ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

時間の積み重ね・・・?

2016年02月29日 | 日記
 今日は・29日。
 明日から、3月。 4年に一度・廻って来る29日である。
 そう・今年は”うるう年”である。
 詳しいことは知らない。
 一日が24時間(1時間が60:00:00分)でないことが原因の様である。
 私の知らない”世界”で、1分=61秒で調整する”うるう秒”が存在し、調整している様である。
 その様な”時間の余り”が重ねって、4年に一度・一日を加えて調整するのが”閏年”である。
 日常に目を向けると今年も年度末をひかえて”確定申告”の時期である。
 国民に課せられた「納税の義務」を果たす作業するなかで”国民の三大義務”とは何であったか?
 一日多い今年にあって、復習を試みた。
 一日は短い様ではあるが、国民の「三大義務」を学習(復習)するには十分な時間であった。

 蛇足:人類は、一年を365.25日であることを”古代ローマ時代”には知っていたという。
    2500年も、昔のことである。
    そして、暦には反映しなかったために、4年に一度・一日のズレが生じることも判っていたという。
    観測機器も乏しかった時代にあって、暦とは別に、恒星などの動きから”農業暦”を運用していたというのである。
    人類(の英知)は、素晴らしいと思いつつ、戦いが絶えないのも、これまた人類である。
    
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あるべきものが無いと云うこと

2016年02月28日 | 日記
 先日(24日)スポーツ・ジムに行った。
 会員証を提示し、利用手続きをした。
 「風呂が利用できないのですが・・・」と告知された。
 シャワーやサウナは利用は出来ると云う事で、手続きを済ませた。
 そして、所定のプログラムを終えて、汗を流すため、浴場を利用した。
 シャワーで汗を流したが、身体は温まらない。
 寒さ・さえ覚える。
 サウナを使用した。
 発汗が遅い。
 何時もより長時間の利用であっても”苦”に成らないのである。
 水風呂に入った。
 冷たさだけが感じる。
 早々に出た。
 最近、この施設に不満が増幅している。
 トレーニング・マシン類への対応に、である。
 機械類は、故障や不具合を生じるであろうが、その対応が緩慢と云うか、怠慢であるとさえ思えるのである。
 一台しかないマシンであっても、修理に一週間を優に要するのである。
 利用し始めた頃、血圧計の前に「血圧が140超えであれば休みましょう!」と表示があった。
 気が付けば、注意書き(表示)は、無くなっていた。
 そして、血圧計が故障して「修理中・ご不便をおかけします」
 20日程・経過後、修理(?)が完了したのか、設置されていた。
 えぇ!それって(140超え)重要な事でなかったの?と思うのである。
 サービス維持のため、代替機を配置するのが慣わしの様に思うのは、私だけであろうか・・・?
 「お客様の声」として記述用紙での申告も出来る。
 過去に、一度・改善意見として投稿したことがある。
 私への回答や、他の人が投稿した最近の回答内容が、同様なパターンで、投稿するのを止めた。
 話を本来に戻す。
 トレーニングが終わって、更衣室へ戻った。
 帰り支度する人達の会話「夏なら良いが、冬(のシャワー)は辛いなぁ!」
 シャワーでは、身体が温まらない事が要因の様であった。
 如何に、サウナではなく、入浴によって身体の芯まで温まるか、と云う事を知りました。
 愚痴も日記にでき、気持的にも”楽”になったかなぁー!
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井の中の蛙・・・PartⅡ

2016年02月27日 | 日記
 今日(27日)衛星放送(スカパー)の「歌謡ポップス」という番組を観た。
 出演者・歌手の方々に申し訳ない気持ちを抱きながら「(まだ)頑張っているんだ!」と知らされた。
 その昔・若かりし頃・100円硬貨を準備し、酒の酔いに任せ歌っていた「そんな夕子にほれました」
 当時は、お金を出してまでも、聴いてもらっていたのである。
 「そんな夕子に・・・」を歌った歌手も、元気で新曲(と思われる)を歌ってました。  
 当世・TV(地上波)の音楽番組が”(日本歌謡の)全て”と思っていて、最近は観なくなっている。
 流行歌・演歌・J-POPの区別を理解しないから判らない。
 私の知る歌手さん達が、出演することも稀で、新曲の発表はしていない!と思い込んでいた。 
 加えて、スポーツ・ジムの”ハツカネズミ・マシン(ランニング・マシン)利用時、時々・観るNHK(BS放送)は”その昔の歌手”が出演はしているが、その昔に流行した楽曲ばかりである。
 この様な”狭義”の、私の情報や思い込みから目覚めさせてもらったのが、今日の放送番組であった。
 スポンサーによって成り立つ歌謡番組は、多くの視聴者が居なければならい現実(視聴率)を、改めて知らされた。
 それに、地上波・番組では、騒がれないが、新人も多くいる事も知りました。

