ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

未経験な体験を

2015年11月30日 | 日記
 28~29日”忘年会ツーリング”があった。
 会場は、徳島県鳴門市にある”グランドエクシグ鳴門”である。
 此処での出来事・体験が表題である。
 前日まで荒天で、心配していた天候も回復した、28日朝・出発した。
 本隊は、8時30分に集合場所を出発するが、私は時間的な制約を受ける所用を済ませての出発で、一時間遅れの出発となった。
 高速に載って走行するが、気温が上がらず、寒さが身に沁みてきた。
 堪らず、サービスエリアで、電熱ジャケットの準備をする。
 そして、孤独な行程をへて、目的地である”淡路島”のイベント会場に、先発した本隊と15分遅れで到着する事ができた。
 しかし、スンナリとは収まらなかった。
 前日、主催者のホームページから開催場所の情報を得ていた。
 「ウェステイング・ホテル淡路を目標に・・・」とあったことから、ナビに登録し、ナビの案内で事もなく到着はできた。
 到着して、周囲を見渡せど、それらしきものは見当たらない。
 残る手立ては、引率者k氏にレスキューを頼むしかない。
 電話をすれど”不出”
 何台かのバイクが走行していた事から、近くであることは間違いと判断し、国道28号線を走行する。
 程なくして、路側にバイクが停車している。
 近づき、車番を観ると同じ県ナンバーで、メンバーの一人であった。
 「場所が分らない」と告げると「私も・・!迎えに来てくれる」と云う。
 そして「淡路警察署前で待て!」との事で、再びナビに目的地・淡路警察署を登録する。 2km程前方である。
 私は、準備が整ったので出発した。
 指示された淡路警察前で、待てども、先程の人も到着しない。
 ”不安”を感じていると、K氏が来てくれた。
 Uターンし、2~3分程で到着した。
 国道28号線から会場への、この交差点は、先程・通過している。
 通過した時、交通整理員が居て、工事用車両と思しきトラックが居た。
 道路工事と思ったが、交通整理員はイベントの要員であった。そして、トラックも居なくなっていた。
 何か目印が欲しかったと思ったが、事は済んだ。
 軽食類を提供する出店・店舗で、昼食を済ませる。
 14時を過ぎて、イベント会場を後にする。
 此処で、日帰り組と、忘年会組に分かれ、一次会解散である。
 我々、9台のバイクに10人は、神戸淡路鳴門自動車・東浦インターから、徳島県鳴門市・鳴門北インターに向う。
 県道11号線に出て、左折し”鳴門スカイライン”を経由し、国道11号線に向う。
 国道11号線を右折し、高松方向に向う。
 右側は海・左側に山が続く。 やがて、山頂に大きな建物が観えてきた。
 扉の付いた大きな門を通過し、急峻な坂を登って行く。
 到着すると、フロントマンから駐車場に移動するよう指示があった。
 500m程であろうか、アップダウンの道路を指示された駐車場に向った。
 帰りは”シャトルバス”である。
 食事・大浴場への移動は”シャトルバス”であると云う。
 私の人生の中で”未経験な体験”となった。
 それにしても大規模な”ホテル?”であった。
     
 今日の絵日記の絵(写真)は五枚である。 左より写真・1~写真・5とする。
 写真・1:閑散としたイベント会場の様子。 この様なイベントへの参加も始めてでした。
 写真・2:宿泊地の駐車場付近から、宿泊する”建物”を望む。 この様な大きな”ホテル”も始めての経験である。
 写真・3:宿泊する部屋からの風景。 淡路島(写真・左上)を望み、国道11号線を走行する車両等も遠望できる。
 写真・4及び5:部屋から左(西方向?)の昼と夜の表情である。
   蛇足、写真をクリックしてください。少し大きく観易く成ると思います。
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知ってた!?

