たどたどしい記憶の中で、いつか見た夕陽がある。
小学校低学年の頃の話、小1の三月に母親をガンで亡くした私は、家に帰ったとて待っている人もなく、近所の悪がき仲間と陽が落ちるまで遊んでいた。
缶けり、ビー玉、ぺチャ、喧嘩独楽、動物合せ、コッキン、チャンバラごっこ、三角ベースボール、小川の小魚採り、まるで遊びには事欠かなかったものである。
やがて・・・・暮れなずむ頃・・・・。
「遅くまで何ばしょっとね。宿題もせんで、もう晩御飯よ。はよう帰って来んねぇ!」
仲間たちは迎えに来た割烹着を着た母親に急かされて、一人、また一人と家路につくこととなり、最後は決まって私一人ぽつんと取り残されるのが常であった。
友達の母親の怒鳴り声が・・・・妙に羨ましかった。
近所の県営アパートの公園が私の遊び場であったが、そこのブランコを大車輪でもするかのように、キーコ、キーコと大きく漕いで淋しさを紛らわしたものだ。
遠くの山々が薄紅色に染まっていく、ブランコの上からその時に見た夕陽が、私の壊れかけた記憶回路の中に辛うじて残されていて、今でも夕陽を見ると、何故かしら今でも胸が締め付けられるのである。
幼い頃の夕陽の残像と、ただ、どうしようもなく寂しかった記憶
近所から漂ってくる夕餉の匂いと卓袱台(ちゃぶだい)、母親の白いエプロン姿が薄暗い電灯の中で見え隠れするのが、理屈ぬきでまばゆかったのであった。
そんな幼い記憶の断片に随分と立ち止まったりもしたものであるが、ゆっくりと年老いている初老の今では、歳月という便利な妙薬が、一編の詩のようにロマンチックな夕陽にさせてくれるようにもなってきたのが、一種の救いであろうか・・・・。
夕焼け小焼けで日が暮れて・・・カラスが鳴くから、かーえろう