ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆涼を求めて

2012年07月31日 | 日記
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 7月29日(日)K氏と涼を求めて「そうめん」を食しに行った。
 暑い、とにかく暑い!
 涼しい処に行こうと”流しそうめん”を食べに行った。
 比較的近場で「流しそうめん」を食べさせる処は、三箇所程はあると思う。
 此処は、流しそうめんの老舗的な存在の処で、冷たい谷水を引き入れ、谷間の木陰で谷水で冷えた”そうめん”は心地よい夏の食べ物として人気である。
 夏季の一時期、地域の婦人会?が運営しているようで、多くの客で賑わっている。
 我々は、時間を早め混雑を避けるべく11時には食事を始めた。
 食べ初めて間も無く、行列が出来るまで混雑してきた。
 薬味の玉葱が程よく苦味が利いて美味しかった。
 K氏が中元用品を買いに行きたいという事で、混雑する様を見ながら後にした。
 30分程、バイクを走らせ、K氏が中元贈答用の「チリメン」(小魚)を購入している間、私は本当に久し振りに「欠き氷」を食べた。
 シロップは二種類まで可ということで、マンゴウとイチゴをかけてもらった。
 冷たく、甘い欠き氷は、暑い身体を冷ます役割を果たして、一時の”涼”を味わうことが出来た。
 帰宅し、20時頃からは地域の夏祭りの「花火」を、夕食を食べながら観た。
 夏の風物詩として二枚の写真を絵日記の”絵”とさせて頂いた。
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☆アボカド育苗記 6

2012年07月19日 | 日記
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 いま、五枚の葉がある。
 しかし、先端の六枚目の”葉”に成ると思われる部分が成長していない様に思われる。
 水コケと水分だけでは、大きくならないのだろうかと思って、鉢植えに移植してやることにした。
 「観葉植物の土」というものを買って来て、植え替えた。
 アボカドの種(実)は根や幹・葉が大きくなっても、枯れた様子もない。
 何かの役割を果しているのだろうが、分らない。
 最後まで、この”種”の行く末を観たいと思うことから、植え替えにあたっては種の部分を土から出して状態としている。
 時折、観てみようと思っている。
 しかし、根の部分の観察(写真撮影)は最後になると思う。
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☆身近な不思議 そのⅡ

2012年07月16日 | 日記

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 「身近な不思議」を発見して、はや一ヶ月となる。
 写真右は一ヶ月前のもの。 左は昨日、撮影(観察)したものである。
 どちらとも、中央に蜘蛛が居る。
 チッチャナ蜘蛛である。
 写真のアングルが異なるのは光線の関係であるが”蜘蛛の巣”は同じである。
 私は、丸い”巣”の中で子供を育てていると予想したが、今日になって”違っているのではないか!”と思えるようになっている。
 蜘蛛さんに悪いが、一つの”丸い巣”を解いてみた。
 生物が居る様子は観察出来なかった。
 ネットで蜘蛛の巣に関する写真を調べてみたが、幾何学的な美しさと言う観点での写真で同様なモノは発見出来なかった。
 私の探究心としては、蜘蛛の巣を取り除いて、次に造る”巣”はどの様なものになるのかを突き止めることではないかと思っている。
 蜘蛛さんには、悪いがもう少し付き合ってもらいたいと思っている。

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☆アボカド育苗記 番外編

2012年07月06日 | 日記
 この様に”アボカド”を、実(種子)から育てた経験は、朝顔やグラジオラス・チューリップ等の球根類くらいしか思い出せない。
 そして、身近にあって成長具合を見守ったのは今回が始めてである。
 アボカドもヒマワリのように太陽の方向に向くことに気付いた。
 私は、植物の成長に関する造詣・知識はない。
 従って、ヒマワリと同じ行動を起こしている?いない?は、判らない。
 でも「太陽さん、何処に居るの・・」と・・!
 そして、太陽を見て「太陽さん、此処に居たの?・・」と語りかけている様に観え、感じるのである。
 アボカドも”命”あることを感じたことであった。
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☆こんな物が有ったら良いな!

