LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

教室での出来事

2006年09月22日 | Weblog
じつは私は塾をしているのですが、今日はその教室内でのできごとをご報告します。

教室では私の横の席が一番質問しやすいことから、その席を生徒が取り合いすることがあります。特に女子生徒はなるべく早く来てその席を取ろうとするのですが、ある日先に座っている生徒に後から来た中学1年生の女子生徒二人が「あ―また先に座ってる、○○ちゃん先生のこと好きなんや~、ワーイ、レズやレズや気持ち悪―い!」そう言われた子も最初は口をあんぐりでしたが、売り言葉に買い言葉でその場は展開し、彼女たちの間には険悪な雰囲気もなく冗談として自然に時は流れていきました。こんな発言もいつかはあろうかと待ち構えてはいたものの、あまりに突然やってきたこの差別発言に私も開いた口がふさがらず、どう注意したものか考えているうちに、子どもたちの会話はいつの間にか違う話題に移っていました。何も言えないままで歯がゆい思いがしましたが、ここで話を引き戻すのも不自然と考え、次の機会を待つことにしました。今の中学1年生がレズという言葉にどんな思いを持っているのだろうと考えながら、誰にも教えてもらっていないのだから注意するというより教えてあげなければ・・と思っていました。

そして先日のことです。今度はその差別発言をした二人が先にやってきました。
「ねえ、この間レズビアンだとか言って気持ち悪い―って言ってたよね。どうしてそう思うの? 」
「え―気持ち悪いなんて言ってないよ―」
「そういう人はたくさんいるんだよ、知ってる?先生の友達にもそういう人はいるよ」
「うん、知ってる、この間テレビで見た、外国の人が結婚したって言ってた、キスしてたからびっくりした」
「そう、どこにでもそういう人はいるんだし、おかしなことじゃないんだよ。気持ち悪いなんて言ったらその人たちはどう思うかなあ?」
「気持ち悪いなんて言ってないよ」
もう一人は
「ねえ、レズビアンって何? レズのこと?」
「そうよ。でもレズとかホモっていう言い方は差別した言い方だからレズビアンとかゲイとかって言ったほうがいいね」
「ホモって何?」
「・・・(このレベルまでしか知らないんだー)」

彼女たちは叱られると思ったのか「そんなこと言ってないよ」の繰り返しでしたが、最近の海外のニュースのおかげか(まだまだ少ないとは思いますが・・)、存在を知らないわけではない。そして現実に存在する人に向かってそのような発言はいけないということも言われればなんとなくわかる。とっさに出てしまったその言葉や感覚を彼女たちはどこで身につけたのか、もっと話がしてみたいなと思ったのですが、うまくかわされてしまいました。でもこの年齢の子どもたちならきっと、すっきりと理解できるのではないかと感じました。早いほうがいい、人間の多様性を知り、自分らしく生きていけばいいということを知るのは。そう実感した一日でした。やっぱり教育って大切ですよね。一日も早く、最後の人権問題といわれるこの問題を教育が取り上げることが必要です。先生方、よろしくお願いします。

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手記またはメッセージを募集します。

2006年09月20日 | Weblog

今日はみなさんにお願いがあります。ホームページ上と前のブログでご報告しているように、10月28日の講演会は小・中・高校の先生方にご案内をお送りしています。尾辻さんのサイトに掲載されているある高校生の作文を当日ご紹介する予定ですが、他にもLGBTのみなさんの手記、またはメッセージをお送りいただきたいのです。短くても結構です。テーマは「学校」または「家族」です。学校で感じた偏見、体験した差別、またどんな教育をしてほしいか、先生に望むことなど。「家族」に関しては親にカミングアウトしたときのこと、親や家族の様子、親にわかってほしいこと等でも結構です。