 蛇足:「そんな夕子に・・・」の作詞者は、落語家の先代・林家三平氏の奥さんだってよ! 知ってた?
    私は(忘れたかも知れない)知らなかった。
    ランニング・マシンを”ハツカネズミ・マシン”と表現した事に、異議をお持ちの方も居られると思いますが、利用していると何時も、クルクル回すハツカネズミを連想するのです。
 
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音を聞き分ける能力

2016年02月26日 | 日記
 今月20日に、オーディオや音楽を愛でる人達が我が家に来た事は日記にした。
 その昔、プッシュホンという機能を有する電話機(有線でつながった)が登場した。
 そして、音声だけの機能から、多機能化へと進展していった。
 それまでは、ダイヤル式というものであった。
 ダイヤル式は、電話番号を電話局(現在のNTT)に送るのであるが、特に”0”を操作するのに時間がかかった。
 加えて、女性達には不評であった。
 「マニキュアが痛む!」等が理由であった。
 プッシュホンは、現在の”ガラケー”と同じ様な操作性で、当時は好評であったと記憶している。
 ダイヤルボタンを操作(プッシュ)すると信号を発する。
 ある同僚が「今・○○担当に電話した?」という。
 ”絶対音感”と云う言葉は当時の私としては知らなかったが、現在風に表現すると「絶対音感の持ち主」であったのでしょう。
 職場での出来事であり、同僚も悪意を持って指摘したものでないことから、その”聞き取る能力”に感心したものであった。
 先日の我が家で起きた、I氏が「中・高音域(シンバルの音)が左右反対」と指摘された事で、又しても、その音感に感心させられた事であった。
 確かに、本来・左から出なければならない”音”が右から出たのでは不自然である。
 正して頂いたシステムで、これからも楽しみたいと思います。
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私は・ふくちゃんチ(家)の犬くんである

2016年02月25日 | 日記
 今日(25日)ふくちゃんは、お出掛けした。
 お姉ちゃん夫婦と、夕食を食べに行ったみたい。
 ふくちゃんが、お出掛け前に、私は食事を頂き、良い気持ちでお休みしていたの!
 
 玄関の鍵を開けると「帰ったぞ!」
 何時ものパターンです。
 時々は、私も「お帰り(ワンワン)!」と云うけど、今日は止めた。
 だって、私を留守番にして、お姉ちゃんとお出掛けでしょう!
 気分良くないよね!
 私の、態度が気に入らなかったのか、私に「ふくちゃんの絵日記を書け!」と云うのよ。
 そして、何時もの事だけど「要るか?」と大きな声で聴くの。
 私が、その言葉に反応すると”おやつ”が頂けるのよ。
 「何故・太らない?」と、又しても、私の体重を測るの。
 7.4Kgだったのが、最近では、6.8Kgで心配してもらっているみたいです。
 何故だか、私にもわかりません。
 でも、発作も起きてなく元気よ!食欲もあるしね!
 最近、私も年をとったのでしょうか?排尿の周期が短くなったみたい。
 二回だったのが、今では、4~5回でしょうか・・
 年をとるって嫌よね!
 親戚にあたる”小太郎”兄ちゃんが亡くなったと、云っていた。
 16歳だって!
 足が立たなくなった状態であったが、最後まで、面倒見てもらったみたいです。
 お兄ちゃんが食事が出来なくなって、私が発症した時、何を食べさせたか、おばちゃん(ふくちゃんの妹)が聞いていた。
 おばちゃん・ありがとう! 小太郎・兄ちゃんも喜んでいたと思います。
 それを(小太郎の死)聞いて、ふくちゃんは「お前が先か・私が先か?」だって!
 私も、10年経つと、小太郎兄ちゃんの年齢に達するけど、ふくちゃんも、80歳を超えるのね!
 まぁ!取敢えず、お互い元気で頑張っていきましょう!
 