2015年11月27日 | 日記
 年賀ハガキに関する疑問です。
 ある商店の方が、年賀ハガキ200枚を購入した。
 100枚が一束となった帯つきが二束です。
 顧客に贈る新年の御挨拶状で、当節・流行のパソコンでの作成作業である。
 誤って、普通紙のハガキを買った事に気付き、郵便局の窓口に出向いた。
 手数料千円を請求されたと言うのである。
 書き損じて、切手部分に汚れが無ければ、5円支払えば、ハガキや切手に交換してもらえる。
 書き損じたものは、他に転用(転売)も出来ない事から理解できる。
 しかし、帯もそのままの状態で”書き損じ”と同じ手続きになると云うのである。
 此れって、社会の常識なのかなぁ!!と思ったお話である。
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念願叶って!

2015年11月26日 | 日記
 娘が零歳から世話になった家族が居る。
 私は、その昔・娘の臨月(誕生前)に転勤辞令があった。
 娘であるかどうかは当時は知らされていなかった。
 只々、無事な出産を願ったものであった。
 上司の計らいで、社宅のローテーション(子供の編入学に合わせ社宅を入退居する)前に、一軒の住居が与えられた。
 そして、息子と共に、実母の手助けで、新任地での業務も理解し、その任務を果たすまでになっていた。
 転勤・転居後、二ヶ月程経った、ある朝、電報が届いた。
 「元気な女の子」が誕生した知らせであった。
 四人家族になった実感がした。
 出勤してすぐさま、皆(同僚・上司)に報告した。
 息子は小学校に入学し、生活も落ち着いた。
 娘を迎える準備は整った。
 この様な経過をを経て、隣人に助けられ、娘の”子育て”や息子の通学等、家族のありようをがあった。
 とりわけ、隣家の家族には、思いもしない御支援を頂いた。
 隣家は五人家族で、当主の母が日中・在宅であった。
 この方(隣家の当主の母)を通じ、隣家とは、特に親しくなった。
 当時、私達は、当主の母を「おばあちゃん」当主を「おじちゃん」当主の奥さんを「おばちゃん」と、そして御長女さんは「〇〇ちゃん(名前)」と呼んでいた。
 お亡くなりになった”おばあちゃん”を除いて、現在でも・・・
 私が帰宅する先が”隣家”になるまで、それ程の時間的経過は無かった。
 四人+四人(隣家の長男が翌年・四月には大学進級のため居なくなった)の夕食が常となっていた。
 歳を重ね、反省をした。
 隣家の家族が帰宅すると、あかの他人の我々・家族(私の帰宅は、もう少し遅かったが・・)が居ることを・・・
 そして、二年ほど前に、御迷惑をお掛けした思いを、昼食を〇〇ちゃんに企てて頂き、お伝えする事ができた。
 おじちゃん曰く「その様な事があって、今もこうして話が出来ている。 良い事ではないか!」
 助けられた。
 それから、時間は経過し、今日に至った。
 今月、〇〇ちゃんから、施設に入所中の「お母ちゃん(私が称する、おばちゃんである)が(自力で)食事をしなくなった」との連絡を頂いた。
 私は、鼻から管を通してベットに横たわる”おばちゃん”を想像した。
 〇〇ちゃんの日程と、私の都合を照らし合わせ、おばちゃんのお見舞いが、今日(26日)の実現となった。
 久し振りに面会すると、想像した様子とは裏腹に、顔色も・色艶も良かったので安心した。
 ミキサーで粉砕した食べ物を、注射器で与えているという。
 気管支炎を起こしたり、栄養が足りなく、顔色も悪かったらしい。
 医師の処方で、栄養剤を添加するようになって、顔色も善くなった様である。
 小一時間、おばちゃんの居室に居ながらも”おばちゃん”との会話がないままに、帰ろうとして「おばちゃん、また来るね!バイバイ!」
 奇跡が起きた。
 おばちゃんが、小さく手を振るではないか!
 私・ふくちゃんと、認識されていなくても、嬉しかった。
 同席していた、〇〇ちゃんも驚いていた。
 再度、手を握り締め、再び訪れることを、心のなかで誓ったものであった。
  