私がLGBTに関することを学び始めた頃、尾辻さんの「カミングアウト」に寄せられた応援メッセージを読んで心底驚いたことが忘れられません。多くの人たちがこんな悩みを抱えながら生きているなんて、全く知らなかったからです。このような声を外に出さなければ、誰にもわからないままだと思いました。少なくとも私のようなのん気な母親にはまったく届いていませんでしたので・・(私の友人たちも同じでした)。LGBT関連のサイトには当事者の方たちの声が載せられていますが、興味を持たない人には読んでもらえませんし、ネット環境を持たない人も大勢いるわけですから、機会があったら何らかの形にして、少なくとも教育に関わる人には是非読んでもらいたいと思っていました。この講演会を、みなさんの声を外に出す一つの機会にしたいと思います。どうぞ、どんどんお寄せ下さい。特に現役の中学生や高校生、大学生の方たちの声は、教育の現場の姿そのものだと思います。先生ご自身からでも結構です。友人や後輩などにお知らせいただき、一人でも多くの方の声をお聞かせ下さい。       
                  

          手記またはメッセージを募集!

    テーマ:「学校」または「家族」など
   締め切り:10月20日(金)
   お願い:①短くても結構です。
        ②できれば公表できるお名前(ペンネーム、イニシャル等でも結構で
         す)、年齢、現在お住まいの都道府県を添えてください。
        ③アドレスは family2006★mail.goo.ne.jp です。スパムメール防止のた 
         め@を★にしています。送信の時は、★を@に変えてください。

 

 


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親のカミングアウト

2006年09月10日 | Weblog
☆先日「偏見からの自由」を投稿してくださったお母様から、今度はお母様のカミングアウトについてのご投稿をいただきました。親もまたクローゼットに入ってしまう場合が多い中で、それもクリスチャンというお立場では、教会のニュースレターに載せることはさらに勇気のいることだったと思います。けれどアメリカの地でこのお母様の原稿を読んだ人たちの中には、認識を新たにする人、考えを改める人、そして勇気をもらう人がたくさんいることでしょう。(読みたいので英語でも書いてほしいといわれたそうです。)「子どもは長い間ずっとそんな思いをしてきたのに・・・」「本当は同じ思いをしている人はたくさんいるのですけど・・・」同感です。だからこそみんなでつながって、気持ちを交換し合って、「心の偏見を取り除いて」いきたいものですね。私もたくさんの勇気をいただきました。ほんとうにありがとうございました。

「親のカミングアウト」

今日、教会のニュースレターの発送作業をお手伝いしてきました。私の原稿も載っています。この原稿、何かに促されるようにしてほとんど推敲することもなく一挙に書いたものですが、いざ、実名で見ず知らずの多くの方々に読んでもらうことになると思うと、ちょっと大胆過ぎたかな、と、このところ少し気持ちが揺れる時もありました。

いわば、親の世間へのカムアウトのようなものですから。でも、どうしても、やらなければいけない、という感じですかね。自分で「こんなこと、嫌です。」と反抗してみても逃れられない、、という感じ。

子どもがカミングアウトしたら、親の方は「世間に顔向けできない。」と反対にクローゼットに入ってしまうとも言われています。子どもが何年もかかってその困惑状態から脱して自分自身のアイデンティティを確立する道筋を親も同じようにたどらないといけないわけですものね。堂々と人権活動をしている当事者たちも親にだけは言えないという人が多いのが、日本の現状だそうです。分かる気がします。それほど、まだまだ厳しい現実があるのでしょう。

実際、私も子どもからカミングアウトを受けた時には、地球上にたった一人で孤独に置かれているというような気分になったりしたものでした。子どもは長い間ずっとそんな思いをしてきたのに、、、です。本当は、同じような思いをしている人はたくさんいるのですけどね。

子どものカミングアウトで私も変えられました。親や家族が変わり、それが周りにも波及していくというようなやり方が、回り道にみえても、心の偏見を取り除いていく一番の近道なのかもしれません。そして、偏見が少なければ少ないほど人間は幸せを感じる度合いが増えてくるように思います。これ、実感です!

家族や友達それに牧師に支えられ、幾つかのサポートグループのサイトから学び、いくつもの山を越えた感じです。一番は、やはり当の本人が揺らがず堂々としていてくれたからかもしれません。

みなさん、どうもありがとう。

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講演会をします!

