風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

魔法の黄色い靴

2013年03月30日 23時59分59秒 | 風竿の音楽夜話

かって福岡市天神のフォーク喫茶「照和」に出入りしていた頃、

チューリップは一番人気であった。

財津さんを始めとして宗田さん、末広さん、吉田さんのハーモニーはずば抜けて素晴らしく、

「ママがパパを愛したように」とか「ええとこのこのバラッド」とか

「白い雪そんな雪が私は好き」などと素晴らしいオリジナルは学生の間でひそかに歌われていたものだった。

彼らは自費制作のコンパクトLP・・・・4曲入りのものを当時こう呼んだ。

をKBCのプロデューサー岸川さんの力を借りて、世に出してからは、プロ志向の財津さんに引っ張られて、「私の小さな人生/こけっかきの棲む沼」というシングル盤でメジャーデビューを果たしたものの、

すぐに博多に帰ってきたのであった。

その頃、KBCのラジオ番組「歌え若者」や、テレビの「パンチヤング福岡」でチューリップと一緒に出たこともあったのだから、地下の水脈では相通じるところもあるのだ。

それからは、当時ライラックというサイモンとガーファンクルのコピーをやっていた姫野君と・・・・、

武田鉄矢率いる海援隊から、ドラマーの上田さんを引き抜いて

ハーズメンというウエスタン系のバンドでリードギターを弾いていた安部君を引き連れて

再度上京して東芝EMIから「魔法の黄色い靴」というファーストアルバムを出したのである。

 

そのアルバムに影響を受けたのが、当時高校生だった北村尚志君

故に、彼の音楽活動の原点はチューリップなのだ。

彼らのバンド名はこの魔法の黄色い靴からきている。


その「イエローマジカルシューズ」のライブが酒蔵ツーリズム運動で盛り上がっている肥前浜宿の酒蔵跡のホールで開催された。

私もチューリップは大好物であるので、ちょっくら出かけることに・・・

彼らも50歳という大台に乗り、人生の悲哀も、人の有難さも身に沁みる年代に差し掛かった。

そんな中で音楽の原点を忘れてはならじと、今回5年ぶりにこのバンドを再結成したのだという。


この古い画像のドラムにBAD BOYSのものが・・・・だとするとリッキーさんはこの時チューリップと共演していたことになる。

 

「心の旅」から始まって、私の好きな「ハーモニー」

そして「僕のお嫁さん」、「夕陽を追いかけて」など懐かしい曲が目白押しの素晴らしいライブパフォーマンスであった。

アンコールの「私のアイドル」「夢中さ君に」は若い頃私もバンドでやっていた曲なので、思わず口ずさんでしまった。

北村尚志君はこの日燃え尽きると宣言していたが、どの曲にも相当の想い入れがあったようで、全力で歌うその姿はとても好感がもてた。

彼のオリジナルにも多少影響を与えたと思われる「博多っこ純情」の歌唱力は鳥肌ものだったことを付け加えておかねばなるまい。

いゃー、いいライブでした。

ではその「魔法の黄色い靴」を・・・・

この曲を作った時財津さんは確か「魔法の黄色靴」といっていたような気がするのだが・・・・。

今となっては古い話であんまし覚えていない・・・・。

その頃から音楽活動を始めた北村尚志・・・恐るべしである。

彼がパーソナリティーを務めるFM佐賀の月曜日の人気番組19BOX あの日の忘れ物」では、今度の月曜日4月1日ビートルズ特集をするのだという。

月曜日3時から・・・FMの前で仕事をすることになりそうである。

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