風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

うちのワンコは、いやし系

2013年03月18日 23時30分53秒 | 風竿日記

月曜日は買出しの日

我が家のレオン君の常食としている「ササミ」の特売日なのである。

割と大ぶりのササミが8本パッケージされて、何と200円なのだ。

夜、散歩がてらにレオンを連れてショッピングに行くことにした。

そのスーパーでは「月曜日の男」で通っている私

会社帰りの主婦に混じって買い物するのは、ちょっと気恥ずかしいのだが、人間も犬も、何か食べないと死んでしまう哀しいサダメなんである。

お目当ての特売ササミを2パック買い物籠にしのばせると、

後は用は無いので、サッサとその場を立ち去ろうとしたら、

隣の鮮魚コーナーの刺身が目に入った。

普段の我が家の食卓では、あんまし贅沢はしない私であるが、「まあたまにはいいか」と脂の乗ったブリの中トロ1,180円なりの2割引を思い切って買ったんである。

よし今夜はこれが我が家のスペシャルメインディッシュとばかりに意気揚々と勘定を済ませて、帰宅の車上の人となった。

しばらく走ると、愛犬レオンの補助食品である小粒のドッグフードが今朝切れたのを思い出し、ディスカウント系のドラッグストアに立ち寄ることに・・・・。

店内に犬は持ち込み禁止なので、いつもの通りレオンは車の中でお留守番・・・・。

喉が痛いので風邪薬とお目当てのドッグフード、そして非常食の日清焼きソバを買って車に戻ると、一路我が家へ

武雄市内から車で8分が我が家への道程、

帰り着くとまずは愛犬の食事を準備して、愛犬の薬を飲ませ、愛犬のミルクを飲ませて、ホッと一息・・・・。

次は主の番

ワラビナの味噌汁に、買ってきた青々とした高菜漬けを刻み、さあて、とばかりに包丁とマナイタを整えて、

件のメインディッシュたる脂の乗ったブリの中トロ1,180円なりの2割引を買い物袋から出そうとするのだが・・・、

これが無いんである。

何度捜しても無いんである。

ありゃー、店に忘れてきたのだろうか・・・・。

小首をかしげながら車の中に落ちたのかもと探しにいくと、

あったあった・・・・。後部座席に。

しかし、どうもオカシイ。

脂の乗ったブリの中トロ1,180円なりの2割引が、グチャグチャになっているのだ。

そこで犯人の顔が浮かぶ・・・・。

ああ、やられた・・・・。

ドラッグストアに行った時、奴は犯行に及んだのである。

私が車に戻ってきた時には、何食わぬ顔で、口笛でも吹いていそうな感じだったのに・・・・。

彼は食うのが唯一の楽しみという、生粋のイヤシイ男

食べても食べてもまだ満たされないのか、いつも私に食べ物をねだる。

何のことはない、彼の食物を買いに行った隙に私の食物まで食べられてしまったというツマラナイ話。

そんな愛犬とのやりとりで癒されている私。

まさに、彼はイヤシ系なんである。

あーあ・・・・。

<!-- .空に星があるように〜トワ・エ・モワ〜 . -->

春に小雨が降るように・・・・ただの季節の変わり目の頃の他愛も無い普通の話でありましたが、こんな普通のエピソードが人生なんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


うれしの温泉★吉田のたくろうまつり

2013年03月15日 23時43分03秒 | 風竿の音楽夜話

うれしの温泉、日本三大美肌の湯といわれる・・・・

(自分達で云ってるという噂もあるが・・・・)

観光協会の会長さんは高校の先輩で、名物旅館大正屋を経営されている大物な上に、特別に親しくさせて貰っている。

先日もひぜしんのコンペの懇親会で一緒に呑んでいて・・・・

「保先輩、ちょっとした町おこしを考えているんですが・・・・。」

「何や、ビートルズば呼んでくれるとや・・・・。」

「いや、いや、そりゃー無理です。でも音楽イベントではありますが。」

「何や、云ってみろさ・・・・。」

先輩は日本酒を傾けながら、黙って聞いてくれた。

「あのですね。日本全国の吉田拓郎ファンは相当おりまして、そろそろリタイア組に入ろうとしているんですよね。」

「そこで嬉野市にはせっかく吉田という町があるので・・・。それに立派すぎるドームも出来たことだし・・・。二箇所でもやれるし・・・。」

「ふーん、吉田拓郎って、あの『旅の宿』ば歌った人やろう?