2006年09月10日 | Weblog
まず、この会のホームページができました。数名の方からこの会のことがよくわからないし、連絡がとれない・・という声がありましたので、作っていただきました(自分で作れないのが悲しいです・・)。メインのお知らせはホームページに載せ、日々のご報告などはブログに載せていきます。メールもいただけるようにいたしましたので、どうぞみなさんの声をお寄せください。

尾辻かな子さんもホームページでご紹介くださっていますが、今日はこの会のホームページに載せています講演会「こうべ男女共同参画フォーラム2006市民企画事業――人間の性の多様性を認め合う社会に」についてご報告します。

活動を始めたころ、行政のどこに行けばこのようなことを取り扱ってくれるのか尾辻さんに伺ったところ、男女共同参画で扱っているとのこと。届いたばかりの市の広報紙を開けてみたら偶然この市民企画事業の募集が載っていました。早速応募し、企画してプレゼンテーションに臨みました。11団体中6団体が選ばれるというので、緊張しながらも尾辻さんのお母様と二人でこれまでの思いを訴えました。プレゼンテーションの審査をしてくださった方々はこの問題に非常に造詣が深いようで、「尾辻さんのサイトは時々見ています」とか「播磨の小学生のこともあったので、幼稚園をはじめすべての学校に送ってみてはどうですか」とか「条例の一文を載せるといいですよ」「2時間あまりではもったいない」「部屋が狭すぎるかもしれませんね」など、その期待の大きさをひしひしと感じました。それまでは行政のどの「人権・・会」というところに行っても正しい知識をお持ちの方はいなかったのに、「行政にもこんなところがあったんだ・・」と驚くやらうれしいやらでした。認可が下りて、チラシを作成し(ホームページからダウンロードできます)ご案内状を添えて、神戸市内の市立と私立小・中・高校、そして阪神間の私立・県立高校424校に発送を終えました。

じつはこの案内状を作り終えた先週、息子が自分の学校には自分で持っていくと言って、担任の先生と校長先生にカミングアウトしてきたのです。お二人ともとても真剣に受け止めてくださったとのこと。すっきりとした表情で帰ってきた息子を、私は心の底から誉めてやりました。きっと大変な勇気が必要だったことでしょう。その後、先生からお電話をいただき、「今までこのような問題を知らないわけではなかったけれど、カミングアウトされて学校は今目覚めたところです。まず教師が講演会に参加して勉強を始め、取り組んでいきます」と言ってくださいました。先日講演会の応援依頼に教育委員会に行ったところ、校長先生はカミングアウトの翌日には相談に来られていたそうで、真剣に取り組んでくださっていることを感じました。

はたして424校のうち何校からご参加いただけるのか、これからいろいろなところに応援をお願いしていくつもりです。(終了後はどの学校から来てくださったのか、子どもたちのためにもブログでご報告したいと思っています。)なぜ学校を対象にしたのか。それは教育の場が変わることで多くのLGBTの子どもたちが孤立から救われるだろうと考えるからです。「人権・・会」の人たちでさえ正しい知識は持っていない。先生方も学ぶ場がないのです。責めることはできません。本来なら国が、文科省が、法務省が、教育そのものにメスをいれて取り組むべきことなのでしょうが、国を動かしている人も何も知らない、むしろ知らないことにも気付いていない、ジェンダーなんてという偏見に満ちた人が多いようですから。それなら人間の性の多様性を知った、そしてここに問題があることを知った私たちから、先生方に正しい知識を持ってもらえる場を提供していかなければなりません。

チラシにはこのブログのアドレスも入れました。興味を持った先生は読んでくださるかもしれません。

☆先生方へ
 あなたの学校にも必ずLGBTの子どもたちがいます。ひょっとしたらあなたの子どもが、兄弟が当事者かもしれません。社会にいろいろな差別はあるけれど、これは家族の中にも存在するのです。当事者の子どもは家族の中でたった一人、この問題と向き合っています。息子もそうでした。誰にも言えないからです。何も知らない親や兄弟のすぐ横で、どれほど孤独で、不安な毎日を送っていることでしょう。些細なことでも悩んでしまう思春期の子どもたちです。想像力を働かせてみてください。「これは思春期の子どもが持ついろいろな悩みの一つにしか過ぎない」と言った先生がいましたが、果たしてそうでしょうか? 自傷行為や自殺に至るケースは、アメリカの調査では異性愛の子供たちの数倍に上るということです(日本ではそのような調査さえできません)。先生方自らが「おまえらホモか」のような差別発言をしてはいませんか? そのような子どもたちのからかいの言葉を聞いたことはありませんか? 偏見に満ちた社会の中で、多くの未来ある若者が自己肯定できないままでいるかもしれません。先日も自殺願望を持ったお子さんのお母様からご相談がありました。そして当然大人になっても状況は変わりません。生きにくい思いをしている人が大勢いるのです。教育が取り組む問題です。そして人権の問題なのです。どうかこれを読んでくださった先生方、講演会に足を運んでください。先生一人の認識が変わることで、きっと多くの子どもたちが救われるはずです。そして日本の中の神戸という一つの街から、何かが変わり始めてほしいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。