 
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今日の私

2016年02月22日 | 日記
 今日・退職者の集いがあった。 
 例年・恒例の行事である。
 この様な行事が年間、四回ある。
 企業(関連会社)が実施するものと、退職者が組織するものである。
 今日は、前者の会社が開催・主催する会費制の会合である。
 県域開催ではあるが、約200名が参集し、13時から始まった。
 事務系・施設系が一堂に会する一年に一度の懇親会である。
 昔話に話が弾んだ。
 15時になって散会となった。
 私が、入社した翌年に誕生した”人”が、事業方針や事業の現状を報告する企業トップであることも、時代のなせる業でしょうか・・・?
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井の中の蛙大海を知らず

2016年02月21日 | 日記
 昨夜、我が家にオーディオや音楽を愛好する”仲間”5人が集まって友好を深めた。
 オーディオの”師”であるI氏や、I氏の仲間達に、我が家の”装置(オーディオ)”聴いて頂く”他流試合”を挑んだのである。
 I氏は、聞きなれた?ソース(CD)をセットした。
 暫く聞いていた。
 「中・高音域のシンバルが逆!」
 「低音の位相が逆!」と指摘した。
 結線を変更した。
 結果「これで良くなった!」との評価を得た。
 度重なる結線変更(アンプの変更やスピーカーユニットの変更)で、間違ったのでしょうか?
 何度と無く重ねた位相調整であったが”自己満足”であった様である。 
 I氏・曰く「聞きなれた声(歌手)のモノラルのソースを所持することが肝要!」と云っていたことが思い出された。
 聞き分ける”聴力”に脱帽せざるをえない仕儀であった。
 凄い人達が居るものである・・・・
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ニンマリしたこと

2016年02月19日 | 日記
 今日も、スポーツ・ジムに行った。
 週・五日行っていたが”疲労感”がとれない事から週・三日にしている。
 何故・スポーツ・ジムに! 
 過去に、日記にしたが、二度目の北海道ツーリングの帰路、とある”灯台”に立ち寄ったことがきっかけである。
 北海道ツーリングの終盤、札幌近郊のキャンプ場を出立。
 積丹を周遊して、日本海を右に見え隠れしながら、国道229号線を走行していた。
 時刻は16時頃であったろうか?
 茂津多トンネルを、せなた町に抜けると「日本一(海抜高)の茂津多灯台」という標識が目に入った。
 北海道・最終日の宿泊地(キャンプ場)までの時間もあることから「行ってみよう!」
 229号線を右にハンドルと切って、国道から離脱する。
 200~300m程であったろうか、二車線道路(舗装)から砂利道となった。
 砕石でない。
 丸石である。
 「しまった!」と反省した。
 回転できる広場があればUターンしようと思った。
 離合も困難な”道”が続く。
 慎重に進み「茂津多灯台」に到着できた。
 敷地も広く、大きなRをとって回転させることが出来た。
 バイクを降り、周囲を見渡せど”海(日本海)”は観えない。
 携帯電話を開いた。
 「圏外である」
 不安が増した。
 早々に、帰路についた。
 「転倒するなよ! 転ぶなよ!」と念じながら229号線に戻ってきた。
 この時、バイクを転ばしても起こす体力が必要!と強く思った。
 前書きが永くなったが”ポッチャリお腹”が少し、すっきりした事を感じている。
 入浴のため、更衣室から脱衣場に向かう途中に”鏡”がある。
 横目で我が身を観る事、久しい。
 ポッコリお腹が、少しではあるが、引き締まった様に、最近・思うのである。
 ”やったぜ”と・・・・!
 此れだけの変化を現認できるまでの、時間の永かったこと・・・
 何事も”一朝一夕”にはならない。
 ”継続は力なり”と云う事でしょう・・・・か?
 