2012年07月04日 | 日記
 
 これは変哲もないペットボトル飲料のキャップである。
 本来のキャップに、ひと回り大きなキャップを被せて接着している。
 体力維持のためジムに通っていることは前に話しをした。
 身体を動かすと、汗を掻き、水分が堪らなく欲しくなる。
 ジムに設えてある器具は、誰とも知れない多数の利用者の共有機器である。
 手を洗って飲む事が常識的であることは理解しているが、キャップの先端を持ってボトルの水を飲むことがある。
 また、天井裏を這いずり回る様な仕事で、水分補給をしたいと思う時がある。
 この時、手洗いもままならない環境では、止むを得ずキャップをとって飲んでいる現状である。
 この時、絵(写真)の様なキャップがあれば、飲み口部分に手が触れず、気分的にも清潔では無いかと思い造って活用している。
 要するに、ペットボトルの飲み口部分に触れず、キャップが開けられればと考え大小二つのキャップ接着した単純なものである。
 飲料メーカーに提案しようと試みたが、写真の添付が出来る環境でないので諦めた。
 手っ取り早く理解して頂くのは写真や図解が良いと思うのである。
 心ある飲料メーカーさん、付録でも良いのでキャップの形状を考えて頂ければ嬉しいと思います。
 如何でしょう? 有れば良いにと、思いませんか??

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☆昔を思い出して Ⅱ

2012年07月03日 | 日記
 ”毎日がサンデー”になって、手付かずになっていたモノの整理を始めている。
 次代に引継いだとしても、引継がれた者が困惑するようでは「ガラクタ」である。
 「ガラクタ」で有るか無いかの判断は難しいが、私以外の者からは「ガラクタ」と考え、多くは<処分(廃棄)している。
 その中から、真空管なるものが出てきた。
 色々なことが思い出される。
 過去に「有り得ない」と思っていたことが現実となり、想像していたことより遥かに進歩していることがある。
 昭和50年(西暦1975年)代、私はある人から通信手段のあり方について話を聞く機会があった。
 その人の話の結論は「電話機はワイヤレス(無線)で、黒電話機の送受話器程度の容積とすることが当面の目標」と言うような内容であったと記憶している。
 当時、多くの通信機器は”真空管”を用いたものが主流で、PNPとかNPNとか云うトランジスタも使われ始めていた時代だったと思う。
 確かに、昭和30年代にはトランジスタ・ラジオが商用化されてはいたが、通信をするためには意思なり情報を送る「送信機」と相手の意思や情報を受ける「受信機」が一体化されなければならない。
 当時の私の知識(真空管時代の)では、到底有り得ないことと思っていた。
 しかし、その思いは裏切られる結果となっている。
 パソコンの機能をもった電話機(端末機)をポケットに入れて持ち歩く時代となり、それを小学生から大人まで、一人一台の電話機を持ち歩く時代となっている。
 ポケット等に入れベルが鳴り、公衆電話BOXを探す時代はあっという間に過ぎ去り、社会の有り様も様変わりしてきている。
 いま、これら真空管を観ていると、ガラス容器の中心電極部分がホンノリと明るく点り”俺は働いているぞ!”と誇示しているような様子を懐かしく思い出されている。
 忘れ去られたと言う次元の流れでなく、思い出される時間の流れのなかで、社会の仕組みの変化に順応しなければならない。
 得手・不得手、苦・楽(しい)、とするか・感じるかは人それぞれであると思うが、真空管の灯かりを懐かしく思いながらも、小さな字と指先より小さいボタンと格闘しながら健気?に生きている様を褒めてやりたい。
 注:時代・年代は私の記憶や主観であり、事実と異なるところもあると思います。
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