黙っていては動かないのが社会です。東京のパレードの前のシンポジウムで東京区議の上川さんがおっしゃっていたように「見えないものに行政はお金を出さないし、そのために動くこともない」のですね。でもたった一人が動くことで誰かがその存在に気付き、その波紋は必ず広がっていくことを信じて、これからも声を上げていきたいと思います。

◎もちろん一般の方も参加できます。まず知ることから始めたいという方、またカミングアウトされて悩んでいるお母様やお父様などいらっしゃいましたら、是非ご参加ください。

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第4回 ミーティングを行いました。

2006年09月05日 | ミーティング
9月3日(日)1時半から「つなぐ会」第4回ミーティングを行いました。新しく来られたのはお母様がお一人と,レズビアンの方、FTXのAセクシャルの方、そして自分のセクシャリティを子どもにどう伝えたらいいのかを知りたいという方、以前ご紹介した私の大好きな雑誌「にじ」を書いておられた永易さんも来てくださって、合計14名の参加者でした。

悩みというものはそれぞれ固有のものですが、こうやって集まると、一緒に涙したり、叱咤激励もあり、経験談もあり、そしてそれぞれの人脈からよりよいアドバイスのできる人を紹介したりと、そうこうしている間にいつの間にか部屋には笑い声が響くようになるのです。何が動いたわけでもないのに、なぜか問題が解決できそうな、そんな自信が生まれてくる気がします。人間はやはり支えあっているのですね。

興味深かったお話をひとつご紹介します。ある友人の方のお話から。差別を考えるときに、面と向かって差別する人と面と向かわない人がいる。厄介なのは前者ではなく、後者だということ。違う面を持つもの同士がお互いを理解することは簡単なことではない。むしろ逃げるほうが簡単。だからこそ逃げないで向き合いたいと。この友人の方はご自身のことを、今では世間一般のマジョリティともすでに一線を画している、当事者と向き合っている当事者といえるのかもしれないとおっしゃっていました。(合っているでしょうか・・?)

「つなぐ会」にいる私たち親や家族や友人はみんなそうですね。カミングアウトした人と受けた人がこうして逃げないで向き合えば、少しずつ近づいていくのではないかと思います。そんな人が増えていけばいい、「つなぐ会」がその場になればいいなと。だから向き合いたい人、どんな人でもこれからも大歓迎です。

 第5回ミーティングは次のように決まりました。
  日時:11月18日(土)1時半~4時
  場所:大阪府堺市 尾辻かな子事務所(TEL,072-282-5588)

 ☆参加ご希望の方は、収容人数の関係上、できれば事前にご連絡ください。




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偏見からの自由

2006年09月04日 | Weblog
☆今日ご紹介するのは、カリフォルニアにお住まいのあるクリスチャンのお母様からいただいた手記です。アイデンティティハウスのかじよしみさんがつないでくださいました。このお母様は今年の1月に18歳の息子さんからのカミングアウトを受けて以来、いろいろと学ばれたそうです。「つなぐ会」のサイトにも何度もきてくださり、アメリカの地から応援してくださっていたとか。「これからも現れるであろう若い当事者たちの苦しみをこれ以上増やすことのないように、という思いは全く同じです。小さなことからでも何かを始めることで、それがやがて大きなうねりとなって社会を大きく動かしていく日を夢見ながら・・」とお手紙には書かれていました。
 はるか海の向こうにも同じ思いのお母様がいらっしゃって、こうしてつながることができるなんて、これほどうれしい日はありません。世界中にいるであろう同じ思いの親が、家族が、友人が、つながって立ち上がれば、みんなが自分らしく堂々と生きられるそんな社会はきっと実現できますね。