 蛇足:餘部灯台が出来たことで、茂津多灯台は、海抜高・日本一で無くなった。
    しかし、近年・灯台を改修するにあたって、塔屋も改修した様である。
    結果、塔屋の高さ(海抜高)では、日本一に返り咲いたとのことである。
    灯台の塔屋にしては変則的で、云われてみれば”復帰(日本一)”への思いが伝わってきませんか?
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イメージ・トレーニング (19日 訂正)

2016年02月18日 | 日記
 私の、次なる挑戦は”ウッド・ホーン(音響レンズ)”造りに挑戦することである。
 音響理論に基づく知識はない。
 正直”見てくれ(体裁)”である。
 Netで、検索も試みた。
 要するに”音が心地良く”空間に放出される形態であれば良い事である。
 Log計算なり、放物線の解析も必要なのでしょうが、最初から求める形態は”体裁”である。
 木片を加工し、造り上げたいと思っている。
 問題は、円形(スピーカー)から、角のある四角形(ホーン)に変えなければならない。
 四角形から円形に変形させる手順を、頭脳で”ああでもない・こうでもない”と考えるのであある。
 此れって「イメージ・トレーニング?」と考えさせられた。
 或る時・私の、甥(プロジェクターを進呈してくれた)が、意味不明の行動=動作をしていた。
 私は、聞いた。
 「何しよるん!」と!
 「磯釣りで”大物グレ”をヒットさせ”受けタマ”に格納するまでのプロセスを学習している」という。
 そして、イメージ・トレーニングであることを打ち明けてもらった。
 その時は、不可思議に思っていた事であった。
 しかし、磯釣りと云う、デリケートな動作を、日常的に訓練する姿勢に、敬服したものであった。
 ”磯釣り&木工”と云う、路は違えど、良い結果を求める過程は同じなのでしょう。
 晩酌をしながら、ああでもない!こうでもない!
 あれ!これって(役に立たないと思っていた)「イメージ・トレーニング」?と感じさせられた我が身の変化であった。
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不安となり、思わず笑ってしまったこと

2016年02月17日 | 日記
 
 今日の絵日記のの絵(写真)の説明。
 手作りした”ランプ”の下に、犬くんの”オヤツ”を入れたケースが、今日の絵日記の”主役”である。
 昨夜(16日)の事である。
 久し振りに、映画「はやぶさ 遥かなる帰還」を観た。
 照明を落とし、手元照明に”手造りランプ”を使ったのは、何時もの通りである。
 焼酎をお湯割りにして、飲みながら(映画を)楽しんでいた。
 犬くんが「私も頂戴!」と云う”目”で訴える。
 好物のジャーキーを与えようとした。
 「あれ!何処に置いた?」
 幾ら目で追って探しても見つからない。
 ”灯台元暗し”でしょうか?
 ランプの照明を高くするために使った入れ物(ケース)が、探し求めるジャーキーが入ったものである。
 あれ!何処に置いた?と、記憶が消えた事に不安を覚え、見付けて、ホッとしながら、自分を笑ってしまった。
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犬くんのその後

2016年02月16日 | 日記
 今日(16日)処方された薬が切れる事から、病院を訪れた。
 診察を受けて(9日)から”発作”は起きていない。
 薬の効果か、一時的なモノであったのか、犬くんの身体の中で何が起きているのか判らない。
 獣医でもないし、具合の程は”モノ言わぬ犬くん”である。
 でも、平穏であることは良いことである。
 診察を受け・獣医から、これからについて提案があった。
 「三週間分の薬(三種類から一種類に変更)を処方する」
 「三週間の間に、発作が起きなければ、投薬を止める」
 「投薬中に於いても、発作が起きる様であれば、薬の調合を加減しましょう」との診断結果であった。
 此れからも、何も(発作)起きない事を願うばかりである。
 犬くんにとっても、私にとっても・・・
 
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今日は15日

2016年02月15日 | 日記
 朝・8時半頃に目覚めた。
 ”寒い”
 昨日と打って変わって、寒さを感じた。
 何はともあれ、灯油を買いに行った。
 途中にあるATMに立ち寄った。
 行列が出来ている。
 私と、同年代と思われる年齢の方たちである。
 如何でも良い、善からぬ事を考えた。
 二か月に一度、ATMに来て”タンス預金”で対応する人。
 必要に応じてATMを利用する人。
 ある一定期間の周期で利用する人、など
 ATMの利用形態も人・夫々ではあると思う。
 それで、ATMの利用を終わって、通帳を見ながら出てくる様子を観て「さて、この人はどのタイプかな?」と、如何でも良い・善からぬ予想をしてしまっていた。
 素早く終わる人・何度となくATMの操作をする人、やはり此処にも”生活”が有るのでしょう・・・?
 私も、やがて利用を終わって、灯油を買って帰宅した。
 一息付く日でもあり、ため息の出る、二か月に一度の15日である。
 