 
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四半世紀を経て

2015年11月25日 | 日記
 
 母の没後、25年を経て母を知らない世代も増えてきた親族の”カタチ”である。
 仏前での法要の後、墓参を果たした。
 緊張もとけ”お斎”となった。
 最終的に30名程(記念写真後)が参集した。
 母に関する話題は、少なくなった事を感じた。
 今ある者の、就職・進学・出産など、話題は事欠かない時代に居る、我が身であるのである。
 そして、母を想い、涙する場面もなくなってきたとも感じた。
 三時間程・経過したと思える頃、俗に言う”二次会”へと移行した。
 ここで、出番と成ったのが、父母の金婚式を祝う記録映像である。
 当時の記録媒体であった”VHS(テープ式)”であったものを、DVDに変換したものである。
 みんな・若い、私も”若い!”
 25年前の私が、そこのあった。
 取り戻せな時間である。
 恐ろしかな!10時間にも及ぶ”意思疎通・意見交換・問答”は終わった。
 最後まで残っ(てくれ)た、兄の長男夫婦も、やがて帰る。
 そして、兄夫婦との問答・会話も終焉を迎え、就寝となった。
 普段、遭う事もままならない人達との会話や現状を知る機会を、造ってくれた母の”催し”であった。
 
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時間の経過

2015年11月25日 | 日記
 時間の経過を知る”道標”が、今の私にはある。
 
 此れは、私の右・親指の爪の部分である。
 記憶も薄れて定かではないが、三ヶ月程・前になろうか・・・?
 工作をしていて”血豆”を創ってしまった。
 爪の生際に、マッチ棒・程の血豆であった。
 最近では、血豆が大きく・黒い色が薄くなって、先端部分に近づいてきている。
 兎にも角にも、1cm程、爪先に移動し、血豆・自体も大きくなっている現実を観てきている。
 時間の経過が成せる”技”なのでしょう!
 この血豆の様に、残された時間は、如何程も無い事を知るのである。
 寂しいかな・・・! 
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母を偲ぶ

2015年11月20日 | 日記
 母が逝ってから、私は25年の年齢をかさねた。
 母との色んな思い出が、今も過ぎる。
 母を偲ぶ会(法事)があって、帰省する。
 長家の想いで、近親者のみで行われるとの事である。
 母には9人の孫達がいる。
 そして、その孫達には、子も居る。
 母の知らない世界としては、孫に子(母にとって曾孫(14人)の何名かは)が居る事を知ってはいても、曾孫が結婚(日記「犬くんの新居(2014.10.21)」他)したという世代変遷ではなかろうか。
 遠路(首都圏を含む)に住まう孫も居るが、6人が参集するとの事である。
 当然、孫達には”子”も居る事から、大勢となる。
 母も、さぞや嬉しかろうと思う。
 曾孫の結婚も先日あって、冠婚葬祭・喜怒哀楽・人生模様。
 昔(母)を偲び、兄弟達との会話を楽しみたいと思う。

 日記を、24日までお休みします。
 
 
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昨夜も

2015年11月18日 | 日記
 昨夜も、気が付けば日付が替わっていた。
 照明を落とし、ライブ映像を楽しんだ。
 プロジェクターの画像は”あいまい”で、ピントが甘い感は否めない。
 最近のディジタル映像は、ピントがシッカリと合ったスチル写真を観ている様な感覚である。
 しかし”眼”が疲れる。
 細部まで鑑賞出来る画質に、バックライトなどから発する”閃光(ギラギラ感)”で眼を刺激する。
 室内を明るくする事が勧められている。
 観ているライブハウスでの雰囲気と、現実との間(鑑賞環境)にギャップを感じるのである。
 ライブハウスや、コンサート会場の照度と、同程度から低めが心地良い。
 アナログ映像で眼の疲労感も、少ない様に思う。
 
 アナログ時代の鑑賞方法が”あばたもえくぼ”で、一時的な熱病にかかっているのでしょうか・・・?
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時間は充分に余裕!されど・・・は