「偏見からの自由」 MT

今年も夏の修養会が、H牧師をお迎えしてアシロマーで開かれました。「偏見のない人生と信仰」と題して今を生きる私たちに聖書が語るメッセージをどのように受け取るのか、聖書の読み直しの必要性について考えさせられた2日間でした。その中で、H牧師が長年にわたって取り組んでこられた同性愛者に関する偏見と差別の問題の解決に関しては、今、教会がその態度決定を迫られている緊急課題であると提言され、一人ひとりが自分の問題として考えるように促された時間でもありました。

同性愛者など性的少数者の人権問題は、宗教問題を絡めながら、人類最後の人権問題として、現在どの国家・社会においても解決しなければならない大きな政治課題の一つとなっています。ここ10年間を見ても、人々の理解もずいぶんと深まり、幾つかの国ではその結婚も認められるようになって来てはいますが、社会が大きく変革する時には、それに反対する勢力もまた勢いを増してくるのが常で、反対勢力の中で一番大きく、やっかいなのが、キリスト教であるというのも、また認めざるをえない事実です。21世紀のキリスト教会は、セクシュアリティによって揺さぶられ、大きなチャレンジを受けるだろう予言された牧師さんがおられましたが、まさにこの課題は、もう後回しにすることはできない緊急性をもって私たちの信仰のあり方までを問うているのだと思います。

なぜ、特にキリスト教でも保守といわれるグループの人たちが、同性愛に反対であるかは、聖書の数箇所にそのような記述があるからということなのですが、今回H牧師は、その一つひとつを取り上げて、聖書の文脈を正しくとらえること、特殊な偏見と時代精神を排除して開かれた心で読み直しを行っていくことの必要性を分かりやすくお話くださいました。

私事になりますが、今から15年以上前になりますか、教会で行われた「同性愛について考える集まり」に参加した折、やはりH牧師が講師として来られ、同性愛者に対する偏見の排除と理解を求められたことがあって、以来、キリスト者としてどう考えるか、断続的に考えてきた課題でもありました。その時には、同性愛についてなど、普段ほとんど考えたこともなく、接したこともなく(と思っていました。本当は、どこかで必ず接しているはずですよね。)全くの無知でどこかにそういう人もいるのかなというような他人事としてとらえていました。しかしながら、先生の話を伺い、教会からも社会からも家族からも見離され、あるいは自分で自分自身を受け入れることができず、エイズという当時は治る見込みのないとされた病に冒された同性愛者の置かれたすさまじい状況にキリスト者としてどう向き合えばいいのか自分なりに一生懸命に考えた記憶があります。

おそらくイエス様が現代に生きておられたとしたら、真っ先に行って添われるのは、その方々だろうということは想像がつきましたが、一方、聖書のパウロ書簡などに書かれている同性愛を禁じる記述とどう折り合いをつければいいのか。 その時、自分なりに出した答えは、現代の同性愛の問題は、聖書が書かれた当時の割礼問題に匹敵するようなことではなかろうかということでした。今でこそ、割礼問題は何でそのようなことが、信仰の命をかけて論じるようなことだったのだろうと思いがちですが、当時のユダヤ人キリスト教の人にとっては、神様との契約のしるしの割礼を無視することなど、到底許すことのできない信仰が大きく揺さぶられるような大事件だったはずです。「体に割礼を受けていなくとも、イエス・キリストを信じることこそが神の義である。」というパウロの主張でキリスト教は地域の一宗教から世界宗教へと飛躍していきます。今まさに私たちに突きつけられている同性愛の問題は、異性愛者にとっては従来の価値観を根底から覆すような受け入れがたいことではあっても、初期キリスト教会が割礼問題を克服していったと同様に、克服していかなければならない問題なのではと思い至りました。それが、聖書を現代に通じるメッセージとして読むことではなかろうかと当時考えたものでした。

それからしばらくして、「キリスト教は同性愛をどう捉えたらいいのでしょうか。」と、ある牧師先生におたずねしたことがあります。興味半分ではなかったつもりですが、所詮、他人事として聞いているにすぎないことを見抜かれた先生から、「そういうことはね、当事者の親が悩みに悩んで、そして神様にどうしてこんなことが?と苦しみの中から聴く時に、神様は、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、お答えになられるようなことですよ。」と言われたことを私の反省として今も鮮明に覚えています。

そして今年の初め、その小さな声を聞かなければならない時が突然やって来たのでした。それは、18歳になる長男が、カミングアウトをしたことから始まりました。頭で考えて一応の理解はしていたつもりでしたが、実際に親としてわが身に起こった時には、それまで考えていたことはすべて吹っ飛び、私がよく知っていた今までの子どもではなくなってしまったような喪失感、親の育て方が問題だったのだろうか、親として子どもにどうしてあげるのが一番いいのだろうか、と涙が出る余裕もないほどの大ショックとパニックで天と地がひっくり返ったような思いでした。子どもはこれまで、大変な思いをしてきたのに、そのことに気がついてやれなかった後悔と同時に、世間に対して恥ずかしいという思いもありました。

それからというもの、真剣に同性愛について調べ、また子どもをどう理解し援助したらよいかについて考えてきました。分かったことはたくさんあります。どの時代でもどの社会でもほぼ同じくらいの割合で同性愛者とされる性的少数者がいたこと、それは今では、大体人口の6%、15人に1人の割合と見なされていること。(隠れ同性愛の人がいかに多いかが、この問題の根深さ、社会的な抑圧の大きさを物語っています。) 原因については、どれも仮説の段階でまだはっきりと解明されていませんが、母親の胎内にいる時、何らかの原因で生まれつきそのような指向を持っていると考えられていること、(本人の選択や育ちの問題ではないということです。) 自分が人と違うということに気づきはじめる思春期の頃、自分で自分が受け入れられなくて苦悩し自殺する若者が多いこと。(これは、そうでない場合の約3倍とも言われています。) 指向を変えられるケースもあるにはあるが、生まれつきの場合はむしろ、その試みは害になるということ、などなど。また、アメリカは、親や友達のサポート組織が充実しており、PFLAGという親のサポートグループのサイトからは、子どもからカミングアウトされた時、親としてしなければならないこと、してはいけないことなど具体的なことも教えられることが多くありました。

息子の場合です。思春期の始まる中学生になった頃から、自分が人と違うことにはっきりと気づき始め、でも友達にも家族にも言えず、一人で考え悩んでいたそうです。一番つらかったのは、誰にも本当のところを理解してもらえないという深い孤独感を感じることだったようです。ニュースではさかんにエイズについて報道していた頃でもあったので、自分は大人になったらエイズで苦しんで死ぬ運命だと思い夜一人で泣いていたこと、自分も他の人と同じになれるよう、神様に真剣にお祈りしても一夜あければ何も変わっていないままで、祈りが聞いてもらえないとがっかりしたこと、何か悪いことをしたのだろうかという罪悪感、人と違って見られたくないために使っていた気苦労の大変さ。しかし、誰にも言えない一人ぼっちの苦しい数年間を過ごし、やっと自分で自分に折り合いをつけ、嘘をつかずに本当の自分らしく生きていくことを決心した息子に、父親である夫は、「君のことをとても誇りに思う。」と話していました。そのことで息子は、心から慰められ、励まされ、勇気づけられたようです。親より半年はやく知っていた姉二人のサポートもあり、家族の絆が、一段と深まった瞬間でした。また、打ち明けた友達たちとも以前と全く変わることなく、それ以上に親しい交流が続いていることもありがたいことです。これから、息子に、どういう人生が待っているのか、決して平坦ではないと思いますが、神様の思いからはずれない道を歩んでほしいものと願っています。

そして、神様からの私への小さな声、それは、あらゆる区別や差別を乗り越え、開かれた心で偏見のない信仰を持ちなさい、と静かに、しかし、はっきりとおっしゃられているように思っています。リスクを感じながらも勇気をふるってカミングアウトなどしなくてもいいような、それが当たり前のこととして受け入れられるような社会に一日もはやくなっていくように親としてもキリスト者としても力を尽す者でありたいと思います。同性愛者にきちんと向き合える社会は、いわれなき差別と偏見に晒されているすべての人々に正しく向き合える社会だと信じるからです。

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