風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

春よ来い・・・・雫ほどの涙

2010年01月21日 23時59分12秒 | 風竿の悪友烈伝

昨日今日と春のような暖かさ、これから三寒四温の日々となっていくのだろうか・・・・。

自然界もじっと春の訪れを待っている。

あと3ヶ月もすれば、友人がとても好きだった「タラの芽」が芽吹くのである。

テンプラにすると春の息吹が体の中に吸い込まれるほどに旨い

昨年の旬の頃、友人に食べさせた折に、

「来年も食べられるやろうか・・・・。」

と小さく呟いた彼に、

僕はわざと聞こえないフリをしたんであった。

その彼は本当に今年の「タラの芽」を食べることは出来なかったのである。

彼の、いかにも旨そうな顔を見れないのは、バットで顔を殴られたような痛恨の極みなのであるが、それでも春はちゃんと巡ってくるのだ。

そして、彼と毎週のようにラウンドしたゴルフも、何とは無しに、あまりやる気がしないまま、実はこの私も、じっと春を待っているのである。

春よ来い


Close to You

2010年01月20日 23時59分22秒 | 風竿日記

ピアノを弾き始めて1年半が経ちました。

一杯大好きな曲をおじさん流アレンジメントで一人こっそりと愉しんでいます。

好きな曲を自由に唄うのはとても楽しい。

何回唄っても心に響いてくる曲はやはり名曲なのでしょうね。

そんな曲が・・・・

<!-- Fried Pride ~Close To You~ -->

この Fried Pride 男女二人のスーパーユニット

ヴォーカルのSHINOも素晴らしいが、ギターの横田さんもかっこいいフレージングなのであります。

せっかくなのでもう一曲、かなりブルージーなる楽曲ざんす

<!-- Fried Pride -->
 


武雄市のシンボル・マウンテン「御船山百景」

2010年01月19日 23時59分53秒 | 風竿日記

朝な夕なに仰ぎ見る御船山207mは市内の何所からでも見渡すことが出来る文字通りシンボルの山である。

そのせいか武雄の人々は武雄に帰ってくるなり、御船山が見えたら「ホッとするバイ」と仰る人が殆どなんである。

御船とは神功皇后が巡幸の折、この山に船を繋がれたとか、この山自体が船の形をしているからとか諸説がある。

後者の方が現実味があるのだが、神国日本としては前者の説もロマンがあっていいではないか・・・。

それにしてもこの山は多面的な顔をお持ちである。

たおやかで女性的な側面もあれば、男性的な荒々しい断崖絶壁もある。

ここの麓には武雄の氏神様である武雄宮もある。武雄高校や慧洲園、御船山楽園、友人のラーメン店来久軒などがある。

要するに武雄の町全体が山懐のようなものなのだ。

 

そして武雄温泉駅からびっくりするほど近いのである。

 

この山は大化の改新も、元寇も、秀吉の朝鮮侵略も、坂本龍馬も明治維新も、太平洋戦争も、そしてかっての蓬来町の賑わいも、市民病院問題も、黙って見てきたんだろうなぁ・・・・・。 

今夜も御船山の上空に新月が昇った。太古から繰り返されてきた営みが何事もなかったかのように、時の赴くまま巡っている。

私達のちっぽけでささやかな人生など、星のまばたきのヒトコマだといわんばかりに、御船山は今日も実にどっしりと武雄市民のくらしを見守っているのである。

今度一人で登ってみようと思う。


鴨の棲む池 (政党政治と地方選挙)

2010年01月18日 22時16分58秒 | 風竿日記

日本中のメディアが小沢一郎の資金管理団体陸山会の政治資金報告問題で検察と全面対決などと連日過剰報道の日々、野党は色めき立ち、政権奪回の好機とばかりに吠えまくっている。

どうも佐藤優・鈴木宗男ではないが、国策捜査の匂いがプンプンしているように思えてならない。

「国家の陰謀・・・外務省のラスプーチンといわれて」佐藤優著を読んでみると、時代の変革期には強引なでっち上げで、しかもメディアには国家権力がリークの大サービス付きで、捜査状況をそれとなく公表して、世論までも操作して味方につけ、一部の高級官僚の都合の良いように国の方向性をコントロールするというのである。

その事実が560日にも及ぶ拘留記の中に、ありのままに赤裸々に書かれているのである。

民主党が取り調べの完全録画記録化を推進していることへの鞘当なのか、官僚主導から政治主導への転換に対する反動なのか、今度の一連の小沢周辺の容疑者逮捕は異例の検察側の行動に驚かされるものだ。