2015年11月16日 | 日記
  
 過去の話しになるが、甥が「おっちゃん、此れ使うでぇ!」と提供されたのがプロジェクターであった。
 スクリーンが無い為、寝転がって、天井に投影する等、限定した使い方をしていた。
 近年では、その存在も忘れていた。
 整理整頓をする過程で、現物を観て・その存在を想い出した。
 活用する方法は無いものかと考えた。
 時間は、持て余すほどある。
 しかし、先立つ〇〇は乏しい。
 ”知恵と工夫”で考え出したのが、障子紙をスクリーンにする方法である。
 手持ちの、在り合わせの木材を使って、枠を組立てた。
 昨年末、体調不良で、障子の張替えが出来なかった。
 即ち、障子紙も手持ちである。
 横幅・1800mm、縦幅・1400mmのスクリーンを組み上げた。
 一枚張りでは、木枠の存在が気に掛かる。
 二枚重ねとした。
 それでも木枠は見える。
 投影してみた。
 立派なスクリーンである。
 狭い我家である。 スピーカーを覆うようにセットした。
 映像と、音声がマッチングして、映画館の様な感じで心地良い。
 ”チビリチビリ”と一杯やりながら、ライブ映像を楽しんでいる。
 しかし、昼間は、全く鑑賞できない。
 照明を消し、楽しむのであるが、酒を注いだりする場合には、どれだけ注いだか分らない。
 注ぎ零しもある。
 そこで、登場させたのが”誰も欲しがらない照明具”である。
 空き瓶を電気スダンドの台座にして、シェードは牛乳パックから造ったものである。
 電球はLEDで、公称0.5Wとある。
 投影されたスクリーンには影響を及ぼさず、間接照明の役目をキチンと果たしている。
 役立っている。
 今日の絵日記の絵(写真)の説明。
 写真・左:高さ調整の為に作成した台と、投影している様子。
 写真・右:誰からも貰い手のない”電気スタンド”と、ライブ映像を鑑賞中の様子。
      40年程は使っているだろうか、電器燗ペットが通電している為に点灯している。
 最近、少し寝不足気味・・・
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汗をかき、凍える体験! (16日加筆)

2015年11月15日 | 日記
   
 11月15日の早朝まで、不安定な天候であった。
 今日は、バイク・ショップ企画・主催する今年の最後となるツーリングである。
 前日までの天候に苦慮された主催者の配慮も心地良かった。 「ドタキャンOK」との配慮である。
 今回のツーリングは、昼食を事前予約するシステムであった。
 小さなお店に・大勢が押し寄せること、お店にとって嬉しくもあり、困惑することであろう。
 事前の予約は嬉しい事であると思う。
 主催者も、予約する事で、食卓に着いてスグサマ食事が出来る様に”段取”をするのであろう。
 問題は、必要とする食事を求める人の、確定である。 
 不足すれば、不快感となる。
 余れば、無駄になる。
 この様な、スタッフの苦労は考えず、我々は”ツーリング”を楽しむのである。
 今日も、40数台のバイク・野郎(&淑女)が集まった。
 (高知県)高知自動車道の終点・高知県四万十町のICで高速を降り、接続する国道56号線を左折。
 道の駅「あぐり窪川」で昼食を頂く。
 昼食後”白砂青松”の”興津”に向う。
 興津には、昭和50年頃、キャンプで訪れた経緯がある。
 今では、道路改良が部分的ではあるが進み”興津坂トンネル”が開通していた。
 その昔に訪れた時には、標高300m程の峠から、一気に、海抜”零m”まで下降していた。
 興津海岸に到着して、先ず目に付いたのは、防潮堤が整備されていたことである。
 そして、コテージやトレーラー・ハウス等のキャンプ場として整備されていた。
 波打ち際から白砂の砂浜に続く、松林でテントを張っていた往時を偲ぶ面影は薄らいでいたのである。
 しかし、松林の規模(厚さ)美しさには”よーぉ!残った!”と心で叫んだ!!
 記念撮影等をした後、帰宅の途についた。
 昼食時や・興津海岸では、汗ばむ陽気さ(高温)であって、天候の回復を喜んた。
 しかし、太陽も沈み、帰宅前(19時頃)には、革ジャンの下に、もう一枚欲しい!と身体は冷え込んだ。
 今年・最後の、バイクショップ企画・主催するツーリングは、無事に終わった。
 あと残るは、忘年会ツーリングと恒例の”クリスマス・パーティー”を残すのみとなった。 
 今日の絵日記(写真)の説明。
 写真・左:色付き始めた山の木々
 写真・中:ツーリング参加者・全員集合。 高知県・四万十町興津海岸にて
 写真・右:興津海岸に掲げられた看板
  写真をクリックすれば拡大し、観易く成ると思います。 お試しあれ!

