイヤレス(無線操縦)で行う。
 送信機側の電源(電池)は、単三乾電池で、受信側は、何故か充電式の単三電池が使われている。
 この充電器に、不具合があって、対処策の依頼があった。
 本番を明日を迎えた今日、試運転が行われた。
 エンジンの起動、制御機能の確認も出来た。
 何はともあれ「自動枝打ち機」がどの様な”動き”をするのだろう・・?と興味津々である。
 ツリーハウスが出来れば、間伐・枝打ち作業の拠点にもなる。
 ツリーハウスの完成を急がなければならない。
 明日は、若き”強力”さんの参加が予定されている。
 進捗が期待される。
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見慣れた風景が・・・

2017年01月17日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、剪定されたと思われる”銀杏の木”である。
 帰省した15日(日)両親と祖父母の墓参りをした。
 もの心ついた頃から見慣れた、墓地の”銀杏”の木である。
 銀杏の木で、思い出されるのは、小学校の中庭にあった銀杏と、今では父母も眠る墓地の銀杏である。
 小学校に有った銀杏の木は、児童生徒の増と、木造校舎の耐震・耐火のために、校舎が更改された際”二宮金次郎”像と伴に無くなっている。
 何方も、風雪(戦前・戦中・戦後、暴風雨など)にも耐え、私の記憶(65年前・・)に刻まれていた。
 銀杏の実は、ヒモジイ思いをした時代の”楽しみな食べ物”であった。
 銀杏の実は”青い”
 やがて、腐敗して”茶色”になる。
 こうなると、匂いがひどい!
 実が生ると(当時は)”奪い合い”になっていた。
 青い状態から、食べられる(白い殻の)”実”にするために、青い上皮を剥がなければならない。
 川に設えられた「洗い場」のコンクリートに、擦りつけ皮を剝ぐのであるが、手は被れる。
 空腹を満たそうとすると、代償を支払わなければ成らなかったのである。
 先月にも帰省している(日記「留守番も難しい・・・!?(2016.12.17)」)
 そして、墓参を果たしている。
 その時の「銀杏の実」と言えば、誰・採る事も無く、熟成し踏めば「実」が出てくる。
 独特な匂いが漂って来ていた。
 その一ヶ月後の”変わり果てた”いちょう”の木の姿である。
 威風堂々とした姿は、今は無い。
 此処まで切ってしまうと云う事は”伐採”してしまうと云う事か?と思った。
 何故か、リンゴがお供えしてあった事が印象的であった。
 墓参を終え、兄に聞くと「小枝が出てきて、成長を続ける」という事が分かった。
 しかし、天にも届くと思う姿は、もう見られない。
 年齢を重ねた結果の、試練でしょうか・・・?

 蛇足:「いちょう」と入力すると「銀杏」と表示される。
    「銀杏」は「ぎんなん」で「いちょう」と、読み・理解する知識(語学力)はなかった。
    「ぎんなん」は「いちょう」の”別名”と思っていましたのである。
    この日記以降「銀杏」は「ぎんなん」と読まず「いちょう」と読みます。
 
 
 
 
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