道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

山鹿素行の墓(宗参寺)

2014年07月23日 | 衒学道楽
最近よく足を運ぶ新宿区弁天町が、宗参寺にある弁天堂が起源であることを知りました。
そして宗参寺のことを調べていましたら、そこに山鹿素行の墓があることを知りました。

山鹿素行は,陸奥国出身で,江戸で林羅山のもとで朱子学を学んだものの,後に朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行い、後に吉良邸に討ち入りをすることになる国家老大石良雄もその門弟の一人となったそうです。その後,山鹿素行は許されて江戸へ戻ったそうですが、その考えは後代の吉田松陰などに影響を与えているといわれています(以上wikiによる)。

山鹿素行は赤穂事件のお陰で有名になっているところもあります。
しかし、その思想は、日本を「中朝」と呼び、中華ならぬ中朝を世界の中心と考えるかのような特異な思想であり(要するに強烈な中華コンプレックスへの裏返し。)、この思想こそが幕末の攘夷の思想につながり、さらには明治以降に自国を特別な存在としてアジア近隣諸国に侵略を繰り返す精神的支柱となってくるもので、とても手放しで肯定することはできません。

それはともかくとして、今までにも京都に住んでおりました時は、嵐山の二尊院にある伊藤仁斎・東涯親子の墓を見に行ったこともありますし、いろいろ日本の思想家の墓を訪ねて回りたくなりました。