80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

戦災後の町(1)

2010-07-02 18:38:01 | 戦争体験
 横浜大空襲で大部分の市街地が廃墟と化したのは1945年5月29日で

あったが、その後、私が横浜で見た光景は、何もかもが真っ黒に焼け、

当時未だ少なかったビルがところどころに煤けて黒くなった残骸を

見せていたが、形こそあれ、ビルの向こう側が窓を通して見えるほど

中は焼けてしまっているところが殆どだった。

木造の家はところどころに焼けぼっくいが二、三本ひょいひょいと

たっているくらいのもので、水道の管が壊れて水がちよろちよろ吹き

出していたりした。

市電の通りには電車やバスの焼けた残骸があったり、荷物を運んでいたで

あろう馬車の台車が焼けた姿を見せていたが、馬とそのご主人らしき人

の姿はなかった。

戦災で焼け死んだ方々は真っ黒く、男女の性別さえもわからないような

丸太ん棒のようなものになっていたのだそうだが、多くの方々は逃げる

途中で死者を跨いだりしながら行かなければならなかったとか聞いて

いたが、私は不思議と動物も人間様もそのような状態になられたのを見

ていない。

ただ未だ若いおまわりさんに取りすがって、”家族がなくなったがどう

したらいいかかわからないと泣きじゃくっていた若い奥さんを見たり、

あそこの防空壕の中で一家が全滅しているようだという話をしているの

を聞いたり、久保山や関東学院の山で多くの人が死んでいるなどの噂は

いろいろ聞いてはいたのだが、もし見ていたりしたら自分がどうなって

いたかわからないと何時も思っている。どんなに辛かったことだろうか、

想像するだけでも、命が縮んでしまう気がするのである。

(つづく)