いい春の宵、街に出た。
そして久しぶりに愉しい酒を呑んだ。
肴は「音楽」の話である。
この話で気脈の通じるお方と呑む酒ほど旨いものはない。
つまらない場末の音楽を嗜んでいる私ではあるが、
表現者としての方向性と感性、そしてささやかな体験と音楽に対する敬虔な想いはまったく同じなんである。
相手はクラシックのピアニスト
私はといえば、しがないポップスバンドをやってる男なのだが、
ドキリとするほど相通じるものがあった。
浴びるほど豊穣の美酒に酔い、かつ口泡を飛ばして話した。
いい春の夜、送って行きながら桜の満開の下で、また話した。
家に帰り着いて、まだ全然、話したり無い想いなのである。
窓をあけていつものように夜空を仰いだ。
そこには名前もよく知らない山の上に、大きな涙型の月がほっこり出ていた。
写真では上手く撮れなかったけれど、Tear drops moonである。
溢れんばかりの涙を溜めた月が輝いていた。
この涙は、まさしく嬉し泣きなんである。
人生は判り合える、価値観を共有できる出会いこそ、音叉が共鳴を始め、深められていくものだということが身に沁みた、三月最後の日。
少し肌寒いものの、心はほっかりとした夜。
それは、愉しく嬉しく胸が熱くなり、そして贅沢な夜でもあった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます