LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

綾さんの手記

2008年02月20日 | Weblog
☆いつも「つなぐ会」に参加してくださるトランスジェンダーの綾さんからすばらしい手記をいただきました。お正月の出来事、そしてバレンタインデーにちなんで語る綾さんにとっての愛とは・・です。綾さんは大阪のNPOプラザでカフェを出したり、市民ライター通信にも原稿を書いたりと、とても意欲的に活動しておられます。自分らしく生きようといつも前向きな綾さん、そして綾さんを囲む人たちも同様にすてきだなと思いました。彩さんのブログのアドレスは http://blog.zaq.ne.jp/ayay/ です。

 


● 私は家族と別れ、今は一人暮らしをしています。ですので、お正月は一人で迎えました。大みそかには年越しそばを食べて、元旦には準備したおせちを食べました。ここ数年は正月であっても、正月を祝うような生活をしていませんでしたので、嬉しくなりました。
「毎日は、ただ一日の繰り返し」そう思ってこれまで日々を送っていましたが、今の私には、宇宙のリズム 大地のリズム、生き物のリズムが分かるような気がしています。自分が見ていること、それは自分そのモノなのです。自分がつまらないと思っていると、感動は薄くなり、自分が楽しいと思っていると、素敵なことが起こります。心の持ち方次第で、自分自身が変わります。そして、私はこのことに気づかされて、毎日何かに感動して生きることができるようになっています。
 
 年末、着付けの先生二人と黒門市場に買い物に行きました。その日、「今日はこのスカート、上はこれでいいかな」と迷い思わぬ時間をかけてしまい、出かける時間になって化粧する時間がなくなってしまいました。仕方なく下地だけして、待ち合わせの時間に間に合わせました。
先生 「どうしたの、今日はすっぴん?」
私  「服を選んでいたら、時間がなくなってしまって」
先生 「女子は時間に余裕をもたせるのよ」
私  「まだまだですね」
 以前は出かけるのに数分あればよかったけど、今は一時間必要と思いながら、車の中で化粧している時、自分が嬉しくなり、コンパクトを見ながら笑みを浮かべました。
 
 黒門市場では、見られている視線を感じましたが、私自身がそのことに気にしなくなったことに気づきました。男とか女に囚われない私がいました。そのことで、より楽しい時間となりました。
 
元旦に一人で過ごしていると、先生からメールで、実家にいるので遊びにこないかと誘いがありました。私は、元旦はまずいだろうと思い、断りの電話をいれました。
 先生 「遊びにおいでよ」
 私  「今日は元旦なのでいいわ」
 先生 「家族の人しかいないから、気を使わないで」
 そんなことで、着物に着替えて、お化粧をして、先生の実家におじゃましました。お酒と美味しい料理をいただき、楽しい正月になりました。
 人は外も内も綺麗になれば、周りがゆっくりと見え始め、そして自分自身もゆっくりと見え始めるのではと、感じている今日この頃です。


 

●2月14日はバレンタインデーでした。女性が男性に愛の告白をしていい日だそうですが、男性はいつでも愛の告白ができるということになります。私もかつては、男として女性を好きになり、思うままに愛の告白し、女性を自分の所有物のように思っていました。男としてそうしなければいけないと、信じこんでいたのです。

 本当に心から愛を感じ告白していたのか、今振り返れば疑問を感じます。今まで誰かを本当に愛したことがあるのかさえ、わかりません。私は人を愛することができないのではないか、不安に思ったこともありました。
一方、親や兄弟も、愛さなければいけないと思い込んでいます。そんな私が、愛について何か書けるのか自信がありません。この先、愛をわかるようになるか、このままわらないままなのかも、私にはわかりません。でも、今はわからなくていいのです。わかるために思い迷ってみたいのです。

 そこで私の愛の現状を書いてみたいと思います。私は女装して、女として生きて行きたいと思っています。そう言うと、多くの人は私の愛の対象は、当然男だろうと考えます。そんなに簡単なものなのでしょうか。そのように考えることは、多数の論理ではないでしょうか。
同姓愛者の数は、全人口の3%~10%と言われています。この数字を「問題ないんじゃないですか」とか「私には関係ない」と受け止めるのではなく、一人ひとりが「自分は本当に愛について感じ、考えているのか」を見直す機会だと思うのです。私は同姓愛がいいとか、薦めているのではなく、人間愛とは何なのかを考えることが重要だと思っています。

 私は今一人暮らしをしていますので、生活は気ままで、精神面も楽です。しかし、一人でいることの味気なさ、辛さ、寂しさが入り混じって襲いかかって来ます。そして、この表現しようのない感覚があるからこそ、自分が人を愛することを真剣に考えました。自分を抑制したり委ねたりするのではなく、自分が自立した精神を持ち人に接していくことで、同じ感覚を理解し合い共有できることが、愛と思えるようになりました。
 今私は、性別に関係なく人と会話し、自分なりの愛を感じています。できればその感覚を共有できる人がいれば、もっと幸せだと思います。ただ、愛についてまだわからないこともあり、苦しんでいる状態は続いてはいます。

 こんなに穏やかに自分のことを語ることができることは、不思議な感じさえしています。過去の私は、ゲイ、レズビアン、女装者、無関心、拒否、人権について悶々と悩んでいました。しかし私は、自分らしく生きたいと思い、そしてそのため女装することを選びました。世間から、蔑視され、病人・バカと扱われる道を選んだことになります。でも後悔していません、新たな発見と喜びがあり、自分が生きていると実感していますので、自分がトランスジェンダー(身体の性と心の性が違うと感じている人)であることに喜びを感じています。
 

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