「先輩もう70歳にもなってて、よく知ってましたね・・・。」

「俺もサービス業バイ。そんくらい知っとるさ。♪ 浴衣の君は ♪・やろう」

「そうです。そこで吉田のたくろう祭りをやってですね。色んなフォーク系のミュージシャンを招聘してですね。やれば宿泊客も増えて面白いかと・・・・。」

「吉田拓郎は中々呼べんけど、音楽祭形式にして、全国から吉田拓郎の歌が好きなミュージシャンに声をかければ、応じてくれると思いますよ・・・。」

「温泉とフォークソングは合うもんな・・・・。よし、企画してみてくれんな。観光協会も協力するけん・・・・。」

「判りました。何人か協力者もいますから・・・・。」

とまあ、こんな経緯があった・・・・。

    

そこでやおら、吉田拓郎の2012ライブの音源を聴いてみたのだが、これが実に素晴らしいのひとこと。

音が厚いと思ったら素晴らしいバックバンドのメンバー達であった。

拓郎も大病のあと、さすがに若い頃の迫力は無いが、枯れてきて、むしろ魂の響きありで、とてもいい感じである。

大好きな曲のYoutubeが貼ってあったので・・・・。も一曲


 

嬉野市議をやってる拓郎ファンの友人も大のりきで、

ひぜしんの嬉野支店長さんも拓郎の大ファン、吉野ちゃんも・・・

嬉野市役所の同級生田中君も、そりゃ素晴らしかぁ。絶対ヨカバイ・・・。

佐世保営業部の永田部長も、そりゃーヨカですね・・・・と。実は彼もカラオケは拓郎の歌ばかり・・・大ファンなのだ。

長く拓郎のカバーをやってる堤覚造クンも、目を輝かせた。

INPUTの山下君は勿論のこと・・・・。

久しぶりにFacebookで再会した川棚の孝道君も・・・・。

吉田の皿屋には高校の同級生もたくさん居るし。

かくして、今年か来年にかけて、温泉deビートルズ音楽祭の大イベントと共に、うれしの温泉の町おこしイベントも手がけることになりそうな雲行きである。

まあ、交流人口拡大の時代、人の、町のお役に立てばそれで充分、勿論完全ボランティア無報酬、それで満足なんである。

拓郎ファンの皆さん、私にコンタクト下さいませ。

 

 

 

 

 


Facebook

2013年03月13日 23時59分40秒 | 風竿日記

いつのまにかFacebookの友達が400人を超えていた。

これで30年ぶりに再会した友達もいる。

始めたと同時にtwitterは全然利用しなくなってしまったのだが、やはり相手の身元がしっかりしているのが、いいようだ。

        

これをビジネスに結び付けようとしたのが、武雄市が始めているFB良品

地域の特産品を世界へという取り組みで、本当にここまで自治体がやるのかというくらいに頑張っている。

武雄市と共に官民連携で出展してきた東京ビジネスサミットでも、その新しいビジネスモデルが評価されて、昨年は見事に「TBS特別賞」に輝いたほどなのだ。

この受賞は実はわがことのように嬉しかった。

全国の金融機関出展で、自治体と連携してビジネスマッチングをやっているのは、わが九州ひぜん信用金庫だけなのだ。

そのほかにも武雄市は色んな新しい試みをやろうとしている。

その台風の目が本日武雄市民として上陸・・・・。

春の嵐が吹き荒れることに違いない。

それは固定観念や既成概念というつもり積もったチリを吹き飛ばしてくれることになるだろう。

まさに、梁山泊のように武雄市に人材が集まり始めた。

今後の武雄市、は目が離せない。そしてとても楽しみである。

ワクワクする。

そういえばFacebookを殆どの市の職員がアカウントを持っているのも武雄市だけであろう。

昨年の水害の折には、このFacebookが威力を発揮したのも記憶に新しい。

市民と武雄市との直接のネットワークとしてとても有効であった。

ひょっとしたら緊急医療分野にも使えるのではと思っている。

        

思えば、凄い時代になったものである。

 

 

 