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装いも新たに

2016年02月13日 | 日記
   
 今日の絵日記の絵(写真)の説明します。
 写真・左より1~3とします。
 写真1:”遣いまわし”した事で、以前の傷跡
 写真2:木片で意匠を整えたもの
 写真3:動作中のもの、動作中を表すパイロット・ランプの”赤色”が色っぽいでしょう!
 これは、組み立てキットを購入し、組み上げた「D級アンプ」である。
 シャーシは、以前・使っていたものを流用した。
 従って”以前の傷跡”がある。
 傷跡を装飾するために、木調で装飾してみた。
 早い話が、木工での細工が手っ取り早いのである。
 アンプに電源が入っている時(動作中)には、赤色のLEDランプが点灯するのである。
 照明を落とし、薄暗い部屋にあって”色っぽい!”と思う。
 ちょっとした手間で意匠は違ってくる。
 手間を加えることで、心地よく変身する。
 
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脱脂粉乳

2016年02月12日 | 日記
 昨夜、月例会があった。
 そして、終戦後の食糧難の話題となった。
 終戦時、我が家は父母・祖父母に私たち兄弟3人、7人家族であった。
 お店の陳列台の下は、芋の”芋床”が設えてあった。
 飢えずに済んだのは”サツマイモ”のお陰でしょうか?
 主副食は、麦と混ぜて炊飯した”芋飯”であった。
 芋は蒸かして”餡”にもし”スイーツ”にもなった。
 煉った小麦粉を、四角に成形した芋餡に絡めて、土器製のフライパン?で焦げ目を着ける。
 当時は極上のオヤツ(スイーツ)であった。
 やがて、話題は「脱脂粉乳」になった。
 私より5歳年上の先輩は、脱脂粉乳を知らないらしい。
 今も、牛乳が飲めない人が居るが、原因は幼少期に飲んだ”脱脂粉乳”が原因の様である。
 私の近隣にもいる。 
 脱脂粉乳と出会ったのはいつ頃だろう。
 記憶が定かでない。
 小学校での補助食であったことに間違いはないでしょう。
 ”進駐軍の厚意”と理解していたが、正確には、1946年から1952年の間、ララ物資(LARA:アジア救援公認団体が提供する支援物資)及び、1946年から1964年までユニセフからの食糧支援があった歴史を知った。
 特徴ある匂いと味。
 飲みたくない・飲めないと云う気持ちは理解できる。
 他に、食べ物や飲み物があれば、飲みたくはなかった。
 でも、私は、飲料に堪えることが出来たのである。
 そして、現在があるのではないかと”良い方に”考えている。
 それにしても、5歳違えば、食生活の環境も異なったことを知って、衝撃であった。
 脱脂粉乳を知らない先輩と対し、栄養補給として、食した私は幸せだったのでしょう。

 蛇足
  脱脂粉乳は、段ボール製の”ドラム缶”に入っていた。
  大きな鉄鍋で、脱脂粉乳の粉を、お湯に混ぜていた。
  学校給食制度の奔りでは無かったかと思う。
  そして、ブリキ製のバケツに入れて、当番が教室まで運ぶ。
  アルマイト製の器で飲むのであるが”コツ”が必要であった。
  持つ手も熱い。 唇がつく金属(アルマイト)は熱かった。
  人差し指・薬指・中指の三点で支える、独特な持ち方に到達するのであった。
  大人となって”矯正”が必要となったのではあるが・・・
  
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花は咲けども・・・

2016年02月11日 | 日記

 今日の絵日記の絵(写真)は「カネノナルキ」である。
 今年も、花は咲いたが「金」は生らない。
 永年・育てているが「金」が生った事は、未だかって一度もない。
 此れからも(金=銭は)生らないだろうが、夢と思いながら、お世話をさせて頂きます。
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