LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

【出櫃(カミングアウト) 中国 LGBTの叫び】/房満満監督 ~東京ドキュメンタリー映画祭2019短編部門グランプリ受賞作品~ を観て

2021年02月14日 | Weblog

セクシュアルマイノリティの子どもから親へのカミングアウト、これはどの国においても悩ましい。受け取る親にとっては受け入れ難い事実だろうし、告白する当人には勇気のいる行為だろう。それが中国ではどうなのか、二組の親子のカミングアウトを通して中国のセクシャルマイノリティの現状、親子関係を描きだした映画であった。

私自身、日本においてセクシャルマイノリティの支援に関わっているので、この映画に出てくるゲイの青年「谷超」もレズビアンの「安安」も、日本で出会ってきた誰かが思い出されて身につまされる。子どもたちはありのままの自分を理解してほしい、それだけ。だが、親には同性愛の知識がないゆえに誤解を生む。だから、変えてくれという。異性愛に変えてくれと。それは子どもに「嘘をついて生きろ」という残酷な言葉なのに。

だが、昔の日本と同じような旧態依然とした社会の雰囲気、情報統制されているからなのか、同性愛は偏見と差別にまみれている。カミングアウトはどうしたってうまくいかない。私自身、十数年前、カミングアウトを受けた当時の事を思い出して、現中国の親達の反応は至極当然と思う。だから、カミングアウトの場面で、親の思いに共鳴して涙ぐんでしまう。と同時に、親の言葉のあまりの無知さに天を仰ぐ。

親はどうやってその無知の壁を乗り越えていけるのか。子どもへの愛情か、子育て当時の記憶が邪魔をして子どもの言葉を否定するのか、反対に思い当たる節があって理解を早めるのか、親自身の人生への問いかけも関わってくるかもしれない。いずれにしても子どものセクシャリティは変わりようがないのだから、親自身が理解を深め変わるしかない。異性を好きになる親とは違って同性を好きになる人もいる、それが自分の子どもなのだという事実を認めるしかないが、その道は果てしなく遠いように感じられる。

それにしても、この濃密な親子関係・・・安安と母親はお互いに譲らない、娘は親に自分を分かってもらいたいと10年以上訴え続けている、そのしぶとさ!どれだけ親に愛されたがっている事か。母は愛すればこそ人並みな幸せを願う。結婚こそが女の幸せだと。そうなのか? 離婚してる人だっているだろうに・・・

片や谷超は父子の絆なのか、父親に認められたいとの思いが強すぎる。息子はセクシュアリティを変えられるわけがなく、父は自分の価値観を変えられない、でもお互いに相手を思いあうから、その苦しみは増すばかり。谷超が歩くシーン、どの歩き姿も足取りが覚束ない。自分の人生を歩けていない心がその頼りない足取りに顕れているようで、私にはこれからの彼が心許ない。どこかのタイミングで親離れして自身の人生を歩き始めてほしい。

それぞれの親子の会話を聞きながら、親の誤解だらけの、でも、子どもへの愛情がちりばめられている言葉に、親心が感じられて痛いほど胸に沁みる。一方で、若者が、自分を隠して生きているのに疲れた、親にだけはわかってもらいたいという、その切なる思い故に、苦しむ親の理解を得ようと、自分の心を奮い立たせて難関受験する息子、片や親の切なる願いで偽装結婚まで考えようとする娘の苦渋の心根に涙した。親心に共感しつつも「間違ってる!」と諫めたい自分、親を思いやる子どもの優しい気持ちに、「自分の心を曲げちゃダメ!」と発破をかけている自分、観ている私も心が千路に乱れる。

日本にも同じような親達がいて、ゲイやレズビアンの若者がいる。皆、苦しみ、幸せの道を探ってもがいている。正しい知識を得て、異性愛者も同性愛者も、愛する対象の性が違うだけで人の価値に差はないのだという思いに至れば、幸せはすぐそこにあるのに。

ひとつ羨ましかったのは、中国には親の支援団体が5万人規模であること。それに比べて我が団体の規模のなんと小さいことか。この差は何故なのか、帰り道、考えあぐねてしまった。                          M.M


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