春詠

2013年03月13日 01時31分23秒 | 風竿日記

最近は少しばかり短歌の練習をしている。

土の中に埋もれそうになっている、おじさんの感性を掘り出して

多少はサンドペーパーで磨きをかけないと、少しぐらいのことでは物事に感動しなくなってしまっているからなのだ。

例えば旅先で出会った野の花、けなげに、無為不待に咲いている。

この花の美しさに体が震えなくてはならぬところ、黙って通り過ぎようとしていることが多い。

だから、ちょっとお題を決めて、まあ、ただの言葉の遊びにすぎないのだけれど、ちょっとばかし無駄な抵抗を試みているんである。

やってみると、意外に難しく、そして意外に易しい。

所謂、神の啓示のようなもので、

閃きがあると、スルスルと言葉が降りてくるのだが、

無理に捻り出そうとすると、いかにもはからいが感じられるいびつな歌になってしまうものだ。

やはり、一番いいなあと思うのは、こころ素直にありのままを、さりげなく詠むことに尽きるのだと思う。

日常の出来事の中の、おかしみ

ものの哀れ

ちょっとした感動

こんなものを「歌に塗り込められたらいいなあ・・・。」と思うんである。

 

「はる三題」

 

突然に春は地上に降り立ちて やはらかき草のかほりに深呼吸すーっ

 

あくる戸に梅の花びら舞い込みて 郵便の便りは届く口元弛め

 

水の音はやさしきひびきいとおしき母のにほいか蜆の夕餉立つ

 

 

とまあ、これを原型として並べ替えたり、言葉を変えたりして推敲していくのだが、一番大切なのは、どう感じているのか。

どうそれを短く一番心に響く言葉を使って表現するかということである。

この短歌らしきものは、もう遅いのでバタバタとわずか数分で作ったものなのだが、これをどうちゃんとした形に変えていくのか・・・・

これが案外と愉しいんである。

しかし、原石の美しさは残しつつ磨いていかねばならない。磨きすぎても言葉は死んでしまうものだ。

さあ、難しいのだが、それが愉しいのである。

その手直しの結果は後日。

今夜は多忙を極めてしまい、もう2時になろうとしているので、

これで寝ますオヤスミナサイ 

明日は嵐が武雄を襲う予感


忘れてはならないこと

2013年03月11日 23時59分42秒 | 風竿日記

今夜は静かにして

心を落ち着けて、二年前の今日のことを思っていた。

目を閉じると、あの信じられない、生々しい映像が甦ってくる。

日本人ならけして忘れてはならない出来事

そのことを思う、「よすが」にしなくてはならない日である。

拙い私の歌ではあるが、震災で忽然と亡くなってしまった多くの魂に謹んで捧げたい

 

<!-- Close your eyes  The WEST WINDS -->

 