 蛇足
 道の駅「あぐり窪川」と言う名称が、気掛かりとなった。
 ”窪川”は町村合併する前の行政名である。
 ”あぐり”は”農業”を意味すると云う事である。
 「あぐり窪川」は、農産物を販売する「道の駅」と言うことなのでしょうか?
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私も有意義な時間を! PratⅡ

2015年11月14日 | 日記
 犬くんの生活リズムと、私の生活リズムは異なると思う。
 今回の増築で、開口面が大きくなった。
 私のリズムに合せさせるのは”酷”と思って、ドア(カーテン)を付けてやった。
 民謡踊りで使ったと思われる”腹巻”があったので、30cm程、頂いて取付けた。
 犬くんは喜んでくれるのでしょうか・・・? (二度目の問いかけ)
 
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私も有意義な時間を!

2015年11月14日 | 日記
   ”
 ログ・ハウス”風の、我家の犬くんの新居(増改築)が完成した。
 しかし少し、増築が過ぎた感がある。
 犬くんの体型から、増築(高く)した高さの、半分ほどで好かったのではないかと、完成した”姿”から思った。
 コーヒー・タイムを含め、六時間程の間、出来上がりの結果と、造作のプロセスを含め、楽しく・有意義な時間であった。
 今日の絵日記の絵(写真)の説明:写真・左は”ログ・ハウス風”と称した改築結果です。
 そして、写真・右は余裕を持って入退出出来る様になった。
 改築の功を奏したといえるのでは・・・

 増改築前について
  
 写真・左は、増改築前の、犬くんの新居である。
 そして、写真・右は、頭部を低くし・中腰で入居し、寛ぐ様子である。
 この様子から、増改築をしてやろう!してやらなければ!と、思ったのである。
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訃報連絡

2015年11月13日 | 日記
 今年も、新たな年を迎えるにあたって”訃報”の連絡を受取る季節(時期)となった。
 知り合いを失うと言う事は悲しい事である。
 私が、東京勤務の”刑期”を終え、地方都市に転勤となった。
 その職場に彼・Si氏は居た。
 転勤し・転居も済んだある日、家族でキャンプに出かけた。
 キャンプには、まだ早い時期であった。
 キャンプ場への道すがら、酒屋さんで、夜の楽しみの”お酒”を買った。
 暗闇が迫る頃、一台の大型の乗用車が来た。
 家族に「知らん顔をしろ!」と、命じた。
 何か問い掛けているようであるが、無視した。
 やがて、帰って行った。
 休みが明けて、出勤すると、Si氏が「キャンプ場は寒かろうから、家に来ませんか?と、言いに行ったのに無視された」と云われた。
 当然ながら「大型車でその風体・宜しからずで、関わりたくなかった」ことを釈明した。
 兄さんが来ていて、晩酌で「寒かろうのぉ!」といった話題になったようである。
 確かに、寒かった。
 加えて、酒を買った”酒屋さん”はご自宅であると言う。
 知らなかった。
 Si氏の兄とは、仕事上の関係から、既に知り合いであった。
 ご兄弟と云う事もあり、そして・この様な経緯からも、親しくなった。
 このSi氏の、奥様から、ご主人を亡くされ「年賀は、ご遠慮します」との連絡を頂いたのである。
 まだお若いのに、忍びない。
 遅きに失したと思われるが、弔問にお伺いしたいと思っている。
 どの様に、お声がけすれば良いのだろう・・・・か?
 