私たちはメディア報道に躍らされることなく、冷静に事態の成り行きと真実を見極めなくてはならないと思う。

 

日本の政党政治は激しい中傷合戦の連鎖であり、時には子供じみた喧嘩の様相を呈する。

どうしてたまには相手の政党のいいところを誉めようとしないのだろうか・・・・。日曜討論もサンデープロジェクトも露骨な相手政党の中傷合戦に終始している。日本は儒教思想の国、相手のことを慮る素養が政治家にもあって良い筈だ。

真の政策論争とはちょっと違うバイって思っているのは私だけだろうか・・・。

田中正造のような死んだ時にはズタ袋の中に聖書と石ころしか入ってなかったという、まったく私利私欲のない、優しい政治家が居てもいいと思う。

そしてまた統一地方選挙が近づいてきた。小さな町で仕事をしている私は、どちらも知っている。懇意にさせて貰っている。

町中がこんな人ばかりで溢れているのだろう。

武雄市長のブログのコメントに、私設応援団さんが投稿しておられたのだが、「互いの陣営にエールを贈るくらいに清々しい選挙を堂々と戦って貰いたい。町を二分するような政争はもう二度と嫌です・・・。」と書いてあった。そう、その通りなんである。

選挙は民主主義国家だから我々の声の代弁者・代表者を選択する、当然の社会的ルールであり、それはそれで大いに結構なのであるが、地方都市の選挙とは、後にしこりを残すことも多く、泥仕合だけはして貰いたくはないものである。

それでなくても、タダでさえマンパワーが少ない地方都市にあって、町を二分することにより、貴重なマンパワーも分断されるようなことがあってはならない。

それは武雄市の発展を阻害し、実に人材の浪費をするものでしかない。

選挙が終わったらスカーッとラグビーと同じでノーサイドとなれば良い。

勝った方は相手の陣営の検討を称え、今後の協力をお願いにと挨拶に行くくらいに謙虚になればいい。

負けた方も、自分の力及ばずをあっさり認めて勝者の手を上げてやる位の潔いパフォーマンスがあってもいい。

もう役場派も温泉派もない。市長派も反市長派もない。ひいては与党も野党もない。しかし皆が真剣に未来のことを、武雄百年の計を考えている。

そんな武雄になってもらいたい。

再び手を携えて、武雄の発展のために一丸となって頑張る町に今こそしなくてはならないと思うのは、私だけではなかろう。少なくとも4年前の正月、石井先生は私にそう仰いました。「武雄ば一つにせんばいかん・・・。」と

武雄カントリークラブの小さな池に寄り添って暮らす7羽の鴨達ですら、厳しい雪の中を、寒風吹きすさぶ夜をも、仲良く助け合って暮らしているのだから。


山茶花に捧ぐ

2010年01月17日 23時59分39秒 | 花の日記帳

今夜は久々の花の日記帳、テーマは冬の花、山茶花です。

先日武雄カントリークラブで写真を撮ってまいりました。

かって一期一会で知られる千利休が、侘び茶の集大成として、ギリギリの状態まで茶道を絞り込んだ究極の茶の湯の世界。

そこには、究極のもてなしの心とシンプルな形式美の世界が表現してあったという。

「花をのみ まつらん人に やまざとの ゆきまの草の 春をみせばや」

新古今和歌集の歌人藤原なんとかの、この句を茶道の心髄とした千利休、秀吉の逆鱗に触れて切腹をさせられてしまいました。

冬の茶室の床の間には一輪挿しが掛けられ、そこには千利休が好きだったとされる山茶花の花が一輪よく活けられていた。

花に乏しい真冬にあって、古くから日本人の心を慰めてきた山茶花はツバキ科ツバキ属の花で、日本が原産国。

寒椿と見分けがつきにくいのですが、葉っぱがギザギザしているのが山茶花で、花びらが一片ずつ散るのも特徴です。

可愛いこの薄ピンクの山茶花が私はすきなのですが、真っ赤な山茶花も中々捨てがたいものですね。

こんな山茶花も咲いていましたよ。

花にすっかり心を癒される、おじさんのリポートでした。


いつか見た夕陽

2010年01月16日 23時59分59秒 | 風竿日記

たどたどしい記憶の中で、いつか見た夕陽がある。

小学校低学年の頃の話、小1の三月に母親をガンで亡くした私は、家に帰ったとて待っている人もなく、近所の悪がき仲間と陽が落ちるまで遊んでいた。

缶けり、ビー玉、ぺチャ、喧嘩独楽、動物合せ、コッキン、チャンバラごっこ、三角ベースボール、小川の小魚採り、まるで遊びには事欠かなかったものである。

    やがて・・・・暮れなずむ頃・・・・。

「遅くまで何ばしょっとね。宿題もせんで、もう晩御飯よ。はよう帰って来んねぇ!」

仲間たちは迎えに来た割烹着を着た母親に急かされて、一人、また一人と家路につくこととなり、最後は決まって私一人ぽつんと取り残されるのが常であった。

友達の母親の怒鳴り声が・・・・妙に羨ましかった。

近所の県営アパートの公園が私の遊び場であったが、そこのブランコを大車輪でもするかのように、キーコ、キーコと大きく漕いで淋しさを紛らわしたものだ。

遠くの山々が薄紅色に染まっていく、ブランコの上からその時に見た夕陽が、私の壊れかけた記憶回路の中に辛うじて残されていて、今でも夕陽を見ると、何故かしら今でも胸が締め付けられるのである。

幼い頃の夕陽の残像と、ただ、どうしようもなく寂しかった記憶

 

近所から漂ってくる夕餉の匂いと卓袱台(ちゃぶだい)、母親の白いエプロン姿が薄暗い電灯の中で見え隠れするのが、理屈ぬきでまばゆかったのであった。

そんな幼い記憶の断片に随分と立ち止まったりもしたものであるが、ゆっくりと年老いている初老の今では、歳月という便利な妙薬が、一編の詩のようにロマンチックな夕陽にさせてくれるようにもなってきたのが、一種の救いであろうか・・・・。

 

夕焼け小焼けで日が暮れて・・・カラスが鳴くから、かーえろう


通勤の帰り道にて

2010年01月15日 23時59分26秒 | 風竿日記

家から信用金庫まで車で約10分の行程、昨年の今頃までは、ただ退屈な車中でありました。

ただし、今は何気ない風景から「何か宝物はないか」と心のアンテナをピーンと張り詰めていまして、人間心の持ちようでこうも変わるものかと、改めて自分を客観的に見て驚いています。

つまりは・・・そう、ブログネタを探しているんであります。

従って余裕のない朝の出勤よりも、自ずと帰宅途中のシャッターチャンスが多くなってしまいます。

ちょっと気恥ずかしいのですが、ブログ仲間から「夕暮れの写真家」と言われる所以がここにあります。

夕暮れは当然光が不足する分、微妙なグラデーションの風景が多くあって、中々奥の深い世界が潜んでいるようです。

表紙の写真は今日の帰宅途中、しぐれた冬空が西の方角に限って少し明るさが残っていて、えも云われぬ空間を醸し出しておりました。

慌てて沿道に車を止めてデジカメを取り出したのでした。午後6時をちょっと回った頃ですから、段々と日が長くなってまいりましたね。西の空が明るいということは・・・。

多分明日は良い天気になるのでしょう。

寒い日々が続いていたので、いい天気は嬉しいですね。

 

どこかの市長さんのように一眼レフで撮影できたら表現の幅も少しは広がるのかも知れませんが、昭和石器時代生まれの私としては、今更操作を覚えられる訳もなく、バカチョンデジカメでアングルの妙とロケーションで攻めるしかないんであります。

そんな帰宅途中の道すがらで、時々自分の未熟な計らいを超えた写真が撮れることが、ごくごく稀にあります。

それがこの写真・・・・。帰宅途中、橘町にて19時半頃撮影

どうしても手ぶれがあるので、何枚も何枚も取り直しての一枚

写真家からみれば屑みたいなものなのでしょうが、僕にとっては貴重な人生の記録なのでありますよ。

 

この写真も帰宅途中に撮ったもの・・・・。自然とは最高のキャンバスのようなものだと思いました。

そして最後は初夏の御船山、帰宅途中、午後6時半のスナップ

バカチョンデジカメでも結構楽しいものでしょう。こんなくたびれたおじさんでもやれる写真日記ブログ。

面白いものですよ。そして身の回りの何事もない世界にちっちゃな幸せが無造作に転がっていることに気づかされます。

どうか写真ブログの愛好家が増えることを願っています。


寒い夜に聴く歌

2010年01月14日 22時38分37秒 | 風竿の音楽夜話

今日もとびきりの寒さでしたね。

こんな日は暖房の効いた家で、じっとグラスを傾けながら、好きな音楽に浸ることに限りますね。

ということで、僕の好きなアーチストから今夜はマイケル・フランクスをご紹介したいと思います。

彼はアメリカのミュージシャンで今年65歳になりますが、とても都会的でジャージーで、それで知的なところがいいですね。

囁くような、実に頼りなさそうな音程がなんとなく好き。

その中でもここ30年来のマイ・フェバリット・ソングがこれです。

「アントニオに捧げる歌」

アントニオとはあのブラジルでボサノバの帝王と呼ばれた「アントニオ・カルロス・ジョビン」のことなのですが、その帝王に捧げるだけあってとってもいい曲ですね。

日本でもわりと知られた曲、僕も呑み屋さんで時々カラオケで唄いますよ。

<!-- Michael Franks - ANTONIO'S SONG -->

武雄のアルプス、御船山も凍りついた寒い一日・・・・。

気の利いた音楽でもう一回暖まりたい・・・。

何かおもしろい演奏がないかなぁと探していたYoutubeで偶然見つけたパフォーマンス

何と福岡市は長浜のクラブレストラン「グレース・ベル」でのライブ・・・・中々いい感じなのです。お店も歌も・・・・・

 <!-- Antonio's Song(英一郎 at Grace Belle 2008/11/28) -->

こんなミニライブみたいな雰囲気、とってもいいですよね。

僕も月に一度Dear Johnで定期ライブをやろうかなぁ・・・・。


寒ぅっ・・・山から小僧が降りてきた

2010年01月13日 23時51分24秒 | 風竿日記

今朝は久しぶりの大雪でしたね。

「大寒、小寒、山から小僧がおりてきた」 って童謡にありましたっけ・・・。

一面の銀世界、どおりで昨夜は寒かった筈です。寒がりの私はエアコンつけっ放しで朝までベッドの中なのでした。

そして目が覚めたらMy empty gardenに雪の華が咲いていましたよ。思わず寒さを忘れて見とれました。

一夜にして白無垢な世界が広がっているなんて、まるでオズの魔法使いがこっそりと夜に訪れたような気分・・・。

めったに撮れない雪景色、降りしきる雪の中、夢中になってデジカメを握り締めました。出勤前だというのに・・・・。

「姫シャラの木」もおめかしをしました。うーん美人です。

我が家のシンボル・ツリー「ブルー・アイス」もクリスマス・ツリーみたいにお化粧

玄関前のレンガ塀もほらこの通り・・・・。まるでフィンランドみたい。

スノー・ホワイトの木も文字通りに・・・・・

さて、下の写真は昨年の5月、この木が満開になった時のものです。フフフ、本当に名前の通りの木でしょう・・・・。

五月晴れの中に雪が積もっています。

 

現実は大寒の季節、雪景色をしばし楽しみながら、幼い頃の悪戯小僧に戻ろうかなぁ・・・と思いつつ、仕事へ、車のエンジンを回しました。

雪合戦やりたいなぁ・・・って後ろ髪を引かれつつ、辛うじて大人に戻りました。

「雪の成分」にはどうしても子供の頃の元気な思い出が含まれているようですね。

はるかに遠い、昔の思い出ではありますけれど・・・・。

 


わが心のスティービーワンダー

2010年01月12日 23時59分26秒 | 風竿の音楽夜話

今夜はまたまた、音楽夜話でございます。

私の大好きなアーチスト・シリーズでまだご紹介していない人

その人は、「強烈なる才能」スティービー・ワンダーです。

  

まずは初期の作品から大好きな曲・・・ボサノバ・アレンジを

今日からブログを始められたお方にお祝いの気持ちを込めてこの曲をプレゼントしますね。

 you are the sunshine of my life

彼は目が見えないのですが辻井伸行さんと同じように、心でキーボードを弾いています。

人間は五感の何かを失うことにより、新しい何か(感性)を与えられるもののようです。そうとしか思えない人が僕の周りにも一杯おられるのですから、ほぼ間違いはないようです。

例えば耳が聞こえない人は、相手と心でコンタクトを取られるようになられますし、その分感性がとても研ぎ澄まれてこられます。とても素敵なお写真を撮られる方を僕は知っています。

          

さて、スティービー・ワンダーなんて素敵な才能なのでしょう。

 そして僕が彼のたくさんの名曲の中で一番好きな曲はこの曲

<!-- Stevie Wonder - My Cherie Amour (Live At Last 2008 London) -->

たとえ目が見えずともこんな素晴らしい歌を作曲して自ら演奏して、類まれなヴォーカルで人々を幸せにすることが出来る。

五体満足な私は一体何をやっているんだ・・・・って、いつも思わされる。

ピアノだって弾けない筈はない・・・と始めたのですが、中々これが難しいのであります。

凡人と天才とを一緒にしてはいけないのでしょうか・・・。