犠牲者のご冥福を祈ります。

                         尾形風竿


ウイスキーハウス郷という酒場論

2013年03月10日 16時32分42秒 | 風竿日記

とうとう、来週一杯で武雄名物の酒場が31年の歴史に幕を降ろしてしまうことになった。

ウイスキーハウス郷の屋号通りに、オープン当初のスナックといわれる酒場はウイスキーのボトルキープが100%であった。

今みたいに、焼酎が幅をきかせている時代ではなかった。

カラオケも8トラックのカセットタイプ

そんな時代に、今のパーソナルホテルYOUの場所にオープンされたのである。

店舗デザイナーに内装を頼まれた店内は、黒と赤で統一された、当時では最先端の洒落た酒場であった。

その店の第一号のキープをさせて頂いたのがこの私め。

お互いに若かったよね。浦郷さん・・・・。

タテヨコナナメと色んな付き合いから、店主の浦郷さんとのご縁は築かれていて、今日まで親しくさせて頂いてきた。

そんな青春の一ページを飾ってくれたお店がなくなってしまうのは、どう考えても寂しいものだ。

そんなことから、音楽仲間が別れを惜しむ企画を自ら進んでやりだしたのが、さよならウイスキーハウス郷ライブ

数日間にわたりライブイベントが目白押しとなった。

J-PARKERS

古新聞

The AppleBeats

北村尚志&西山茂樹

合唱団やまびこ

その都度店は満員御礼となった。

そんな中で、遂に浦郷さんがギターを手にして歌ってみせた。

貴重な写真がここから・・・・。

「浦郷さん葬式の時の写真はバッチリ撮ったバイ・・・・。」

いつもの憎まれ口を叩いただけのことはあるのだと思う。

昭和22年生まれだから今年66歳、見た目も精神的にもまだまだ若いんである。

髪も、ヅラではないのだ。断じてヅラではないんである。本当に・・・。

下の毛も白髪はないんだと自慢するほど・・・・。

そしてこの日、フォークルの「戦争は知らない」を歌ってくれた。

♪ 野に咲く花の名前は知らない、だけども野に咲く花が好き・・・ ♪

という歌の通り、浦郷さんは野に咲く花なんである。

道路拡張による移転での閉店なのだが、近い将来再び、ウイスキーハウス郷が復活してくれることを誰もが願っている。

「お客様に惜しまれてこんな風に店を閉められるなんて、俺はなんて幸せ者なんだろう。」と話すマスターに、

「それは浦郷さんの人徳ですよ・・・。」と心から云った私。

昭和の頑固親父の風格もあるマスターであるが、とても優しく、気遣いの素晴らしい男なのである。

この気遣いと、一年中休みなしで地道にコツコツとやって来られた結果がフィナーレを迎えてよく判る気がする。

酒場とはお客様のためにあるのだから、嵐の夜も雪の降る日も、いつも休まずに、いつもきちんと開けてくれていた。

だからいつ行っても浦郷さんに会えると思ってきただけに、閉めるというのは、どうしても実感が湧かぬのである。

酒場とは色んな顔が要求されるものだが、浦郷さんはそのどの顔にもさりげなく対応されてきた。

嘘をつかず、(あんまし)人の悪口を云わず、普通に接してくれた、今時お手本のような酒場であった。

野に咲く花の所以である。

さよならウイスキーハウス郷

16日はトコトン呑み、歌いますよ。

 


田原坂から、そして柳川さげもん祭りへ

2013年03月09日 02時14分11秒 | 風竿日記

 

しんきんの年金旅行二日目

その前に昨晩のおさらいを・・・・。

今回の旅の収穫はこのサムライ達が、本当にお客様を喜ばせようと、最大限のおもてなしをしてくれたことでしょうか・・・・。

とにかく宴会の間中、食事も摂らずにひたすらお客様にお酒を勧めてお話を聞いて、丁寧に回ってくれたのでした。

それにしても勝ちゃん、チョンマゲが似合うね。

相浦城の喜多氏(うじ)も頑張っておるのでござる。

「徹底的にお客様を楽しませよ・・・。一切、手を抜くな。」との誰かの秘密指令もあり、七人のサムライは笑顔で頑張りました。

 

宴会が終わり最後のお客様を部屋にご案内して、やっと夕餉を囲んだのでありました。

お得意様から部屋呑みのお誘いがあり、慌ててまた全員集合

その宴がやっと終った後に、完全に解放された私達は、遅い入浴を済ませると、ホテルの外へ。ラーメン屋さんで二次会とミニ反省会。

実は七人のサムライと本音の話がしたくて、この旅行についてきたと云っても過言ではないくらいに、この瞬間をとても大切に考えていた私なのであります。

それは実に愉しい時間でもありました。

 

いつも本気で本音の話を心がけている佐世保ブロックなのですが、仕事を離れての仕事談義は、また違った新鮮さがありました。

佐世保のスタッフをもっと元気にしたいという思いから・・・のこと。 

このことも今回の大きな収穫であったように思います。

 

 

天草五橋からの眺めは、まるで一幅の絵のように美しいものでした。

 

あそこの磯は何が釣れるだろうかと・・・つい釣師の本能が頭をもたげてきました。

 

 

しんきん万年青会の旅行、二日目は天草五橋を渡って、植木町に行き、明治時代の官軍と西郷さんの薩軍が激闘した古戦場、田原坂記念館を訪ねました。

♪ 雨は降る降る、人馬は濡れる  越すに越されぬ田原坂 ♪

歌に唄われたこの地で、たった150年ほど前に、近代日本の産みの苦しみがあったのでした。

こいが薩摩の大砲でごわす・・・・。

じゃっどん、当時は佐賀藩の大砲の方が優れとったとでごわんぞ。

一通り日本史の勉強をばしたら、ソロソロ腹が空きもしたぁ・・・・。

昼食は菊水の里で、せいろ蒸し御膳を頂きました。

昼食としてはまずまず・・・・。

量はいいから、気の利いたものを少しづつ食べたい・・・がご年配の心理だと思うので、今回のツアーの食事には注文をつけたいことが山ほどありました。

しだれ梅も盛りを過ぎてはおりましたが、まだ咲き誇っていました。

そんな中での楽しい昼食

95人が一堂に食事するのも大変なことなのです。

ここでもひぜしんの七人のサムライは、かいがいしくお給仕に勤めております。

メニューはこんなんでございます。

その後、一時間ほど走って最後の立ち寄り地である柳川に

まずは定番の川下りへご案内しました。

船からのアングルは、結構臨場感に溢れておりますね。

この日もPM2.5の所為なのか、靄っておりました。

私達の船頭さんは、 ♪ 今年80のおじいさん ♪

軽妙な観光ガイドと歌のサービス付きです。

柳川弁は、川風と共にとても心地よい響き

方言が一番ヨカばんたぁ・・・・。

ここは柳川藩主立花邸への水門の入り口

一つの運河状態に掘割が設計されているとのこと・・・・。

土木工学の無かった時代に治水の技術は超一流だったとか・・・・。

白秋が愛でし白壁掘割りの 町にさげもんの花はにほへり

                                 風竿

普通の民家のさげもん祭りが公開されておりました。

柳川地方はひな祭りに、布で作ったお飾りをそこかしこにぶら下げる慣わしだそうです。

これを「さげもん祭り」としてひな祭りの期間中、街中の至る所で飾られております。

誰かが間違って「さげまん祭り」と言っておりました・・・・そんな・・・・。

色とりどりのさげもん・・・・

それが、中々可愛いのであります。

そして、春の陽気と見事にマッチしていますね。

♪ 灯りを点けましょボンボリに、お花を活けましょ桃の花 ♪

いい風情を味わいました。

佐世保も「海軍祭り」みたいな企画をやれば・・・と思います。

柳川を散策して、帰途につきましたが、佐世保に帰り着いたのは夜7時となってしまいました。

ということで、事故もなく無事に帰り着いたことで、二日間の旅の全日程は恙無く終了しました。

「また来年一緒に行きましょうね・・・。それまで元気にしとかんばですよ・・・。」

それぞれのお客様と、笑顔で固い握手をして名残を惜しみました。

「こんなに楽しい旅行は初めてやった。来年も必ず来るけんね・・・。」

お客様の笑顔がこの旅行の小さな成果を物語っていました。

この小さな幸せが、私達の最大の喜びとなった今年の年金旅行でありました。

ご参加頂いたお客様に、心よりお礼を申し上げます。

 


抱腹絶倒・・・万年青会の天草旅行記

2013年03月07日 23時37分30秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

5日、6日と一泊二日で天草・熊本・柳川の旅を満喫してきました。

といっても、わが「ひぜしん」で年金受給口座を開設されているお客様の年金友の会である万年青(おもと)会の皆様のお供役。

揃いのハッピに身を包み、目配り、気配り、心配りの二日間

「お客様の小さな喜びが私達の大きな喜びです」のキャッチフレーズ通りに、ちゃんとやれているか

私達も試されているのであります。

佐世保を7時半に出発して大村経由で島原半島を南下、口之津からフェリーで天草に渡りました。

出発はご年配のお方故に、早くお見えになられる方もいらっしゃるということで、私は夜明けと共にベッドを飛び起きて、6時半には既に佐世保営業部に待機しておりました。

天気は上々、旅はまず天気なんであります。

大型バス三台に便乗して、いざ出発進行

Facebookで妙に受けた写真・・・徐行の文字が面白いとか・・・・。

口之津から鬼池港までは約30分で着いてしまいます。

意外と近いのですね。

イケメンの元祖、天草四郎時貞さんの銅像

3万7千人もの農民が起こした、島原の乱という一揆の総大将といいますが、僅か16歳なのですから、まあ一つの錦の御旗のようなものだったのでしょうね。

キリシタン弾圧が一揆の主な原因のように思われているけれど、原因は過酷な年貢の取立てにあったのでした。酷い領主が居たもんです。検地の倍の年貢米を取り立てたのだと・・・・。