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屋根付き豪邸に!?

2015年11月12日 | 日記
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、犬くんの”お家”二態である。
 先日、兄の孫の結婚式で帰省する機会に、ダンボール箱の”家”から木製の”家”を新築(日記「玄関付に改築?(2015.10.29)」写真:右)した。
 帰省し、夜を向かえたが、折角・設えた”お家”で寝る事も無く、奥まった場所で寝ていた。
 動物の本能(本性)なのでしょうか、慣れない場所では、不安なのでしょう。
 近日中に、母の法要で、再び帰省しなくてはならない。
 そこで”屋根付き”に改築してやった。(写真:左)
 凹凸(凸部分の部材は竹材)を、三ヶ所・施し「パッチン錠」で、脱着が出来る様にしている。
 在り合わせの木材で造ったが、少し低い様である。
 約1800×100mmの木材、約200円程を投資し、今度は増築(高く)してやらなければ「快適な暮しを!」と、願う私の気持ちが伝わらないと思うのである。
 さて!この改築を、犬くんは、喜んでくれるでしょうか・・・?
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お土産にならなかった”土産” Prt Ⅱ

2015年11月10日 | 日記
   
 問題の”スタイニィー・ボトル”の飲み物が通販ではある事を知り、それなら国内販売もあるのではないかと興味を持った。
 大型スーパーに出かけてみた。
 今まで興味も、関心もなかったことから知識として入力されなかったのでしょうか・・・?
 色んなサイズの・色んな飲み物がある。
 とりわけ”地ビール”に、小瓶(スタイニィー)サイズがある事を知った時は「なぁーんだ!(身近なところに)有るんだ!」と思った事であった。
 地ビールと輸入ビール(原産地:アイルランドと表記がある)各々一本を買い求め、帰宅した。
 早速、装着させてみた。
 今日の絵日記の絵(写真)は、地ビール&輸入ビールと、試着させた様子である。
 写真・中が地ビール、そして、写真・右は、アイルランド産のビールに夫々・装着させたものである。
 国によって”サイズ”が異なるのでしょうか? 
 アメリカ産(?)のカバーの丈が長く、カバーを装着すると、両者とも飲めないのである。
 そして”胴回り”のサイズで云うと、地ビールは”メタボ”で窮屈、アイルランド産はスリムで”フィット”する。
 飲み干した瓶を装着し”装飾品&思い出の品”として当面・残置しようと思う。
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お土産にならなかった”土産”

2015年11月10日 | 日記
 
 2012年に、娘夫婦と娘夫婦の両親が、アメリカ・フロリダ旅行(日記「旅行の準備(2012.2.20)」他)を行った。
 この時、モテナシを受けたホーム・パーティーで提供された飲み物は、所謂”口飲み”であった。
 飲酒・飲料は、グラスで”飲む”と言う文化ではないことを学習した。
 そして、フロリダ半島方面への周遊を行った。
 此処で、息子への”土産”として買い求めたモノが、今日の”絵”である。
 過去に、ホーム・スティの経験のある息子に、良い御土産と思ったものであった。
 保温材で造られており、栓抜きも設えられている。
 帰宅(帰国)し、土産として”中身(スタイニー・タイプの瓶ビール)と共に、手渡そうとした。
 しかし、求めるビールが販売されていない。
 販売されていない事に、気付かなかったのである。
 中に納まる”飲み物”が無いなら、土産としても役立たない。
 そして、先日・片付けをした際、見つけ、懐かしさが蘇ってきたのである。
 土産として役立たなかった理由=中身となる小型瓶ビールの販売が何故なくなったか?が、知りたいと思った。
 Net検索で、2011年に発生した”東日本大震災”で、製瓶工場が福島県にあって、被災した事が分った。
 旅行の前年には、既に販売が中止されていたのであった。
 輸入の瓶ビールがある様で、一度だけでも”その役割”を果たさせる為に、購入しようとの思いもあったが、そこまでする必要はないか!と止まっている。
 今もって、悩ましい(土産としての)買物だった。
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