
昨日の日経夕刊の「こころの玉手箱」。
角田光代のエッセイは「愛猫」というタイトルでした。
自分は犬も猫も飼ったことがないので、ずっと縁がないものだと思っていた。
ひょんなことから三年前に猫を飼うことになって
その可愛さ、愛しさに毎日驚いている。
”縁や運命というものを私はなんとなく信じている。
人が人と出会うのは、ただの偶然ではなく決まっていることだと思っている。
縁のない人はすれ違うようにわかれ、縁のある人は不思議といつまでも身近にいる。
猫がやってきてからは、人と人ばかりではなく、人と動物にも
そうしたものがあるかもしれないと思うようになった。
猫がやってきて我が家になじみ、今ではぜったいに欠かせない存在となっている、
この一連のできごとがあまりにも自然すぎて、もうずっと前から決まっていたように思うのである。”
そうなのですよね…
タロウは6年前に我が家にやってきた。
それがタロウでなくても
例えば茶色の毛の賢いジロウであっても
或いは白い毛のおとなしいシロであっても
私は同じように可愛がったでしょう。
でも、我が家にタロウがいる今となっては
黒い毛の、興奮しやすい、すぐにウレションをする、おバカで可愛いタロウしか
私には考えられないのです。
それは偶然であったかもしれないけれど、今となっては必然としか思えないのです。
”猫がいなくなったらどうしようと、ぼうっと考えることがある。
猫の寿命は人間よりも短い。
猫がいなくなったら、私と夫はどうなってしまうんだろう。
あまりにもこわすぎて、つい考えてしまうのである。
そして、気づくと泣いている。
馬鹿だなあと思いながら、泣いている。
何かを愛するということにはつねにかなしみが含まれていると、私は猫に教わった。”
それこそが必然。
どうにも避けることはできない。
誰にも、どうしても…
この写真はこちらで作りました。
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