現政権のなりふり構わぬ景気刺激策も、近くに迫っている消費増税のための目くらましに過ぎないという説もありますが、

いつの世も、一般庶民はお上から吸い取られるだけのようであります。

帰りには1万人以上が死んだ田原坂にも立ち寄ったので、島原・天草の乱と合わせると、なんと5万人近くがこの内乱で死んだことになります。

同じ日本人同士が組織的にいがみ合い殺しあうのですから、今では考えられませんが、国家とはリーダー次第では、戦争にも狩りだされることになる。

右傾化が揶揄されている我が国ですが、戦争だけは絶対反対であります。

それにしても、何ともまあ、人の歴史とは争いの連続であるのが、哀しい

そんな哀しい歴史をすべて見知っている筈の天草の島々は、黙って波間に佇んでおりました。

今回は佐世保地区のお客様95名での旅行となりましたが、皆さんお元気そのもの・・・・・。

団体行動も見事、人に迷惑をかけないというのが昭和一桁生まれの鉄則だとのことで、日程行程は比較的スムーズに運んだのも有難いことだった。

ただし、バスに非常用の昇降用ステップ台が無かったり、一日目の昼食のご飯が冷たく固かったりと反省点もありました。

これは次回へ繋がる改善点としっかり記録に留めました。

お客様からのアンケートも実施して、もっと小さな喜びを積み重ねていかねばなりません。

見てください・・・・・天草の海の色は、すっかり春の色

パステルブルーとでも形容したいような海

私の最大の協力者永田部長さんも大活躍でありました。

何でも判りあえた長年のお得意様とのツーショット

舞台に勢揃いした佐世保ブロック7人のサムライ達

一所懸命にお世話をしてくれておりました。

「バカ殿みたい」という声も・・・・・失礼な、レッキとした一国一城の主であります。

人の良さは地銀にも都銀にもけして負けません。

さて、二日目は熊本に入り、最後は柳川の「さげもん祭り」を散策

その模様はまた明日のココロ

 


ひぜしん万年青会旅行

2013年03月06日 08時17分46秒 | 風竿日記

佐世保から大村経由で島原半島の口之津から鬼池港にフェリーで渡り、

天草は松島温泉の岬亭というホテルに泊まりました。

総勢95人のしんきん年金旅行のお世話で来ています。

とてもい天気、

今日も良い旅行になりそう。

「お客様の小さな喜びが私達の大きな喜び」を実践するいい機会。

いつもしんきんマンとして試されています。

ジャッジメントは年金旅行に参加頂いているお客様。

今日も頑張ってお世話します〓


わが愛犬の記

2013年03月04日 23時09分59秒 | 風竿日記

我が家には座敷犬がいる。

そう、昔日本では家屋の中で飼う犬を座敷犬と称したんである。

彼の名前はLEON

ミニチュアダックスフンドの血統書付きの由緒正しきお方

我が家に来た時はこんな感じであった。

        

その彼も今や11歳、人間で云えば丁度私と同じくらいなんであろうか。

心臓疾患と椎間板ヘルニアの持病持ちなのだ。

月々の病院代もバカにならないのだが、

困るのが、仕事での泊まり。

例えばである。明日から佐世保地区の年金受給者を対象とした万年青会(おもとかい)の一泊旅行で天草方面へ

出発が朝の7時半と早いことから、今日からペットホテルへ預けなくてはならない。

帰りは6日の7時だということで、動物病院は閉まっていることから、迎えは何と7日の夕方ということに・・・・。

たった一泊二日の旅行なのに、彼は三泊四日のホテル住まいなのだ。

仕事だから仕方がなく送って行き、スタッフの方に手渡す時、一体どこから声を出しているのだろうかと思うくらいに哀しい声をあげた。

何ともいえない気分で、後を振り返らず、逃げるように動物病院を出た私なんである。

         

可哀想に・・・・・

三日間も独りぼっちなのか・・・・。

淋しがるだろな・・・。

そう思うと、自責の念に駆られてしまう。

そして帰り道は愛犬のことで頭が一杯になってしまった。

そのうちに、ハタと気がついた。

なんのかんのと云っているが・・・・・。

淋しがっているのは、なんのことはない、私だったのだ。

 

天草でレオンが喜ぶお土産があるだろうか・・・・。